Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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12月2日① 碓氷邸にて、三人

 自分の相方――マスターは魔術師としては極めて優秀なのだろう。そしてランサーとして召喚された自分の性向を分かっているとも、ランサーは感じていた。

 

 そうでなければ、令呪の一画を消費してまで昨夜のランサーの行動を縛りはしないだろう。

 

「どうした、ランサー。不満そうだな」

「ハルカよ、わかっておろう」

 

 西日がさしこむ、小さな洋館のリビング。ソファにこしかけ、優雅に魔導書を手繰るハルカを、ランサーは剣呑な瞳で睨みつけている。ハルカは魔導書を閉じると、静かに目を伏せた。

 

「昨夜は無理を強いたと思っています。しかし、貴方も勝手にバーサーカー討伐に向かおうとしたのでしょう?痛み分けと思って欲しいものです」

 

 昨夜、ランサーはハルカに黙ってバーサーカー討伐に向かおうとしていた。偵察は日課になっているため、それの最中にバーサーカーに行き会ったことにして戦うつもりだった。

 当然魔力を使って戦うのだから、戦闘をすればはすぐにハルカに割れることになっただろうが、それでも少しでも協力せずにはいられなかった。

 

 もし、ランサーが生前のランサーのままであったら、または生前の主君がマスターであったならば一度ここは堪えたかもしれない。

 だが、今のランサーは一介の武人として、尋常な戦いを望む槍使いとして現界したただ一人の男であった。故に、後ろめたくはありながらもバーサーカーの討伐へと向かおうとしていた。

 

 教会の連絡で明たちがバーサーカー討伐に行くことを知り、かつランサーの行動を危ぶんだハルカは、令呪の一画を用いてランサーを一晩屋敷の一室に閉じ込めた。流石に一晩も効果は持続しなかったが、ランサーが満足に動けるようになった時は既にバーサーカーの討伐された後だったのである。

 

 バーサーカーが倒されたことは、昼に来た神父の使い魔によって知らされた。ランサーはこれで無辜の人々が殺されると言う凶行がなくなると安心したものの、セイバーに行くと宣言したが行かなかった――結果的にウソをつくことになってしまったことを、強く恥じていた。

 

 その慚愧を押し隠し、ランサーは表情を少しも変えぬマスター――相方に問う。

 

 

「一つ尋ねる」

「何でしょう」

 

「ハルカ、お前は、本当に聖杯戦争を戦う気があるのか」

 

 ランサーの問も最もだろう。ハルカは聖杯戦争が始まってからこの方、教会とセイバー等との情報共有しかしていない。ランサーにも偵察しか命じていない。ランサーが宝具を使おうとした時には、強く諌めて断念させている。さらにバーサーカー戦にも出るなと命じていた。

 あまりにも自発的な行動が少ないのは火を見るよりも明らかだ。

 

「ありますよ。しかし無駄に戦いをすることもないでしょう。バーサーカーは倒す倒すと意気込んでいるセイバーに任せれば、わざわざこちらの魔力を消費せずに済むでしょう」

 

 ハルカは顔を上げ、ランサーを見る。疑わしい、という気持ちをはっきりとあらわした男が魔術師の目の前にある。ハルカはまったく動揺することなく、ランサーに向かって微笑んだ。

 

「嫌でもあなたがその槍を振るわねばならない時が来ますよ。最も重要な時に、その宝具が使えなくては話にならない。違いますか?」

 

 もちろんランサーもこの戦争に勝つつもりでいる。魔力と言うエネルギーを節約して、のちの戦いに備えるということもわかる。

 ランサーは戦いそのものを求めているとはいえ、ハルカの理屈が戦うものとして道理が通っていることも理解している。

 

 だが、何故だろうか。マスターの言葉は全て上滑りしているようにランサーには聞こえてならないのは。その言葉の一つにも、誠実さのかけらもないようにランサーには思えるのだ。

 

「お前の言うことは間違っていないと思うぞ、ハルカよ。しかし今やアサシン、ライダー、バーサーカーが消えた。残るは儂、セイバー、アーチャー、ガンナー……これの正体はキャスターだったか……の四騎だ。そして儂は残り三騎すべてと会い見えた。もう偵察、などという時期は過ぎたのではないか」

「……確かにそうですね。当初の予定は、貴方が偵察をして調べてからセイバーと撃破する、という筋書きでしたね」

 

 ハルカは思案気に頬を撫でた。荒れたところが一つもない金髪がさらさらと揺れて、形のいい輪郭をなぞる。

 

