Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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12月4日③ 山は神域、山は陣地、山は根城

「其の目は赤かがちの如くして身一つに八頭・八尾あり。また其の身に(ひかげ)檜椙(ひすぎ)生ひ、其の丈は谿(たに)八谷、(やま)八尾に度りて、其の腹を見れば、悉く常に血に爛れたり」――『古事記』

 

 

 *

 

 

 ほおずきの様に赤い目、八つの頭に八つの尾を持ち、その体には苔や杉が生え、大きさは八つの谷、八つの山に匹敵し、腹には常に血が滲んでいる―――日本における最高ランクの幻想種の一、八岐大蛇こそキャスターの親である。

 

 その身は怪物でありながら、氾濫する川の化身である水神でもある。八岐大蛇は出雲国に降り立った素戔嗚尊によって、酒を飲まされて眠った隙をつかれて討伐されてしまう。

 

 その後八岐大蛇は、命からがら近江国の伊吹山まで落ち延びた。既にかつての力はなかったが落ち延びた先で、人間に変化した八岐大蛇は――伊吹弥三郎と名乗り、近江の国の大木曽殿の娘と愛し合うようになる。

 だが父親も結婚を許し、無事婚儀を行おうとして酒を飲んでいた時に、弥三郎はその正体を現してしまったのである。驚いた大木曽殿は、すぐさま弥三郎を切り殺した――しかし、その娘の腹にはすでに子が宿っていた。

 そして切り殺されたはずの弥三郎は、何の加護もなき人間に殺されるはずもなく、そのまま人里を避けて伊吹山に移り住み、その主となった。

 

 そして残された胎児は母の腹にいること三十三か月の長きにして生を得たが、生まれたその時に歯が全て生えそろい、人語を解して記憶もはっきりしている赤子であった。

 

 恐ろしくなった大木曽殿はその赤子を伊吹山の山中に捨てた。

 

 しかし――八岐大蛇の血をいただくその赤子には、少なからぬ神性が宿っていた。伊吹山に捨てられても、かつての父と山の猪や蛇、狼に育てられながらその異形の血を受けた少女は、すくすくと成長した。

 

 少女は伊吹山で暮らしながら、何の不自由も感じなかった。時たまに父と己を山の神として崇め供物をささげる人々や討伐に来る人々もいたものの、彼女の生活は概ね平和なものだった。

 

 しかし、生まれてすぐに「人ではない」と捨てられてしまった少女は何故自分が捨てられたのかわからなかった。生まれてこの方山で蛇や猪たちと暮らしてきた少女にとって、人間とはたまに自分を崇めに来る者。

 姿形は同じなのに、なぜか自分を恐れ崇める者達であった。

 

 少女が寂しさを感じていたわけではない。共に暮らす自然、動物がいれば彼女に不満はなかった。ただただ、人間なるモノがとにかく不思議だったのである。

 

 

 ――一度、山を下りて見よう。

 

 八岐大蛇――時を経て伊吹山の神と呼ばれるようになった父は、その彼女を引き留めた。彼は言った。「お前は人ではない。人と共に生きることはできない」と。

 

 しかし、その父とて彼女とは同じではなかった。かつては最高の幻想種であり神でもある父は、人の血の混じった彼女とはやはり違うモノであった。

 少女は「人ではない」と言われ、母に捨てられてから長い時を人ならざる者と共に過ごしてきた。

 

 だから。今度は「人間」を見てみたい。

 

 半身を異形、半身を人間として生まれた少女は、長い時を経て――それこそ、決して人間ではありえないほどの年月を経て――若く幼いその姿のまま、人間の世界に足を踏み出した。

 

 人間の世を渡り歩く中で、山にいたときに捧げられた酒という飲物を、特に好んで飲み続けた。また、人の身ではない少女は、男とも女ともつかない美貌により多くの男女を虜にした。

