Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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12月5日⑮ 幸運と幸福

(こやつ、本気で裏切ったわけではないようだのう。まあそもそも裏切るというよりは、あのマスターも諦めていたようだから違うが)

 

 アーチャーがランサーに対する違和感を抱いたのは、ハルカの陣地を強襲した次の夜だった。物好きなキャスターはアーチャーまで引きつれ、セイバーのマスターのところへ酒宴に向かった、その後の話である。

 

 やれやれとキリエの邸に戻ったが、其の時はアーチャーもキャスターに毒されていたのかもしれない。ソファに腰かけていたランサーに、なぜ「主人を見限った」と尋ねたのだ。そこでランサーは「己のマスターが、共に戦うに足るに値しないから愛想を尽かした」と言っていた。

 

 アーチャーは武士の心に詳しくない。アーチャーの生きた時代にも武士はいたが、それらはアーチャーに仕える者でありランサーの時代とは質を異にする。

 それでもランサーの伝説は、聖杯から与えられた予備知識でアーチャーも知っている。

 

 幼少から死の床に就くまで、ただ一人の主に仕え続けた古今無双の槍使い。

 

 

 ――それが、我々に強襲を受けて宝具の一つも解放せずに降参するものなのだろうか?たとえマスターに抗う気力がなくとも、それに発破をかけて相手取ろうとするのがこのランサーという男ではないのか?

 

 それに、ランサーを迎えてキャスター陣営が行おうとしていることは、三騎のサーヴァント対一騎のサーヴァントの戦いである。尋常な勝負を望むランサーが、この陣営に喜んで参加するものかと、アーチャーは怪しんでいた。

 

 昼間は特段することもないこの陣営は、その時は比較的自由に行動していた。アーチャーはそれとなくランサーに近づき、言葉を交わした。流石にランサーはハルカ――かつての主人を裏切っていないとは言わなかったが、悟った顔つきで告げた。

 

「やはり生前のくせと言うか、業は抜けぬものだな」と。

 

 もっと余裕があれば、アーチャーはランサーの思惑を探り切れたかもしれなかった。

 冬木の聖杯戦争は短ければ一週間、長くても一か月で決着がついていた。仮に聖杯戦争がより長期間の戦争であれば、アーチャーはランサーの心も状態も読み切ったであろう。だが、その時間はなかった。

 アーチャーにとって聖杯戦争なるものは、あまりに刹那の決着に過ぎたのである。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 確か今宵は師走の夜であったはず――そう自らに確認せずにはいられぬほど、この山は蒸し暑さに満ち満ちていた。神威の濁流は冷たい水ではなく、蒸発直前の熱湯であった。それにのまれたアーチャーは、這う這うの体で体を起こした。身に纏う衣冠束帯は破れ果て、腰の飾太刀も鞘がいつの間にか消え、持っていた抜き身の刀だけが残っている。不作法ながらそれをそのまま腰に差し直す。

 

 

(姫は、死んだのか……いや……)

 

 宝具が思ったより早く破れた原因は、マスターであるキリエからの魔力供給が途切れたからだ。彼女の生死はわからない。ランサーのことを思い出したが、令呪はキリエの手にあるはずだ。

 キリエはいつでもアーチャー、ランサー、キャスターを呼び戻せたはずだ。誰がどのようにキリエを攻撃しえたのか、アーチャーには察しきれない。

 

 しかし、今の天災の如き現象が何によるものかは推測がついていた。山ごと破壊しうる何かを遠慮なく振った主は、こちら側の陣営のものではない。そしてアサシンは目の前にいた――となれば、これはセイバーの宝具――おそらくは水神の尾から出たと言う剣。

 

(だが、手負いだったとはいえここまでの威力とはのう……)

 

 アーチャーは弓を杖代わりにして立ち上がる。マスターからの魔力がなくとも単独行動スキルのお蔭で現界を保っているが、宝具の解放はもちろん、派手な戦いはできない。

 