「教会を通して相談しましょう。けれど、今日は大人しくしていなさい。バーサーカーとの戦いが終わったばかりです。どの陣営も、キャスターは別ですが――今日は大人しくしていることでしょうからね。もし、マスターを殺したいと思うなら別ですが」

「儂の願いはお前も知っておるだろう。その手の戦法をする気はないぞ」

 

 ランサーの願いはただ一つ。強敵との尋常な勝負。それだけである。

 アサシンまがいの行動をする気はさらさらない。ハルカは知っていると言わんばかりに頷いた。

 

「でしょうね。それなら今日は大人しくしていなさい。必ずチャンスは巡ってきます、ランサー」

 

 西日の橙に染められながら、北欧の魔術師は優雅に微笑む。やはりその表情、挙措から何も読み取ることはできなかった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 昨夜、一成の治療の為に教会に行った時にバーサーカーの件について話したため、今日教会から碓氷邸に使い魔がやってくることはない。

 

(……どうしよう……)

 

 明は自分に治癒魔術をかけてから、リビングでウィダーインゼリーを飲みつつ頭を悩まし続けていた。テレビで映るニュースには、倉庫街で爆発事故の文字が躍っている。当然、昨夜の対バーサーカー戦の被害である。

 

 バーサーカーが倒れたことでこれ以上一般人を巻き込もうとする事件は起きないだろうが(これ以上咲のようなマスターがいなければだが)、やはり聖杯戦争が終わるまでこの春日の街は危険な街であるのは変わらない。

 

 だが、今明が困っているのはその件ではない。土御門一成のことである。

 

 

 

 現在、一成を父の部屋(現在セイバーの部屋)に運びいれてある。一応傷はふさがっているはずだが、一成は魔力と体力の消費もあり、腕を切られてからずっと眠り続けている。

 

 明はセイバーに一成の様子見を頼んで、自分の足の手当を行った後はボロボロの普段着のままでベッドにダイブして眠りこんでしまった。そして起きたらあっという間に午後三時になっていた。

 

 とりあえず服を脱ぎ捨て新しいものに替えた。十分眠っていたはずなのにあまり疲れがとれた気がしないのは、セイバーが消費した魔力を回復すべく明から遠慮なく持って行っているからだろう。体力を戻すため、冷蔵庫にある栄養ドリンクとウィダーインゼリーを引っ張り出す。

 それらを手に一成の様子を見ておこうと、明は父の部屋の扉を開けた。

 

 ダブルサイズのベッドの上に、一成は寝ている。時々苦しそうに呻くが、ちゃんと眠っているようである。

 

 起きたら、身の振り方を決定しなければならない。令呪とサーヴァントを失った一成だが、それでも完全に安全とは言えない。今後はぐれサーヴァントが出た場合に、新たにマスターとして割り振られる可能性が高いのが元マスターだ。だからこそセイバーは咲を殺そうとしていたのである。

 

 この場合、聖杯戦争に参加する意思なしとして教会に保護を求めるのが最善だ。彼が起床したらその話をするつもりだ。また、腕を失ってしまった一成に腕のいい人形師を紹介しなくては……などと思いを巡らせていると、明は何か違和感を覚えた。

 

 そういえば、一成の様子を見ておくようにセイバーに頼んだのだからこの部屋にはセイバーもいなければおかしいのだが、その気配がない。……いや、あった。

 

 セイバーは例によってコタツに入っていた。そしてなぜかテーブルの上にあるみかんをじっと見つめて動かない。それだけでも妙だが、セイバーの纏っている空気がやたらに重苦しい。

 

 まさか一成を斬ってしまったことを悔いているのか――いや、セイバーは人間の死に頓着しない。

 というか昨日は一成を殺しかねない勢いであったため彼が落ち込むことは考えられない。

 まして真凍咲の死を悼む心があるなら、あの時に刃を向けたりしない。

 

 バーサーカーに勝利したとはいえ、アーチャーのためにあの終わり方である。そうそう明るい気分になれないのかもしれない。

 

 確かに昨日は本当に大変で、一歩間違えたら死んでいた。だが、元より聖杯戦争は命を懸けた戦いである。セイバーも明も力を尽くして戦い、バーサーカーを討伐することができ、自分たちも五体満足で帰ってくることができた。春日市民は少しは枕を高くして眠れるだろう。

 とりあえず、戦果は上々といえる。アーチャーについては対応をこれから考えなければならないのが大変だが、仕方がない。

 

 これからの事を考えながら、何と話しかけるべきが迷った末に、明は栄養ドリンクをこたつの上に置いた。

 

「まぁ、のみなよ。サーヴァントに効くか知らないけど」

 

 まるで居酒屋のセリフである。セイバーはかすかに目を見開いた。

 

