Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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12月1日④ 伝説の激突

 セイバーは明から離れ、自らバーサーカーへと突撃していく。マスターの近くで戦っていては、彼女がこちらの戦闘に巻き込まれてしまう。同じく敵のマスターも、こちらのマスターを相手取るに違いない。

 

 倉庫街を駆ける。すでに直線上の先には、一昨日刃を交えた漆黒の狂戦士の姿がある。肌を焦がすような濃密な殺気は変わらず、しかし前回よりもその姿が大きく見えるのは、昨夜食らったという人間たちの魂が成せる業か。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ァァァ―――――!!!」

 

 狂気に身を任せた英霊に話すことない。だが、セイバーは迫りくる、爛々と光る赤い目を見て呟いた。

 

「狂戦士――平将門(たいらのまさかど)

 

 彼の狂戦士の真名は、平将門。平安時代、東国にて起こった平氏一族の乱は東国全体を巻き込んだ争いに発展した。平将門はその流れの中、国衙を襲いついには『新皇』と称したが、その結果朝敵とみなされ、悲惨な最期を迎えた英雄である。

 その戦いの最中、将門は妙見菩薩の加護で六人の影武者を操り、その体は鉄の様に固くいかなる攻撃も通さなかったと言う。

 そのように武勇を謳われた将門だが、『影武者の将門には影ができず、弱点は目である』と、彼の妻である桔梗姫に裏切られたことで朝廷より派遣された藤原秀郷に打ち取られた。

 

 死後、京で晒された彼の首は『我に四肢を与えよ。もう一戦せん』と言い、坂東まで飛んで行った。

 

 現代でもその祟りを恐れられる、日本屈指の英雄であり大怨霊―――!

 

 

「ここは自分の国だと叫んでいるのか、平将門」

 

 本能の塊となったバーサーカーは、セイバーの真名を知らずともわかったのだろう。セイバーが朝廷より命ぜられ、坂東――東国の荒ぶる神々・悪神の類を討伐した伝説の持ち主であることを。

 

 朝廷により東国を従わせた皇子と、東国で朝廷に反旗を翻した武者。

 時代は異なれど、相反する伝説を持った二人の英雄。

 

 たとえ相手に理性がなくとも――戦に応じることを示す故か、セイバーはその雄叫びに応えた。草薙の炎で立ち上る天叢雲の霧が、その剣を覆い隠す。

 

「朝敵死すべし―――――!!」

 

 霧を纏う白銀の両刃剣。肉厚で長大な漆黒の刀。それがかち合う瞬間、空間さえ歪みかねない衝撃と風が発生し、それだけで周囲の貨物やコンテナを破壊していく。ここにおいてこの二騎は台風といった自然現象そのものの如く、その猛威を奮っている。

 

 バーサーカーの弱点を知ったセイバーは、執拗に弱点――眼を狙って剣撃を見舞うが、バーサーカーは決して許さない。元々高い耐久を誇るバーサーカーが、より多くの魔力を武器にそもそも攻撃することさえ許さぬとばかりに爆発にも等しい暴力を以て滅するべく襲い掛かってくる。

 

 互いの一撃一撃が地面にクレーターを作り上げる程度の破壊力を持つ。セイバーもバーサーカーもお互いしか見えてない。一瞬の隙で体が粉砕される、それが今の戦闘だった。

 だが、セイバーは狂戦士でないがゆえに理性がある。

 

 ――草薙剣を使えば、動きは止まる。それは前回の戦いで証明されている。その間に目を貫けばよい。

 

 ならば使えばよいのだろうが、話はそう簡単ではない。平将門は一回では死なない可能性がある。七回殺すためにその都度宝具を開帳することは不可能だ。

 

 互いに一歩も譲らぬ攻撃が続いている。その速度は人間には目に映すのがやっとで、見切ることは到底不可能な領域に達している。鉄と鉄が火花を散らす、その時。

 

 

「ッ■■■ッ---!!」

「!」

 

