Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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12月2日② 三者三様陣営模様

 食後の片付けも終わり、明はリビングのソファに横たわって寛いでいた。リビングの白い天井を見上げてから目を瞑った。昨日消費した魔力を回復しきるにはゆっくり休むことが一番である。

 ないとは思うが、もしランサーやまだ見ぬキャスター、行方知れずのアーチャーが襲ってきても対応くらいはできるほどには回復するだろう。

 

 現在一成は明の父、先日までセイバーが使っていた部屋で寝ている。セイバーと同じ部屋では寝にくいと一成が言ったので、セイバーには同じ二階の客間で寝てもらうことにした。セイバーはいつもこたつで寝るので、こたつが設置できればどこでもいいようだった。

 

(この家がこんなに人がいてにぎやかなのって久しぶりだなぁ、って言っても三人だけど)

 

 明の母は、明を生んだ直後に産褥死している。姉一人がいたが、明が六歳の時に養子に出されてしまってそれ以来会っていない。この屋敷は父と明だけで済むには広すぎる。

 

 父がいたころには家政婦を雇っていた時期もあったが、家政婦が誤って地下室に入ってしまう事件があってからは呼んでいない。掃除は手間だが、おおむね魔術でなんとかしている。

 

 その上、明が高校卒業時にちょっとした騒動を起こし、その始末の為に父は時計塔に渡ってしまっている。それきり明は屋敷に一人である。そうではなくとも元々父は家にいつかないタイプで、月のほとんどを留守することさえザラだったから、特に時計塔に行ったからと言って何かが変化したわけではない。

 

 家でのだんらんどころか、家に誰かがいるということ自体が久しぶりだった明は新鮮味さえ感じていた。

 

 常に傍に人がいるということは、鬱陶しいような安心するような、複雑な感覚である。

 

 けれど、それも今だけの話だ。一成は聖杯戦争を離脱して教会に身柄の安全を確保され、セイバーも戦争が終われば座に戻る。束の間の喧騒――表現するならばそれが最もふさわしい。

 

 明は己以外の気配を感じながら、静かに眠った。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

(……魔力の質が変わったか?)

 

 アサシンは闇に溶け込んだような黒い雨合羽を風にはためかせ、鼻をひくつかせた。昨夜までこの街を覆っていたのはおどろおどろしいほどの怨念のこもった魔力だった。

 だが、それは恐らくバーサーカーのそれであり、倒された今となってはその種の魔力を感じることはない。

 

(だが、こっちもお上品な魔力とはいえねぇな)

 

 バーサーカーの時のような、触るものを殺していくような凶悪さは感じない。だが、薄く感じる今夜の魔力は人を蕩かすような甘美さを持っているように思える。

 退廃的で堕落を招き、それでいて人を取って食うような魔性。

 

「おいアサシン、もう出ていいか」

「おっとっと」

 

 コートをまとった中年の男が、アサシンの雨合羽の中から突然姿を現した。アサシンの宝具『金襴褞袍(かぶきのいしょう)』に収まり、アサシンによって運ばれていたのだ。

 

 昨夜のバーサーカー戦のショックが尾を引いて、帰宅してからの悟は夜が明けて再び日が暮れるまでカスミハイツに閉じこもったままだった。そこをアサシンが宝具に引っ張り込み、外に連れ出したのである。アサシンは湿っぽい部屋の中に閉じこもったままでも腐るだけだと思った。

 

 

「ってかここ寒いな……!」

 

 そういうわけでアサシンに連れられてきた悟は、宝具から出るなり外気の寒さに身を震わせた。足元は芝生で、柔らかく地を踏みしめている感覚を与えてくる。

 にやりと笑うアサシンは、ある方向を指差した。その先には何もない。ただ師走の漆黒の闇の中に、叢雲かかる月が浮かんでいる―――。悟は思わず感嘆の息を漏らした。

 

「……ここ、スゴイ穴場だな」

 

 春日駅から南を望むと、住宅街が広がる奥に丘があるのが見て取れる。大きな自然公園の中にある丘で、少々市街地からは離れている為、悟は今まで来たことがなかった。

 他より高い場所にあるのだから、景色が良く見えるのは当然である。だが、ここは一味違った。

 

「現代の夜景も悪くねぇな。俺としては春だともっといいんだけどな」

 