「……マスターか。昨日はよく眠れたか?傷の手当はしているか?」

「あ、うん。というか、どうしたの?なんか、気になる事がある?」

 

 セイバーは居心地悪げに眼をそらしてから口を開いた。

 

「……昨日は俺の為に無為に令呪を使わせてしまい、済まなかった」

「……?」

 

 明は一時本気で何のことかと思ったが、はたと思い出して手を打った。

 昨夜、明が身を守る為――壺切御剣の呪縛を解く為に令呪を一画使用した。令呪はサーヴァント制御用であると同時に、サーヴァントを強化できる切り札でもある。

 確かにそれは容易く消費していいものではないが、セイバーの落ち度ではない。明は大きくため息をついた。

 

「セイバーって、……けっこうめんどくさいよね……」

「……?そういえば同じことを弟橘姫と吉備武彦にも言われたことが……」

 

 妻と東征の仲間に言われていたとは、この感じは古代と現代を超えて共通だったのかと明は妙な安心感さえ覚えた。何度も繰り返すのは面倒なので、はっきりと言っておこうと明は気合を入れた。

 

「あそこで令呪を使わなかったら、多分私は死んでた。そしたらセイバーだって魔力がなくなってすぐに消えちゃってたよ。ああいう時の為に令呪はあるんだから、いい使い方をしたと思う。だからあれは使うべくして使ったの。今セイバーに居なくなられたら困るしね」

 

 セイバーははっと顔を上げた。純粋に戸惑った顔を見て、明も頭に疑問符を浮かべた。

 

「いやさ、俺はお前の剣となろうーとか言ってくれたじゃん。セイバーは私の剣なんでしょ?まだ一緒にいてもらわないと困るよ」

 

 抑々令呪とは、サーヴァントが拒否する行為を強制できる権利である。これがある限り、サーヴァントはマスターに逆らうことができない。令呪が減ることを喜ぶサーヴァントは多いであろう中、セイバーは違う。一つ目の令呪を使った時も、「こんなつまらないことに令呪を無駄遣いするな」と怒っていた。

 

 令呪をしかるべき時に使うことを願う彼は、明を裏切ろうとは思っていないはずだ。確かにセイバーは人の命を何とも思ってはいないかもしれないが、彼は確かに明と共に戦うつもりでいるのだ。

 

 ――ならば、それで十分だ。明に文句のつけようもない。

 

 

「……寧ろ私のほうが謝らなきゃいけないような……」

 

 明がぼそりとセイバーには聞こえないように呟いた。勝利を望むセイバーに対し、あれをするなこれをするなと明は文句ばかりつけているからだ。

 

 ちょうどその時、ベッドの上で眠っている人物が身じろぎをした。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ―――悪い夢を見ている。自分のサーヴァントに殺される夢だ。

 

 共に出かけたことも、戦ったことも全て嘘だったと、衣冠束帯の男が嘲笑う。

 

「………うああああああああ!!」

 

 悪夢から逃れる手段が起きるしかなかった。それ故に一成は脂汗をびっしょりかいた状態で飛び起きた。しかし悪夢はまだ終わっていなかった。

 起きたのは見知らぬ部屋で、そこには黒髪の美しい少女――いや少年がいた。その姿は、一成が気を失う直前に見た人物と全く同じである。「起きたか」

 

 一成は驚きと恐怖で再び絶叫し、勢いよく飛びのいたせいで壁に強く頭をぶつけて再び失神した。

 

 

 

 

 

「あー……なんか、とりあえずごめん」

「……いや、別に……」

 

 セイバーと会話をしていた時に、突如一成がうなされだして飛び起きた。目覚めは最悪そうだが、とにかく目が覚めたことを喜び明は立ち上がった。

 しかし、一成はセイバーを見ると再び絶叫し壁に頭をぶつけて気を失ってしまった。

 

 言われてみれば、セイバーと明は事の顛末を把握しているが、一成はセイバーに腕を切られたところで記憶が止まっている。つまり、まだアーチャーに裏切られたことも知らなければセイバーもそのマスターの明も敵だと思っている可能性が高い。

 すっかりそのことを失念していた明は若干自己嫌悪に陥った。とにかく心臓に悪いセイバーには一度出て行ってもらい、明は気絶した一成を起すことにした。

 

 もしかしたら攻撃されるかもしれないが、魔術で彼に負ける気はしない。

 

 起すと、流石に警戒心をあらわにして明を見てきたが、もともと人の好い彼の事である。明に対しては半信半疑の様子で様子を伺ってくる。とりあえずこたつに座ることを進め、セイバーが手を付けなかった栄養ドリンクを渡した。

 

 

