人の身で人ならざる領域の願いに手を伸ばすこと。
人外の身で人の領分の願いに手を伸ばすこと。
双方の願いは同質。その身に分不相応な願いを抱いていると言う意味において。
小碓命が兄の大碓命をつまみ殺してから、父帝は小碓命をお厭いになられた。
その人並み外れた怪力と、兄を殺したことを笑顔で報告してくる残忍さを恐れになったのである。
どうにかしてこの恐ろしい子を遠ざけたい――そうお考えになった時、都合のいい口実があった。
当時、西方のまつろわぬ者どもに、クマソタケル兄弟というものがいた。
父帝は、そのクマソタケル兄弟を討て――そう、小碓命にお命じになられたのである。
お命じになっておきながら父帝は、小碓命がまだ変声期も迎える前の少年であるにも関わらず――ろくな軍勢もお与えにならなかった。鋭い者は、帝は小碓命を疎んじておられる、と感づいたが、小碓命本人は全く気付かなかった。
純粋に父帝が自分を頼りにしている――「お前ならこの程度の難関を超えられるだろう」という信頼のもと、試練をお与えになったのだと考えた。
そうして叔母の倭姫命から衣装と剣を賜り、勇んで大和を出発した。大和から筑紫までの長い旅路を、供に連れた弓の名手・弟彦公とともに意気揚々と進めていった。
そしてクマソタケルの屋敷の祝いの席へ、女子に扮して紛れ込み、宴も酣に乗じて殺害しおおせたのである。
酒宴の場は惨惨たるありさまだった。膳はひっくり返され、侍っていた女どもや部下たちも凍りつき、そして慌てふためき逃げるもの、腰を抜かして動けぬ者、わけのわからぬことを叫ぶものと混沌の状態だった。その渦中にいるのは、堂々たる巨躯を持つ益荒男と、可憐な衣装に身を包んだ少女――少年だった。
そして、かつて「最強」を謳った剛の片割れは、少年の剣に貫かれたまま今だ命を繋いでいた。
一度剣が引き抜かれれば、夥しい血を流して絶命することは明白。その口が開かれ、重々しくも息が漏れた。
「お前はもう、オウスでも、ヤマトオグナでもない。クマソ最強を倒したのだから、お前はそれ以上の
この壮絶なる激痛の中、あくまでも平然と言葉を紡ぐのは、敗れようとも「タケル」であったがゆえの矜持か。彼は己よりも頭一つ分以上小さな暗殺者の肩を掴んだ。
「―――ヤマトタケル」
その名の意味は「この国で最も強き者」。己を殺しおおせた者への賛辞と、人は思うのかもしれない。
だが、この少年はまだこの国における西のタケルを殺したに過ぎない。大和から東には、クマソ以外のまつろわぬ者ども、悪神が蔓延っている。
にも拘らず、クマソタケルがこの名を捧げると言うことは―――。
「ヤマトタケル。貴様は、未来、そういう
真にその名が本当となるまで、戦い続ける運命。今、まさにこの時のように、血と悲鳴と、そして恐れられることを繰り返す生になると。
当の少年はクマソタケルの言葉を聞き流しつつ、無言で剣を引き抜いた。
彼からすれば、与えられた役目を果たしたに過ぎず、その名にも興味はなく今わの言葉にも興味はなかった。誰が最強だろうがどうでもよく、今明らかなのは少年が生き、クマソタケルが死ぬことだけだ。
だから、少年はその言葉を無視することもできた。しかし己が父帝に期待されているからこそ、この重大な役目を任せられたと信じていた少年は、あることを思った。
自分は、この国が好きだ。
そして、もし己がそれほどまでに強くなれるのならば、もっと多くの大和にまつろわぬ者を平らげることができる。
そうすれば、父帝の愛する大和には、安穏とした日々が約束される。
そうすれば、父帝はお喜びになる。
そうすれば、叔母も、妻も、きっと喜ぶ。
己のしたことで、自分の愛する人たちが幸せになる。その
短い逡巡の後、床に倒れ伏し血の泉に沈む男を見下ろして、少年は告げる。
「わかった。ならば、俺はこの国で『
少年は、その名を肯う。その運命を肯定する。
元々神代の血を色濃く引いた少年は、その自分こそが最強の名を肯うことの代償を知らず。
ただただ、幸せなこの願いが、叶うのであればとだけ思った。
最強を語る者が願うには、あまりにも些細で不釣り合いな願いを。
彼の返事を聞き届け、瀕死のクマソタケルは、左様かと一言だけつぶやいて笑った。
「ならばいい。お前には、人を逸脱したほどの
クマソタケルは真実、少年の強さを称えた。称え、そしてひれ伏したのだ。
少年は既に用はないとばかりに踵を翻して、風のように狂瀾の屋敷を去った。
