まだアーチャーが一成のサーヴァントであった頃、春日のショッピングモールでキリエと一成が出会った時の話である。
その時、アーチャーは近くにサーヴァントの気配――おそらくはキリエのサーヴァント――を感じたがゆえに、様子を伺いに行った。
ショッピングモールの屋上は広い駐車場になっている。その駐車場への出入り口の上に、そのサーヴァントはいた。白衣であるはずの衣は黒く、袴は深い赤に裾が破れている。奇怪な巫女の姿に、ウェーブのかかった艶やかな真紅の髪をなびかせる、ろうたけた美女。
彼女から放射される魔力は見る者を魅了し、思うがままに操る魔性そのものだった。
出入り口の上から見下ろすそのサーヴァントは人の形をとっているが、本性は人ではあるまい――アーチャーはそう直感した。
「……そなた、人間ではないな?」
「ふふ」
アーチャーは、同時にその纏う空気から同時代の英霊であるとも直感した。優雅と栄華に塗れながら、裏では魑魅魍魎、呪いと恨みがあふれる時代の匂いだ。それはアーチャーも身に沁みつけた匂いでもあった。
そして、アーチャーがそう思っているということはあちらも同様である。
「そなたら、一体何用で我らに近づいた?」
「私のご主人は本当に他意はないわよ?観光したい~とか言ってたから。私はサーヴァントだし、ご主人様のボディーガードのためにいるだけ。あなたのご主人やあなたがなにもしなければ、私も何もしないわ」
彼女の言葉をどこまで信用してよいものか。アーチャーがじっとキリエのサーヴァントを睨んでいると、彼女はけたけたと笑い出した。
「もう、そんな目で見ないでくれる?私は嘘が嫌いだし、つけないし、つかれるのも大嫌いなの」
その言葉さえ本当なのかウソなのか。アーチャーはふいと晴れた空を見て、話を変えた。
「……ボディーガードと言ったが、こんなに離れてて良いのか?傍で霊体化している方が普通であろう?」
「近くにいると気配がうっとうしいからって、あんまり近くにいるなって言われてちゃってねぇ。ま、私のご主人はとても強いから、あまり心配してないのだけど」
我がことの様に得意げに言う彼女に、アーチャーは目を向ける。「私のマスターも、やや極端だがなかなかの使い手よ」もちろん、はったりである。
「あら、マスター自慢の流れかしら?あなたのマスターは知らないけど、私の主人以上にマスターにふさわしいものはいないわよ?」
刹那、女の姿が消える。アーチャーは生前の呪いにより、アーチャーの割に鷹の目といえるほどの目は持っていない。だが、それでも索敵に優れたアーチャーである。敵の姿を追うことは得意なはずなのだが―――「私の事、見えたかしら?」
目にも映らぬ速さで動いた女は、そのしなやかな手を、背後からアーチャーの首に寄せる。触れる指先から殺意は感じない。正直、キャスターは強くない。
そう、さしてキャスターから脅威を感じていないが、――その多大な魔力、圧力をいやがおうにも感じる。
「……これでも私、相当弱いのよ?本領はやっぱり陣地でないと」
「ほほう。そなたがキャスターならば、確かにそなたのマスターも人間離れした力の持ち主と言うことになろうな」
「だって私のご主人は人間じゃないもの。私としては嬉しい限りよ……ところで、マスターを護ると言うのなら、あなたこそ私とお話なんかしてないであなたのご主人の傍にいてあげればいいのではなくて?」
アーチャーは深く口角に皺を刻み、扇で口を隠した。
「せっかくの機会じゃ。そなたのような佳人を放っておくことはなかろ」
「情報収集する機会だものね?ねぇ、御堂関白藤原道長様?」
アーチャーがキャスターとした話は、まだマスターの話だけである。
それにもかかわらず、彼の真名をぴたりと当てたと言うことは、キャスターのスキルや宝具によるものか、もしくは生前のアーチャーを知っているかのどちらかである。
アーチャーとて同時代に生きた者であることは認識していたが、アーチャーはキャスターを知らない。
