Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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11月27日 各陣営模様

 セイバーの独断行動の次の朝、無駄に広い食堂にて卵焼きをスクランブルエッグにして誤魔化した朝食をとりながら、明はニュースを見ていた。

 

 大きく取り沙汰されているのはこの春日市の一家惨殺事件である。

 昨夜未明、春日市の住宅地に住む四人家族が惨殺されたという酷い事件だ。四人が四人ともまるで大きな力で拉げられたように体が破壊されていたと報道されている。どのような殺害方法なのか、まだ警察の調べでは判明していないそうだ。

 その上、その家族の住まう住宅は半壊状態で、爆弾が使用されたのではないかとの話まで持ち上がっている。その癖、その異変に気付いた者は誰ひとりおらず、発見されたのは夜が明けてからだという。

 

 一昨日には春日の総合病院で大きな医療事故があったと報道されたばかりであるのに、立て続けに不審な事件が起きている。

 

 

「まさかどっかのバカマスターが人食いでもやってんじゃないよね……」

 

 サーヴァントはマスターから供給される魔力で現界をしている。そしてマスターの魔力量と質により、筋力・耐久・敏捷・魔力・幸運等のパラメーターランクにも影響が及ぶ。そして魔力はマスターからの供給で足りなければ、人の魔力―――生命力、すなわち魂を食らうことで得ることもできる。

 弱いサーヴァントを強化する目的か、それとも元々強いサーヴァントを更に強くする目的か、サーヴァントに人を食わせる行為はありうるのだ。

 

 本当に人食いが行われているのかはわからない。だが、頭の隅にはおいておかなければならない。もしそうだったのなら、明はそのサーヴァントとマスターを優先させて排除しなければならない。

 

 

 と、憂鬱な気分になっていたところ、教会からの使い魔が姿を現した。

 

 昨夜のアサシンとセイバーが戦闘をなしたことは既に教会側が感知していた。やはり神父の放った使い魔のうち一匹が、セイバーたちの姿を偶然捉えていた。もちろん使い魔は大西山全体をカバーできてはいなかろうが、とまれかくまれ、昨夜の戦闘は教会の掴むところであった。

 明はセイバーが戦うつもりはなく、偵察だけするもりだったがアサシンに感づかれて戦闘に至ってしまったと、セイバーの話に若干の変更を加えて報告した。

 意外と御雄は悪い印象を抱いていないようだった。宝具の解放のような大規模な魔力変動は感知されておらず、剣さえも振るっていないことが幸いしてセイバーはすぐに撤退したと思われているようだった。

 ただ、彼曰く美琴は苦い顔だと笑っていたが。

 

 教会の二人はそれでいいだろうが、エーデルフェルトはどう思っているだろうか。

 最初から仮初の共闘ゆえに「やはり」信が置けないと思っているのか。

 

 とりあえず昨日セイバーの観察した範囲でわかったアサシンの特徴を告げる。アサシンらしく俊敏だが、今のところそれ以外に特別な能力はなさそうであること。黒い雨合羽を着て外見を隠していることから、外見から真名が読める可能性が高いこと。この二点を報告した。

 一通り報告した後、神父は思い出したように声を上げた。

 

「そういえば言い忘れていた。ハルカ・エーデルフェルトはお前の屋敷からすぐ近くの洋館にいる。あの幽霊屋敷と有名だったところだ」

 

 明には直ぐに思い当った。この屋敷と教会の間、徒歩十分のところにある洋館。特に魔術師が住んでいたわけではなく、純粋に海外から移住してきた金持ちの老夫婦が建てた館。夫婦が健在だったのは明がまだ幼かったときの話で、高校生になるときにはもう二人とも鬼籍に入っていた。

 引き取り手もなかったのか洋館は放置されそのまま幽霊屋敷と呼ばれるようになったが、ある時春日教会がその洋館を買い取った。教会も熱心に保全しようとしていたわけではないので荒れてはいるものの、十分な魔術工房を構築することが可能だ。

 

 

(しかし、近いなぁ……)

 

 特に文句を言うわけではないが、お互い目と鼻の先にある状態だ。碓氷邸には当然の如く結界も張ってあり使い魔一匹、明の許可しない限り立ち入れないようにはなっているのだが、気分は良くない。

 

 

「了解。それじゃあまた」

 

 使い魔を通しての通信を切り追い返すと、明は一息ついて肩を落とした。セイバーは夜には外出を禁じたが、昼は外に出るも勝手にさせている。戦いは夜なのだから、昼位は好きにさせないとセイバーも窮屈だろうと思うからだ。明は人に命令することが元々性に合わず、強制もしたくない。

 

 だがこれまでなら好きに行動していいと言っても、セイバーはこたつでダラダラすることが普通だった。しかし、本格的に聖杯戦争が始まったと聞いてから、セイバーの部屋に姿はない。

 明は肩を回してから、テレビを消して地下室へ向かう。

 

 碓氷邸地下の魔術工房。ひやりとした空気はいつものものである。明は聖杯戦争参加を知らされてから己の魔術行使の準備はしていたが、あまり進まなくて万全の準備にまではなっていない。

