Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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第3幕 生まれた時から決まっていた
interlude-5 女の魔術師たち


その女には、何もなかった。ただあったものは、途方もなく大きな虚。

その虚はただの虚。放っておこうとどうにかなるものでもない。何もない女には、趣味嗜好は存在せずただただ与えられる役目を果たすだけだった。魔導を修め次代につなげるという役目を。

そうしてただただ修練を続ける女は、ある日唐突に興味を抱いた。それは彼女が生まれてから初めて抱いた「指向」であった。

 

―――いつになったら、この虚はいっぱいになるのだろう?

 

 

女の家系は、大昔には神代へとさかのぼる。大昔は北欧神話の神々に仕えており、神代の遺物を多く受け継いできた。しかし今から三百年ほど前に、大家における争いが勃発した結果分裂し、受け継いできた神代の遺物や技、土地も共に分かれてしまった。

女の先祖はその争いにおいて結果的に第一勝者となったため、大家の領地の大部分と秘儀を我が物とした。

 

女の一族が得意とした術は神落。この土地ではセイドと呼称される降霊術である。神代より授かった術を今だに保ち続ける一族において、秘儀は他の魔術の家系同様に一子相伝で伝えられるものである。

 

その魔術の特性ゆえに、当主となるのは常に女と定められている。そして歴代の当主と比べても、女の素質は群を抜いていた。

 

己と異なる魂を己の中に招き入れるその業において、術者の器は空洞であればあるほど都合がよい。生まれながらにして何も持ちえなかった女は、業に受け継ぐにおいてあらゆる苦しみも悦びも拒むことなく受け入れた。ゆえに随一の降霊術者となったが、その業自体は伝えられるもの。一代限りの保存すべき封印指定とはなりえない。

 

彼女の本質は、空洞にあるのではない。

その空洞を埋め満たそうとし続ける、あくなき欲求にあった。いつになればこの空洞は埋まるのか?どこまでやればもう一杯になるのか?それを知りたくて、封印指定を受けた後に女は故地を離れた。

その力のままに、己の限界を試すべく放浪した果てにこの極東の地へと身を寄せた。

 

 

極東の地においても、彼女は名のある魔術師を探していた。ゆえにこの戦争でなくともじきに大昔の同族であり遠縁でもある碓氷を見つけ出したかもしれない。

しかし彼女は、聖杯戦争の復活を目論んだというかつての同族に強い興味を抱く。聖杯戦争という稀代の大魔術儀式と、稀代の体質を持つ魔術師。それを双方とも食せるまたとない機会を、彼女が望まぬはずはない。

 

 

――――魔術師食い(メイガス・イーター)

 

それが、彼女の本質と性質を端的に表す言葉である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺の名は「根源の『景』色を見よ、叶わずばせめてその『影』を掴め」という想いからつけられた、ミョーに悲観的な名だ。むしろこのような名は、影使いである明に与えるべきだったかもしれないが、しかしまあ影使いの名が「明」というのも、それはそれで示唆的で悪くない」

 

元々は「根源を『明らか』にする」というつもりだったのだがなぁと、碓氷の六代目、碓氷影景はそう語る。

 

 

碓氷影景とその妻には、明よりも先に女児が生れていた。だが、その娘は体が弱かった。そのため、保険のためにもう一人産むことにした。その妻は、明を産み落とし死んだ。

 

保険として明を生んだはいいものの、明の姉は成長につれ丈夫になり、生まれたときのか弱さはなくなった。

魔導は一子相伝のため、二人に伝えることはできない――父、影景にとっては二人とも実の子であり、共に魔術の才能に優れていた。だが、それでも決定に迷いはなかった。

 

彼が跡継ぎに選んだのは、明だった。理由はその体質にある。

 

架空元素・虚数という極めて稀な属性を持って生まれ、かつ極めて高い魔術師の素養を兼ね備えている。高すぎる魔導の素養はそこにあるだけで怪異や災難を呼び込む。さらに虚数という稀な体質は放っておくと、魔術協会によりホルマリン漬けの標本として保管されかねないものでもあった。

 