「驚くことではないでしょう?貴方の時代に、貴方を知らない人なんてモグリよ?」
「……私の時代に、物の怪の類は多くいたからのう」
平安時代――妖魔の跋扈する時代である。彼女が人間ではないというだけでは、真名を絞りきることはできない。
しかし、真名を突き止めてもこのキャスターに対抗する策を編み出せるか。それはまだこれから考えればよいことと、この時アーチャーは思っていた。
次に見えたのは、すでにアーチャーがランサー・バーサーカーと対峙した後の時であった。ランサーは手ごわい。察する真名から、対城宝具のような派手な威力の宝具を持つわけではなさそうだが、全てのパラメータが安定して高く、まともに戦いつづければこちらがじり貧なのはすぐにわかった。
そしてバーサーカーである。ランサーよりもこちらの方がアーチャーにとって質が悪い。真名に思至らなかった時でさえ、一対一では勝ち目が薄いとわかっていた。アーチャーはまるで魂に傷があるかのようにあのサーヴァントを前にしては体が動かなくなる。
――バーサーカーは早くに倒してしまうに限る。もし、お互いに生き残って戦うことになった場合、いくら自分がよいマスターを持っていても彼が相手では勝敗は目に見えている。今のマスターでは勝敗は火を見るよりも明らかだ。
幸い、バーサーカーと戦っている時にセイバーが乱入し(正確にはバーサーカーが襲い掛かったのだが)、その場を無事逃れることができた上にセイバーの真名を知ることができた。
――日本武尊。日本史上最大級の英雄であり、強敵であるはずなのだがアーチャーにとっては話が違う。
天照大神の直系――皇族に連なる者ならば、滅多なことではアーチャーは後れを取ることはない。
さらに幸いなことに、セイバーのマスターもどうやら一成と同じようにバーサーカーを放置しておけないようであった。一成は、バーサーカーに対してセイバーと共闘をしようとアーチャーに相談した。バーサーカーを一刻も早く倒したいアーチャーにとっては願ってもないことである。そもそも、セイバーとの共闘自体は望ましい。
セイバーは強力なサーヴァントでありながら、共闘関係が終了して敵同士となっても負けにくい相手である。だが、一成とセイバーのマスターはバーサーカーと鉢合わせたときに初めて顔を合わせた同士だ。
バーサーカーに関しては思惑が一致しているが、その後共闘が続くかは不確かである。それに、アーチャーの真名と宝具がばれた時に、その宝具の性質上彼らが共闘を続けるとは思えない。いざとなれば如何様にもセイバーを操れるサーヴァントが味方で安心するほど、能天気な管理者と英雄ではないだろう。
そうなると、アーチャーはアーチャーで他のキャスターやランサー、まだ見ぬアサシン、ライダーに対応する策を考えなければならない。その際に不安になるのは、己の能力と、マスターのことだ。
御世辞にも一成は優秀な魔術師とは言えない。そしてアーチャー自身、武を誇るタイプのサーヴァントではない。
アーチャー自身は一成と仲が悪いわけでもなく、むしろその素直さと前向きさを気に入っていた。若さゆえの無鉄砲さもほほえましいくらいであった。
だが、アーチャーには聖杯を得る理由があった。その切実な願いを前にして、湧いた情を置いて、アーチャーの頭は最も可能性の高い手を模索していた。
そして、セイバーのマスターに交渉しに行く段になり、突如現れたアインツベルンのマスターを見て、アーチャーはキャスター陣営に一つの案を提示した。
「今度は何をしに来たのじゃ、キャスター」
春日駅の上から、通行人のにぎわいを眺めながらアーチャーは問う。前会った時と変わらず奇怪な巫女服に艶のある真紅の髪をなびかせるキャスターは楽しそうだった。
「私は前と同じ。ご主人のボディーガードよ?」
「そもそも、そなたのマスターはなぜ私のマスターにまとわりつく?お互いに聖杯戦争発端であるという好だけなのかのう?」
