――生前に果たせなかった、正々堂々の戦いの中で生きて死ぬ。
それがサーヴァントとして現界したランサーの願い。一介の武人として現界したランサーは、聖杯に興味はなかった。否、英雄として祭り上げられた者達は、殆どが二度目の生になど興味がないのではないかと、ランサーは思う。
英雄は、生前の未練を果たすためにここにいる者ばかりだ。ランサーも、未練を果たすべくここにいる。彼はただ、再びの尋常な戦いを求めていた。
十三歳の初陣の時は、一生を捧げることになる主君に諌められて実践には加わらなかったものの、十四歳の時には他の手助けを断って自分で手柄を立てた。
一言坂の戦いでは危急のうちに殿を務め、傷一つ体につけなかったほどの兵。
だが、ランサーは決して武勇一辺倒の人間ではなかった。戦国の世の習いとして、内応工作も行い、関ケ原前の小山評定では軍議を主導しまとめ、西軍への内応工作、東軍内での調停もよく行った。
一将軍として、主君の天下取りを支える者として、ランサーは粉骨砕身働いたのである。
それでも、ランサーが最も輝くのはやはり戦場だった。生涯で五十を超える戦場を愛馬と共に駆け、尚傷つかなかったその武勇こそランサーのランサーたる証。
天下を決めるその戦の場で、ランサーはその槍を、武勇を存分に振るったのである。
しかし、ランサーの主君が天下人となってから、ランサーの運命は陰り始める。
日本一の大名となった主君は、ランサーを含む関ヶ原の戦で活躍した武将たちに思うような領地の加増をしなかった。
むしろ、ランサーは江戸から遠く離れた領地に転封されてしまった。島流しとも言っていい。主君の片腕を自負し、天下統一に貢献したと自負するランサーの受けた衝撃は大きかった。何故、と何度も考えた。
己に落ち度あったのかと、疑った。どうして、と何度も自問自答した。
だがランサー自身に落ち度があったわけではないと、思慮のある彼は気付いた。
それどころか、何が悪と、何が間違いを決められるものではなかったのだ。
――世は、強きものをもう求めてはいない。
勝つことが最も重視される戦国の世は終わりを告げた。これから必要とされるのは政治を安定させることのできる実務家。すでに天下の主となった主君は、そのことをよく踏まえていた。ゆえの行為、それだけの話であった。
ランサーにもその考えは理解でき、また時代が移り変わることも知っていた。伊勢桑名の領主となったランサーは、城下町づくりに力を注ぎ、今も桑名中興の明主と言われている。
だが――それでも、彼の居場所はやはり戦場でしかなかった。
絵師を呼んで自画像を描かせた時に、何度もやり直しを命じた末に彼がやっと満足した出来栄えの自画像は、愛用の兜に身を包み采配を片手に握った戦姿だった。
ランサーと共に四天王と言われた武功派の面々も、さびしい最期を迎えている。一領主としてランサーは静かな最期を迎えたが、それは果たして彼の意に沿うものであったのか言うまでもあるまい。
時の流れには逆らえない。この身は存分に戦場を駆け抜け、己が主君は天下人となった。その成り行き上、全ては致し方のないこと。人生に悔いはない。
それでも、彼の心に最も焼きついた景色は。
今でも瞼を閉じさえすれば、己が眼と鼻と皮膚と耳と舌は、熱く滾るあの関ヶ原を思い出す。
だから――もし今一度願いが叶うのならば、この身をかけ死力を尽くして戦いたいものだ――。
それが「天下人に過ぎたるものがふたつあり」と謳われ、主君の四天王の一角と称えられたランサーの願いであった。
それ故に、ランサーは勘違いをしていた。古今の日本の英雄が集まり、死力を尽くして戦う聖杯戦争には、マスターという存在があることを。
そのマスターと仲違いを起しては勝ち抜くことはおろか、尋常な勝負をすることも難しいことを。マスターも其々の思惑があり、そのためには尋常ではない手段に訴えることもある。
聖杯戦争は決してランサーの夢見るような、サーヴァント同士が一対一で尋常な方法だけで戦うものではない。現在を生きるマスターと未練を抱くサーヴァントが入り乱れる――かつてランサーが生きた世となんら変わりがない世界だった。
ランサーと同じ思いを抱くものばかりとは限らないのだ。
今に至り、ランサーはその勘違いを自覚する。そして、戦う意欲を新たにする。
己が願いを叶える為に――マスターたるハルカの方針も呑み込もうと決めた。
バーサーカー戦で無理やり戦うことを封じられたランサーは、それ以来マスターであるハルカに対して「本当に聖杯戦争を戦う気があるのか」と疑いを抱いていた。
