12月4日① 陰陽師と聖杯と神父
魔術の本質は生ではなく死。魔術とは自らを滅ぼす道。自ら争いを呼び込むモノ。
少女はそれを弁えている。弁えながら、その道を進まなければならなかった。
「私は―――だから、立派な魔術師にならないといけない」
地下室の薄暗い部屋――ひんやりとした空気の中に、ほんのかび臭さが混ざっている。木製の古びた机に向かう少女の手には、銀色のナイフが握られている。
その小さな手は震えていて、刃は彼女の太ももに向けられている。
「――私が、やらないと――」
呪文のように紡がれる言葉は、真実、彼女にとって呪文であった。恐怖を超え、己の成すべきことに身を投じるために心を奮い立たせるための暗示である。
刃は振り下ろされる。スカートをまくり上げた白い太腿に、ナイフが突き刺される。少女は歯を食いしばり、躊躇わず何度も突き刺す。迸る鮮血が椅子をつたい、床にまで流れ落ちて溜まる。
これは、少女が神秘をなす部品のひとつとなるために必要な儀式である。自分の体を変換回路にし、外界から魔力をくみ上げて自分のモノにする、魔術回路を起動させるための儀式。
魔術回路は一度作成されれば意識のオンオフ、イメージで起動がなるものだが、まだ未熟な少女には実際にその儀式を必要としていた。自傷のイメージは心臓だけを残し、己で己を膾切りにするイメージ。
ただ心臓だけが熱く焼けるように残って、赫く脈打つ幻影。
―――何で私は魔術師にならないといけないんだっけ。
―――そっか、うちは魔導の家系だから私が後を継いで、研究を続けて、また後の代に残さないといけないのか。
―――そっか、私は変な体質だから、魔導をちゃんと修めないと周りに迷惑をかけたり自分が死んじゃったりするんだ。
―――そっか、私は変な体質だから、魔導をちゃんと修めないとマジュツキョウカイ、ってところに幽閉されちゃうかもしれないんだ。
―――そっか、私はお姉ちゃんが目指したものを横取りしたから、お姉ちゃんができない分まで私がやらなきゃいけないんだ。
少女は雑念を振り払う。魔術の行使中に雑念で集中を切らして魔術回路を暴走させてしまうとそれこそ死んでしまう。
少女はそれを酷く恐れていながら、一方ではそれでもいいか、という思いを抱く。
―――お父様は、お姉ちゃんのじゃなくて私の魔術回路を潰せばよかったのにな。
*
セイバーはゆっくりと上半身を起こした。すでに左隣にある窓にかかるカーテンは開かれていて、朝日が燦々と差し込んでいる。隣で眠っていたはずの一成の姿は既にない。
隣のベッドには頭まですっぽり布団をかぶった明が懇々と眠り続けている。ベッドとベッドの間の棚に内蔵されているデジタル時計を見れば、既に時刻は九時半を示していた。
セイバーが遅起きなのは寝ている分には魔力を節約できることと、寝たいから寝れる限りは寝ているだけで早起きが苦手ということは全くない。
しかし見る限り、マスターである明は本格的に朝が苦手の質に見える。
「……マスターとサーヴァントは面倒だな」
ベッドから出たセイバーは、隣のベッドの塊を眺めながら息を吐いた。セイバーとて、これが初めてではない。人の過去を覗き見てしまうことに関して多少悪いとは思うが、明とてセイバーの過去を覗くのだからお互い様である。
そして明が何を思いどう生きてきても、セイバーには関係ない。彼には人の過去にあれこれ首を突っ込む気はさらさらない。
今の明が健やかでさえあれば、そんなことはどうでもいいのだ。
(しかし)
自殺未遂については直接話を聞いたが、それでも拭いきれぬ嫌な予感がある。
明はぼーっとしたところがあるが、とりあえずは健常に見える。そして戦いをつづけてその在り方を知れば、または再び過去を垣間見ることになれば、明に対して感じる予感の正体も掴めるとセイバーは確信にも似た思いを抱いている。