残されたクマソタケルは既に虫の息だった。むしろ今生きていることそのものが、彼の生命力の強靭さを示していた。もはや眼も霞み、体は動かない。早くも落ち着きを取り戻した部下が手当てをしようとしているらしいが、もはや手遅れだ。
ひゅうひゅうと笛のような音は、己が呼吸の音だ。もはや言葉にはらなぬし、届ける相手もいない。
強き者は強き者を知る。ゆえにクマソタケルは知った。
――この国において、どのような英雄が現れようと、アレに勝る武の天稟を持つ者は皆無。前人未到、空前絶後、凡百には到底成そうと思いつきすらせぬ、遠き未来には奇跡とも言われるほどの偉業を成し遂げるだろう。人を逸脱したほどの
――だが、だが、しかし。
その武の天稟を知れど、その在り方までは西の最強は知らぬ。ゆえに、よもや、と思いつつも一抹の可能性が脳裏をかすめていた。
――そのような偉業を成し遂げるモノが、凡百の人間が思い描くような幸福を手に入れられるとゆめ思うな。もしそのような
アレを殺せるものなど、今のこの国には存在しえぬ。
故にアレは、アレ自身の無念と絶望と、思い描いた
そう。
遠き異郷の宴の夜に、「小碓命」という
*
「話に来ただと?貴様と話すことなどない」
明と一成の前に立ちながら、セイバーは殺気を隠さない。それでもキャスターは楽しそうに笑う。周囲からは噴水から流れる水の清かな音しかしない。
「そうつれないことを言うものではないわよ?あら、そこの坊やはセイバーたちの味方になったのかしら?」
キャスターの隣に並ぶアーチャーは、再び見えたかつての主を見ようとはしない。
一方一成の視線は弓兵に釘づけであるというのに。
「セイバー、私は貴方の事をアーチャー伝いで知っているけれど、貴方は私の事など知らないのでしょう?これから戦う敵を知る絶好の機会だと思わないかしら、日本武尊?」
「……俺にとってはそうだろうが、ならばお前は何をしに来た」
キャスターの意図を掴みかねていたセイバーは驚きながらも警戒を怠らない。キャスターの言葉を信用するならば、彼女は完全に娯楽のためにここにいることになる。
だが、本当にそんなことのためだけに敵陣に身を晒すサーヴァントがいるのだろうか。二対一という状態でこちらを攻撃しないというのか。セイバーには俄かには信じられなかった。
「二対一、って考えているかもしれないけれど、私ってすっごく弱いの。わかるでしょ?」
確かにキャスターは弱い。最高のマスター適性を持つマスターがいる割に、さしたる脅威を感じない。ただ、何か不吉なものを感じること意外は。キャスターは呑気に話を続けた。
「けど、私のご主人はたくさん令呪持ってるのよ?今はあまり無茶をしない方が、あなたも得だと思うけど?」
一成からの令呪が三画、ハルカより奪った令呪が二画、もともとのキャスターの令呪が三画で、キリエは計八画の令呪を持っていることになる。いきなりどうしてこんなことになったのか、セイバーの後ろで明は眉をしかめた。
「私も別に他のサーヴァントと話すことなんかないと思っていたのだけれど、アーチャーとしばらく共にすることになって、その時に言葉を交わすのが結構楽しかったのよね。私の主人も昼間は外を出歩いて、そこの坊やを小間使いにして楽しんでいたし、面白そうだと思ったの」
「そんなことしてたの?」
「小間使じゃねえ!エスコートだ!」
「はぁ?」
一成がムキになって怒っているが、明の目はとても冷ややかだ。キャスターは尚嬉しそうにその様子を見ている。
「私一人でもよかったのだけれど、知っての通り私はキャスターだし、ここは陣地でもないし、クラスとして貴方とは相性が良くないの。だから流石に一対一は怖くて、助手にアーチャーを連れて来たわ。お話会の面子としてはランサーでも良かったのだけれど、彼は貴方に会いたくないとか色々言ってから」
アーチャーの真名を知っているキャスターは、当然その宝具――『
クラス性能としてセイバーが天敵であるキャスターは、抑止力としてアーチャーを連れて来たというわけだ。実際、剣を持てばセイバーはキャスターに攻撃を続けた可能性もあるが、アーチャーがいるゆえにできない。
セイバーはアーチャーに対しては甚だ不愉快の念を禁じ得ないが、ランサーの言葉も不思議である。
「会いたくない?散々あちらからつっかかってきたくせに何をいまさら」
「あらそうなの?細かいことは私は知らないわ。そのうち聞こうかしら」