それより以前から、人に害をなすバーサーカーを放置しておこうとする精神も気に入らなかった。
しかし生前の習いと言うのか、主替えの当てがなかったこともあるが――生涯を一主君に仕え続けたランサーには此度の主君を裏切ろうという気にはなれなかった。
たとえランサーはハルカを主君と思っていなくとも、である。
キャスター陣営の強襲は突然の事態ではなかった。キャスターが襲来する日の昼に、ランサーはハルカに呼ばれて一階のリビングにいた。ハルカは常と変らぬ様子で紅茶をたしなんでいた。
話とは何かとランサーが尋ねると、マスターは柔和な笑みを浮かべたままこう言い放った。「今宵、キャスター陣営が襲いに来る」と。
「ランサー。貴方には一度キャスターに奪われてもらいます。令呪もキャスターのマスターに引き渡します」
「な!?」
耳を疑う発言に、ランサーは己がマスターを凝視した。聖杯戦争をやめると言うにも等しい言葉は、ランサーにとって許容できるものではない。それに、キャスターのサーヴァントは偵察を続けてきたランサーもまだ見えていない。
だが、ハルカは動揺せずに話し続ける。
「一度、といったでしょう?令呪と契約を一時的にキャスターのマスターに引き渡しますが、直ぐにあなたとの契約を取り返しに行きます」
訳が分からないという顔をするランサーに対し、ハルカが言うことは以下のことだった。
「現在、キャスターのマスターはキャスターとアーチャーのマスターを使役しています。ここにあなたが加われば残るサーヴァントはセイバーとガンナーのみ。ガンナーは現在どの立ち位置にあるのか不明で、三騎対一騎、仮にセイバー陣営についても三騎対二騎では、キャスター陣営が勝利を収める可能性が高くなるでしょう」
セイバーと共にバーサーカー打倒に戦ったアーチャーが、マスターを裏切ったことはランサーも神父からの連絡で知っていた。しかしそのアーチャーがキャスターのマスターの下に行ったとは初耳だ。
そしてキャスターのマスター――マスターとしての最高性能を持つアインツベルンは、キャスターを使い一ヵ月間にわたってひっそりと陣地を築き続けていた。
その力をもってすれば三騎同時使役も可能――ハルカは言う。
「アインツベルンが動かなかったのは、戦闘力に不足するキャスターの性能を補うために陣地作成に注力し、堅牢な陣地を構築するため―――ということもありますが、本質はキャスターのマスターの精神的な問題によるようです。しかし、アーチャーを手に入れ、さらにランサーまで手に入れればアインツベルンはサーヴァントで多数派を抱えることになります。そうすればアインツベルンは一気にセイバー・ガンナーを殺しにきます。戦局が動きます」
ハルカは不敵に笑う。その好戦的な笑い方は、ランサーが初めて目にするものだった。
「セイバーのマスターはこの戦争を何事もなく終わらせる義務を負い、サーヴァントは勝者になることが目的でしょう?セイバーは三対一でもキャスターに戦いを挑みます。彼らが戦いに赴く日は、神父を通じて私も知ることができます。その日に乗じて、私はあなたを取り返します」
これで一気にサーヴァントを減らすことができるかもしれないとハルカは言う。だが、そんなことをする意味は何なのか。
ハルカは「キャスターのマスターの精神的な問題により、キャスター陣営はアーチャーも擁しただけでは動かない」と言った。
そこにランサーを加えることで、「勝てる」と思ったキャスター陣営が重い腰を動かす。ガンナーを勘定に入れないとして、三対一なら、セイバーでも勝つのは難しくなるだろう。
もし、ハルカの命令が単に「キャスター陣営に加わりセイバーを殺せ」というのなら、ランサーに従う気はなかった。しかし、「セイバーがキャスターと戦うのに乗じて、ハルカがランサーを取り戻しに来る」ということはどういうことか。
「……本当の目的はセイバーを倒すことではない。キャスター陣営の腰を上げさせることだとでも言うのか」
「流石呑み込みが早いですね。キャスター陣営の腰を上げさせることが目的なだけなので、キャスターを勝たせる気はありません。この戦い、キャスターの拠点――大西山にて残り五騎中少なくとも四騎が入り乱れる乱戦になります。貴方はキャスター陣営を内部から崩壊させるのです」
ランサーにも大体の意図は掴めた。一時的にランサーはキャスター陣営に入る。決戦の日のハルカはキャスターの拠点に乗り込み、マスターから令呪を奪いランサーと再契約を結ぶ。
