――古い、古い夢をみていた。
明は鈍痛の中に目を覚ました。自室のベッドで眠っていたことは家具や調度品を見て理解したが、そもそもなぜ全身がこんなにも痛むのか思い出せない。特に腹と背中、足の痛みが尋常ではない。
と、自分の腕を見るといつの間にかブラウスから寝間着に着替えさせらていることに気づいた。そしてベッドの足の方で自分のサーヴァントが座ったまま眠っている。こたつで寝ればいいのに、とうっかりどうでもいいことに思いを馳せたが、良く考えれば全身痛いなんてただ事ではない。
(しかも魔力がなんかカラに近いような……昨日は、えーっと)
痛みで目が徐々に覚めてくると同時に、昨夜のキャスター戦の記憶も蘇る。
ランサーの裏切り、セイバーの宝具の解放、アーチャーとキャスターの消滅、ハルカがキリエを奪ったこと。
「……寝てる場合じゃ……ぐあっ!!」
飛び起きようとした明は、年ごろの女性とは思えない声を上げて再び布団に蹲った。その奇声でうとうとと眠っていたセイバーが目を覚ました。
「明!気が付いたのか!」
セイバーは立ち上がり、目を開けている明をみて胸を撫で下ろしていた。当の明は一成とアサシンはなんとか無事だったことをを思い出し、そうしてからやっと気づいた。
「あれ?何で家に戻ってるの?」
第一声がそれか、と言いたげな顔をしたセイバーだったが、彼は律儀に明の質問に答えた。
「……あのホテルを借りていたのは、三騎使役していたキャスターのマスターの襲撃を回避するためだろう。だが、キャスターとアーチャーは倒れた。もうホテルにいる必要はあるまい」
そういうことで、昨夜の激闘のあとはホテルに戻らずこの碓氷の家に戻ってきたのだ。確かにヤクザの抗争にでも巻き込まれたような体たらくだったため、そのままホテルに戻れば警察沙汰だ。いい判断だと明は思った。
「部屋は適当に割り振って使っている。文句があるならあとで土御門に言え」
「わかった。そういや、悟さん大丈夫?」
「は?」
一瞬何を言っているのかわからず、セイバーは間の抜けた声を出した。
「だから、悟さん。キャスターの呪いはちゃんと解呪された?」
「あ、ああ。土御門が無事を確認していた」
「そっか、よかった」
そう笑って言うと、明はベッドから起き上がろうとする。慌てるのはセイバーで明の肩を掴むとそのままベッドに押し戻そうとする。
力比べで明に分があるはずはなく、あっけなくベッドに戻される。
「自分の体を分かっているのか!まだ寝ていろ!」
「体中痛いだけで普通だよ」
「体中痛いことを普通とは言わない!腹は強く殴られた跡があり、背中は酷い火傷、何故かはしらないが全身傷だらけで、特に足など見れた状態ではなかった!」
「マジで?」
「マジだ!」
セイバーの口調が狂っているが、面倒くさかったので明は突っ込まなかった。そんなに大怪我だったのかと他人事のように腕を見たが、きちんと包帯が巻かれていた。
また体の感触的に、背中や肩、足も同様であることを察した。
「――そういや、これ誰がやってくれたのさ」
明としては何となく尋ねただけだったが、セイバーは俄かに苦い顔、というよりは居心地悪げに眼を顔を曇らせた。
「……土御門が治癒の魔術を掛けようとしていたが、あれもかなりまいっているようで無理だった。代わりとはいかないまでも俺の剣を体に入れた。包帯の類は俺がやった」
明は一成の戦う様子をまるで知らない。しかし激闘であったことに疑いはなく、生き残っただけでも表彰ものである。それにしてもお人よしな人間だと感心する――それはともかく、今の言葉だけではセイバーが顔を曇らせる理由はないはずである。
「……申し訳ないが、血をぬぐったり包帯を巻く際に服を脱がせてもらった」
「?そりゃあ脱がさないと拭けないし巻けないし」
何を当たり前のことを、と思った時、明はやっとセイバーの意味することに気づいた。
「……あ、裸見たこと気にしてるなら気にしなくていいよ。っていうか、セイバー私のこと「女だと思ってない」って言ってたじゃん」
大学の友達、麻貴と日向と共に茶をしていた時、関係を怪しむ友人二人の視線を「明を女だと思っていない」とバッサリ切り捨てたことは記憶に新しい。
セイバーは奇妙な顔をして答えた。
「……?当然だろう。お前は俺のマスターなのだから」
「――なるほど」
あの時は思いっきり恋愛向きの話だったため、「女だと思っていない」イコール「女性としての魅力ゼロ」と明は解釈していた。しかしセイバーは「女性としての魅力どうこうの次元ではなく、女である前にマスター」と言っているにすぎなかったのだ。明がセイバーを「男の前にサーヴァント」と言っているのと同じである。
