Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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12月5日④ 魔術師と眷属

「あれはサーヴァントなのか?」

「いや……似たものだけど、違うと思う」

 

 セイバーと男女のサーヴァントもどきが交戦を開始した時、一成と明は木の陰に身を隠して戦闘を窺っていた。アーチャーの宝具下にあるセイバーは剣がないことに加えて性能がダウンしている。

 しかし小手調べのつもりなのか――明は訝りながら戦いの成り行きを見守る。

 

 セイバーは男女のサーヴァントもどきを圧倒している。このままいけば勝つのはセイバーだ。一成はアサシンの気配を確認しつつ、セイバーと二人の戦いと同時にその奥のアーチャーをじっと見ていた。考えていたことは、「どうやったら一度、セイバーをアーチャーの宝具支配下から抜け出せるか」である。

 キリエがマスター故、魔力切れは望めない為にするとすれば、一度アーチャーを宝具を使う集中をきれさせることだ。

 明も同じことを考えていた。一成も明も、キャスターの眷属二人にセイバーが負けるとは考えていなかった。それでも、戦闘のなりゆきとその背後にいるアーチャーを注視していたせいだろうが--それは、気配を絶ったアサシンからの念話と同時に起きた。

 

 

『おい一成!!』

「……っ!!」

 

 明が半身を翻しかける。一成はアサシンの念話で振り返る。そこには一成とよく似た衣装--神主じみた衣装に身を包んだ男がいた。

 そして、彼の手にしていた刀が、明の腹に吸い込まれたように埋まっており、突き出ていた。

 刀は突き刺さったままで栓になり、血が噴き出すには至っていない。

 

「……あれ?」

 

 当の明も何が起こったのかわからないような顔をして、己が腹から飛び出した刀をまじまじと見つめている。先に我に返ったのは一成だった。

 とっさにアサシンを令呪で呼び戻そうとしたが、作戦会議時の「アサシンが相手に知られていないことがカギ」という言葉を思い出す。その一瞬のためらいの間に、その刀はあっという間に明から引抜かれて一成をも狙った。

 必死で右手に握りしめていた呪符を振りかざし、魔術回路を励起させて叫ぶ。

 

「急急如律令!!」

 

 男の刀が一成の胸直前ではじけ飛んだが、同時に一成も派手に体を動かした為にバランスを崩してひっくり返った。その隙を逃す相手ではない。

 

 再び防壁を展開するよりも早く、正体の知れぬ敵は凶刃を閃かせる。月光を浴びて光る血濡れの刃は再び血を欲して振るわれる―――!

 

 だが、その刃は一成を襲うことはなかった。尻餅をついた一成の目の前には、立っているはずのない明が立っていた。

 あまつさえ、一成が受けるはずだった刀をその身に受けて。

 

「―――――!!う、碓氷!?」

 

 彼女の足元には、ぼたぼたと赤黒い水たまりができている。腹を一突き、袈裟がけに一撃、およそ立っていられるはずがない。だが、彼女はその足で立っている。

 

 一成だけではなく、敵からも驚愕の雰囲気が伝わる。日本刀の主は白衣に浅黄の袴を身に着けた、精悍な男だった。短い髪の毛が少しだけ風に揺れている。

 

「――――女、何故生きている」

 

 良く通る声は、耳に心地よいくせに背筋を寒からしめるものだ。

 一成の前に立つ明は、微塵の震えもなく答える。

 

「……私はもともと丈夫にできているからね」

 

 一成とて、ようやく明の無事なわけに思い至った。彼女の体にはセイバーの神剣が宿っている。悟の呪いを停止させた神の加護。

 その加護が今は彼女にあるならば、この尋常ではない状況も理解できる。

 

(けど……)

 

 たとえ治るからといって、傷を受ける時の痛みがなくなるわけではない。

 たとえ治るからといって、日本刀の一撃を正面から受けたいと思う人間はいないだろう。

 

 そして、たとえとっさに人を護るためとはいえ、これほどためらいも無く凶刃に立ちはだかれるものなのだろうか。

 