そしてこの予感が当たるのならば、掴む正体は、セイバーの最も見たくないものである。
だが、掴んだところで何をすると言うのか。仮に想像した通りのモノだったとしても、それをどうにかできるくらいなら、セイバーは伊吹山で呪われ、伊勢の能褒野で行き倒れてなどいない。
「おい碓氷!令呪の委譲をしてーんだけど!」
セイバーが沈思していた其の時ばぁんと派手な音を上げて、この部屋の扉が開かれた。朝(とはいっても九時半)から元気に溢れる一成が飛び込んできた。この部屋のカギを取ってから外に出たのか、カードキーを持っている。
彼は毛布にくるまったままの明を見て、呆れた様に肩をすくめた。
「まだ寝てんのか」
「……れーじゅのいじょーなら、おたがいのいしさえかくにんできれば、できるよ。わたしがいなくても、へいき」
おそらく一成の騒がしい登場で目を覚ましたのだろう。明は恐ろしく低い声で唸りながら、腕だけ毛布からだして器用にセイバーを指差した。
「ついてったげて」
一成とセイバーは顔を見合わせた。もし何かあれば、念話で知らせろということらしい。明はさっさと自分の腕を毛布の中にしまい、再び微塵も動かなくなった。仕方がないと、セイバーと一成は明を置いて、隣の部屋に向かった。
隣の部屋と全く同じ間取りの部屋には、窓側のベッドにマスターの悟が寝かされていて、同じベッドにアサシンが腰かけている。ベッドとベッドの間の棚には、すっかり黒ずんで焼却を待つ撫物が灰皿の上に載っている。
「……体調は大丈夫です……あれ?」
明に尋ねに行く前には目を覚ましていたはずの悟は、今再び目を閉じて寝入ってしまっていた。アサシンを見れば、呆れたように首を振っていた。
「わりーな、なんかまた寝ちまった」
あまりのんびり待つこともできないが、無理に起こすのも忍びない。明もまだ熟睡中であることもあり、一成はどうしたものかと首を傾げた。
「昼になりゃ碓氷も起きるだろ、またその時に聞くことにすっか。俺はちょっと出かけてくる」
「どこへ行く」
「教会」
「何故」
一成に特に明確な理由があったわけではない。ただ、明と協力しているという神父がどのような人間か、昨日から気になっていたのだ。
正直、明と手を組まずこの状態にならなければ監督役など一成の中では空気であっただろう。しっかり存在を認識したのは明と教会が組んでいたことを知った時からだ。一応敗れたマスターを保護する場所でもあり、見ておいて損はないと思う。
「お前についてこいなんて言わねー。まだアサシンのマスターは悟さんなんだから、お前は碓氷の傍にいろよ。残るマスターはキリエだけだし、あいつは昼間から俺を襲わない」
「無論、俺は明の傍にいる。だがもし何かあった時は、携帯電話とやらで連絡をしろ。それで間に合うかはわからないが」
バーサーカー討伐戦の時に、一成と明は連絡先を交換している。なるほど、と一成は思ったがそれ以上にぎょっとしてセイバーをまじまじと見つめてしまった。
あれだけ喧嘩腰だったセイバーが、一応は一成を護ろうという姿勢を見せているのだ。おそらく明が「土御門も護るの」と言ったからであり、かつキャスター陣営と戦うためには必要だと思われているからだろうが目覚ましい変化である。
「お、おう。わかった。じゃあ俺は行ってくるぞ。あと昼飯も買ってくる」
一成は妙にどもったが、セイバーは興味なさそうに一成からカードキーを奪うと部屋を出た。彼自身もいってこーい、という呑気なアサシンの言葉を最後に、ホテルの部屋を後にした。
いわゆる冬晴れの日で、空気は乾燥しているがいい天気である。春日市は関東、太平洋側の土地柄であるだけに雪はあまり降らないが風は寒い。
ホテルを出てきたはいいものの、一成は春日教会の場所を知らない。駅に行けば地図の一、二枚はあるだろうし駅員にも聞けるだろうとの算段から、ひとまず春日駅に向かった。
