Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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11月30日⑤ そして誰もいなくなるか

 まだ召喚から十日も経っていないのに、既に遠い昔のことのようだ。

 

「――汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!!」

 

 詠唱を紡ぎ切った先に、黒い風が狭い病室に吹き荒れた。人知を超えた、人々の想念の結晶である英霊がそこにいると、咲はすぐに了解した。彼女の目の前に現れたのは漆黒の母衣(マント)を翻し、同じく闇色の甲冑に身を包んだ武将――その手には長く肉厚の刀が携えられている。刀身には写経のような文字が浮かんでいる。

 

 咲はただただその存在に圧倒された。これがサーヴァント。頼るべきものを無くした少女が召喚した最後の従者。この英霊を以って、私は私の命を繋げる。彼女はそう心に決めた。

 

 とはいえ、咲自身は聖杯戦争について詳しい知識をもっているわけではない。令呪の存在と、他のサーヴァントをすべて倒さないと願いが叶えられないことくらいの知識しかない。

 

 ―――教会に行けば説明くらいはしてもらえるのかな。

 

 ベッドの上に寝転がって、咲は聖杯戦争でどう勝ち抜くかを延々と考えていた。使い魔を飛ばし敵状を探る、自らうってでてマスターを殺す。しかし、それら両方とも今の咲には不可能なことだった。

 

 通常、魔術を行使する際に消費される魔力は、小源(オド)たる術者の生命力から生成される。余命半年の咲――生命力の極めて低下した状態の彼女では、小さな魔術行使一つが命に係わる。

 

 全てをバーサーカーに任せるしかないのか―――と彼女が思った時、急に胸が締め付けられるように苦しくなった。ナースコールで看護婦を呼ぼうとしたが、咲は違和感に気づく。彼女の病気は心臓が悪いのではなく、それに今までこのような症状も経験していない。

 病状が悪化したとも考えられるが、それよりも明瞭な原因がある。

 

 

 ――サーヴァントである。

 

 サーヴァントは現界するためには、マスターの魔力供給を必要とする。現在バーサーカーは霊体化しており、魔力をそれほど必要としていない。だが、そのわずかな魔力消費でさえ、咲には大きな負担となる。これからサーヴァント同士の戦いに赴くならば、実体化させる必要がありさらに魔力消費は激しくなる上に、バーサーカーは「魂食い」とも言えるレベルに魔力を食うサーヴァントである。

 

(このままじゃ……戦うどころじゃない)

 

 戦う以前に咲は自らのサーヴァントによって死ぬ。そして、彼女はすぐに問題の解決方法に考え至る。魔力が足りないのならば他から持って来ればいい。

 

 抑々、彼女はそういうつもりでバーサーカーを呼んだのだから躊躇うことはない。

 

 頼れる人間はどこにもいない。だから、自分だけの力でこの命をつなぎとめて見せると決めたのだ。

 

 

 召喚した次の日の深夜に、彼女はこっそりと病室を抜け出した。バーサーカーの気配があることを確認しながら、人目に触れないように歩く。五分も歩くと眩暈がしてきてその度に小休止をしながら進むという、途方もなく長い道のりだった。それでも彼女は諦めずもたついた足取りで夜の街を歩く。

 

 病院から徒歩十五分の位置に、真凍家はある。見た目は他の家々に紛れてはいるが、百五十坪の広い一軒家で、三人で済むには広すぎるくらいだ。近所ではモデルハウスのようと評判だが、その地下には真凍家の魔術工房が広がっている。

 玄関の傍に置かれている鉢植えの下に鍵があることは、家族だけが知っている。咲はその鍵を取り、音を殺して自分の家に入った。真凍の家にも結界が張られているが、それが反応するのは真凍の魔術師以外が侵入した時であるため、咲には反応しようもない。

 

 両親の寝室は二階である。咲は裸足で音もなくその部屋に侵入すると、バーサーカーを実体化させた。漆黒の鎧武者は、刀と共に背後に姿を現す。

 

 

「バーサーカー、殺しなさい」

 

