Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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12月6日⑤ 夜更ける

 明の父の部屋は、明の部屋と同じ二階にある。彼女の部屋よりも広く、この屋敷でスイートといえばその部屋に違いない。明はキリエの注文に頓着していたわけではないが、キリエに貸すにちょうどいい部屋がそこであったため期せずしてキリエは注文通りの部屋を得ることになった。「まぁ許容範囲ね」

 

 今まではセイバーが占有していたため、キングサイズのベッドの脇には場違いなこたつが鎮座している。キリエは部屋を一通り眺め、棚の上に載っている置物を触ったり絵画を見ている。と、キリエは勢いよく一成の方へ振り返った。

 

「それで、あなたその酷い顔はどうしたのかしら?寝ていないのでしょうけれど」

「……!」

 

 一成は息を呑んだ。キリエと別れた後に、明の部屋に戻ろうかと思っていた矢先のことであった。明に話すつもりだったが、キリエとて魔術師である。

 

「今日会った時から気になってはいたのだけれど。アキラ・ウスイは何も言わな……ああ、彼女も平気な顔をしているけれど、重傷のはずだものね」

 

 キリエが指で座りなさいと指示したので、一成はおずおずと正座した。そして促されるまま、昨夜のキャスター戦での顛末を話す。今思い出せば、アーチャー戦以前にも明の気づかなかった結界の基点を発見することもできていた。

 常の一成からすれば、それもでき過ぎた出来事である。

 

 それに、眠れないのではない。

 普通に起きている分にはいいのだが、眠ろうとするとあの黒い箱が現前する。本当は決して触れてはいけないはずのなにかに触ろうとする自分がいる。

 

 

「――千里天眼通」

 

 一成は訥々と、昨夜のアーチャー戦でなしえたことをキリエに語った。垣間見えた少し先の未来と、過去。たしかに「千里天眼通」の機能があれば成し得ることではあるが、今の今まで一成はその機能が自分にあることを存在を知らなかった。

 

「……あなたに何か、それが目覚める心当たりはないのかしら」

「……御三家は聖杯のつなぎ目から漏れた魔力が供給されてるっていう話あったろ。それか?」

「大聖杯の核はアインツベルンのホムンクルスとあなたの家の魔術師だから、アキラ・ウスイに流れる魔力よりは私たちに流れていく魔力の方がずっと多いわ。だけど、それはあくまでただの魔力。余計な力なんてない」

 

 となれば、異常の原因は一成自身にあることになる。一成と膝を突き合わせたキリエは、一成にさらに近づき、その眼を覗き込んだ。そして、彼女は息を呑んだ。

 

 

「……あなた、もしかして昨日から魔術回路を開いたままなの?」

「いやそんなアホは……」

 

 魔術回路のオンオフくらい、魔導の初歩である。言葉は違うが、陰陽道でもその基本は変わらない。いつも剣戟の音と共に回路を開き、閉じる。現にバーサーカー戦の時は普通にできていたことだ。

 

「……ちょっと見せてもらうわよ」

 

 すると、キリエはいきなり正座をしている一成の太ももの上にまたがった。十歳程度の少女とはいえ流石にギクリとしたが、キリエは気にしていない。額と額をぶつけ、その小さな手は一成の手を握っている。

 

 

「……っ!」

 

 待て、と言うよりも早く脳髄に剣戟の音が鳴り響いた。その途端に今まで張りつめていた何かが途切れ、一成はどっと疲れを感じた。

 この感じは戦いが終わり、魔術回路を閉じた時そのものではないか。キリエはそのまま一成の目を覗き込んでいる。

 

「……よく今まで動けていたわね、体力馬鹿?全身の魔術回路が開いたままで魔力を無駄に流し続けていた状態――水道の蛇口を閉め損ねて漏れつづけていた感じよ。あなた、もともと魔力が多いわけではないのだから、今日から明日にかけて絶対に魔術を使ってはいけないわ」

「……おう」

「……今日のところはどこも守りに入っているだろうけど……起きなさい、話は終わっていないわ」

 