大した観光地はないものの、近年急発展をしている土地だけあって地図も案内も得られ、一成は直ぐに教会の場所を把握した。碓氷邸から少々歩いたところにあり、私鉄かモノレールを使って行った方が早い。しかし昼で時間もあったため、一成は徒歩にて向かうことにした。通りがけにショッピングモールを通過し、碓氷邸にまで戻ってきた。
相変わらずこの屋敷はここだけ周囲の住宅から浮いて豪奢であり、異質な雰囲気を放っている。同じ魔導でも陰陽道である一成の家は工房作成において閉鎖した空間にこだわらないが、西洋の魔術は密閉感があることが大事らしい。
「そういやあいつ、両親は……親父はいるんだっけか」
春日の管理者としての彼女を知っていた為、その父がいることも一成は知っている。だが、この屋敷にその父の影は全くない。結局二日程度しかこの家にいなかった彼だが、碓氷邸に明以外の人間が暮らす痕跡はなかったように思う。
「あんまり家にいねえのか……ッ!!」
「土偶ね!カズナリ・ツチミカド!」
突如、腰のあたりに何かやわらかいものが突撃した。否、それよりのその鈴を転がすような声に反応し――一成は反射的に小さな体を突き飛ばしていた。
そして案の定、体重の軽い少女――キリエスフィール・フォン・アインツベルンはその衝撃に耐えきれず地面に転がった。一成はしまったと思い、ばつの悪い顔をしながら手を差し出した。
「、悪い」
「全く、驚いたからと言ってレディを突き飛ばすなんてどうかしてるわ!」
キリエは全く変わらず、あどけない表情でぷりぷりと怒っていた。一成とキリエは、バーサーカーと戦う前にアイスを食べた時以来の再開である。
だが顔を合わさずとも、彼女、キリエスフィール・フォン・アインツベルンは大きく戦場を、そして一成の状況を混沌に陥れてきた。アーチャーを奪い、ランサーを奪い、大西山を根城と化したキャスターの主。
その事実を認識していながら、一成には今の目の前に立つ可憐な少女は、無垢な普通の少女にしか見えなかった。
「どうしたのかしら、カズナリ・ツチミカド。元気がないようだけれど」
元気がなく見える原因はまさに目の前の少女なのだが、当の本人は何の含みもなくあっけらかんとしている。対応に困り、一成は結局無難な話を選んだ。
「……別に普通だろ。お前こそ、なんでここにいるんだよ」
「今は昼だし、私もこの目で敵の拠点――碓氷の御屋敷を見ておこうと思ったの。それにしても、カズナリ・ツチミカド。わざわざここから退去する必要なんてなかったのに。まあセイバーあたりが「三騎で襲われては困る」とでも言ったのかしらね」
あまりにあっさりと言われて、一成は言葉を失った。その絶句を勘違いしたのか、キリエは続けた。
「確かに私は三騎を使役しているけれど、キャスターは陣地で戦うのが一番強いでしょう?私は負けるわけにはいかないから、万全の状態でしか戦わないわ」
昨夜、大西山にて待つと宣言したキャスター。自信満々でそう胸を張るキリエには、余裕の笑みが刻まれていた。それが彼女の夜の姿と思うが早いか、キリエはくるりとターンするといつもの顔に戻っていた。
「だから昼間は戦わないの。で、あなたは何をしに来たのかしら?暇人なのかしら?」
一成はキリエには肉体的にというより精神的に振り回されているような気がしてきた。この顔を見ていると、彼女の成し得たことが全て嘘で全て間違いである気がしてくる。
それにしても、いくら三騎中一騎がサーヴァント最弱と言われるキャスターであっても三対一である。そのキャスターも想定した真名が正しいなら、決して弱いサーヴァントではない。その上残りは三騎士クラスのアーチャーとランサーだ。
仮に陣地ではないところでキャスターたちが闘うことになったととしても、いかなセイバー一人どうにかするのは苦しいと思う。それでもキリエは陣地以外では戦わないと言う。
