碓氷邸に上げられたキリエは、家主の明よりも家主らしく、彼女の部屋でロッキングチェアに腰かけている。いつもならば明は客人に紅茶くらい振る舞うのだが、今は体を動かすこと自体が苦しい為、ベッドの上で上半身だけ起こしたままセイバーにウィダーインゼリーを持ってこさせた。
「私のお城ほどではないけれど、まぁまぁ良い屋敷ね、アキラ・ウスイ。本当は紅茶が欲しいところだけれど、カズナリ・ツチミカドに免じて許してあげるわ」
ウィダーインゼリーを啜りながら偉そうなキリエ。一成を白けたような生暖かいような目で見ているのは明で、セイバーは相変わらず刺々しいままで、当の本人である一成は妙に身の置き所がなさそうにしている。アサシンはわざわざ霊体化を解いて、何も言わず生ぬるい目で主たる一成を見ていた。
「なんだよ碓氷その生暖かいまなざしは」
「いや、そっちの趣味なんだって思って」
「そっちってどっち!?」
一成はうっかりそんなに自分はロリコンに見えるのかと沈思したくなった。アサシンに至ってはなぜか元気づける様に頷きながらサムズアップして「頑張れ!」と謎のエールを送ってくる始末だ。というか同じようなことをアーチャーにも言われたような気がする。
「お前のくだらない話はいい。キャスターのマスター、何しに来た?」
ランサーから、ランサーのマスターがキリエを攫ったと聞いていたセイバーは、当然の如く警戒をする。しかしキリエは柳に風と相手にしない。
「先ほども言ったと思うけれど、もう私を警戒する必要などなくてよセイバー。キャスターは正真正銘消滅して、令呪もランサーのマスターに奪われたわ」
「というか、あなたハルカにさらわれたんじゃないの?何でここにいるの?」
明の問いに対し、キリエは今までの余裕を消し流石に憤懣遣る方ない様子で、憎らしげに窓の外を睨んだ。
「……あの魔術師ときたら、この戦いに現代兵器など持ち込んで。魔術師の風上にも置けぬ輩ね」
それには明も驚いている。まさかエーデルフェルトとあろう貴族の家柄の魔術師が、拳銃を持ち出すとは思わなかった。
「あの男は私を撃ったあと、心霊医術で令呪を奪ったの。回路と接続している令呪をはぎ取られたわ。……キャスターの宝具の残滓で重大な損傷はないけれど」
令呪は体の魔術回路と接続している。それを本人の同意なく奪うことは、魔術回路を無理やり引きちぎること、神経を無理やり引き抜くことと同じである。心霊医術を使おうと、その本質は変わらない。キリエはキャスターの第二の宝具である酒について軽く説明を加えておいた。
「私はもう意識がなかったから後の事は覚えていないけれど、起きたら、そうね……教会の地下室に寝かされていたの。……その時にはもう体も治っていたわ。拘束などはされていなかった上に人気もなかったから、逃げ出したの」
純粋な魔術対決なら私にかなう魔術師なんていないから、もし出てきても殺してやったけどと付け加えて、キリエは静かにウィダーインゼリーを口に運んだ。
ハルカ・エーデルフェルトは宝石魔術の名手だと聞いていたが、心霊医術にまで心得があったのだろうか。心霊医術は魔術より呪術に親和性があり、西洋の魔術からは下に見られる術である。明は首を傾げた。
「カズナリ・ツチミカド。敗者の私に声をかけてくれたことは、余りある厚意よ。そしてアキラ・ウスイ。すぐさまサーヴァントに私を殺させない情け、二人とも感謝しますわ」
「そうだ、碓氷こいつ「ああ、うちにいてもいいよ」
さらりと吐かれた言葉に、一成とセイバーは驚く。しかしふたりの驚きは真逆のものである。一成は喜びも交えた驚きだったが、セイバーは良くないと主人の誤りを見たが故の驚きだ。しかしセイバーは今の所むっつりと黙ったままだ。
「マジか碓氷!」
体調の悪い明は若干不機嫌そうな声を出す。彼女とて慈善事業、同情心でキリエを屋敷に留めようと言うわけではない。