 顔を上げると、三十メートル先の岩の上にアサシンが伸びていた。アーチャーの言霊で放たれた矢が体中につきささったまま、恐らく気絶している。

 やはりあちらも相応の傷を負っているが、霊核を破壊されるには至っていない。アーチャーは飾太刀――生前は儀礼用の剣だった、攻撃力の低い剣――を手に持ち、暗殺者の息の根を止めるべくぬかるんだ地を踏む。

 

 アーチャーそのものは決して殺生を好む質ではない。寧ろ忌み嫌う側の人間だ。だが、聖杯に願いたいことがあるからこそ弓の英霊はその手に刃を持っている。

 

 

「めちゃめちゃ腹減ってる、みてーな顔してんじゃねーよ」

 

 まるで宙からこぼれた様に現れたのは、かつてのアーチャーのマスター・土御門一成だった。アーチャーと共に夜を駆けた、神主服の上にコートという出で立ちは変わらない。左腕が不自然に鋼鉄のきらめきを見せていることと、その黒く真っ直ぐな目が蒼く輝いていること以外は。

 一成は片手に黄金の太刀を引っ提げて、すっくとぬかるんだ地面に立っている。アサシンの盗品であろうそれは、一等上等な刀であり、かつ現代から数えれば少なくとも五百年は前の品である。モノは、時を経ることそのもので神秘を宿す。

 

 アーチャーがぼろぼろなのはセイバーの宝具の余波を食らい、かつマスターからの魔力供給がないせいだ。一方アサシンも満身創痍なのは一成を守って、セイバーの宝具で一時的に大打撃を負ったせいである。

 

 

 目の前の未熟な陰陽師はやはり未熟なままだ。己が使っているモノがどんなものか、おそらくはアーチャーの方が分かっている。

 

 

(そういえば、晴明は竜宮に訪れたこともあったと言うておったな――)

 

 アーチャーの言挙を完全に防ぐまでは至らずとも、アサシンを致命傷から護れたこと。一成は『方違え』の魔術を応用し、幸運の方位にて狭い結界を構築し、短期的に因果律に干渉した。つまりはアーチャーの「殺す」結果と一成の「無事でいる」結果の、因果のつぶし合い。

 そして、アサシンに「セイバーの宝具から逃れる為、高いところへ逃げろ」と伝えられたこと。「未来」を知らねば、あれほど早い指示を飛ばすことは不可能である。

 

 その眼は、かつての部下であり稀代の陰陽師が所持していた力と同じもの。

 その陰陽師でさえ完全には使いこなし切れなかった異能。アーチャーがまだ一成のサーヴァントだった時分には、彼はこの力を持っていなかった。

 

 ならば、その力が起きたのは理由は。

 アーチャーは考えることを止めて、改めてかつてのマスターを見た。

 

(……本当に何も変わっておらんなぁ)

 

 アーチャーと共にいたときから今まで、一成は変わっていない。自分の身を顧みない無鉄砲さも、危険を恐れないところも、その視線のまっすぐなことも。

 

「アーチャー、聞きたいことが二つある。お前は、何故俺を裏切った?」

 

 一成は残った素の右手で持った黄金の太刀をアーチャーに突き付けている。

 アーチャーは肩をすくめて笑った。

 

「左様なことを聞きに聖杯戦争に参加し続けたのかのう。酔狂な奴よ」

「悪いか」

「いや、そなたらしい。ただ、そなたが思った以上に酔狂であっただけよ。理由は、……ま、そなたの魔術師としての力に不安があった。それだけよ」

 

 この期に及んでアーチャーは嘘をついた。しかし始まりは間違いなくそうだったのだ。踏み切るまでには様々の要因が重なったが、もし明やキリエがマスターだったら裏切るなどの選択肢を選ばなかったかもしれないのも、確かである。

 

「本当にそれだけか?」

 

 アーチャーの心を見越したように、一成はさらに問うた。アーチャーは自嘲する。

 

「案外敏いではないか」

「俺を裏切るにしても、お前は心の贅肉だらけだったからな」

 

 