 少女の口調は淀みなく。あくまで冷静に狂戦士に命じた。しかし、いつまでたってもバーサーカーは動こうとしない。咲は振り返り、従者に向かって再度命を下す。それでも彼は微動だにしない。バーサーカーは理性を失って本能のまま暴れ狂う、完全なる自分の傀儡ではないのか。

 苛立った咲は思わず声を高くして叫ぶ。

 

 

「――殺しなさいって言ってるでしょ!バーサーカー!!!」

「……この声は……咲……?」

 

 叫んだ声に反応したのは、従者ではなく彼女の両親だった。カーテンで光が遮られた暗闇の中ゆえに、彼らはサーヴァントの存在に気づいていない。ただ、何故自分たちの娘の声がするのかと思いながら半覚醒状態にある。咲は苦々しく唇をかんで、それから意を決して命ずる。

 

 

「令呪を以って命ず!バーサーカー、殺しなさい!」

 

 彼女の右手に宿った聖痕が赤く光を放つ。サーヴァントに対する三度の絶対命令権の一つが行使され、漆黒の鎧武者は咆哮を上げる。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■―――ッ!!」

 

 空を地を揺るがす獣の如き雄叫びを上げて、バーサーカーはその猛威を振るう。同時に両親もただごとではないと覚醒するが、時すでに遅し。両親が防御を取る前、叫び声を上げるよりも前に、漆黒の刃は胴体から真っ二つに、彼らを引き裂いたのである。

 

 

 広い寝室に音はない。かつて人間だったものが、真ん中から半分ずつになって転がっているだけだ。

 

 迸った赤からはほのかに湯気が立っている。半分の切り口からは内臓のようなものも出かけていたが、咲は眼も呉れない。むせ返るような生命の匂いの中で、彼女は部屋に背を向ける。

 

「私をいらないっていうから」

 

 彼女はバーサーカーの肩に乗せられて、家の屋根から春日の街を見下ろした。深更、暗く沈んだ街も今の咲からは別物に映る。

 

「不思議。今ならどんな魔術でもできそうな気がする」

 

 魔術師の魂を二つ食らい、バーサーカーを実体化させてても苦しくない。それどころか体調さえ良くなったように思う。この時咲は気づいていなかったが、バーサーカーが摂取した魂がパスを通して咲にも流れ込んでいた。通常のマスターからの魔力供給とは逆のルートで、サーヴァントからマスターに魔力が供給されている。

 

 

「ああ、もう怖いものなんてない」

 

 魔力がいる。戦い抜くためには魔力がもっともっと必要だ。もっと殺して力を蓄えて、他のサーヴァントを皆殺しにするのだ。咲はバーサーカーの兜に頬をよせた。

 

「……ねえ、私バーサーカーの真名を聞いてなかった。教えてくれる?……狂化してるからわかんないか」

 

 咲はどんな英霊が呼ばれてもよかった。自分の力だけで呼び出したサーヴァントで勝てれば、どこの英霊だろうとよかった。彼女としては、ただ確認の為だったろう。

 

 もしかして、共に罪を重ねたゆえの仲間意識が芽生えたからかもしれない。沈黙が落ちて、咲きが諦めて再び夜に眼を向けようとしたときだった。狂戦士は凝った声で、彼の真名を告げる。

 

 咲はバーサーカーが答えたことに驚き、そして真名を聞いてにっこりとほほ笑んだ。

 

「そう、……なら、よろしくねバーサーカー。私を助けるのはあんただけなんだから」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 仮定の話である。もしバーサーカーがバーサーカー以外のクラスで召喚されていれば、マスターである少女を諌めただろう。千年の時を経て恐れられる怨霊の類となってしまったバーサーカーであるが、生前の彼はむしろ兄貴肌で頼ってくるものは全て懐に入れてしまうような人間だった。

 

 彼の起こしたとされる乱も、様々な要因はあれど、全ては領地争いを仲介しようとしたところから始まった。

 

 彼は決して朝廷に対して叛意があったわけではない。彼は朝廷から与えられた土地を開いて駒を飼い、豊かにしていった。農民や伴類、渡来人たちがより豊かに暮らせればよいと思っていたが、その願いは果たされなかった。

