Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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interlude-1  第七の契約

 また、入道殿射たまふとて、「摂政・関白すべきものならば、この矢あたれ」と、仰せらるるに、はじめの同じやうに、的の破るばかり、同じところに射させたまひつ。――『大鏡』

 

 彼にその意識はなくとも、彼の放つ矢は間違いなくその言葉通りに、運命を変えた。

 

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 内大臣伊周が、父関白道隆の屋敷で弓の競射を開いていた。その場に、道長は特に呼ばれたわけでもないのに、唐突にその場に現れた。

 道隆と伊周は不思議がっていたが、来てしまったものを無下に追い返すのも大人げない。道長を歓待し、矢を射ていくように誘った。

 

 そこで伊周と競射を行ったところ、的に当たった数が伊周より道長の方が二本だけ多かった。親子の取り巻きは気を遣い「もう二回決勝を延ばしたらどうだろうか」と言い出し、その運びになった。

 もちろん心中穏やかではないのは道長だ。

 

 彼は「ならそうすればよろしい」と吐き捨てるようにいい、矢をつがえて高らかに宣言した。

 

「もし、この道長の一家から天皇、中宮がお立ちになるならばこの矢当たれ」

 

 その矢は見事的の真ん中に当たった。穏やかでいられないのは伊周と道隆である。しかし伊周は気遅れしてしまい、全く的外れのところに矢を射ってしまったため、父道隆は顔面蒼白になった。

 だが、道長は躊躇わない。彼はさらに天まで届くように、謳う。

 

「この私が将来、摂政関白になるのが当然であるなら、この矢当たれ」――。

 

 そして矢は的を壊さんばかりに、同じく真ん中に命中したのである。

 

 

 道長はいいとして、困ったのは周りだった。関白と内大臣を中心に興じていたのに、もはやそれは跡形もなく冷め切ってしまった。関白道隆は伊周に「もう射るな!やめろ!」と叫ぶ始末。

 当の道長は使った弓矢を返却して、さっさと帰ってしまった。

 

 

 

 後の藤原道長は、当時の摂政の五男として生を受けた。だが、生まれたときから後の栄光が約束されていたわけではない。

 当時父子相続と兄弟相続の過渡期であり、弟にも跡目を狙う機会があったとはいえ、五男ともなると、上の兄たちに時代が移るか、またはその兄たちの子供に流れて行ってしまうことがほとんどだった。

 父が強引な手段で前帝を退位に追い込み、自分の孫にあたる天皇を即位させている為、道長は順調に出世をしていた。

 

 しかし将来は必ず自分の兄とその子供たちが立ちはだかる。それは道長だけが思っていたわけではなく、当時の貴族の共通の感覚だったろう。道長がとある高貴な女に求婚したことがあるが、彼女の父にも、そういった理由で結婚に難色を示されたことがあったくらいである。

 

 そしてその感覚は決して間違っていなかった。父の死後に、権力の座にあったのはその長男で、道長の兄である道隆だった。道隆は娘の定子を今上帝の中宮に据え、天皇の閨を独占させた。当時の摂関政治の常道を踏んだのである。

 

 この定子に仕えたのがかの清少納言であり、枕草子には当時の話が多く収められている。

 しかし、この時道長の心には忸怩たるものがあった。予想通り、関白の座に収まった兄道隆は自分の息子たちの官位をごり押しともいえる強引さで急激に引き上げていたからだ。

 

 この道隆を筆頭とした一家はのちに中関白家と呼称されるが、美人揃いであるとともに家族の仲が睦まじいことに評判があった。

 だが、それは防衛本能でもあったのではないかと後になって道長は思ったのである。

 

 父の後をそのまま継ぐ形で、関白の座にありつき強引に一家のものだけ官位を上げれば、当然反発を買う。兄道隆の長男の伊周は、二十一歳の若さで内大臣の座にあった。表面こそ穏やかでも、周囲は心の奥底で妬みと嫉みを大きく膨らませていたろう。

 

 現代よりも呪いや祟りが普通の人間にも強く息づいていた時代。当時、栄華の頂点にあった中関白家の人々も、当然それに恐怖したはずだ。だから、彼らは妬む必要のない人たちの間での紐帯を強めることになったのではないか――そう後年、道長は思った。

 

 しかし当時、道長も例に漏れず彼らを羨む人間の一人だった。前述した伊周が二十一歳で内大臣の座にあった時、道長は二十九歳で大納言の座にあった。

 要するに、甥である伊周に官位を抜かされていたのである。

 

 当時は金を得るにも、信頼を得るにも、方法は一つだけ――――位階と官位を上昇させることである。現代の様に多様な職があるわけではなく、貴族は貴族になり、庶民は庶民と固定されている時代の話だ。いわば現代社会で会社が一つしかない状態、といえばよいだろうか。