 ふとアーチャーは空を見上げた。

 桜も満月も消え失せた空。ひとひら、季節外れの花びらが舞い落ちた。

 

 

「……何故かな、そなたと居るのが苦痛になってきた、ということがあろう」

「……?俺が嫌いになったってことか?」

「其れは違うぞ。個人としては、むしろ好ましい部類じゃ」

 

 一成は要領を得ることができなかったが、問題を仕切りなおした。

 

「じゃあ、二つ目だ。お前の願いは、まだ幸せとは何かを問うことか?」

 

 一成を裏切り、根本として殺生を好まないかの貴族をここまで駆り立てた願い。

 アーチャー自身とて、ばかばかしいことを願っているとわかっているのだ。彼は嗤う。

 

 

「そなたもなーほとほとしつこい奴だのう」

「うるせーよ。つーか答えろよ。なんだそのアホみたいな願い」

 

 アーチャーは、元より一成に理解ができるとは思っていない。

 いや、一成に限らず理解できる人間の方が少ないであろう。

 

「そなたには話したろう?幸運と幸福は違うことを。確かに私は幸運であったろうさ。だがな、幸福ではない。手に入るものが増えれば増えるほど、手に入らないことが苦しくなるのよ。満たされればされるほど、失うことは恐ろしい。それでもその状態を失って、死んですべてなくなることが恐ろしい」

 

 ――そして、そんなことばかり考えて生きることは、幸福か?

 

 世の人々にその栄華と繁栄と幸運を称えられた生前のアーチャーは、確かに人々の思うとおり「幸運」だったのであろう。

 だが、その反面アーチャーはずっと一人、壁に向かい返ってこない問いを投げ続けていた。

 真に幸せであるとは、どのようなことか――。

 

 

「栄華を極めることと、幸福であることは違うのよ」

 

 

 静かに月光の降る中、沈黙が満ちる。だが一成は静謐な空気をぶち壊しにする素っ頓狂な声を上げた。殆ど悲鳴に近い。もし彼がハリセンを持っていたら、それでアーチャーの脳天を叩いていたことだろう。

 

「どんだけアホなんだてめーーーーはぁ!!何だ!?英霊ってのはみんなそんなアホな願いばっかもってんのか!?」

「アホとなほとほと失敬な奴よのう。元々理解されようなど思っておらぬわ」

 

 一成は何から言えばいいかわからないという様子で頭を捻っている。アーチャーと一成が共にあったころ、このように頭を抱えるのは主にアーチャーの方であったはずだ。

 しかし一成は意を決したようにアーチャーをまっすぐ見る。

 

 

「……お前は興味がねーかもしれねーけど、俺は言いたいから言うぞ。俺がここまでお前を追っかけてきたのは、今言ったことを聞きたかったってのもある。だけど、裏切ろうと何だろうと、お前は俺のサーヴァントだ。俺が呼び出したモノは、俺が始末をつける。そのクソつまんねぇ願い、俺が摘む!」

「よく言うたものよな!今度は腕だけでは済まさぬと言うたはずじゃ」

 

 

 口では強いことを言ったものの、一成とて今通常の状態にない。手に握る太刀の感覚だけが鮮やかで、此処は熱いのか寒いのか、今の足場は平なのか坂の上に立っているのかもわからない。

 アーチャーとてスキルの単独行動のおかげで、かろうじて戦闘ができる状態だ。

 

 人間対サーヴァント。まともな状態なら勝てる要素が一つもない。イレギュラーなくしてサーヴァントが人間に負ける道理はない。そして今、一成は間違いなくイレギュラーの側にいる。

 

 ――それでも、そういった話の次元を超えて、一成は絶対にアーチャーに負けないと思ったのだ。

 

「――――」

 

 本当は、自分の力だけでアーチャーと対峙したかった。一対一で向き合ってすべてを解消したかった。唐突に降ってわいたような、千年前の術技に頼りたくはなかった。

 

 その時一成が思い出したのは、何故かセイバーだった。

 セイバーは「手段を択ばない」のだが、少しニュアンスが違うのではないかと、一成は思う。「手段を択ばない」のではなく、むしろ「なりふりをかまっていない」と表現するほうがふさわしいと思う。