少し驚いたように目を開いて、キャスターはすたすたと歩いてアーチャーが置きなおした甕を二つ担いだ。そして噴水を背後に、石畳の敷かれた地にそのまま腰を下ろし、その甕を前に置いた。
アーチャーも今ばかりは致し方なしといった様子でその隣に胡坐をかいて座った。
「ねぇセイバー、私は嘘が嫌いなの。真名は教えてあげないけど、何でも聞いてくれていいのよ」
『マスター、どうする。俺は乗ろうと思うが、どうか』
セイバーからの念話に、明はしばし考え込んだ。本当にキャスターが対話を望んでいるのかは信じがたいが、確かにこちら側にキャスターの情報は無に等しい。
アーチャーが割とキャスターに従っているように見えるのも気になる。
もしキャスターが本気でセイバーを殺しにくるのならば、従えたとかいうランサーまで投入して三騎全力を以てすべきだ。それにセイバーが襲い掛かったというのに、彼らは反撃の姿勢を見せていない。
そして明たちにキャスター側の情報がまるでないということは真実である。確かに絶好の機会ではあるのだ。
『……言うまでもないと思うけど、油断はしないでね。話に乗ってみよう』
セイバーはちらりと後ろを振り返ると、剣を持っている明と一成の姿が目に入った。よもや知らぬうちに彼らに手を出されることはないだろうが、剣を持っているなら平気だろう。
「あら、そういえば剣をもたないなんて武装解除までしてくれるの?結構乗り気になってくれたのかしら」
手を組んで喜ぶキャスターに対し、セイバーの顔には微塵の笑顔もない。剣を明に持ったままにさせているのは武装解除でも何でもない。むしろ、アーチャーの宝具によって縛られることを危惧したためだ。明は仄かに暖かい、青銅色の鞘に収まった剣をかき抱いた。
静まり返った夜の碓氷邸。その庭にある噴水だけがさらさらと流れる音を鳴らしていて、風さえも今日はない。
十二月の夜は、まだ人を凍えさせるには至らずとも、長居しては体に悪いだろう寒気を抱いている。
静かな夜に、三人の異形。水流の音を聞きながら、セイバー・アーチャー・キャスターは三者で向かい合っている。セイバーから十メートルくらい離れた後ろに明と一成が座って、事の成り行きを見守っている。夜の寒さに曝され続けた石畳は、直に尻をつくとそこから体を冷やしていく。
三騎の中央には大きな甕が二つ、掌を開いたほどの杯が三つ。キャスターは和紙で蓋をされた甕を縛っている縄を解いた。中は並々と酒で満たされていて、芳醇な香りが漂う。
少し日本酒を飲んだことがあるだけの者でも、上等なものとわかるだろう。
「私お酒には目がないの。自慢の一品を持ってきたから、是非堪能してね」
どこか自慢げな表情で、キャスターは指を動かして甕を浮かせる。そのまま並々と杯に酒を注ぎ、セイバーとアーチャーの前に置いた。
「毒が入ってると思われるのも心外だから、アーチャー、あなたセイバーの分を毒見してくれるかしら」
「断る。そなたが飲めばよかろう」
いけしゃあしゃあと扇を振って拒絶するアーチャーだが、その傍らのセイバーは躊躇いなく盃を手に取り、一気に飲み干した。手の甲で口の端から漏れた水分をぬぐうと、杯を投げた。
「悪いモノか良いものかくらい判断はつく。要らない世話だ」
「見なさいアーチャー?貴方もこれくらいの度量を持ったらいかが?」
「私は毒があるかどうかを気にしたわけではない。この私を毒見如きに使おうと言うそなたのふてぶてしさに呆れたのよ」
そう言ったアーチャーも盃を傾け、それを一口嚥下する。生前に酒など飲み飽きていてもおかしくはないアーチャーも、その酒の豊潤さとコクに唸った。
「これは良い酒だのぅ、キャスター」
「だからそう言ったでしょう?現界してからは禁酒しようとしたけど、三日と持たなかったわ」
酒の味に舌鼓を打つ二人に対し、セイバーは冷めたものである。酒の美味を愛でる二人に対し反応が薄い。キャスターは小首を傾げて尋ねた。
「あら?もしかしてお酒は嫌いかしら」
「飲めないわけではないが、生前から酒をうまいと思ったことがない」
「まぁまぁ、そんな人本当にいるのね」
本心から残念そうにキャスターはしょげかえる。セイバーは茶番には興味がない。
鋭い視線をアーチャーに向けると同時に舌鋒を向ける。
「アーチャー。今や新たなお前の主は、三騎のサーヴァントを従えているそうだな。三騎をあやつりうるマスターを選んだ目は良いと思うが、その後の事は考えているのか」
「そなたとガンナーなるサーヴァントを倒したあとのことであろう?当然、我ら三騎での争いになろうよ」
