Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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12月4日④ 未だ喚ばれざるもの

 ランサーがキャスター・アーチャー陣営に襲われ奪われるという大事件が起きた。拠点にて突如キャスターたちに襲撃されたハルカ・エーデルフェルトは観念してランサーを引き渡し、教会に保護を求めてきた。

 

 ――ここまでが、昨夜の顛末である。

 教会は、勿論ハルカの保護を行う。だが監督役補佐の神内美琴は、どうも腑に落ちない点が多くあると思った。

 

 昼の教会は閑散としていて人気がない。この教会も朝の礼拝や信者の賛美歌の合唱の練習を行っている時もあるが、聖杯戦争中ゆえにこのところイベント事は無くしている。よっていつもに比べてさらに人気がないのである。

 午前中に元アーチャーのマスターとアインツベルンのマスターが挨拶に来ると言う突発的イベントがあったが、対応は父御雄に任せていた。彼等は程なく教会を去ったが、同時刻に礼拝堂において長椅子に腰かけ、暖炉に当たる者が一人いた。

 

 ランサーのマスターであるハルカ・エーデルフェルト。彼はゆるりと腰かけて文庫本を開いていた。ステンドガラスが並ぶ通路の奥から、足音高く姿を現したのは、シスターの美琴だった。父の言葉通り仮眠を取ったがそれもほどほどに彼女は眼を覚まし、毅然と礼拝堂にその姿を現した。

 

 彼女はハルカの姿を見つけるなり近づき、直截に問うた。

 

「ハルカ・エーデルフェルト。何故あなたはランサーを渡したの」

 

 ハルカは顔を文庫本から上げないまま、美琴に答える。

 

「何故とは不思議なことをお聞きになるのですね。私はキャスターとアーチャーに襲撃され、とても敵わないと判断した。キャスターのマスターはランサーと令呪を渡せば命は助けると言ったので、私はそれを受けました。臆病なマスターとお笑いになってもかまいませんよ」

「教会に逃げてきたあなたには全く戦った形跡がなかったわ。服は汚れひとつなく、魔力を消費したようにもみえない……」

「キャスターとアーチャーを使役するアインツベルンのマスターですよ?私は恐れをなしたのです」

「現れただけで、戦いもせず?午前中、襲撃されたと言うあなたの拠点を見に行きました。本当に戦った様子がありませんでした。ざっと見ただけですが傷一つない。これはキャスター側も攻撃をしていないということでもありますね」

「……何をおっしゃりたいのかわかりかねます」

 

 美琴は一瞬廊下の奥を見やる。すでにこのことは父の御雄にも報告してあるのだ。

 

「アインツベルンがキャスターとアーチャーを所持しているのなら、居場所のわからないガンナーはともかく、なぜセイバーではなくランサーを奪いに来たのですか?仮に碓氷の家が堅牢だったからやめたにしても――なぜアインツベルンは貴方の拠点を知っていたのですか?そして、アインツベルンはあなたが抵抗もせずランサーを引き渡すと知っていたのではありませんか?」

 

 ハルカは初めて顔を上げた。おそらく、今言ったことは図星なのだと美琴は確信する。

 この騒動――アインツベルンによるランサー強襲劇は、狂言である。

 

「貴方はアインツベルンと何らかの条件を以て結託していたのでしょう。いつからかは知りませんが」

 

 ハルカはアインツベルンと結託していたことを隠したまま、教会・明と結託した。つまり、教会と明から得られる情報をアインツベルンに流す、スパイのような立ち位置にいた。そして概ねの情報収集を終えたところで、自らサーヴァントを手放しアインツベルンに渡す。

 あとは最強のマスターたる彼女が残りを駆逐するだけということだ。

 

 もしこれが教会・明に割れれば、「根源に至る」という望みのある明とは決裂し、協力を申し出た教会を裏切ることになり全ては決壊する。

 