 

 そもそも、此処まで一人では絶対に来れなかった。明に助けられ、アサシンに助けられ、そうしてここまでたどり着いた。自分の力だけでここに残れていたわけではない。

 

 それを思うと一成の迷いは消えた。手段を選べるような、上等な身分ではない。

 

 そして二人はむせ返るような熱気の中、静寂をもって対峙している。

 何が切っ掛けか、動き出すは同時。

 

「この矢、中れ!」

 

 アーチャーが距離を取り矢を番える。宝具展開中は矢をつがえる必要性はなかったが、今や違う。だが、腐ってもサーヴァントの矢――取りこぼすはずはない。一成が右手を前に突き出して、言霊を紡いだ。

 

燃えよ(ほむすび)

 

 その一言だけで、神秘は成った。凝集した山の瘴気――魔力そのものが発火してアーチャーの放った矢を迎撃して焼き捨てた。消し炭となった矢が、空中で分解して消える。

 

 今の魔術は、おそらく魔術回路を通して行ったものではない。大気に充満する魔力に直接働きかけてなされている。かつ、一成は人を害するための術は行使できなかったはずである。

 

 アーチャーは驚愕したが、同時に納得もしていた。今の一成は、生前の知り合いによく似ている。固有結界で見たあの幻視は、決して幻ではなかったのだ。

 あくまで一成の技量自体は半人前である。その分際で大陰陽師の術を駆使しようというのなら、その後に回ってくるつけは考えるまでもない。本人もただで済むはずがないと、流石に知っていよう。

 

 

 ――そうまでして殺すか。

 

 ならば、弓兵も当然のごとく、それに応じるまで。

 

「この矢、中れ!」

燃えよ(ほむすび)!!」

 

 アーチャーは光線のように矢を射かける。だがそれらをすべて見切って、一工程で発動した魔術――呪術は矢を焼き捨てていく。

 セイバーの宝具による大規模破壊によって開けてしまった山は、木々に遮られることのないためアーチャーにとっては有利だ。アーチャーは奔る。速さで翻弄し、素早く、そして死角からその体を射ぬくのだ。そもそも、一成は先ほどから一歩も動いていない為に的としては当てやすい。

 正確には動いていない、のではなく動くほど余裕がないのだろうが。

 

 しかし、今や一成は後ろに目でもついているかのようにアーチャーを捉えている。

 

雷撃(いかづちのたまふり)

 

 手が伸ばされる。先程の炎のような防衛の為の魔術ではなく、明確な攻撃の意志を持ったもの。バチ、と何かがはじけて収束する。アーチャーはとっさに弓を射るよりも回避を優先し、その場を退いた。

 刹那、耳と目を聾する雷撃が縦に空を貫いた。空気が焦げて、転がっていた大樹が丸焼けになって崩壊する。

 燻り上がる煙越しにアーチャーは、言霊を乗せて矢を番える。純粋に速さではアーチャーの方が上なのだから、攻撃を続ければ一成が反撃できる余地はない。防ぐだけだ。

 

 其の時、一成の蒼い目と視線が交わった。そして一成は身を翻して、その足をアーチャーへと踏み出す。強化の魔術をかけている――どれだけ強さでかけているのか――地面を蹴ってアーチャーへと愚直へ突進する。

 

「中れ」

燃えよ(ほむすび)!!」

 

 連撃として放たれる矢。まだ距離がある。よって、放った矢は術によって焼き落とされた。

 

「中れ中れ」

 

 しかし、近くなればなるほど矢は回避しにくくなる。認識し魔術を発動させるまでの時間に射抜かれて死ぬのだ。

 

「中れ中れ中れ中れ中れ中れ中れ中れ中れ中れ中れ中れ中れ!!」

「急急如律令!!」

 

 懐の呪符と共に叩きつけられる術は、アーチャーの世界で披露されたものと同じ。幸福な方位を利用し、短期的に因果律に干渉する結界。アーチャーの世界でないがゆえに、此度は一成にかすり傷一つついていない。