アーチャーは当然のように答えた。セイバーらもそのようになると踏んでいる。だが、願いを叶えられるのは一騎だけだ。他のマスターたちには勝てても、内部の戦いで勝てる自信がなければ一成を裏切った意味がない。
「そこにいるお前の元主人を裏切ったのは、他陣営との戦いに不安を覚えたからだろう。だが、同じ条件下でお前はそこのキャスターやランサーに勝てる自信があるのか」
「ま、一成についてはそういうことよ。最強のマスターを得た今、力量に不安はない故。勝った後の事は三騎になってから考えればよかろうよ」
「そういうことね。私のご主人は臆病ってくらいに慎重だから、勝てるって思うまで動かないもの。今だって貴方、セイバーを襲わないのは、ここが陣地じゃなくて私がとても弱いからだし。私駆け引きとか苦手だから、他のマスターがいなくなって、私たちだけになったほうが純粋にぶつかれると思うからそちらの方がいいわ」
他陣営を抹殺するという条件下で戦う限り、彼らは確かに協力するだろう。だが、本当にそうか。キャスターはともかく、アーチャーがその先を考えていないはずはない。
しかし、弓兵の思惑は読み取れない。
「……おい、アーチャー。お前の願いって、なんなんだよ」
「ちょっ土御門」
立ち上がろうとする一成を明は引っ張って抑えた。彼の声は低く、怒気すら孕んでいる。
聖杯戦争に残った目的の中にアーチャーの件もある彼からすれば、今の状況で大人しくしていることなど無理だろう。
アーチャーの目は、今宵初めて元の主へ向けられた。その瞳に感情はない。
「何だ、そなたか。てっきり棄権したのかと思うたわ」
「途中で投げるのは性にあわねぇっつったろ」
「聖杯にかける夢も露と消えたなら、あたらその命を散らすことはないと思うのだが……左様に儚くなりたいか、そなた」
かつて、一成と共に戦ったアーチャーではなかった。いま一成の前にいるのは、自らの願いに取りつかれた男である。平安の貴族の最高到達点である彼をそこまで急き立てるモノは何であるのか、一成は問い質さずにはいられない。
たとえ短い間でも共に戦い、目的を共にしたサーヴァントが、遊興如きで一成を裏切るはずはない。
「答えろ!アーチャー!お前の願いは何だ!!」
「私も聞きたいわ。何回か聞いたのに答えてくれないんだもの、ほんとケチねぇ」
キャスターは雰囲気とは裏腹に、あくまでマイペースに口をとがらせている。
問われた貴族は深いため息をつき、手にした盃をあおった。
「私の願いなど取るに足らぬもの。……私は、聖杯に問うためだけにここにいる。――真なる幸福とは、何であるかと」
「………は?」
誰もが耳を疑った。「本当の幸せとは何か」――それを問うことがアーチャーの望み。
この世の栄華を手にした男は、表情を変えずにそう告げた。
「……何言ってんだお前」
「だから取るに足らぬ願いだと言うたであろう」
「そんなつまんねー願いの為に「そなたがどう思おうと勝手だが、私にとってはこの上もなく問わねばならないことじゃ」
怒気にあふれた一成の声は、氷点下程に冷淡なアーチャーの声音でかき消された。
明もあっけにとられ、セイバーは鼻で笑っている。一人キャスターのみが腹を抱えて哄笑している。
「本当、人間って病気よね!「幸福」は「幸福」でしかないのに、全てを手に入れたら手に入れたでこうしてまた悩むのよ。どうして、手に入れた、嬉しい、で終われないのかしら!」
「アーチャー、ならば俺が聖杯に代わって答えてやろう。真の幸福などない、どこにもな。雲をつかむような真似は止めて、さっさと自害して消えろ」
アーチャーは何も答えない。生前からそうだった。得過ぎた者が得過ぎる故の不幸など、同じ位、同じ境地に至った者にしか理解はできない。
他で少しでも口にすれば、キャスターのように口々に言われることが分かり切っているからだ。正直、アーチャーは「真なる幸福」など存在しなくてもいいと思っている。
ただ、己を納得させられる答えを求めてさまよい、彼は戦いに参じるのである。
「なんとでも言うが良い。私は私を救うため、ここにいるのみよ」
「土御門」
明は一成の袖を引いて無理に座らせた。彼は何かを言いたげにアーチャーを見つめ続けていたが、彼の中でも言葉がまとまらず言葉にできないようだ。その手は爪が食い込むほど強く握られている。
ほくそ笑むキャスターは、杯を煽る。自分で甕を持ち上げて並々と酒を注ぐ。
