明がひとまず覚醒したことを確認した後、一成は屋敷の食堂のイスにどさりと座り込んでうつぶせになり、テレビを横目で眺めていた。
全身が猛烈な筋肉痛になっているようで、歩くごとに体が痛む。一成自身、普段の運動量が相当なもののため、これほどの筋肉痛は久方ぶりである。ただ、行動できないほどではないために体を動かしてはいる。それにはもう一つ理由があるのだが――
『CMの後も、引き続き春日市における異常気象と不発弾についての報道をお送りいたします』
点けていたニュースでは、予想はしていたが大西山のことが取り扱われていた。昨夜(今日)深更、局所的な大ゲリラ豪雨と雷雲が発生し、それが地中に埋まっていた不発弾を誘爆させて大西山を無残な有様と変えた、との物凄い理屈で特集が組まれていた。
中継の映像に映し出された大西山は既に原型がないといっても差し支えない。木々に覆われていたはずの山は地肌を晒し、標高が明らかに低くなっている。セイバーの対城宝具が振り下ろされた箇所は、あたかも雪山のクレバス現れたかのごとく、真っ二つに引き裂かれ地層を剥き出しにしている。多量の水が降り注いだこともあり、一成たちが立ち去ったあとに土砂崩れが発生して山自体の形が変わっていた。丁寧にビフォーアフターで比較してくれているので、その様は一目瞭然だ。
一成とアサシンは直接その宝具が解放される瞬間を見たわけではないが、宝具には巻き込まれている。それに加えてこのニュースの映像で桁外れの威力を改めて知った。
「残るサーヴァントはセイバー、ランサー、アサシン、か」
『何気に大詰めじゃねーか』
アサシンはご機嫌に念話で話した。一成とアサシンの契約関係はもちろん続行中だが、大きな目的である「キャスターを倒すこと」は完結した。
けれど、一成はアサシンとこのまま戦いを続けるつもりであり、アサシンも異存はなかった。
今でもアサシンの本当のマスターは悟だ。そして、一成も本当のサーヴァントはアーチャーだと思っている。一成とアサシンは、偶然、利害の一致にして契約を取り結んだことが始まりだった。今、互いに当初の目的は果たし終わっているのだ。
しかし戦いはまだ終わっていない。アサシンには悟を何事もなく日常へ返すという目的が、一成はこの戦争をやりぬき終わらせるという目的がまだあるのだ。
一成はテレビの電源を切ると、席を立った。明に頼まれたように、ホテルに放置した道具を回収しなければならない。
その前に一度、悟の状態を確認しようと一階の客間に向かった。
碓氷邸は暮らす人数に比して無駄に広く、客用寝室と応接間がある。一成が二階の客用寝室で、悟は一階の応接間を改造して寝室にした部屋を使っている。二階の子供部屋は明のもの、父が使っていたと言う部屋はセイバーの部屋だ。
一階のホールを横切って応接間に入ると、ソファベッドの上に寝転がり毛布にくるまった男の姿があった。
昨夜、山を下りてからは一成が明を抱えてセイバーと飛行して碓氷邸に戻った。その間、アサシンはホテルに戻り、悟を連れてきた。キャスターの呪いが解けていなかったらどうしようと思ったが、杞憂に終わり無事悟は通常の状態に戻っていた。
だが、一成たちが戦闘を行っている間、撫物が切れた後は彼自身の力だけで呪いを抑えなければならなかった。もちろん悟にそのような力は望めない。結果、呪いは解けたが悟の体は著しく衰弱した状態であった。
一成が治癒の魔術をかけようとしたが、彼自身魔術を行使できる体調ではなかったためにできなかった。しかし解呪された今、悟は体力そのものが弱っているだけのため、眠っていれば回復する筈だった。
一成は起さないようにそっと様子を窺うだけのつもりだったため、忍び足で近寄ったが無駄だったようだ。
「……土御門君か?」
悟の顔色は土気色をしているが、意識はある。少し前からまどろんでいたようで、焦点の合った目が壁に掛けられた絵を見ていた。
逆に一成の方が驚き、おっかなびっくり声をかけた。
「……お、おはようございます……」
「……戦いは、どうなったんだい?アサシンは?」
「俺ァこのとおりぴんぴんしてるぜ。キャスターは見事俺の八面六臂の大活躍により御退場したぜ。あのねーちゃんとセイバーもちゃあんと生きてら。今は寝てるけどな」
