12月5日② 先、鬼が出るか蛇が出るか
日も暮れて、キャスターたちを打倒すべく最後の打ち合わせの為一同は悟と一成の部屋に集まっていた。眼を覚ましていた悟も、内容に口を挟まないまでも成り行きを見守っている。
「色々考えたが、俺が宝具を放てれば仕事の五割は終わる。例えキャスター自身にぶつけないまでも、山自体に放つことに意味がある」
「キャスターが怖いのって、あそこがガチガチの陣地になってるからだもんね」
明の相槌にセイバーは頷く。そしていくら陣地を築こうが、土台から破壊してしまえば怖くない。そしてセイバーはそれをし得るだけの宝具を持っている。陣地を破壊すれば確実にキャスターは弱体化する。しかし、それを易々とはできない要因が存在する。
アーチャーとその宝具『
バーサーカー戦終結後、セイバーはアーチャーの宝具により体の自由を奪われた。結局令呪を一画消費し、明を殺そうとするセイバーを止めることができた。だが、今残る令呪は一画であり、かつアーチャーの宝具は何度でも開帳可能だ。
――しかし、あの宝具の影響を無効化することは不可能だが、効力を弱めることはできる。
「俺がアーチャーの宝具によって自由を奪われた時、何故剣を持つのを止めたかわかるか?」
あの時、セイバーは神剣を自ら叩き落としていた。それに数日前、キャスターとアーチャーが碓氷邸にやってきたときも彼は神剣を手放していた。
「あの宝具は対魔力じゃなくて神性によって縛る宝具だからでしょ」
アーチャー――藤原道長の宝具『
神剣を持たない状態のセイバーの神性はD。つまり、令呪のバックアップと剣を手放すことで神性を下げることにより、セイバーは宝具の呪縛から逃れたのである。
キャスターとアーチャーが碓氷邸にやってきたとき、明に剣を預けたのも決して武装解除の為ではなかった。
「セイバーお前あの引きこもり神の直系だろ?にしては素の神性低いな」
アサシンが茶々を入れたが、セイバーは話に関係ないためか答えはしなかった。
「神性Dでは、あの宝具を使われても俺の動きが悪くなる程度に抑えられるだろう。だから、最初はこの剣をマスターに預ける」
「……キャスターってさ、今は別物でも元は山の神の子でしょ?やっぱり剣はセイバーが持ってたほうがいいんじゃ」
伊吹の神の申し子であるキャスター。かつマスターである明は女であり、それに剣を預けるのはどうにも不吉の感がぬぐえない。その視線を受けて、セイバーは胡坐をかいているアサシンに目をやった。
「……お前からの報告によれば、強固な結界は展開されているがあくまで結界で、異界ではないのだったな」
「そうだぜ」
「ならば最初はマスターが持つべきだ。キャスターが異界を創造していたなら考えなければならなかったが」
「異界を創造?」
一成が不可解そうに繰り返したためか、セイバーは寄り道ながら説明をした。
「俺の生前、神は異界を成していた。自然物に限りあいつらはいかな法則も捻じ曲げて思い描いた世界を創る。例えば水が下から上に流れ稲妻が真横に走り風が音速を超え、太陽は西から昇るといった具合か」
「それって、
現代より遥かに自然霊、精霊との関わりは近い。天津神ではなく、この国に蔓延っていたと言う悪神はそちらに近かったのかもしれない。
「魔術師の世界ではそういうのか?それはともかく、その世界にあり俺が無事であったのは神剣による加護があったからだ。またその異界から脱する為には、世界を斬るか、異界の主の気を変えるか、殺すしかない。俺に世界を斬る力はないゆえ、方法は主を殺すことのみ。そして何が神かを見極める為に、これまた神剣の加護が必要だった」
つまり、とセイバーは一息置いた。
「相手が人や獣ならともかく、神ならば神剣が絶対に必要なのだ。あれなしで神に挑むのは自殺行為だ。だがキャスターはその手合いの領域には至っていないと思われる」