つまり、妹――明は生きるためにどうしても魔導の家の加護を必要としたのである。

却って、姉は魔導の素養はあれども、妹ほど極端なものではなかった。このような場合、他の魔導の家に養子に出すことがままあるが、この魔導の家の場合それも難しかった。

 

碓氷の体質は、同じ血の流れるものの魔術しか受け付けない。それゆえに、養子に出したとしてもその家の魔術に極めてなじみにくいのである。

 

残る方法は二つ。姉を魔術師ではなく、一般人に戻す。その魔術回路を潰し、記憶を洗脳により消去した上で、一般家庭へ養子に出す。二つ目は明に不幸な事故があった場合の「予備」として、碓氷家で育て続けることだ。

 

父影景としては両方ありの選択肢であった。だが幼くも魔術師としての矜持を身に着け始め、されどもその精神は未熟な姉が、おとなしい妹へどういう行動へと出るか。姉にとっても予備として生涯をすごすのと、一般人としてだが好きに生きること、どちらがよいか。

 

子供は大人が思う以上に、場の空気を知る。父の意向を感じ取り気の強く魔術にも自信のあった姉は、徐々に明を責めるようになり、二人の仲は悪化していった。そしてある時、姉が明を屋上から突き落とす事件が起きた。

 

幸い、植えられていた樹木がクッションとなり、彼女は一命をとりとめた。その一件を受けて、父は決断を下してすべての処理を済ませてしまった。

 

明が入院し退院して家に戻った時に、既に家には姉はいなかった。それどころか、姉がいた痕跡さえなくなっていた。

入院の間に、これ幸いと父が全ての処理を施して姉を養子に出していた。

 

明がショックを受けないわけがなかった。だが、彼女は父に対して反抗の意を示すことはできなかった。自分が生きるために魔導の加護が必要であることを、少女は身を以って知っていたからだ。

まだ自分の力を扱いきれない少女は、外に出ると他の子よりも倍以上の頻度で怪我をして帰ってきた。誘拐されそうになったことも一度や二度ではない。しかし、堅牢な結界でもある家で大人しく魔術の修行をしているときはその限りではなかった。

 

明は姉について本当に心を痛めていた。しかし、この時はまだ彼女は――ホルマリンにもなりたくなかったし、死にたくもなかったのだ。

 

明は、禁を破り養子に出された姉とこっそり話をしたことがある。謝ろうとしたのか単に寂しかったのか、本人にもその時の気持ちははっきりしない。

姉は楽しそうに笑っていた。養父母に囲まれた買い物帰りの姉に、明は道を尋ねるふりをして話しかけたのだ。当然妹のことなど記憶にない。車椅子に座りながら、姉は親切に道を教えてくれた。

 

魔術回路というものは神経に直結している。それを潰すことは、一歩間違えれば死に至る危険すらある行為である。車椅子になることくらいは想定の範囲内だ。姉は魔術を奪われ、足の自由を奪われても楽しそうに笑っていた。明は魔術を得て、五体満足であるけど笑えない。

 

――会おうと思わなければよかった。

 

会わなければ、姉の人生を潰した、損なってしまった罪悪感だけ背負っているだけだった。けれど、姉の持っているモノを奪った筈の自分が、奪われたはずの姉よりも楽しくないのはどういうことなのか。

 

それでも明は生きるために魔術を学ぶ。父親の期待以上の成果を上げているが、教える父親も四苦八苦していた。何しろ存在そのものが封印指定一歩手前の虚数属性は、その稀有性ゆえに先人の残した魔術の修行法などがないに等しい。仮にあったところで、魔導の家は他家に研究結果を広めない。

 

幸い父親も三重属性という珍しい体質だった――かの魔術の家は元々珍しい属性を輩出しやすい家系だけに、これまでの研究を応用しなんとか明を形にしていった具合だ。

 

元々、虚数の影魔術は術者の深層意識を剥き出しにして、負の側面を刃とする禁呪である。魔術師としての基盤ができていればよいが、それが完成していない状態の明が影魔術を使用すれば、深層意識の負の側面に精神が全て蝕まれる危険性があった。

 