アサシンは霊体化を解いて、いつものド派手な褞袍と着流しの姿を晒した。アサシンが相手をしていたのは本当にアーチャーだけだが、そこはご愛嬌である。悟はほうと長い息を吐いてから、一成に顔を向けた。
「土御門君、ありがとう」
「……俺は別に、大したことはしてません」
「おい無視かコラァいい度胸だ」
「……悪いけど、もう少しだけ寝かせてもらってもいいかな」
悟は笑っていたが、体力が回復していないために再び瞼を閉じた。一成たちの気配で起きて、彼らが無事であったことに安堵して再び気が抜けたと見える。アサシンは微妙に消化不良の様子だったが、相手は状態が状態だ。諦めて再び姿を消した。
「……とりあえず、大丈夫っぽいな」
一成はそっと応接間を後にする。これからホテルに向かい、道具を取りに行くのだが目が霞んで体が重い。
「……あー……」
最初にバーサーカーと戦った時、次にバーサーカーを倒した時――腕を斬られた時も、次の昼には、体調的には回復していた一成である。
しかし彼は昨夜の激闘からまだ一睡もしていない。もちろん明や悟の手当に奔走していたのもあるが、二人が安静に入ってからは仮眠をとる時間くらいはあった。
それでも彼は眠っていない。
意識を失おうとすると、何かわけのわからないものに体と意識を持って行かれそうな、気がする。それがあまりにも気になって、休息を求める体に鞭打って何か雑用をして目を覚まし続けていた。
『つーかお前、大丈夫か?寝てねーだろ』
「……寝てねーな」
流石にアサシンも一成の変調を知っており、声をかけてきた。一成とてこの変調の原因が何かくらいはわかっている。昨夜のキャスター戦――一成とアサシンにとってはアーチャー戦が原因に決まっている。
「……あの時、俺は、未来が」
『は?』
魔術に詳しくないアサシンはぽかんとした声を出した。あの時――アサシンとアーチャーが戦っていた時からアーチャーが消滅するまで、ほんの僅かの未来だが、それが一成には映像としてとらえられていた。そして黒い箱の中身から引きずり出した、稀代の陰陽師の術技。
アーチャーは、『千里天眼通』と言った。千年の昔、安倍晴明が乙姫――竜の娘から授かったモノ。
『……とにかくあの姉ちゃんにゃあ悪いが、お前絶対相談すんだぞ!今度はお前がぶっ倒れたら洒落にならねーだろ』
「お前って結構世話焼きだよな」
『あん?』
アサシンがいきなりドスの効いた声で脅しつけてきたので、一成はおとなしく黙ることにした。
気づけば時刻は既に午後三時を回っている。日の暮れの早いこの時期では、もう太陽が傾き始めているように感じる。
先ほど明から頼まれた任務を果たすべく、一成は簡単に身支度を整え、碓氷邸を出た。外は風が冷たいが日差しは暖かい。何の変哲もない住宅街を歩いて北上し、春日駅方面へ向かう。
何か考えていないと眠りの世界に引きずり込まれそうな一成が考えることは、明とセイバーのことだ。二人とも変わった人物だとは思っていたが、キャスター戦を通して変わっている、と言うどころの話ではない気がしてきた。
「―――勝つことは俺が俺である唯一、か」
セイバーは嘘をつかない。当初はマスターに対してだけかと思っていたが、一成に対しても流石に仲間と認識している為か、歯に衣着せないレベルで本当の言葉しか言わない。だから、先ほどのことも真実だろう。
途方もないほど長い戦いを求め、勝利に至るまで戦い続け、その果てにようやく死を迎え、その先も魂は殺戮の為に使役される。行く先々に安寧の欠片もない荒野。
『願いにもよるけどよ、なーんか聖杯自体に願いのあるヤツって病気にしか見えねーぞ。お前の貴族サマとかもうヤバかったな、病膏肓に入るってのはアレのことだな』
「……アーチャーがアレなのはわかってら」
アーチャーは「幸せとは何か」の答えを探していたが、その願いのバカバカしさには気づいてはいたのだ。認めたくはなかったのだろうけれど。
『ままならねぇからこそ人生だろうが。それをあんなチートな道具でやりなおしたり逃げたりできるんなら、歯食いしばって生きるのがバカバカしくなっちまう』
アサシンの意見には一成も同感である。自分が呑気に生きていた、比較的幸せな人生を送ってきたせいかもしれないが、今となっては願いなどない。
「じゃあお前、セイバーをどう思う?」