「……仮にそうだとしても全ては後の祭りです。しかし、あなたにとっても困りはしないでしょう。アインツベルンも碓氷も神秘が漏えいするような戦いはしないはずです」

「……確かに結果だけみればそうでしょうね。だけど、魔術師としてあなたは根源に至れないことになる。それを構わないとすることがわからないわ」

 

 ガンナーなるサーヴァントの実態は知れないが、三騎を従えるアインツベルンに敵うとは考え難い。日本最強を冠するサーヴァントを従える明とてかなり厳しい戦いを強いられることになる。アインツベルンの勝率はより高くなる。

 しかしアインツベルンにサーヴァントを捧げたハルカは根源には至れない。魔術師は根源に至ることを至上命題とする生き物である。アインツベルンと縁もゆかりもない筈のハルカがそこまでするとすれば、一体何があると言うのか。美琴には、その一点だけがどうしてもわからない。

 

 ハルカは文庫本を閉じて立ちあがった。

 

「採点します。いいところ、二十点ですね」

 

 ポケットに手をいれ、取り出されたのは一つ美しく輝くルビー。そして彼が得意とする魔術を思いかえせば、ここがすぐさま戦場となることは明らかだ。

 

「な……!!」

Neun(九番)Ncht(八番)Sieben(七番)

 

 エーデルフェルトの宝石魔術――美琴とて、かつて魔導を志した人間である。しかし、まるで予想だにしない攻撃に反応が遅れた。ハルカの手から放たれた宝石は閃光を放ち、美琴の目の前で爆ぜた。昼間の明るさを圧倒する光量が解き放たれ、教会は光に満ち溢れ、長椅子が破壊されて細かく砕かれた木片と埃が舞い、視界を悪くしている。

 

 靄のかかった先を見据え、ハルカは油断なく気配を伺っている。

 

「……これでおしまいですか?」

「……冗談」

 

 カツ、と靴音高く姿を現した美琴には傷一つない。その右手には、一振りの剣がある。ハルカは目を見開いた。

 

「おや、私は死徒ではないつもりなのですが」

 

 彼の言も然り、彼女の右手に握られていたのは黒鍵――聖堂教会で使われる悪魔払いの護符、黒鍵だった。十字架を模した剣であるそれは、死徒の体に無理やり人間の頃の自然法則を叩き込み、もとの肉体に洗礼しなおして塵に還す摂理の鍵。

 形は剣だが投擲専用の武装であり、むしろ剣としての精度は低い。

「悪魔殺し」――代行者にはおなじみの武器であるが、美琴が代行者とは聞いたことがない。それに、投擲の武器ということで何本もの黒鍵を手にして戦うことが通常だ。修道服の下に何本か納めているとしても、彼女は一本しか手にしていない。

 

「そんなこと知っているわよ。おとなしくしなさい、ハルカ・エーデルフェルト」

「……刀身は魔力で編まれているモノではなさそうですね」

 

 黒鍵を使用する高位の術者はその柄だけを携帯し、戦闘時に自らの魔力で刀身を編むと言う。しかし美琴は黒鍵の切っ先をハルカに向けて、気後れするでもなく言い放つ。

 

「お生憎様。私は第八秘蹟会所属だけど埋葬機関でも代行者でもないし、そこまでレベルの高い難しいことはできないのよ」

 

 流石は時計塔の魔術師、美琴の魔術のレベルが大それたものではいことは直ぐに見抜いていた。ハルカは静かにポケットに忍ばせた宝石を確認した。彼女はため息をつきながら、その剣の切っ先をハルカに向けた。

 

「おとなしくしてって言っておとなしくしてくれれば苦労はしないわね。貴方のことは少し調べさせてもらったわ。時計塔の『宝石近接格闘術(ジュエル・サイレント・キリング)』――見せてもらえるかしら?」

 

