Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

60 / 108
12月5日⑪ 聖杯陰陽師 対 槍兵

 ランサーがセイバーに加勢する前の話だ。

 

 森を疾駆する。ちらちらと光る鬼火と月光のみが光源である闇の中を、ランサーに抱えられてハルカは駆ける。この闇も、視覚強化と肉体強化をしたハルカにとっては物の数ではない。二人とも周囲への警戒を怠らない。

 

「ランサー、キリエスフィールはどこですか」

「この先に少し開けた場所があり、そこにいる。あと二十秒くらいで着くが……どうする気だ、ハルカ」

 

 ハルカはしばし考えこみ、顔を上げた。「彼女の傍にサーヴァントはいますか」

 

「そこまではわからん。だがセイバーたちが山に入ってから時が経っている。そろそろ全員戦闘に向かっているだろうが、彼女の護衛に鬼を一人残しているかもしれん」

「キリエスフィールの姿が見えたら、彼女の頭上を通過するように私を放り投げることはできますか」

「できるが、何をするつもりだ」

「彼女を倒します。もし護衛がいたらランサー、貴方が相手をして時間を稼いでください。十秒もあればいいでしょう」

 

 キリエのサーヴァントであるランサーは、令呪を使われればひとたまりもない。だが高い対魔力で少しはこらえることができるだろうから、秒単位ならなんとかなる――ランサーは諾、と答えた。

 

 木々が後方へ飛び去っていく。遠くに目をやれば、たしかにランサーの言った通り開けた場所があるようで、鬱蒼としたここよりもほのかに明るそうだ。既に戦いが始まっているのか、激しい剣戟の甲高い音が鳴り響き、熱気も伝わってくる。

 

 そしてすぐにハルカは足にくくりつけたモノの感触を確かめて、そして自分の身が空に撃ちだされるのをはっきりと感じた。冷たい山の空気を打ち破り、開けた場所の上空を飛ぶ。

 

 眼下には、石に腰かけて離れた戦いを眺めるキリエスフィールの姿がある。

 

「――!!」

 

 魔術による攻撃なら、かのマスターは一瞬にして気づき防御するであろう。故に完全に不意をつくことを狙ったハルカは魔術を使わない。足にくくりつけたそれを勢いよく引き抜き、滞空した状態で上空からキリエを狙い撃つ――!!

 

 魔術と瘴気が支配するこの世界において、ありえない音が轟きありえない匂いが漂う。硝煙と火薬の匂い――キリエを狙撃したものは、拳銃。普通の魔術師は手にしないはずのSIG SAUER P220――自衛隊で使われている拳銃によって、ハルカはキリエを襲った。

 

 生粋の魔術師であろうキリエスフィールは、全く予想だにしなかった攻撃方法に不意を突かれ反応が遅れ、その身に鉛玉を受けた。肩に二発、足に一発。キリエは舞うように跳ね、そしてばたりと地面に倒れ伏した。

 

 遠くのサーヴァント同士の戦いの音を背に、ハルカは乱れなく地面に着地した。流石に対空中で銃を撃つのでは狙いが粗い。しかし彼はぬかりなく、もぞもぞと動くキリエに再び何度も鉛玉を打ち込んだ。そして足早にその小さな体に近づき、左腕に手をかざした。

 キリエの腕にある、キャスター分の令呪・ランサー分の令呪・アーチャー分の令呪六画を全て剥奪するべく心霊医術を行使する。心霊医術といっても対象の同意なく行うので、キリエの体にはダメージが残る。だが、ハルカには関係がない。

 

 ランサーは今にもキャスターが襲い掛かってくることを警戒し、ハルカとは別の方向――剣戟の音のする方向を睨みつけていた。因果線によってサーヴァントとマスターはお互いの状態がある程度把握できる。

 マスターが撃たれたとあってはキャスターがその異変に気付かないはずはない――そう判断したランサーは決して間違っていない。

 

 だが、キャスターが来る様子はない。

 

 鋭い光が走り、残った六画の令呪はハルカの腕に移った。ハルカは右腕を確認すると、ランサーと再契約を交すべく振り返るが、槍の英霊は何か言いたげに北欧のマスターを見つめていた。