 下には住宅街の明かりが点々と光る。それより遠くに目をやれば、春日駅周辺のビルの明かりがきらきらと宝石のように輝いている。遥か上空は、その人の営みを見守る白い満月が静かに白光を宿している。薄くかかった雲が白光を和らげる。

 

 丘の上という場所ゆえに、街中と違いここの光源は空の月だけだ。それでも悟にはアサシンの姿がはっきり認識できるし、影だってできるくらいに月は明るい。

 

 

「酒なんてもんは肴がなくても、年がら年中月見て飲んでりゃいいんだよ。っつーと、どこに入れたか」

 

 アサシンは半纏の袖の中をひっかきまわし、日本酒の瓶と杯を二つとりだした。そして一つを悟に渡し、酒をなみなみと注いだ。自分も盃を掲げ、透明な酒に月を宿す。

 

「どこで盗んだか忘れたけど、俺が盗むもんに間違いはないぜ」

「……おまえのその、宝具だっけ?の中、なんか埃っぽかったんだけど大丈夫なのか?」

「ん?盗んだはいいけど整理とかしねーからな。まいったまいった」

 

 貯蔵の蔵ではなく一時保管の意味合いが強いアサシンの大風呂敷は、あまりに物品を放置しすぎるといつの間にか無くなるそうだ。その盗品がどこに行くのか、アサシンですらわかっていない。

 悟は飲んでも大丈夫なのかと訝しんでいたが、当のアサシンは自分で注いでぐびぐび飲んでいる。ついでに芝生に腰を下ろしてもいた。

 悟も諦めて腰を下ろして、冷えた空気のなか二人は酒を飲む。アサシンの酒は辛口だったが、自己申告通り後味が爽やかな佳い酒だった。

 

 

「……おい、悟よ」

「何だよ」

 

 雨がっぱをかぶったアサシンは、妙に改まった口調で主人に声をかけた。

 

「お前、本当に聖杯戦争をやるのか」

 

 一陣の風が吹き抜けて、芝生の草が一斉になびいた。薄く広く魔力をはらんだ春日の大気は、聖杯戦争の存在をいつでも知らせる。悟とて、忘れたわけではない。

 昨夜の激闘、人ならざるサーヴァント同士の戦い、左腕を切り落とされた少年、魔力の枯渇により命を燃やし尽くした少女。特に命を落とした少女は、娘を持つ悟にとっては目を背けたいものであった。

 

 答えない悟に対し、アサシンは酒をあおりながら話し続ける。

 

「あれが聖杯戦争だ。命をかけるこたぁ、命しかないやつがやるもんだ。悪いこたいわねーから手を引け。おめーには娘も妻もいるだろーが」

 

 命を懸け、人の命を奪い、己が望みを叶える。鉄の如き意思を持たずして乗り越えられる道ではないし、悟の願いは聖杯では叶わない。アサシンはそう思う。

 

 それでも、一人きりの男は目の光りを消さずして確かに答える。

 

 

「……いや、俺は戦う」

「お前」

「お前、命をかけることは、命しかないやつがすることって言ったな。そうだ。俺にはこの命しかない。昔の幸せを取り戻せるなら、俺はそれでいい」

 

 自分には何もない。小さいころから勉強ができたわけでもなく、得意なことがあったわけでもなく、豊かでもなく、貧乏くじばかり引くタイプだった。それでも高校を卒業し、食べていけるくらいにはなり、妻と結婚し子供をもうけることができた。

 それが人生で一番幸せだった。しかし、いわれなき罪を押し付けられて、妻と子はいなくなった。

 

 

 悟は再び、気づいたのだ。

 

 自分はやはり、貧乏くじばかり引く。何もできない、つまらない人間。妻は地方の名士の家柄で、自分がいなくてもきっと新しく自分より良い男と再婚できる。

 そんな自分が過去を取り戻そうとするならば、捧げられるものなんてそれこそ命くらいだ。

 

「俺は戦うよ。アサシン。魔術のマの字も知らないマスターだけど」

 

 アサシンは盛大にため息をついた。バーサーカーの戦いを見てまでやめないと言うのならば、これは付き合うしかないとの諦めのため息である。

 