「……お前って本当に神話の日本武尊だったんだな」
「今さら何を、というかついに壊れたか」
「ついにってどういうことだ!!」
セイバーは憐れみさえ込めた目で一成を見、彼は律儀につっこみを入れた。その時、アサシンがひゅうと口笛を吹いた。
「へー、つまり今回のキャスターくらい生前に比べれば楽勝ってことか?」
「それとこれとは別の話だ。生前と今ではあまりに状況が違いすぎる。そもそも相手はキャスターだけではないし、マスターを殺されては元も子もない」
「ま、そりゃそうか」
セイバーの意見にアサシンも同意見らしく、あっさりと言った。生前と今では状況と目的が違いすぎて、アサシンも簡単にはどっちが楽か判断できない。セイバーは続ける。
「何通りか戦い方を考えてみたが、まず外から宝具解放できればそれが上策だ。だがそうできなかった場合は、敵が三騎と多いためにパターンが多すぎて意味がない。だが変わりはしないだろうことは」
セイバーは明、一成、アサシンの顔を一瞥した。「キャスターとランサー倒すのは俺で、アーチャーを倒すのはアサシンということだ。宝具の性質からしてそれは変わるまい――アサシン、お前の役目はいかにうまくお前が宝具を使うかだ」
アサシンのもう一つの宝具。大盗賊・石川五右衛門の生前・伝説上の技量が宝具の域にまで昇華された形なき宝具。誇りある英霊であれば、使われた側は間違いなく怒り狂う「卑しい」宝具であろう。
しかし、アサシン自身にとっては誇るべき最強の宝――生きた証である。それになにより英霊たるもの、他人からどうこう言われて自ら評価を下げるような安い矜持は持ち合わせていない。
「そしてお前の宝具がうまくいってもいかなくとも、サーヴァント同士の戦闘になだれ込んだ時の行動は決まっている。お前が強いサーヴァントでないことも知っているが、あのアーチャーはお前が殺せ。真名からすれば、最も戦闘に向いていないのはアーチャーだからな」
既にキャスターとランサーの真名はわかったようなものであり、その伝説を鑑みればもっとも戦闘経験に乏しいのは言うまでもなくアーチャーだ。アサシンはにやりとその顔に笑みを刻んだ。
「任された!俺もやりあうならあの胸糞悪い貴族様って思ってたところだ。なぁ坊ちゃん?」
「ああ」
アサシンと一成は異議なく頷き合った。
「この戦いは、キャスター側がアサシンの存在を知らないことが重要だ。アーチャーの宝具が解放されるまでお前は絶対に気配遮断を解くな」
あの山は巨大な結界――大江山と化している。膨大な魔力が渦巻く異界となった山。どんなに隠れようとも、アサシンの高ランクの気配遮断がなければ如何な人間・サーヴァントも瞬時に存在を察知される。明は一人キリエとキャスターの姿を脳裏に描いた。
(キャスターがあまりキャスターっぽくないせいで、逆にキリエスフィールとの相性はいいのかもしれない)
キャスターのサーヴァントが弱いとされる理由の一つに、マスターも魔術師であり手札が被ってしまうことがあるが、このキャスターの場合それは当てはまらない。本来の適性はバーサーカーであろうキャスターなのだ。実際の魔術行使はキャスターでも、何らかの補助をキリエスフィールが成している可能性がある。
それに、マスターが魔術師の英霊を呼ぶということは主人よりも従う方がレベルの高い
それを考えればあのキャスターは、予想外にも妙手であるかもしれない。
そしてこの戦い、決して楽な戦いではない。抑々三体二で、かつアサシンはサーヴァント戦には不向きなのだ。そしてキャスターが決して陣地から出てこないならば、セイバーの剣を入れている限り悟は死なない。だがそれだけである。それに日数を重ねれば重ねるほどにキャスターの陣地は強化される。その上、相手は自前の令呪、一成の令呪、ハルカの令呪――もし未使用であれば、最大九画もの令呪を所持していることになる。