 時計塔で名の知られた宝石魔術使い、ハルカ・エーデルフェルト。しかし彼がこの戦争へと駆り出されたのは魔術にたけていることだけが理由ではない。

 聖杯戦争において、戦うのはサーヴァントだけではない。マスターを相手取るのはマスターである。その魔術師同士の戦いにおいて遅れをとるような人物は、聖杯戦争には相応しくない。例え堅牢な工房を作成したとて、毎度敵がそこへやってきてくれるとは限らない。自然、武道にも秀でた人間が選ばれる。

 同時に、「聖杯戦争」は時計塔にとってはあくまで辺境での儀式でしかなく、さらに春日はその贋作。しかし監視の必要はある――至上目的は何事もなく終わること。この戦争に送られる者にとって得るモノはなく、かといってしくじることは許されない。故に、戦闘能力に優れると同時に厄介者が選ばれる。

 

 ――ハルカ・エーデルフェルト。湖の国(フィンランド)の天秤、その分家筋の男。貴族でありながら傭兵のごとき家訓を持つ家柄ゆえに、冬木の聖杯戦争において本家の双子当主が参加をしたこともある。しかしその結果は惨々たるもので、エーデルフェルトは二度と日本の地を踏まないとするほどだったそうだ。

 故に分家とはいえ、時計塔ではエーデルフェルトの者が再び日本の土を踏むことにはかなりの驚きがあったらしく、同時に本家の者も引き留めたという。

 それでもこの分家筋の男がこの戦争へと赴いたのは、まず碓氷明の父影景から聖杯戦争の話を聞いてしまったことが始まりだ。それから「聖杯戦争にて負った汚名は同じ戦争にて雪ぐもの」と言った、「技術は使わねば錆びる――これほど己の研鑽に役立つ儀式も滅多にない」と言ったなどあるらしいが、結局のところ「魔術師として戦闘を望んだ」ためと、美琴は御雄から聞いている。

 しかし分家とはいえ先を案じたエーデルフェルト、それに碓氷影景との縁もあり教会との一時共闘を進められ、彼もそれには諾と答えたそうだ。

 

 だが本当にそうであれば、これまでの彼の態度とは矛盾する。

 彼は、あまりにも戦っていなさすぎる。

 

 そして、彼女の言葉にハルカは返事を返さない。それが全ての答え。

 動き出したのは奇しくも同時。

 

 

「っ!」

 

 今度は宝石ではない。前方に突き出したハルカの腕と指は間違いなく美琴を指している。黒い呪い――ガンドが美琴向かって連射される。対象の体調を崩すだけの呪いだが、エーデルフェルトのそれは物理的破壊力を持ってマシンガンのごとく放たれる。

 黒い弾丸は教会の椅子を吹き飛ばし壁を抉りその威力を見せ付けるが、彼女はそれにひるまない。

 

「……当たらないわよ!!」

 

 殆ど人とも思えぬ速さで駆け出し、顔を片腕でガードしながら美琴は直撃を回避する。メリメリと悲鳴を上げて吹き飛ぶ長椅子の破片も見事に躱し、彼女はハルカへと迫る。その動きは女性の速さ――どころか、人間の域さえも逸脱しかかかったほどのもの。

 粉塵の中でも彼女は寸分たがわずハルカを逃さず迫る。

 

Neun(九番)Ncht(八番)Sieben(七番)

 

 ハルカは小さな宝石を爆発させたが、恐ろしいことに繰り出される剣技による風圧で爆発の攻撃がほとんど殺されている。ハルカは宝石を壁に向かってさく裂させて、狭い教会内に風穴をあけて脱出した。

 

 外は寒々しく晴れ渡っている。石畳の上に躍り出たハルカだが、美琴の姿がない。濛々と煙幕が張られたようになっている教会内に目を―――「アアアアア!!」

 

 殆ど絶叫だった。先ほどまでのきびきびした快い声をした女性と同一人物が発したとは思えないほどの裂帛の気勢である。足元から爆発したように直進するその勢いは暴走する機関車のようだ。しかしハルカとて武闘派の魔術師だ。

 

Es ist gros(軽量)Es ist klein(重圧)!」

 