「生死は問わず、と言われたからな」

 

 神主服の男はパチンと刀を納めたかと思うと、全身で明に体当たりをしかけた。だが、それは攻撃ではなかった。彼は目にもとまらぬ速さで明を抱えて、風のように姿なく森の奥に消えてしまったのである。

 

「待てェ!!」

 

 一成が必死で立ち上がった時、遠ざかる明と目があった。神剣の効果か、彼女の意識は既に覚醒している。暗闇の中でありながら、その視線の示すところは一成にも理解ができた。

 

 -―――まだだめだ。

 

 勿論アサシンのことであろう。明を助けようと追いかけるならば、アサシンの手を借りなければ一成は追いつけない。だが、全開の状態でセイバーに剣を振るわせるためにはここでアサシンの気配に気づかれるわけにはいかない。

 

 既に明は山の樹木へと姿を消している。一成は奥歯を噛みしめ、一気に上の開けた場所をふり仰ぐ。

 そして戦っているセイバーと目があった。明は生きている、だがその身に剣を宿しているとはいえ放っておけない。

 何より彼女は、一成を庇って傷を負ったのだ。

 

「碓氷が敵に連れてかれた!俺が行く!!」

 

 セイバーは「待て!」と返したが追いかけては来ない。作戦会議中にも思ったことだが、軍神と崇められるだけあってセイバーは戦いにおいての判断は正確であり、かつマスターの明には忠実であろうとする。

 

 そのセイバーが待てというなら、ここは待った方がよいのではないか――一成は逸る心を抑えて、呪符を握りしめながらセイバーが戦う開けた場所へ足を運んだ。

 

 すでに、鉄臭く生臭い匂いが強く漂っていた。

 登り切った先に広がっていたのは、筆舌に尽くしがたい光景だった。

 戦っていた敵二人はもうどこにもいなかった。正確には、原型がなかった。

 戦っていた開けた場所には一面に血糊が撒かれたようであり、肉片のようなものが所どころに残っているだけだ。双剣と拉げた鉄の塊だけが原型を残して、かつて戦う相手がいたことを物語っている。

 一人立つセイバーは、白い布袴と肌を返り血に塗れさせながらも顔色一つ変えておらず――戦う気のないアーチャーはその場を去ろうとして、其れよりも早くセイバーが距離を詰めながら何かを投擲した。

 

「――!!」

 

 それは先ほどまで戦っていた敵の肉片を固めたモノ。それ自体に攻撃力は皆無だが、血液を撒きちらしてアーチャーの顔面へと飛んでいく。

 アーチャーはそれを左手の扇で以て叩き落としたが、飛び散る赤が彼の片目を覆った。

 

 セイバーはあっと言う間にアーチャーに迫る。そして直前で足を止めたかと思うと、身を引き裂帛の気合と共に掌底をみぞおちに叩き込んだ。

 空気が震え、風が止まりアーチャーの体は豪速で吹き飛んだ。道から外れた木々の奥へ、なぎ倒しつつ奥へ奥へと吹き飛んだのだ。

 

「――ッ!!」

 

 宝具を携えていたため、受け身を取り損ねたアーチャーはあっという間にセイバーたちの視界から消えた。セイバーはとんとんと軽くその場で跳ねると、一人頷いた。

 

「――これで、一度宝具はリセットされたはずだ」

 

 今のスピードと気合に任せた一撃で、セイバーはアーチャーの宝具発動を一度断ち切った――それを彼は気配のないアサシンへと向けて語る。その顔にすっきりしたところはない。疑惑に満ちて、アーチャーの吹き飛んだ先を見ていた。

 だが彼は直ぐに、いつもと全く変わらぬ声色で一成に振り返った。

 

「マスターの下へ行くぞ」

「……お前、何と戦ってたんだ?」

 

 セイバーの姿とあまりの光景に、状況を忘れて一成はセイバーに問うた。ちょうど足元に落ちていた肉塊かと思われるものは目玉で、一成はなんとか吐き気こそ抑えたものの思い切り目を逸らした。