キリエは基本自信のある態度を取っているくせに、それと行いがちぐはぐだ。しかし、セイバーは「無理に陣地で戦ってやることもない」と言っていたが、マスターのキリエがこれでは陣地から引きずり出すことも難しい。
一成はため息をつくと、くるりとキリエに背を向けた。
「……悪りーけど、暇じゃない。行くとこがあるんだよ」
「あら、どこかしら」
「教会」
「何故?まさか」
キリエははっと息をのみ、嬉しそうに言った。「聖杯戦争をリタイアするのかしら!」
「違げーよ。そういやこの聖杯戦争の監督役って会ったことねーから、顔ぐらい見といてやるかって思っただけだ」
キリエはどこか残念そうに息をつくと、一成を見上げた。
「リタイアして引きこもるなら命くらいは助けてもよかったのだけど。私、あなたに個人的な恨みがあるわけじゃないし。それに、この戦争何かがおかしいもの」
一成がキリエに聞きたいことは多い。いつからアーチャーが裏切る算段をつけていたのか、今はどうしているのかと個人的なことからキャスターの力などまで。だがキャスターについてキリエが答えるわけもなく、アーチャーのことに至ってはアーチャーに直接ぶつけると決めている。だから、一成は最後の一言だけ尋ね返した。
「……この戦争がおかしい?」
「ええ。貴方は心当たりないかしら?もちろんマスターとしては絶好調なのだけれど、何か、私の中に靄がかかっているような感じがするの。それに、私がサーヴァントを数え間違えることなんてありえないのだけれど……」
キリエの症状について一成は何もコメントすることができない。サーヴァントの数、といえば霊器盤が狂っていることがあるが、今その話をキリエにすることはできない。キリエに教会と結んでいることが割れてしまう。
「俺にはわかんねぇ。じゃあな」
一成はあっさりとキリエの脇を通り過ぎた。そのまますたすたと歩くのだが、奇妙なことに直ぐ後ろをついてくる小さな足音がある。誰のモノかは言うまでもない。
「……何でついてきてんだァ!!」
「私も教会に行こうかと思ったの。言われてみれば、私も監督役と直接面識はないのよ。別に、特に用はないのだけれど」
キリエはしれっと答えた。おまけにいつものようにエスコートしろと言わんばかりに手を差し出している。どうもキリエ相手には腹を立てたり苛ついて見せても不毛な気がする。一成はええいままよとその手を取った。
「カズナリ・ツチミカド。道中カズナリ・ツチミカドの絶対滑らない話をしなさい。聖杯戦争の話題はNGよ!」
「なんだそのハードルガン上げは……」
お人よしと言われたことはあまりないのだが、明には「良い奴」と言われたことがある。もしかしてそうかもしれないと半ば頭を抱えつつ、一成は滑らない話を考え始めた。
結果として一成の話は駄々滑りであった。むしろすべり芸。頑張りは認めるわ、とキリエは相変わらずの高飛車さを見せつけるだけだったが、彼女としては一成が色々話をするだけで満足だったらしくそうこうする間に教会へ到着した。
その荘厳な佇まいは冬に相応しい。教会の入り口まで伸びる石畳の両側に、花壇が造られて冬の花が咲いている。だが少々花の量自体が物寂しいのは気のせいだろうか。
そして教会に入るまでもなく、その花壇の前に立つ神父と修道女が目に入った。何やら重大な話をしている――特に修道女の方が――らしく、声をかけにくい。すると、たまたま神父と修道女が同時に一成たちに気が付いた。
客人に気づいた修道女は、深刻な顔色を直ぐに打ち消すと修道服を翻して向き直った。
「あら、あなたたちは……」
「……聖杯戦争のマスターだ。俺は土御門一成、こっちはキリエスフィール・フォン・アインツベルン」
「ご丁寧にありがとう。私は神内美琴。この聖杯戦争の監督役補助をしているわ――こちらは父の御雄で、監督役をしているの」
よろしく、と一成は軽く返して、キリエもワンピースの裾を持ち上げて優雅に礼をした。隣の神父のことは知っていたが、一成にとってこの修道女のことは初耳だった。