 須臾の隙だった。練熟した武人でなければ、並外れた直感の持ち主でなければ見逃したほどの隙である。セイバーが力任せにバーサーカーの刀を押し切った時、力余って僅かに前につんのめっていた。刹那、上段に振りかぶった凶刃が、その小さな体を襲う。

 

 ――セイバーの目は、静かにその頭上の刃を見ていた。そして、小さくつぶやく。

 

「――残念だが、お前を殺すのでは俺ではない」

 

 それは、流星の如き輝きだった。煌煌と尾を引いて落ちてきたそれは、はた目には流れ星のように見えたことだろう。この戦闘の状態でなければ、ため息をつく美しさであった。しかしそれは死を齎す(まが)つ星に他ならない―――!

 

 

「ッツグ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」

 

 

 獣の断末魔にも等しい咆哮が全てを震わせた。箒星――どこからか放たれた矢は、寸分たがわずバーサーカーの目を射抜いていた。刀を持ったまま、激しくその巨体を震わせる様は前回首を斬り胴を断った時とは比較にならぬほどの苦しみを示していた。バーサーカーを殺したモノは、セイバーの遥か背後から射かけられたアーチャーの矢だ。

 

 全ては作戦通り。セイバーが戦いの時に隙を作るはずがない。あるならばそれは敵を誘うものでしかない。誘い、アーチャーが確実に急所を狙う機会を生み出すこと――それがセイバーの役目である。

 

 見事それは図に当たり、バーサーカーを殺した――それでも、バーサーカーは再び何もなかったかのように凶刃を振るう。その咆哮に衰えたところはいささかもなく、セイバーは再び一瞬の油断も許されぬ攻防に身を投じる。

 

 もし、バーサーカーがバーサーカーでなければ、戦い方を変えたであろう。しかし、理性なき戦士であるがゆえに弱点が露呈しようと、彼は愚直に立ち向かうことしかできない。

 

 ――理性の鎖を剥ぎ取り、お前は強くなった。だが理性なきゆえに、お前は死ぬ。

 

 セイバーは海に背を向けている。おそらくアーチャーたちは波止場の船の上にでも陣取っているのだろう。その気配を感じながら、再び剣の英霊はその剣を惜しみなく振るう。

 

 そうして、もう二回同じことを繰り返した。要領は変わらない。

 

 

 ――が、その時、バーサーカーは忽然と姿を消した。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

『お前は優秀な魔術師になる。私たちの誇りだ』

『あの子はもう駄目だ』

 

 自分は何もしていない。であるのになぜ、掌を返したように冷たいことを言われなければならないのか、咲には理解ができなかった。

 

 魔導の真凍の家に生まれ、『風』と『水』の二重属性を持った咲は魔術の素質に優れていた。厳しい魔術の修行にも耐え、師でもある両親からも期待されていた。魔術の修行に力を入れるあまり、同級生と遊ぶ時間も削り、魔術以外のことをする時間まで極力減らしていた。

 だが、それでも咲は後悔をしなかった。むしろ充実感に満ちていた。

 

『自分は由緒正しい魔導の跡継ぎであり』『両親が手放しで褒めるほどに才能が有り、努力も惜しまない熱心な者である』ことが、彼女の誇りとなって彼女を支えていた。

 

 そのあまり、一般の学校生活において友達と呼べるものがいなくても彼女は歯牙にもかけなかった。元々咲自身に高慢なところがあることは事実だ。しかし、思春期に入りかけた少女、少年特有の『特別意識』――咲の場合は『一般人は知らない、魔導を学んでいる』という優越感のため、同級生を見下している節があった。

 

 そのような意識は当然同級生にも伝わり、咲は教科書を隠される、無視されるといういじめを陰でされていた。

 だが、それも彼女にとっては明日の天気よりもどうでもいいことでしかなかった。

 

「私は他の凡俗とは違う。私は魔導を学ぶべき、選ばれた人間なの」

 

 彼女はそう思い、一層魔導の研鑽に力を注いだ。だが、一か月前に事態は急変した。

 