 

「アレはキャスターの呼び出したモノ、もっと言えばキャスターの生前の眷属ともいうべきものだ。キャスターは召喚術を使える手合。しかしあくまで眷属、能力はキャスターを下回っている。そこまで強かったわけではないが、俺がアーチャーの宝具の影響下にありかつ徹底的にしていたら時間がかかった」

 

 一成が聞きたかったのはそんなことではなかったが、セイバーはやはりいつもと変わらぬトーンで答えている。

 彼はこの光景に違和感はないようで一成を脇に抱えると、山中を疾走した。パスで彼女の居場所を把握しているセイバーは、全く迷うことなく障害物である岩を割って木々を蹴り倒し、最短ルートで駆ける。

 

「何があった」

「……サーヴァントもどきに碓氷が刺された。だけど生きてる」

 

 先程のパスの乱れはそのせいかと、セイバーは静かに頷く。「俺の神剣を体に入れているから、そう易々と死ぬはずがない。今もパスからは俺に魔力が流れている。しかしマスター一人でキャスターのいるところに放り投げられてはひとたまりもないだろう」

 

 一成は自分に喝を入れ、懐に収めた呪符を握りしめた。一刻も早く明を見つけなければならないと二人は大西山山中を突き抜けていく。

 

「……しかし、少し気になることがある」

「何だよ」

「あの男――アーチャーはお前が頼りないから最強のマスターに乗り換えた。だが終われば三騎で争い合うことになる。ゆえに奴らは一枚岩ではない――それは、先のキャスターの眷属からの言葉からも明らかだ」

 

 その話は、神父の使い魔からアインツベルン三騎使役のことを聞いた時にもあった。キャスターたちはあくまでキャスター陣営以外の敵、もっと言えばセイバーを殺す為に寄り集まっているといってもいい。

 

「しかし、おそらくキャスターはアーチャーより強い。ランサーもだ。三騎の戦いでアーチャーがアレに勝てる保証はどこにもない。結局負けるならお前を裏切った意味はない」

「あいつのことだろ。宝具がまだとんでもないとか、陣地外に連れ出す策を練ってるとか」

 

 アーチャーは自分とは違って計画的だ。セイバーを倒した後の為におそらく何かしら手は打っているのだろうと一成は思っている。

 しかし、セイバーは眉間にしわを寄せていた。

 

 

「――どうも、アーチャーは今一つやる気がないように見えるのだが」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「……ッ」

 

 明は神主姿の男に俵のように抱えられ、山の道ならぬ道を走っていた。最早登山道も何も関係ない。男はうねる木々や岩を器用に避けて、己の庭であるかのように走る。

 

 見た目だけなら明は満身創痍だ。コートとブラウスはざっくりと破れてその上血まみれになって湿っている。しかし、明は概ね平常通りである。

 

(致命傷を此処まで回復しちゃうのか……)

 

 明はセイバーの神剣の威力に内心舌を巻いていた。もちろん剣は傷を負った時の痛みまでを消し去ってくれるわけではないが、傷自体は時を巻戻したように綺麗に無くなっている。

 

 明は飛ぶように過ぎていく木々の間を運ばれながら、今の状況を観察した。自分を抱えている男はもちろん人間ではない。先ほどセイバーを襲っていた二体も人間ではない。サーヴァントに似た気配だが、サーヴァントほどの力強さは感じなかった。

 おそらくキャスターが呼び出したモノ。

 

 キャスターの正体は英霊なるものではなく、悪鬼と言う方がふさわしい。ならば今自分を運んでいる男も、キャスターの眷属の一員である。

 

 この男は「生死は問わない」と言っていた。聖杯戦争においてマスターを殺すことは常套手段だが、生かしてまで連れて行く意味は何か。考えられるものとしては残った令呪を奪うことだが、それならば腕だけ切り取ればいい。

 それとも、セイバーの剣を入れている為に殺せないが、いつでも殺せるように手元に置いておくためか。

 