 魔性ともいえるその魅力の放射は、多くの人々の人生を狂わせ、恋患いにより死に追いやった。だが、少女はそのことを悪いとも何とも感じない。

 

 ――姿形は同じなのに、どうしてこうも違うのだろう。

 

 姿かたちは同じであるのに、彼らは自分よりも遥かに脆い。自分は可笑しなことを何もしていないのに、彼らは何故か自分を非難する。悲しくはないが、少女はただただわからなかった。わからなかったが、それを繰り返すうちに彼らが「やはり父の言う通り、自分と彼らは違う生き物なのだろう」ということだけは理解できた。

 

 ――自分のようなものは、恐らくこの世で自分だけなのだろう。

 

 そういう風に達観した少女は、ある日もらった恋文をまとめて燃やすことにした。男女の怨念のこもった煙は、人々をあまりにも惑わせすぎた少女を鬼の姿―――身の丈三メートル、角が五本のおぞましき怪物――に変えたが、彼女に動揺はなかった。

 

 元々人ならぬ身だったものが、外見まで人でなくなっただけの話である。

 

 少女は昼は人の形をとったが、夜は異形となってしまう体となった。

 それでは人間の世を渡り歩くことはいよいよ難しい。

 故郷に似たどこかの山にでも身を隠そうかと思っていた時に、少女は運命に出遭った。

 

 

 丹波国に立ち寄った時のことだった。少女は丹波山に、異形が住んでいると言う話を聞いた。聞くところによれば、その元人間は生まれたときから歯が生えそろい、人語を解したことを恐れられ捨てられていたところを髪結に拾われたという。

 

 その時点で「どこかで聞いた話だな」と少女は思い、興味を覚えた。

 

 そして髪結に拾われた異形はわざと人の額を切って血を啜るようになり、それを両親が咎めたところ急にいなくなってしまったそうだ。

 そして、その異形は今丹波山に住み着いているという。

 

 少女はもちろん丹波山に向かった。その山で出会ったのは、髪紅く角を生やした男。上流から小川の流れる音が響き、雨上りの湿った空気の中での邂逅だった。

 運命と言うものを感じたことのない少女だが、彼女はその瞬間、運命の出会いを信じたのだ。

 少女は、岩の上に佇む男に向かい、静かに言の葉を紡いだ。

 

「あなた、人間ではないでしょう」

「お前もだろう」

 

 静謐な山の中で、二人の間にはそれ以上の言葉はなかった。一目見て、お互いが人ではないことを知った。そして始めて、「同族」というモノを知ったのである。

 

 この世で自分は一人きりではなかった――その気持ちを何と表すのか、二人は知らない。けれど、今まで周囲に感じていた違和感が雲散霧消するほどの感動があった。

 二人を繋いだのは友情か、親愛か、恋愛か、言い方は様々あれど、どれでもよかった。

 

 少女の人生で、最も輝いていたのはこの時期から死ぬまでであろう。連れ合いの男は茨木童子と名乗り、少女は彼と共に丹波と山城国境の大江山を本拠地として暴れまわった。茨木童子という同族がいることを知った少女は、次々と同族を発見し大江山に来るように誘いをかけて、配下を増やしていった。

 

 京の姫君や若君を攫い、日夜山で大騒ぎ。しかし彼らに悪意はない。人間と彼らは「別の生き物」であり、同族を殺すのに躊躇いはあるが、人間という種族を殺すのにためらいなどあるはずもない。人間から見ればおぞましい殺戮の場であっても、彼らには楽しい酒宴だった。

 

 

 今思えば、とキャスターは述懐する。

 

「あの時は嬉しすぎて調子に乗ってたのよねぇ。私一応伊吹童子――お父様、神の使いっぱの時代を合わせるとかなり長く生きてることになるんだけど、そのうちのほとんどはひとりぼっちだったから、すっごく楽しかったの」

 