 

 咲は学校の体育の時間に急に意識を失い、しかもそのまま意識が戻らなかったため病院に搬送された。咲の意識はじきに回復したが、不安を抱いた両親により精密検査を受けることになった。

 

 結果、咲の体はたちの悪い病魔に蝕まれており、もう余命は半年というところまできていた。病状が進行するまでめまいなどの軽い症状しかでず、手の付けようがなくなるまで気づかないケースの多い難病である。言われてみればめまいを起したり、疲れやすくなったと感じたりすることも咲にはあった。だが、魔導の勉強のため睡眠時間を削ることもままあった彼女は、そのせいだと思って気にしていなかったのだ。

 

 余命半年。あまりにも唐突な事態に、彼女は現実の把握ができなかった。もちろん急きょ入院が決定し、薬を投与されながら過ごすようになった。

 

 けれど、目は現実からそらしていても体は正直だった。一度倒れてから、それが引き金になったかのように眩暈や頭痛が増えていった。

 

 聖杯戦争がこの春日で行われると言う話を聞いたのは、そんな時である。

 

 

「英霊なるものを使い魔として召喚、使役し、何でも願いを叶える聖杯を巡って争うバトルロワイヤル」。病中の咲に、母親はそう説明した。その期間には春日にいる魔術師なら「令呪」――聖杯戦争の参加資格が与えられるかもしれない。

 もし、咲にその資格が与えられたら魔術的処置をもって一時的に父、または母がマスターを代行するとも言った。大儀礼である聖杯戦争に参加することは名誉であるが、あなたは病気だから、とてもそんな戦争に参加できない。いまはそれを直すことに専念しなさいと言った。

 

 余命半年と言われているのに、直せるわけがない、気休めだと咲は怒りすら覚えた。しかし後になって考えると、尊敬している母が気休めでもそう言ってくれたことはありがたいことなのかもしれないと思った。

 そして、咲に令呪が宿ったら母または父に譲渡する―――ことはつまり、両親は聖杯戦争で戦い、願いを叶える意思があるということだ。

 

 ―――その願いとは、『娘の病気を治す』ことではないか?

 

 自分は真凍家唯一の跡取りで、魔術の素養に優れている。

 そんな娘を救うために親が聖杯戦争に出てもおかしくない。

 

 親、または自分に令呪が宿る確証はどこにもないのにも拘らず、その想像で咲はひと時の安寧を得た。

 

 だが、彼女自身意識はしていなかったが、彼女は魔術師の考え方に浸かり切るにはまだ若すぎた。

 

 

 ある日、外出許可が下りて咲は真凍の家に帰ることができた。とは言っても病身ゆえに、できることは自室でゆっくり寛ぐ程度である。家から本とか玩具を持って来ればよいと看護婦に言われたが、魔導に打ち込んだ咲の部屋には玩具はなく、本も魔導書ばかりで人前で読めるものではない。

 

 特に持っていくものがない、とわかった時に初めて咲は思った。

 

「私って、本当に魔術しかやってないのね」

 

 だが、それは彼女の努力の証明ではあれど、卑屈になるような事実ではなかった。

 またしっかりと魔術の修行をしたい。家族で食事をとり、早く寝る様に言われて咲は布団に戻ったものの、なかなか寝付けず何度も寝返りを打っていた。さして尿意は感じていなかったが、どうせ寝れないので自分の部屋を出て一階のトイレへ向かった。

 その時、リビングでは父と母が何やら重い雰囲気で話をしていることに気づいた。その雰囲気故に交じることは躊躇われたが、内容が気になって、咲はリビングのドアに隠れて様子を伺った。

 

 父と母は先ほど食事をとった四人掛けのテーブルに向かい合って座っている。電気はついているのに、どこか薄暗く感じてしまう。

 

「……まさかこんなことになってしまうなんて。あんなに元気な子だったのに」

「……仕方ないさ」

 

 話は咲のことのようだった。当の本人は、思わず息をつめて聞く。

 母はうつむいて、至極残念そうな表情で言う。

 