 

「……何か思うことがあるのですか、ランサー」

「再契約には応じよう。だが一つ、願いを聞いてほしい――お前は儂が聖杯戦争に夢を見ていると言ったな。確かにその通りよ」

 

 人間同士の戦いであることを失念したランサーは、己を戒める。この槍一本だけで戦国の世を渡り歩いてきたわけではないランサーは、戦に至る前の工作を認める。

 それでも彼は現世に望むものを捨てない。

 

「だがな、この戦争どいつもこいつも何かしらの夢を持って参加してもいよう。儂もそうだ」

 

 お前もそうなのだろうとランサーの目が語る。

 

「だから、キャスターとの戦いを勝ち残った時――セイバーと一騎打ちをさせてくれ」

 

 正々堂々、尋常な全力勝負をしたい。それこそがランサー唯一の願い。

 ハルカは溜息をつく。

 

「本当に仕方のない人ですね。そこまで言うならセイバーは好きにしてください。それにもうこれほどのことをすることもありませんでしょうし」

 

 その返事に満足して、ランサーはハルカに向き直り高らかに宣言する。青白い火花が散り、魔力が溢れる。失われた因果線が再び繋がれ、ランサーに新たな魔力が注がれる。

 

「――再び汝を我が主と認めよう、ハルカ・エーデルフェルト―――!」

「ならばここに契約は完了し「何が完了したのかしら」

 

 ありえない声。先ほど鉛玉を何発も打ち込んだはずの相手から、令呪をはぎ取ったはずの相手から声が発せられている。だがハルカはそれさえ予想していたと言わんばかりのスピードで身を翻し、ランサーを盾にした。

 同時にランサーもハルカの盾となるべく槍を構え、その切っ先を眼下に向けた。その声の主は、小さな体に二本の足で立ち、二メートルほどの距離をとっていた。その程度の距離、ランサーからすれば無に等しい。

 

 何度も鉛玉をくいこませた少女の白いワンピースは、何か所も血に染まり、同時に土で汚れ、白と言う色を忘れていた。だがその紅い目は瞋恚に燃えてハルカとランサーを睨んでいた。そして気づけば、キリエは片手に空になった小瓶を握っていた。

 

 

「……神便鬼毒酒、ですね。かの酒呑童子の力を失わせ、神経をマヒさせた酒」

「あら、よく知っているのね」

 

 キャスターの宝具『神の方便鬼の毒酒(しんべんきどくしゅ)』は、酒呑童子討伐に向かった頼光四天王に石清水八幡宮・住吉大社・熊野大社の神々が授けた酒である。

 鬼がその酒を飲めば力を失わせ、人間が飲めば力みなぎらせ超人へと変える。本来の適性クラス・バーサーカーで呼ばれた際に酒呑童子がこの酒を摂取すれば強化のランクを下げ、知性ある会話をも可能とする。しかしキャスターで呼ばれている今、キャスター自身にはマイナスの効果しかない宝具である。

 だが、ひとたび人間であるマスターが飲む場合は話が違う。

 

「……ランサー、二人で当たりますよ」

 

 ぼそりとささやかれた言葉に、ランサーは耳を疑った。あの少女のマスター一人に、サーヴァントとマスターである人間のハルカで向かうと言うのか。

 

「あれは最強のマスターです。それに、今のあの娘を人だとは思わない事です」

「人だとは……ッ!?」

 

 ランサーが非難めいた言葉を返そうとした刹那、ランサーよりもはるかに小さい体躯のそれが電光めいた速さで蹴りを繰り出した。防いだ槍がしなりたわむ程の力である。ランサーは驚き、素早く少女から距離をとった。

 わかっただろう、と言わんばかりの視線をハルカは送った。

 

 近代兵器による攻撃を全く予想していなかっただけに、キリエはハルカの不意打ちを見事に受けてしまったが、急所ではなかった。そして再度ハルカが弾を撃ち込む前に、小さく身じろぎをしていた。その際に宝具を飲んだに相違ない。