「いや、一成落ち着いて。キリエスフィールが家に居るのは構わないけど、その代わり知っていることを話してもらうよ」
「ええ」
既にそのつもりであったキリエは、少しの間も置かず返答した。手に握りしめたウィダーインゼリーは殆ど飲み干されて空っぽだ。
もうこの場にいる全員は、教会が中立地帯でないことをわかっている。その上彼女は、冬木の聖杯戦争を開始した御三家の一であり、同時に春日の聖杯戦争を開始した家の一でもあるのだ。
「私にも何故ランサーのマスターが私を逃がしたのかはわからないわ。そもそも、聖杯だけを必要とするなら、彼らはもう私を生かしておく必要なんてないのだからね」
「そうだね」
「??何の話をしてんだお前ら」
「もうライダー、バーサーカー、キャスター、アーチャーの四騎が消えたわ。もう一騎が消滅したら、私は徐々に壊れていくと思う」
「……あなたは聖杯だからね」
キリエと明は話が分かっているようだが、一成を始めセイバーとアサシンにも全く話が読めない。二人に代わって一成が話の腰を折って割入る。
「は?聖杯?キリエが?聖杯って最後の一組になったマスターとサーヴァントに与えられるもんじゃないのか?」
「カズナリ・ツチミカド、あなた自分の家で聖杯戦争の話を聞いたのではなかったの?」
一成は一度実家に帰宅した際に聖杯戦争を始めるに至った話を聞いているが、キリエが聖杯という話はついぞ聞いていない。
「聖杯の魔法陣がこの土地にあるってことは聞いたけど、何だ、お前が聖杯ってのは!!」
キリエはため息をついた。しかし「他にも話したいことがあるし」と前置きすると、ウィダーインゼリーのキャップを締めてから一成に向き直る。
「あなたは聖杯戦争を、選ばれた七人のマスターがそれぞれサーヴァントを呼び出して戦い、最後の一組が何でも願いを叶えられる戦いだって思ってるわよね?……それは本当だけど、目的じゃないわ」
「本当だけど、目的じゃない?」
「そう。確かに聖杯で願いは叶うわ。けれど目的は別にあるの。春日の聖杯のもとになった冬木の聖杯の目的は――根源に至ること。アインツベルン流に言えば、第三魔法の成就。その方法として聖杯戦争という儀式が考案され、副産物として願いが叶うようになったと言う方が正しいの」
一成は何言ってるんだと言わんばかりにキリエを凝視している。キリエは説明を続ける。
「聖杯戦争の為にマスターが英霊を召喚する。戦って英霊が消滅すると、彼らはどこに行くと思う?座に帰るのではないわ。座に帰る前に、一度小聖杯である私の中に入るのよ」
言われてみれば、祖父の嘉昭は春日の地に配された魔法陣のことを「大聖杯」と呼んでいた。その時は単に大きさ、規模を表す「大」だと一成は考えていたのだが違うようだ。
「御爺様は「春日の地にある大聖杯」とは言ってたけど、小聖杯なんて全然言わなかったぞ」
「もしかしたら、あなたの御爺様は貴方が既に多少知っている前提でお話していたのかもしれないわね。それはともかく、サーヴァントは消滅したら一度私の中に回収されるわ。聖杯戦争が終わりを迎えるまで。……そして七騎すべてのサーヴァントを」
そこまで言って、キリエはまずいと言わんばかりに口を覆った。しかし、キリエが一番気にかけた相手はまるで頓着せず、あっさりと言い放った。
「……俺のことなら気にするな。根源、とやらに至る為には俺をも含めたすべてのサーヴァントを殺す必要があることは、可能性として知っていた」
「ハァ!?なんだそれ?俺は聞いてねーぞ!」
いの一番に反応したのはアサシンだ。しかしキリエも明も、一成も皆が驚いて口をあんぐりと開けているのはセイバーに対してだ。その知識は決して召喚されたサーヴァントが持ち得るものではない。最も動転しているのは明で、彼女はずっと「根源に至る」願いであるとセイバーに言っていた。