『掛け値なしのバカだな』
あんまりな言い種に一成は言葉を失ったが、アサシンは気にかけない。もし実体化していたらハナクソでもほじくっているであろう投げやりさだ。
『これだからクソマジメで融通が利かない奴は始末が悪いんだよ。極端から極端に走るからな。お前のいい加減さをわけてやれ』
「俺のサーヴァントはどっちも俺をディスることが趣味なのかァ!!」
サーヴァントが過去の英雄とはいえ、もう少し尊重してくれてもいいのではないかと思う土御門一成十七歳。彼のツッコミを無視し、アサシンは続ける。
『まー皇子サマもあれだが、あの姉ちゃんの方もだ。そっちもいい感じがしねぇな』
「……だよな」
セイバーの剣をその体に入れていたとはいえ、彼女の大西山における行動は納得しがたい。いかに傷が治るとはいえ、腹に剣を刺されて動揺せずにけろっとしていられるのは可笑しい。その上、一成を守るべく何の躊躇いもなく盾にすらなった。
そして今日彼女の部屋に入る直前に聞こえた言葉。
「魔術師なんていつ死んでもおかしくない職業なんだから、この怪我くらい大したことじゃないよ」
魔術行使が危険を伴うから死に瀕することに慣れていると彼女は言う。だが、死を覚悟して戦うことと、「死んでもいい」と思って戦うことは絶対に同じではない筈だ。
一成は首を振った。自分を助けてくれた者が、自分のことを粗末にしている――あまり想像して楽しいことではなかった。今は結論を出せないと、一成はアサシンに話を振った。
「あいつのことは俺たちだけで考えてもしょうがないな、セイバーも混ぜないと。話は変わるけど、お前の聖杯にかける願いって何だっけ?受肉だっけ?」
『あー……最初はそう思ってたっちゃあそうだけど』
戦争も終盤に近付いているため改めて一成は聞いてみたのだが、本人ですら自分の願いを把握してなかったのではないか、と思われるほどの適当さでアサシンは応えた。セイバーもキャスターも、ランサーも、願いはなくても目的をもって聖杯戦争に望んでいたのに、アサシンは違う。
『やっぱりもう特にねぇな。つか現界してから月見酒も飲めたし、悟も無事だし、猿関白の元ネタもぶっ飛ばせたしなー。あとは今が桜の季節なら言うことなしだったんだが……じゃあ聖杯得たら一日だけ春にして花見でもすっか』
見る限りアサシンにはなんの屈託もない。彼が虚言を弄すことはイメージに合わない……こともないが、今嘘をつく意味は感じない。だが、それならば何故彼は聖杯の召喚に応じたのだろうか。
「お前には心残りとか、生前何とかしたかったこととかないのか?」
『おいおい俺の伝説くらい知ってんだろ?歌舞伎とかも含めておおよその話くれーは』
石川五右衛門。戦国時代にその名を轟かせた大盗賊。実在の石川五右衛門よりも、彼の死後江戸時代に浄瑠璃や歌舞伎の英雄として扱われ、伝説化した石川五右衛門像の方が人口に膾炙している。
出生は諸説ありはっきりしない。伊賀にわたり忍者の弟子になったあと盗賊となったとか、奉公した男性の妻と駆け落ちしたとか言われている。
手下や仲間を集め、権力者相手に悪事を繰り返した。秀吉の甥・豊臣秀次の家臣から秀吉暗殺を依頼されるが、寝室に忍び込んだ際に香炉が音を立てて気づかれ、さらに部下の裏切りで悪事の全てを暴かれて釜茹でに処される義賊でもある盗賊が、伝説の石川五右衛門である。
最も有名なのは、以下の風景だろう。秀吉の命を狙ったが失敗して追われる五右衛門が、それでも京都の南禅寺の山門の上からの景色を眺めて詠う場面だ。
橙色の光が山端に輝く。眼下に広がる山々は、満開の花弁をつける木々に覆われて薄い桃色に染まる。風が吹く度に白い花びらは宙に舞い踊り、光を透かして煌めいている。
一世を風靡した大盗賊は、門の上にしつらえた部屋に悠々と腰をおろし、手に馴染んだ煙管を燻らせる。芳醇な花の香りを含んだ風が、紫煙を吹き散らす。
「絶景哉!絶景哉!春の眺めを値千金とは小せえたとえ。この五右衛門が目からは値万両、何万両」
弱きものの味方であり、風流を知る義賊――それが、人々が夢見た「石川五右衛門」の姿。
だが、そのような華々しい姿に対して、実際に生きていた石川五右衛門についての記録は少ない。生年は不明、大々的に盗みを働いていたことと、最後は時の為政者・豊臣秀吉の手の者に捉えられ母や子もろとも釜茹でにされたことだけしか残っていない。