「……ったく想像以上にどうしようもねー奴だな」

「な、何がどうしようもないんだ」

「気にすんな。……とにかく、マジで戦うしかねーようだ。ま、お前に助けられた命だからな、俺のいる限り護ってやるさ」

「……俺がお前を助けた?」

 

 本気で首を傾げた悟に、アサシンは本気で脱力した。忘れたのか、それとも助けたことと認識していないのか、恐らく後者であろう。

 

「バカ。最初にお前に会った時、俺は消滅寸前だったつったろ。あそこでお前が契約しなきゃ俺は今ここにいねーんだって」

「つか契約も何も気づいたら契約してたから、助けようと思って助けたわけじゃないぞ」

「細けぇこたぁいいんだよ」

 

 空になった杯に日本酒を並々と注ぎ、アサシンは遠く遥かに月を見上げた。月光を浴びて紅葉に染まりきった木々が、光と影を織りなして二人に投げかける。

 何事もなく一時に運命を共にする者と酒を静かに飲める時など、きっと数えるほどしかない。

 

「お前は自分の命を、腐った体とかつまらない心だって言ってたな。だけどよ、それは俺も同じだぜ」

「……?英霊、サーヴァントってのは生前偉業をなした英雄がなるもんって、お前言ってなかったか?」

「英霊にもいろいろあってな。実在していよーとなかろーと人の信仰、想念っつーのか?が集まれば英霊になるんだぜ。例えばかぐや姫なんつー英霊もいるからな。俺はどっちかといえばそういう奴だ」

 

 悟は驚いたが、それでもアサシンが悟と同じということには繫がらないだろう。人の信仰を集めるには、それだけの活躍があるものだ。黒い雨合羽を脱いだ姿を知り、大盗賊と言ってはばからないアサシンの真名については悟も見当がついている。

 

 戦国に生まれ、現代でも大盗賊の代名詞たる英霊は、彼自身を披歴する。

 

 

「俺は生前、一介の庶民だった。時は戦国、戦火に巻かれて俺の親は死んだ。俺は生きるために盗賊になった。最後には豊臣の手につかまり、子供や妻もろとも釜茹でにされて死んだ。生前の俺はそれだけだ」

「……あれ、アサシン実は忍者だとか寺に上って「絶景だ―!」って言ったとか、そういうことしてたんだろ」

「一介の泥棒がそんなスペックもってるわけねーだろアホかお前。ついでに泥棒が目立ってどーする」

 

 雨合羽の下がド派手衣装な盗賊のセリフとは思えない。悟は何か理不尽な気持ちになった。

 

 

「死にざまがエグいせいかもな。後世、江戸時代だな、俺をモデルにたくさんの歌舞伎が演じられ、豪く脚色された。猿関白を殺そうとしたとか、南禅寺の門に住んだとか、実は伊賀の忍者とか色々な。お上に対する庶民のはけ口っつーの?俺は人の思い描いた想念に、生前の記憶が塗りつぶされてんだよ。要するにだ、」

 

 だから、実在はしていたが半分は物語上の英雄のようなものだとアサシンは語る。すでにアサシンは過去実在した人物ではなく、人々の願った英霊に成り果てている。生前の記憶を薄れさせ、英霊なる存在に祭り上げられる気持ちなど悟には想像が及ばない。

 

 

「そういう英霊だからな、要するにだ」

 

 しかし己を語るアサシンに曇りの色はない。彼は杯に注がれた酒を飲み干すとやおら立ち上がり、月光を背に腕を組んだまま高らかに宣言する。

 

 

「俺という英霊は――お前みてーな、腐った体でつまらない心を護るためにこそある」

 

 人びとが描いた想念(ユメ)たる暗殺者の英霊は、威風堂々と笑うのだ。

 

「とはいっても、俺は弱い激弱だ!どうする」

「お前はほんとに上げて落とすよな……」

 

 不覚にも感極まってしまった悟だが、謎の心得のあるアサシンはばっちりと落としてくれた。涙は引っ込んだ。だが、闘う以上は戦略を練らねばならない。

 ことにアサシンはサーヴァント七騎でもお世辞にも強いクラスとはいえないのだから。

 

 

「アサシンの常套手段でいけば、マスターを殺しまわることだな」

「できれば、それは避けたい」

「言うと思ったぜ、ったく。俺は逃げ足には自信があるから、基本は逃げまくるが……」

「そういや、アサシンの宝具ってあの褞袍だけなのか?」

 