そしてキャスター陣営を裏切り、ランサーも戦いに身を投じる。
「しかし一度契約をやめてしまえば取り戻すのは至難だ。儂と再契約へこぎつける為に何か手はあるのか」
「それについては考えがあります。しかし、これからあなたはキャスター陣営に入る。新にマスターとなったアインツベルンに令呪を使われては、あなたも計画を話さざるを得なくなる。だから内容を話すことを控えますが――決戦の日、セイバー陣営以外の異状は全て私の成したことだと思っていただきたい」
確かに、一度キャスターのマスターと契約するだから計画を話さない理屈では納得できる。だが、ランサー自身がマスターであるハルカを信じきれない。
ランサーはハルカがいつキャスター陣営の状態を知ったのかも全くわからない。
それに、今提示された方法は、――生前ならともかく――ランサーの好む方法ではなかった。ランサーの心を見透かしたように、ハルカは舌鋒鋭くサーヴァントに迫った。
「……聖杯戦争は、あなたが思うようなお綺麗な戦いではありませんよ。願いをもった人間同士が戦うのです。それがあなたのような願いを持つ者ばかりなら違いますが、欺き裏切りを成しても叶えたい願いがある者もいます」
生前のランサーであればその程度の事を承知していた。だが、今しがたの生に浮かれていたランサーはそのことを考えていなかった。いや、聖杯戦争も生前と変わらず人間同士の戦いであることを都合よく解釈していたと、気づかされたと言える。
「そして、私の事が信じられないのならそれもよいでしょう。決戦の日、私が来なければ、そのような人間だと思いなさい」
ランサーはハルカを信じてはいない。だが、ここまで聖杯戦争に意欲を出す彼を見たのはこれが初めてである。マスターが聖杯戦争を本当に戦うと言うのならば、ランサーに異議はない。諾、と彼は頷いた。
「……しかし、ハルカ。お前はなぜ今日キャスター陣営が襲ってくると知っている。それに拠点が山であることも」
ランサー達はセイバーのマスターと同盟を組んでいる状態の為、他サーヴァントの情報も神父を通じて耳に入ってくる。だが、これまでキャスターに関する情報はなかったうえに、ましてや未来の情報だ。ハルカは慇懃無礼ないつもの笑顔を、少しも崩さない。
「簡単なことですよ。あの神父、碓氷のマスターと私たちとだけ情報をやり取りしていたのではなかったのです。――キャスターのマスターとも、私たちと同様の関係を結んでいるのです」
「なっ」
「彼の目的は無事に戦争を終わらせることです。キャスターのマスターが動かぬままでは戦局が動かぬと、神父はキャスターのマスターに私たちを襲うことを提案し、私は了承したのです」
その裏をかく。ハルカは自分の魔術なら令呪の奪還も可能だと告げる。キャスター陣営の瓦解を目論んでいる。だが、ランサーにとっては神父の行動の方が衝撃だった。
「あの神父は儂らの情報もキャスターのマスターに流していたのか!?」
「そうです。七騎――いや、六騎中の半分と連携を取れば、いかな他のマスターが神秘を漏らそうとしても対処できると言っていましたが」
ならばハルカと碓氷明を引き合わせたように、キャスターのマスターも最初から引き合わせていればよかったのではないか、とランサーは思った。
それを読んで、ハルカは説明を続けた。
「神父が私と碓氷をアインツベルンに引き合わせなかった理由は多々あります。かつてアインツベルンが外様の魔術師に手ひどく裏切られたことがあり、容易く私や碓氷と同盟しないだろうこと。それに、七陣営中、いや六陣営中半分が手を握り合ってしまえば逆に戦況がこう着する可能性がありましたからね」
ハルカはさらに付け加えた。「あの神父は悪ではありません。決して善でもありませんが」
ランサーは神父の件にも驚いていたが、自分のマスターにもある念を抱く。
―――一体この男は何を考えているのか。
一体聖杯戦争に何を求めているのか、どんな人間で、何を望んでここにいるのか。そういった背景が、このハルカ・エーデルフェルトという人間からが全く見えてこない。
根源に至ることが望みだと聞いていたが、どの程度本気で願っていることなのか。
*
セイバーが星熊童子・虎熊童子と戦っていた時、山の北側で熊童子と金童子が首を傾げていた。
子鬼たちの報告によれば、北の登山口から入ってくる人間は多数とは聞いていない。お頭のお頭――キリエスフィールは、ガンナーことアサシンのマスターかもしれないと言っていた。