 長い長い、一人が当然だと思うほどの孤独の果てに見つけた同族たちの宴は、底知れぬ喜びをキャスターに与えた。だが、終わりはあっけなく訪れた。

 

 当時の平安京に跋扈する鬼の話は、朝廷にまで知れ渡っていた。

 時の天皇と藤原道長――アーチャーの命により、源頼光(みなもとのよりみつ)とその四天王である渡辺綱(わたなべのつな)坂田金時(さかたのきんとき)卜部季武(うらべのすえたけ)碓井貞光(うすいのさだみつ)がキャスターたち大江山に住まう者どもを討伐するように命じられたのである。

 

 彼らは石清水八幡宮等に参詣したのちに、神の化身に出遭い「山伏姿で行き、この酒をのませなさい」との助言を受ける。その酒を手土産にした討伐一行は、まんまとキャスターらに面会し、酒好きなキャスターたちはその酒を飲み動けなくなってしまった。

 武士姿に戻った一行は、その隙をついてキャスターたちの首を討ち取った。だまし討ちにあったキャスターは、死の間際に「私たちは卑怯なことなど何一つしなかった!!」と叫んで、息絶えた。

 

 打ち取られた時は激しい怒りを抱き人間を皆食らってしまわなかったことを悔やんだほどだったが、直に人間が憎いとは思わなくなった。仮に人間が鬼たちを食い物にしていたら、同じく自分も人間を憎しみを以って討つだろうからだ。

 

 やりすぎたのだと、キャスターは悟った。

 

 しかし本当に憎いと思わなかったのは、おそらく、彼の人は生きているだろうからだ。

 息絶える直前にキャスターは見た。

 

 神経を侵す毒の入った酒をあまり飲んでなかったのか、茨木童子が這う這うの体ながら走り去るのを。自分はもう胴と首が離れている。間もなく意識も消え果るだろう。

 

 ならば、せめて彼の人が生き残ってくれるならそれでいいと、キャスターは今わの際で思ったのである。

 

 ――しかし。

 

 彼の人が生き残ってくれるのは嬉しい。けれど。

 

 ――おまえをひとりぼっちにしてしまうな。

 

 同族のいる喜びを知った今、お前は一人ぼっちに戻っても大丈夫なのか――。

 

 生まれてこの方、キャスターは嘘をついたことはない。良くも悪くも、全てに対して正直だった。興味を持って山を下り、楽しいから人を食べ、嬉しいから暴れた。それはとても楽しいことではあったが、人間を害することでもあった。

 

 ならばもし、人間を害さないならば自分たちはあのまま、大江山で楽しく暮らせていたのではないか――。

 

 そう思いながら、現世に呼ばれたキャスターが聖杯に願うことはただ一つ。

 

 

「人間もいない、鬼だけの世界をつくりたいの。私たちが楽しく永遠を過ごせる理想郷、そういうのが欲しいの」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 山の夜は寒い。十二月ともなれば、それもひとしおである。微風にさざめく森の音を聞きつつ、キャスターは月の光を浴びながら笑っている。

 片手で酒の入った竹筒をくるくるともてあそぶ。

 

「鬼の姿って好きじゃないんだけど……じゃあご主人、使っちゃうわよ?」

 

 キャスターをそのまま幼くしたような少女は、赤い瞳を上に向けて命じた。キャスターは今の姿では、全開の三分の一の力も発揮できない。そのうえ、拠点の秘匿にこだわったマスターのキリエにより、この山は全域に人払いがかけられた上に魔力を漏らさぬ結界まで張られている。

 そのキリエが、ついにキャスターにすべてを露わにすることを許可した。

 

「構わないわ」

 

 キャスターの周囲に自然風ではない風が吹き荒れる。大がかりな魔術を行使する場合につきものの魔力風が大気を動かしていく。それと同時に、キャスターの纏う巫女服がはじけ飛ぶ。月光で煙の中にいるキャスターの輪郭が、徐々に女性のそれではなくなっていく。腕が太く、背が高く、頭には角のようなものが浮かび上がる。