 

 彼の叔父は彼の領土を狙って何度も攻め込み、彼はそれに対抗するべく弓矢を取った。争いは小休止を挟みながら何年も続いた。彼は人知を逸するほどに強く、それ故に人に頼られ、それ故に恐れられ、それ故に帝に伸し上げられた――彼が坂東の帝となるきっかけとなったのは、彼が土豪の一人を匿ったことなのだから。

 

 そうして彼は坂東の帝となった。

 

 彼は戦が強かった。今まで彼の下で土地を開いてきた民もそれに従った。体は鉄のごとく、妙見菩薩の加護を得たその身は分身さえも可能とした。その加護を見て誰もが「彼は帝となるべき英雄」と信じた。

 しかし、流石に事態を重く見た朝廷が遣わしたのは、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)――俵藤太(たわらとうた)――と呼ばれ、八幡神の加護を得て大百足を射殺した男。彼はその武勇を持って戦ったが、もうひとりの英雄によって戦況の悪化の一途を辿った。そして当初はあった民心も徐々になくなって、最後は朝廷軍に追い詰められ―――坂東の帝を誅すべく、霊剣を携えてきたその男と、愛した女の裏切りで彼は死に至った。

 

 

 ――俺を殺したのは、俵藤太ではない――。

 

 なるほど、直接彼を殺したのは同じく英雄であった男であったろう。しかしその実、彼は彼が守りたかった民共に殺されたのだ。

「皆がこの地で平和に暮らせればいい」と思い、坂東を荒らし、貴重なに火さえ放ち争いを続ける親類を討った。俺が全部勝って納めればいいと、強い彼は思った―――だが、戦は止まなかった。帝となっても都から追っ手が来る限り、この坂東の地が戦場となる限り、民に平和はない。

 

 結局、自分は戦を止めることはできなかった。それがゆえに、戦に飽いた民どもに見捨てられた。

 

 戦ばかりしていた人生だったと思う。人を守りたいと思ったゆえに、流されてばかりの人生だったとも。それでも、彼は生きることをあきらめなかった。妥協しなかった。

 

 都に比べれば遥かに野蛮で青臭くて、未熟で自分で自分を救うしかない、どうしようもなく弱者に厳しいこの東国。

 それでも、彼が自分の身体で駆け抜けていった原野だった。

 

 しかし、悲劇的な最期を迎えた彼を人々は生前の彼のままにしておかなかった。

 彼が救いたいと願った民は、彼が間違いなく朝廷を恨んでいるだろうと、恨んでいてほしいと願った。己たちでは叛意を示せないから、代わりに彼を怨霊にして、自分たちの恨みつらみをぶつけさせることを願った。

 

 その怨霊が猛れば猛るほど、都の為政者は恐れる。より深く強く濃く、己を打ち取った都を恨めと願ったのだ。

 

 ゆえに、彼は後千年を超えて恐れられる大怨霊となった。――バーサーカーとしての彼の資格は、死後に人々の想念によって付加されたものである。

 

 

 彼を呼んだ少女は、己を救うのは己だけだと思っていた。力そのものさえあればあとは事足りる。

 少女は力だけを求め、かの英霊から理性と言う鎖を剥ぎ取った。

 その理性が本当に邪魔な「鎖」であったのかどうかは、今ではわかるはずもない。

 

 

 

 

 

 ――今日も、夜が来る。一刻一刻と落ちていく砂時計の砂を見るような不安はもうない。余命半年を告げられ、普通ならば常にベッドに臥せっていなければならないはずなのに彼女は平気で二本の足で立ち、歩くことができる。むしろ召喚した後の方が体調がいいくらいだ。宵にも関わらず窓を開け、冷えた空気を楽しむ。風を受けてはためくカーテンの白がいやにはっきりと映る。体が冷えるにも関わらず、彼女は進んで冷たさを欲した。

 

 

 ――碓氷の影使い。

 

 昨夜、咲が聖杯戦争のマスターとして初めて相対した敵のマスターである。しかし昨夜に会う以前から碓氷明の事を知っていた。

 