 体の軽量化と重力調整を瞬時に行い、魔力を込めた宝石を彼女ではなく足元に向けて叩きつける。暴風と共に半径五メートルの範囲の石畳を粉々に砕き、外に置いても煙幕を張る。だが美琴の剣勢は炎も煙も爆風さえ切り裂く。

 直線に向かうのではなく強い力で地を踏切り飛び上がり、真っ直ぐハルカの脳天を狙っていた。

 生死を分けたのは刹那の判断。だが、回避には至らない――美琴の振り下ろした凶刃は、上空からハルカの右肩を切り裂いた。

 

「――――!!」

 

 悲鳴さえあげず、ハルカは追撃を逃れるべく強化した体で美琴から距離を取った。幸い右肩から先はくっついているが、どろどろと血を流して激痛を訴えている。

 彼の右腕は使い物にはならない。一方直撃を回避された黒鍵はハルカを斬った後、勢い衰えず石畳に深々と突き刺さっていた。当の美琴はその黒鍵を易々と引き抜くと、一息ついて負傷したハルカを見つめていた。

 

「……私程度には本気を出すまでもないということ?」

「……そんなことはありませんよ。その力は、貴方の魔術特性、ですか」

「そんなところよ」

 

 神内美琴――かつて魔術師であった彼女の家の特性は「放出」。元々空手道を修め、剣だけではく体術にも長ける彼女の肉体は、魔力によるブーストにより驚異的な速度での行動が可能になっている。サーヴァントの中にも「魔力放出」というスキルで筋力を上げる者がいるが、それの魔術師版だ。また、彼女の扱う剣術も一般の剣術はかなり毛色の違うものである。

 

 剣としての精度の低い黒鍵だろうか、美琴には関係がない。元々修行でも剣どころか竹刀でもなく、棒切れを使っていたくらいなのだ。

 

「別に出したくないなら出さなくてもいいわ」

 

 ふわりと修道服の裾を舞い上げた中に見えるは、刀身のついた黒鍵、十本。元々剣として使っていた一本も指の間に挟み込み目に見えぬ速さで投擲される。ハルカは逃れるべく駆けたが、そのルートを予測して放たれた二本によって右腕を貫かれ、背後の壁にまで縫い付けられた。

 壁にまでは五メートルくらいあったはずだが、サーヴァント並みの膂力で投擲された剣によって吹き飛ばされたも同然だった。

 

「ぐ……!」

「貴方に聞きたいことがあるの」

 

 美琴にはハルカが全力を出して戦っているとは思えなかった。今まで見たのは普通の範疇に属する宝石魔術で、彼特有の戦闘術ではない。それでも彼女の目的が殺人ではないがゆえに、警戒を解かずに黒鍵を構えたまま、一歩ハルカに近づいた。

 

 既にこの場には、美琴とハルカだけがいるわけではない。美琴が背後に感じている気配は慣れ親しんだ人物のものであり、先ほど説明した為に彼は事情を知っている。

 

 されど次の瞬間、彼女は背中から刺されたような衝撃を受けた。

 内臓がかき回され、熱病に浮かされたように視界が歪んで平衡が保てない。

 

「……っ」

 

 後ろを見ようと振り返った刹那、首に衝撃を感じて美琴の意識は失われた。確かに彼女は背後に人の気配を感じてはいたのだが、その人物は決して敵ではありえないのだ。だから一体何が起きたのか確かめたく、その眼で後ろを確認したかったが、美琴にそれは叶わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「――美琴はこの島国においても特異な剣術を学んでいてな」

 

 壁に縫い付けられたハルカ、うつ伏せに倒れた美琴を見ても微塵の動揺も見せず、廊下の奥の居住区画から黒のカソックを纏った神父が姿を現した。彼は教会の中から、ぽっかりと穴の開いた壁を通して離れた位置から彼らを見ている。妙にわざとらしく、傷ついたハルカを面白がるように笑った。

 