「もう咲は死ぬものとして考えた方がよさそうね」

「そうだな。あの子はもう駄目だ」

「けど、十三歳でよかったと思うべきかもしれないわ。もっと成長してから死なれては養子をとって育てなおすことになっていたでしょう。今なら、新しい実子に魔術刻印を継がせることができるわ」

 

 

 そのあと、どのようにして布団に戻ったのか咲はよく覚えていない。恐らく足は震え立っているのがやっとの状態であっただろうととは思う。どのように音を、息を、気配を殺して二階へ戻ったのかも朧だ。翌朝咲は自分の布団の中にいた。

 

 両親の相談は跡取りが重要な魔導の世界では当然のことであり、咲に聞かせる話ではないから眠った後にしていたのだろう。彼らが全く咲への親愛の情を欠いているかといえば、否だろう。

 

 ただ、聞かれたタイミングがあまりにも悪かった。もし咲が順調に年を重ね魔術師の考え方にもっと身を浸していたら、今の話を聞いてしまっても「然り」と思い大混乱に陥りはしなかったかもしれない。

 

 だが未だ双方の条件を満たしていない彼女には、これまでも短い生のほとんどをつぎ込んできた魔術師としての己まで否定された――――そう感じられたのである。

 

 己の短い生もまだ受け入れられておらず、己の在り処さえも親に否定されて、咲は思った。

 

「本当に、自分には、もう何も残っていない」

 

 けれど、彼女の小さな矜持は何もないことを認められなかった。仮に何もなかったとしても、そのまま自分が消えてしまっていいわけはない。

 

 自分には魔術しかないし、何もないままにしないためには魔導で何かを残すしかない。

 

「何か」を残す前に、自分が消えてしまっていいはずはない。

 

 父と母が聖杯戦争で勝って自分を助けてくれる。そのような甘いことを考えていた自分を殺したい。願いは、自分で叶える。頼れるものは自分だけだ。

 

 聖杯はその願いを聞いたのか。真にそう思うのならば、自分の力で掴んで見せろといわんばかりに、彼女の右腕には令呪が宿ったのである。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「なんじゃありゃ……」

 

 削る。削る。削る。抉る。抉る。抉る。バーサーカーの一挙一動で倉庫の壁が崩れ、屋根がひしゃげ吹き飛ぶ。百メートル程度の距離を置いた場所で戦い始めたセイバーとバーサーカーの様子を遠目に見て、明は真っ黒い魔力の塊の暴走に対してそう呟いた。

 

 一昨日のバーサーカの力もかなりのものだったが、今はその比ではない。黒い霧をまき散らしながら、その刀は荒れ狂う自然の猛威のごとく破壊を繰り返す。バーサーカーが通っただけでもはコンクリートが抉れ、建物は拉げ、ガラスが歪んで破片を粉のように飛ばしていく。まるでダンプカーの交通事故でも立て続けに発生したかのようだ。

 

(あれが人食いサーヴァントね……)

 

「どうかしら碓氷のマスター!私のサーヴァントは!」

 

 バーサーカーのマスター――真凍咲が一昨日と同じ寝間着で姿を現した。バーサーカーの破壊した倉庫を満足げに見ながら、笑っている。二人はサーヴァント同士の戦いからは少し離れ、直ぐ海の近い波止場で向かい合っている。

 

「人食いもいいんだけど、サーヴァントを殺さないと聖杯戦争が終わらないしね!」

 

 余命半年と聞いていたが、その割には血色もよく見えるし声にも張りがある。そもそも、病身で魔術を行使するのはかなり負担を強いるはずである。病身故にバーサーカーの魔力を補い切ることができず、人食いを行っていることは了解している。しかし。

 

(……バーサーカーから魔力を逆供給されているんだろうな……)

 

 マスターとサーヴァントにつながっている因果線(パス)で、普通はマスターからサーヴァントに魔力が供給される。だが、バーサーカーは魂を食ってその魔力で満ちており、かたや病身の咲は自分で魔力生成する負担が大きい。となれば、その逆も然り。