「……大丈夫?腕痛い?他の場所も大丈夫?」

「いや、痛くない。傷は塞がってるのか……?」

「いろいろやって塞いだけど、ちゃんとできてなかったら言って」

「いや……ありがとう」

 

 重い沈黙が場を支配した。さてどこから話したものがと思っていると、一成の方から切り出してきた。彼の顔からはまた脂汗が噴出している。

 まだ一日も経過していない出来事は、彼の中では鮮烈すぎて衝撃が収まっていないのだ。

 

 

「あのよ……昨日、あのあと、どうなった……?お前のセイバーに、腕を切られたけど……あれ、もしかして、セイバーの意思じゃ、ないとか……」

 

 一成はうっすら気づいている。ただ単にセイバーが一成を殺しにかかっただけではないことに。そして、己のサーヴァントとぷっつりパスが切れていることに。

 

 片腕を失った彼に、さらなる真実を突き付けるのは心苦しい。だが、どうせ知れることでもある。明はあの後の顛末を包み隠さず一成に伝えた。

 おそらく、アーチャーは渡りをつけていた他のマスターのもとにいるのだろうと。

 

 流石に一成は色も言葉も失っていた。そうか、と相槌を返したが他に言葉が見当たらないように見えた。

 

「……この後あなたがどうするかって話だけど、令呪とサーヴァントを失っても、戦争が終わるまで教会に保護してもらった方がいいと思う。腕については私の知り合いにいい人形師がいるから、そこに頼もう」

 

 一成は申し訳なさそうに頭を下げた。今は自分の状態を把握し身体を回復させることで精一杯なのは明とて承知しているが、のんびりしていることもできないのだ。

 とりあえず彼には考える時間が必要で、休む必要がある。

 しかし、青い顔色のまま一成はその面を上げた。

 

「あのよ……聖杯戦争を続けることはできないか?」

 

 予想だにしなかった発言に、明は目を見開いて驚いた。「……どうやって?」

 

 

 

「……気合で」

 

 しかし当の本人も具体的な方策はないようで、明は一気に脱力した。

 

「……もうサーヴァントも令呪もない。それに、あなたは無駄に人がいい。これからもっと大変なことになるかもしれないし、もうこのところで手を引いた方がいいと思う。今は怪我して起きたばかりだから、混乱してると思うし、もう少しだけゆっくりして。でも、そうはいってもあんまりのんびりもしてられない。とりあえず明日、また聞くから」

 

 そこまでして叶えたい願いが、この少年にはあるのだろうか。しかし魔術師らしくなく、かつ気のいい少年が望むものが何かは分からない。

 

 明は結局手を付けられなかった栄養ドリンクを置いたままにして、部屋を後にした。一成の意向は気になるが、すでにライダー・アサシン・バーサーカーの三騎が消滅したことになる。

 

 これで残るは四騎。聖杯戦争も佳境を迎えている――。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 日が地平線の彼方に沈んだ。電気をつけず、貸されたダブルのベッドで寝返りを打ちながら一成はもう何度も思い出していた。

 

「これはこれはいい加減な召喚をするマスターよな」

 

 そう呆れながら言った声が遥か遠い。バカにしていながら、面白がっていながら、それでいて見守るような視線だと思っていた。しかし、それは自分の勘違いで、すべてまやかしだったのだろうか。

 相手は千年の昔、宮廷の世界で君臨し権謀術数に揉まれた長者である。

 年端もいかぬ、しかも単純な一成を騙しおおせることくらい、朝飯前だろう。

 

 

 ――それでも、アーチャーには無駄が多かったな。

 一成を欺くのに、現世の衣装をまとい共に物見遊山に興じることは必要だったろうか。

 一成を欺くのに、わざわざ実家までついてくる必要はあったのだろうか。

 一成を欺くのに、いつもいつも余計な説教をする必要はあったのだろうか。

 

 もちろん現世に興味がある素振りは本当で騙すのには関係なかったとも考えられるし、一成に親近感を持たせるためだったとか、油断させるためだったとか、いくらでも理屈は考えることはできる。

 

 けれど、どうせ裏切る相手に、「私の時代はな、怨霊というものが幅を利かせる時代であった。夢をかなえた者は、叶えられなかった者達の無念を全部引きずっていくことになる」「そなたは自分で願いを決めなければならぬ。魔導が非人道的であれなんであれ、そなたはこの戦争に身を投じたマスターじゃ」と、小うるさく説教するなんて無駄以外の何物でもない。少なくとも一成はそう思う。

 