 しかしそうもいっていられない為、今日で魔術礼装を整えておくつもりであった。一度大掃除をし、昨日も後始末の掃除を行ったのでかなり綺麗になっている。明はいつもの作業用の机に椅子を引っ張り出して座った。

 机の隅に置いた金属の箱には、一昨日父から届けられた鍵が収まっている。

 

「絶対使わないからね……」

 

 明はぼそりと呟き、後ろの机に重なっている一番上の本を手に取った。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 駅から十分の位置に立つ、春日総合病院。病棟四棟、ベッド数二百五十の中規模総合病院である。十の診療科を持ち、春日でも大きい病院だ。四号棟は今年になって完成した最も新しい病棟だ。

 

 その春日総合病院は、今かつてない大恐慌に陥っていた。一昨日に事態が起き、昨日発覚した医療器具の誤作動とその誤作動の看過により、院内より五人の死者が出てしまったのである。

 病院の上層はその医療器メーカー、警察、さらには遺族の弁護士やらの対応で大変なことになっている。動揺はもちろんその医療器具を使用していない患者たちにも広がり、この点滴は大丈夫か、今度の手術に問題はないのかなど医者も対応に追われ、異様な雰囲気が広がっていた。

 

 

真凍(しんとう)さん、今日は体調がよさそうね」

「はい、いい感じだと思います」

 

 白いベッドをリクライニングさせて角度をつけ、読書に勤しむ少女に向かって、看護師は嬉しそうに言った。少女もその笑顔と同じように、看護婦に微笑む。

 

 歳は中学校に上がったくらい。色素の薄い髪は右肩のところで緩くまとめられている。チェック柄のワンピースの寝間着を着ており、釣り目気味の目が猫を思い起こさせる、愛嬌のある顔立ちの少女だ。

 

「お医者さんも看護婦さんもみんな疲れてますね……」

「ちょっとね。でも真凍さんの体調管理には影響ないから安心してね」

 

 病人は当然の如く、健常人よりも気持ちが不安定になりがちだ。それにこのような事故があっては推して知るべしである。少女――真凍咲(しんとう さき)を担当している看護婦も、心配をさせないように笑ってはいる。

 しかしその看護婦の疲れは見て取れるほどだ。行く先々で事故について患者に色々言われたり聞かれたりしているのだろう。

 

 

「私が言ってもしょうがないですけど、佐々木さんも養生してくださいね」

「患者さんに言われちゃったよ」

 

 若い看護婦の佐々木は、照れ笑いをして微笑む。何とはなしに話しかけやすい雰囲気のこの看護婦と、咲はよく話す。しかし忙しいのか、看護婦はバイタルに異常がないことを確かめると、お大事にと言って立ち去ってしまった。

 

 咲の元を足早に立ち去ってしまったのは、忙しいだけが原因ではない。病院がおもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎのなかにあることも一つ。だが、さらにもう一つ。

 

 今日に先立つ二十四日の夜に、彼女は両親を失っているのである。それも尋常な死に方ではない。自宅で体を破壊されその部屋を血染めにして絶命していた。体を刺された、殴られたという生温い方法ではなく、それこそ破壊というにふさわしいおぞましさ。

 まるで巨大な鉄球が胴体に直撃し吹き飛ばされたという状態で、部屋に臓物をまき散らしていた。

 

 この惨事はまだ咲には知らされていない。余命半年の少女に医者たちもどう話すか考えてあぐねていたのだが、その矢先に医療事故が起きてしまった。其の為咲の両親については棚上げされている。特に多感な時期の少女に伝えるには、酷すぎる事実。看護婦たちにも知れ渡っているが、どのように接すべきか困っているところでもあった。

 

 

 だが、当の真凍咲はその医者と看護婦の姿もすべて見透かして嗤っていた。

 

 

 そう、己の両親を惨殺したのも、病院の医療事故も、すべて咲の行ったこと。

 動揺もないのも当然で、こうなることを見越していたからだ。

 

 咲は己のサーヴァントを「バーサーカー」のクラスで召喚した。狂戦士としての逸話がある英雄で、かつ召喚時に特別な詠唱を挟み込むことで召喚ができる。

 

 バーサーカークラスの最大の特徴は、理性を失うかわりに、ステータスのプラス補正がかかることである。他のサーヴァントのように、会話をして意思疎通を図ることができない(ただし狂化のランクにも左右される)。一度このサーヴァントを解き放てば、ひたすらに暴れ破壊しつくす。

 その姿はまさに「最強」たるにふさわしいサーヴァントである。

 

 だがデメリットもある。能力が強化される代償として魔力消費量が膨大なものになる。ともすればマスターの方がバーサーカーに魔力を奪われすぎて自滅してしまうほどだ。

 

 咲は患いの身である。魔術師は生命力を魔力に変換するのだが、その生命力が常人よりも劣っている為、バーサーカーなど魔力消費の激しいサーヴァントを使えばすぐに自滅してしまう。

 

 しかし、魔力を得る方法はマスターだけには限らない。人を食べれば魂を得、魔力が補充される。

 もしキャスターのクラスがこれを行おうとすれば、殺さない程度に大勢から少しずつ魔力を頂戴することもできただろうが、生憎バーサーカーにそのような芸当は不可能だ。

 