 

 煙が晴れてみると、そこにいたのは体長三メートルを越し、頭に角が五本、鋭く大きな目が睨む、黄色く長い髪を振り乱している大鬼だった。体は赤く、腰に太い荒縄で布を巻きつけている。この巨大な体躯そのものが凶器であり、最強の鋼の肉体である。

 キャスターは器用に筒を首から下げ、マスターのキリエを肩に乗せた。キリエは物怖じする様子もなく、長い髪を掴んで捕まる。

 

「嫌がるほど悪いものでもないと思うけど?キャスター」

「あまり綺麗な見た目ではないからな」

 

 予想通り野太い声で話されるが、口調が変わっていることにキリエは首を傾げた。

 

「あら?貴方女ではなかったの?」

「女の姿が好きだから女でいただけで、本来はどちらでもないぞ」

「あらそう」

 

 キャスターはそのまま空いた左腕を天に向ける。再び風がざわめき、どこからともなく紫電が飛ぶ。電撃は激しさを増して稲光る。

 

 一ヵ月間にわたって町中から少しずつ集められた魔力と、霊地である大西山そのものから回収した魔力を使用する。地鳴りがキャスター自身をもまとめて揺るがし、まともな人間は立っていられないほどの揺れが起きる。紫電は渦を巻くように飛び散る。

 そしてキャスターは号令の如き雄叫びを上げた。

 

「我が部下!人にあらざる者!皆、楽天地を求めるならばいざ集まれ!いざ従え!『大江山百鬼夜行(おおえやまにようまよゆけ)!!』」

 

 紫色の光の柱が、大西山から雲を衝いた。キャスターの周囲の木々が根こそぎ吹き飛び、ふもとの一帯が更地と化す。山上空の雲は渦を巻き、この季節に気味の悪いほど温い風を轟々と吹かせはじめる。妖魔の類が好む魔力をたっぷりと含んだ風が吹き荒れる。真夜中の暗く沈んだはずの山に狐火が灯り、火の玉がぽつり、ぽつりと明かりのように浮かび上がる。

 キャスターほどの大きさはないものの、それでも三メートルもある赤鬼、青鬼がどこからともなく現れ我が物顔で闊歩する。一角の鬼、三つ目の鬼、骸骨そのものと湧き出る水の様にあふれる。

 しかし、それらの鬼、妖魔よりも遥かに強大な魔力を持った人間の姿の四体が、キャスターの背後に現れた。四天王と称された茨木童子、星熊童子・虎熊童子・熊童子が恭しく片膝をついている。キャスターは振り返り、地を唸らす深い声で彼らをねぎらう。

 

「お前ら、よく来たな」

「って、お頭が呼び出したんじゃないですか!」

 

 笑顔でそう言ったのは、星熊童子である。二メートル近い背丈のたくましい男だ。鬼の代名詞である金棒を肩に担ぎ、黄色の鉢巻を撒いている。久々の娑婆が嬉しいと言わんばかりに、そのまま金棒を振り回す。

 

「おい星熊、相変わらず落ち着きのない……」

 

 うんざりしているようで、懐かしさを感じている虎熊童子は双剣を持った女だ。真っ白い髪を頭で一つに結び、さらさらと月光に輝かす。着流しのような青い服に身をつつんでおり、中性的である。

 熊童子と金童子は、何も言わず静かにキャスターを見上げている。二人とも小柄な少年のなりであり、寺の稚児のような水干を身に纏い、頭には日本の角がはっきりと生えている。二人の違いは熊童子の方が赤い水干で、金童子は青い水干であるぐらいで瓜二つだ、

 キャスターは強面だが、それでも声は懐かしさに満ちている。

 

「再開を祝して酒宴をしたいが、それはまだお預けだ。勝利の後で、たらふく飲ませてやる」

 