その時、セイバーは俄かに明の右手を掴んだ。
「最早一画のみとなったが、明、これの使い時はお前に任せるが時を誤るな。しかし決して惜しむな――土御門、お前もだ」
残った最後の令呪。一成も明と共に頷いた。終わらせるには戦うしかないのだ。
「ねえセイバー、どれくらい勝てると思う」
「それは何を以て勝利とするかによる。危うくなれば撤退の手もある」
だが、ここで全員無事に撤退できたとしても新しい方策があるわけではない。アサシンの存在も割れ、キャスターは陣地を強化し続け、むしろさらに攻略しにくくなるのが目に見えている。
それに悟の命を救うためには、少なくともキャスターを打倒しなければならない。
(やっぱり今回で何とかするしかない……三騎すべて倒すことができなくてもいい。二騎、いやキャスターだけでも……)
キャスターさえ倒せれば、少なくとも悟の命は助かる。そうすれば悟は大手を振ってこの聖杯戦争から離脱し、普通の生活に戻ることができる。
それにあの凶悪な陣地は消滅する。
「でも、今回うまく逃げれても次勝てる保証なんかない。今日、決着をつけるしかない」
「こちらが敵を殺すのに、敵がこちらを殺さぬわけはない。死闘は前提。それでも勝利への道を繋ぐ。そうでなければ俺がここにいる意味がない」
明、一成、セイバー、アサシンは暫く各々ホテルで自由に時間を過ごした。明は自分の魔術礼装を確認し、一成は呪符と神主服を確認し、セイバーとアサシンは自分の部屋で食事をしていた。主戦場は大西山であり、山自体は人気がないと思われるために夜にこだわらなくてもよいかとも思ったが、セイバーの宝具が目立つ可能性を考慮し夜とした。
ホテルを出るのは午後十時と決めている。セイバーは呑気にベッドの上でサンドイッチとスターベッグスのキャラメルマキアートを飲んでいる。セイバーは「注文の方法が複雑怪奇」と抜かしていたが、礼装をチェックしていた一成が「とりあえずキャラメルマキアートトールつっとけばいいんだよ」と極めてアバウトなアドバイスを与えていた。
明は戦いに備え、両方の太ももにタイツの上からナイフホルダーを巻きつけてナイフをセットする。自分のベッドの上にはいつものコートを畳んでおいている。セイバーも既にいつもの衣袴に戻り、マントに身をくるんだうえでもさもさと食事をしている。
明はそれをじっと見ているだけで会話はない。二人に会話がない事自体は珍しいことではないが、明がセイバーを見ているだけで何も言わないのは若干妙な事ではあった。
そしてその視線に気づきながら放置していたセイバーは、ついに尋ねた。
「マスター、何か用があるのか?」
「あ、えっと、」
そこで初めて自分がセイバーを凝視したことに気づいた明が、慌ててどもった。
「もしや、そちらのミックスサンドではなくこちらのベーコンレタストマトサンドを食べたかったのか?」
「いやそんなことないけど、どっちでもいいけど」
セイバーは不思議な顔をしてから、ならよいがと一言言ってサンドイッチの咀嚼を再開した。明はセイバーを凝視することを止めたが、それでもちらちらとそちらを伺ってしまう。
先程の作戦会議。その中で交わされた一節が、明の頭にこびりついて離れない。
『相手が人や獣ならともかく、神ならば神剣が絶対に必要なのだ。あれなしで神に挑むのは自殺行為だ』
神剣を置いて一人で伊吹の神を倒すと宣言した日本武尊。そうしようと思った理由は、これまで並み居る敵を倒し、驕った彼が腕試しをしようとした説がある。しかし、これまで見てきたセイバーは寧ろ「ライオンはウサギを狩るにも全力を出す」タイプだった。油断をする質にも思えない。