 一人一人殺して肉体を破壊し、そこから解放された魂を食うしかない。

 

 だが、それをした甲斐はあった。彼女は病身でありながら、バーサーカーを何の苦も無く使役できている。

 

 

(やっぱり食べるのは一般人より魔術師の魂。父と母の魂は容量があったし。だけど病人はダメね。五人食べても父一人分にもなりゃしないわ)

 

 医療事故は事故ではなく、咲が魔術で電磁波を発生させ医療器具に干渉し、手術後で体力を消耗している患者が息絶えたところ魂をバーサーカーに食わせたことが実態である。

 

 病人の魂は常人のそれより劣るが、魂は魂である。それに、と咲は笑う。

 

 病院は良いところ、放っておいても絶対に誰かが死ぬのだから。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

「うぬ、セイバーめ。抜け駆けとはずるいぞ」

 

 ランサーは霊体化した状態で文句を言った。本気で怒っているのではなく、むしろ羨んでいる感じである。

 

 文句を言っている件はもちろん、教会から伝えられた話だ。セイバーは最初は能力秘匿のために戦闘に出ないことになっていたはずが、いきなりアサシンのサーヴァントと交戦したのである。

 教会の監督役――神内親子、というよりはむしろ美琴は初っ端から余計な行動をされたことが不満のようだったが、ハルカとランサーは正直あまり気にしていなかった。これくらいの逸脱ならばかわいいもの――しかしランサーにとっては、他のサーヴァントと戦えていたこと自体が羨ましいらしい。願いが「戦うことそのもの」というだけはある。

 

 碓氷邸から徒歩十分ほどの洋館。館は蔦に覆われ庭には草が生い茂る、周辺では幽霊屋敷と名高い洋館である。洋館、というと大きい屋敷を想像するかもしれないが、もともとは金のある老夫婦と少数のメイドのみが生活する館、かつ生活主体の屋敷のため、一軒家二個分程度の敷地である。

 教会からそこを拠点にと勧められ、ランサーのマスターのハルカ・エーデルフェルトとランサーはそこを根城にしている。

 

 初めて訪れた一昨日は、ランサーに庭の草を刈り取らせてハルカは掃除を行った。

 ソファやテーブルなど、家具が残されているが老朽化が進んでいる。ここにきた当初は全てが埃に塗れており、息をするだけでも大層体に悪そうだった。今では最低限の掃除の甲斐があって、人は住めるくらいの清潔さは保たれている。

 そして念のため人払いの魔術を施し、ハルカの魔術工房となっている。

 

 魔術工房とは、魔術師がその家などを、魔術を用いて要塞を作り上げることである。結界や悪霊、トラップをしかけて踏み込む者を徹底的に迎撃する。しかしハルカは相手を徹底的に叩きのめす工房を作成しようとしてはいない。

 自分がここで寝泊まりするうえで襲撃をすぐさま感知し、相手を足止めし時間を稼ぐことを重視した簡易な工房だ。

 侵入者を迎撃することは難しい代わりに、工房を破壊されてもすぐに修復できる。

 ハルカは一階のソファでくつろぎながら、同じく一階をうろつくランサーに声をかけた。

 

 

「夜はまた外に出てももらいます。私はここにいるから、それまで好きにしてください」

「おう」

 

 ランサーの気配が薄くなる。ハルカとランサーの関わり方は最低限で、戦争に関することでしか会話をしない。それで事足りるならそれでよい。ランサーはハルカをマスターと呼ぶことはない。言うことは聞くが、生前のランサーを考えれば彼が仕える主人はただ一人だけで、ハルカは目的を共にする同志に近いのだろう。

 

 ランサーが昼に何をしているのかは知らないが、恐らく物見遊山をしているのだと想像はつく。一昨日にこの家を住めるようにしてから、昼間は不在で夜の偵察前には戻ってくる。駅で配っているポケットティッシュやチラシの類が玄関の棚に堆く積まれているのを見るに、現代を面白がっているのだろう。

 

 ハルカはテーブルの上でトランクを開け、中を確かめる。ルビーやアメジスト、サファイヤと純度の高い宝石が整然と並び、煌めくような輝きを放っている。その一つ一つが、ハルカ・エーデルフェルトの魔力が詰まった秘蔵の品である。長い時間をかけて少しずつ魔力を蓄積した魔術礼装。

 

「これは素晴らしい宝石ですね」

 

 自画自賛ともいえるセリフを呟き、ランサーのマスターは笑った。

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 マスターの予想通り、ランサーは見事に現世を謳歌すべく奮闘していた。

 

 初めは春日駅を召喚された当時の格好――つまりは草履に脛当、鎖帷子で闊歩していたのだが、どうにも周囲の視線が可笑しい。よくよく考えればそれも当然で、時代には時代に合った服装というものがある。

 昨日のうちにそれに気づいたランサーは、ハルカに少々の金を拝借して、目を丸くして驚く店員に聞きながら服をそろえた。GパンとTシャツ、黒のジャケットを着て、ランサーは春日駅を歩く。