 今までの疲れが一気に噴き出し、フルマラソンを全力疾走したような顔で今にも倒れてしまいかねない一成の頬をはたいて、キリエは話を続けた。

 

「私は陰陽師の精を受けて生まれたホムンクルスよ。聖杯戦争が始まるまで三十年あったから、それなりに陰陽道も知っているわ」

 

 普段は見えないものが視得、未来さえも垣間見たというその眼。

 

「千里天眼通――魔眼ではないわね」

「……ああ、確か魔眼じゃなくて、結局処理は脳みそで……碓氷も前にそんなこと、」

「アキラ・ウスイはあまり陰陽道に造詣はないけれど、きちんとした魔術師よ。それくらい見抜くわ。だけど、なんで今あなたにそれが」

 

 そこまで言って、キリエは一成の膝から退いて立ち、彼を見下ろした。

 

「……止め。明日にしましょう。というか一番陰陽道を知っているのはあなただし、普通の状態になれば、ちゃんと自分でわかるはずよ。今はとにかく、眠りなさい!!」

 

 びしりと指を差されて、一成はその剣幕に頷いてしまった。しかしそうでなくともあの激闘の後に貫徹状態が続いていて、彼自身も限界だった。

 

 

「わ、わかった。明日、また頼む」

「アキラ・ウスイもいた方がいいから、一緒によ」

「ああ」

 

 一成はふらつきながら立ち上がった。キリエはすでにベッドの上に座っている。

 

「じゃ、明日」

 

 扉を閉めようとした時、不意にキリエが小さな声で問うた。「ねぇカズナリ・ツチミカド。貴方は明日もこの家にいるのかしら」

 

 キリエは妙な事を聞くと、一成は思った。既に明は「キリエはここにいていい」と言っているのだから、一成がいようがいまいがキリエは困らない。むしろ自分の体について相談しているのは一成の方であり、彼こそキリエがいないと困る。

 キリエが碓氷邸にいることが決まった今、一成も当然いるに決まっている。

 

「……?碓氷はいいっつってたし、いるぞ。聖杯戦争が終わるまで居るかって聞かれたらわかんねーけど、俺はお前に相談してるんだし」

「……そういえば、そうね」

 

 キリエは顔だけ一成の方に向けて、笑った。それは安心したような、とても穏やかな笑い方だった。

 

「おいキリ「おやすみなさい。カズナリ・ツチミカド」

 

 話を遮るように、彼女は穏やかに笑って直ぐに毛布の中に潜り込んだ。相談に乗っているときはいつもの彼女だったのに、既にその背中は話しかけることを拒んでいた。だから電気を消して、一成はその部屋を後にした。

 

 先日までの激闘に比して、今日は穏やかな日であった。ランサーも今日は回復に費やし、それぞれが傷を癒していたのだろう。

 

 だが、残るは三騎。動向のしれぬ教会とランサー陣営と共に、戦いはまだ続くのだ。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 月が煌煌と夜を照らしている。長い石階段を上った果てに、朱塗りの鳥居が出迎える。

 

 そして石畳が真っ直ぐと伸びており、その先には神社の本殿が坐している。

 ここは土御門神社――この神社に祭られるは安倍晴明――信仰を得た稀代の陰陽師。京都にも晴明を神として奉る神社は存在するが、そちらもここも、魔術施設としては万全を期したものではない。

 

 陰陽道は本来――その由来である中国における陰陽五行説は、学問であり宗教ではなかった。ゆえに神道における神社や仏教における寺のような宮廟や道観を持たない。

 しかしのちに仏教・道教の影響を受け――最もはなはだしくは神道の影響を受けて、民間の信仰として生きている。

 民間信仰化したために、本流の土御門のみならずいざなぎ流など、各地に様々雑多な流派が命脈を繋いでいる。しかし陰陽道専門の施設にして総本山は、それこそ土御門一成の実家である。

 

 これら晴明を奉る神社は、魔術施設としてではなく各地に散在する陰陽道流派の支店――ここ春日の土御門神社は、本流土御門家の指示を仰ぎ四神相応の地を監視する。かつてはあわよくば奪取、の目論みもあったらしいが、今や居ついた碓氷に叶うべくもない状態だ。