 

 元マスターが迫り、右手には黄金の太刀が煌めいている。こうなればアーチャーも腰元の刀を抜く。鈍ではあるが、刀は刀。二刀が月光を照り返して閃き、交錯する。袈裟がけに断ち切ろうとしたアーチャーの刀は、力で押し勝ち一成を斬った――だがそれは、鈍く輝く彼の義手を破壊したにすぎない。すうと息を呑み、一成は一息にさらに踏み込んだ。

 

 

 

 ――きっと最初から勝敗は決まっていたのだ。

 

 アーチャーが再び構えなおすよりも早く、黄金の太刀が再度、閃いた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

(……姫は一体どうなったのかのう)

 

 あの人を疑わないマスターはどうしているだろうか。人を疑わないのはそのサーヴァントも同じだったのだが。しかし、すべてはもう済んだこと。

 すでに命運は決まっていたのだろうと、アーチャーは胸に突きささった剣を、他人事のように眺めて思う。

 

 目の前にはかつてアーチャー自身が裏切ったマスターの姿がある。裏切ったサーヴァントをその手で仕留められて喜ぶ、という感情とは無縁の顔が目の前にあった。

 

 既に戦意の失せたアーチャーは不思議と清々しい気持ちでかつてのマスターを見上げた。ふと、二週間近く前――博物館にて、召喚をされた時のことを思った。

 

 

「……何故、そなたは私が幸せになれぬと思うた?」

 

 一成は目を逸らさない。己が始めたことだから、そのすべてを直視する。

 その眼は、数分先のアーチャーの運命を識っていた。

 

「聖杯に「幸せって何か」って聞いても意味がない。人それぞれで違うし、絶対の答なんかねーし、それに、たとえ聖杯が答えたってお前は納得なんかしない」

「何故、そう思う?」

 

「お前は「満足する」ってことを忘れてるからだ」

 

 

 アーチャーはその答えに苦笑した。

 ああ、知っていたのだ。

 ああ、その通りだろうと思ったのだ。

 

 人からその幸運を称えられ、羨われて、妬まれて、同時代の他の人間よりも遥かに多くを手に入れたが故に、手に入らないものに悩まされ「満たされること」に餓えてしまった憐れな――そして、どこまでも人間。

 

 果ては人間として当然の死や別れまで厭い、辛いことなど何一つない――ありえない「幸福」を求めた、人間としての運命を否定したかった男。

 

 だから、苦難の運命でも、人々から「哀れで不幸」と思われていても、強く生きていこうとする人間が羨ましかった。

 

 

「――そなたな、私が生前に知っていた男とよく似ているのじゃ。あれは無駄に頑丈にできている男でな、本当に腹立たしい奴であった」

 

 一成は不思議そうな顔をしている。それも当然、とアーチャーは笑う。アーチャーは一成に対し色々な話をしたが、ついぞ生前の甥の話をしたことはなかったからだ。

 

 終わりを迎える魔導の家の跡継ぎで、己の才能の乏しさを認めながら戦いに赴く姿。己の家の真実を知っても、人を死なせまいと戦い続ける意義を見つけていく姿。

 

 己を裏切ったサーヴァントを問いただすべく、片腕を奪った相手に相対する今。無鉄砲や思慮が浅いなど、一成に欠点は数多いが――それでもその精神は、アーチャーがかつて羨んだ者の姿によく似ていた。

 

 

 ――僅かでも「尊し」と思ったものを、アーチャーが殺せるはずも無かったのだ。

 

 

 裏切ることを決めた要因は、一成の魔術師としての未熟さと状況だった。しかし、もしかしたら、この土御門一成というマスターを厭っていたのではないかと、今わの際でアーチャーは思う。

 

 真の幸せとは何か――その願いを根本から揺るがしかねないことを、一成はあっさりというのではないかと。其れを恐れていたから、アーチャーは一成を厭うたのだ。

 奇しくも本能的ともいえるその予感は当たっていたわけだ。

 

