Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

56 / 108
12月5日⑦ 約束された栄華の月

「私はそういう風にしかできてないのですよ、叔父上」

 

 そういう風に、彼の男は京を発つ前に笑った。

 道長の甥――藤原隆家の人生の最高点は十六歳、父親が死ぬ前までだった。その後は、前述したように若さゆえの不祥事を起し左遷、帰京が許されるも姉や兄も皆若くして亡くなってしまい、姉の残した帝の第一皇子たる敦康親王も、道長の娘が男皇子を生むことで、皇太子になれず二十歳に満たずして世を去った。

 

 かつて清少納言が枕草子で称えた中関白家の栄華は疾うに過ぎ去った。世は道長とその一家の時代になっていたのだ。

 

 気丈な質の隆家は弱音や愚痴の類を人に言うことはなかったが、自分の置かれた立場に忸怩たるものはあったに違いない。かつて肩で風を切って歩いていた家族と自分。

 それに引き替え、愛した一家も離散し果て、もう官位が上がる望みもなく道長の足もとに頭を垂れるしかない残りの人生――。

 

 もちろん、彼は太政官にあり続け生活に困ることがあったわけではない。だが、衣食住が満ちても、京に生きる貴族に巣食う鬱屈は晴れない。

 

「衣食足りて栄辱を知る。倉廩満ちて礼節を知る」という言葉がある。

 人は物質的な余裕を得てからこそ、礼儀に目を向けられるという意味である。

 だが、知ってしまうのは礼儀だけではないだろう。衣食住が満ちて本当に幸せならば、人を呪うことが日常であるはずがない。

 

 隆家はかつての道長の政敵であったという立場から、今以上の立身を望めなかった。

 彼の甥は道長と気はあったが、道長の事は嫌いであった。二人だけで酒を飲みながら双六をたしなみ、よく宴に呼ぶ仲であったが――それは太政官の安定を図るため、隆家を取り込もうとする政治的意図もあったが――自分の一家に代わって道長が居座っていることが、仕方がないことと思ってはいても楽しくなかったのであろう。

 

 言うなれば、めぐりあわせが悪かったという、それだけの話だ。

 

 かつての栄華は見るべくもなかったが、隆家はあまりめげているようには見えなかった。それが彼の矜持か意地か。彼はいたずらに道長に喧嘩を売るわけではないし、敬意も払うが、自分の気に入らないことには従わなかった。

 

 隆家の甥でもある敦康親王の立太子が潰えた次の年に、隆家は几帳で目をぶつけ片目の視力を失いかけた。九州に宋から腕のいい医者が来ていると言う話を聞き、隆家は九州の長官――大宰権帥への任官を希望した。

 

 当時、太政官(参議~左大臣)の貴族が、任地へ行くことは少なかった。大体が代理を派遣して、収入だけをもらうことが主流だった。都からすれば大宰府など鄙びた田舎であり、かつて菅原道真が流されて身罷った土地だ。太政官で行きたがるものはいない。

 しかし隆家は自ら九州に赴任することを希望したのである。

 道長は当初、隆家の希望を却下したが、帝等との兼ね合いもあり隆家は結果的に太宰権帥に就任することができた。

 大宰府へ出立する前に、道長は挨拶に来た隆家と話したことがある。九州は都から遠く、大変だろうが頑張れと月並みなことを言ったあとのことだ。

 

「医者ならそなたがいかずとも、呼べばよかろう」

 

 隆家は傷ついた目を宋からの名医に見てもらいたいと言っていたが、呼ぶと言う選択肢はなかったのかと問うた。

 

「別にもう私が(ここ)にいる必要もありますまい?必要のない者が居座るのもつまらないことでしょう」

 

 相変わらず歯に衣着せぬ男である。隆家はその顔に笑みを浮かべて、道長を見た。

 

「私はそういう風にしかできてないのですよ、叔父上」

 

 もしかしたらそれは自嘲だったのかもしれない。京には彼の妻子も、姉の残した宮もいる。隆家は九州に赴任せずとも、現在の中納言のままで生活するに困ることはない。

 だから、これは自分のわがまま。自分が生きられる、戦える場所を求めて旅立つわがままだという意味だったのかもしれない。

 

 しかしたとえそうだとしても、そんな甥の姿がとてもまぶしく、羨ましく思えた。

 だが、何故自分がそう感じたのか――その理由を、道長はわからなかった。

 