そうはいっても、アーチャーも一成もそれを知ったのはキリエの話からである。
アーチャーは一成の視覚と聴覚を共有して、キリエの話を聞いていた。
キャスターは怪しげににっこりと笑う。
「聖杯戦争発端である好――それがどれだけご主人にとって大きな意味を持つのか、あなたはわかっていないでしょうね。それに、あの二人は限りなく薄いけれど赤の他人ではないわ」
聖杯戦争を企画した際から、両家には少なからず交流があるということか――アーチャーはそう解釈する。しかし「赤の他人」ではないとキャスターは言うが、見たところ一成は全くキリエの事を知っている様子はない。
どういうわけだと聞き返すと、キャスターは事も無げに答えた。
「大聖杯の核にはアインツベルンと土御門の女が据えられているそうよ。なら、それに適したマスターは双方の血を受けたマスターであるべき……私のご主人は、アインツベルンのホムンクルスが陰陽師の精を受けたことで作られたのよ。そしてその陰陽師は、あなたのご主人と同じ直系ではないけれど安倍晴明を始祖とする陰陽師の家系なの」
「……つまり一成とは遠い親戚というわけか」
アインツベルンのホムンクルスは普通、白銀のような髪と透き通った肌、赤い目をしているという。だが、陰陽道という全く異なる魔術師の精を取り込んだことで、キリエの体は他のホムンクルスとは違うものなったそうだ――と、キャスターは語る。
魔術師ではない一般人の生を送ったアーチャーには理解しがたいが、彼らは血縁と言うことになるらしい。
「そういうことよ。ご主人もそういう感覚なのではないかしら?」
この時は、聖杯戦争のために生み出された割に呑気なマスターよと思っていたアーチャーである。一成と話している内容も、聖杯戦争以外のことでは他愛のない雑談にしか聞こえない。
アーチャーは強い風に袍をはためかせながら、話を変えた。
「ところでキャスター。我らのマスターも話していたが、バーサーカーについてどう思う」
「私もバーサーカーみたいなことしたいなぁって思ったわ」
どこか恍惚とした表情で恐ろしいことを言うキャスターは、さらに続ける。「やっぱり人間の魂とかはちょこちょこっと奪うんじゃなくて丸かじりの踊り食いよね。あと生娘と童貞はいいわね」
アーチャーが聞きたかった事とはまるで違う答えだが、彼らが特にバーサーカーに対抗しよう、止めようなどと考えていないことはよくわかった。
キャスターに対し人間として悪寒を感じつつ、アーチャーは冷静に告げる。
「そうか。私はバーサーカーと一戦交えたのだが、その際セイバーの真名を偶然知ったのだ。……日本武尊であったぞ」
「日本武尊ォ?あら…………うーん、どこかで聞いたことある名前ねぇ……でも、なんでそんなこと教えてくれたの?」
何故か意味深に笑ったキャスターだが、その笑いはすぐになりを潜めた。
「そなたのクラス、キャスターはセイバーを最も苦手とするクラスであろう?」
「そうねぇ、クラス上どうしようもないところよ?」
「我らはこれからセイバー陣営に、バーサーカーを倒すため共闘を申し入れる。おそらく、八割方共闘することになろう」
「それは頑張ってね、と言っておくけど」
「我らはバーサーカーに勝つ。その後、私は我がマスターを裏切り、セイバーのマスターを殺し……いや、殺すのは無理だろう……令呪を一画奪う。その上で、そなたのマスターと契約したい」
キャスターは心底言っている意味がわからないと言いたげに首を傾げた。
「私を味方に付けよと言っておるのだ。そうすれば二対一でセイバーを相手取れる。私は故あってセイバーに対して後れを取ることはない。同じマスターを持っているのだから、他のサーヴァントを殺すまでは協力できよう」
最後はアーチャーとキャスターの殺し合いだ。一成はサーヴァントの意識の共有にまで頭を回していない、というよりキリエの話にくぎ付けで、この場の話など全く聞こえていない。そしてキャスターに伝えれば、彼女は念話でキリエに確認をするはずだ。もしくは強力なマスターであるキリエは、現在進行形でこのやり取りを把握しているかもしれない。
