信じていたかった、と言った方が正しいかもしれない。
体は神で、心は人で、運命は剣。
されど彼が人であるには、神に近すぎた。しかし神であるには、人に近すぎた。
そして一振りの剣であるには、あまりに余分なものが多すぎた。
――――結局彼は、そのどれにもなりきることができなかった。
どれにも徹しきることができず、ただ中途半端なままに生きながらえて、何もなせずままに終わったどうしようもない生涯。
たとえ死後に国土平定の英雄、並ぶもの無き武の皇子、英雄と名を残そうと――
ほかならぬ彼自身は、己の生を意味のない、ともすれば害悪であると思っていた。
今でも、日本武尊は彼の女を思い出す。
彼女は死出の旅路ともいえる東国への遠征へ、しつこく同行を願い出た。彼自身「死ね、と言われているも同然」と解しているのだから、彼女もこの東征が死出の旅路であることを知っているはずである。
その上女の身でついてくることは無理だと何度も言いつけたにも拘らず、彼の女はついてきた。結局周囲をふらふらされるのも危なっかしいため、近くに置いておいた方がまだましという理由でなし崩し的に同行することになった。
それ故に、なぜそこまで彼女が共に旅に出たがるのか、さしもの日本武尊も聞いたことがある。大抵の答えは「少人数で男だけの旅などむさくるしすぎるじゃあありませんか、ここは私という潤いが必要とされてると思いまして」「ここまで気合の入った妻なんて私くらいだし、っていうか旅中は基本小碓様の夜はひとりじめゲヒッ……ハッ心の声が」「だって帝から暗に「イチャイチャしてこいよ!」って言われたようなもんじゃないですか?困難を超えて夫婦のきずなを深める的な?キャー!!」などと少々正気を疑うモノだったのだが、流石に本心とは思えない。
「大丈夫大丈夫、小碓様アホ強いからなんとかなります。チャチャっと片づけて大和に帰って、お疲れ様
……彼の女は常にこういうことを抜かし、能天気でいつもへらへらと笑っていたが、それでも決して愚かではなかった。無論口にしたような思いがあったとしても、それが全てだとは思えなかった。
しかし無理に聞き出す必要はない、と日本武尊は聞くのをやめた。彼女が突拍子もないのは今に始まったことでもなく、また適当な時に聞けばいいと思っていた。
否、それよりも――もうついてくることに決定したなら、彼はその理由を聞く必要を感じなかった。彼女がいるなら存在を考慮にいれて戦うだけで、戦闘上において、その理由ははもうどうでもよかったのだ。
――もっと言えば、彼の/彼女の生涯において、彼が彼女について知ろうとしたり理解しようとしたことはほぼ皆無と言っていい。
日本武尊が生涯において、自ら求婚した女はただ一人。それ以外の妻は周囲の勧めや取り決めで夫婦となることになったのであり、彼女もその中の一人だった。
最初に夫婦と言う形だけがあり、形に添ってそれらしくしていただけの話だった。
現代の人が、普段吸う空気に礼を言わぬように。普段飲む水に礼を言わぬように。そして、置いてくるつもりであった東征にすらついてきたことがさらに拍車をかけ――日本武尊にとって、その女はただただ当然のように傍に「在る」ものだった。
だから知ろうとしなかった彼には、彼女が何を思って強硬に同行を願い出たのか、わからない。
今も、昔も、そして永遠に。
その女の名は、弟橘媛。
走水の海にてその身を賭して世界を斬った、彼の妻である。
*
東征往路も佳境に入ったころだったか。相模から上総国に渡るために走水海を船で渡ろうとした際、晴れ渡った天候もあり、目指す対岸は目に見えるほどに近かった。