 隆家が赴任している間、九州は特に大きな混乱はなかったが――一つ、大きな事件があった。女真族(満州民族)の海賊が、九州の対馬・壱岐そして筑前を襲った――刀伊の入寇と呼ばれる事件だ。記録されているだけでも殺害された者は約三百五十名、拉致されたもの約千五百名、その他盗まれた牛馬や燃やされた家屋も多数に上った。

 

 大宰府の長官であった隆家は急いで九州の武士団をかき集めて応戦し、なんとか賊を追い返すことができた。後処理も滞りなく行ったが、そこで問題になったのが恩賞である。

 この非常事態を朝廷が知ったのは、隆家らが賊を追い払ってからであり、朝廷はなんら対策をとっていない。

 

 そして結局、隆家らへの恩賞は何もなかった。勅符の到着前に戦いは終わっておりこれは勝手に戦ったのだという論調、賊を退治するために戦ったのだから恩賞はあってしかるべき――さまざまな論調はあれど、道長は恩賞なしに票を投じる側であった。

 

 かつて藤原純友は、伊予の国司として赴任したあとに海賊化し朝廷に反旗を翻した。つまり、かつての純友のように、隆家と九州武士団と密接に結び付くことで力を蓄えられては困る――道長はまたしても、そうしたのである。

 もう二十年以上前に、彼の未来を断ったように。

 

 ――奇しくもこの刀伊の入寇があった年は、道長があの望月の歌を詠んだ翌年だった。

 

 任期が終わり、京に帰ってきても隆家は特に恩賞がないことについて不満はないように見えた。いや、そもそも期待さえしていなかったというのが本当のところかもしれない。欲しいものはあるか、と聞いても、双六の賭物としては何々がいいとか、適当に流されるのが関の山だ。

 

 道長は信心深く、死後は浄土に迎えられることを祈って出家をしたが、隆家はそうではなかった。宮中行事の仏事には参加するが、本人はからっきしである。

 願い事があれば参詣もするが信心が深いとは言い難い。

 

 それはたんに、隆家は浄土、御仏による救いを必要としていなかった――それだけの話だ。

 だが、道長にはそれが不思議でならなかった。幸運幸運ともてはやされてきた己より、自分が運命を摘み取ったはずの男の方が泰然自若と生きている。

 

 生まれが人生を規定する世において、その来世における運命を良くしようと、死後の幸福に願いを掛けようとしないことに。考えた末に、道長は理解した。

 

「私はそういう風にしかできてない」――その意味を。

 

 隆家は運命を変えようとか、良くしようとは考えていない。運命と言うものがあったとしても、自分がどう行動するかくらいは自分で決める。たとえ手に入らないものがあったとしてもそれを受け入れて、それからどうするのかを考える。

 

 足ることを知り、自分の限界を知りながら、それでもあきらめない。

 

 だから隆家は強く「幸福」であった。たとえその生がいくら没落の一途であっても、家族が死んで行っても、出世が望めなくても、運がなくても、隆家は「幸福」だったと、道長は思った。

 

 ――それは決して道長に持ちえぬものだった。幸運に恵まれた道長は、幸運であったがゆえに際限がなかった。未曽有の一家三后を成し遂げ、手に入らないものが少ないがゆえにその数少ない「手に入らない」ことを受け入れられなかった。

 

 幸運であったがゆえに、いつかその幸運が消え去ることを恐れて仏に縋った。死後も幸運であるように、浄土へ行けるように必死だった。

 あまりにも幸運だったがゆえに、誰もに等しく訪れる死や愛する人との別れを受け入れられなくなっていった。

 

 比類なき幸運の持ち主――そう謳われたことも今や虚しい。

 いくら幸運であっても、それは「幸福」を意味しない。

 

 ―――お前が羨ましいよ、隆家。

 

 だが、それは決して口に出して言うべきことではなかった。己が未来を摘み取った相手に対し、そのような言葉は侮辱にも等しいと理解している。

 

 言っても決して理解されない。

 なぜなら道長は都の誰もが認める、「最も運に恵まれた一の人」なのだから――。

 

 死期の迫った道長は、妻や娘に先立たれ、病に悶絶し、「これが幸運のありさまか」と問い続けた。だから道長は聖杯に問いたださなければならないのだ。

 

 

 己が人生を受け入れる為に、「真なる幸福は何か」と、問わなければならない。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

(あいつ、強くなってやがる!)