 聖杯から現代の知識を受け取っているとはいえ、あまりの人の多さにランサーは舌を巻いた。

 

「まるで合戦のような人の多さだな!さて、どこから見て回るべきか。ハルカもここの出身ではないというから聞けぬし……観光といってもどうすればいいのにのう」

 

 ランサーはそうひとりごちながら、腰に手を当て周囲の煌びやかな店店を眺める。駅から直結している商業施設の中には、店が所狭しと並んでいる。よし、と意を決したランサーは手近にある店に突撃していく。それがいきなり女性向けランジェリーショップだったのだから、不審者扱いされるまであとわずかである。

 

 

 ランジェリーショップからつまみ出されてから、ランサーは本屋、靴屋、百円ショップなどを巡っていく。持ち金は多くなくとも、時代が違えばここまで変わるのかとランサーは興味深く眺めている。

 その時、目の前を一人の女学生が通り過ぎた。街を歩いている中で同じような学生を何度も見ていた為、どうも思わないはずなのだが、その人物だけは何かが違う。ランサーは振り返り後ろ姿を注視すると、それは一昨日剣を合わせたばかりのサーヴァントだと分かった。むしろなぜここまで近づくまで気づかなかったのかとランサーは首を傾げた。

 

 後ろからその肩を掴み、ランサーは友でも見つけた様に笑った。

 

「よう、セイバー!お前も物見遊山か!」

「……ランサー」

 

 迷惑千万という空気を纏いながらも、表情を貌に出さない剣の英霊は振り返った。髪を解き、薄桃色のワイシャツの襟にはリボンがついて、紺色のジャケットを羽織っている。茶色のチェック柄のスカート、紺色のハイソックスという女子高生スタイルである。今更ながら、ランサーは戸惑った。

 

 

「……一昨日は女のような成りをしているくせにと言ったが、そもそもお前は女子だったのか?」

「いや男だ」

「趣味か?」

「こちらにも色々と事情がある。ところで用は何だ。戦いに来たのか」

「それもよいが、神秘のなんとやらで昼間には戦ってはいかんようでな、そうではないさ」

 

 ランサーは呑気に笑っているが、セイバーは一刻も早く別れたそうな空気を隠さない。

 しかし、ランサーは思い出したように突然悔しげに言った。

 

 

「そうだ!お前、先にアサシンと戦うとはズルいぞ!」

「は?」

「儂などここ二日の夜は街を回っているというのに、まだ一騎のサーヴァントにも出会えなんだ!」

「与太話なら他でやれ。俺は忙しい」

 

 セイバーは思い切り剣呑な空気を発散して、ランサーを邪険にする。だがランサーは全く意に介した様子はなく、踵を返すセイバーの肩をつかんだ。

 

「待て待てセイバー」

「いい加減にしなければ八つ裂きにするぞ!」

 

 人の多い駅直結の施設で、いきなり物騒な言葉が大声で飛んで通行人が振り返る。

 ランサーは慌てて手でセイバーの口を塞いだ。

 

「そう慌てるな。夜になれば……いや、昼でも勝負ができる場所があるそうだ」

 

 面白いことを見つけたと言わんばかりにランサーは口に笑みを刻んだ。そしてセイバーの襟首を掴むと、そのままぐいぐいと引っ張っていく。傍から見ると可憐な女子高生を中年のガタイのいい男が連れ去ろうとしているようにも見える。言い合うことが面倒になり、セイバーは三十分だけだとため息をついて引きずられていった。

 

 

 

「現代の遊技場のひとつで、ばっていんぐせんたーというそうだ」

 

 駅直結の商業施設から徒歩五分、『アスレフィットネス春日』というアミューズメント施設に二人は足を運んだ。五階建ての鉄筋の建物の中には、バッティングセンター、ボウリング場、ビリヤード場、サウナ、カプセルホテルが入っている。ランサーはそこまでの事は知らず、単にバッティングセンターがここにあるということしか分っていない。

 

 セイバーを引きずるようにして自動ドアの開くままに中に足を踏み入れ、受付に場所を尋ねてエレベーターで向かう。一階はカプセルホテルになっており、昼のこの時間に通りかかる人は少ない。

 エレベーターはすぐに扉を開き、乗り込むと少しの重力を感じながら、ランサーは何とはなしにセイバーに尋ねた。

 

「お前は現界してからどれくらい経つ?」

「一週間経つか経たないかと言ったところか」

「ほほう!儂はまだ三日しかたっておらん。どこかお前のオススメの場所などあるか!」

 

 ランサーは興味深げにセイバーを見るが、当の本人はまともに考えてもいなさそうにそっけない。「ない」

 

「つまらん奴だのう。戦いに来たとはいえ、気を張ってばかりではいざというとき踏ん張りがきかないぞ」

 

 チン、という音と共にエレベーターが停止する。ランサーはノリ気でないセイバーの腕を引っ張りぐいぐいと進んでいく。五階のバッティングセンターのフロアは、全体的に緑っぽい印象だ。

 エレベーターを出て右手にカウンターがあり、インストラクターと思しき、紺色のジャージを着た若い男がにこやかに声をかけてきた。

 

 

「いらっしゃいませ!お二人ですか?」

「ああ、ちなみに初めてなんだが」

 