明は盛大にため息をついたが、それと同時に、かつ同じくらい盛大にセイバーもため息をついていた。
「……何でセイバーがため息をつくのさ」
「……サーヴァントの俺だからいいものの、他でもその調子では思いやられる。もう少し恥じらい、いや違うな、危機感を持て」
「別に大丈夫だよ。魔術師だから一般人なら地球最強の男もどうにかなると思うし、魔術師だったらそもそももっと警戒するし」
ただ一般人相手に魔術を使うという時点で半ば「殺す」と同義ゆえに、明はする気はないのだが。というか何故自分はセイバーにお説教をされているのだろうか。
当の英霊様は「なまじ腕が立つのも考えものだ」とさらにあきれ果てた眼差しだ。明も絶好調とは程遠い体のため気づくのが遅れたが、セイバーの顔色は青を通り越して白くなっていた。
明自身の魔力もカラに近かったのだから、セイバーが魔力不足状態なのは聞くまでもない。セイバーが宝具を解放したのは知っているが、明自身はフラフラだったためにあまり覚えていないのだ。ただ、魔力をごっそり持っていかれたのはよくわかる。
そう、確かに昨夜は激闘に次ぐ激闘だったのだ。それでも明とセイバー、それに土御門もアサシンも無事という、文句のない戦果をもぎ取ったのだ。
「ま、でもみんな無事だったし、悟さんは治ったし。魔術師なんていつ死んでもおかしくない職業なんだから、この怪我くらい大したことじゃないよ」
ふと、セイバーが急に口を噤んだ。じっと明の顔を見て、何か文句ありげに、しかし確信を以て――それでも信じたくはない嫌な事を聞くように、口を開きかけた。
その時、様子を見に来たのか通りかかったのか一成が扉を開いた。それなりに騒いでいたため、耳に入ったのだろう。
「碓氷!起きたのか!!」
「うん起きた。痛いけど平気……アサシンは霊体化してるの?」
そう言って起き上がろうとする明を、セイバーが無言で布団の中に押し戻す。明はやっと起き上がることを諦めてベッドに横たわったまま二人を見上げた。気配遮断をしていないらしく、アサシンが霊体化しても部屋の中にいるのはわかる。
改めて一成を見上げたが、よく見れば彼も酷い顔色をしている。土の上に寝転がられたら区別がつかないかもしれないくらいに土気色の顔をしている。そして、はっきりと目の下に隈がある。もしかして寝ていないのかもしれない。
明の心配と疑問を知らず、一成は右手の甲を見せた。二画あったはずの令呪は一画に減っている。「令呪。なんとか一画だけは残してる……で、だ」
彼は咳払いをして、少し言いにくそう……むしろ残念そうに口を開いた。
「俺はアサシンと戦争を続ける。だから、もしお前が出てけっていうなら出てく」
「そっか、私たちに協力するって条件でここにいたけど、キャスターも倒れて、アサシンが残ったから……」
残るサーヴァントはセイバー・アサシン・ランサーの三騎。正真正銘、明と一成は敵同士だ。ならば、碓氷の家に居続けるのは筋が合わない。これまで一成はサーヴァントがいないから明を助けるという理由で共に行動していた。
そしてキャスターと悟のことがあったとはいえ、もう協力する義理はない。
しかし、明は首を振った。
「でも、今日明日はお互いに回復に費やさなきゃいけないし、別にいてもいいよ。というか一成が私やセイバーの寝首をかくとは思えないし、かけるとも思わないし」
一成となら、神秘も漏らさず純粋にサーヴァント同士の戦いができる。明はそう思う。セイバーも流石に一成の人柄を分かってきたのか、ため息をついたが文句は言わない。
「おまえな……って、今一成って言った?」
「土御門って長いし、言いにくいし。あ、嫌だったんならやめるよ、ごめん」
「いや、好きにしてくれ!」
何故か挙動不審に目を泳がせる一成を、明とセイバーは顔を見合わせて首を傾げた。ちなみに霊体化しているアサシンが爆笑しているのは一成しか知らない。一成は咳払いをしてから、仕切りなおして二人を見た。
「……そんで、さっそく相談に乗ってほしいことがあるんだけど、いいか?怪我してるとこにマジで申し訳ねーんだけど。流石に今じゃなくていいんだけど」
「いいよ?ただ、今日は流石に寝たきりだから魔術的なことはできないと思うけど……」
一成はあからさまにほっとした、と言わんばかりに息をついた。