 今や一成とアーチャーを結んでいたパスはない。マスターの証である令呪も、左腕ごとなくなった。起き上がるのにも歩くのにも、バランスをとることひとつに苦労する。明の魔術か鎮痛剤かで痛みはないし、彼女の知る人形師にかかれば今までの腕とほぼ同じくらいに意思通りに動く義手を作ってもらえるそうだ。

 

 だが、それを差し引いても片腕をなくすと言うことは尋常の事ではない。一成にもそれくらいわかっているし、ショックも受けている。

 

 

 それでも、それ以上にこの聖杯戦争を続ける意思と――アーチャーと再び対峙しなければいけないという気持ちがどうしようもなく、納めがたくあった。

 

(俺、腕切られて壊れたのかな)

 

 普通ならここで聖杯戦争を下りると思う。根源を目指す理由だって今やなく、人を食うバーサーカーは消滅した。明は一般人に被害を出すようなことはしないだろうし、キリエも純然たる魔術師ゆえにバーサーカーのマスターのようなことは進んではしないだろう。

 

 ランサーとアサシンの陣営はわからないが、明とセイバーがなんとかしてくれるだろう。両親も危ないことをするなと繰り返し言っていた。もうやめてしまえと言う声が、心にある。

 

 

 けれど、この戦争の発端を担ったのが我が土御門の家だと知っては、最後まで戦い結末を見届けたい気持ちがある。

 

 けれど、バーサーカーのマスターのような少女さえも戦いの渦に放り込む聖杯戦争を放っておけない気持ちがある。

 

 けれど、あのアーチャーが一体何を考え、何を思い、聖杯に何を願って一成を裏切ったのかを知りたい気持ちがある。

 

(それと、あの女)

 

 春日の管理者、碓氷家七代目当主である明。彼女が自分よりも遥かに格上の魔術師であることくらい、一成とて承知している。しかし、どこか彼女は危なっかしい。

 昨夜のバーサーカー戦でも、傷を負った瞬間は痛がってはいたが、すぐにそれを忘れたかのように魔術を行使していた。魔導という普通ではない道を歩む女はみなこのようなのかもしれないが、明は傷を負っても全く気にしていないように見えるのだ。

 

「っていうか、よくわかんない奴だよなぁ」

 

 バーサーカー打倒の為に碓氷邸を訪れた時は、冷静な魔術師然とした女だと思っていた。だが、昨夜共に戦ったという経験を経てからはそのイメージに揺らぎが生じている。

 一成は魔術師を止めた。己のするべきことをするために、魔術使いでいようと決めた。

 だから人が死ぬのは嫌だし、殺すのだって嫌だ。

 

 それに引き換え、純正魔術師であろう彼女は神秘を漏えいしかねない、という意味では咲に怒りを覚えることはわかるがその死を嘆く必要はない。

 昨日、明は咲を殺そうとするセイバーを止めた。結局既に彼女は息絶えていたわけだが、もしあの時まだ咲が生きていたとしても、彼女はセイバーを止めたのではないのか――そんな気がしてならない。

 

 それに、彼女にはここまで丁寧に一成を世話する義務はない。早い話、あの波止場に一成を放置してもよかったし、セイバーを止める必要もなかった。

 それでも彼女は一成を助け、考える時間まで与えてくれているのだ。

 

 

「――だから悪い奴では……ないよな?というか、これって借りだよな」

 

 明のことはここで考えても仕方がない。それより、自分のこれからだ。左腕と令呪はもうない。今度は本当に死ぬかもしれない。それでも、己が剣すら失って戦うなど自殺志願者でしかなくても、みっともない姿をさらしても、ここで終えることはできない。

 

 

 ――まだしなければならないことがある。

 

 一成の心など、とっくに決まっていた。一成は一人頷き、気合をいれてベッドに寝転がっている状態から座っている状態になり、右手で膝を叩いた。

 

 

「よし「元アーチャーのマスター。食事だ」

「ぎゃあああああああああああああああ!」

 

 ノックもなしに扉が開かれ、一成は悲鳴を上げた。その悲鳴は驚きによるものだけではなく、本能的恐怖によるものでもあった。部屋の入口に立っているのは、一成の腕を切断したサーヴァントである。それが彼の意思でなかったとはいえ、そうそう簡単に恐怖がなくなることはない。

 

「なななななななんだ!」

「マスターが食事を作った。早く来い」

 

 迎えに来たセイバーは一成の狼狽を全く斟酌せず、伝えるべきことを伝え一成を促した。

 

 

「食事……?」

 

 言われてみれば昨夜の戦いから何も食べていない。怪我の事、アーチャーの事、これからの事を考えて悶々としていたため腹具合など全く考えていなかった。

 自分でも現金だと思いながらも、一成は食事の話を聞いたとたんに腹の虫がうずくのを感じたのであった。一成は反射でベッドの端まで飛びのいてしまったが、そろそろと警戒しつつセイバーの後をついて部屋を出、階下に向かう。