そのために日本武尊は呑気に「すぐにこんな海くらい渡れるだろう」と言った。日本武尊としては決して海の神を侮ったつもりはなく、本当に見たまま思ったことを口に出しただけだったのだが、海の神はそれを聞きとがめた。
そうして神の怒りは、一行の船を異界へと連れ去ったのだ。
それは本当にこの世ではなく、神の空想が具現した異界だった。出港した船は、海の神が起こした嵐の世界に囚われ、全く進むことができなくなってしまった。
暗黒色の空の下、凌いで待てども待てども雨も風も止まず、激しく白波を立てて海は荒れ狂うばかりだ。稲光は下から上に走り抜け、黒々とした空から降る雨はまるで槍が降り注いでるいるかのよう。しぶきを上げる波は巨大な地震がずっと続いていることを連想させるほどに激烈だ。
最早この海は海ではなく、神によって呪われた戦場。
しかし、日本武尊のいる船は沈まない。水神・八岐大蛇の尾より出でた天叢雲剣の剣――水神の加護を持つこの剣がある限り、彼の居るこの船が沈むことはありえない。
だが、ここから先に進めるかどうかは別の話である。
日本武尊は神を殺せる。だが、世界を殺すことはできない。もし海の神が出てくれば、その刹那に術者である神を殺すことはできる。さすれば彼らはこの異界から解き放たれ、あっという間に対岸に到着するだろう。
しかし、その海の神が何時顔を出すかなど、誰にもわからない。
神の生み出した異界の海。剣の持ち主である日本武尊が単身海に飛び込み潜って、神を斬り伏せることは可能である。だが、そうした瞬間にこの船は神剣の加護対象から外れて、一瞬にして呑み込まれてしまう。かといって剣を船に置いたまま海に潜れば、日本武尊が死ぬ。
だから今必要とされるのは神を殺す力よりも、「世界そのものを斬る力」だった。しかし、日本武尊に世界を斬る力はない。
だから、彼は只管神の姿を見つけるべく荒れ狂う波濤を見つめ続けていたのだが、待てど暮らせど神は姿を見せなかった。
船は沈まなくても、足止めをくらい時間ばかりが無為に過ぎる。当初すぐに到着すると想定されていた為、船に乗せている食料は僅かで、何日もこの異界に留められては根を上げるのはこちらである。
東征軍の焦燥は募り、船の船頭たちは陰で話し出していた。
「これだけお怒りになっている海神を鎮めるためには、誰か乙女を供えなければ――」
日本武尊はその声を無視した。この旅に出る前、伊勢神宮で一人誓ったことがある。
『帰るのならば、全員で帰る』と。
己が死ぬのはともかく、何の咎もない仲間たちが死んでいいはずはない。だから己はすべて殺さなければならない。人であろうと、獣であろうと、神であろうと。
たとえ既に、幾人かが黄泉路へと旅立っているとしても変わらない。
しかし今、彼に打つ手はなかった。徒に時が過ぎていく。船の外にいては、まともに立つことも、目を開くことすら困難な嵐に巻き込まれてしまう。真夜中のような暗さで、時折閃く黄泉の雷鳴がかろうじて光を齎す。誰もが船の中に籠り、悪夢のような嵐が過ぎることを祈っていた。
そうして、どれくらいの時が経ったのか。とりあえず船内にて仲間と船頭たちの状態を見ていた彼は、ある違和感を抱いた。船内はそう広くなく、全体を見て回ったはずなのに、ある一人の姿がどこにも見えない――。
日本武尊はまさかと思い、今にもひっくり返ってしまいそうな船の外に躍り出る。
その果てに、信じがたいモノを見た。
船の先に、その衣服をずぶぬれにしながら立つ女の姿があった。海の上に敷物を置いて、すでにその上に立っている。
荒れ狂う海だ、そのような敷物など一瞬にして海の藻屑となってしまう――!