 ランサーがカウンターに依りかかって、店員からシステムの説明を受けている。セイバーはフロアを見渡した。エレベーターから左手側が緑色の荒いネットで仕切られ、黒い長方形のマットが等間隔で敷かれている。等間隔にネットで区切られ、区切られたごとに一人がマットの上に立ちバットで飛んでくるボールを打つ。ボールが放たれるマシンからの距離は十五メートルくらいだろうか。天井は高く、室内であるため、上にもネットが張られている。

 

 奥の二打席で大学生のカップルが楽しそうにバットを握って騒いでいる様子を見ていると、セイバーは再び首根っこを掴まれた。

 

 

「ほれ、危ないからこれをかぶれだと」

 

 ヘルメットをかぶると言うよりは被せられて、同時に金属バットも渡された。セイバーはランサーと隣のバッターボックスに案内される。セイバーが見ていたカップルの隣の席である。インストラクターの男はこのマシンは初心者向けで、球速は時速七十キロくらいだと説明した。

 セイバーはちらりとバットを空ぶるカップルの女性を見てから尋ねた。

 

「時速七十キロというのは、今の隣の速さくらいか」

「そうですよ」

 

 ランサーとセイバーは目を見合わせる。

 

「もっと速い方がいい。今くらいの速さは止まって見える」

 

 

 

 

 

 バッティングセンターの控室に、先ほどのインストラクターの男が駆け込む。今の時間のシフトはバイトが三人で、社員が一名。だが社員はちょうど休憩に出ていて、バイトの大学生である佐藤、山田、嶺倉の三人で回している。

 平日の昼間ゆえに一人でも間に合っており、山田と嶺倉は控室でバットの整頓まじりに雑談に興じていた。控室のドアが乱暴に開かれて、山田と嶺倉は厄介な客でもきたかと訝しがりながら顔を上げた。

 

 

「おい山田!嶺倉!ちょっとこいよ!!」

「んだよ」

「やべー女子高生とオッサンがいる!!」

 

 佐藤の興奮した様子から、面倒事が起こったわけではないと察知した二人だが要領を得ない言葉に首を傾げる。だがいいから来いと迫る佐藤に押し流されるまま、二人はバッティングコーナーに顔を出した。

 その途端に、連続でマシンから球が放られる音。そして寸分違わずバットで打ち返す澄んだ高音。素人が聞いても「確実に芯を捉えた」と感じられる痛快な音が惜しげもなく響き渡っていた。

 

 その音を鳴らす好打者は二人。二人ともこのセンターの最高速、百五十キロの球を打っている。一人はジャケットにGパンのラフな格好をした、筋骨たくましい中年の男だ。その威風堂々たる姿通り、豪快なホームランを連発している。そして、その男の連れである女子高生も負けていない。細腕のどこからそんな力が出るのか、一部の隙もない正確かつ強烈な打撃で打ち返す。しかも天井に張ったネットを突き抜けて破らんばかりに、放たれた打球は猛烈な回転と速度を持っている。

 

 

「ほほう、なかなか痛快な遊戯だな!」

「しかし、もう少し早い方がいい」

 

 二人は何の苦もない様子で雑談をしながら打っている。二人の隣のカップルも、中年の男と女子高生のすさまじさに口を開けている。

 佐藤につれてこられた山田と嶺倉もぽかんとあっけにとられてしまう。だが、大学生青年男子ということでどうしても目がひきつけられてしまうのは女子高生だった。

 

「……かわいすぎじゃね?」

「かわいいっつーか、綺麗なコだよな……」

 

 黒い艶やかな髪をなびかせて、スカートが翻るのも頓着せず、眉ひとつ動かさずにバットを振るう姿は不思議と違和感なく馴染む。三人は隣の男と見比べて、どんな二人か想像を働かせる。一瞬よからぬ妄想がよぎるが、それは男の様子や雰囲気と全くそぐわない。

 感じとしては、スポーツ選手である男が親戚の女の子を連れて来たと言うものが相応しい。

 

 

 

 

 当のランサーとセイバーは、店員の三人とカップルから見られていることを承知していたが気にしていない。

 球が打ち出される限り、一球も外さず打ち続ける。ランサーは普通と変わらぬ声でセイバーに問い掛ける。

 

「セイバー、お前はこの聖杯戦争では真名を秘匿せねばならんそうだが、それを惜しいと思わないか」

「何故だ」

「儂は尋常な勝負を望んでいると言っただろう?尋常な勝負は、お互い名を名乗り正々堂々一対一であるということから始まる。真名を隠しては初っ端からこけているようなものだ」

「俺はお前のいう「尋常な勝負」には興味がない」

 

 ランサーは悔しげに口をへの字に曲げた。

 

「ふぅむ、つくづく惜しい奴だな。とにかく、儂はそれゆえに敵に真名を看破して欲しいし、同時に敵の真名も看破したいのよ。そうすればお互いがわかるからな」

 

 マスターにも真名を秘匿しろと言われているが、ばれてしまうのは不可抗力だろうと悪童のようにランサーは笑う。確かにランサーが勝手に情報を漏らしてくれるなら、敵サーヴァントもそれに食いつくだろう。