 

 小高い丘にあるその神社の境内において、並ぶ灯籠によりかかった金髪の女が不満げに言った。コートも眩しく白いため、彼女自体が闇に浮かび上がってみえる。

 

「アインツベルンがあれを呼び損ねたのは失敗だったのかしら、それとも寧ろ僥倖だったかしら!?」

「私としては僥倖だと思う」

 

 あっさりと女の問いに返したのは、闇に溶け込んだような黒いカソックを身に纏う男だった。彼は安倍晴明を奉る本殿に向かい、特に願うわけでもなくじっと奥を見つめていた。

 

「前日の大戦闘で、セイバーもアサシンも疲労しマスターたちも同じ。それに小聖杯はライダーに気づいていない、叩くには今が一番だと思うのに――」

 

 

 ――公はこの世界を知らねばならぬ。

 

 

 ライダーは大真面目にそんなことを言って、単騎春日の街に繰り出している。烏だけは鳥居の上に留まって、ただ神父と女を睥睨していた。

 

「地の利は徹底的に明ちゃんにあるから、空手で屋敷に向かうのは私だって微妙よ。監理者碓氷の地脈と結界を破るには、それなりの準備が必要。でも、ライダーの剣があればそんなもの問答無用で断ち切れる」

 

 ライダーの剣は、物を断ち切るときの擬音がそのまま剣の銘となった剣。

 その剣が斬るモノは、目に見える物質だけではなく形なき魔力や概念にも及ぶ――『断絶』の概念武装。だがその剣の担い手は、前述のとおり留守にしている。

 

「やっぱりサーヴァント失格ね、それに、絶対ライダーはアインツベルンが嫌いだと思うわ」

「それは否定しないが――しかし、あれは基本的に何もかもを愛しているのだ(・・・・・・・・・・・・)。もしかしたらうまくいくかもわからない。そうなった場合の戦況を考えてみるのも一興だ」

「そんなのが楽しいのは貴方くらいだから」

 

 女がライダーを「サーヴァント失格」と評したのは、ライダーが弱いせいではない。むしろ彼はこの国においては並ぶものなき至高の英霊――神霊もどき――である。

 元来魔術師にとって「使い魔」とは、己に絶対逆らうことなく、己亡くしては生きていけない忠実なる僕である。

 その「絶対服従」という点において、ライダーはあまりにも枠を逸しすぎている。召喚、現界のきっかけとしてのマスターは必要としたが、最早憑代として彼はマスターを必要としていない。

 

 かつて冬木の戦争において、サーヴァントがサーヴァントを呼び出すというイレギュラーが発生したという。サーヴァント自体は霊体であるため、別の霊体をこの世にとどめる楔とはなりえない。ならばどうしたかと言えば――優れた霊脈であるお山の山門を憑代とし、サーヴァントを現界せしめたのだ。

 ライダーがしていることも根本的にはそれと同じだ。陰陽道の影響で大聖杯が冬木のモノより魔術的にこの土地に馴染んでしまっていることもあり――ライダーは、国内において最早マスターを必要としていない。マスターは紛れもなく神父であり、念話も令呪も使えるが、憑代としてはいてもいなくても変わらない。

 ゆえにシグマはライダーを使い魔(サーヴァント)として失格と見做している。

 

 その上一度は召喚に応じたとはいえ、それを拒否して大聖杯に居すわった英霊を再度召喚しなおすという荒業の為に、神父の令呪は既に残り一画。

 あのライダーは令呪一画では縛れない。神性と対魔力が高すぎて、二画までなら耐え凌いでしまう――この国にとっては特別な英霊。彼女の考えていることを知ってか知らずか、神父は飄々と提案した。

 

「そこまで今日が絶好だと言うのなら、ランサーをけしかけてはどうだ?アレの為に令呪の二画は残しているのだろう」

「そうだけれど、ランサー自体はセイバーと同じくらいの疲労が残っているし……むしろマスターのことを考えれば、ランサーの方が危ういくらい。やめておくわ。それに――――」

 