 

 それくらいではなければ、短時間とはいえ病院一棟を丸々覆い尽くす人払いをかけることも、前回のように魔力を噴射したことに説明がつかない。明は咲を睨みつける。

 

「……ま、どうでもいいけど。じゃ、サーヴァントはサーヴァントに任せて私たちもやりましょうか」

 

 そうは言いながら明は手ぶらのままで、咲を指差した。「これでもここの管理者だからね。これ以上の狼藉は見過ごせない」

「いいわ。やれるもんなら」

 

 明は波止場を背にして立っている。咲が手を挙げた時、明は背後に魔力の鳴動を感じ振り返った。夜の闇の中に、ひとつの大きな水の塊が浮かんでいる。直径一メートルはあろうかという水の岩。

 

「!」

 

 その塊は崖を転がり落ちるようなのような勢いで明に襲い掛かる。しかし明は慌てず、唱えた。

 

hajoaminen(分解)

 

 怯まず素手を水の塊に突き出す。高速のトラックが人を撥ねるように、明を跳ね飛ばさんとした塊はその手にぶつかるなり弾け飛び、明の周囲を海水で濡らすだけに終わった。しかし咲はひゅっと息を吸うと、連続して詠唱を行い次々と海水から水の刃を作り出した。

 水でできた刃は月光を受けて透明に、そして本物の刃のように鋭く光る。

 

 その数、ざっと見ても二十以上はある。

 

「さぁ、よけきれるかしら碓氷の影使い!」

「流体使いか……」

 

 この波止場と倉庫街に待ち構えていたのは、海の水を武器として利用したかったためだろう。慣れ親しんだ物体でもない海水をこれだけ操って見せたことは彼女の素質もあろうが、人食いによって得られた大量の魔力に頼った完全な力技だ。

 

 明は降り注ぐ透明な刃をよけ、魔術で覆った手で打消していく。だが身体能力はあくまで普通の二十代女性のため全て捌ききれない。

 

avoin(解放)……Varjo kilpi(影は盾)

 

 明の足もとから、黒い壁が――壁と言うには薄すぎるが――が飛び出し、透明な刃から彼女を護った。コンクリートの地面から吹き出すように立ちはだかった壁に突き刺さった刃は、まるで脆いクッキーのように砕けて無くなってしまう。

 

 しかし、咲は焦ることなく透明な刃を再び作り上げる。数も増やし、ひたすら明に襲い掛かる。バーサーカーより供給される魔力を惜しむことなく、咲は魔力を行使しつづけている。

 

(……あの年にしてはかなりの腕……しかも攻撃するための魔術が得意みたい。魔力量を気にしてないし……)

 

 明の影魔術は、元来対人間用の魔術ではない。影魔術はこの世ならぬ者にこそ本領を発揮する魔術で、人間に使うより異界のモノを攻撃した方が消費魔力に対しての効率が高い。

 

 とにかくこんな海辺で戦うのは分が悪い。数本の刃を身に掠らせながら、明は咲に向かって走る。背後には振り返るのも嫌になるくらい、おぞましい数の水刃が迫っている。

 振り返らずとも気配で分かる。

 

Varjo kilpi(影は盾)……Varjo seinä(影は壁)……Varjo Citadel(影は城塞)!」

 

 地鳴りのような鈍い音を立てて、明の背後を一直線に黒い焔が走る。黒い焔は一条の線のように走ると、一斉に上空目がけて伸びる。幾百にも及ぶ水刃が影の壁に阻まれ、ぼろぼろと消えていく。

 全力で駆けていた明は太腿につけていたホルダーからダガーナイフを抜き取った。刃渡り十五センチ、刀身が真っ黒に染まったナイフだ。魔力が籠められていることが、魔術師ならば一目でわかる。

 水刃を防がれ、ナイフを構えた明に迫られて咲は初めて焦りの表情を浮かべた。

 