 

「わからない。お前の言う「尋常な勝負」とやらは、勝利という点については不利になるだけだろう」

「不利になろうと構わぬ。儂が望むのは「尋常な勝負」だからな」

「お前は勝負――戦闘そのものを好むのか」

 

 訝しげに問うセイバーに、逞しい男は快活に頷く。

 

「そうだな。生前はよく戦ったが、晩年は違った。此度は最期まで戦いで締めくくりたいのだ。儂の生きる場所は、やはり戦場だったと思うのよ。お前は違うのか」

 

 バットを振るう腕を休めず、セイバーは当然のごとく答えた。「戦闘そのものを楽しい楽しくないで考えたことはない。すべきことだったからしたまでだ」

 

「ほほう、あくまで戦は手段であるがゆえに、目的の為なら尋常ではない勝負でも構わないと。昨夜、無断で偵察に出てアサシンと交戦したことも」

 

 教会・ランサー陣営との協定を結んだ直後に足並みを乱したことを咎めるのか。

 セイバーとしては元々そこまで協力する気がないために言葉に遠慮はない。

 

「そのことについてあれこれ言うつもりはない。不満とあらば共闘関係などなくてもよい」

「いや、羨ましいとは思うが儂は好きにすれば良いと思うぞ?教会の連中は教会の連中で目的があるが、お前もお前の目的の為にここにいるのだからな。そもそもお前が乗り気でないことくらいわかっておるし、儂はハルカと共に戦うだけよ」

 

 ランサーはけれんみなくさらりと言う。ランサーはセイバーと同じことを命じられても、他のサーヴァントが戦っている時に引きこもっていることができない血の気の多い質のようである。

 ふと、口角を上げたランサーが言葉を発した。

 

 

「セイバー、お前、喋るのが得意ではないだろう」

 

 瞬間、一定のリズムで鳴り響いていた打撃音が狂う。一分の狂いもなくボールを打ち返していたセイバーのバットが芯を外した音だ。同じ軌道を描いて飛んでいた打球は、初めて見当違いの方向へ飛んでいく。

 ランサーは得たりとばかりに笑った。

 

 

「いきなりなんだ」

「いや、お前と話してて思ったのよ」

 

 満足げなランサーと表情のないセイバーは数分打ち続けると、正面の機械から球が打ち出されなくなった。料金分の球が終わったようだ。セイバーはすたすたとエリアから出て、ずっと眺めていた店員にバットを返す。

 三十分だけだと最初から言っていたため、ランサーも一緒に出ていく。ちなみに金はランサー負担である。

 

 行きと同じエレベータに乗り、そのガラス張りから景色を眺めて一階につく。

 セイバーはやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。

 

「俺は用があるから行く」

「応。それではまた会おう」

 

 ランサーは呑気に手を振りながら、人通りの多くない中にセイバーが見えなくなるまで見送った。

 

「難儀な奴だな」

 

 セイバーの真名は分らないが、己と同時代の人間ではないとランサーは思っている。もののふの道を知らないと言うからには、平安中期以前の人物であろう。そして一昨日剣を軽く交えたときに感じたのは、生前のとある人物に少し似ているということだ。

 そのとある人物とランサーは直接対決をしたことはないのだが。

 

(越後の龍は毘沙門天の化身だとか言ってたが、それに近い何かか……)

 

 

 しかし生前の越後の龍の力は強い信仰により毘沙門天の力を得たものだったが、セイバーはそれとは違うような感じがする。信仰により得た力よりも純度の高い何かを感じるのだ。ランサーは頭を捻ったが、直ぐに辞めた。

 

 

「後で考えるとしよう」

 

 

 まだ日は高い。現代を漫遊しても罰はあたるまいと、彼はセイバーとは逆方向に歩き出した。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 聖杯戦争が始まったとはいえ、まだ始まったばかりだ。昨夜はアーチャーと索敵に出ることも考えたが、アーチャーはそもそも近接戦闘を得意とするクラスではない。まずは一成の式神(使い魔)によって街を監視し、敵の出方を伺うことからにした。

 

 そして、昼間は何だかんだでやることがない。いっそ学校に通った方がよいのではないかとも思うが、既に教師には「土御門一成は休み」との暗示をかけている。それにもし昼間に襲い掛かってくる横紙破りなサーヴァントがいた場合、場所が学校では離脱することも難しい。

 

 やはり家にいる方が正しいか、と一成は自室のベッドで寝返りを打った。

 惰眠をむさぼっていると、いきなり布団を剥がされた。

 

 

「一成、海とやらを見に行くぞ」

「……うげェ……」

 

 朝(とはいってもすでに十時)から糊のきいたワイシャツとスーツのズボンを身に着けたアーチャーが、血色もよくベッド脇に仁王立ちしている。もぞもぞして動作の鈍い一成に、アーチャーは箪笥からか勝手に服を出して投げてよこす。高貴そうで優雅なくせに、時々端々の動作が適当なのは不思議なところだ。

 

「…家にいるから一人で行けよ……」

「其れも悪くはないのだが、私は何分ここの土地を良く知らぬ。それにこの時代の馬、車といったか?にも乗ってみたい故に案内が必要じゃ」

「お前の道楽じゃねーか……」

 