 女――シグマ・アスガードは嘆息しくるりと踵を返して、鳥居に背を向けた。

 

「今日こちらから攻めないならば、むしろあっちから来てもらう方がいいかもね。小聖杯も回収しなおさなければならないけれど」

 

 聖杯の娘、キリエスフィール・フォン・アインツベルン。大西山にてハルカがどさくさに紛れて攫ったその少女は、キリエから奪った令呪を神父に渡す為教会を訪れた際に、教会奥の一室に放置したままであった。

 傷も浅くなく、起き上がることも難しいと考えていたシグマは彼女に大した処置も施していなかった。そして仮に逃げ出したとしても、彼女の拠点の大西山はセイバーの宝具で原形がない。かつ生まれた時から聖杯を手に入れることだけが存在意義として生きてきた少女が、サーヴァントを失い自らの回路も傷つけられて、今更どこに行く当てがあるものかと思っていた。

 

 しかし、小聖杯は逃げたのだ。

 

 探し物は彼女の手にかかれば――魔術師でもあり英霊の魂をその身に抱えている小聖杯ならば、見つけることはたやすいだろう。けれど彼女が探すこともなく、神父があっさりと行き場所を示した。

 

 魔術的方法によるものではない。ただただ人間的に、今の、全てを失ってしまった彼女がすがる場所があるとしたらどこだろうと考えたまでの結論である。

 神父は大西山決戦の前日の昼、彼女と共に教会に現れた少年の姿を思い出す。一人では既に敗れ去っているはずか、どんな強運か運命か、未だこの戦争に身を置き続ける未熟な陰陽師。

 それを想い、神父は「もし野垂れていないのならば――あれは碓氷の家にいる」と、シグマに告げていた。

 

「施した処置は完全じゃあないけれど、小聖杯の視界を覗くくらいならできるかも。でも流石に小聖杯自身にはバレそうだし――でももしかしたら碓氷のお宝を」

「ところでシグマ、聖杯降臨の準備とお前自身の準備は進んでいるのか?」

 

 ぶつぶつと自分の世界に入りかけたシグマから、聞くべきことは聞こうと神父は問いかけた。

 

「?当り前よ。正直聖杯よりも私の方に時間がかかるのだけれど、それは美琴ちゃんの助けを借りることにするわ。脳みそ筋肉でできてるみたいだけど、素体としてはなかなかに優秀ね。どこから見つけてきたの?」

 

 神父の養女であった神内美琴――教会においてハルカに倒された彼女は、まだその命を保っている。保ってはいるが、それだけである。

 

「特に何の目的があって娘にしたわけではない。使おうと思い立ったのは後付だ」

「まあいいけれど。便利なことには変わりないし」

 

 

 シグマは美琴と大聖杯の様子を見に行くべく、そのまま左手に曲って神社の社務所へと足を進めた。彼女の魔術特性と神父の願い――ライダーの願いは街を歩き回る今は定かではないが、それらは矛盾することなく共存している。

 

「私の命は、聖杯戦争の為にある」

 

 碓氷の娘は、根本的には聖杯に願いなどない。むしろ自己の破滅を望んでしまっていた節さえある。それに加えあれは、無辜の民を巻き込む惨事を望まない。ゆえにこの目的を知れば、それこそわが身を捨てて殺しに来るだろう。

 そして争いを人間には不可避なものと知りながら、聖杯戦争――欲望の戦いを認めない陰陽師も、また同じ。

 最初は、聖杯戦争さえ起こればそれでよかった。それだけで、神父の願いと欲望と魂は完結する――はずだった。もし自分が初めから「いまの願い」に自覚的であったならば、聖杯獲得へ最短の道のりを取っていたのだろうかと、神父は沈思する。

 

 ――それは、ない。ただただ効率よく敵を屠り、最短の道で目的を遂げる。結果だけを求めて戦うなど――。

 

 それを見るのは楽しいが、自分がするには性に合わない。ライダーは言う「道中楽しもうではないか」と。意味があるのはその過程。戦いそのもの。

 

 土御門神社。遥か地下深くの胎動を感じながら夜は更ける。鳥居の烏は何も言わない。


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