Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

101 / 108
皇子が「人の気持ちがわからない」なら。
我々には「(かみ)の気持ちがわからない」のだ。



epilogue  4月8日

 空気は涼やかながら温もっている。緑は茂り始め、桜の木はその花を散らし、甘やかで暖かい春の匂いで満たしている。

 

 日の光を受けて目にも優しい影を織りなす中を、男は一心不乱に駆け抜ける。

 

 

「―――ッ、は、―なめる―」

 

 弟彦公(おとひこのきみ)は、茂み深き森を駆けていた。もう少し整備された道があるのだが、多少歩きにくくともこちらの方が近道であった。

 

 森を抜け、道に出る。向かう先を見ると、地面には妙な跡が残っていた。

 

 屈んで見てみると、それは大量の血の跡だった。何かに引きずられるように後を引いたそれは、まだ残っているだけ新しい。

 弟彦公が探している主人は、間違いなくここを通っている。

 

 

 一人で剣も持たず伴も連れず、皇子が伊吹山に向かってから一週間が経っていた。皇子の足ならもう帰ってきてもいい頃合いだが、何の音さたもない。

 胸騒ぎを覚えた弟彦公を始め東征の仲間たちは、皇子がどこにいるのかと探しつづけていた。

 

 もしや、さっさと伊吹山の神を倒してしまったから大和へ向かっているのではないかと――都合のいい希望を想いながら、弟彦公は伊勢へと辿ってきた末に今に至る。

 

 

 ――随分長く尾張にいますが、殿下は大和にお帰りになりたくはないのですか?

 ――いや、帰るさ。

 

 

「連れて行くのならば、弓を得手とするものがいい」と言われ、皇子がまだ成長期さえ迎えていなかった時分、弟彦公はその腕を買われて皇子のクマソ討伐へ随行した。

 

 それから今に至るまで、弟彦公はずっと皇子の傍に在り腕を振るってきた。

 

 自分と同じか、もしくは年下だった皇子の強さは常軌を逸していた。それこそ神威を背負っているような、相手が立ち向かう気力さえ削いでいく何かを持っていたのだ。

 

 その力故に皇子は、帝に厭われて東征へ行かされたのだと弟彦公は知っている。

 

 それでも皇子は淡々と、そして確実にまつろわぬ者達を討伐していった。誰が相手でも関係なく、神剣を持つ彼は負けなかった。

 

 焼津にて吐き気がするほど人を燃やし斬り捨てても、皇子はいつものままだった。

 恐怖も高揚もなく、息をするように簡単に敵を殺すのだ。

 

 普段はどこか抜けたところのある皇子だが、弟彦公は、その姿を恐れたこともある。

 いや、弟彦公だけでなく皇子に従う者で、その感情を抱かないものはいなかったのではないだろうか。何しろ、双子の兄さえ簡単に殺して平然としているのだ。

 

 皇子と弟彦公の付き合いは長い。もし少しでも「実はこう思っている」と話してくれれば、もう少し皇子の事がわかっただろうと、弟彦公は思う。

 

 皇子は、いつも多くを語らない。派手に嘆く姿を見たこともなければ、派手に喜ぶ姿も見たことがない。烈しく泣いたり怒ったりすることもない。

 いつも物静かで冷静沈着だが、戦う時には冷酷に見えるほどに殺していく。

 

 

 ――殿下は、本当に人ではないかのようだ。

 

 けれど、四阿嶺にて東国を平定した時に、皇子は一度東国の方を振り返って、海に身を投げた妻のことを、本当に密やかに呟いた。それを、弟彦公は偶然聞届けた。

 

 ゆえに、弟彦公は思う。あまり感情を表すことのなかった皇子は、敢えてそうしていた部分があるのではないかと。死刑宣告にも等しい絶望的な旅で、頭である皇子までも悲壮な顔をしていては軍があっという間に瓦解する。

 まとめあげるには、皇子が誰よりも何よりも強くあるしかなかったのではないかと。

 

「ミコトがおられる限り、絶対に負けることはない」という言葉を人の口から弟彦公は何度も聞いた。

 

 

 真実、皇子は最強だった。

 

 

 

 辿る血の跡がだんだんと新しくなっている。この出血でどうして歩けるのかが不思議に思われるくらいだ。弟彦公は嫌な想像を振り払い、桜の散る中を走る。

 

 そうして弟彦公はついに見つけた。血の跡は足跡どころか這っていたかのようにべったりと続いている先にある、一本の桜の木。

 

 その幹に寄りかかって座っている男は、弟彦公の探し続けていた皇子――日本武尊、その人だった。

 

「……殿下!」

 

 足は曲がってはいけない方向に曲がり、履物はぐっしょりと赤黒に濡れている。弟彦公が駆け寄ったのに気付いたのか、皇子は億劫そうにその顔を上げた。

 