(何をするつもりか知らないけど、ロクなことはないよね)

 

 どのような目的にしろ、向かう先はわかり切っている。キャスターとキャスターのマスターの元である。最高のマスター適性をもつアインツベルンと、そのサーヴァントに一人で立ち向かっては自分が無事でいられるかどうかなど考えるまでもない。

 

 明は暗闇の中目を凝らして周囲の様子を観察し、男が登山の休憩所となるような平らな場所に出たところで、一気に詠唱した。

 

「Anset――Shadow keihäs(影は槍)!!」

 

 一瞬にして魔術回路を励起させ、小源を魔力に変換する。自分の左手を、自分を抱えてる男の右腕にたたき付け、影魔術を発動させる。影魔術は元々人間よりも幽世の存在に有効な魔術の為、この世ならぬものである眷属にも効く筈である。

 はた目には黒い焔の様に見える明の影は、纏わりつくように鬼の腕を覆った。

 

「――!」

 

 不意を衝かれた男は、思わず明から手を離す。ちょうど岩を駆け昇ろうとしていたところだったため、落とされた明は体を強かにぶつけたが気を失うには至らない。今ならば死ぬほどの無茶も効くとわかった彼女は怯まない。

 湿った地面を転がったが、直ぐに体勢を整えた。

 

「……った」

「女、何故生きている?」

 

 岩の上に立ち、鬼火に照らされながら神主服の男は明を見下ろしている。其の顔は精悍でありながら、どこか野性味を感じさせる。明の放った炎は消えていたが、それを受けた腕は重症の火傷を負ったように激しく爛れている。明は太腿の黒いナイフを右手に持ち、その口角を吊り上げた。

 

「さっきも言ったと思うけど、私はもともと丈夫にできているから」

 

 ふと男は思い出したと言わんばかりに手を打った。

 

「……そうか、セイバーの神剣はお前が持っているのか。何故剣を持っていないのかといぶかしんでいたが、アレの神性は剣の有無で影響を受けると見た」

「へぇ、アーチャーの宝具についてよく知ってるね」

「われらは同陣営だからな。アーチャーもランサーもお頭の宝具を知っているし、俺たちもアーチャーとランサーの宝具は知っている」

 

 アーチャーやランサーが易々と宝具の性能について話すとは考えにくかったが、マスターのキリエが情報共有の一環として教えさせたのか。明は心の中で嘆息した。

 男は一度、今気づいたように己の爛れた右腕を見ていたがすぐに日本刀を、再びどこからともなく取り出した。

 

「神剣で怪我を治してしまうというならば、これはお前を殺すのは骨が折れそうだが――切った腕が生えるほどの効果はあるか?怪我を治しても強すぎる痛みの衝撃で死ぬかもしれんな」

「……あなたって私を殺したいの?殺したくないの?なんなの?」

「生死問わず連れて来いというのはマスターの指令だ。令呪があるならほしいとか言ってたからな。だが生きていたほうがいい、と思うのは俺たちの都合だ」

 

 死んでもしばらくは令呪は死体に残る。キリエは殺したほうがいいと思っているに違いないが――男はしなやかな指で、明の右手を指し、それから胸を示して嗤う。

 

「腕はマスターが持っていくが、俺たちは体を頂く。大体において、肉は新鮮で、生きたままの方が美味いんだ、人間は」

「……!」

 

 明とて予想をしていなかったわけではない。むしろ想像通りと言った方が正しい。現世界した今、キャスターは自重しているが、彼らは本来そういうもの。

 

「生前ならともかく、いま霊体の俺たちにとって魔術師の踊り食いはただの人間以上のごちそうだ」

 

 全身の毛が逆立つような感覚。人を殺すのは食べる為、快楽の為とその表情が告げている。セイバーが来るまでは、己で戦うしかないと明は立ち上がった。

 

「やるか、女」

 