「おや、これはどういう状況だ?ハルカ・エーデルフェルト」

「ご覧になった通りですよ。むしろ、娘に武術のたしなみのあることくらい、私にお伝えしてくれてもよかったのではないですか?」

「それはこちらの失態だ。詫びよう。しかしこの様子、大丈夫なのか?」

 

 神父の発言通り、今のハルカは致命傷ではないとはいえ重症を負っている。それでも当の本人は不自然なほどに涼しい顔をしている。

 

「右腕一本程度、どうにでもなります。しかし事故とはいえ記憶の読み取りがうまく進んでいないせいで、ハルカの体術があまり機能せず困りました」

 

 後ろから美琴を狙撃したのは、この神父。養女である彼女に微塵の躊躇いもなくガンドの呪いを打ち込みハルカを助けたのだ。彼はちらりと倒れた娘を見てから、再びハルカ――否、教会の入り口に目を向けた。

 

「最後、いや最初のサーヴァントを召喚するために、貴殿に力を拝借したい」

 

 その時、教会の扉が開く。まっすぐ伸びる光と、人物の影。その人物は身長百七十前後、長い金髪の容姿端麗な女性だった。年は二十の半ばを超えたくらいに見えるが、杳として知れない。白のロングコートの下に淡いイエローのボウタイブラウス、紺色のロングスカートを着こなしている。同じく紺色のパンプスが細い足首に映える。

 

 切れ長の眼が笑い、花唇が弧を描いて神父に語る。

 

「根源に至るか至らないかは興味のあるところよ?けれどどちらにしろ聖杯戦争はあの御三家の大儀礼――私の魔導の肥やしになるでしょうから」

「ならば仮に根源に至るとしたら、お前はどうする?」

「仮に根源に至れるとして――それは魅力的だけれど、私の美学に反するのよ。この儀式でアインツベルンや土御門が根源に至るならそれは道理だけれど、私はこの聖杯に関してはビジター」

 

 女は壊れていない長椅子に腰かけ、ゆったりと手を組んだ。どこか王侯貴族のようなたたずまいすら感じさせ、花唇からは冷たくも快い声が紡がれる。

 女に比べ、ハルカは磔のままもう何も語らない。

 

「私は私の方法で根源に至る。此度の目的はもう別にあるの」

 

 聖杯戦争は、二百年以上前に冬木の地で始まった根源に至るための大儀礼。アインツベルン・間桐・遠坂の御三家の神域の天才と言われた者達が始めたものである。

 そして五度にわたり開催され、五回目でその歴史を終えた。

 

 何でも願いを叶える――そのふれこみは、参加者を集めるための方便に過ぎない。七人のマスターを集め、彼らを依代とすることで七騎のサーヴァントを召喚する。脱落したサーヴァントは、座に帰るまえに一度小聖杯に留められる。そして七騎の魂が揃った時、英霊が座に帰ろうとする力を利用して一気に根源へいたる孔を穿つ。

 長年かけて溜め込んだ大聖杯の魔力でその孔を固定し、根源に至る道をつくる。それが聖杯戦争の正体、本当の目的である。

 

 もちろん、願いが叶うというのも嘘ではない。

 

 サーヴァント五、もしくは六騎分の魂があれば、この世における願いは何でも叶うだろう。

 だが、根源に至ることは次元が異なる。根源に至ると言うことはこの世界の外にでること、抑止力を超える事で、内にとどまる願いとは全く別である。

 

 そのためには七騎――最後には自分のサーヴァントさえ殺す必要がある。

 

 聖杯は確かに英霊なる存在をサーヴァントとして使役するという、およそ人間に話し得ないはずの奇蹟を具現している。しかし――五度にわたって行われた聖杯戦争――その中で、一度でも根源に至った者が居るかと聞かれたら否である。

 そして根源ではなくとも、願いを叶えた者が居たかと聞かれたらそれも否である。

 

 ―――本当に、聖杯は願いを叶えるのか?