 

「……なんだ、お前か」

「何だ、ではありません!!殿下、何故……」

 

 神剣を持って行かなかったのか、一人で行ったのか、皆で大和に帰る筈、と言いたいことが弟彦公の頭の中で空回りして逆に言葉に詰まってしまう。

 何度も唾を飲み、弟彦公はやっとのことで言葉をひねり出した。

 

「はい、いや、何故あなたは一人で、しかも、剣を持たずに行ったのですか!!皆で故郷の大和に帰るはずだったでしょう!」

「……お前の故郷は大和ではなく、美濃だったと思うが……」

「ああもう、そんなことはいいんですよ!何で剣を置いて、神を相手しにいかれたのですか!!」

 

 弟彦公は主人の隣に座る。弟彦公を見ている皇子の目は、弟彦公を見ていながら見ていない。既に視点が定かではなく、目に映るモノがない。

 そして肌の色がまるで蝋のようで、生きている人間には到底見えなかった。死の淵に立ちながら、皇子は言葉を紡ぐ。

 

 

「……そうだな、――もう、生きるのが嫌になった。山の神が、俺を殺すなら殺せばいいと、」

 

 烈しい咳で言葉は切れた。

 弟彦公は頭を鈍器で殴られたような衝撃と共に、更に言葉を重ねる。

 

 

「――ッ、何故ですか」

「……もう、大和は俺の望んだ大和ではない。帰っても、また」

 

 戦うだけだと、声にはなっていなかったが弟彦公にはわかった。残酷にも時は過ぎる。皇子が幸福な時を過ごした大和は、もうどこにもない。

 

 

「だが、それでも……、あそこは、俺が、愚かでも幸福であった、場所だ」

 

 弟彦公は、自分でも知らぬ間に泣いていた。皇子には見えていないから、せめて気づかれぬように声は殺した。

 皇子は強かったかもしれないけれど、戦いを求めていたのではない。

 

 きっと、誰も皇子の本心を知らない。

 当の本人でさえ、死に瀕するまでわからなかったのだから、余人か知りようがない。

 

 

「――お前が来る前、少し夢をみた」

 

 今にも活動を辞めてしまいそうな体に反し、皇子は、穏やかな顔をして呟いた。

 

「夢?……神のお告げですか?」

「……そんな陳腐なもの、ではない。そうだな……」

 

 見えてはいないだろうに、皇子は空を見上げた。つられて弟彦公も見上げると、青い空にぽつんと白いものが飛んでいた。鳥だ、と思うと、それはこちらに近づいてくる。

 

 僅かの曇りもない純白の鳥は、血だらけの皇子の足に留まった。

 

「……酷く温かい……、俺は、未来をあげられたの、か」

 

 そう呟く皇子の顔が、灯消えようとする人間の顔とは思えないほど穏やかで、弟彦公はつい口を挟んだ。

 

「……夢でなくとも、殿下の剣は道を切り開きました。この国、大和の、そして、共に旅した私たちの未来を、与えました」

「―――そうか」

「それは、殿下の真なる願いではなかったかもしれません。でも、それでも、貴方の剣は大和の未来を繋げたのです」

 

 皇子が愛した人が暮らし、皇子の愛した人が愛する国。

 その人々に生きている間に認められることはなかったが、彼の功績自体は誰もが喜ぶ。それは、誇りに思ってほしい。

 

 従者の真意を知ってか知らずか、皇子は遥かに蒼穹を見上げて、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

「――長い旅だった、な」

 

 それきり、彼が目を開くことはない。弟彦公の目の端に、白いものが映る。先ほど皇子の足に留まった鳥が、じっと弟彦公を見ているような気がした。

 

 鳥は足先にて、何物にもとらわれることなきその翼を悠々と広げて再び大空に舞った。

 その白鳥が、一度だけ弟彦公に振り返ったような気がした。

 

 日差しを受けて輝く白は、皇子が持っていた剣の耀きに良く似て、見る者の目を奪う。

 

 

 

「――殿下?」

 

 抜けるような碧空を翔る白鳥は、そのまま主人の求めた故郷――大和へ向かっていく。

 

 あれが主人の魂であればいいと―――そうして共に故郷の地へ連れて行ってくれと、弟彦公は願った。

 

 

 

 やまとは くにのまほろば  たたなづく あおがき 

 やまごもれる やまとしうるはし

 

 




fate/beyond 完結です。

この後はfate/beyond material マスター編・サーヴァント編・用語集・Q&A?を更新予定ですが、物語的にはこれで終わりです。リクエストなどあれば活動報告でどうぞ。

ホロウ?……やりたい……ライダーの過去回想……!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。