 生憎目覚めたのは令呪が取られた後ではあったが、それでも超人的な速さで意識を取り戻し、ランサーに比肩しうる膂力を一時的に得ている。回路の一部ごと令呪を剥がされた激痛もそれによって癒されている。

 

 少女の眼は未だに焔を抱いている。それはランサーに向けられたものではなく、その後ろのハルカに向けられている。

 

「ミスター・エーデルフェルト。あなたの家はそこまで堕ちてしまったのかしら」

 

 歴史ある魔導の家柄ほど、近代文明を見下す。そして拳銃などの近代兵器も然り。キリエとてこの戦いが殺し合いであることを了承しており、ただ「マスターが足りない」と言う理由で選ばれたマスターがそうするのならばここまで激昂することはなかった。

 だが、相手は彼女の家ほどではなくとも歴史を重ねた魔導の家、その分家である。

 

 そして、それ以外にも彼女が怒りに震える理由がある。むしろそちらの方が、キリエの逆鱗に触れる事柄だ。

 

「あなた、何のつもり?オユウはどうしたのよ」

 

 ハルカはその問いに答えない。キリエもならばよいと言った風情で息を吐くと、一気にランサーとの距離を詰めた。黒い髪をなびかせて疾駆する矮躯からは、その姿からは想像もできない巌のような一撃が繰り出される。速度も重さもサーヴァント並みの攻撃だった。

 

「……!?何!?」

 

 未だにキリエの力に対し半信半疑であったランサーも、はっきりと認識を改めざるをえなくなっていた。

 ハルカもランサーを援護すべく距離を取り、拳銃を再び構える。能力が向上しているとはいえ、キリエが流石に二方向からの攻撃対応できるほど戦闘慣れしているはずもない。

 ハルカは駆けて彼女の背後を取り引き金を引いた、其の時。疾風の如く間に割り込んだのは、子供程度の背丈に紅い水干。頭には角が生えた――熊童子と金童子の姿だった。

 キリエを護るかのように割り込んだ少年の鬼は、放たれた近代兵器の凶弾を手のひらを重ねて受け止めた。弾は貫通することなく、そのまま地面に落ちた。

 

「「お前、なんのつもりだ。ランサーもだ」」

 

 この陣地にある限り、キャスターを倒さない限り蘇る眷属。ランサーの槍で貫かれたはずの鬼が、再び平然とした姿で立っている。熊童子たちは事情を理解していない。しかし、ハルカとランサーが確実に敵にまわっていることは理解している。

 

(……相手は何度殺しても蘇る。殺すならマスターでなければ意味がありません)

 

 ハルカは拳銃を足のホルスターにしまい、代わりにガンドを撃ち熊童子たちをけん制しながら、ランサーの背後へとまわった。バラバラに一対一でやるよりも、ランサーが三人を相手にしてその援護という形がいい。そしてキリエと戦っているランサーは、明らかに彼女を圧倒している。

 熊童子たちもキリエの劣勢を見て、彼女を――首領の主人を助けるべく動くことにしたのだ。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ――キャスターからの酒をもらっておいてよかったと、キリエは心底思った。まさかエーデルフェルトが近代兵器を使うという蛮行をなすとは思わなかった、否、そもそもこの男がここにいること自体があり得ない。

 

 何故こうも、うまくいかない。

 

 キリエはランサーの奥にいる男を捻り殺したい衝動にかられていたが、既に奇跡をおこなう令呪は奪われている。念話でキャスターを呼び戻すことはできない――それに呼び戻せば、セイバーに宝具を使う隙を与えてしまう。

 アーチャーは迷うところだが宝具(固有結界)の展開中であり、厄介な気配遮断スキルを持つアサシンの相手をしている。呼びだして意味があるかは微妙だ。

 

「――ランサー、殺してあげる……!」

「……ッ、」

 

 ランサーは迫るキリエに対し、神速の槍が繰り出している。空気を切り裂き闇を穿つ裂帛の槍は、それでもキリエスフィール・フォン・アインツベルンの黒い髪を一本断ち切るのみである。