「……小碓様……見つかっちゃいましたか」
周りの者、従者がことごとく日本武尊のことを日本武尊と呼ぶようになってからも、彼女だけは頑としてその名前で呼ぼうとしなかった。その理由を、彼は知らない。
弾丸のような雨粒に打たれている彼女は呆けたようにいつもの名で呼んで、一瞬まさかという顔をした。その顔が見えたのは、彼女のすぐそばを稲妻が過ぎ去っていったからだ。
弟橘媛はいつもと寸分変わらない笑顔で叫んだ。嵐の中でも間違いなく届く様に。
「今まで、本当にありがとうございました。あの時、相模の国で、燃える火の中で、名前を呼んでくださっただけで私はもう十分です」
これは現実か――日本武尊は飛沫の上がる船の上を走る。だが、中から出てきた仲間が死にもの狂いで止めにかかる。彼らは皇子である日本武尊を死なせるわけにはいかないのだから。
それでも日本武尊は妨害を振り切って、嵐の船の上へ躍り出る。
頼りない敷物の上で、今だに彼女が無事であること自体が奇跡的だった。彼女との距離がどれくらいか――船から僅か十歩程度のところにいるようにも見えて、遥か遠くの彼方にいるようにも見える。
異界ゆえ感覚が狂っているのか、それとも。
「こんなところで足止めくらっちゃだめですよ。御役目果たさないといけないんですから」
最早、何を言っているのかわからなかった。濡れた床に足を取られ滑った時に聞こえた、凛冽なる声。
そして、やはり彼女はいつも傍らにあるように変わらず笑っていて、平時と寸分違わぬ口調で、告げる。
「大丈夫ですよ、だって貴方は、この国で最も強いんですから――日本武尊」
高い波濤が彼女を襲う。あまりにも頼りない敷物はついに槍の如く突き刺さる雨に砕かれて崩壊する。暗闇に世界が包まれ、そして彼女の姿が視界から消え失せる時に見た、最後の顔は――見えない。
世界は暗黒と轟音に聾され、稲妻の光も彼女の顔を照らすことなく、どうしても見えなかった。
だから、彼はただ手を伸ばしてその名を叫ぶことしかできなかった。
「、弟橘――――!!」
伸ばした手は届かない。世界は暗闇に包まれた。海の底から、ひときわ高く押し寄せた青白く光る波は、神の手だったのか。
弟橘媛を飲み込んだ海は、今までの嵐が嘘であるかのように静かに凪いでいた。うららかな日差しが降り注ぐ恵みの海。あれだけ進めなかった船も、今はすいすいと海を進んでいく。
這う這うの体で対岸についた時、一行はこの恐ろしい航海に疲れ果て休息を求めていたため、この海岸に宿を取り暫く休むことになった。
そして対岸についてから、日本武尊はただぼんやりと海を見ているだけだった。何も言わず、何も食べず、何も語らず、眠りも取らず。ずっと浜辺で水平線の向こうを眺めて、何かを待っていたのだ。
見かねた部下が無理に宿に連れ込んで寝かせようとしたが、彼は頑として海岸から動かなかった。
旅の最中、彼女はよく遅れた。女ゆえ弟橘媛の歩みはどうしても遅いのだ。それでも、足を止めてしばらく待てば彼女は絶対に追い付いてきた。追いついてこなかったことは一度もなかった。
だから此度も自分が足を止めて待ってさえいれば、彼女は絶対に追い付いてくる。「遅れました!すいません!」と、悪いと全く思っていなさそうな顔で、追い付いてくる。ゆえにいつもの通り、彼は自分の妻を待ち続けていた。
日が暮れて、日が昇り、日が暮れて、日が昇り、何日経っても、待ち続けた。
「遅いぞ」
曲がりなりにも彼女の夫である自分が待たねば、誰があれを待つと言うのか。
誰が「媛様はもういません」と言っても、待つことを止めても、自分だけは待っていなければならないのだ。
あれは戦う力を持たない。だから旅において、自分が傍にいて護らなけれならない。
ゆえに日本武尊は、彼女が追い付いてくるのを、海辺でずっと待っていた。
しかし、かの妻の入水から七日後。星の良く見える、空気の澄んだ夜。海は凪いで、さざ波が僅かに遠く聞こえる静かな世界。
待ちがてら手持無沙汰に浜辺を歩いていた日本武尊は、ふと眼の端に不思議なものを捉えた。海藻や枝のような自然物ではないもの――それは、加工が施された茶色の櫛だった。
驚くべきことに、それは弟橘媛が常に身に着けていた櫛だった。海に落ちたその櫛が、日本武尊が目指した海岸と同じ場所に流れ着き、かつ日本武尊がその櫛を見つけ出す。それ自体が奇跡といえるほどの偶然だった。
彼はそれを拾い上げたが、砂を落とすために何とはなしに海水に浸して洗ってみた。
海水にぬれて僅かに色を深めたそれを撫でた時、日本武尊はやっと、本当の意味で理解した。