 昨夜の戦いでバーサーカー・アーチャー・セイバーの宝具を奇しくも目撃した悟は、アサシンにも攻撃用の宝具がないか期待した。しかしアサシンは渋い顔をした。

 

「他の宝具はあるにはあるぜ。だけどよ使い所がめんどくさいっつーか、なんつーかテクニカルっつーか。とりあえずあのセイバーみてーなわかりやすく派手なもんじゃねーぞ」

「お前見た目は派手なのに変だな」

「オイコラ」

 

 悟をどつこうとしたアサシンの腕は軽々と躱された。ここにきて初めて聖杯戦争という舞台に立った二人だが、アサシンの願いは聖杯にはない。

 

 全く狙っていないわけでもないが、彼の目的は既に別にある。

 

 異なる夢を抱き、何もないという男と庶民の想念たる英霊は戦いに臨む。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 アサシンと同じ月を、少女――キリエスフィール・フォン・アインツベルンとキャスターは見上げている。しかし、彼女たちが腰を下ろしている場所はアサシンたちよりもずっと高い場所にあった。そもそもキャスターは腰を下ろしているのではなく、一つ背の高い木の上にふわりと立っているのである。その彼女の腕に抱かれているのがキャスターのマスターだ。

 

「ご主人~まだだめ?わたしもうお腹いっぱいよ~」

 

 鈴を転がすような声でありながら艶めく女の声だった。そのふっくらした唇を塞いだのは、キリエの小さな手である。その手の甲には、六画の令呪が刻まれている。

 

「もう少ししたら運動させてあげるわ。もう少し我慢なさい、キャスター」

「私もバーサーカーみたいに生の人間を食べたいわ。お腹は一杯だけど、なんというのかしら?おかゆばかり食べてお腹を膨らませている気分だもの。私、バーサーカーのマスターに召喚されたかったわ」

 

 キャスターの不平を少女は笑って受け流す。

 

「私だってまさか召喚に失敗するなんて思ってなかったわ。おかげで御爺様にはひどく叱られてしまったし、出てくるサーヴァントは殆ど魔物だし。うまくいってたら私のサーヴァントはセイバーだったのよ?」

 

 挑発をするように、キャスターのマスターは赤い瞳を細めながら豊かなキャスターの髪を弄ぶ。戯れるようにその挑発に乗るキャスターは、マスターの顎を撫でる。

 

「あら?ご主人はあれを御所望なのかしら?それは残念だわ」

「あら、ヤキモチかしらキャスター?」

 

 キリエはくすくすと笑う。少女とキャスターのやりとりは、何でもないやり取りでもどことなく蠱惑的な雰囲気が漂う。

 人に似て人ならざる少女とその使い魔は、契約によるパスのみではなく、人ではないということを縁として繋がれている。

 

 

「悪いけど、もう少し待ってちょうだい」

「仕方ないわ。それに、もうすこしできればこの姿のままでいたいし」

 

 キャスターはマスターを抱え、木の上から一歩足を前に出した。当然、そこに足場となるものは何もない。ふわりとキャスターは落下する。そこに焦りの表情はない。煙にまかれて、まるで雲に乗っているかのように飛行する。

 そして山のふもとに突如現れる、西洋風の館の前にゆったりと着地した。

 

 キリエは丸々一分をかけて詠唱を完了させると、空から忽然と西洋の館が姿を現した。そこにあった樹木などなかったように鎮座し、庭こそないものの重厚な白いレンガで整えられた館は三百坪程度の規模をもつ。玄関の木製扉が勝手に開き、キリエが指を鳴らすだけでシャンデリアが灯り、館は熱を得る。ホテルのロビーのようなエントランスは、左手には牛革のソファを置いている。

 

 キリエと、キャスターと手伝いのホムンクルス数名のみの館には、昨日から新たな人物が加わっていた。

 

 黒い束帯に冠をつけ、飾り太刀を携えたアーチャーが、まるで我が家であるかのように寛いだ姿勢でソファに身を沈めている。帰った来た二人に気づいたアーチャーは、姿勢を変えず会釈をした。「今帰ったのか」

「ええ、この山の具合を見てきたわ。準備は整ってきたようだけど、まだね」

 

 キャスターの腕から降りたキリエは、かつかつとアーチャーに近づいた。

 

