百人一首五十四:高階貴子
ここは、どこだ。
男が意識を覚醒させた時に最初に思ったことはそれだった。部屋は暗く、日は疾うに暮れきった時間らしい。見知らぬ家屋の中、大体十五平方メートル程度であろうと思われる、広い板張りの部屋のベッドに横になっていた。
ベッドは右側を壁に接しており、足の方にベランダが見える。中途半端に開かれたカーテンからは、白光が差し込んでいる。
―――蒸し暑い。
日本の夏は湿潤で不快と聞いていたが、確かにこれは不快だ。夜でさえこうなのだから、昼は考えたくもない。
そこでふと、男は違和感を抱いた。自分がこの日本にやってきたのは、フィンランドに比べれば笑止とはいえ寒さが身に沁みる季節だったような気がしたのだ。
「何を勘違いしているのか、私は」
今が冬のはずはない。それに季節など些事だ。
彼はここ、春日で開催されると言う戦争に参加するために来た。
聖杯戦争。聖杯に選ばれた七人の
戦争の監督役である教会の神父とはすでに時計塔からして連絡済であり、触媒もそちらで用意してくれていると聞いていた。
「――私は、一体何を」
記憶が定かではない。この春日という市に到着した時までのことは覚えているが、それ以降自分が何をしていたのか覚えていない。体は見たところ異状なく、痛みなどもない――丁度その時、階下から何者かが上がってくる足音を聞いた。その音を聞く限り、気配を消す気もなくまた武術を嗜んだものでもないことは明白だった。
それでも彼は張りつめた空気を纏い、懐を確かめた。
「、マスター!気が付いたんですね!」
一かけらの警戒もなく扉を開いたのは、なんと女だった。背は百六十あるかないかで、二十歳に満たぬ、少女と女性の間をさまよう年ごろであった。美人というよりは愛嬌のある顔立ちをしており、かわいらしいという言葉がふさわしい。
薄桃色の衣を纏い、白の裳(長いスカート)を身に着けて縞模様の帯を腰のあたりで縛っている。衣よりは濃い桃色の領巾を腕にかけていた。
暗い部屋であったが、差し込む月光を受けて輝く黒髪は薄く緑色を帯びて見えた。
「貴方は誰ですか」
幻想的なまでの女の姿であったが、男の体は油断するなと頻りに訴えていた。この女、明らかに人間ではなく――おそらくは、サーヴァント。
しかし女は男の警戒を知ってか知らずか、呆れるほどに能天気に答えた。
「何言ってるんですか、貴方が召喚した愛しのサーヴァントですよ。覚えてないんですか?」
「……」
理解しかねる形容が一か所あったが、それ以外について考える。確かに自分はサーヴァントを召喚するべき魔術師であり、目の前の女から敵意や殺意の類は全くうかがえない。流石に彼とて英霊召喚は生まれて初めての試みの為、召喚後に疲労しそのまま眠ってしまったことはあり得る。
男が答えないことを「覚えていない」という返事と解した女は、肩を竦めながらも嫌がることなく説明をした。
「私を召喚した後、お疲れになって眠っちゃったんですよ。あとここはマスターが同盟?を結んでいる神父?からあてがわれた拠点だって、ご自分でおっしゃってたところです」
召喚の余波で記憶が混濁しているのか。女の言っていることは欠落していない記憶とは一致している。男はまじまじと女を見つめた。
「……?そんなじっと見ないでください、恥ずかしいです」
頬を赤らめる女とは反対に、男は内心首を傾げていた。確かに目の前のサーヴァントは敵ではない。殺意があれば自分が呑気に眠っている間に殺してしまえばいい話で、そうしていないことからも明らかだ。
だが、確か自分が召喚するはずだったサーヴァントは、このか弱い乙女ではなかったような気がする。
戦国の世を風靡し、駆け抜けた無数の戦場に置いて傷一つ負うことなかった益荒男と共に戦うはずだった――
「……ッ」
月光が眩しい。一度目が眩んだ。
「!? マスター、まだ御具合が」
「……いえ、問題ありません。それよりどうやら、召喚の余波で多少記憶が混乱しているようです。状況整理を手伝ってください」
「はい、私にできることでしたら」
男は顔を上げて、女を見た。まだ初見も同然だが、彼女からは邪悪なものを感じない。根が悪い者ではなく、全うで善良な英霊なのだろう。
警戒はしていたが、悪感情はない。
「貴方は何のクラスのサーヴァントなのですか」
「フフフ、当ててみてください」
「言いなさい」
「当ててみてください」
冗談が好きな質なのか、半笑いで素直に答えようとしない。内心面倒くさいと思いながらも、男はそれに付き合うことにした。見た感じ武勇を誇る英霊とは思えず、また意思疎通もできている。