「セイバー、あなた、なんでそれを知っているの」
「前に召喚された戦争で知ったことだ。ただ此度の聖杯と仕組みが同じかまでは知らなかったから、こちらでも皆殺しの必要があるかどうか確信はなかった。そのあたりの事情はあとで土御門からでも聞け」
セイバーが霊体化できない理由は、明と一成は先ほど聞いて知っている。キリエはセイバーを気にかけながらも、話を戻した。
「……七騎全てのサーヴァントを殺し、七騎分の英霊が一気に英霊の座に戻ろうとする力を利用して根源に至る穴を穿つ。それを長い年月をかけて集めた大聖杯の魔力で穴を固定し、根源に行く。これが目的なの。「根源に至る」以外の願い――たとえば大金持ちになるとか、この世界を平和にするなんて願い、つまり世界の内側で完結する願いなら、サーヴァント五騎、多くても六騎の魂があれば大抵は叶うわ。けれど、「根源に至る」ということはこの世界の外に飛び出すこと。抑止力を超える為には、サーヴァント七騎分の魂は必要なの」
「そんなこと俺たちは聞いてねーぞ」
「そうでしょうね。根源に至る、と言う願いは即ち最後に自分のサーヴァントも殺すことを意味するもの。サーヴァントにも願いがあるなら、最後には裏切るつもりのマスターになんか従わないでしょうしね」
アサシンは胸糞悪いと不快気に眉を顰めたが、セイバーの様子はやはりいつもと変わらない。彼は当然のように気になった疑問を口にした。
「そうだとすれば、そもそもこの聖杯戦争とやらには戦う必要性はないのではないか」
「ないわよ。マスターだってサーヴァントを呼ぶために依代として必要なだけで、呼んだらあとは用なしなの。何でも願いが叶う、というのはマスターを集めるための謳い文句。サーヴァントを召喚してすぐにマスター全員で自分のサーヴァントを令呪で自害でもさせれば、殺しあう必要はないわ」
明がキリエの後を継いで説明をする。「でも、聖杯を使えるのは一組だけ。そりゃ使用権を巡って争いにもなるでしょ。だから利害の調整として、戦った最後の一組だけが願いを叶えられるっていう風になったみたい」
明の後を継ぐ言葉はない。五人が五人とも黙っていて、重い空気が支配する。かろうじて一成は了解の意を示した。しかし。
「……そうなのか。っていうか碓氷知ってたなら言えよ」
「教える流れにならなかったでしょ」
明は流石に申し訳なさそうな顔をしたが
「あとは私が聖杯って話よね。カズナリ・ツチミカドの為に説明してあげるわ」
キリエは顔色一つ変えていないが、また「魔術」の世界特有の人を人とも思わない話だと一成はわかる。彼の祖母が聖杯の核となるために身を捧げたような話だろうと。聞く前から渋い顔になるのを隠せなかった。
「私の体の中には本当に「聖杯」が入っているのよ。むしろ聖杯に人間の外装を取り付けたって言う方が正しいわ。だけど人間、私はホムンクルスだけど――の体に英霊なんて規格外の魂をそう何個も入れておけないの。私が人間のカタチを保てるのは四、五個が限界かしら。今の時点でバーサーカー、キャスター、アーチャー、ライダー――四つの魂があるし、そろそろね」
「限界って、限界を超えるとどうなるんだよ」
一成はあまり聞きたくない話だと既に予感している。それでも聞かなければならない類の話と、彼はつばを飲み込んだ。
「だんだん本来の姿に戻るわ。人間の外装が剥がれ落ちていって聖杯そのものに戻っていくの。五感が失われていくとでもいうのかしら。その時の補助の為にメイドが一緒に来ていたのだけど、セイバーの宝具でダメになってしまっていたわ」
「――!!」