だが、北の登山口をうろうろ探っていた二匹の鬼の目には、人間が複数山に入ってくるように見えたのである。しかしマスターからは入ってくる人間を好きにしていいと聞いていたため、見つけては殺し一か所に集めていた。
だが、殺してみても――そもそも、彼らは人ではなかった。人ではなく、精巧に作られた人形だった。そのうえ戦闘能力もない。それがわらわらと、これまで二人が破壊しただけでも十体は侵入してきている。
聞いていた状況と違うということを捕まえた子鬼を通し、キャスターに報告する。熊童子と金童子は人間の気配や魔術師の気配がわかるわけではなく、足を頼りに歩き回って見つけたものを殺しまわっているという具合である。
((……殺しもらしがありそうだな))
そのようなことを考えながら二人は人間を探していると、後ろから山を駆け下りてくるものがいることに気づいた。ランサーである。そういえば、後から追ってくるとランサーは言っていた。
「「ランサー」」
「なにやら人間が複数入り込んでいるそうだな」
「「そうだ」」
「人払いの魔術はかけたと聞いているから、一般人が入ってくることはないと思うが何故そんなに魔術師が入ってくるのだ?」
「わからない。それに、ちゃんと言えばこいつらは人間じゃない」
「人形だ」
代わりばんこに答えた熊童子と金童子は指を指してある一点を示す。荒れ果てたが登山道、ぼうぼうに茂った木々の間に、壊れた人形が積まれている。見た目には人間にしか見えない為におどろおどろしい。
ランサーは軽く眉を顰めたが、とやかくは言わない。
「……とにかく、儂もここらを探ってみる。何かあれば子鬼で連絡することにしよう」
熊童子と金童子が頷いた瞬間、ランサーは音もなくその槍を振るった。その槍は熊童子の胸を貫き、生命の赤を流させる。熊童子は今起こったことが理解できず、己の胸とランサーの顔を代わる代わる眺め――とどめの一撃を食らい、その場に崩れ落ちて動かなくなった。
「……ランサー何をする――!?」
残った同じ姿をした金童子は、小柄な体躯を生かしてランサーから距離を取る。いかな眷属である四天王が陣地内では蘇るからといって、無意味に殺されてはたまらない。
とにかくこのことは間違いなくお頭に報告をと思った時、俊敏なランサーの槍は金童子の首をも刎ねていた。
しかしランサーは更に二体の身体を原型が無くなるほどに滅多刺しにした。むわりと生暖かい湯気と鉄の匂いがたちこめ、ランサーは顔をしかめた。決して酔狂でこのようなことをしているわけではなく、少しでも生き返るのを遅らせるためである。
ため息をついたランサーの背後から姿を現したのは、金髪の優男――かつてのランサーのマスター・ハルカの姿だった。
山道の中でありながら、彼は衣服の乱れなく変わらずランサーを見上げた。其の顔は、相変わらず柔和な笑みを湛えている。
「短い別れでしたが、久しぶりに感じますね、ランサー」
「……よく儂の場所が分かったな、ハルカ」
当然キャスターのマスターと現在五感を共有していないことをランサーに確認し、ハルカは指を鳴らした。セイバーが暴れている頃合いを見計らっている為、キリエはあちらに夢中であろうが、ランサーに視界の共有を命じられるとまずい。ハルカは手早く説明する為、重なり合った人形の山に目を向けた。
「私の人形を見ましたよね?あれらの位置は全て把握、視界を共有していますから」
人形そのものはかつて作ってもらったものの再利用ですけれど、とハルカは付け足した。ランサーはその精巧さに驚くと共に、本当に人間ではなかったことに安堵した。
ランサーがあっさり熊童子たちの虚を突けたのは、彼らがランサーを疑っていないことの証左である。キャスターらが邪悪ではなくむしろ人間よりもはるかに純粋であることを、短い付き合いながらもランサーは感じ取っていた。ゆえに熊童子たちが嘘をつくとは考えていなかったが、彼らは人間を食らう魔物である。
「ハルカ、熊童子と金童子は今殺したが、キャスターが居る限りこやつらは蘇る。できるだけ徹底的に殺したから多少猶予はあるが、何か事をなすなら素早くしなければならんぞ。それに儂は契約、令呪共にキャスターのサーヴァントのままだ。本当にどうにかなるのか?」
「なりますよ。一応魔力殺しのブレスレットは着けてきたので、まだアインツベルンは私を私と認識していないでしょうし……マスターのもとへ連れていってください」
自信を持って頷くマスターを見て、ランサーはマスターを連れて山を駆けた。キリエとつながるパスを辿り、仮初のマスターのもとへ急ぐ。