「そか、ありがとう……つーか、俺が言うのも何だけど、セイバーお前霊体化した方がいいんじゃね?お前ソーメンみたいな顔してるし、碓氷にも負担が増えるだろ。アサシンも実体化大好きだけど、流石に今はキツいって言ってるし」
明は言いよどんだ。一応一成にもセイバーが霊体化できないことを隠していたが、もう今更な気がする。セイバーも紙のように白い顔をしながら霊体化しないのも限りなく不審だ。
「……実はさ、セイバーは霊体化できないの。多分、召喚する時にちょっと間違ったせいだと思うんだけど」
「は!?そんなことあんのか!?」
「いや、それに関しては俺から訂正をしたい」
セイバーは静かに絨毯の上に正座をした。妙に畏まった雰囲気に、明は横になったままだが一成はつられて正座をしていた。セイバーはいきなり明に向かって頭を下げた。
「済まない。俺が霊体化できないのは召喚のミスだと言ったが、違う。あれは俺自体の欠陥だ。事情が込み入っている為、今までは召喚ミスで通させてもらっていた」
「えっ」
明も含め、その言葉に全員が唖然とした。霊体化しているアサシンも同様だ。
「だがそろそろ言っておいてもいいだろう。俺が霊体化できない理由は、俺は死んではいないからだ」
「おいセイバー、俺の指何本に見える?」
「二本」
「いだだだあだだだだ千切れる離せごめんなさい!!」
セイバーにつぶさんばかりに指を握られて一成は涙目だった。一成には構わず、セイバーは話を続ける。
「今流れている時間上では、俺は死んでいるだろう。だが、俺の体は死の直前、伊勢の
一成も明もセイバーの言っている意味がわからず、お互いに顔を見合わせた。
「……いや、なんでそんなことになってるの?そもそも死なないと英霊になれなくない?」
「俺、日本武尊は世界と契約を交さずとも、それそのものだけの功績で英霊の座を獲得した。何もしなくても、死後は英霊となっただろう。だが、俺は死の直前に世界を契約を交し、その「契約」が果たされたのちに死を迎え、守護者としての英霊となることに決めた。そのままでは死ねなかったからだ」
「……ああ」
一成が頭にハテナを浮かべつづけていたので、先に理解した明が説明を付け加えた。
英霊は英雄の死後、魂が格上げされてこの世界の時間軸から外れた魂だ。精霊や天使、悪魔に近い。それ以外でも生前に世界と何らかの契約した者が死後、魂を守護者として明け渡すことでも成立する。
前者は純粋な英霊だが、後者は守護者としての英霊だ。
この守護者はサーヴァントのように自由意志を持たず、人間の世界が「人間の手による破滅」を起こしそうになった時に人類の集合無意識(アラヤ)によりその土地に召喚される存在だ。
世界の力をバックアップとして受けた「戦うだけの現象」として、誰にも認識されずにその場の人間を皆殺しにして事態を収拾させて消え去る殲滅兵器として扱われる。
とにかく、セイバーは死の直前に世界と契約を交して、死後は世界に魂を殲滅兵器として売り渡すことを条件に何かの願いを叶えようとしているのだ。
「その願いを叶え終わったのちに、俺は本当の死を迎え、英霊となる。俺は死後英霊になることが確定しているから、この戦争にもサーヴァントとして参加している。しかし願いを叶えるまでは死んでいないことになるから、霊体化できない」
「……よくわかんねぇけど、お前は死にそうになっても叶えたい願いがあるから聖杯戦争に呼ばれてるんだよな?」
一成の問いに、セイバーはゆるゆると首を振った。
「俺は聖杯には興味がない。俺が聖杯戦争にいるのは、そこに戦いがあるからだ」
一成が思いっきり顔にわからん、と書いている。勿論明もよくわからない。
「や、要するに、セイバーは死ぬ直前に何を願って世界と契約したの?」
魔力不足で蒼白な顔色をしているが、剣の英霊の瞳は変わらず凛として真っ直ぐである。迷いも揺るぎもなく、彼は自分の望みを口にする。
「戦いだ。俺は未来永劫、この国で最強でなければならない。俺は、未来永劫この国があり続ける限り俺が最強であると証明したのちに死を迎える。だから俺はあらゆる時間軸、平行世界に呼び出される――この聖杯戦争のように、大和の英雄たちを呼び出して戦う儀式を必要とする場所に」
部屋は水を打ったように静まり返った。セイバーは確かにキャスターの酒宴でも「最強を証明する」と宣言した。だが、それは誰もあくまで「今回の聖杯戦争」での話だと思っていた。
それは違った。聖杯戦争ではなくとも、日本の英霊の戦いが要請される場所や儀式ならば、可能な限りセイバーは何処へでも呼び出される。