 真凍の家は、春日に移住した魔術師の家系である。その魔術の特性は「吸収」。似た魔導の家系を上げるとすれば、間桐の魔術がそれに近い。ただし、体に飼うのは虫ではなく細菌である。体に飼わせた細菌がそのまま魔術回路となり、魔力を生成する。

 有害な細菌ではなく人体に自然に存在する細菌を魔術回路とするため、体に害があるわけではない。また、今は外部からの魔力により、咲の体自体がプラスの効果――多少なりとも通常の生活を許すほどの――を受けていた。

 

 

 真凍はつい二代前にこの地へやってきた魔術師の家系である。当然すでに碓氷がこの地の管理者としてあり、魔術工房を作るためには許可を得なければならなかった。魔術師同士は魔導を研究する者同士とはいえ、お互いに研究成果を開陳することはない。

 それでも、先にこの地に根を張った魔術師に対して挨拶に行くことはままあった。

 

 咲が生まれて、物心つく時には彼女自身も碓氷明のことを知っていた。身近にいる魔術師として、次代の管理者として、碓氷の跡継ぎとして、そして稀有な影使いとして。

 

 咲が碓氷明に対して抱く感情を表すのに最もふさわしい言葉は、嫉妬と羨望であろう。

 

 魔術師の素質は生まれたときに多くが決定している。長く魔導を続けた家ほど魔術回路が多く、研究成果である魔術刻印も増える。そして生まれ持った起源と属性によって決まる。

 

 碓氷は元々稀少な属性の魔術師を輩出する傾向にある家だが、その中でも明は極め付きである架空元素・虚数の魔術師だ。魔導の加護なくしては、協会によって生きたままホルマリン漬けにされかねないほどの希少な属性である。

 そして魔術師として稀少な属性を持つ者はえてして魔導を大成するという。

 

 咲の属性は「風」「水」の二重属性。流体を操作することに長ける素質である。二つの属性を併せ持つ者もそう多くはないが、魔導の歴史と素質で碓氷には見劣りする。

 

 時計塔においては碓氷とてそう長い家系ではないのだが、生まれてからずっと春日に住まう咲にとっては羨むべきことであった。それでも、今の今までは羨ましいと思うだけであった。

 

 そう、昨日までは。

 

 

「何が、管理者の権限で始末する、よ」

「何が、自分だけ生き残ってもしょうがないと思わない、よ」

「あんたは全部もってるくせに」

 

 一つ一つ呟かれる言葉は呪詛の如く。碓氷の呼び出したサーヴァントは日本武尊だった。古代史に燦然と名を残す英雄を彼女だけで呼べたとは思えない。

 おそらくは彼女の父または親戚が触媒を用意する工面をしたのだろう。

 

 親にも将来を嘱望され、稀有な魔術属性とすぐれた魔術回路を兼ね備え、春日の霊地を一手に管理する管理者。魔術師としての未来は洋々と開けている。

 

 それに引き替え、咲は余命半年で両親からも見切りをつけられ、ただ病院のベッドで終わる時を待つしかできない。苦しい思いを乗り越えて、なりふり構わず魔術の研鑽を積んできたのにこんな終わりを迎えてよい筈がない。

 

 

 ――私が死ぬのに、なんであんたはそんなに偉そうに語るの?

 

 初めて言葉を交わした碓氷明は、地面にまっすぐ足をついて、咲に人食いを止めろと命じた。自分のしていることは間違いではないという顔をして、命令したのである。

 勿論咲は聞く気など雀の涙ほどもない。バーサーカーに命じ全てを屠るだけ。

 

 そして彼女の思惑通りセイバーとアーチャーは尻尾を巻いて逃げたのだ。咲は触媒なしで、この現代にも恐れられる大怨霊であるバーサーカーを召喚し、アーチャーとセイバーを追い払ったのだ。

 二騎を相手にしても劣る事のなかった最強のサーヴァントを自分の力だけで呼び起こしたことは、誇るべきことであり、彼女に未来への希望を抱かせた。

 