 キャスターの『大江山百鬼夜行(おおえやまにようまよゆけ)』は、生前のキャスターが大江山の鬼の首領として、時のあらゆる妖魔魑魅魍魎の類を従えたことによる宝具である。分類としては召喚術であり、真名開帳によりかつての部下である鬼・妖魔を召喚して使役することができる。

 しかし一度この宝具を開帳してしまえば途中で止めることはできない。陣地と化した土地は、キャスターの消滅まで魑魅魍魎の行きかう異界となりはてる。

 八岐大蛇でもあった伊吹山の神の申し子であり、長い年月を経て鬼と変化した魔物。日本三大悪妖怪の一つに数えられる、大江山の酒呑童子――それがキャスターの正体。

 

「ここに居る限り、お前たちは死んでも死なない。だから、何度でも死んでもらう(・・・・・・・・・・)

「相変わらず鬼使いが荒いぜ。全く変わらないっすね」

 

 意味深なキャスターの言葉を瞬時に解し、星熊童子を筆頭に四天王は笑う。かつての頼光四天王により壊滅させられて以来の再会に、鬼たちは湧く。しかしそれはまだ早いと、誰もが分かっている。キャスターは指で肩にのせたキリエを指差した。

 

「今度は俺が首領なら、こっちの姫は大首領だ。お前らわかっておけよ」

「お頭がそうおっしゃるなら、私たちは従うまで」

 

 虎熊童子の凛とした声が冴え、他の者たちも同様の意を示す。

 

「よろしくお願いするわ、酒呑童子四天王」

 

 キリエは怖じることなく、スカートのすそをつまんでお辞儀をした。彼らの首領がそういうならば、鬼たちは従うのみである。

 大西山ならぬ大江山は、今宵より鬼と魑魅魍魎の巣窟と化した。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 時刻は夕方だが、この時期にあっては疾うに日が沈みきった午後五時。明、セイバー、一成、アサシン、悟の五人はアサシンたちの部屋に集合して、それぞれがベッドの上に座って作戦会議を催していた。明は人差し指を上に向けて立てて口火を切る。

 

「とりあえず、アサシンも共に戦うことになったわけで、今日は偵察に行ってもらいたいんだけど」

 

 キャスターが自ら拠点を明らかにした。キャスターと言うクラス上、かつ今日一成が聞いた話によれば彼女は自ら打って出ることはない。拠点を明かしたのは、セイバーたちを迎え撃つ準備が完全に整ったからに他ならない。

 

 キャスターとセイバーでは、クラス上は圧倒的にセイバーが有利である。しかし、スキル「陣地作成」を持つキャスターの根城で油断をするのは命取りだ。キャスターというクラスのサーヴァントはそのスキルゆえに、時間が経てば経つほど強くなる。早く戦いに行くべきであるが、前情報なしに行くのは危険すぎる。

 

 アサシンはおうと声を上げて、「そこは当然俺の仕事だな」

 

「うん。絶対に気配遮断を解いたらダメだからね。あっちはアサシンがいること、知らないんだから」

 

 キャスター陣営はこちらにはセイバーしかサーヴァントがいないと思い込んでいる。それはこちらにとって数少ないアドバンテージである。アサシンは強く自分の胸を叩く。

 

「わかってらぁ。そこんとこはキッチリわきまえてるぜ」

「頼むぞアサシン。あ、俺も様子を見たいから視界をよこせよ」

「了解」

 

 アサシンは軽く返事をしてから、明とセイバーに向き直った。

 

「じゃ、俺が出てるときは悟の面倒をたのむぜ」

「あ、アサシンこれ貸してあげる。キャスターの魅了くらいなら退けられると思う」

 

 明がアサシンに手渡したものは、飾り気のない黒いブレスレットだ。アーチャーとキャスターに襲われた時に魅了にかけられたアサシンを助けるべく、彼女が家から持ってきたアイテムである。