「それは重畳」

「そういえばアーチャー、カズナリ・ツチミカドは生きているのよね?」

「昨夜も伝えたろう。おそらく生きておる」

 

 どこか安心したようなキリエの様子に、アーチャーの方が尋ねた。まだ正式に契約を交してから一日経っていないが、彼女は一成よりも遥かに魔術師であり、また聖杯を得ようとする意気込みも並々ではないことを感じ取っている。

 

「姫、アレの事を気にかけているようだが?」

「彼はなかなかの紳士だったから。殺すには惜しいわ」

 

 マナーは失格だけど、私をちゃんとエスコートしてくれたし。と、キリエは実年齢とはかけ離れたあどけない笑みを浮かべる。生まれてからその人生を閉鎖した城の中で、限られた従者とだけ生きてきたキリエは人生経験そのものが少ない。其れゆえの素直な笑みであった。

 

「私は部屋に戻るけど、キャスターは?」

「私はもう少しここにいるわ」

 

 にこにこと手を振るキャスターを一瞥して、キリエは静かに螺旋階段を上っていく。それを見送ってから、キャスターはアーチャーの向かいのソファにどさりと腰かけた。

 キャスターは魔的な色香が漂うにもかかわらず、一つ一つの動作が妙に荒い。

 

 

「何用か、キャスター」

「別に用はないのだけど。あなたは私たちの一味になるのだから、どんな人なのか知っておこうと思ってね」

 

 一味とはまるで山賊か何かのような言い草だと思いながら、アーチャーは苦笑した。

 しかし想定したキャスターの真名から鑑みれば、荒い動作も言葉使いも納得がいく。アーチャーは扇で口元をかくし、嘆息する。

 

「どんな人とは、これまた奇異なことを聞くものよ。もうそなたは私の真名を知っておろう」

「ええ、知っているわ。人間の中の人間、それがあなた。それでも共に戦う仲間は仲間なのだから、知ることは必要だと思うの」

 

 このキャスター、一見して腹の底の読めない女に見えるがその実考えていることは恐ろしく単純である。英霊というよりも魔物の類であるが、そうなればアーチャーにもキャスターの正体は読める。

 アーチャーはこれ見よがしにため息をつくが、それを気にするキャスターではない。

 

「それで、そなたは何が聞きたいのだ」

「そうね……じゃ、聖杯にかける願いは何?」

「聖杯に尋ねたいことがある。それだけよ」

「何を尋ねたいかが肝心じゃない、もう。でも流石に栄華の頂点を極めた人には、特に欲しいものとかはないのね」

 

 キャスターはつまらなさそうに唇を尖らせたが、すぐに笑う。アーチャーはそのようなことはないぞ、と否定する。

 

「手に入るものが多ければ多いほど、手に入らないものの存在が目障りになってくるものだ。生前の私とて、ままならぬことなど山の様にあったわ」

 

 一瞬の間が空いて、その後にキャスターは口を手で覆い腹を抱えて笑い出した。

 人ならざる身のキャスターは、そのような煩悶とは無縁らしい。

 

「……手に入らないものが多くても苦しくて、手に入るものが多くても苦しいなんて、人間ってホント病気ねぇ!!」

「そなたにはわからんよ」

「ええ、わからないわ!次から次へ欲しいものがある気持ちもわからないわ!私は最初から欲しかったものだけあれば、それでいいもの!」

 

 道化扱いされて笑われながらも、アーチャーは不愉快の色を貌に表さない。アーチャー自身、自分の願いが道化じみていることくらい自覚はしているのだ。

 しかし、そうでありながら聖杯を求めるほど、アーチャーは餓えている。

 

 ――栄華に塗れて溺死した。栄華と言う酒に浸かり切ったアーチャーは、それゆえに飢えることになる。

 

 アーチャーの心中をよそに、キャスターは極めて上機嫌である。小首を傾げて楽しそうに笑う姿はとても美しい。

 

 

「ご主人が何で外で観光したがるのか、ツチミカド?を気にするのかわからなかったけれど、その気持ちが少しわかった気がするわ。他のサーヴァントが何を思ってここにいるのか――戦う前の暇つぶしにはもってこいね」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 日が暮れた春日教会の礼拝堂の椅子に腰かけ、長い溜息をつく妙齢の女が一人。その隣には書類がまとめて置いてある。黒い修道服はどこかくたびれて見て、其れも相まって彼女の体から発散される疲労を強調する。