 

「そなたの申すことが真ならば、私は決して幸せになれんわけだのぅ」

「……だな」

 

 足元から織物がほどけるように己が消えていくのが、アーチャーにもわかった。もう聖杯を得ることができないのならば、目の前のマスターに答えてもらおうとアーチャーは口を開いた。

 

「ならそなたが聖杯に代わって答えよ。幸せとはなんだ?」

「はぁ??いやそんなの自分で考えろ……っつか自分で考えてたらこんなひでーことなったのか……俺は……飯がうまいとか、百円拾ったとか、友達と遊んでるときとか?」

「……安い男だのォ……」

 

 思わず素直な感想が出てしまった。予想通り、一成が顔を赤くして怒った。

 

「……ッ、だからお前は欲ボケだっつったんだ!!普通の奴は幸運=幸せくらいにしか思わねっつの!!」

 

 家族と団らんを過ごしたこと、綺麗な景色を見れたこと――そのような些細なことを幸せと思え。死も、別れも当然人である以上訪れるものとして受け入れる。

 

 

 完璧な全き幸福など――無い物強請りでしかない。完璧とは程遠い人生を受け入れる。

 その中に少しでも心温まるものがあれば、それはきっと何にも代えがたい尊いことだ。

 

 

「全く、この世の栄華を極めた男に難しいことを申す奴よ……目の前に何でも願いが叶う、なんてものを出されたら願いたくもなろう。きっと私は答えなど知っていたのだろうが、ゴネたくなったのじゃな、きっと」

「ゴネたぁ!?お前のゴネで左腕ぶっとんだ俺はどうすりゃいいんだ!!っていうかお前は俺に謝るべきだろ!!」

 

 一成は憤懣遣る方ない様子でいい、さらに視線で自分の亡くなってしまった左腕を示す。裏切ったことに対して謝罪などないのか、と訴えている。

 もう下半身が消えてしまったアーチャーは、どこ吹く風、いつもの飄々とした風に答える。

 

「最初から恨まれると思ってやった故、謝ることなどない。謝るくらいなら最初からせぬわ。一生恨むも憎むも好きにせよ」

「この……「だが、消える前にそなたに伝えておきたいことがある」

 

 金糸がほどけていくように儚く存在を消しながら、アーチャーは最後に再び、己が弓を手に取った。放たれる矢はないままに、しかしアーチャーは虚空に矢を放った。

 弦の震えが波紋を投げかけるように広がると、不思議と戦いの疲れが軽くなったように一成は思った。

 

 鳴弦の儀――平安の時代にありて、魔を払う儀式。自分勝手なサーヴァントはちょいちょいと一成を手招きした。恐る恐る近づいた一成の両目を、アーチャーは自分の手で覆った。

 

千里天眼通(せんりてんがんつう)と、晴明は申しておったか。本来、そなたにその眼はいらぬ。過去を糧として未来を足で歩みたがるそなたには」

「――!?千里天眼通!?それは、んなわけあるか」

 

 一成もその力については知っている。何しろ、晴明直系の土御門家においておよそ十代に一度生まれるかどうかの「体質」である。しかし、今まで一成にその片鱗も何一つなかった。生まれてこの方、ずっと。

 

 

「……んなわけあるのじゃ。終わった後に碓氷の姫にでも相談せよ。そのまま放っておくと、死ぬぞ」

 

 アーチャーは物騒なことをつぶやいてから、一成の目から手を離した。それからいつものように、裏切る前のように呆れて笑った。そして姿を薄くしながら、静かに目を閉じた。

 

 

「―――そうさな――バーサーカーを倒した時」

 

 思い残すことはなく、散々わがまま放題に現世を闊歩したかつての貴族の頂点。

 そういえば、藤原道長は父兼家の五男坊で末っ子であり、一成は何だかんだで長男坊である。

 長男が末っ子の面倒を見るのは、現代ではよくあること――一成は思い切り苦い顔をしてアーチャーを睨んだが、アーチャーは答えずむしろ笑む。

 