 幸いキャスターの魅了は明や一成でも抵抗できるランクであったため、このブレスレットがあれば魅了に惑わされることはない。アサシンはさんきゅーといい、それを受け取った。

 

 そしてアサシンはホテルのベランダから飛び出していった。一成もアサシンの視界に集中するため、悟の部屋を出て明の部屋へと一人移った。

 

 部屋には明、セイバー、悟が残されている。彼等の窓から見える街は闇に沈んでいる。バーサーカーの残虐が止んでも、あの殺人事件は世間的には未解決の事件である。またいつ惨殺が起こるか、人々は戦々恐々として暮らしている。

 

 明が一成から聞いた話によれば、近隣の小学校・中学校では下校時間を早め、かつ集団下校を実施しているという。近隣の高校でも部活動は中止され、早い下校が勧められているそうだ。バーサーカーが消滅したとはいえ本当に聖杯戦争が終わるまで、春日は暗く魔力に包まれたままなのだ。

 

 とりあえず明たちはアサシンが戻るまですることはない。時間も時間で食事でもしようかと明は考えたが、一成は集中しており、悟も動く元気はないだろう。外食で彼らを放置するわけにもいかない為、出前を取ると言う結論に落ち着いた。

 出前は取れるが、チラシの類はない。一階に共有のインターネットがあるので、それを利用すれば注文することができる。

 

「セイバー、悟さん、何か食べたいものありますか?」

 

 悟は食欲がわかない為に首を横に振った。セイバーは何故か「うなぎ」と言ったが、明は「和食ね」と素知らぬ顔で変換して外へ出て行った。

 

 

 

 

 自然、部屋にはセイバーと悟が残される。セイバーは昼の間に整えられた一成のベッドに寝転がると、何をするでもなく天井の一点を見つめていた。

 悟は一日毛布にくるまって寝ているため、体調は優れないが既に眠くない。

 

 悟はマスターである一成、明が聖杯戦争に参加する理由は一通り聞いたが、このセイバーのことは聞いていなかった。アサシンにはもう願いがないらしいが、このサーヴァントには何か願いがあるのだろう。

 聞いてみてもよかったが、悟はそもそもセイバーにあまり良い印象を抱いていない。

 それはアサシンの元マスターを殺したのが彼であることによる。其の為、じっと剣の英霊の姿を見てしまっていたのだが、その視線をセイバーが感じないはずがなかった。

 

「何か用か」

「……あ、いや…………セイバーさん、にも聖杯にかける願いってあるんですか?」

 

 悟は何と呼ぶべきか迷い、さん付けで呼んでしまったがセイバーは呼び捨てでいいと言ってから答えた。

「俺に願いはない」

「……じゃあ、なんで戦いを続けているんですか」

「願いはないが、目的はある。俺以外のサーヴァントを悉く殺し、この戦争に勝つことだ」

 

 バーサーカー戦を覗いていたため、悟もセイバーの真名は知っている。日本最強をその名とする古今無双の英雄だそうだが、美しい見た目からはとてもそうは見えない。

 しかし勝つことが目的というが、悟にはその真意がわからない。

 

「何で勝ちたいんですか」

「……俺が勝利するのは当然だからだ。それ以上問うのならば半殺しにする」

 

 今まで天井に向けられていた目が、俄かに悟に向けられる。殺意をもった視線に射抜かれ、悟は金縛りにあったように動けなくなった。まるで挨拶のような軽さでありながら、吐かれた言葉は間違いなく本気である。

 

 悟が凍りつき言葉を失った時、丁度扉が開いてセイバーのマスターが姿を現した。

 

「良く考えたら私あんまりお腹すいてないけど、とりあえず適当に弁当をたのんで……って何この空気」

 

 重い空気を感じ取った明はつかつかと寝転がるセイバーに近づくと、なんといきなり彼の頭からひょろりと立った一本の毛――要するにアホ毛を引っ張った。

 