セイバーはほとんど飲まず、アーチャーはちびちびとやるだけなので飲んでいるのはもっぱら彼女である。そのキャスターは頬を朱に染めて、機嫌よく口を開いた。
「人の願いを聞いておくばかりというのも公平ではないわね。だから言うけど-――」
キャスターは一度酒をあおり、まるで自慢でもするかのように胸を張った。
「私の願いは、私の同族だけの理想郷を作り出すことよ」
「――同族」
セイバーはぽつりとつぶやく。口に扇を当てたアーチャーはゆるゆると息を吐いた。
「察しの通り、このキャスター、人ではない故にな」
「そう。でも少しは人間よ?……魔物とか怪物と呼ばれるものの混血。人ならざるものは、人の世で生きていくことが難しいわ。だから、私は私の仲間たちだけの世界がほしいの」
キャスターは夢見る乙女の様に小首を傾げた。姿だけ見れば、夢にふける美女の趣である。人によって討伐された魔物の類であるキャスターにとって、己たちを害する者のいない世界こそ望むものである。しかしセイバーは、キャスターをも笑った。
「魔物か。通りで魔力が汚らわしいわけだ」
「酷いわぁ。汚らわしいのではなくて、質が違うだけなのよ?それに、あなたと比べればだいたいの魔力なんて汚らわしいって断じられることになってしまうわ」
「私としては殊勝な願いだと思うがのう。自ら人世に害をなさぬよう、別の世界に行こうと言うのならな」
キャスターがアーチャーを見る視線に、僅かばかりの殺気が混じる。しかしすぐに掻き消え、彼女はとろけるような声で語る。なめらかな白い指が、杯の縁をなぞった。
「私たちが人間に害をなしたことは本当だけれど、人間が私たちを害したこともまた本当でしょう?それに、人間は私たちに感謝するべきでもあるわ。私たちを異形と断じることで、人間は人間だと認識できるの。人間は比べる対象がないと、己を人間と判断する事さえもできないんだもの」
自分たちを人間と言う種族であると認識するには、明らかに「別物」である種族が必要になる。
人間は「キャスターたち」を異形と見做し、自分たち「人間」としての紐帯を強めていく。
「それでもあなたたちはたくましいから、私たちのようなわかりやすい異形がいなくても、人間の中に異形を見出すでしょう。丈夫にできていることね。愚かとでもいうけれど」
どこまでが人間で、どこまでが人ならざる者かは極めてあいまいである。ふとしたことで、「人間」でさえ「人間」だと見なされなくなる。
「そんなのだから、人の世で人ではない私が弾かれるのは当然と言うわけ。なら、すみ分けましょ。私の願いはそれだけ」
「お前がどのような魔物かはわからないが、確かにささやかな願いだ」
極端に言えば、キャスターの願いは「別の世界に行くから、もう私たちを害さないでほしい。替わりに私たちも人間を害さない」ということになる。
アーチャーの願いに比べれば、ずっとわかりやすい願いである。
「魔物魔物って言うけれど、生前から私はたいそれたものを望んだ記憶はないわよ?で、今度は貴方の番よ、セイバー」
水を向けられるが、セイバーには聖杯にかける願いはない。
アーチャーも、キャスターも、果ては一成の視線が彼に集まるが、期待には答えられない。
「聖杯に願いなどない。俺は俺以外の全サーヴァントを殺しつくすことのみが目的だ」
「ふぅん、聖杯に願いなんてない、ね。でも、目的はある……ねぇセイバー、何故あなたは六騎のサーヴァントを殺すことが目的なの?」
セイバーの予想に反し、キャスターはその成熟した美貌に深い笑みをうかべていた。その漆黒に濡れた瞳からの視線は、酷く座り心地が悪く、怖気の走るように気味が悪い。
まとわりつくような視線は、まるで体に蛇が巻き付いていくような悍ましさがある。
「全てのサーヴァントを殺しつくす。確かに聖杯には関係ないわね。それでもあなたは其の為に現界して戦っているのならば、それは願いと言って差し支えないと思うのだけれど、どうかしら」
セイバーは強く首を振った。「……それは違う。俺が聖杯戦争に勝利することは願いではなく、所与のことだ。勝利しないということはあってはならない」
日本武尊――「日本で最も強き者」という意味の名を持つセイバーにとって、勝つことは願いでも望みではない。勝利することが義務であり、当然である。
全ての敵に勝つまで、セイバーは
「ならば、セイバー。そなたの願いは「己が最強であることを証明する」ということでもあるのだろう?」