 神主服が笑う。この男、先ほどセイバーが相手していた二人よりも強い。あくまで眷属故にキャスター本体ほどの強さはないが、そこらの魔術師を相手取るのとはわけが違う。倒す道を見出すならば、その余裕から来る油断を突く。

 

 月が照っている。満月に足りない其れは、男の背後から照らして濃い影を投げかけている。明は太ももにくくりつけたナイフを勢いよく引き抜くと、その濃い影へと投擲する――てっきり自分目掛けて投げられるかと思った男は意表を突かれた。

 

「……これは」

 

 男は今いる場所から一歩たりとも動けない。自分の影に突き立った漆黒のナイフに縫い付けられたかのごとく身動きがとれないのだ。

 その眼ははっきりと明を見据えたが、当の明も僅かに驚いていた。

 

「――なんと、移動はできないみたいだけど腕とか口は動くんだ」

 

 影縫い。対象の影をその場に縫い付けて縛りつける魔術。影に突き立った明のナイフを抜くまで対象は身動きが取れなくなる。

 キャスターに対魔力はない――ならば、その眷属に対魔力があるはずもない。

 

「動けないなら上々、そのまま私の影のハチの巣にな「燃えろ」

 

 呪文どころか一言の言葉により、月を背後にする鬼の周囲に火の玉が無数に灯る――そしてそれはそのまま、全てが明に叩きつけられる。

 

「ッ!――Varjo kilpi(影は盾)!」

 

 咄嗟に行使しようとした魔術から防御の影に切り替え、その火の玉は影に分解されて消え去った。二人はじっと、明は敵意の眼差しで、男は薄笑いのまま見つめ合っている。

 

「キャスターは呪術なんて使わなかったけど……いや」

 

 キャスターは既に悟を呪っている。鬼たちには確かに妖術を操ったと言う伝承がある。術を使用できてもおかしくはない。だが、男の方からあっさりと「微妙」と返答した。

 

「いや、お頭はロクに呪術はできやしない。他の四天王共も使えない――使えたが、あまりに使わなさすぎて忘れたんだ、バカだから」

「じゃあ、あなたは」

 

 男は面倒くさそうに、動けないのにも拘らず明を高みから見下ろしている。よくよく見れば、彼も美貌の持ち主である。男の姿をしているが、キャスターと同様に本来は男でも女でもないのだろう。彼は半ば呆れたように、笑う。

 

「お頭も四天王共も、呪術なんてこまごましたことは性に合わないのさ。そういうわけでそういう類は全部俺の役回りとなったわけだが--」

 

 風が強くなっている。その風に乗り、呪いの如き言葉が紡がれる。

 

「お前も呪術師ならばひとつ、呪術合戦でもしてみるか?」

「――ごめんなさい。私が使うのは呪術じゃなくて、魔術なんだ」

 

 言葉の途中で、両手の人差し指を男に向ける。じわりと空が滲んで黒い弾丸が、男に目掛けて発射される。

 ガンド――北欧の著名な魔術の一つで、相手を指さすことで相手の体調を崩す呪い。物理的破壊力を持つものではないが、魔術師によっては魔力密度を上げて物理的破壊を可能としている者もいる。

 

 明のガンドも物理的破壊を可能とするが、彼女の場合はどうしても「影」の影響があり、「この世にあるもの」への影響力が薄くなりがちで効率がよくない。だからあまり使うことはないのだが、今は「この世にないもの」が敵であるがゆえに遠慮はない。

 

「燃え――」

 

 其の時、世界が暗闇に包まれる。否、風に流された雲が月にかかり、月光を遮ったのだ。その瞬間、男を縛りつけていた影が解ける。

 それを知るや否や、男は日本刀を手に岩を蹴る。明のガンドは見事に回避されるが、刻印を通して発動している為に再発射に時間はかからない。

 

 しかし男は、あっという間に明との間を詰める。そのたくましい手が明の右腕を掴み引っ張られ日本刀が再び心臓を狙う。

 しかし、明はだからどうしたと言わんばかりに――それを避けようともしなかった。

 