明よりも年上で、二十代半ばくらいだろうか。きりっとした感じの美人だが、優しく迷える子羊を導くような感じではなく、むしろ商社で元気よくプレゼンするキャリアウーマンという印象が強い。
「今日は何の御用かしら。一応ここは中立地帯だから、棄権するのでもないならばむやみに近寄らないでほしいわ」
見た目通りの性格らしく、きっぱりと美琴は言い放った。それを遮るのは、これまで黙っていた神父だった。神父はやおら振り返ると、鷹揚な笑みをその顔に浮かべていた。
「――そう邪険にせずともいい、美琴。どうせ我々には今、聖杯戦争関連の仕事しかなく、マスターの問いにもこたえることはその仕事のうちだ」
「聖杯戦争の仕事しかありませんけど、サーヴァントの戦闘の後始末が大変なんですよ!」
「それもそうだ。だが、そう急くな。お前の用は了解している――暫く休むといい」
どうやらこの修道女はかなり忙しいらしい。神父はぽんと美琴の肩に手を置いて労うと、教会の方へと彼女を促した。美琴も疲れていることは否定せず、一成たちに一礼をして礼拝堂の方へ小走りで消えて行った。
「ようこそ客人――土御門一成、そしてキリエスフィール・フォン・アインツベルン」
美琴の姿が消えたことを確認してから、神父は、躊躇いなくそう言った。またキリエも神父のことは知らない、その特徴的な容姿――透けるような肌に紅い目でわかったのだろう。黒いカソックを着た神父は背が高く、一成より十センチは上だ。
年齢は良くわからないが四十から五十半ばといったところか。精悍、といって差し支えのない顔立ちをしている。
「何か用があれば、私が承ろう。――思うに、土御門一成、リタイアの申し出か?そこのアインツベルンのマスターは今や三騎のサーヴァントを従える身。いかなセイバーとて一人では苦しかろう」
神父はキリエと一成の顔を見比べながら、あくまで真摯に問うた。
先ほど、キリエも一成のリタイアを問うた。キリエの問いは純粋にそうするのかという疑問から浮かんだものだと感じたが、この神父は違う。声音はどこまでも真摯でありながら、一成の身を案じての言葉では決してなく、同時にセイバーのマスター・明の身を案じているわけでもない。
「聖杯戦争を無事に終わらせられれば」、一成も明もどうでもいいのだろう。
一成は力強く首を振った。
「違う。遅くなったけど一応監督役の顔くらいは確認しておこうと思ってな。時間もできたから。それだけだ」
「そうか」
それきり、言葉は途切れた。どんな監督役か顔を拝みに来たはいいが、特にこの神父に聞きたいことがあるわけでもない。というより、あまり長くご一緒していたい相手ではない。それでもこのまま帰るには何か来た甲斐がない気がして、一成は口を開いた。
「さっきの、神内美琴さん?監督役補佐つってたけど」
「そうだ。あれは私の娘だ。血は繋がっていないが。他にもスタッフはいるが、主に私と美琴で聖杯戦争の処理を行っている」
「オユウ・ジンナイもミコト・ジンナイも胡散臭いモノね。貴方たち二人とも魔術師崩れの聖職者じゃない」
キリエは鋭い目つきで背の高い神父を見上げていた。一成はさっぱり気づかなかったが、魔術師としても優れるキリエは二人に宿る魔力をはっきりと感知していた。魔術協会と聖堂教会は長年抗争を続け、いまでも水面下では争いが絶えないがそれだけ長い付き合いということでもある。
神父はその手の反応には慣れているのか、やはり鷹揚に笑うだけだ。
「これは手厳しい。魔術を志していたのはもう三十年以上前の話なのだが」
「ま、私の邪魔をしなければどうでもいいけれど。それよりも春日の教会は、まさか管理者の碓氷と結託してなどいないわよね」
一成は頭から冷や水を被せられた気分になった。キリエの視線は鋭く、怯みもせず神父を見上げている。一成は自分が動揺しないように余計なことを言わず黙っていることに努めつつ、そっと神父の様子をうかがった。