とすればキャスターかアサシンといったところか。
「キャスターですか」
「違いまーす」
「アサシンですか」
「違いまーす。もっと素敵でロマンチックでいい感じのクラスです!」
サーヴァントのクラスとして、「素敵」で「いい感じ」とくれば、一つである。
「もしかしてセイバーですか」
「ブッブー!違います!正解は、「
キャー言っちゃったー!とほざきながら顔を手で覆いその場でぴょんぴょん跳ねる女を見ながら、男は内心前言に追加した。
この英霊、アホだ。
というかこのように無駄な問答をしなくとも、マスターは自分のサーヴァントのステータスを見られたはずである。
「……何だ、ライダーでしたか」
「ぐはっ!何故わかりましたし……くっ、ラバーラバーと呼ばせて刷り込んでいく策略が」
「何を刷り込むんですか。ラバーってゴムですか?ゴムのサーヴァントなど要りません」
ちなみに英語のLOVERは単数形であれば女の恋人ではなく男の恋人を指すことが多いために使い方としては良くないのだが、純日本英霊である彼女はそこまで頓着していないらしい。ライダーがぎりぎり呻いているところに、男はさらに質問を重ねた。
「もう一つ聞きたいことがあります。召喚に応じたのだから、貴方にも何か願いがあるのでしょう。その願いは何ですか」
英雄となった者が無償で魔術師の使い魔をやるはずはない。彼らは彼等の願いがあってその立場に甘んじるのだ。しかし、聖杯に掛けるような願いを聞くことは人の奥深くに踏み込む行為である。
だがマスターとのサーヴァントの願いが相反するものだったばあい、協力関係に支障が出る。男としては、彼女の願いが常軌を逸したものでなければなんでもよかった。
「……願いですか?まあ、あるにはありますけど、召喚された時点でもう叶っちゃったといいますか。あとは楽しくやれればいいかなーとか、マスターの願いを叶えたいなあとか」
「……ふむ。ひとまず、そう信じます」
少々闘争心に欠ける願いではあるが、悪い願いではない。これ以上踏み込む気のない男はそれで良しとしたが、ライダーが問い返してきた。
「私も聞いていいですか? マスターの願い」
「私の役目はこの戦争に勝ち、聖杯を手に入れることです。それを目的として時計塔から派遣されてきたのです」
ライダーから返事がない。何とも言えない表情で男を見てから、ゆっくり口を開く。
「マスターは、その時計塔とかに命じられたからここにいるんですか?聖杯なんて興味ないし戦いたいわけでもないけど、命じられたことだから聖杯を欲っするんですか」
「それは違います。この戦争に派遣してくれと願ったのは私自身です。魔術師同士の戦いをしたくてここに来たのです。――願いは戦うこと、役目は聖杯を得ることと言えばいいですかね」
抑々、時計塔にとってこの聖杯戦争は厄介ごとでしかない。既に聖杯は贋作であると認定されているが、神秘を漏らさぬため、万一「渦」へ至ることができた場合の為人を派遣する。
負けることは許されず、栄誉もない。だから厄介者が任命される役目だが、男の家はれっきとした貴族で時計塔でも無下に扱われる家柄ではない。
むしろ一族は男の参加を引き留めたのだが、男の強い意志で派遣が決まったのだ。男は、自ら望んで戦いに身を投じようとしているのだ。
ゆえにライダーの言葉は盛大に的を外している。しかし、ライダーは男の言葉を聞いて安心したように胸を撫で下ろした。
「……そうですか!ならば問題なし――
たおやかに微笑む女の姿。窓から差し込む月光に照らされた彼女の姿は、神々しくさえあった。サーヴァントはもともと過去の英雄――神代に近い者であれば、そういうこともあるのかと男はぼんやり思った。
「……あ、一つ聞き忘れていました」
男の感慨も知らず、彼女は変わらぬ、神秘さのない声音で軽く尋ねた。
「マスター、お名前を教えてください!」
男にとって拒むほどの問いではなかった。だから時計塔の魔術師は変わらぬ口調で答える。
「ハルカ。ハルカ・エーデルフェルト」
これにてfate/beyond の更新は完了です。
ちなみにfate/imaginary boundaryは仮名なのでしれっと変わるかも。
あと日本史fate文庫版、全6巻+マテリアル入稿したので冬コミで出るぞ!
表紙を書いてもらってレイアウトをゼロ風にしたので見てくれ(迫真
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=60310879
詳細は活動報告12/10の活動報告で~!