 

 セイバーはいつもの衣袴ではなく、Gパンにタートルネックという現代の服装をしていた。アーチャーも現代衣装を楽しんでいたのでそのことについて驚きはなかったが、何かセイバーに対しては不思議な違和感があった。

 

 今までセイバーと共に居たのは、ほぼ戦いのときだけである。また、この碓氷邸に交渉に来たときにはお互いにサーヴァントを連れていたからだろうが、緊張した空気が漂っていた。

 セイバーが凛として真冬の寒気のような雰囲気を醸し出していたのは、良く覚えている。

 

 今が戦うときではないからというのもあるだろうが――

 

 

(にしても、なんつーか、ご機嫌なのか?)

 

 セイバーがにやにやしているわけではない。表情は変わっていないが、纏っている雰囲気が、いうなればいつもより春っぽいのである。

 

「早く来い元アーチャーのマスター」

 

 一足先に下りたセイバーが、下から見上げて呼んでくる。嫌がらせなのか何も考えていないのか知らないが、一成にとってその呼び方で呼ばれるのはかなり不愉快だった。

 

「おい、その呼び方やめてくれ。名前で呼べよ」

 

 勿論自己紹介もし、マスターの明は一成を土御門と何度も呼んでいる。セイバーもそれを聞いているはずだから、知らないことはないだろうと思っていた。

 が、セイバーはじっと一成を見つけてから何やら考え込んでしまったのである。一成の脳裏にひょっとしてこいつ、覚えてないんじゃないだろうかという考えがよぎった時に、セイバーが顔をあげた。

 

 

「……土御門カス成、早くしろ」

「どんな間違え方だ!お前わざとだろ!!悪意しか感じねぇ!!」

 

 渾身のツッコミはあえなく無視され、一成はあわや階段から落ちるという惨事一歩手前であった。

 

 

 

 

 

 釈然としない何かを抱えながらも階下に降りると、クリーミィなにおいが一成の鼻をくすぐった。シチューかグラタンか、その類の匂いだ。

 始めて訪問したときも思ったが、本当に異人館のお屋敷である。ホールに面した食堂の中に、古びて艶のある木で作られたの六人掛けテーブルがある。その上に三人分のグラタンと野菜スティック、デザートらしき杏仁豆腐が置いてあった。

 棚の上に無造作に置いてあるテレビがつけられ、ニュースキャスターが春日市の話題を取り上げていた。

 

 セイバーは早くも黙々とグラタンを食しており、時々ニュースに目をやっている。

 一成は空いている席に腰かけてから、重大なことを思い出した。

 

 そういえば、セイバーのマスターは女子大生だったといことを。

 そして、目の前には女子大生の手作りグラタンやらデザートやらがあり、この家は女子大生が一人で住んでいる家であることを―――!

 

 

「早く食べないと冷めるよ」

「うわ!!」

 

 エプロン姿でタバスコを持ってきた家主が、首を傾げながら言った。一成の頭を席巻していた事象そのものが真ん前に姿を現し、一成は椅子からひっくり返りそうになった。

 

 姿かたちはセイバーの方が整っているが、彼は中性的な美しさである。明はスレンダーで目鼻立ちが整っており、どこか憂いのあるところがまた女性的な魅力となっている。

 

 青春真っ盛りの男子高校生なりに思うところはあるのだが、彼女の隣に座って野菜スティックを二刀流でもりもり食べるサーヴァントも視界に入るのでテンションは微妙である。

 

「……どうした、マスターの食事は極上というわけではないが食べられる味だ」

「……お、おう」

 

 セイバーの微妙に失礼な料理評価のあと、一成がスプーンを手に取り、グラタンの一口めを口に運んだその時だった。「最後の晩餐だ、心して食べておけ」

 

「「ブッ!!」」

 

 一成と明が同時に口に含んでいたものを噴出した。シンクロした動きをする二人を見て、セイバーはどうしたと言わんばかりに眉を顰めた。先に復活した明が頭を抱えながら問うた。

 

「……セ、セイバー、どういうこと?」

「昨夜、お前はこいつを殺すなと言った。その意味を俺なりに考えた。こいつもこいつで俺たちと同盟する以前にも戦い、他の陣営の情報を知っている可能性がある。安定して話せる程度まで回復させた後、情報を吐かせたのちに殺す。と、そこまで考えた」

 

 セイバーは妙に鼻高々でご機嫌に野菜スティックをむさぼっているが、一成は硬直するしかできず明も口をあんぐりあけている。

 