「確かに碓氷との厚誼はあるが、なぜそのようなことを聞く?」
「私もアキラ・ウスイとカズナリ・ツチミカドが同盟を組んでいることは知っているわ。でも、中立の立場であるあなたも知っているようだったから」
出会いがしらに確かに神父はその類のことを言っていた。失言かよ――一成が自分のことさておき神父を見たが、彼はみじんも動じていない。
「私が使い魔を放っていることもあるが――バーサーカー戦後だったか。サーヴァントを失い大けがをした土御門を七代目がここに連れてきた。治療のためだが――そのまま彼を引き取ろうとしたが、七代目が彼を碓氷邸に連れ帰っていたからな。それ以来、リタイアの音沙汰もない。あとはわかろう」
本来は使い魔で明と連絡を取っていたために知っているのだが、あくまでキリエ向けの方便だろう。そして教会で治療を受けたことを知らなかった一成も驚いていたが、キリエはいまだに挑戦的なまなざしを神父に向けている。それでも神父は慌てずむしろ子供をなだめるような口調で続けた。
「神秘の秘匿という点では目的が重なる部分もある。しかし今この状況――アインツベルンと碓氷、生粋の魔術師同士の戦いに於いて、私が碓氷に肩入れする理由はないと思うが?」
生粋の魔術師の戦いならば、神秘の漏えいはまずあり得ない。ゆえに碓氷に肩入れする理由はない。神父は肯定も否定もしない。元々は相互不干渉――最強のマスターと神父の視線が交錯したのも僅か、キリエの方が先に力を抜いた。
「それもそうね。つまらないことを尋ねたわ、オユウ・ジンナイ――カズナリ・ツチミカド?あなたは何か聞いておきたいことはないのかしら」
すっかりいつもの様子に戻ったキリエは、もう興味はないとばかりに神父から目を離した。相変わらずの彼女のギャップは慣れないが、一成は思い出したように神父に問いをぶつけた。
「……そういえばランサーってキリエにぶんどられたんだろう。ランサーのマスターはリタイアを望んでここにいるって聞いたけど、会わせろよ」
「それはできない。ランサーのマスターは疲労で寝入っている。お前は何かしらの話をランサーのマスターから聞きたいのだろうが、リタイアした者を戦争にかかわらせるのではリタイアの意味がない――それに、ここは中立地帯だ。土御門一成」
もし話を聞きたければ、個人的にランサーのマスターに渡りをつけることだと神父は言う。明と手を組んでいるのだからそれくらいいだろうとも思うが、今まさに教会と管理者の結託を危ぶんでいたキリエがいれば然も在らんの対応だった。
それ以外にもう問うことがなく、一成は踵を返そうとしたその時、神父の方から声をかけてきた。
「土御門一成、私からお前に問いたいことがある」
「何だよ」
「お前はサーヴァントを失った。しかし碓氷に協力して戦いを続けるという。しかしそれではお前の願いは叶わない。ならばなぜ、お前は戦いを続ける?」
同じことを明にも聞かれたことを、一成は思い出した。これから仲間となるものとして明の問いは当然であり答えるべきものであったが、神父から問われて答える義理はない。
だが、ここで無言を貫き答えを拒否することは、何故か逃げであるように感じられた。
「――俺の目的は、アーチャーをぶんなぐること。それと、この戦争をこれっきりで終わらせることだ」
「――ほう」
何故か神父はそこで興味深げに口元を歪めた。一成の願いは神父のそれとも近しいもののはずだ。無事に聖杯戦争を終わらせる。そしてもう二度とこんな戦争を起こさせない。
「普段は私が迷える子羊を導く立場なのだが――さらに一つ問おう」
つかみどころのなく、何を考えているのかよくわからない神父。あまり関わりたいと思わないのだが――不思議とその時の神父の姿はどこまでも尊く、ある意味純粋に見えた。
「戦いは、悪か?」