「――ッсжатие воздуха(空気圧縮)!」

 

 咲の腕を狙ったナイフは、何もないのに――分厚い空気の壁に遮られるようにして止まりかけたが、一瞬だった。明の起源である「分解」の性質を移したナイフは、防御のための魔術を貫通する。

 ナイフはそのまま振り下ろされて、咲の右腕を貫いた。

 

「――ッ!!!」

 

 少女の目は驚愕に彩られ、その痛みと噴き出す血に戦いて悲鳴が出かかったが、歯を食いしばってそれを殺した。腕を切断できなかったのは純粋に明の腕力が足りないかったからだが、ならばと言わんばかりに、明は左手を握りしめ、咲の顔面を思い切り殴り飛ばした。

 

「―――ッぐぅうっ!!」

 

 病身である少女の体は、明が思っていたより軽かった。少女は壊れかけた倉庫の扉に体をぶつけ、そのままずるりと座り込む。苦しそうにせき込む咲を前にしても、明の目には一欠けらの同情も浮かんではいなかった。ナイフを片手にしたまま、明は静かに命令する。

 

「……令呪を捨てて聖杯戦争を放棄しなさい」

 

 せき込みながらも明を見上げる咲の目は、どろりとした闇に濁っている。

 

「嫌」

「前会った時、病気を治して生きることが願いって言ってたね。それは全然いいんだけど、あなたはその願いのために、何人殺して、それからこれから何人殺すつもりなの?」

 

 

 一昨日、咲と出くわしたときにも明は願いを問うていた。少女の答えは変わっていない。人を食い物にしても生きながらえようとするその執着は、明には理解できない。

 

 咲は吐き捨てるように言う。

 

「何人殺すかなんてそんなのわかんない。私は生きなきゃいけないの。生きるのが当たり前なの。他の人間なんて知らない」

「……思い上がるものいい加減にしろ」

 

 病身の少女の目は、その弱った体と反比例するかのように激しい光を帯びている。それに対し、明は冷め切った目を向けている。戦闘という非日常の最中の為か、頭は冷えている割に体が熱い。

 

「あなたがどんな人生で何を思っているのかは知らない。知らないけど、助かりたいが為に戦争に関係のない人間を殺した時点で、あなたにそんな資格は無くなってる」

「……そんなの、なんであんたに上から目線で決められなきゃいけないわけ?」

 

 熱く冷たく、淀んだ視線が交錯したのも僅か。今にも爆発しそうな緊張感を破ったのは明――右手のナイフを強く握りしめた。

 

「嫌だっていうなら殺してあげる―――!!」

 

 明が魔力を込めたナイフを振り上げたとき、座り込んだ咲が叫んだ。「バーサーカー!こいつ殺して!!」

 

 咲の右腕に刻まれた令呪が強く輝く。バーサーカーとセイバーはここから約百メートルの距離のところで交戦している。そんな近くにいるのに、まさか令呪を使って命令するとは思っていなかったため明の反応が遅れる。いや、普通に反応できたところで相手は人知を超えた相手だ。

 

 空間を突き破る、瞬間移動という魔法にも等しい行いを令呪が可能にした。ガラスが砕け散るような鋭い音が突き刺さる。

 

「■■■■■■■■■■■■■■アアアアアアアアア!!!!」

 

 夢の中なら何でもあり―――そう、まるで嘘のように凝った闇の塊が明の前にある。恐ろしい咆哮と共に、反りの入った肉厚の刀が明に振り下ろされる。咲が笑っている。

 

 武術の達人は戦いの最中に一秒が十秒のように感じるというが、達人でもない明にもバーサーカーの刃が振り下ろされるのがゆっくりに見えた。だが、頭がそうぼんやりと思っているだけで、体は全く反応しない。

 

 そっか、ここで死ぬのか――濃密な死の気配が、背中にべったりと張り付いている。明とバーサーカーの紅い目があった、その時だった。

 




魔力は増えてるけどパラメータが上がってるわけじゃない→バサカ


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