 

 女が最初にそう思ったのも納得できるだろう。女も魔術師として、根源に興味はある。

 とにかくそれはを確かめるわ――彼女は長い髪を掻き揚げ、言った。

 

 神父は女の隣に歩み寄った。「聖杯以外のお目当てとは?」

「セイバーのマスター・碓氷明。あの子が欲しい」

 

 それまでの峻厳さを感じさせる雰囲気が一転し、女は人差し指を唇に当てて陶然とあらぬ場所に視線をやった。まるで発情した雌のように、体を震わせている。

 

「……なるほど。好きにすればいい。だが、彼女は碓氷の跡取り。彼女の父親がどうするかわからないが」

「どうせ私は封印指定よ?今更何も変わらないわ」

 

 女は皮肉気に笑い、御雄をちらりと見てから立ちあがる。「できれば生体がいいけれど、死体でもいいわね」

「最初から七代目が望みだったなら、バーサーカー討伐時にバーサーカーに加担すればよかったではないか」

 

 バーサーカーに加担し、セイバーを二騎で相手取ればセイバーを消滅に追い込めた公算もある。そうすれば明は丸裸である。

 

「私の話、聞いていた?最初は儀式の観測だけが目的だったのよ。マスター個人なんてどうでもよかったの。それにハルカちゃんが生き残る為には、あなたと明ちゃんからの情報ももらっておいていいと思ったし、しばらくどっちつかずの蝙蝠でもしてようとおもって」

「それでも、お前はバーサーカーのマスターを手助けしていたろう?」

 

 女はああそれ、と今の今まで忘れていたようなそぶりで答える。

 

「ハルカちゃんの宝石を上げただけよ。体よくセイバーを消滅させてくれればいいなぁって思ったけれど、セイバーはアーチャーと組んでしまったし」

 

 もしハルカがバーサーカー戦時に明とセイバーに敵対し、そしてバーサーカーがセイバーに敗れていたらその次はランサーを殺しにかかっただろう。ランサーとて名をはせた英霊だが、セイバー相手に必勝とはいかない。女は濡れた瞳で、かつ神父を誘惑するでもない奇妙な色気を以て問う。

 

「貴方の望みは?ミスタ・ジンナイ」

「何度も言った筈だ。私の願いは、聖杯戦争の完了だと。正常な聖杯戦争の為には、(・・・・・・・・・・・・)サーヴァントは七騎召喚(・・・・・・・・・・・)されなければならない(・・・・・・・・・・)

「ほんと病気ね。でも、嫌いじゃないわ、そういうの」

 

 女はくすりと笑うと、優雅な動作で腰を上げた。それから気を失っている美琴をちらりと見ると、朝の挨拶をするように言った。

 

「そうそう、あの子もらってもいいかしら?」

「構わない」

「そう。ならハルカちゃん、お願いね」

 

 物言わぬ銅像と化していたハルカが俄かに行動を始めた。傷の悪化にも頓着せず無理やり黒鍵を引き抜き、ポケットに残していた宝石を取り出し――ハルカが数年にわたって魔力を込めつづけたルビーを、気を失ってぴくりとも動かない美琴に向かって放った。

 

 激しい爆音が轟き、地面を激しく衝撃が揺すった。近距離でそれ受けた美琴の上半身は焼かれ、白煙の中に血霧を紛れさせた。

 ハルカに手加減をさせていたため、死には至っていない。ハルカの体はロボットのように動き、動かなくなった美琴の体を担ぎ上げた。

 神父と女、それに物言わぬハルカはそのまま、奥の居住区画に向かう。

 

 昼間だから電気をつけていないのだが、暗い空間である。

 

 まっすぐ進んで右手に御雄の部屋があり、霊器盤もそこにある。二人掛けのソファが机を挟んで二つあり、その奥に霊器盤の乗った木製の古い机がある。その左にベッドが置かれており、ハルカはその上に勝手に座り、ベッドに美琴を横たえた。

 女はソファに腰かける。

 