アサシンの伝説を説明され、一成はほうと呆けた声を出した。義賊や大泥棒というイメージを抱いていたため、生前のアサシンにまつわる話の少なさに驚いたのだ。
「石川五右衛門の話は知ってるけど、じゃあ生前のお前ってどんなんだったんだよ」
『それがわかんねーんだよな』
「は?お前の事だろ?」
『前に悟にも言ったけどよ、俺は記憶が
生前は一介の盗賊でしかなかったアサシンは、生前の話よりもその後に作られた伝説の方が人々に知られている。権力に立ち向かう庶民の為の英雄像――人々の願望で英霊となったため、その願望によって生前の記憶が塗り込められてしまっているのだ。
最早今のアサシンの人格も「人々の願った」それであり、過去も「人々の願った」それである。
「人々の願う「アサシン」は、この世に悔いなしって思うから、お前に願いはないのか……?」
死後に伝説によって記憶が霞むという状態がどういうことなのか、今生きる人間の一成には到底わからない。人格を形作る記憶が「伝説」にすり替わっているとはいえ、記憶となった伝説から生まれる欲望はないのだろうか。
アサシンは体があれば殴っていた、と言わんばかりの語調で叫んだ。
『この世に悔いなし?バカ言うんじゃねェ、悔いだらけだぜ!!覚えている生前の俺は、食い詰めてやむに已まれず盗賊を始めたんだぜ?その果てに、あの終わりだからな』
子供、妻、もろとも釜ゆでにされて死ぬ。五右衛門はその刑の執行の際、自らの子を先に熱湯に沈めたという。あまりの熱さにわが子を踏み台にしてでも熱湯から逃れたかったのか、それとも苦しむ間もなく殺すほうが慈悲だと思ったのか。『英霊』となってしまった彼には、それもあやふやだ。
それでもアサシンには確固たる願いはない。かつて受肉を願いに上げていたのも、現代の日本を覗いてみたいという気持ちから発したものだ。今や彼には受肉という願いも最早淡い。アサシンは頬を掻きながら――霊体化した状態だが――言った。
『生前の自分のことは断片しかのこってないが、それでも忘れてないことがあってな。食い詰めたから盗賊になったっつーことは、たとえ他人の物を奪っても――生前の俺は、死にたくなかったんだな』
元々は、食い詰めたから盗賊になったというくせに――この暗殺者は、えらく自信のある声を出す。ただ死にたくなかった――何も持たざる庶民が最後に持つ、自分という名の財産を守りたかった。
一成は、何故アサシンが英霊となり過去の記憶を薄れさせても気にしていないのか理解した。
生きるために、他人を押しのけてでも命と財を望んだ。アサシンはそれを好いとは思っていないが、後悔もしていない。釜茹でも彼に非のないことではない。
けれど、元々戦乱の被害にあっていた彼はこうも思っていた。
――殺さなくては殺されるなら、自分は殺すほうを選ぶ。
だけど、もし、こんな持たざる者である自分たちを助けてくれる正義の味方がいるのなら、それはどんなに嬉しいことだろうか。
天下の義賊。庶民の幻想。代わって権力に抗う者。
そういった
『だから、生きて、死んで、それだけで大したもんだ。どんなにクソつまんねぇ人生でも、どんなに悲惨でも、どんなに幸せでも生きただけで大手柄の表彰モンだ』
弱きに寄り添うアサシンは、どんな人生でも良しと受け入れる。悪人でも善人でもそれは変わらない。悔いだらけでも、それでも己が生き足掻いた結果ならばそれでいい。一成はじんわりと嬉しくなって、顔を綻ばせた。
されど、決してアサシンは善人ではない。生前「生きる為なら、他を殺す」と開き直って豪語するように、彼は悟の前のマスターを裏切ろうと画策していた。筋金入りの権力・権威嫌いのアサシンは義賊であるにしてもやはり盗賊でもある。人生は生きただけで足るものとしながら、自分の楽しみには妥協しない。
アサシンは霊体化のままにやりと笑って、妙な笑いがにじんだ声を出した。
『ま、そういうサーヴァントだが改めてよろしく頼むぜ、マ・ス・ター?あと二騎だしな』
「キモっ……つか、あとはセイバーとランサーか。キツいな」
三騎士クラス中二騎が残っており、一成はなまじ二人の実力を知っているだけあって背筋を寒からしめた。セイバーの宝具は強烈で、かつ堅実に戦えるランサーとでは地力の差が目立つ。しかしアサシンは一成ほど危機を感じていない。