だが、魔術を習得するにはどうしてもそれを行わなければならなかった。しかも、彼女の魔術回路の起動方法は自傷行為。目に付く場所は避けて、太腿などをナイフで切って回路を励起させなければならない。イメージだけで起動させるには未だ至らず、実際の行為を必要とする。それが幼少から思春期にかけての少女にどれほどの影響を及ぼすか。

 

そのころの明――中学に上がった時――の精神状態は、目に見えて歪んでいた。魔術刻印の移植が途上であることもあり、久しくなりを潜めていた怪異や災厄が再び明に纏わりつくようになっていた。

 

しかし、そんな明にも友達がいた。自分の何がよかったのか明自身にはわからないが、良く話しかけてきて、くだらない冗談をいつも言っているような女の子だった。明自身はそんな友達に色よい反応を返せたとは思えないが、彼女はそんなことを気にする人間ではなかった。

 

とある日、その友達と下校していた時だ。その日は酷い大雨で、室内の部活動も中止して早く帰るように指示が出ているほどだった。

 

豪雨の中、いつものように友達が喋ってそれを明が聞く、いつもの二人。信号が青になって渡ろうとした時。視界が悪かったのか、スリップしたのか、トラックが二人に突っ込んできた。そのまま行けば、二人とも直撃を免れなかった。

だが、友人は――生死を分けるその刹那に、友達は明の背を押した。

 

轟音。豪雨。壁にめり込んだトラック。流れる雨は透明か、埃などで茶色くなっているかのどちらかの筈であった。なのに、なぜその雨が赤いのだろうか。そして、友人はどこに消えてしまったのだろうか。

 

叩き付けるような雨でずぶぬれになりながら、明は、その、変わり果てた友人の姿を、見なかった。

 

しかし、幼いころから怪異に遭遇し続け怪我を負ってきた妹には直接それをみなくとも、雨に混ざる赤の量だけで想像ができた。そして、想像してしまった。

 

中学生と言う多感な時期で、魔術の基盤ができあがりきっていない魔術師。精神を犯す可能性の高い影魔術を行使していたこと。友人の死が、運悪く重なってしまった結果だろう。

 

自分が不幸だとは思わなかった。自分が不幸なはずはないと思っていた。この体質に捲き込まれて災難に会う人こそ不幸で、自分を生み落して死んだ母こそが不幸で、持っていたものを奪われた姉こそが不幸で、巻き込まれて死んだ友人こそが不幸で――本当に申し訳ないと思っていた。

 

――でも、ならなんで、自分はこんなに苦しいのか―――。

 

苦しい理由などどこにもない筈だった。それなのになぜ自分はこんなにも苦しいのか。理由が理解できず、それでも苦しかったから――魔術で使用するナイフをそのまま、自分の首に刺した。

 

 

幸いにして、長年通いの家政婦によって早くに発見された彼女は、病院に搬送されて一命を取り留めた。唯一の友も冥府に旅立ち、父影景も一般の家族の情とは縁遠いタイプだ。

見舞いに来る人間がいるわけはない――ふと、明は疑問に思った。ただ一人、見舞いに来そうな人物が来ない。

顔はとても合わせにくいが、いつもの彼女を考えれば来ない方が不自然だった。

 

 

そのまま退院の日を迎え、明は向かえもなく一人で家路についた。

古い屋敷のリビングには旅支度をする父・影景がいた。

 

「何だ、お前か」

「……ただいま。出かけるの?」

「ああ。二週間ほど留守にする」

 

地下室に籠って研究に没頭するという姿も魔術師であるが、明の父はそうではなかった。もちろん専門とする魔術はあるが、それ以外にも肥やしになればとあらゆる魔術に首を突っ込んでいく者だった。ゆえに家にはあまりいつかない。

明が死にかけようと、それに変化はない。明とてそれが父と知っているから、それはどうでもよかった。

 

ただ、気になる事があった。

 

「あの、透さん、どうしたの」

 

透、とは碓氷邸で働く通いの家政婦の名だった。通いといっても週五,六で来ており、明を育てたのは実質その女だった。自殺を図った明を助けた彼女が、全く見舞いに来ない。そしていつも家で家事全般をこなしているのに、今日はその姿が全く見えない――否、週一の休みにしては、この屋敷は妙に掃除が行き届いていない。

 