「?どうしたマスター。ああ、殺すときは適当な場所を選びここではしない。血で汚すと面倒だろうからな」

「……いや、あの、そうじゃなくて」

 

 明はスプーンを握りしめたまま、何度か逡巡した後意を決して口を開いた。

 

「……私は土御門を殺そうとは思っていないよ。知っていることは喋ってもらう。けどちゃんと落ち着いてから、教会に保護してもらう。そして戦争が終わるまで、そこにいてもらおうと思ってる」

 

 しん、と静まりかえる。先ほどまでの少し和やかな雰囲気は消えて、重い空気が食卓を支配している。一成もその話の俎上に乗っており、かつ生死を握られているはずなのだが、むしろセイバーと明の間で空気が重い。

 

「……以前、お前は「関係ない人を戦争に巻き込んではいけない」と言った。俺には面倒なしがらみとしか思えないが、それが明の管理者、魔術師としての責任と使命であるならばよいと思った。与えられた使命と責任は果たすべきモノだ」

 

 しかし、とセイバーは息を吸った。

 

「この男は「関係のない人間」ではない。戦争に主体的に参加している者であり、サーヴァントがなくともマスター。はぐれサーヴァントさえいれば、いつ敵に回るかわからない。ならば殺すべきだ」

「俺はたとえまたサーヴァントを得ても、碓氷を殺さねぇし人食いなんかもしねぇ!……ッ!」

 

 席を立ち叫んだ一成の首には、既に金属のひやりとした感触があった。彼の目の前には同じく立ち上がり、銀色の何かを持ちそれを一成の首に当てているセイバーがいる。

 剣の英霊の目は揺らぎなく一成を射抜いているが、それに怯む一成ではない。

 

「お前が悪い人間ではないことくらい、初めて見た時から知っている。だが、こと戦時においてそれは関係ない。条件さえそろえば人は何でもする。――お前は、同盟の際「関係のない人を殺すバーサーカーを放置できない」の類のことを言っていたな」

 

 一成は冷や汗を背に流しながら、肯定する。「……言った」

 

「ならば、何故あの時あの娘の前に立ち、俺の前に立ちはだかった?あの娘のサーヴァントは消えたが、令呪が残っていた。再びサーヴァントさえ得れば、あの娘は再びお前の忌む「人食い」をなす可能性が高い。そうなればまた「関係のない人間」が大量に死ぬだろう」

「……!」

 

 セイバーのいうことは限りなく真実だ。真凍咲が生きていて、サーヴァントを得たらおそらく彼女は人を食ってでも戦いを続ける。

 たとえサーヴァントによって死にかけようと、余命半年の咲は最初から命の危機に瀕していたのであり、その程度で心変わりするとも思えない。仮に今彼女が生きていても、彼女の考えはきっと何も変わっていない。結果として彼女が死んだから、状況が丸く収まっているように見えるだけだ。

 

「……敵も味方も全てを救えるのならば、それが最も良いのだろう。だが、それは俺には無理な相談だ。敵を殺さぬと決めて生かし、その後殺さなかったことでにさらに惨事が広がるのならば俺は殺す」

 

 セイバーは銀色を一成に突きつけたまま、その眼を明にも向けた。一成が真凍咲を殺すなと言ったのと同じように、明が一成を殺さないとしたことに対して、問うている。

 

「俺がお前に渡せるものは勝利のみ。救うだの何だのは専門外であり、またこの戦いで考えることでもない、だから――お前が魔術師としての責務を果たすならば、殺すことを選べ」

 

 再び、場が硬直した。セイバーの言葉は間違っていない。敵マスターは殺すもの。一成はセイバーを警戒したまま、視線だけを明に向けた。彼女は魔術師なのだ――ここまでの厚遇が異例であることも、一成は知っている。それでも、明は首を振った。

 

「――やっぱり、土御門は殺さないよ。土御門は、そんなことしない。そんなことしない人間を、むやみやたらに殺したくはないよ」

「……ならば、仮にこの男がマスターの目から見て明確な「悪」であれば殺していたか」

 

 明は黙った。その顔が妙に悲しげで、かつ諦めたように力がなかったのが、妙に印象的だった。

 

「……うん」

 

 暫くの間をおいて、セイバーは一成の首元に当てていた銀色――それはスプーンだったのだが――を離し、席に座りなおした。一成は大きく息を吐いて、どさりと席に着いた。

 セイバーは不承不承を隠さない。

 

「マスターがこの男を生かそうとするなら、俺が殺すわけにもいくまい。だが、見誤るな。完全に戦争においては余計な考えだが、にも拘らず誰かを救うのならば、それはお前の仕事だ。それに、何者にも全てを救うことは不可能だ。だから、選ぶしかない」