「本当にあなたのいう「七騎目のサーヴァント」は出てくるかしら?」

「霊器盤の異常を話しただろう。それは七騎目――いや、一騎目と言うべきかもしれないが――が原因であろう。彼の英霊はまだ召喚途上のままであるのかもしれぬ――もっとも、私もこの仮説に至ったのは今日の朝だが」

 

 神父は部屋を回り、霊器盤の表面を撫でる。女は彼の言葉に訝しげに目を向けた。

 

「召喚途上?」

「アインツベルンが呼ぼうとした英霊は、召喚されなかった。しかしあの触媒で呼ばれるべきはあの英霊のみ――しかし、目的の英霊は現れなかった」

「たんに召喚に失敗したんじゃあないの?召喚が止まるなんて、ありえるの?それにもう聖杯戦争が始まって時間が経っているけれど」

「もちろん、全うにはありえることではない。だが春日の聖杯は冬木の贋作であり、さらに召喚が大聖杯が起動する前の異例の召喚であり、そしてこの日本において破格の力を持つ英霊という条件を鑑みれば」

 

 女は唇に指を当てて、思案気に神父を見上げる。その顔には確かに理知が感じられ、先ほどまでの淫蕩さは身を潜めている。

 

「仮に召喚途上で止まっている、としましょう。「途上」ということは、その英霊は一度召喚に応答したということでしょう。ならばなぜ一度は応答したくせに、途中で気が変わったのかしら」

「それは本人に聞かねばわからない。だが、英霊を招くのは大聖杯――とすれば、かの英霊は大聖杯に何かを見たのかもしれぬ」

 

 大聖杯の奥に潜むもの。

 そして春日の聖杯は、冬木にて五度の戦いを終えた後の聖杯の模造である――。

 

「私とてどこまで(・・・・)春日の聖杯が冬木を模造しているのかはわからない。――正しく聖杯戦争が成れば、それもいずれわかる。そして正しき聖杯戦争には、七騎のサーヴァントがいてしかるべきなのだ」

「――けど、なかなかにせこいわねぇ。聖杯戦争が進んだ状態で、後出しじゃんけんみたいに召喚されるなんて」

 

 その言葉に神父は反応する。そして鷹揚な笑みを浮かべ、両腕を広げて示す。「私は望むのは正しき聖杯戦争だ。聖杯が目的ならまだしも、そんなことはしない――だが、その再召喚を執り行うには、このままではいささか不安だ」

「触媒は……アインツベルンの本拠地に置いたままなのね」

 

 冬の城に置き去りにされた聖遺物。再召喚に使用したくとも取り寄せるには時間がかかり過ぎ、なにより「何故監督役である神内御雄がそうするのか」とアインツベルンに説明もできない。

 そして英霊が「召喚途上」であるとすれば、半ば召喚は成っているのだ。あとは何からのきっかけを作り、こちらに引きずり出す――そこで、女はああと頷いた。

 

「――あ、令呪のような大量の魔力の補佐がほしいということ」

 

 ふうん、と女は手を合わせて神父を見上げた。神父はステンドガラスの先を見透かすがごとく、目を細めた。

 

「お前がアインツベルンにランサーを貸したおかげで戦局は動く。近々、少なくともキャスター、アーチャー、ランサー、セイバーの四騎を巻き込んだ戦いが起こるだろう。少なくとも、その中の二騎は消滅しよう。しかし、今朝から七代目との連絡が取れない」

 

 今日、朝に連絡用の使い魔を碓氷邸に飛ばしたものの、彼女の屋敷はすでに無人だった-――三騎を得たアインツベルンがいるにもかかわらず、碓氷邸はセイバーたちの拠点として割れていることだ。三騎で襲われれば、流石に要塞たる屋敷でも苦しいと早々と碓氷邸を留守にしたのだろう。

 今日、奇しくもやってきた土御門一成に聞くこともできたが、傍らに当のアインツベルンがいるのだから聞けなかった。女は神父を睨んだ。

 