 

(碓氷、あんたなんかに私は負けない。次は、バーサーカーで、殺してあげる)

 

 霊体化し姿の見えないバーサーカーを見上げる。彼女の忠実なる僕は命令一つで咲の気に入らないもの全てを殺しつくす。

 

 今までバーサーカーが言うことを聞かなかったことは二回しかない。一回はアーチャーとの交戦中、アーチャーを放り出してセイバーを襲ったこと。しかしこれは、セイバーがかの東征の皇子であることを知れば納得のいくことであった。不可抗力であろう。問題は二つ目である。

 

 咲はちらりと自分の右手を見下ろした。バーサーカーを召喚する前に浮かび上がった令呪は、すでに一画を欠いている。今思い出しても、何故親を殺そうとしたあの時バーサーカーが命令を聞かなかったのか不思議である。

 

 だが、それよりも早急の問題がひとつ。魔力が足りない。人の魂を食らってきたバーサーカーだが、昨夜の戦闘により――咲にも魔力を供給していたこともあり――現在魔力不足に陥っていた。

 

 ここ数日の惨殺事件の陰に隠れて目立たないが、ここ春日総合病院は陰で「入院すると死ぬ」という不穏な噂を流されていた。医療事故を発端に、病院で死者が増えている。昨日は、もともと重篤な病状だった患者が十人も亡くなった。それも「血栓」が原因で死んでいるのである。

 病院側は何か事件の可能性があるのではと探っているが、機器等の異常でもなく首を傾げられている。けれどこのまま続けば、病院を閉鎖せざるを得なくなる――それほどの異常事態である。

 咲が血液を操作し、患者の血管を塞いだ結果であるが、彼女も病院閉鎖の噂を耳にしている。

 病院はいい狩場だったのだが、閉鎖となれば咲も別の病院に移される。

 

 魂喰いのバーサーカーの為にオマケ程度の気持ちで病院で魂食いを行っていたが、それも間もなくできなくなる。手軽に魂を手に入れられる場所だった、とまで考えたとき、咲は一つの案を考え付いた。

 

 この狩場がもうすぐなくなってしまうならば、最後に派手に狩りをしてしまおう。それにサーヴァントを召喚して魂食いを始めてから、咲の体調はすこぶる良い。

 病院がなくなったところで今の咲は困らない。

 

 

 それに、どうせ病院にいたところで聖杯戦争に勝てなければ半年後には死ぬのだ。

 

「そうか、もうこんなところに用なんてない」

 

 咲はベッドの上に立ちあがる。ベッドに面した壁にある窓を引き明け、窓枠に足を掛ける。月は何時でも静かに病院を照らしている。勢いよく窓から身を投げた咲は、小さく詠唱を遂げると軽やかにアスファルトに足をついた。地上三階からの落下とて、魔術師には恐れることではない。

 

 行うなら闇に乗じる方がいい。冷たい風が吹き抜けて、髪で咲の顔を隠す。

 

 

「さあ食事の時間よ、バーサーカー!」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 碓氷明との作成会議の後、一成は急いで帰路に就いた。夜には病院を監視しなくてはならないし、バーサーカーとの決着がつけば彼は一度実家に戻るつもりだった。夜にはまだ時間があるため、今日の戦いの前に、実家に帰る準備だけは済ませておこうと一成は急いでいた。

 今日の夜無事に生き延びることができたら、すぐに実家に向かうつもりだ。

 

 電話で済ますこともできなくはないが、電話で済ませてしまうことは躊躇われた。魔導の重要な話であると同時に、一成は戦争に参加していることを親に直接言いたかった。

 

「アーチャー、バーサーカーを倒したら俺の実家に帰るぞ」

「うーむ……何故じゃ。できれば御免こうむりたいが」

 

 今一つ乗り気でないアーチャーを見て、一成はふと思い出した。サーヴァントには敵サーヴァントを倒したいという衝動が与えられている為に、ここから離れることはかなり落ち着かない気分になるらしい。それに、まともに会ったことはないがこの戦争の監督役による補助も受けられなくなるから、あまり良いことはない。それでも一成はアーチャーに頼み込んだ。