『あん?ランサーはともかく、セイバーはどうにかなるかもしれないぜ?俺はあの剣を持ってるって知ってるだろ?』
「――あ!『
対神宝具である神縛りの剣があったからこそ、一成たちはキャスター攻略をあんなまどろっこしい方法で行ったのだ。今やその剣はアサシンのものである。
「でもアイツ、山で剣なしで戦ってたけどそれでもやたらと強かったよな?」
大西山決戦の序盤・キャスターの四天王と剣なしで戦ったセイバーは、それでも彼らを圧倒していた。神性の下がったセイバーを剣で縛る意味はあるがそれでも強い。そしてアサシンは火力として圧倒的に劣っている。
『そりゃあ気になるところだが、俺は敏捷ならあの皇子サマとだってタメを張れるレベルだ。それにキャスター四天王は準サーヴァント程度だからな、俺なら互角くらいには持ち込める。場所を市街にすればあのアホな宝具は使えネェだろうし、どうにか殺れるかもしれねぇ』
それでも互角か、と一成は唸った。元々マスターとしてもサーヴァントとしても、向こうの方が圧倒的に格上なのだ。ただ、明とセイバーと戦うのなら、言い方としては変だが円満に戦って終われると思う。
『ランサーの方はなァ……真名をわかっちゃいるんだが、あいつの宝具をどうにかできる気がしねーんだよな』
折悪しくキャスターと戦うランサーを目撃できていない彼らは、ランサーの宝具の開帳を見逃している。だが、アサシンはかすれた記憶とはいえ、生前にランサーを知っていた者なのだ。だから宝具の開放を見ていなくても、内容は見当がつく。しかし、わかっていても避けられないものは存在する。
念話で話しながら歩いているうちに、宿泊していた「ムーンライト春日」に到着した。明は長めに宿泊費を先払いしていたというから、問題なく荷物を回収できた。
一成は自分のドラムバッグと明のトランクを持ち出した。こういうときに便利なのがアサシンの宝具で、人影のない場所にて彼を実体化させて宝具の中に荷物を収納させてもらった。
今日明日は回復に費やし、アサシンを自由に動かせるようにしなければならない。一成は当然のようにさっさと碓氷邸に戻るべく踵を返す。いつものように人通りの多い春日駅前を後にして、コートの前を合わせた。と、唐突に彼の腹の虫が鳴いた。
「……そういや、今晩の飯…」
思えば昨日の夜から何も食べていない。正直一成は食事どころではないのだが、さらに食事をとらないと精力がつかない。明は食事をとれるのかと心配しながら、一成はショッピングモールに立ち寄っていくことにした。
立地面積が広く二階建てのショッピングモール。一階の食品売り場は時間も相まって人が多い。特に夕食の食材を買いに来た主婦が多い。
彼は出来合いの総菜や温めるだけで食べられるレトルトを籠に放り込んでいき、会計を済ませた。しばらく霊体化を決め込むアサシンは今晩食事をとらないつもりらしく、注文を付けてくることはなかった。
人目につかない場所がモール内には見つからず、碓氷邸はここから徒歩十分もない。アサシンの宝具に入れないで、このまま持って帰ろうと出入り口へと向かう。
モールといえば、一成がキリエと初めて出会った場所である。昨夜、ランサーのマスターにさらわれたというキリエのことが気にかかるのだが、アサシンも自分も絶不調で拠点とかいう屋敷に行ってもロクに戦える気がしない。明たちに助力を頼みたいが、明もあの状態である上に、彼女らにはキリエを助ける理由がない。
「くそ」
一成は毒づきながら、ビニール袋を抱えて歩く。モールの出入り口は三つ存在するが、北口の傍には休憩用のベンチがある。いつもは親子連れがよく座っている。今日もそういう光景が広がっているだろうと、何の気なしに目をやったが、彼は我が目を疑った。
「……キリエ?」
艶があり、腰まで伸びた黒い髪。白いワンピースに、腰には紫のリボンがついている。黒の革靴に白い靴下。それに、紅い目。
――キャスターのマスター、キリエスフィール・フォン・アインツベルンがそこにいた。
足が床についておらずぶらぶらさせて、所在なげにその目は伏せられている。
ランサーのマスターによって連れ去られたという彼女は、はっきりと生きた姿を一成の眼前に現わしていた。