 男の刀は寸分違わず明の胸を再度貫く。丁寧に捻りまで入れて抉り、当然絶叫上げてもだえ苦しむほどの激痛があってしかるべきである。だが明は強く唇を噛みしめただけで、その左手で男を抱きしめる様にして唱えた。

 

Te, jotka equinox, pyörteiden pimeyden palata Equinox,(彼岸の者よ、彼岸に帰れ 暗黒の渦よ、)se poistaa kaikki Sare(全てを消し去れ)――!」

 

 明の体全体から、黒いインクが染みだしていくように影が溢れる。胸に刀を差されたまま、むしろ相手を離すまいと左腕に力をこめて、ゼロレンジで魔術を放つ--!

 

Yhteys, poistaa(接続、消去)!」

 

 この世ならぬモノを葬り去る影魔術。サーヴァントの多くは対魔力を持つがゆえに、サーヴァントに対して使うことはないと思っていた。

 またこの世ならぬ者に特化した魔術ゆえ、マスター本体に対して使うこともないと思っていた。しかし、キャスターそのものに対魔力のスキルは存在しない。

 男は目を剥いて、憎々しげに叫びをあげた。

 

「ッ、何だ!?」

 

 全てを分解していくその魔術は、異界の体さえも分解していく。ぼろぼろと神主服が、己の左腕が崩壊していくさまを目撃して、男は明を突き飛ばした。胸から抜けた刀は血を散らした。

 

 明は歯を食いしばり、倒れそうになるところを木に寄りかかって踏みとどまる。セイバーの神剣は致命傷でも即座に治してくれる。明は太腿からもう一本のダガーナイフを手に取った。男は崩れ落ちかけた神主服と左腕を見て笑う。

 

「なんと恐ろしいことをする。死が怖くはないのか?」

「知らない?魔術師の道は死ぬことと見つけたり、って」

 

 そう、魔導の道は常に死と隣り合わせである。魔術の行使で失敗し、魔術回路を暴走させることは即座に死を意味する。その上、魔術師は限界を容易く超えることができる。根源への追求をするあまり、限界を超えて、神経をズタズタにしてでも魔術回路を動かし続ければ奇蹟には手が届く。

 しかし、その代償に術者は死に至る。其れだけの話なのだ。

 

 ――死ぬ気になれば、できないことは少ない。

 

 血の混じった唾を吐いて、明は男を睨みつけ、笑う。

 だが、男は驚いたように目を丸くすると、唾棄すべき風に呟いた。

 

「……なんだ、お前は既に死んでいるようなものか」

「?」

「まぁいいさ。しかしお前の魔術は何だ?お頭と話が違う」

 

 男は崩壊しかかった自分の右腕と、爛れた左腕をしげしげと眺めた後、今度は何事かを呟き始めた。複数の気配が周りにわき始めるのが明にも感じられる。

 男に注意を払いつつ、仄かに明るい木々の間や草、岩陰に目線をやると続々と子鬼たちが続々と姿を見せた。山を登り始めたときからセイバー・一成とともにこういった子鬼を複数見てきたが、彼らは明たちを攻撃しようとはしていなかった。だが、今は違う。

 

 子鬼、というのは目の前の男と比べたら力量の点において遥かに格下という意味だ。大きさだけなら明の身長ほどはある。形相は様々で、着物を着ていたり虎島の腰巻だけだったり、肌は肌色だったり青かったりしているが、一様にその頭には二本の角を生やしている。それらが三百六十度、円を描くように明を取り巻いている。

 その呼気は生臭く、おどろおどろしく不快でしかない。

 

「……人ひとりによってたかってってどうなの?」

「俺たちは決して嘘をつかず信用したにもかかわらず、それを裏切る人間どもにいわれたくないな」

 

 子鬼一匹一匹は大した敵ではない。だが、大勢となると流石に骨が折れる。影魔術とガンドによってもろとも消すことはできるが、おそらく鬼は後から後から湧いてくる。

 