 

 弓を射かけるアーチャーと、それを俊敏にかいくぐり迫るアサシンの攻防が続いている。マスターは敵サーヴァントのパラメータを見ることができるが、アーチャーの数値は一成がマスターであった時よりも上昇している。

 

 彼らは切り開かれた場所から山の森に戦場を移し、束帯を翻しながらアーチャーは間断なく矢を放つ。

 

「暗殺者、私の宝具を盗んで見せたことは褒めて遣わすが、それだけで調子に乗られては困るのう」

「そーいうお貴族様の矢もなかなか当たんねェみてぇだけど!!」

 

 後世の創作により忍者の性質を付加されたアサシンは、忍術を操ることができる。無限空間に等しい褞袍から、手裏剣を取り出し巧みに木を避けて投げる。それはアーチャーを狙ったものではなく、別々の場所に当てて音を出し、アサシンの居場所を誤認させるための技である。

 アサシンは俊敏の値が高くいざとなれば気配を遮断することも可能のため、逃走については他の如何なるサーヴァントの追随を許さない。また同様の理由で回避も得意だが、クラス特性故にどうしても攻撃力に欠ける。

 

 アサシンの宝具『金襴褞袍』の中に入りアサシンと共に動く一成には、外の様子が見えない。だが、アサシンとの念話で概況を把握している。

 

『おい、お前何かもっと攻撃っぽい技とかないのか?』

『そりゃあるが、アサシンっつークラスはもともと対サーヴァント戦に向くクラスじゃねーし?今どうすっかなって』

『オイ!ついさっきこいつは俺の獲物だって大見え切ってたじゃねーか!!』

『あれは勢いだ』

 

 こんな時でもホテルにいたときとノリが全く変わらないアサシンに、一成は脱力した。何か自分にもできることはないかと考えるが、知っての通り一成は攻撃魔術が苦手中の苦手である。治癒魔術、祓いの魔術、防壁が得意で、占術を少々くらいの実力である。

 それに魔術を外界に向かって行使するためには、一度宝具から出してもらわなければならない。

 

(攻撃の魔術が使えれば、対魔力なんてブチ抜けるかもしれないのに)

 

 陰陽道において、対象に影響を与える結果を齎す術は魔術より呪術に近い。魔術が「対象を組み替える」作用ならば、呪術は「自分を組み替える」作用で、物理現象の形をとる。物理現象であるがゆえに対魔力は機能せず、一成が攻撃の呪術を習得していればセイバーさえ傷つけられる可能性がある。

 しかし一成はそちらの方面はからっきしだった。だがこのままではアサシンはじり貧確定である。

 

『おめーは大人しくしてろって!』

『そりゃそうだけど!』

 

 多分、大人しくしている方が邪魔にはならない。だが、それでいいのか。せめて攻撃の術が使えればと思ったその時、一成はあることに思い至った。

 

『アサシン!お前、アーチャーの相手はできてるよな!じゃあ、俺を出せ!』

『何をするつもりだ坊ちゃん!』

『俺も戦うぞ!』

 

 手短に思いついたことを話すと、アサシンは念話で派手に噴出してそれから笑った。いいぜ、やってみろよ坊ちゃんと告げた。それは一成をそこまで護る気がないからなのか、単に面白がっているだけなのか――一成としては最後のものだと思った。

 

 アサシンは褞袍から筒のようなもの――火縄銃を十丁抜き出す。サーヴァントとして現界したアサシンの盗品は、一つ一つが魔術礼装(マジックアイテム)である。火縄銃はふわふわと宙に浮いてそれに火がつけられていく。アサシンとアーチャーは互いに中距離戦を展開しており、そしてアサシンは気配を遮断して闇にまぎれる。

 

 もちろん、一度アーチャーはアサシンをサーヴァントとして認識している以上、彼の気配遮断のランクは下がるが、アサシンの居場所を細かく特定することは困難だ。アーチャーは腰の飾太刀を構える。

 飾太刀――あくまで人を斬る刀ではないが、防ぐことには使える。

 

 暗闇に橙色の閃光と破裂音が響き渡った。アーチャーは身を翻して、闇より飛び来る弾丸を躱す。火薬のにおいがアーチャーの鼻をつく。須臾の間のあと、闇から鉄の球が飛来する。

 鉄の球は小さいが鎖につながれており、直衣を掠めるだけに終わった――それはすぐさまアサシンの元に戻される。

 

 鎖鎌。山中にある屋敷の片方の尖塔に立つアサシンは、鎌を構えて鉄球を振り回している。方やアーチャーは向かい合った尖塔の片方に立ち、弓を射る構えを取っている。アーチャーは心の中で笑った。バーサーカー、ランサーよりもはるかにこの英霊は弱い、と。

 

 

 