アーチャーはキャスターとセイバーを見比べる。杯の酒に浮かぶ月は、満月にはまだ少し足りない。
「そうね、アーチャーの言うとおり。……なら、何故あなたはそれを証明する必要があるの?なぜ、「最強」であることにこだわるの?――――何故「最強」であらねばならないの?」
深い笑みを湛えるキャスターは、自分で問うておきながらその答えを知っているかのような様子すらみせる。だが、セイバーはその笑みを一蹴する。
「知れたこと。俺が日本武尊であるからだ。其れ以外に理由はない」
キャスターはそれこそ興味深いといわんばかりの表情をしており、セイバーの断ずる声にも怯みはしない。しなやかな白い指がのばされ、月光を受けてほの白く輝く。
「そうでしょうね。何者にも勝利する英雄。あなたにはそれ以外何もないから、
「……それは違う、キャスター。この身は人だ。しかし、神剣の加護を借り受けている為に神性を得ているだけだ」
遥か祖先は神の血を濃く受け継いでいたが、セイバーの生きた時代はすでに神代遠くなりつつあった。父から遠く神の血を繋いではいるが、セイバーの生きた時は人の支配する世の中である。
両親ともに人間であるセイバーの身に宿る神性は低下し、すべての加護は叔母より与えられた道具――衣装や神剣の賜物である。セイバーは当然、そう考えている。
当たり前の顔をするセイバーに、アーチャーとキャスターが疑義をはさんだ。
「セイバー、私から一言言わせてもらう。そなたに宿る神秘の質は、人のそれではありえぬ。そのことは一度でも、そなたの宝具開帳を見た者ならば感じ取れようぞ。私とて、神を信じる時代に生きた人間ゆえにな」
「……驚いたわぁ。セイバー、貴方は自分が純粋な人間だと思っているの?」
「何を驚く。もし俺が神の身であれば、神剣をなくしても最後にああはならなかったはずだ。そもそも、神ならば死を迎えることはない」
日本武尊の最後――日本武尊は、最強の武器であり護りである神剣を、妻の美夜受媛のもとに置いたまま伊吹山の神を討伐に出る。彼は、そこで雹を振らされ山の神に呪われてしまう。
そしてその呪いにより、彼は故郷の大和に帰れないまま半ばで没する。
もし神剣を持って神の討伐に向かったならば、そんなことにはならなかった。だから、セイバーは神剣がなければ自分はただの人間だと、そう言っているのである。セイバーにとっては所与の事実で、疑うべくもないこと。
だが、それを聞いたキャスターはもう我慢ができなかった。飲みかけの酒を噴出して、腹を抱えて笑い出した。
「ふふ、あっははははは!ちょっと、アーチャー!聞いたかしら!!流石というのかしら、これは!どうしてそうなったの?この戦争、もう本当に病人だらけね!」
「ふむ……」
病人だらけ、という言葉に己も含まれていることを察しながら、アーチャーはどこか苦い顔でキャスターとセイバーの顔を交互に見た。セイバーはわけがわからないと顔に書いていて、キャスターはまるで獲物を前にした蛇のような目つきでセイバーににじり寄った。
「貴方は勿論神ではないわ。けれど、人間とも言いがたいわ。神と人、その真ん中にいるのがあなたよ。どこから神で、どこからが人なんで区別はとても曖昧なものだけれど―――貴方、生前もそんな感じだったのかしら?ああ、ならむしろ納得ね!あなたが人ではないことくらい、貴方以外の人間は知ってたでしょうね!わからなかったのは貴方だけよ!」
「……何を言っている、キャスター」
酒気を帯び、どろりとした瞳の中にセイバー自身の姿がある。濡れた漆黒の瞳の中に吸い込まれてしまいそうな予感があった。
「セイバー、やっぱり私とあなたは似ているわ。魔物か神様って差だけで、人間からすれば異物なのよ。人間じゃないものが、人間の中でうまく生きていけると思う?人世の中での人外は、排斥され蔑まれるかそれとも崇め奉られるかのどちらかよ。方向は逆だけど、恐れられているという点では同じなの。私が排斥されたのならば、あなたは崇め奉られた。どちらにしろ、人世に交じり合うことができないの」
そう告げるキャスターの眼には、生前の己を懐かしむような光があった。己が人ではないことを理解し、それでも自分のいる場所を探して見つけ出した。
しかし、その居場所もはく奪された人外魔物――それがキャスターの正体。
「貴方は故郷を追い出された。私は人里を追われた」
ま、私はそこまで人里に執着はなかったのだけど、とキャスターは付け足した。