 

「悪いけど、頼む。あとわけは道すがら話す」

「……まぁさっさと戻ってくるつもりのようだし、仕方ないの。わけはしっかり聞かせてもらうぞ」

 

 一成は気持ちを切り替えるためにアパートの階段を勢いよく駆け上がり、自分の部屋に入ると手早く実家に戻る準備を整えた。そのあとは家から何とか持ってきた呪符を整理し、軽く禊の儀を行い礼装である神主服に着替えた。昼にアイスを食べたきりだったのでかなり腹が減っていたが、禊の後に食べてしまっては元も子もない。

 

 明は午後九時からでいいだろうと言っていたが、早い分には問題はないと思われる。時刻は午後七時前だったが、一成とアーチャーはベランダから外へ出ようとした。

 

 その時。

 

「……!?」

「おや、さっそくセイバーのマスターからの電話のようじゃ」

 

 コートのポケットから取り出した携帯電話の画面には「碓氷 明」の文字が躍っていた。何事かと思い慌てて電話に出た。

 

『……もしもし、土御門?』

「お、おう俺だ。何か大変なことでも」

『わけは後で説明する。今日病院を監視してって言ったけど、あれはなしで。今日は家にいて』

 

 明の声は妙に切迫している。電話越しには男の低い声と複数人が話す声が聞こえたが、何を話しているのかまではわからない。

 

「は?いや、バーサーカーを放っておくわけにはいかねーだろ?」

『……今日、バーサーカーはもう暴れない。訳は明日説明する。明日、うちの家に夜十時半にお願い』

「いや意味わかんねーって。つか、本当に何があったんだよ!?俺にできることなら」

『私の方の都合だから。本当にごめんなさい。明日にはちゃんと話す。会ったばっかりだから無茶かもしれないけど、』

 

 この急な電話、何かあったに違いない。なんとか事情を聞こうとしたが、一成の言葉は明に遮られた。

 

『信じて』

 

 それだけを残して、電話は繋がりを失った。無機質な音が、一成の耳朶を打つだけだ。繋がりを失った電話を持ったまま、一成は呆然とつぶやいた。

 

「……意味わかんねぇ」

 

 絶対に何かがあったことは明白である。電話越しの彼女の声は、明らかに震えていた。それが恐怖によるものか動揺によるものか怒りによるものなのか、一成にはわからない。さらにバーサーカーが暴れないわけも不明。やりきれない気持ちになったが、それでも彼女は信じてくれと言った。

 

「何が起きたかは私にもわからぬが、あの女子が「バーサーカーは暴れない」と言うのならば嘘ではあるまい。本当に個人的なところでに何かあったのかもしれぬが」

「……何でわかるんだよ」

 

 何故か知ったような口を利くアーチャーに、一成は訝しげに言った。

 

「勘ぞ。あの女子、腹の中はどうあれ与えられた職務は果たす。それに嘘をつくほど世慣れておらん」

 

 勘と言いながらも、その発言には妙に説得力があるのも確かだった。かつて人事の泥沼を泳いだであろう偉人の言葉だからか。

 

 ――しかし、アーチャーの言葉を除いても、一成はあまり追いかける気にならなかった。

 彼女が『助けて』と言ったのなら、しゃにむにそこへ向かっただろう。

 

 しかし、伝えられたのは『信じて』。

 

 ならば、ここで腹を探っては彼女を『信じなかった』ことになる。

 それに、一成と明がまともに会話したのは今日が初めてだ。

 ならば、初めは信じてみようと思うのだ。

 

「明日には洗いざらい喋ってもらうからな、碓氷」

 

 一成は携帯電話を深くコートのポケットにつっこんだ。それからコートを脱ぎ捨て、折角整えた礼装を勢いよく脱ぎ散らかしてジーンズとパーカーに着替えた。

 アーチャーは彼のやることを察し、ため息を隠さなかった。

 

 

「アーチャー、実家に帰るぞ!」

 

 




自力救済=無法地帯。バサカが実にアヴェンジャー風味。
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