 ランサーは既に幾合もこの槍を振るっているが、キリエは人知を逸した素早さと視力で槍を回避している。確かにキリエの力と素早さはサーヴァント級だと、ランサーは感じた。彼女を助けるべく蘇ってきた熊童子と金童子よりも、マスターであるキリエの方が身体能力は上だ。

 

 ――だが、押しているのは圧倒的にランサーだ。そう、宝具の力によって一時的に超人的な力を得ているキリエだが、魔術戦ならいざ知らず、彼女はこういった直接の戦闘についてはずぶの素人だ。

 身体能力と視力は素晴らしいが、槍がどのように繰り出され次のどの攻撃に繋がっていくのか、そういった判断があまりにも未熟なのだ。

 

「っ!!」

 

 ランサーの槍がキリエの柔らかい腕の肉を斬った。これまで浅い傷で済んでいるのは、戦闘経験ではキリエより長のある熊童子たちがその判断の素早さで彼女の回避を促し、間に合わないときは彼らが盾になっているのだ。

 

 三人合わせて、ランサーと同格のサーヴァント級といったところ。魔力を消費し宝具を開帳するまでもない――そう認識されていることは、キリエ自身も自覚していた。

 

 そしてランサーの背後から、ハルカがガンドを時折発射してくるのも煩わしい。

 固く湿った地面に足を突き、背中を掠めていく槍の気配をまざまざと感じながらキリエは熊童子たちを見た。

 やはり、こういう荒事はサーヴァントの仕事で自分のやるべきことではないと再確認する。神便鬼毒酒の効果も永遠に続くわけではない。

 

 ――キリエは紅い目を熊童子たちに再度向けた。

 

 幾度もキリエの命を狙った槍は、此度も鋭さを失うことなく繰り出される。熊童子がキリエを背中で押し、眼で追うのがギリギリの槍を躱し――交わさなかった。ランサーの槍は見事に熊童子の腹を貫通して、穂先は背中から突き出していた。

 

 だがむしろ熊童子は腹に刺さった槍を逃がさぬとばかりに掴んだ。今まで熊童子と同様に動いていた金童子は、ここにて初めて別の動きを見せた。

 

「!?」

Shape(形骸よ、)ist Leben(生命を宿せ)!」

 

 ランサーが何を、と思った刹那。キリエの魔力で編まれた銀色の針金が煌めき、白鳥の形を取りランサーに襲い掛かった。だがランサーが焦ることはない。高い対魔力スキルを持つランサーに、一工程の魔術など無意味――だが、其の時ランサーの背後からハルカの声が走った。

 

「避けなさいランサー!――ッ、Sechs Ein Flus,ein Halt(九番、冬の河)!」

 

 迫りくる銀糸の白鳥。ランサーに呼びかけるハルカには、紅い水干の片割れ――金童子が迫る。矮小であるのはその体躯だけ、振るわれる拳は烈風の如き速さをを持ち、素で受けてしまえばハルカとて大きな損傷は免れえない。

 魔力を貯めた宝石を解放し、直前で拳を避ける。金童子は完全に熊童子と離れ、ハルカを狙っている。

 一方、キリエはさらに追加詠唱を加える。ランサーは知らぬとばかりに白鳥を無視して襲い掛かろうとした。

 

「急急如律令!」

 

 白鳥はその形を保ったまま、網のように広がってランサーを襲った。そして対魔力を持つ彼にもかかわらず、その針金は極太の鎖の如き強靭さでランサーの腕に絡みつき彼の体を浮かし、背後に茂る大樹へと縛りつけた。

 意地か、決して槍だけは手放さずずぶりと熊童子の体からそれは引き抜けて、ランサーの手にある。

 

 何故魔術が効いているのかわかっていないランサーは驚いてはいるが、あのまま大人しく縛られてくれることはない。針金が壊れずとも、ランサーは直に膂力で木をねじ切ってしまう。

 キリエは腹に穴をあけた熊童子に容赦なく命じた。

 

「あなたは金童子と共にそこのエーデルフェルトを殺しなさい!」

「……了解」

「……!、stark(二番)!」

 