「私は聖杯を得る為だけに生まれた」とキリエはかつて一成に言った。その言葉は正真正銘、徹頭徹尾間違っていなかった。たとえキリエが聖杯戦争に勝ち抜いたとしても負けたとしても、聖杯が完成して戦争が終わるときに命はないのだ。キリエ本人はそれを理解し、所与の事として受け止めている。
「ただ、不思議なのは四個の魂を持っているのに、私が特に苦しくないこと。それに、何かこう、聖杯戦争が始まってからずっとなのだけれど、私の中にある聖杯にもやがかかっているような感じがするの」
「うーん……」
一成の気持ちをよそに、キリエは眉を寄せた。明はキリエの不調に対して答えを直ぐには出せず、唸っていた。
殆ど魔術師らしい考え方をしない一成には、キリエをおかしいとしか思えない。しかし――これまで「聖杯」の事だけを考え続けて生きてきて、死に向かいつつあるキリエの生を否定することは、彼女そのものを否定することでもあるとわかる。
聖杯戦争後の生が存在しない彼女をどうすることができるだろう。悶々と反芻する一成とは違い恬淡とした明は話の続きを促した。
「そういや他に話したいこともあるって言ってたけど。というか、多分私が聞きたいのもそっちの方だと思う」
「そうよ、むしろこちらの方が重要よ、アキラ・ウスイ」
キリエは少し躊躇したが、意を決して真実を口にした。
「私は聖杯戦争が始まる前からオユウと組んでいたわ」
それに一番に反応したのはセイバーだ。明も一成もセイバーもアサシンも、それを聞いて衝撃はあるが、雷に打たれるようなというほどではない。今の言葉が正しいとすれば、何故、キリエはセイバーを奪うのではなくランサーを奪いに行ったのか、その疑問が解けるからだ。
「……こちらもあの神父から「聖杯戦争を何事もなく終わらせる」という名目のもと、ランサーのマスターと共闘を持ちかけられていたが」
「お前らもんなことしてたのかよ。全くどいつもこいつもしらけるな」
教会・ランサー・セイバーの関係を知らなかったアサシンは、大げさに肩をすくめた。しかしキリエは全く驚いた風もなく取り澄ましている。
「それも知っているわ。でも、貴方とオユウが組んでいたのは精々聖杯戦争が始まる少し前くらいからでしょう?私とオユウは春日の聖杯戦争が構想された時――三十年以上前から組む約束だったもの」
「さんじゅっ……!?っていうかあの神父は、もしかして聖杯戦争の開始に関わってんの!?」
勢い余って明は噎せた。せき込みながら、その衝撃で傷が痛んで背中を丸めた。セイバーが「横になっていろ」と言ったため、明はおとなしく布団に潜った。
「おい碓氷、大丈夫か!?つーかキリエ意味がわかんねーんだけど」
「やっぱりそっちは知らなかったのね。あたりまえだけど、カズナリ・ツチミカドにもオユウの事は言わなかったし」
キリエは「監督役と結んでいるなんて他の陣営にばれると面倒なのよ」と呟いたのちその話は後にしましょうと脇に置く。ついでに一成と共に教会に向かった時、まるで神父と初対面であるかのように振舞っていたのも、当然演技であった。彼女は咳払いをして仕切りなおす。
「オユウはアインツベルンと共に春日の聖杯の発端に関わっているわ。何故かは知らないけれど、彼は聖杯戦争という儀式について興味を持っていたようよ。三十年前、オユウは春日の監督役になるために魔術協会を辞めて、聖堂教会へ入ったの。「神秘の漏えいをすることなく、聖杯戦争を完遂する」ためにね。オユウに信仰心なんて一かけらもないわよ」
一成、特に明は言葉を失った。物心つく前から教会の神父であった神内御雄は、明がこの世に生まれる前から聖杯戦争を画策していたというのだ。
明にとって神内御雄神父は立場上心を許す相手ではないが、父とも知己の仲であり、協力を仰がれることも多かった。何を考えているかわからないのは昔からで、今更言い立てるほどのことでもなく「そういう人間だ」とずっと思っていた。