 一成はため息をつくが、昼間は特にすることもない。無駄に時間を使うよりは、春日を見て回りたいアーチャーに付き合う方がまだマシだと考えた。投げてよこされたパーカーとGパンに着替えて立ち上がる。「じゃ、いこうぜ」

 

「待て、せめてそなた顔くらい洗わんか。それにそのボサ髪で外に出るつもりか」

「別に顔洗わなくても問題ないだろ。髪はとかしても大差ねーんだよ」

 

 学校に行く時、出かける時普通は顔を洗う。だが遅刻しそうなときはサボる。生まれついての剛毛かつ癖っ毛の一成は、伸ばせば落ち着くと言う親の言葉を信じて肩の下あたりまで伸ばした髪を紐で結っているが、本当にそれがベストなのかは謎である。

 アーチャーは一成の襟をつかむと、洗面所まで連行していく。

 

「馬鹿者、人前に出る時はそれくらい整えぬか。見目麗しい者はそれでも見るに堪えるから良いかもしれぬが、十人並とそれ以下は違うぞ」

「お前はオカンかよ……」

 

 特に逆らうことでもない全うな指摘のため、一成は億劫ながらも顔を洗い、髪を整えた。このアーチャー、偉そうな割に世話焼きなのかまるで小うるさい母親のように説教をしてくる。

 アーチャーはベッドに腰掛け、一成を上から下まで眺めた。

 

「そなた、普段からもう少し髪に気をつかうべきぞ」

「女じゃねーんだし……」

「見目に男も女もないぞ。どちらにしろ綺麗な方が好ましいことに変わりはあるまい。ま、今はその程度でよかろう、それでは行こう」

 

 アーチャーは颯爽と身をひるがえすと、姿勢よく玄関へ向かった。一成もそれに続く。階段を下りアパートから出ると、空は澄み、雲一つない晴天が広がっていた。とりあえずアーチャー御所望の海へ行くには、一度駅まで十分ほど歩いてからバスへ乗るのが近道だ。そうアーチャーに伝えると、苦しゅうないといわんばかりに鷹揚に頷かれた。

 

 

(武将とかそういう風には全然見えねーんだよな)

 

 平安時代の貴族を体現したような姿でアーチャーといえば、平家の人間を想像した。だが、このアーチャーは戦うこと自体が好きではなさそうだ。平家なら戦うことを厭うイメージはないし、同時に幸運なイメージもない。

 戦国で公家文化を好んだ今川義元なども考えるが、それなら戦いたがらないわけはないと思う。

 

 アーチャーの後ろ姿を見ながら歩いているうちに、あっという間に駅に着いた。いつでも駅周辺は明るく賑わいに満ちている。ロータリーのある場所は一成の家からたどり着く駅の出口とは逆なので、ぐるりと回っていくことになる。

 

 ロータリーについてからは、バス乗り場まで一成が先に立っていく。屋根の付いたバス停がいくつもあり、一から順に番号が振られている。一成は慣れたもので、七という番号のついた標識の立つ停留所へ進む。

 他には二三人が並んでいるだけで、しかもタイミングよく五分待ったくらいにバスが到着した。アーチャーと一成はバスの最後部の座席に座った。アーチャーは「馬より乗りやすいかもしれぬ」と呑気な感想を漏らしていた。

 バスは駅から南に進み、途中で西に向かい住宅街を突っ切り浜辺に出るはずだ。

 

 

「そういやお前って海見たことないのか?」

「ないぞ。故に一度目にしておきたかったのだ。しかしこのバスとやらは早いのう。情緒がない」

「バスに情緒を求める奴なんていねーよ」

 

 一成は窓の枠に頬杖をつき、眠たげに返事をした。温かいバスの中、心地よい振動に揺られて再び睡魔に手を引かれている。アーチャーは一成が聞いているのを気にしているのかいないのか、首を傾けて呟く。

 

「ふむ。バスはともかく、現代の旅行とやらは新幹線やら車で目的の場所にすぐについてさっと帰るそうな。旅というものは目的地に着くまでもまとめて旅であるというに、なんとも侘しい」

「お前の時代ほど暇じゃねーんだよ……」

 

 一成は完全に船を漕ぎまくっており、顔が頬杖から落ちそうになりながら適当な相槌を打った。

 

 

「む、それは心外ぞ。我らは決して遊びほうけていたわけではない。しかしげにおそろしきは物語の影響力というべきか……おい」

 

 アーチャーは勢いよく手持ちの扇で一成の頭をぶっ叩いた。景気のいい音が車内に響き、数少ない乗客が後ろを振り返った。

 

「!!何すんだ!!」

「そなたは阿呆か。そなたが眠りこけてしまうとどこで降りればいいかわからぬぞ」

「……お前って結構キレやすい?」

 

 アーチャーをしげしげと眺めているうちに、車内アナウンスが目的の停留所の名前を告げる。

 一成は急いで停車ボタンを押した。

 

 

 