 明たちと山を登っていた一成だったが、アーチャーとアサシンの戦闘が開始されてから戦いつつ移動した結果、山を下りていたようだ。ふもとに立てられ、場違いに忽然と現れる中世の城のような屋敷に、彼らは戦場を変えていた。一成たちは知る由もないが、言うまでもなくキリエの拠点だ。

 

 一成はアサシンが火縄銃でアーチャーの気を逸らせたときに、宝具から解放された。夜気が再び肌を刺し、満月には僅かに足りぬ月が浮かんでいる。

 

 屋敷の屋根の上で、二騎は火花を散らしている。アサシンは鎖鎌を振り回し、俊敏さを生かしてアーチャーに迫る。気を逸らした隙に出され、アーチャーに気づかれていない一成は、屋根に突き出た部分――とんがり帽子のように突き出ている屋根の後ろに潜んで隠れている。

 

 手にしているのはアサシンの褞袍にあった黄金の太刀である。脇差程度の長さだが、日本刀の使い方を知らない一成には大刀よりもいい。一成は人を害する呪術の行使ができない――だが、護るのなら話は別である。

 自分への身体強化はうまくいく。ならば、陰陽術で強化した武器であればどうだろうか。

 

 話は褞袍の中にいた時につけてある。内容は簡単で、アサシンがどうにかしてアーチャーを釘付けにしてその時に一成がアーチャーを斬るというものだ。しかし一成から見たところ、現状押されているのはどちらかといえばアサシンである。

 

 アサシンは鎖鎌を手にしたまま音もなく屋根の屋根を奔っていた。それは今までの忍び隠れる奇襲戦法からすれば愚直に見えるほどの単純さである。しかし、速い。アーチャーはアーチャーらしく距離を置くべく跳躍をするが、其れより早く鎖鎌の鎖が伸びる。

 

「……ッ、」

 

 見逃すまいと戦況を追っているこんな時に、また頭痛がした。碓氷の地下室で、ホテルの廊下でよくわからない映像を視た時と同じもの。

 意識が何か得体のしれないモノと混合し、ここではない時間と世界の映像が映る――だが、その瞬間、一成は刀を手に走り出していた。そしてアサシンがしようとしていることが分かった。否、視えた。

 アサシンの走り方を真似て音と気配を消して、一成は屋根の上を直走る。

 

 しゅるりと鎖鎌の鎖がアーチャーの左腕に巻き付き、アーチャーの移動を妨害したが、アーチャーはすかさず飾り太刀を抜いた。

 

「――斬る刀ではないゆえ、むしろ痛むぞ暗殺者よ――!」

「望むところだ--!!」

 

 アーチャーの飾太刀はアサシンの胸を狙う。其れにかかりきりであるアーチャーは、背後に迫るかつてのマスターに気づかない。

 

 息を殺し、音を殺し、一成はその太刀を振り上げた。緊張は頂点に達している。アーチャーの飾太刀が速いか、一成の太刀が速いか――!!

 

「――ッ!!」

 

 月の光に照らされた屋根の上に、鮮血がまき散らされた。それはアーチャーのものでもあり、アサシンのものでもあった。アーチャーの飾太刀はアサシンの脇腹を貫き、一成の太刀はアーチャーの右肩に突き立っていた。本来なら背中から心臓を貫いていたはずが、とっさに気づき身を翻したアーチャーによって狙いを外されたのだ。

 

 刀の柄を握ったままの一成は、身を翻しかけたアーチャーと視線を交わした。そして次の瞬間、アサシンから勢いよく飾太刀を引き抜いたアーチャーの肘鉄で吹き飛ばされていた。

 

「――ぐっ!!」

 

 息が止まり、一瞬視界も暗くなった。離すまいとした太刀は握りしめたままで、アーチャーの肩からずるりと抜けた。支える者もなく、そのまま一成は屋根の上から落ちていく。

 これはアインツベルンが作り上げた屋敷の上――少なく見積もっても十五メートルは落下することになる。

 

 じゃらり、と金属の擦れる音が聞こえた。それはアサシンの鎖鎌。「あっぶねーな!!」

 

 落下し行く一成を受け止めたのは、アーチャーから身を離したアサシンだ。彼の派手な衣装の腹の部分が赤く染まっている。それでも常と変らぬ身軽さでアサシンは地面に着地した。

 

「た、助かったアサシン!いまその傷直して」

「おう!――って、そんな暇ねぇってか……!?」

 

 アサシンが頭上高くを見上げている。一成もつられてその視線を追う。当然、屋敷の屋根に立つアーチャーが立っている。

 