「それ、貴方には何の得があるの?日本武尊なら、セイバーはとっても強い筈よ。ならバーサーカーを倒した後も一緒に戦えばいいんじゃないかしら?貴方はセイバーに後れは取らないのでしょう?最後に二人になったら、きっとあなたが勝つわ」
「其れも考えた。だが、おそらく――私の宝具の性質上、アレと足並みをそろえ続けることは難しい」
尊きを受け継ぎし剣にて、セイバーを制御することはできる。そんなサーヴァントと一緒することはセイバー側も御免だろう。しかしあの宝具は相手の神性が高いほど強く拘束できる反面、消費魔力も増大する。一成の魔力では長くセイバーを制御することはほぼ不可能である。
基本、英霊の格もマスターの格もあちらが上なのだ。また、伝説上セイバーは奇襲も暗殺も得手とするサーヴァントだ。同盟が終わったのち、一成を狙われてもおかしくない。
「あら、つまり私の方がセイバーより舐められているということかしら」
「そう思ってもらっても構わぬ。……しかしそなた、いや、そなたのマスターか?それほどの強さを持ちながら、何を恐れているのやら」
此処にはいない誰かに話しかけるように、アーチャーは目線を逸らした。「キャスターをここまで振るえながら、夜の戦いには現れぬ。バーサーカーにも素知らぬ顔。魔術師は神秘が漏れるのを恐れる存在と聞いたゆえに、そなたらもアレを殺しにかかってもよかろう。それでも動かないのは、本当にキャスターというクラス上の問題なのかのう……」
「私のご主人は慎重な質なのよ」
「……まあよい」
こほんと咳払いをして、アーチャーは続ける。「そなたの言動から察するに、駆け引きの類は得意ではあるまい。私はマスターを裏切り、そなたのマスターに仕える。さすれば、セイバーにも有利に戦えようし、他に対しても二対一で当たれる。最後は余計なわずらいなしにお互いに戦えることになる。いかがか」
空気が変わる。喋らないキャスターは、念話でマスターと会話しているのだろう。キャスターの柳眉は穏やかではなかったが、しばらくした後に彼女は肩をすくめた。
「……本当にマスターを裏切り、マスターの令呪を持って来るのなら。土御門神社。本当に令呪を持って来るのならいらっしゃい」
「なるほどの」
「……ご主人たち、終わったみたいよ」
マスター二人はアイスクリームを食べていたようだったが、それも終わったようだ。お互いに自分のマスターのところに戻るときが来た。裾を捌いて身をひるがえしたアーチャーの後ろ姿を、キャスターはため息をついて見送った。
「人間って本当に面倒くさいわ」
この時点でアーチャーは完全に裏切りを固めていたわけではない。もし、自身の宝具を解放せずに済み、セイバー陣営とバーサーカー討伐後に共闘関係を続けた方が利が大きいとみれば、この話を無かったことにするつもりであった。
だが、碓氷邸での話し合いで基本セイバーは「一人で戦う」という態度を取っていた。その上、アーチャーの真名はわかっていないはずなのに彼は剣呑な空気を感じていた。流石は他戦いの皇子と言うべきか、アーチャーとの相性の悪さに気づいているのかもしれない。
抑々、セイバーは手段を選ばない英雄だ。人の良い一成をみすみす殺されては令呪もなくなってしまう。それに、セイバーを宝具で制御できるとはいっても、一成が拒否し令呪を使用されればそれも水泡に帰す。
アーチャーが心を固めたのは、恐らくこの時。
アーチャーはマスターのためではなく、人のためでもなく、ただ己が願いに従って動くのみである。
だが、本当にそうだったのだろうか。
本当にアーチャーは己の願いを叶えるためには、キリエにつくことが最善だと思って行動したのか。
「そなたを見ていると苦しい」。
弓兵のサーヴァントは己を召喚したマスターに、問いたくても問えぬことのあった、一人の男の姿を幻視する――。