だが、そのように複雑に考えずとももっとシンプルな答えがある。
『神剣なしで神殺しに挑むことは自殺行為』と知りながら、『一人で、かつ剣を持っていかなかった』ということは。
日本武尊は、あの時。神を殺しに行こうとしたのではなくて。
――
根拠は先ほどの話だけだ。しかし、その想像は余にも納得がいってしまった。伊吹の山で、たった一人で呪われて、衰弱死していくセイバーが幻視できる気がするほどに――
「セ、セイバー」
「何だ?もしかしてこのキャラメルマキアートを飲み「そうじゃなくて、えーっと、セイバーって死んでるじゃん?」
あまりにも唐突な振りで、セイバーは首を傾げていた。「それはそうだが」
「それでさ、護国の英雄っていうか国土平定の英雄でしょ?」
「まあそうだな」
「それでさ、セイバー的に自分の人生を振り返って、ここは自分的に自慢できるなってところあったら教えてよ」
「?俺の伝説など現代にも残っている「セイバーの口から聞きたいの!!」
明の謎の剣幕に押され、その理由は理解できなくとも真剣さを感じ取ったセイバーは食べることを中断し、眼を閉じて考え始めた。
その時間がきっと、いくつかある中からどれを言おうかと選定する為のものだと明は信じた。
そして、セイバーは目を開いた。
「――特にないな」
「ない?ひとつかふたつくらいあるでしょ?」
「しかしそういわれても特に思いつかなかった」
当然のように、朝の挨拶をするかのように「何もない」と言うセイバー。特に興味もなさそうに、サンドイッチの咀嚼を再開させていた。
自らの人生に、自ら誇るところがない。例え誰が護国と平定の偉業をほめたたえようと、その本人が偉業を偉業と思わない。何故なら、彼が剣をとり「最強たらん」と思ったその根本は――そこで、明の思考は止まる。
今度は、訝しげな眼差しでセイバーが彼女を見ていたのだ。
「質問の意図は理解できないが、俺のことは気にするな。今生きているのはお前なのだから、お前はお前のことを気にしていればいい――」
『死骸が今更幸せになろうなど片腹痛い』とは、酒宴にてセイバーが言ったことだ。その言葉はキャスターとアーチャーにだけでなく、自分に向いている。自分のことなどどうでもいいとばかりに、セイバーは鋭く明を見上げた。
「明、そのままだと、お前はロクな死に方をしない」
虚をつかれ、明は目を丸くした。確かに自分は魔術師であるがゆえに人を殺めたこともある為、一般から見ればそういわれても仕方のない部分はある。だが、人を殺した程度でセイバーがそう言うのはおかしい。
「――、それ、どういう「おーい碓氷、ゼリー余ったから食うか」
なんというタイミングか、隣の部屋でくつろいでいた一成が顔を出した。彼は明たちの部屋とアサシン・悟の部屋をよく行き来するためキーを両方とも持っていた。
コンビニで売っているゼリーを片手に、入り口で固まった一成と明の目が合った。空気の重さを感じ取った彼は、明けた扉をそっと閉じかける。
「……何か邪魔したか?」
「いやいやいやいやそんなことないよどうぞいらっしゃいウェルカム土御門さあおいでようこそ」
「お前大丈夫?ってうわ!」
天の助けとばかりに重苦しい空気を打破するため、明は一成を無理やり部屋に引きずり込んだ。ついでにゼリーも受け取った。ゼリーを分けに来ただけなのだが、成り行き上一成もベッドの上に腰を下ろした。
明とセイバーのやり取りを全く知らない一成は少し身の置き場がなさそうである。しかし一成の甲斐あり空気が弛緩したのか、セイバーは話を変えた。
「しかしマスター。今度の戦い、お前は嫌にやる気だな」
「……ん?そうかな」
「いつもは締まりがないが、今度の明の空気は真冬のように身のしまる思いがする。よいことだ」