あまりにも唐突な問いだった。その真意はわからないが、一成は頷くことはできなかった。戦うことは悪ではない。生きる上で、人が進化していくうえで、戦うと言うことは欠かせない過程である。誰も争わない、諍いもない、動かない世界は死んでいるのと変わらない。故に、一成は首を振った。「違う」と。
「ならば――戦いを悪ではないと思いながらも、何故お前はこの戦争を二度と起こすまいとする?」
「てめぇで命かけて戦うって決めて、それで死ぬならまだいい。だけど、この戦争は誰を犠牲にしてもいいから勝つってやつがいたら、全く関係ない人間を巻き込むことになる。それは間違ってる」
神父はじっと一成を見つめていた。一成は続ける。
「――それに、バーサーカーのマスター。命のない女の子だった。そんな子が、助かるかもしれない希望を目の前につるされて、普通の判断なんかできんのかよ」
そしてあのアサシンのマスターも、魔術に関係のない一般人らしい。
本当の望んだものにだけ、相応しい者だけに令呪が配られるならいい。しかしこの戦争は違う。人食いを良しとする人間にも令呪を配り、切羽詰まって後のない少女にも令呪を配る。当の一成とて、まだ「根源に至りたい」と思っていた時分に、殺し合いのなんたるかさえきちんと自覚せずに戦争へ乗り込んだのだ。
一成は人殺しを良しとしない。だが、相応の理由を持ち命を懸けなければならないのならば、それを否定することもできない。しかしそういう戦いをするには、この聖杯戦争とやらは不備があまりにも多すぎる。
「だから糞みたいなこの戦争はこれっきりにしてやる。もう終わりだ」
一陣の風が吹いて、花壇の花が靡いている。神父と一成の間に吹くそれは、まるで何かの断絶を示すように冷たかった。
「土御門一成――お前は戦いを否定しない。だが、お前が否定しなかったそれは、最早戦いなどではない」
「はっ?」
一成はあっけにとられ、神父の顔をまじまじと見つめてしまった。だが、神父はそれ以上語ることはなかった。あっさりと他に問うことはないかと聞き返してきたのだ。
流石にこれ以上、一成に問うべきことはなかった。キリエは既に神父に興味なく花を眺めているだけだった。これでもう本当に用はない。一成はキリエの手を掴んで踵を返した。
「――邪魔したな」
「また来るといい、陰陽師にアインツベルン」
*
空は抜けるように澄んでいる。春日市で起こる夜の戦争の気配を微塵も漂わせぬ快晴の青は、まさに平和そのもののようだった。何のイベントもなくいつも以上に静謐な雰囲気を漂わせる春日教会。
御雄神父は陰陽師の少年と聖杯の娘が立ち去っていた道を、何をするでもなくただ眺めていた。
「本当の戦いとは見苦しく醜悪で無慈悲で無残、欲望がむき出しになり容赦なく凌辱と蹂躙を繰り返しながら、欲望したものを手に入れる過程のことだ。願いとは欲望。欲望の前には仁義も礼儀も何も存在しない」
あの少年の語った、あの少年が「良し」とした戦いは培養された戦い、ぬるま湯のような戦いだ。むろん彼とて現実における戦いがそんな御綺麗なものではないことくらい知っているだろう。彼が言うのは「あえて聖杯戦争なるもの造りだし行うなら、培養された戦いであるべき」ということだ。
あれは魔術師ではない。神父はそう思う。土御門一成の倫理は、あくまで一般人のものに近しい。
「土御門一成――もしお前が私と同じ時分に生まれ、西洋魔術を修め、私に近しい位置にいたのであったとしたら――」
神父の考えていることは益体もないことである。既に聖杯戦争は始まり、始まっている以上そのマスターとサーヴァントは余すことなく神父の監督対象であり観察対象でしかないのだ。恙なく聖杯戦争を完遂することが、神父の正直な目的なのだから。
だからこのようなもしも、は本当に意味のない想像でしかない。
「お前は私の敵であり、私はお前の敵であっただろう」