魔術師が聖杯戦争に興味を持つと言うなら話は分かる。だが、「聖杯戦争の監督役となるために魔術協会を去った」というのは俄かには受け入れがたい。「聖杯」を求めるのではなく、「監督役」を求める意味は何だろうか。逡巡する明を置いて、キリエは話を進める。
「そして聖杯戦争が始まることになった時、オユウはこう言ったわ。「碓氷の管理者と魔術協会から派遣された魔術師と協力関係を取り付けた。そちらから得た情報も提供する」って」
「神父は最初からアインツベルンにしか協力する気がなかったのか?」
一成の問いに紅い目の少女は肯う。「途中まではその通りだったわ。私はセイバーとランサーが得た情報を、オユウから教えてもらったわ。バーサーカーの下りも、カズナリ・ツチミカドに言われなくても知っていたわよ」
明たちはキリエの存在など、一かけらも神父から聞いていない。一成の言うとおり、神父が初めからアインツベルンにしか協力する気がなかったのはわかったが、ならば今の彼女の状態どういうことなのか。
「でも、私貴方たちにアサシンがいるなんて全然知らなかったわ。オユウも一言も言わなかったもの」
アインツベルンだけに協力するというなら、それは不自然である。明はキャスター戦の前に神父に対し、アサシンが仲間になったことを伝えていた。しかしそれはキリエに伝えていない。やはり、神父が何をしたいのかがわからない。
「私、最初はセイバーを呼ぼうとしたの。日本武尊ではないけどね。でも失敗してキャスター……酒呑童子を呼んでしまった。まさか間違えるなんて思っていなくて……、最初からこんなミスをしてしまって、本当に勝てるか不安になったの。だから山で魔力を貯めこんで、陣地以外では戦わないようにするつもりだったわ。アーチャーが裏切ってきたのは望外だったのだけど――二騎のサーヴァントを得ても、私は動かなかったわ」
膨大な魔力量と二騎のサーヴァントなら、陣地に誘い込みさえすればどんなサーヴァントでも倒せるだろうと神父は言ったが、キリエは不安だった。
そこへ持ちかけられた話が、ランサー強奪計画である。神父曰く、ランサーのマスターは既に聖杯戦争を戦う気力が失せているため、もしキャスターとアーチャーを連れて強襲をかければすぐに渡すだろうとキリエに勧めたそうだ。
その話を、キリエが疑うことはなかった。そもそも、聖杯戦争が始まるずっと前から、彼女が神父を疑うことなどありえなかったのだ。
「オユウはね、私がメイドやアインツベルンの者以外で私が知ってた唯一の人間なの。たまにお城に来た時にしてくれる話が、とても楽しみだったわ」
三十年もの間、白亜の城に一人きりだったキリエに小さな楽しみを運んでくる神父を、彼女は何の疑いもなく信じた。そしてその言葉の通り、ランサーはあっけなく彼女のものになったのである。
「あとはもう知っていると思うけど、ランサーは心から私のサーヴァントになったわけではなかったわ。でも令呪もパスも私にあって、確かに私がマスターではあったの。ランサーとエーデルフェルトが連絡を取り合う方法なんてなかったはず。でも、とにかくランサーはハルカ・エーデルフェルトを手引きして私を襲って、令呪を奪ったの」
神父はランサーを奪われたハルカの事を、「もう戦う意思はなく、棄権するようだ」と明たちに伝えていた。のちのハルカの行動を見れば、棄権などお笑い種だ。
明が神父に違和感を覚えたのはそこであり、ハルカと神父は何かを企んでいると思った。しかし――。
「……意味が分からない。あの神父は何をしたいのだ」
セイバーの言う通りである。キリエを謀りランサーを渡し、再びランサーを回収しにハルカが向かう。神父は「平和裏に聖杯戦争を終わらせたい」そうだが、この虚偽はその目的には全く関係ない。
「……とりあえず、あの神父とランサーのマスターは胡散臭いってことか」