「……何をするマスター」

 

 しかし当の明はセイバーを気に掛けなかった。「悟さん、すいません。多分セイバーが殺すとか八つ裂きにするとか滅多切りにするとか膾切りにするとか言ったのかもしれませんけど、気にしないでください」

「……良くわかったな。しかし気にするなとは何だ、俺は本気だ」

「こんな調子ですけど、今のところセイバーの「殺す」は「やあ元気?」とか「金貸してくれ」くらいの感じで受け取っておけば問題ないですから」

 

 悟は顔面を引きつらせた。明はマスターだからこそけろりとした顔で言えるのかもしれないが、こちらは元敵マスターである。アサシン曰く「マスターまで殺すのは往々にしてある」だそうで、気が休まらない。悟の様子に気が付いたのか、セイバーの文句を無視しながら彼女は笑った。

 

「本当に大丈夫ですよ。セイバーが本当に殺す気なら、悟さんは今頃死んでますし。むしろセイバーが「殺す」とか言ってるときは殺しません」

「……俺は殺すとは言ってない。半殺しと言っただけだ」

「あ、そこは妙に気をつかってくれてたんだ。相変わらず気の使い方がよくわからないなぁ」

 

 明は呑気にセイバーと話していたが、悟を安心させるようににっこりと微笑んだ。

 

「そうそう、セイバーは私の意に反することをしようとするととパラメータが下がるんです。キャスターという強敵を相手取るときに、そんなことはしないですよ」

「……はぁ」

 

 悟から見れば明も十分常識の埒外にある。セイバーの人格をわかっていない悟は苦手意識をぬぐえないが、マスターの明に害意はないことはよくわかっている。

 

「そういえば、悟さんはなんでアサシンと契約したんですか?消滅しそうだったアサシンを拾ったとか?」

 

 明は適当に言ったが、それは奇しくも見事に当たっていた。

 

「……そうです。家の近くにアサシンが寝転がってて、声をかけて家に連れてきて、そしたら契約だの聖杯戦争だのの話になって」

「けど、アサシンは強い願いがあるみたいでもないし……あなたは無理やり戦わされてたっていう風にも見えませんでした。何か、願いがあったんですね」

 

 明は悟の目を覗きこむ。彼は苦笑してええいままよと正直に語る。

 

「……一年前、冤罪を押し付けられて会社を辞めさせられました。妻とは別居状態、子供ともなかなか会えません。昔から貧乏くじばっかり引いてる質で、それで今度のこともあって……。何でも願いが叶うと聞いて、時を巻き戻してやりなおせたら、と、思ったんです。……自分でもつまらないことを考えたと思っています。こんなこと、また妻と子供と暮らすことなんて、そんなつまらない願い、聖杯なんてなくても……命を差し出して戦うことじゃなかったんです」

 

 悟は自嘲する。今思えば、あれをヤケクソというのだろう。自分には何も残っていないと思いつめた果てに、本当に死に瀕するまで間違いに気づかなかった。

 己の願いは、聖杯などというもの縋るべき願いではないと。そして気づいた今となっては手遅れで、自分が助かるかどうかも分からない。

 アサシンの機転により今はかろうじて生を繋いでいることも承知している。

 

 聖杯戦争に勝利する点でいえば、明たちはすでにアサシンを手に入れているのだから、悟を見殺しにしてもいいのだ。それでも助けようとしてくれるのだから、悟は彼らに感謝の念を禁じ得ない。

 

「……つまらなくなんかないですよ」

「……え?」

 

 顔を上げると、明がまっすぐ悟を見ていた。淡々と話す女性と思っていたが、今の彼女の視線からわかるのは、限りない真摯さだ。

 明は本心を以ってウソ偽りなく悟の言葉を肯定する。

 

「悟さんの夢はつまらなくなんかありませんよ。いい夢です。……私じゃ頼りないかもしれませんが、あなたの事は必ず助けてみせます。それが私の責務でもありますから」

 