 熊童子と金童子がハルカに迫る。二人の鬼がハルカを殺そうとする間、キリエは人差し指と中指を合わせて頭上から目の前へと降ろした。その作法はどう見ても西洋の魔術師のものではなく、むしろこの国に育まれた陰陽師のそれ。

 

 今やキリエの背後には薄く白いレイヤーのような羽が浮かんでおり、それには梵字と思しき文様が刻まれていた。それは宙に固定された魔術刻印――既にキリエの体には、アインツベルン謹製の刻印が体中に刻まれていて他の刻印を刻む場所はない。否、陰陽道の刻印――全く別系統の魔術刻印はキリエの体に決してなじまない。

 キリエの父である陰陽師の刻印を摘出し、空に固定してキリエに使用できるようにしたものがこのレイヤーだった。

 

「示現真意、真姿影現、式神扶翼、五方布陣」

 

 本来、キリエは聖杯であり「魔術」であれば理論を飛ばして結果そのものを導き出すことができる。だが、いま行おうとしているものは魔術ではない。それゆえに彼女もそれなりに手順を踏まねばならない。

 

「東方青帝、南方赤帝、西方白帝、北方黒帝、中央黄帝、北斗三台、天文五星、妖魔封結」

 

 離れて真正面にあるランサーを縛る木が激しく揺れている。あと何秒持つかわからないが、それでもキリエは冷静に呪文を紡ぐ。ぬばたまの黒髪が風にあおられて舞い上がる。

 

「死者現世、亡者可語」

 

 ここに詠唱は成った。キリエは合わせた人差し指と中指で五芒星を切った。

 

現出雷精(げんしゅつらいせい)!!」

 

 雷鳴。空気が焦げるような臭いが溢れ、耳を聾する轟音が木々と地面をも揺らす。閃光は術者のキリエの視界さえも一瞬奪うほどの眩さで、この山の夜を昼となした。必殺の雷撃は過たずランサー樹木ごと撃ち貫いた。

 

「ヤエイズモ アマツキザハシ オギマツル ヨセマツル--」

 

 締めくくりの詠唱を追え、キリエは自分の視界が回復するよりも先に、まだランサーが息絶えていないことを知った。だがこれを食らって、無傷なはずはない。

 その時、意識とは裏腹にキリエの体は斜めに傾いだ。

 

(――宝具(おさけ)が切れたのかしら。まだ瓶の中には余って)

 

 ポケットに入れていた小瓶には、まだ酒の余りがあった。キリエは急いでポケットを探ったが、その前に彼女の上から影が落ちた。目の前には、紅い水干をどす黒い血に染めた子供姿の鬼。そして突き付けられていたのは、黒く鈍い光を放つ近代兵器。

 

 口を開く動作はそのままに、ハルカは今までとは全く違った声音でささやいた。

 

「――宝石って、高いのよ?」

 

 貴方は誰、と言う言葉を放つ前にキリエの意識は激痛と共に無くなった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「ランサー、大丈夫ですか」

「ああ。いやはや、かなり堪えたが……」

 

 ランサーをしばりつけていた針金はただの針金に戻り、木は叩きつけられた雷によって真っ黒に焦げて跡形もなくなっていた。

 周囲の木々数本もその有様で、あたりには焦げ臭い匂いと熱気が残っている。

 

 ランサーはぶるぶると頭を振ると、手にした愛槍を一度振り回して気を入れた。彼の体はあちらこちらと煤けた跡があるが、よく見れば傷に至っていないことがわかる。

 

「少ししびれているが、じきに取れるだろう。しかし儂に魔術は効かないはずだが」

「陰陽道は魔術ではなく呪術に近く、いうなれば物理現象ですから。私こそ教えるのが遅れました」

 

 ランサーのスキル「無傷の誉れ」。生前戦場で一度も傷を負わなかった逸話から得たスキル。キリエの今の雷撃をサーヴァントの攻撃に置き換えればBランク相当であり、かなり強力だったが、このスキルはBランク以下の攻撃を無効化する。キリエの雷撃でもノーダメージ同然で済んだのはのスキルのおかげである。

 

「……しかし、キリエは儂のスキルのことは知っていたはずだが」

「彼女から冷静否判断力を奪いましたから」

「……魔術師と戦ったことなど儂はないからなぁ。それよりも、ハルカ」

 