「……じゃあ、美琴は?」
明は心配そうにキリエに目をやった。あの猪突猛進の気があるなじみの修道女はどうなったのか、今までの話では一切出ていない。明とて彼女と会ったのは、神父が開催を宣言した時が最後である。
「多分何も知らないとは思うけど、今となってはどうかしら。何も知らせず体よく彼女を使っているのかもしれないけれど、本当は何か噛んでいても不思議じゃないわ。でも私は彼女とは手を組む話をしたことはないの」
明は顔を曇らせたが、キリエは本当にそれ以上を知っていそうにない。知っていたとしても、隠す理由がない。溌剌とした修道女の行方を気にかけながらも、明は視線を小さなマスターに戻した。
「……で、何であなたはそんなランサーのマスターから逃げ出せたの?」
明の目は、ランサーのマスターに操られるなど何か魔術的な手を加えられているのではないかと言っている。その疑惑の瞳を跳ね返すように、キリエは小さな胸を張った。
「私は聖杯そのものよ。その辺のテキトーな魔術師が使う程度の魔術に侵されることはないわ。それに暗示にかかっているかくらい、あなたならわかるでしょう?」
「ざっと見、おかしなところはなさそうだけど」
それはそうだと明も頷かざるを得ない。そもそも暗示にかかった者には何らかの違和感がある。しかし――キリエは隙を衝いて逃げたということを言っていたが、ハルカは易々と聖杯であるキリエを逃がすだろうか。
一同を見渡してから、少女は弾みをつけてロッキングチェアから飛び降りる。ついでに飲み干したウィダーインゼリーをゴミ箱に放り込んでから、唾棄すべきといわんばかりに絨毯の模様を睨みつけた。
「オユウも限りなく怪しいけれど、あのランサーのマスターも底が知れた者ではないわ。それに、あれは本当にハルカ・エーデルフェルトという人物なのかしら」
「?どういうことだキリエ」
「どういうことも何もその通りよ。エーデルフェルトといえば、北欧で宝石魔術を得意とする、なかなか歴史を重ねた名家よ。名門の魔術師である彼が、拳銃……というのかしら?のような下品な兵器を使うとは思えないの」
生粋の魔導の家系に生まれ、聖杯としてだけでなく魔術師としての流儀を身に着けたキリエは、魔術戦において現代兵器を使うことを忌んでいる。しかし明とて扱いに長じているわけではないが、身を護るためにある程度の知識はある。
そしてこの戦争は命を落としかねない危険なモノで、報酬は何でも願いが叶う聖杯だ。ならば拳銃位持ち出すこともありうると思う。しかし、キリエはさらに重ねる。
「アキラ・ウスイやカズナリ・ツチミカドには常識だと思うけれど、魔導は代を重ねるほど強く濃くなるものよ。ゼロとは言わないけれど、一、二代しか重ねていない魔導の家から、いきなり魔導を極める天才が現れるなんてありえないの。家系で得意とする魔導があるのもそういうことよ。生まれで決まってしまうものよ」
アサシンはそういうものか頷いていたが、セイバーは何故か複雑な顔をして明を見ていた。
「そこでエーデルフェルトだけれど、あの家は力の流動と転移が特質なの。私から令呪を奪った心霊医術なんて、専門外のはずよ……もちろん私はハルカ・エーデルフェルトの力を知悉しているわけではないけれど、疑わしいことに変わらないと思うわ。どうかしら、アキラ・ウスイ」
「……神父は昔からハルカ・エーデルフェルトと知り合いだったみたいだけど。そして私の父もハルカとは知己で、交流もあったみたいだけど……」
そもそも明は聖杯戦争が始まるまで、ハルカのことなど欠片も思い出さなかったし今でも思い出せていないのだ。思い出したところで十年以上前のことで、当てにはならない。
「そう。あと最後に、不可解なことがあるわ。霊器盤よ」