 風が強く、塩を含んでいる。浜風は一成のくせ毛をばさばさに乱し、オールバックに整えられているアーチャーの髪を弄る。十一月も終わりに近づいた海に立ちいる者はない。春日海岸は白い砂浜が広がり澄んだブルーの海が広がっている――わけではない。茶色い砂浜に打ち寄せる波も茶色だ。茶色の砂を削り、海水の中に含んでいるからだろう。

 空き缶やペットボトルのようなゴミはなく、一応の美観は保たれているがそれくらいで特筆するような海岸ではない。北――右手には工場地帯が見え、停泊しているタンカーも見える。荒れてはおらず、白い波が寄せては返す。

 

 

「……おーい、これが海だぜ」

 一成は横のアーチャーをちらりと見上げたが、突如アーチャーはその場にしゃがんだ。そして革靴と靴下を脱いでズボンもまくり上げ、勢いよく海に向かって走り出した。「ギャッ」

 

 勇んで海にじゃぶじゃぶと入っていったはいいものの、今は十一月末。水は冷たいに決まっている。いつもと立場が逆転し、一成の方が呆れている。

 

 

「いい年したオッサンがなにやってんだ」

「流石に冷たかったぞ。あのまま入っていくと、もっと深くなっていくのか」

「そうだな。足もつかなくなって潮の流れに流されるぞ」

 

 アーチャーはズボンをまくり上げたまま、静かな海を眺めた。水平線の向こうには何も見えず、空との境界が朧になっている。さざ波の音と相まって、普段暮らす日常とは別世界にいるような感慨を抱く。

 

 

「……あの海の向こうに、他の国があるのだな」

「そうだな、ずっと先だけどな」

「私の時代にも今で言う舶来品というものが輸入されておってな、大層な人気だったぞ。……そうか、このような海の遠きからなぁ」

 

 懐かしむように目を細めて、遠い水平線を眺める。昔から日本人は外国のものが好きだったのだろうと一成は思った。だが、アーチャーの目は昔を懐かしむばかりのものではなかった。

 

 

「……この遠きから来るものは、そのように良きものばかりではなかったが」

 

 悪いもの――海の向こうから、外国の敵が侵略しに襲ってくると言うことか。一成は日本史で外国に侵略された事件を必死で思い出すが、近代以前にはそうなかったはずだ。

 

「それって元寇とかか?」

 

 鎌倉時代中期、当時大陸を支配していたモンゴル帝国とその属国であった高麗による日本侵略戦を「元寇」という。一度目を文永の役、二度目を弘安の役と呼び、鎌倉幕府は苦戦を強いられたが、神風が吹いて高麗軍の船を追い払ったと言う。現在では暴風雨があったことは勝敗には関係ないとされているが、日本では長くこの「神風」は信じられてきた。

 

 

「そのようなものよ。……私は直接目にしたわけではないがな」

 

 アーチャーは目を伏せる。直接戦いを眼にしたわけではないくせに、厭うように踵を返す。海を見るのは初めてだと言うから何の曰くもないだろうにと、一成は首を傾げた。

 

 

「一成、褒めて遣わす。さて帰るとしようぞ」

「もういいのか?」

 

 背に風を受けて、アーチャーはうむと頷く。「海なるものも見れた。さて、駅あたりでランチとしよう」

 

「グッ」

 

 

 さらりと言ってくれるが、一成は現在金欠真っ只中である。いつも月初めに親が金を振り込んでくれるために、月末の今は赤貧そのものなのだ。それに先日アーチャーと買い出しして、家に帰れば食料もある。アーチャーはにやりと笑うと、尻ポケットから分厚く膨らんだ折り畳み財布を取り出した。

 

 その中には予想通りウン十万の札束が入っている。いつ手に入れたそれ。

 

 取り出された札を手に、アーチャーはひたひたと一成の頬を叩いた。

 

 

「ほれ、令呪を全て消費すればさらに豆腐ほどの札束をくれてやっても構わぬぞ」

「く……か、かね……ッ!!」

 

 顔は屈辱にゆがみながらも、手は間違いなく顔を叩く紙の束に向かっている。これだけあれば美味しい食事もゲームも好き放題にできる。

 

 

「ほれほれ」

「か、……っ、かね……っ、……その手にはのるか!!」

 

 一成は一気呵成にアーチャーの手を叩き落とす。その衝撃で札が数枚アーチャーの手を離れ砂浜に落ちる。慌ててかきあつめ、まとめてアーチャーにつき返す。

 

 

「つまらん奴よのう」

「金に釣られたら面白いのかよ!!」

「いや別に面白くないが。そのような人間はごまんと居るからの」

 

 真顔で答えられて、一成は小ざっぱりした其の顔をぶっ叩きたくなった。

 アーチャーはその様子などどこ吹く風で、一成を置いてすたすたと階段を上り、海岸沿いの道路に立って見下ろしている。

 

 

「家に帰るのであろう。早よせんか」

「ほんとなんなんだよお前!!」

 

 

 遊ばれていることくらい彼自身も承知している。最初から掴みどころのないサーヴァントだとは思っていたが、今もそれは変わらない。一体何を望んでこの英霊は召喚に応じたのか――まだ、聖杯戦争は始まったばかりだ。


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