「あら、それは大丈夫なの?なんなら顔の割れていない私が街を歩いて探してこようかしら?」

 

 神父は咳払いをして続ける。「……その必要はない。教会は戦争による神秘秘匿のためにあらゆるネットワークを持っている。ホテルに仮寓しているであろうから、その特定を急ぐ。魔術師は偽名を使わない。両日中に見つけよう」

「なるほどね――あなたといるとこの儀式を特等席で観測できそうだし、あなたの呼ぼうとしている破格の英霊が、セイバーを倒してくれれば万々歳」

 

 女はさらりと立ち上がると、ぱちんと指を鳴らした。それに反応し、ハルカは美琴を背負い先に部屋を出て行った。女もソファから立ち上がると、スカートを翻して出入り口の扉の前に進んでから、振り向いた。

 

「――けど、そんな英霊を呼ぼうとしたなんて、アインツベルンはやる気があるのかしら?強くても、サーヴァントとしてはド三流よ、それ」

「……かの一族は聖杯を求め続ける一族。サーヴァントならなどんな英霊でも御す気構えなのだろうさ」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 女を見送り、神父は息をついた。ハルカがハルカではないと思った時にはこの展開になるとは微塵も考えていなかった。だが、これはこれで悪くない。

 神父が何かを目論んでこうなったわけではない。仮に目論んでいたとしても、それは戦争が始まるまでの話だ。とすれば、これは「神の御導き」というものではなかろうか。

 

 後で講堂の惨状を片付けなくてはならないが、幸い聖杯戦争の煽りで教会にスケジュールはなく今すぐしなければならないことでもない。

 神父はソファに腰を下ろし、一人腕を組んだ。

 

(アインツベルンが動いたはいいが、ガンナーを補足できていない)

 

 召喚失敗により自信喪失をしているキリエを焚き付けるのには苦労した。望外の幸運でアーチャーを手に入れたと言うのに、まだ穴倉を決め込むと言った時には言葉を失った。

 しかし、彼女は生まれてからずっと聖杯を得る為だけに生きてきた存在である。そのくせ大一番の召喚で失敗したとなれば、臆病にも見えるくらいに慎重になるだろう。

 

 ひとまずアインツベルンにランサーを貸し与えたのはいいとして、貸したモノを返してもらうにもまた一苦労である。

 セイバーが戦う隙を縫って回収するつもりだが、そううまくいくかどうか。

 

(ガンナーとセイバーを組ませることが出来れば面白いのだが)

 

 そう考えながら、彼の顔は笑っていた。良く浮かべる峻厳ながらも温かみのある笑みではなく、ただただ純粋に笑っていた。聖杯戦争、正しくあれよと、神父は笑う。

 

「この戦争が始まった時点で、私の願いは叶っている――」

 

 神父は昔を懐かしむように目を細める。再び礼拝堂に戻ると、思った通り壊れたままの長椅子が当然のごとく放置されていた。ここで聖杯戦争の開始を宣言してから十日近くが経過した。聖杯戦争はおおよそ二週間から長くても一か月で決着がつく。

 否、聖杯戦争は急展開さえ起きれば、いつ決着がついてもおかしくない。そういう戦いだ。

 

 そう、神父が「七騎目のサーヴァント」がいると確信するわけは、「七人目のマスター」の存在を知るからに他ならない。そして真に願いをかなえたいならば、現在現界しているサーヴァントが一騎になるまで黙っていればいい。

 しかし、その選択肢を神父は論外と断ずる。

 

 かつて、この戦争が始まった時、碓氷の七代目に伝えたように、神父は言祝ぐ。

 

「戦いにこそ意味がある。その過程にこそ意味がある――ゆえに、私の新たな願いを叶えよう、聖杯」

 




ちょいとわかりにくい点がぼつぼつあるとは思いますが、追々明らかになるので「あ、これはこれだったんか」を待っていただければ幸い。
霊器盤ぶっこわれの話はあとでまた詳しくやる予定。

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