キリエも明と同様に、御雄から霊器盤によるサーヴァント現界状態を聞いていた。しかし、明らかな齟齬が生じている――今となってははっきりわかるのだが、元気に現界し続けているアサシンが、霊器盤上では消滅したことになっているのだ。
可能性としては、本当に壊れている。または、確認を行っていたのが神父だけの為、彼がわざと偽りを伝えていた。しかし仮に後者だとしても、なぜそうしたのかが全く分からない。
一同を重い沈黙が包んだが、そこでキリエは勢いよく両手を叩いた。
「話すことは話したわ。で、私の部屋はどこかしら」
「「「……は?」」」
アサシン以外の三人の気持ちが一つになった瞬間だった。今までの真面目な話を既に忘れ去ったかのような顔で、小さなマスターは偉そうに両腕を組んでいる。
「私は話すべきことを話したわ。ならしばらくここにお邪魔するわ。カズナリ・ツチミカドには土下座して「ここにきてくれ~」って頼まれてしまったしね。勿論私の部屋には最高級のスイートを所望するわ」
「…………………碓氷、頼む」
彼にしては珍しいほどのインターバルを挟んで、一成は頭を下げた。明とて洗いざらい話すなら、という条件を出した手前今更断ろうとは思わない。
が、キリエの切り替えの早さは異常である。
「……土下座したんだ」
「それはしてねぇ!!」
一成は必死の形相で否定したが、全員にスルーされた。
明は流石にキリエを疑惑の教会に行かせる気も起きなかった。それに「聖杯」であるキリエを匿っておくのは何かで役に立つかもしれない。また、たとえキリエ自身が戦争を諦めずセイバーを奪いに来ても、人間の身では太刀打ちはできない。
態度がLサイズなことを除けば、滅多なことにはならないだろうと明は判断した。
「……そうだね。私今動けないから、父の部屋に土御門とアサシンでいい感じに寝床作ってあげて。セイバー、こたつこっちに持ってきていいから今日からは私の部屋ね」
セイバーは完全に呆れた目つきだったが文句は言わない。だが、一成が腹に据えかねたように口を出した。
「おいセイバーと碓氷が同じ部屋ってのはどうなんだよ」
「どうも何も別に普通じゃん。サーヴァントとマスターなんだからさ。というかホテルでもそういう部屋割りだったし」
「前から思ってたけどお前は危機感がない!もうすこし警戒しろよ!サーヴァントとはいえ男だぞ!つーか、お互い全裸に近い状態でケロっとしてんのはどうなんだよ!!」
ホテルにおいて全裸でゴロゴロするセイバーと、バスタオル一枚の明の映像は未だ彼の脳裏に強く焼き付いている。あの時はテンパりすぎて深く突っ込めなかったのだが、かなり由々しき問題だと思うのだ。
「逆だよ一成。男とはいえサーヴァントだから気にすることなんてないって」
「土御門、くどいぞ。それに俺が明とまぐわいにより魔力を供給するという事態はまずあり得ない」
「は!?お前碓氷じゃ不満だっつーのか!?」
「……?マスターの魔力量に不満はないぞ。当然、俺と明にはパスがあり、それで魔力が供給される。そして、粘膜接触を行っても得られる魔力はマスターの持つ魔力量を超えることはない。それならば他の人間を殺して魂を回収するほうが良い」
「………」
一成は沈黙した。明はものすごく生ぬるい目で彼を眺めている。アサシンは声を殺して爆笑している。セイバーはあからさまに馬鹿にした顔を隠さない。
一成は完全に墓穴を掘ってしまい、顔を赤くしていいやら青くしていいやら石化していたが、話から置いてけぼりにされていたキリエが怒鳴ることで我に返った。
「もう!何をつまらない話をしているの!!レディを待たせるなんて紳士失格よ!」
「お、おう。……つーか、俺は認めないからな!」
完全に捨て台詞だったが、一成はキリエに手を引かれながら剣陣営の二人に向かって怒鳴る勢いだった。当の二人は完全にどこ吹く風状態で、明は相変わらず生ぬるい笑みを浮かべていた。