 ランサーの視線は斜め下に落ちた。そこには、黒焦げになった二体の鬼の姿があった。ランサーは呪術によって拘束されたときに、熊童子と金童子がハルカに襲い掛かっていたのを見ていたのだ。まずい、と思ったが、ハルカは身体強化の魔術でなんとかいなしていた。それよりも驚いたのは、鬼に止めを刺した宝石の威力である。

 ランサー目から見ても、少なくともBランク相当の破壊力を有するものであった。

 

「お前、強いのだなぁ!」

「褒め言葉として受け取りますが、個人的には大失敗です。彼らは蘇るのに、そんなもの相手に五年モノの宝石をぶちまけてしまいました」

「そうなのか。それはともかく、ハルカ」

 

 ハルカの右腕には、抱えられたキリエスフィールの姿があった。ぴくりとも動かず、体のあちこちからは未だに出血が続き、純白のワンピースは見るも無残なありさまになっている。ハルカは今までその存在を忘れたいたかのようにああ、と軽く声を漏らし、何事かを唱えた。

 

「仮死状態みたいなものですが、生きていますよ。彼女は連れて帰りますから――殺しません」

 

 幾つもの戦を潜り抜けた女武者が相手なら、ランサーは遠慮なく愛槍を振るえた。だが一時的に驚異的な身体能力を得ていたとはいえ、動きから素人であることが丸わかりであったキリエスフィールを槍で真っ二つにすることには、躊躇いがあった。

 それでも、殺すのは致し方ないと、ランサーとて承知している。だからこそその言葉に、ランサーは意表をつかれた。彼女は幼くとも敵マスター。たとえ令呪を奪おうとも、キリエとキャスターの契約が切れたわけではない。

 その体が生きて魔力の尽きぬ限り、キャスターには魔力が供給される。

 

「術者が瀕死状態ですから、もうアインツベルンからはほとんど魔力は通っていきません。それにアインツベルンを殺そうと、キャスターが魔力切れに陥ることはありませんし依代の不在で消滅することもありません。すでにキャスターの依代はこの娘というよりは、この山そのもの――驚異的な陣地作成のなせる業です」

 

 ランサーは息を呑んだ。その表情から察して、ハルカは説明を加えた。

 

「あなたとアーチャーにより多くの魔力を注ぐために、アインツベルンはキャスターとの契約のラインを分割し、この山へと分けたのでしょう。もしかしたら契約ラインを全てこの山へと移し替えることさえ考えていたかもしれませんが、令呪の行使を可能とするために、自分にもラインを残す必要があったのでしょう。しかしけれどそれはサーヴァントの結びつきを弱めることに他なりません」

 

 あの神父から聞き及んでいるのか彼自身による考察か、それとも両方か。冷静に状況を分析するハルカに気おされ、ランサーはじっと己がマスターを見つめた。

 

「それにあの宝具たる酒を持たせている。アレを飲めば大抵の怪我は治るでしょう――キャスターはマスターの危機に最も鈍感なサーヴァントでしょうね」

 

 ハルカは最後にそう結び、ランサーに背を向けた。

 

「そういうわけなので、キャスターはまだ健在です。そして、そのキャスターはセイバーと戦っています。私たちの目的は、キャスターの打倒です」

 

 ここまで言えば、お前のするべきことはわかるだろうと言わんばかりのハルカの態度。だが、それによってランサーが槍を握る力がみなぎる。聖杯戦争の初日、教会で僅かに刃を交えただけでその力を知ったあのセイバーと、共に戦うのだ。

 

「応!その使命、しかと果たそう!」

「待ちなさい。その前に」

 

 逸るランサーに対し、ハルカは静止をかける。そして右手で黒焦げとなったもの――熊童子と金童子の死骸を指示した。

 

「これを粉みじんにしてから行きなさい。どうせ生き返るでしょうが、少しでも遅い方がいいですから」

 




キリエの詠唱は映画『陰陽師(原作:夢枕獏)』あたりの呪文を元にしているやつ

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。