セイバーは事あるごとに明の事を「ぼーっとしている」だの「締まりがない」とこぼしているが、明としては心外である。確かにぼやっとしている時はあるが、これでも時と場合はわきまえているつもりだ。
だが、セイバーの言葉は強ち外れてもない。確かに明は戦う気力十分である。聖杯戦争のマスターとして戦うということもあるが、加えて悟を助けるという明確な目的もある。
彼女はベッドから腰を上げ、ベランダへの窓を開けた。落下防止の為、人が通り抜けられるほどの隙間はない。黒く澄んだ空には星がちらちらと輝いている。街の明かりが目線と同じから眼下へと広がっている。
「キャスターを倒したら、碓氷の家に戻れる」
サンドイッチを飲み下したセイバーがいつの間にか後ろに立ち、同じ景色を眺めている。「そうだ」
「何気にここの滞在費、ツインルーム二部屋分払ってるの私なんだから。魔術ってのはお金かかるんだから、そんなに連泊してお金減っても困るし……あとで土御門に半分請求するからね」
「げっ」
都合よくそのことを忘却していた一成は苦い声を発した。
「……………そうだな」
何故かセイバーの返答が異様な間をおいて返されたが、それを気にする明ではなかった。細かく気になる事はあるが、すべては今夜という死線を越えてからの話だ。
*
「セイバーらが来たようだな」
大西山の頂上付近の開けた箇所に、巨大な赤鬼と化したキャスター、マスターのキリエ、キャスターの四天王の四鬼、ランサーが揃っていた。アーチャーがいないのは、彼は碓氷邸での酒宴の後、常に山を飛び回って索敵を行っているからである。
子鬼からの連絡でセイバー一行が南の登山口周辺やってきたことを知ったキャスターは、肩に乗せたキリエの指示を仰いだ。
「どうする?主人。敵はセイバー一人、一気に畳み掛けて終わらせようと思う。すでにアーチャーが出迎えにいっているだろうしな」
キリエはゆっくりと肯いかけたが、その人形のような顔には不快の色があった。「いや、待ちなさい。星熊童子と虎熊童子はセイバーを迎撃しにいきなさい。……だけど何か北にいるわ」
まずはその言葉通り、キャスターは星熊童子・虎熊童子にセイバー迎撃を命じた。二匹の人型の鬼は子鬼に従い、軽やかにその場から離れた。残ったのはランサー、茨木童子、熊童子と金童子、キャスターだ。
「熊童子金童子、ランサー、お前たちは北の登山口あたりを見回れ」
「「……了解した。さっきの北になにかいる、というやつか」」
金童子と熊童子が口をそろえて尋ねた。
「そうだ。人は入ってこない筈だが何故かいる」
召喚した魑魅魍魎どもからの連絡で、キャスターも北の異変を知っている。元々人の立ち入らぬ山であるが、一応人の通れる登山道がある。まだ整備されている正式な南側の道と異なり、北側の登山口は廃れて道に迷いやすくなっている。
身長三メートルを超える鬼は、地を揺るがす声を発する。
「子鬼共によると、人間が入り込んだと言う。主人が人払いの結界を張ったと言うのに入ってくる人間は、普通の人間ではない」
その報告にランサーが興味を持ち、ふむと唸った。瓜二つの鬼はは少しばかり嬉しそうに聞く。
「「……食べていい?」」
「好きにして構わないわ」
キリエの感情のない声が静かに響く。キャスターもそれに頷くと、熊童子と金童子は素早く揃って姿を消した。一般人を巻き添えにすることを好まないランサーだが、聖杯戦争参加者であればその覚悟もある人間と思っている為、異論を差し挟むことはしない。ただ賛成をしてるわけでもない。
あくまで何事もないかのように、ランサーもキリエたちの指示に従った。
「それでは、儂も向かうとする」
「ええ。でも戻ってこいと命じたらすぐに戻ってきなさい」