 

「ふぅ、これで一応ひと段落ってところね……」

 

 神内美琴は自分で自分の肩をもみながら人心地つく。昨夜のバーサーカー討伐戦の後処理に今の今まで奔走していたのである。複数回爆発が起こったかのような散々な状態の倉庫街の事故に対するマスコミ対応、修理費。さらに一昨日、春日駅近くのオフィスビルでも戦闘が行われたようで、そちらの対応も他の教会スタッフと行っていた。

 

 しかし全身を疲労につつまれながらも、美琴の顔はどこか晴れやかだった。

 

(ちゃんとやってくれたわね、明)

 

 人びとを食らうバーサーカーは消えた。春日を脅かす脅威は去った。聖杯戦争の円満なる終焉を望んでいる美琴は、セイバーのマスターに向かって笑う。

 

 残るサーヴァントはセイバー、ランサー、アーチャー、キャスターの四騎。ランサーの報告によれば、一度アーチャーとは交戦しているそうだ。そしてガンナーなる謎のサーヴァントが現れたそうだが、霊器盤にも新たな反応がなかったため、消去法で考えればそれはキャスターということになる。

 

 となれば、教会はランサーにより全てのサーヴァントを把握したことになる。

 

 ランサーの報告によれば、ガンナーことキャスターはとても素早く多彩な攻撃法をもっており、同時に固有スキルか、気配遮断に似たものをもっており補足が難しい。

 宝具は展開されていないが、攻撃力は高くない。そして彼のマスターだが、アインツベルンの消息が未だに知れないことからすれば、おそらくそれだろう。

 しかし聖杯に執着するアインツベルンが、そう強いクラスではないキャスターを何故選んだのかは腑に落ちない。

 

 アーチャーは明からの報告も含めれば厄介だ。アーチャーは対神宝具を所持しているため、セイバーに対して有利に戦いを進められる。セイバーと明曰く剣を持たなければ強く束縛はされないそうだが、伝説を鑑みれば自殺行為だろう。こちらはランサーを主砲として倒すべきか――。

 

 これからの展望を考えているうちに眠気が襲ってきて、暖炉に燃える火を見ながら美琴は暫しまどろみかけた。眠気を覚まそうと、彼女は立ち上がった。しかしその時、立ちくらみを起こして足を椅子にぶつけた。お陰で眼は覚めたが、少し涙がにじんだ。

 

 だが、その時左廊下の奥の居住区画から姿を現した養父を見つけ、すぐさま背筋を伸ばした。

 

 

「お父様、お疲れ様です……どうかなさったのですか?」

 

 養父の顔色は優れない。体調でも崩したのかと、美琴は声をかけたが彼は首を横に振った。

 

「来客かと思えばお前だったか。お前こそご苦労だったな」

「いいえ、大したことではないです。それよりも、そろそろセイバーとランサーで他サーヴァントの掃討に出るべきだと思います」

 

 美琴は先ほど考えていた話を御雄に伝えた。彼は精悍なその顔を緩ませ、笑った。先ほど使い魔でハルカに連絡を取ったところ、美琴と同じ話を聞いたと言う。

 

「ならばさっそく明日からでも」

 

 セイバーはバーサーカー掃討により消耗している。今日は回復に努めさせ、明日から打って出る。聖杯戦争を終局に向かわせるべく、美琴は意気込んだ。

 しかし、期待した反応は養父から返ってこなかった。

 

「そうしたいところだが、打って出たとしてちょうどよくアーチャーとキャスターが捕まるとは思えない。その上アーチャーはいまだ行方知れずだ。まずはそちらをつきとめる」

「……それは、そうですね」

 

 陣地作成のスキルをもつキャスターの拠点とアーチャーの行方を探すべきという尤もな考えに、美琴も頷かざるを得ない。こういう調査ならば、教会側も使い魔を放ち行うことができる。

 

「少し逸っていたようです。それでは明日から、ランサーにその調査を」

「そうだな」

 

 美琴はやはりどこか調子の悪い――いや、機嫌の悪い養父の様子が気になった。お休みになられてはと声を掛けると、彼は頷いて再び居住区画へ姿を消した。

 