もしかして、彼女は暫くこの家にやってきてはないのかもしれない。

 

 

「ん?ああ、あの家政婦か」

 

父は、言われて思い出したとばかりに振り向いた。「殺したぞ」

 

 

朝の挨拶をするかのような軽さだった。明はその一言で、その理由も何もかも理解していた。それでも彼女は、口の中の水分が全て蒸発してしまったかような、カラカラの声で問うた。

 

 

「ど、どうして」

「お前が倒れていたのは地下室で、しかも魔術の行使中だったろう。そんなものを見た一般人を生かしておけるか」

「お、お父様はルーン得意でしょ、忘却とかでも」

「死人に口なしというだろう。それにあれを雇った理由をお前にも言ったと思うが――天涯孤独。あれがいなくなろうと騒ぎ立てる人間がいない」

 

それきり、明は言葉を失った。父はさっさと出かけてしまい、広い屋敷には彼女一人が残された。自分の首にナイフを突き立てるまで己を苛んでいた苦しみは、もう消えていた。

 

 

―――あ、もうだめだ、これ。

 

明は魔導自体は好きでも嫌いでもない。新しいことができるようになったときは、微かに高揚感を覚えることもあるが、基本的には厳しく辛いものだ。

だが好き嫌いの次元ではない。明には魔術の家の加護がどうしても必要であり、その上研究結果を後世に残すという義務がある。その体に植えられた魔術刻印は、魔術における恩恵でもあると同時に、運命を義務付ける鎖。外的要因で死に至るのならばありえるが、自ら死を選ぶことはできない。挫折したから死ぬ、つらいから死ぬことはできない――碓氷となっては六代、分裂前の時代を含めれば神代に至る、鉄血の掟。

 

ゆえに彼女はやっと理解した。

 

 

――辛いとかそういう次元じゃないや。やるしかないんだ。

 

だってもう、こんなに狂わせた。

顔も知らぬ母も、回路を潰された姉を、助けてくれた友と、親代わりを。

もし自分がもっと真剣に魔導をしていれば、影に侵されることなく友は生きていたのかもしれない。

もし自分が死んで逃げようとしなければ、家政婦は生きていたのかもしれない。

 

 

――逃げれば、きっとまた誰かが死んでしまう。

 

姉の望んだ道を奪い、自らを律しきれぬがゆえに友を殺し、逃げようとして親代わりが死んだのならばやることは一つしかない。できることがそれだけならば、しなければならないことがそれだけならば、魔術を修めなければならない。

 

もう誰も、死なせたくない。ゆえに、彼女は魔術師としての役目を果たすために/一般の人の世界を護りたいがために、戦うと決めたのだ。

そう思うから、その普通の幸せを打ち砕くバーサーカーのマスターを許すことはできず、悟を見捨てることはできなかった。

 

自分とは縁遠いものかもしれなくとも、彼らの幸せは尊いことだ。

それを護れるなら護りたいと、思ったことは本心だ。だが、同時に。

 

 

――私のことは、もういいや。

 

明は諦めたのだ。自分のこととその未来を。修行を続け仮に虚数の魔術を極めたとしても、待っているのは封印指定。待っているのは時計塔に保護という名の幽閉をされるだけの一生。もちろん逃亡して野に潜み、研究を続ける手もある。

 

だが、そこまでして成したい何かは今の彼女にはない。

 

―――そんなもんか。

 

魔術師として大成し、跡継ぎを残し、魔術刻印を譲る。その義務を果たせば、姉も犠牲になった親しき者も、きっと納得してくれる。誰も文句を言わない、一番いい道だ。

 

だから、自ら死を死ぬことは決して許されない。自分の体はそれらを果たす為だけに在り、一般の人々を侵すべきものではない。

 

ゆえに碓氷明は聖杯戦争を戦う。しなければならぬことを果たす為に。魔術師が死に瀕するのは当然のことであり、最早恐れるべくもない。むしろ聖杯戦争という闘争において死ぬのならば、魔術師として戦って死んだということになり恥じるところなどない。

 

 

――望むと、望まざると、逃げるわけにはいかない。

 

――この体で生まれた時から、この道しかなかったのだ。

 

 

 

「私、何がしたかったんだっけ」


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