 

 その出世にまつわる悲喜劇には枚挙にいとまがなく、弟に官位を奪われて憤死した者がいるくらいである。

 

 この話は、そのように道長が鬱屈を抱いていた時の話だった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 土御門神社に向かったアーチャーは、そこで一匹の偵察用使い魔と鉢合わせた。それは間違えることなくキャスターのマスター、キリエスフィール・フォン・アインツベルンの放ったモノだ。それに案内され、アーチャーは春日郊外の山にまで足を運んだ。

 

「あら、本当に来たのねアーチャー」

 

 道長――アーチャーを迎えたのは、艶やかな紅の髪を腰まで伸ばした妙齢の女性だった。巫女服に身を包んでいるにもかかわらず、清浄な雰囲気はまるでない。寧ろ男を蕩かし堕落させるような、淫靡で退廃的な雰囲気を持つ女だ。

 

 魅了――そのサーヴァントの持つスキルによるものだが、対魔力を持つアーチャーには効かない。

 

 周囲は木々に取り囲まれている山のふもと。いきなり場違いに洋館が現れるが、常人には見えない館だ。それどころか、必要な手順を踏まなければ感知することができない強靭な結界を張っている。おかげで術者までも毎度毎度その手順を踏まねばならない、強固だが手間のかかる館となっている。

 否、いくら強固な隠ぺいを施そうと限界はある。術者――女のサーヴァントのマスターの力に加え、さらなる補強をしているのはこのサーヴァントの力に他ならない。

 

 その不可思議な屋敷の内装はホテルのそれに近く、一階は大理石のロビーに赤いじゅうたんが敷かれ、シャンデリアが飾られている。

 昼でも薄暗い場所ゆえに、それはいつでもきらびやかに光り輝いている。

 

 

「ご主人ー、アーチャーが来たわよー」

 

 間延びしたサーヴァントの声に応じ、二階へ向かう螺旋階段に十歳程度の少女の姿が現れる。このサーヴァントをずっと幼くし、淫靡な雰囲気を抜きさればこの少女になるほどよく似ている。

 

「ようこそ、アーチャー。令呪はちゃんと持ってきたようね」

 

 黒髪に赤い目の少女は、貴婦人のようにゆったりと微笑んだ。

 

「カズナリ・ツチミカドはどうしたの?」

「おそらくまだ生きておろう」

 

 階段を下りてきた少女に、アーチャーは令呪の刻まれた腕を渡した。令呪は一つも消費されずきっちり三画ある。少女は赤い目を細めて笑い、しかしその目は揺らぐことなくアーチャーを射抜いた。

 

「何故殺さなかったの?」

「私はこれでも平安の貴族。殺生は穢れであり好むところではない」

 

 張りつめた空気の中、二人ともその目をお互いから離さない。アーチャーはため息をつき、降参といわんばかりに両手を挙げた。

 

「私はあの者の親と、「生きて返す」と約束をした。それを反故にせぬためには、殺すわけにはいかなんだ」

「ふぅん。まあいいわ。カズナリ・ツチミカドはサーヴァントと令呪を失ったし、無力とみていいでしょう。だけど、アーチャー」

 

 濡芭玉の黒髪の少女は、くるりと外見相応の振る舞いでターンをしてみせる。しかし、その顔は少しもおどけたところはない。

 

「もし、万が一カズナリ・ツチミカドが立ち向かってくるとしたら、あなたは必ず殺すのよ」

「わかっておる。この温情に気付かずに戦おうとするならば仕方あるまい

 

 少女は満足そうにその頬に笑みを刻む。そして、片手に持ったままの腕を見つめて、何事かを唱えた。一成の腕にあった聖痕は消え失せ、三画の令呪があった少女の左手には、今や計六画の令呪が刻まれている。

 

「そういえば、本当に日本武尊――セイバーのマスターに令呪まで消費させたの?」

「その通りよ。もう少しうまくいけばセイバーにマスターを殺させるか、令呪をなくすこともできそうだったのだが」

 

 ふうんと、少女は頷く。それから痣のなくなった腕を女のサーヴァントに渡した。

 そしてアーチャーの方に向き直り、その手をかざし、静かにしかしはっきりと唱える。

 

「汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うならばこの命運、汝が剣に預けよう」

 

 少女の手から紫電が迸る。その幼い体からは想像できないほどの魔力が溢れ出し、アーチャーの体に流れ込み始める。

 

「そなたを我が主として認めよう、キリエスフィール・フォン・アインツベルン―――」

 

 

 アーチャーの低い声が一回に響き渡る。その契約の姿を眺める女――キャスターは妖艶な笑みを浮かべている。その姿のどこにも、先ほど渡されたばかりの筈の一成の腕はなかった。

 


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