 

 

「そなたを殺さなかった時点で、私はそなたには負けていたのじゃ」

 

 

 

 そうして、弓の英霊――藤原道長は現世から消滅した。

 

 

 

 

 

 今しがたまで、平安貴族がいた場所には、かろうじてかの英霊が流した血がしみ込んでいるだけだった。一成は月下、その刀に付いた血を眺めた。

 

「裏切るつもりのマスターに小うるさく説教するサーヴァントも、そうそういねぇと思うけどな……」

 

 この山に突入して上っていた時、セイバーは「アーチャーにやる気を感じない」と言っていた。

 彼は聖杯を得ると言う目的の観点からそう評したのだが、其れとは全く異なる、否、より根本的なところでアーチャーはやる気がなかったのだ。

 

 

 本当に一成のことがどうでもよければ、バーサーカー戦後の時に腕だけ持っていくなど温いことをせず、殺せばよかったのだ。アーチャーの固有結界において、アサシンを狙ったときは「この矢、当たれ。そして死ね」との言挙だった。だが一成に対しては「この矢、当たれ」、そして失敗した時に漏れた言葉は「なぜ立っている」―――。

 事実アーチャーが一成を殺すチャンスはいくらでもあった。それにもかかわらず、一成は生きている――それが全てだ。

 

 

 一度懐に入れたものを冷たく扱いきることはできないアーチャーは、おそらく自分が一成に残したことを気づいてはいない。あのサーヴァントは、基本的には自分の事でいっぱいいっぱいだったのだから。

 

 と、その時一成の頭に大きな手が置かれた。泥まみれで破れ果てた着物を纏ったアサシンが、おぼつかない足取りで傍にいた。アーチャーとの戦闘で、アサシンのいた場所から離れてしまっていたが、目を覚ましたアサシンが探しに来てくれたのだろう。いつから見ていたのかはわからないが、大体のやり取りは把握しているようだ。

 

 

「一成、浸ってるとこわりぃが、まだ戦いは終わっちゃいねぇぜ」

「アサシン」

 

 暗殺者の英霊は、一成を労いながらも気を引き締めることを促した。その通り、アーチャーは消滅したが、まだキャスターが控えている。

 先ほどセイバーの宝具が解放されたところを見ると、あちらも決着がついたと思えるのだが――一成は自分で自分の頬を叩いた。

 

「アサシン、お前あとどれくらい行けるか?」

「正直キツいな。アーチャーの宝具世界での弓とセイバーの宝具の余波食ってるからよ……できれば霊体化していたいくらいだぜ」

 

 一成を護って宝具を食らったアサシンも、激しい戦闘はできそうにない。

 

「ともかく……ッ、」

 

 明たちの様子を見に行かないと、という言葉は続かなかった。まるで電池が切れたおもちゃのように、一成はその場に崩れ落ちた。慌てたのはアサシンで、済んでのところで一成を受け止めた。

 

「おい!どっか怪我してんのか!!」

「……っ、え?あ?どうした?」

「どうしたじゃねーよ!」

 

 アサシンに支えられながら、一成はむしろ何故アサシンが慌てたのかをわかっていない様子である。少しの間をおいてようやく自分が倒れかけたことには気が付いたが、はた目からみた様子は尋常ではない。極度の疲労に侵された人のように、顔色は体は小刻みに震え、そのくせやたらと体温だけは高い。

 

「……碓氷たちの様子を見にいかねーと……悪いけど、あいつんとこに行くまではお前の足に頼らせてくれ」

「お前それ、絶対アーチャーの宝具内でやったなにかのせいじゃねーの!?生憎俺は魔術わかんねーから、あの姉ちゃんたちに後で見てもらえ!」

 

 アサシンは一成を宝具の中に収納すると、自らも魔力を節約するために霊体化してぬかるんだ禿山を駆け昇り始めた。彼らは宝具の水流で山の下へ押し流されてしまったため、セイバーたちの戦いはもっと頂上に近いところで行われているはずだ。