「だから私は人世で生きるのを諦めたわ。私は私を疎ましがった人間どもに謀られて殺されたの。人外は、人の世に居場所はない――人の世の外で生きていくしかないわ。だから、私は自分の仲間たちと充足する
キャスターの目は、いつの間にか親愛の情さえ帯びているように優しげになっていた。酒をたっぷりと煽ったキャスターはやおら立ち上がり、微笑む。
「私はもう人世なんかどうでもいいけど、あなたはそれにこだわった。だから」
何故かセイバーではなく、傍観者である明の方が唾を呑んでいた。
「――あなたたちの願いを叶えるから、仲間外れにしないで下さいって言い続けて、その果てに叶わなかっただけの生涯。後世の人は貴方を護国の英雄ともてはやしたかもしれないけれど、貴方自身にその名誉は必要だったのかしら?」
キャスターはセイバーを流し目で見つめながら、闇に浮かぶ紅い髪を翻して手を伸ばす。
「どうせ手に入る聖杯ならば、願いがないなんてつまらないことを言うのはよしたらどうかしら。貴方が本当にしたいことをすればよいのではなくて?」
月を背に伸ばされた手は、乾いた音を立てて弾かれる。
セイバーの手は、差し延ばされたキャスターの手を払った。セイバーの目はひたすらに鋭利だった。
「つまらないことを言うな、キャスター。確かに俺は大和を追い出された。つまはじきにされたのだろう。だがそれでも俺の目的は過去未来に置いて、この国で最も強きは俺であると証明する事だ。それを証明することは、疾うに俺だけの願いではなくなっているのだから」
護国の英雄となった英霊は、揺らぎなくキャスターを睨みつけた。しかし、キャスターは射殺さんばかりの視線を柳に風と受け流す。
「……これは酷いわ。ガチガチね。別にあなたのことを放っておいてもいいのだけれど、あなたと私はそういう意味じゃなくても無関係ではないし、そわそわするのよねぇ。あなた、そのままじゃアーチャーでないけれど、きっと幸せになれないわ」
「そこの貴族と一緒にするな。そも、英霊とはすでに生を終えたモノ。死骸が今更幸せになろうなど片腹痛い」
「もう人の話聞いているのかしら、セイバー。わからずやね」
「どちらが正しいかは、戦って白黒をつける。それがこの戦争だろう」
誰も声を発さない。一時の交わりがあろうと、最後には戦って雌雄を決する。勝てた者だけが己の正しさを証明する。聖杯戦争に呼ばれたサーヴァントは、根本としてそのことを理解している。
キャスターの目は、今ここに至り始めて凶悪な光を宿した。その凶悪さこそ、この英霊の真の姿。
「……あなたを分からせるには、そちらの方が早そうね」
キャスターはやおら胸元に手を突っ込むと、ふくよかな谷間から一通の手紙を取り出した。蝋で封をされたそれは、形式ばった招待状のように見えた。
キャスターの指を離れたそれは、風もないのにふわりと飛んで明の手元に落ちた。
「それはご主人からの招待状よ。私は大西山にいるわ。いつでも歓迎してあげる」
キャスターがそう宣言したということは、もう陣地が整っていることを意味する。
何故気づかなかったかと、明は我知らず手紙を握りしめて息を詰めた。アインツベルンのマスターが高度な結界を張っているのか、キャスターの宝具の効果の為か。
「ふふ、そういう隠すのはご主人が手伝ってくれたし、山は今も昔もいつでも私の居場所なの」
キャスターは目をしばたたかせ、大きな酒甕を持ち上げた。底に残った酒を大胆にもそのまま飲み干して、甕のくびれた部分に縄をつけて背負う。同じくアーチャーも裾を払って立ち上がる。
「キャスター、そろそろ引き上げ時であろう。姫に小言をもらうのはたまらぬからな」
「そうねぇ、お酒を飲む時は時間がたつのが早くていやね」
二騎のサーヴァントは薄雲にまかれ、ふわりと宙に舞いあがる。煙のようなものはキャスターの宝具か何かであろう。アーチャーが飛行する姿は見たことがない。
高くからマスター二人とセイバーを睥睨し、アーチャーは薄笑いさえもなく、元マスターに告げる。
「一成」
「……なんだよ」
「悪いことは言わぬ。そなたはこの戦いから手を引け。さもなくば、穢れを厭う私とて殺生もやぶさかではなくなるぞ」
一成は息を飲む。そして彼は本当に、かつて最大に信頼すべきだったパートナーが敵であることを理解する。だが、未熟な陰陽師が怯むことはなかった。
「……嫌だ。俺がお前をこの戦いに引きずり出したなら、俺がお前を還すのが道理だ」
「……ほとほと呆れ果てる男よな」