「……じゃあ、その「最強を証明するまで」こんな戦いに何度でも呼ばれるのか?というか、最強を証明するって、具体的にはどういうことだよ?」
「契約は「この日本が消滅するまでに成立する英霊全てと戦い、その全てに俺が勝利を収める」ことを以って完了する」
「―――な」
二人は思わず言葉を失う。セイバーは何でもないことのように言うが、この国に成立する英霊全てと戦う――其れはどれだけの回数戦い、どれだけの年月戦い、どれだけの死力を尽くす戦いなのか想像もつかない。途方もなく無限とも思える戦いに、死の間際になっても身を投じるのか。
「……あのさ、一つ聞きたいんだけど、セイバーって戦うの好きなの?」
「戦いを楽しい楽しくないで考えたことはない。しなければならないからしているだけだ。趣味で戦うなど時間と労力の無駄だろう」
「じゃあなんで、」
同じようなことを前にも聞いた気がすると、明は思った。そう、キャスターによる聖杯の酒宴は、これと似たような流れを追っていた。あの時、セイバーは「勝利しないことがあってはならない」と言っていた。そして此度も、彼は誓う。
「……勝つことは俺が俺である唯一だ。そして、それが俺の成すべき誓いだ。生前に、俺のいるべき場所であった人々が、俺に「最強」を望んだ。その望みに俺は応える」
「でも、それ、その願いを果たしてからも、セイバーは世界に兵器扱いされてずっと戦い続けることになるんだよ」
あまりに常軌を逸した願い。本当に本気かと知りたく、明はセイバーに「自分の終わりがそれでもいいのか」と問う。しかし、護国の英雄がその瞳の鋭さをひるませることはなかった。
「――その望みが叶うなら、俺は構わない」
それから打って変わって、セイバーは正座のまま、明に向かって再び頭を下げた。
「霊体化できない半端なサーヴァントで本当に申し訳がない。……あと、俺からマスターに言いたいことがある。しかし今は回復を優先するべきだから、それは後にする」
それだけ言うと、本人は話が終わったと言わんばかりその場に寝床もなく横になり眠りについてしまった。明と一成は顔を見合わせていたが、口火を切ったのは明の方だった。
「あのさ、一成、一つお願いがあるんだけど」
「……なんだ?」
「昨日ホテルから戻ってきたって言ったけど、ホテルの荷物とかちゃんと持ってきた?」
「……いや、昨日は戻ってくるのに一生懸命で置いたまんまだ」
「じゃあそれ取りに行ってくれない?あ、もしキツかったら無理しなくていいから……」
「お、おう」
ぎこちない動きで立ち上がると、一成はアサシンの引きつれて明の部屋を後にした。セイバーの寝息だけが部屋の中にあった。明は寝返りと打とうとしたが、腹が痛くて断念する。やっと気付いたが、傷が熱を持っていて痛みと共に意識を遮ってくる。
疲れと眠気、痛みの上にセイバーの衝撃発言が加わって頭が混乱している。
「……セイバーって正気?」
古代日本の英雄の気持ちなど、現代の一魔術師である明には理解の仕様がない。英霊は生前の記憶を持っており、セイバーだってあのなりだが中身は明より年上である(良く忘れそうになるが)。
それにセイバーの人生はセイバーのもので、ポッと出の明が余計な口出しすることではない。何を願おうと彼の勝手だ。
それでも、セイバーの願いは尋常ではない。「戦いが好きだから、もっと戦いたい」というならばわかる。だが、そうでもないのに未来にも生まれるすべての英霊と戦うことは狂気の沙汰だ。
永久とも思える戦いに身を晒し続けていくうちに、その「日本武尊」の魂はいずれ「日本武尊」であることを忘れ果ててしまうだろう。何故「最強」を願ったのか、最初の思いさえ忘れて、最後には「戦って勝つ」だけのモノに成り果ててしまう。
仮に人格が残されていても変質は免れない。その末に彼は彼本来の時間軸に戻り、伊勢の能煩野で死を迎える。そうして死んだあとでさえ、世界との契約により彼の魂は「世界」なるものの手によって、殲滅兵器として使役されるのだ。
――何故、セイバーはその道を選んだのか。
一欠の救いさえも投げ捨て、聖杯にも目もくれず、好きでもない戦いに身を窶し続けると決めさせたものは何か。
剣を置いて伊吹の山に向かい、死にかけた果てに思ったことは。
――「生前に、俺のいるべき場所であった人々が、俺に「最強」を望んだ」から――
「――――ばか」
明とて未だ重傷を負った身である。体に残った熱と疲れによる睡魔に手を引かれ、彼女は再び眠りについた。