 それに宝具が開帳されているのだから、あちらの戦闘も終盤に向かっているに違いない。

 

「……頼むぜ……!」

 

 柄にもなく祈りを抱き、アサシンは遥か上の戦場へと駆けた。

 




アーチャー
【真名】藤原道長
【身長/体重】175CM/体重:66kg
【属性】秩序/中庸
【イメージカラー】紫   
【マスター】土御門一成
      キリエスフィール・フォン・アインツベルン
【パラメータ】
筋力 C 耐久 D 敏捷 C 魔力 B 幸運 A+ 宝具 A+

【クラス別スキル】
対魔力 :C 
魔術詠唱が二節以下のものを無効化する。
大魔術・儀礼呪法など、大掛かりな魔術は防げない。

単独行動:C
マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
ランクCならば、マスターを失ってから一日間現界可能。

【個別スキル】
黄金律: B 
人生において金銭がどれだけついてまわるかの宿命。
大富豪でもやっていける金ピカぶりだが、出費も多い。

飲水の病: D 
生前からの呪い。他サーヴァントと比較して傷が治りにくい。
また視力への影響があり、索敵能力がダウンしている。(逆に視覚から影響を及ぼす魔術に対する抵抗力は上がっている)

言上げの弓:A 
アーチャーの放つ弓に幸運補正をかける。
敵とアーチャーの幸運値に開きがあればあるほど、弓は必殺となる。

【宝具】
『尊きを受け継ぎし剣(つぼきりのみつるぎ)』
ランク:A
レンジ:2~3 最大補足:1人
種別:対神宝具
真明解放を条件に、対魔力を貫通し神性のスキルを持つサーヴァントの肉体を拘束し操ることができる(強さは令呪一個分前後)。神性の中でも、特に天照直系の神性を持つ者に強く作用する。神性が高ければ高いほど拘束力も上がるが、消費魔力も倍増する。
ただしアーチャーはあくまで臣下として天皇に仕えており、かつ神殺を成したものではない為、命令で拘束対象自身を傷つけさせることはできない(EX.自害を命じられない)。
また拘束だけでなく、対象の強化も可能(天皇と貴族に調和が取れれば、政治がうまく回ることの具現)。
由来は己が孫を東宮位にするが為、東宮となった敦明親王に対し東宮の証である『壺切御剣』を渡さなかったこと(後に敦明親王は自ら東宮位を降りている)。

『約束された栄華の月(このよはわがよ)』
ランク:A+
種別:????
レンジ:1~99 最大補足 300人
あまりにも有名な「この世をば~」の和歌を詠った、アーチャーの権力の絶頂期を心象風景として再現する、魔法に近い大禁呪である固有結界。展開されている間、風景は夜かつ満月桜が舞う。アーチャーのパラメータは各1ランクアップ、かつ幸運値はEXとなる。アーチャーの言上げは、莫大な幸運値により因果の逆転を引き起こして結果を先に得、現実となる。さらに必要とされる経過を省略する為、結果を引き起こすために必要な動作を不要とする。アーチャーの言葉は発された時点で「真実」であることが確定する。
別名「スーパー望月タイム」。発動時には「この世をば~」を詠唱としなければならないが、アーチャー的にこの歌は「テンション上がりすぎてやらかした」歌のため、本人はあんまりこの宝具を使いたがらない。
かつ、「人生最高の時」は何度も起こっては「最高」ではなくなり「普通」に堕す。そのためこの宝具を開帳すればするほど、因果律へ及ぼす力は薄くなり、最後には宝具自体が使えなくなる。アーチャー曰く「一度の戦争において、精々三回が限度」。初見が一番強く、かつ未来視でもなければ予見不可、正統なキャスター並の因果律干渉魔術でないと防御もできない完全なる初見殺し。



「だが、私には願いがある。私はなんとしてもその願いを遂げる。ゆえに、一成は帰ってくるであろうよ」

――聖杯は手に入らずとも、願いは届いた。ゆえに彼のマスターが生きるは必定。

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