ランサーは応と返事をすると、二人に続いて山の森に姿を紛れさせた。そして残った茨木童子も立ち上がり、キャスターと目配せをしてから気配を消した。
あっという間にキャスターとキリエだけになり、春日市を一望できるこの場所は寂しくなった。頂上付近、かつ開けたこの位置はもし大西山が霊地ではなければ、展望台でも設置されているような場所だ。大西山の周囲は森、森を抜けても畑と農家が点在する、春日の郊外の郊外だ。
それでも遠くには春日駅の光、自然とはかけ離れた文明の明かりが輝いている。
「北の登山口からの人間。もしかして、ガンナー、もといアサシンのマスターかしら?」
濃い魔力の中を吹く風には、大西山の青い香りが混ざっている。キリエは自分の胸に手を当てて首を傾げた。二日前、ランサーを奪ったついでにガンナーと名乗るサーヴァンととそのマスターと交戦した際に、キャスターは確実にガンナー――アサシンのマスターを呪った。並みの魔術師なら一夜で死に至る呪いだ。
もしその通りであれば、マスターを失って一日経つはずのアサシンは消滅しているはずである。
「私の中にはまだ二騎分の魂しかないわ。私だけではどのクラスかまではわからないのだけど、状況から考えてライダーとバーサーカー」
キリエは一人考え込むが、頭を振った。霊器盤が壊れているということを鑑みれば、別の危険の可能性がある――との考えが彼女の頭によぎったが、今すぐ考えることでもなかった。
「アサシンのマスターは助かったか、それとも新しいマスターを見つけたと言うことかしら」
しぶといサーヴァントねと肩をすくめて、キリエはキャスターを見上げた。マスターにとってアサシンは天敵だが、アサシンのマスターを殺してしまえばアサシンは消える。
「いざとなればランサーを私の護りに使うけど、セイバーと戦うまでは傍につき従いなさい、キャスター」
ランサーは「この戦いではサーヴァントと戦いたくない」と前々からキリエに対して言っていた。元々一対一、正々堂々戦いたいという望みで現世にいる英霊である。
しかしマスターであるキリエを護る事には異存はないようであり、何よりキリエには令呪がある。
巨大な異形――キャスターはその肩に軽々とキリエを乗せた。元々良い眺めの場所であるが、キャスターの背丈でさらにそれが増す。
「承知した。――そうだ主人、これを持っておけ」
巨大な赫い手で渡されたのは、首から下げられるようにチェーンで繋がれた小瓶。水晶で作られた小瓶はキリエの私物で、その中には透明な液体が入って月光に照らされ揺れている。
キリエは受け取るのをしばらくためらったが、漸うそれを手に取るとおとなしく首にかけた。
「……使うことはないでしょうけど、保険の為にもらっておくわ」
「そうしろ。その量なら全て呑みほしても大丈夫だろう」
大聖杯の起動よりも早くキャスターを召喚したキリエの体を助けたのは、この神の醸造した酒である。仮にキャスターがバーサーカーのクラスで召喚されていれば狂化ランクを落とす機能があったのだが、狂気に身を落としていないこの鬼には本当に役に立たないモノである。
しかし、逆にマスターにとってはとても有益なものでもある。
山奥、静謐たる月下。風に煽られて雲は速く流れていく。
キャスターが人型であった時となんら変わる様子はなく、主従は仲睦まじくある。混沌とした山の中で、二人は静かにそこにあった。
※キリエの令呪所持数は現在六画
自分+一成+ハルカ=八画
(ハルカの令呪は奪取時点で二画……一画は対バサカ戦にてランサーの動きを封じるために使われている為)
弓と槍に「絶対服従」を命じて二画消費で残り六画
※セイバーの神性がやたら低い理由は2つあるんですが、本編で書けるかどうか
無理だったら完結後に設定集にそっと忍ばせます