「本当に気にくわぬ者達よ」

 

 氷柱のような鋭さと冷たさを合わせ持つ視線が落とされている。敵意だ。純粋な敵意。裏切られてから、碓氷邸にアーチャーが来たとき、そして今まで感じたことのないほどの強い敵意がある。

 

 アーチャーの背後空高く中天に、月が浮かんでいる。望月にはまだ足りぬ。真っ暗な空に穴が空いたように見えて、吸い込まれそうな引力がある白き月。

 

 アーチャーは手持ちの扇を左手で広げ、右手で懐からなにやら古びた紙を取り出し、天高くそれを掲げる。

 それは藤原道長という歴史上の人物を、最も強く印象付けた歌を記したもの。その歌は、平安の歴史を深く知らぬ者にアーチャーの人格を誤解させうる天下の歌。

 

 それを見上げた時、一成の目はある光景を「視た」。そして彼自身が気づいた時には反射的に叫んでいた。

 

「アサシン!!逃げろ!」

 

 一成の必死にも構わず、平安の貴族の朗々たる歌声は古の山に響き渡る。遥か昔の栄華を再現するかのごとく謳われる奇蹟。

 

「この世をば、我が世とぞ思う 望月の かけたることも、なしと思えば――」

 

 月光を受けて煌くその姿は、この世のものとは思えぬほど眩く。

 貴族達が空前絶後の権力を誇り、後代の貴族達に聖代と崇め奉られた栄華の最高峰―――古代王朝の文化と世界が、今ここに蘇る。

 

 

約束された栄華の月(このよはわがよ)――!」

 

 

 王朝政治期最高の到達点を誇る、アーチャーの栄華そのものの具現である形なき宝具が発動する。術者の心象風景を再現し、現実を侵食する結界。

 道長の人生最高の時――『一家三后』を成し遂げ望月の歌を詠んだ夜――を再現する、魔法に近い大魔術。

 

 今、瘴気に塗れた山が消え失せる。雲一つなく星が瞬く美しい夜空の真ん中に、望月が浮かんで白銀の光が降りそそぐ。十二月のはずだが、この世界の木々には白い桜の花がつぼみをつけ膨らみ、そして綻んでいく。爽やかな風が吹き抜けると同時に、一斉に桜が舞い散る。

 鬱蒼と茂っていた木々や、岩も見る影もない。一成とアサシンは寝殿造の広大な庭に立っている。後方には複数の池が作られ、中島に反り橋がかけられている。底の平たい高瀬舟が浮かび、龍頭鷁首(りゅうとうげきす)の装飾を施され、楽人たちが笙や篳篥を奏でている。

 目の前には寝殿造の母屋。その屋根の上に仁王立つアーチャー。左手に扇を掲げたまま、右手は空手。戦うとはゆめ思えない優雅な姿。

 

 今宵、千年前の栄華の宴よ再び--!

 

「……ここで片を付けさせてもらう」

 

 氷よりも冷たく。海よりも深く。この世界の晴れやかさに反して、アーチャーの言葉は呪詛のようだ。アーチャーは扇を閉じて、アサシンを睥睨し指さした。

 

「この矢、当れ……そして、死ね」

 

 最早脊髄反射だった。この宝具がどんな効果などわからない。この矢、当れと言いながらアーチャーは矢など全く番えていない。

 それでも、先ほどよりもはっきりと「視得た」。

 

 アサシンが死ぬ――その映像がはっきりと一成の網膜を焼き、脳に伝達された。刹那、悲鳴にも近い叫びが空を斬った。

 

「逃げろ!!アサシン!!!」

「な――!?」

 

 

 次の瞬間、一成の目に入ったのは数十本の矢に穿たれたアサシンの姿だった。傍らに立っていたアサシンが体のバランスを崩し、そのまま力なく地に倒れ堕ちる。

 肉が砕けるような音と共に、動かなくなったアサシンが血だまりを作って倒れている。人間なら心臓があるであろう場所には、確かに数十本の矢が刺さっている。

 

 その上にひらひらと、麗らかな桃色をした桜が舞い落ちていく。

 

「……え?」

 

 一成の頭にぽっかりと空白ができる。何が起きたのかわからない。この矢はどこから、いつの間に飛んできて、何より、何故アサシンは串刺しとなり息絶えたのか。

 しかしそれを考察することは許されない。未だ尖塔に立ったままのアーチャーは、敵意に満ちた眼差しを一成から外していないのだから。

 

 

「この矢、当れ」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。