そしてキャスターとアーチャーは、セイバーたちを一顧だにせずに姿を消した。あの圧倒するような魔力は消え去ったが、濃く残る酒気だけが確かに対話の残滓を残していた。
明は酔いそうなほど濃い魔力を思い出して首をひねる。
(……キャスター本体は強くないけど、あの魔力、何なんだろう)
とろける様に甘美でありながら、向かい合う者を圧倒するほどの魔力が渦巻いている。キャスターは陣地を作成するスキルがあるため、時間を掛ければかけるほど強くなるサーヴァントである。セイバーより先に召喚されたキャスターは、少なくとも二週間以上前には現界していただろう。
「………っていうかセイバーとキャスターって同時代なの?」
セイバーから返事はない。しばらくの間をおいてから、ようやく反応が返ってきた。
端正なその顔はいつものように真顔であったが、今は表情すらないように見えた。
「……ああ、何だ」
「いや、キャスターが無関係じゃない~とか言ってたから、知り合いなのって」
セイバーは首を振った。「悪神の類はいろいろ見てきたが、あれには覚えがない。本当の姿が別にあるのかもしれないが」
明はキャスターの真名を掴む大きな手がかりかと思ったが、あまり期待できなさそうだった。すでに先ほどまでの熱が嘘のように、碓氷邸は静まり返っている。
セイバーも一成もどこか心ここに非ずの感じであった。とにかく寒空の下に居続けるのは体によくないだろうと、明は二人に呼びかけた。
「とりあえず、中に戻ろうよ二人とも」
一成とセイバーは我に返り、弾かれたように明を見た。キャスターとアーチャーに散々浴びせかけられた形の二人は、それぞれに思うことがあるようだ。
「……お、おう。つかちょっと話したいことがあるんだけど」
「俺もマスターに伝えなければならないことがある。この屋敷は――ッ」
セイバーの言葉が途切れる。最も早く異変に気付いたのは彼で、すぐさま明から神剣を奪い両手に持って身を翻した。明と一成もワンテンポ遅れて振り返る。
そこには門を飛び越えてこちらに迫りくる黒い影がある。目にも留まらぬ速さで霧を纏った剣が影を斬り裂くべく振るわれる。黒い影が両断されたかと思ったその時、その場所に影はなかった。
影は間一髪で――紙一重で見切って――斬撃を回避し間合いを取っていた。二十メートルほどの距離を置いて、セイバーと影は対峙している。
「今度は誰だ!」
どこか苛立ったセイバーの声に、黒い影は答えない。ランサー、キャスター、アーチャーの姿を明と一成は知っているが、この影には見覚えがなかった。
そして碓氷邸の結界さえも無視してここまで接近できるのは、気配遮断にも似たスキルを持つとされる、ガンナーなるサーヴァントではないのか。
明と一成も身構えるが、黒い影は襲ってくる素振りがない。かかってこないのならばこちらから、というセイバーが前に踏み出そうとした刹那に、明は鋭く声を張った。
「……ちょっと待ってセイバー!」
剣を振り上げたセイバーを寸でのところで止めて、明は前に進み出る。それと同時に黒い影は――どこからともなく一人の人間を出現させた。現れた人間はぐったりとしていてとても戦えるようには見えないどころか、今にも息絶えてしまいそうなほどである。
そして黒い影は自らを覆っている黒い羽織――雨合羽を勢いよく脱ぎ捨てその正体を露わにした。その姿は威風堂々、百日鬘――月代が長く伸び、荒くまげを結っている。金と赤の刺繍が入った黒地の褞袍を羽織り、真っ赤な着流しに黒い帯を締め、その上には荒縄でさらに締められている。着流しのくせに下には袴を身に着け臑当を装備しており、やたらと見た目が派手であるが何よりも目立つのは、その顔に施された赤の隈取。
影とは似ても似つかないサーヴァントは、出現させた人間を抱きかかえたまま跪き、まるで希うように頭を下げた。
「俺はアサシンの位を得て現界したサーヴァント……
そのアサシンのサーヴァントは、太く芯のある声でためらいも無く真名を明らかにした。
アサシン、というクラスにも驚かされた。しかしそれよりも言葉を失ったのは、あのランサーでさえ真名を言わなかったのに、このアサシンはあっさりと重要な情報たる真名を開帳したということだ。
明と一成、セイバーの驚きをよそに、アサシンは絞り出すように言った。
「セイバーのマスターだと思うが、頼みがある。……こいつを助けてくれ」
キリエのランサー強奪話はしばしお待ちを
聖杯酒宴は前・後編にわかれてましたがくっつけました 内容は変更なしです