 

 その時は確実に来る、とセイバーの目は告げている。明が少し躊躇いがちに頷くと、ひとまず全員席に着き直し、食事が再開された。一成などはまだ警戒しながらセイバーを見ていた。

 

 かちゃかちゃと食器の立てる音、食事を咀嚼する音がする中――再びセイバーがスプーンを握りしめてものすごい勢いで明の方を向いた。しかもやたら近い。おそらく二人の顔の距離は十センチくらいしか離れていない。一成はまた吹き出しそうになった。

 

 

「!?何?」

「今の話でひとつの可能性を失念していた。確認事項がある」

「あ、うん、何?っていうか近くない?あと口の端にホワイトソースついてるよ」

 

 見つめるというよりは半ばガンつけている状態で、セイバーは明に真剣に尋ねた。

 

「まさか、よもや、地球が逆回転を始める程度にはありえないとは思うが――明、この男を好いているということはないだろうな」

「ブッ!!」

 

 本日二回目の噴出しをしてしまったのは一成だけで、明はセイバーと一成の顔を交互に眺めていた。今までシリアスな話をしていたくせに、突然の方向転換だが剣の英霊は大真面目だ。

 

 正直一成とて其の手のことを、これまで全く考えなかったわけではない。ただ戦いの中で考えるには完全に余計なことで、またそういう緩い雰囲気にもならなかったので考える隙も殆どなかった、というのが彼の正直なところだった。

 

「え?あの、なんで今の話の流れで私が土御門を好きってのが問題になるの?」

 

 何の動揺も見せない明を見て、セイバーは落ち着きを取りもどしかけていた。しかし。

 

 

「いや好きだけどさ」

「ううううううじゅいいいい!?」

「ハァーーーーーーーー!?」

 

 セイバーと一成の奇声が見事にハモって、明は騒音に顔をしかめていた。セイバーはまさかと言わんばかりに視線を明と一成の顔を行ったり来たりさせ、一成は一成で完全に挙動不審と化して、顔を赤くしたり白くしたりして逆に明の顔をガン見しているありさまだ。

 

「マスターがどの男と番うかなど自由だが、それはこの戦いが終わった後にしろ!惚れた腫れたの念は判断を妨げる!それ以前に相手は敵だ!」

 

 狂瀾の男二人に対し、明は落ち着き払ったもの、というよりはここでやっと勘違いに気づいた。

 

「あ、好いたってそういう感じ?いや土御門いい奴だし好きな方だけど、惚れたとかとは違うんじゃないかなぁ。というかセイバーだって東征で女連れだったくせに」

 

 セイバーはその答えを聞いて胸を撫で下ろし、いつもの口調で答える。

 

「……二人は敵ではなかったし、美夜受は婚約だけして結婚は東征帰路だ。それに弟橘に関してはアレがヘンなのだ。出発前から来るなときつく言っておいたのについてくる、追い返してもついてくる……その点に関して現代におけるゴキブリ並みの粘り強さをを見せたぞ」

「そのたとえはかわいそうだからやめた方がいいと思……って土御門?」

 

 すっかり通常運転の剣主従に対し、一成はスプーンを握りしめたままテーブルに突っ伏していた。それは然も在らん、己がサーヴァントに裏切られ左腕を失い、多少休んで落ち着いたものの再びセイバーにより死の気配にさらされ、その上そこからの思春期には振り向かざるを得ない話題による精神的動揺によるものだった。

 

 彼女いない歴=年齢、埋火高校二年非モテ同盟番長(他称)の名を恣にする土御門一成十七歳は、完全に燃え尽きて真っ白になりテーブルに沈没していたのだった。

 

「……やっぱりまだ疲れてる?無理して全部食べなくていいよ」

「……オウ……ありがとよ……」

 

 完全に勘違いした気遣いに、一成はくぐもった声で答えた。もしかしたらものすごく面倒くさい陣営に助けられてしまったのかもしれない。

 燃え尽きた一成など綿埃程度にしか思っていないセイバーは、既にグラタンを完食してデザートの杏仁豆腐に手を付けていた。

 

「マスター、もしやとは思うが、この杏仁豆腐とやらは塩と砂糖を間違えていないか」

「えっ嘘……うわっ……」

 

 

 明まで失敗杏仁豆腐の方に気を取られ、哀れ一成を気遣うものはいなくなったのであった。

 




セイバーにかかればスプーンもナイフも大差なく凶器

恋愛偏差値は一成>セイバー>明 
一成が高いのではなく、セイバーと明の偏差値が地を這っているだけ

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