 明は一息入れて、さらに続ける。「助かった後は、もう聖杯戦争のことは忘れてください。これはあなたのような普通の人が関わるべきことじゃありません。この戦争は、魔術師(わたしたち)の戦争です」

 

 その瞳は、悟のように死を遠いものと思う人の目ではない。常に傍に置き、いつ身に降りかかってきてもおかしくないことを知っている目である。頼もしさを感じると同時に空恐ろしくもあり、さらに自分よりはるかに年若い女性に生死をかけた戦いをさせる罪悪感があった。

 

「……決して無理はしないでください」

「そう気をつかわないでください。貴方のことがあろうとなかろうと、どうせ私は戦うことになっていたんですから」

「俺が負けることはありえない。ゆえにマスターは死なない。悟とやら、要らぬ心配をするな」

 

 いつの間にかベッドの上から上半身だけ起き上がったセイバーが、顔もむけず当然のように言い放った。そして彼がベッドとベッドの間にある備え付けの電話に手をかけたとき、電話が鳴った。出前が到着したとの知らせだった。

 部屋の前まで来てもらうと、明が金を払い弁当四人前とおかゆを一人前抱えて、窓際の小さい机の上に置いた。

 

 食事をとるような部屋ではないため、明とセイバーは行儀は悪いがベッドの上に座って弁当を食べることになる。おかゆは悟の為に一応頼んだのだが、やはり食欲のない彼は遠慮した。

 

 黙々と食事をする明とセイバーを見ながら、悟はここにはいない一成とアサシンのことを思いだした。机の上に置きっぱなしになっている弁当は彼らのためのものだ。悟は何の気もなしに尋ねた。

 

「……土御門君は、どんな魔術を使うんですか?」

「陰陽道です。魔術っていうか呪術に近いとこもあるんですけど……その辺聞きたかったら土御門に直接聞いてください。魔術師はあんまり他人に自分の魔術について話すものじゃありませんから」

「あ、そうなんですか、すいません」

 

(……ん?そういや土御門って人を直接害する呪術はできないけど、人を害さない呪術はできる?そして治癒は呪術寄りってあいつ言ってたよね……)

 

 明が何か考える傍ら、申し訳なさそうにしながらも、悟はまだ聞きたいことがあるのか質問を続けた。

 

「アサシン、キャスター……すごい強い敵のところに行ったみたいですけど、大丈夫ですか?」

「アサシンの気配遮断は他の追随を許しません。攻撃をしかけたりしなければ絶対に気づかれません」

 

 悟にはやはり「そうですか」としかコメントできなかったが、不安を一かけらも見せない明とセイバーを見て信じることにした。その時、ハンバーグを箸で持ったまま、セイバーは何か異議ありと文句をつけた。

 

「俺も魔術には詳しくないが、アサシンも同じでかつ土御門も強い魔術師ではないだろう。アサシンとアレでキャスターの陣地のことがつかめるのか?」

 

 セイバーは随分辛辣だが、間違いではない。一成自体は未熟な魔術師である――が、この聖杯戦争において彼は一つのアドバンテージがある。明は口の端に米粒をつけたまま、真面目な顔で口を開いた。

 

「土御門家はこの聖杯戦争を始めた切欠の一つ。春日の聖杯はアインツベルンと土御門の魔術師を核にして成っている。その上御三家は聖杯より漏れ出た魔力が流れ込んでいるからね」

「……つまり、土御門君の魔術師としての力は聖杯戦争においては、補正されてるってことですか?」

「そんなかんじです」

 

 やはり話の半分も理解できていない悟と、胡乱な目つきをしているセイバーだった。明はから揚げを口に運びながら、云々唸った。

 

「土御門の家が陰陽道について一流なのは本当だし、土御門から私へと視界を繋げるのも手間だし。とにかく待ってみよう」

 


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