 父を見送ってから、美琴はイスに置いたままの書類を手に取った。先程は思ったより強く足をぶつけたようで、まだじくじくと痛んでいる。あとで薬を塗ろうと、彼女も居住区画へ戻った。

 

 

 

 

 

 

 

(―――おかしい)

 

 御雄は教会奥の彼の部屋で、霊器盤を目の前にして唸った。霊器盤には四つの光――セイバー、ランサー、アーチャー、キャスター――が赤く光っており、三つはついていたが消えている。

 

 だが、それは可笑しいのである。

 

 ガンナーと名乗るサーヴァントがキャスターでありアインツベルンがマスターであると、美琴も明も見ているが、それは違う。ランサーの報告ではマスターは三十代くらいの日本人の男だったそうだが、アインツベルンならば、見た目は日本人とは思えない――白い髪や赤い目をしたホムンクルスをマスターにするはずだ。

 アインツベルンが外来の魔術師を雇うと言う可能性はまずない。彼らはかつての冬木の戦争において、味方に引き入れた外来の魔術師によって手ひどい裏切りにあっているのだ。

 

 ならば本当にガンナーなるサーヴァントがいることになるが、霊器盤には八つめの反応はない。

 どちらにしてもつじつまが合わないのである。

 

 霊器盤に細工がなされようもないことは、監督者である彼が一番よく知っている。

 

 

(……まさか、霊器盤が異変を来している?)

 

 そう考えればすんなり納得もできるが、仮にそうだとしたらこの春日で確かなサーヴァントの現界を確認する方法がないことになってしまう。

 しかしサーヴァント同士は戦いあう衝動を聖杯から付与されている為、嫌がおうにも局面は進む。

 街に多くの使い魔を放っているとはいえ、不安が残る。

 

 春日の聖杯は冬木のそれを真似た贋作。冬木の聖杯も聖堂教会から「贋作」の烙印を押された、真の聖遺物ではない。二百年以上も昔、アインツベルン・遠坂・マキリの御三家の神域の天才達によって開始された大儀礼、冬木の聖杯戦争でさえ数々の不備があったという。

 

 五度に渡り開催された冬木の戦争において、勝者はいても聖杯によって願いを叶えた者は誰一人いない。三度目までは儀式そのものが完遂されず、四度目と五度目はいずれの陣営も聖杯を使用せず破壊して終焉を迎えた。

 その後、遠坂の当主と時計塔のロード・エルメロイ二世の手により聖杯は解体され、冬木の聖杯戦争は幕を閉じた。

 

 

 ――果てさて、この地の聖杯(ヒジリノサカズキ)は真に勝者の願いを叶えるや、否や。

 

 

 しかし、聖杯が「贋作」であると断じられても、戦争が起きた時点で聖堂教会の神父として思うことは一つ。無事に、何事もなく戦争が終わる事である。

 

 

 一体この春日の聖杯戦争は、イレギュラーな事態が連続している。

 それは必ずしも聖杯によるものだけではないのだが。

 

 

 一つ、異常をきたしていると思われる霊器盤。

 二つ、あまりにも早く消滅したライダー。

 霊器盤がその存在を確認したのはわずかの間で、あまりにも早く消えてしまった。

 三つ、時計塔から派遣されたハルカ・エーデルフェルト。

 

 前二つはこれから考えるとして、最後のハルカ・エーデルフェルトの件については一つの結論が出ている。あれは本物のハルカ・エーデルフェルトではない。

 見た目は御雄神父の知る彼であるが、それでも別人である。

 

 あの青年は、誰何する神父に対して何のためらいも無く「ハルカ・エーデルフェルトではない」と言い放ったのだ。いくつもおかしいと思う点があり、ブラフで誰何したのだが最早ごまかしもしなかった。

 

 正直な話、大人しくしていてくれるのならば神父としては彼がハルカであろうとなかろうとどちらでも構わなかった。ハルカ・エーデルフェルトに成り代わった者がどのような目的を以って聖杯戦争に望んだのかは依然不明であるが、もしハルカが彼の魔術師であるならば、いい使い道があるかもしれない。

 

 たとえ真に願いを叶えるものではなくても、聖杯が願いを叶えると信じ続ける者達がいる限り、この喧噪は止むことなく続く。

 


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