 ――何もなければ、恐らくセイバーはあの二体を倒したあとにこちらに向かってくる。それまで耐えられればいいのだ。

 

 まだ本命のキャスター自体は傷一つついておらず、アーチャーも姿を見せていない。両手にナイフを構えて腰を落とす。

 耳障りな金切り声をあげて、子鬼たちは明の周囲を取り囲む。

 

 足場の悪い道ではない道で戦うのは非常に骨で、実に不利としかいいようがない。

 

「殺すのは無理だろうが、気ぐらいは失ってもらわなければ面倒だ」

 

 ぱちんと男が指を鳴らすと、どこから現れてくるのか知れない子鬼たちは一斉に襲い掛かってくる。三百六十度、逃げ場がない。それでも、彼女は躊躇わない。

 

Hajoaminen, analysointi, poistaminen maailmasta(分析・解析・世界からの抹消)!」

 

 明の足元から黒い影が巻き上がる。三百六十度を覆うように噴きあがる焔は群がる鬼を焼く。影に触れた子鬼たちは例外なく黒焔にまかれて、跡形さえ残さず消える。

 金切り声が耳を聾し、聴覚を奪う。だが明の目は、神主服の男が地を蹴る姿を見る。

 

 果たしてあの男にもこの影は有効だった。だが、それを知る直前に、鬼たちの隙間を縫って空から降り注ぐ彗星の様に何かが突撃してきた。否、空からではなく森閑とした暗闇からだが--尋常ならざる速度で飛び出してきたそれにより、風が吹き荒れて木々は戦く。

 視認が追いつく寸前にそれは途中で何かを投げ、神主服の男に立ちふさがった。

 彼は男の刀を白刃取で受け止め、左に流して向き合っている。

 

 ブーツは赤黒い染みがつき、簡素な白っぽい衣袴は乾いた血飛沫にまみれているものの――それは明が待っていたサーヴァントの姿だった。

 

「ぎゃああ!っと、碓氷!!」

 

 ちなみに途中で投げられたのは一成で、受け身を取り立ち上がるなり明の姿を見てほっとしている。明はよくセイバーに放り投げられてぴんぴんしているものだと思った。

 

「あなたこそ平気?」

「お、おう」

 

 一成は頷く。男と向き合っているセイバーは、前を向いたまま言う。

 

「マスター、剣を返してもらうぞ」

 

 セイバーが後ろ手に腕を明に向けると、明の胸から徐々に神剣がその姿を現す。全体を現した剣は、勝手にセイバーの方に飛んでいきその右手に収まる。

 

「これより先、俺から離れるなマスター」

 

 セイバーが明を放置していたのは(眷属二騎を相手取っていたこともあるが)、彼女にこの剣が入っていたからでもある。キャスター本体を前にしては怪しいが、剣の守護がある限り明が死ぬことはない。だが、これより先は違う。

 

 明がちらりと一成をみると、彼は頷いた。セイバーは神剣を構え、剣先で男を指した。

 

「次はお前か」

「――お前、既にアーチャーの宝具の支配下にあるはずでは」

「――俺は既にあの宝具を使われていた。だが、一撃を加えて呪縛からは脱している」

 

 明の見ていないうちに、セイバーは星熊童子と虎熊童子を下して、離脱しようとしたアーチャーに一撃を加えている。それからすぐに明を探して山を駆けまわっていたが、その間アーチャーは宝具を再度開帳していない。

 

 それを不審に思ったのはセイバーと一成だけでなく、この男もだ。離れて様子をうかがっているに違いないアーチャーに対し、大きく声を張り上げた。

 

「――アーチャー、聞いているのだろう。セイバーを縛るのがお前の役割だ」

 

 しかし、アーチャーが返答をする、もしくは姿を現すより先に口をはさんだのはセイバーだった。

 

「――お前に一つ聞きたいのだが、お前は本気でアーチャーが俺を殺そうとしていると思っているのか」

 

 セイバーは剣を肩に担ぎ、殺意を潜めて、あくまで真面目に男に問うていた。


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