――――あれはもう帰ってこない。もうこの世界のどこにもいない。
水面に月が映る程に凪いだ海の様に、日本武尊の心は恐ろしいほどに静かだった。
――帰るのならば、全員で――。
その願いが、もう果たされないことは弟橘媛が消える前からわかっていた。
相武の国での火計、襲撃、この櫛の歯のようにただでさえ少ない仲間たちは、ぽろりぽろりと、数人が命を落としていたから。
静寂の中に、かの声だけが繰り返し聞こえた。
――「大丈夫ですよ、だって貴方は、この国で最も強いんですから」
日本武尊はその櫛を手にそうか、とひとり呟く。
頑なに小碓と呼び、日本武尊と一度も呼ばなかった彼女が最後にそう言ったのだ。
「我が妻よ――」
妻はその身を海に投げてまで、日本武尊の東征の成功を祈った。今わの際に、そう願った。
日本武尊――この大和で最も強き者であれと。
ならばそれに応えよう。全員で帰るという願いが果たされずとも、亡き者が命を懸けた願いが残っているのなら、日本武尊は命に代えても聞届けなければならない。
「――いかなる敵も、いかなる神も、全て平らげて見せよう」
この東征の旅が始まった時から、引く道などどこにもなかった。進むためには勝ち続け、東征を成し遂げる以外の選択肢はなかった。それは今も昔も変わらない。
早かれ遅かれ、人は死を迎える。
残された者ができることは、死んだ者の思いを持っていくこと。
その願いを遂げることだけだ。
だから――道半ばで散った者達が、そして彼の妻こそが――東征の成就を望むなら、日本武尊の名が真であることを望むなら、本当にそうでなければならない。
もし日本武尊の名が嘘であれば、彼らの願いは、死ねと言われているに等しい旅についてきてくれた彼らの思いは、何処へ行く。
今更、この足を止めることはできない。
――喜べ、お前たちの願いは叶う。
日本武尊は叔母から賜った剣を砂浜に突き立てた。他には誰もいない。丸い月がその姿を照らすのは、日本武尊ただ一人だけ。
漣の音がだけが四十万に響く、暗く静かな夜に一人、佇むその顔には深く笑みが刻まれている。
この感覚は何かに似ている。そう、東征に出る前に「父帝が自分に死んでほしい」と思っていることを知った時に似ている。だが、その時とは決定的に違うことがある。妙に気分がすがすがしい。
何かがずっぽりと抜け落ちて、体の中が空洞になったような。
それは喜ばしいことだ。
体が軽くなれば、もっと速く動ける。もっと速く動ければ、もっと多くの敵を殺せる。
*
――アレは、戦のできる女ではない。むしろ、剣や弓を取れば何故か扱いを間違えて自分を傷つけてしまうような女だ。武の神、
弟橘媛に戦の才はない。日本武尊は武の才能に男女の別はないと思っているが、それでも弟橘媛は絶望的に不向きであった。
流石に彼女自身自覚していたため、戦闘に口出ししたり参加したりすることはなく、後ろで控えているだけだった。
だからこそ、日本武尊はこう思っていた。
「自分が死ぬ時はこの女も死ぬ。自分が生きているなら、この女も生きているのだ」と。
前線に出て戦うのは日本武尊だ。別働で戦い、その際に仲間が死亡するケースは考えられたが、戦えぬ彼女は違う。彼女が殺されると言うことは、既に日本武尊がその敵に殺されていることを意味する。
はっきりと言えば、彼は「彼女とは生きるときも、死ぬ時も同じ」だと思っていた。
だから、まさか、いつも自分の後ろをついてきた彼女が。
自分を置いて手の届かない場所に行ってしまうことを、寸毫ほども考えていなかったのだ。
人は脆い。天災で、病で、怪我で、あっさりと死ぬ。
自分こそ、多くの人間を容易く屠ってきて、そのことを最もよく知っているはずなのに、彼女だけは例外と思っていたのか。体さえ護ればいいと思っていたのか。
あまりにも間抜けで滑稽で、あまりにも致命的な慢心だった。
*
走水海を越えてからの日本武尊はそれこそ神がかった強さで敵を斬り、神を斬る。
立ちふさがる全てを薙ぎ倒して屍を積み上げる。自分の体すら顧みずにその戦う姿には、味方すら畏怖させる鬼気迫るものがあった。
そしてついに東の果てにたどり着く。
東方十二国の果て、常陸の筑波山の神を下して日本武尊は己が来た道を振り返る。大和への帰り路に従えるべき者どもはいるが、それでもこれまで以上の危険はない。
ここまで共に歩んだ部下たちも、大和へ帰れることへの喜びを隠さない。皆のその姿を見て日本武尊も久しぶりに笑った。
――見たか、弟橘媛。俺はお前の願った通り、東征の完了に近づいたぞ。
後は残り少ないまつろわぬ者を従えつつ帰路につくだけだ。見事東方十二国を平らげて帰る自分たちはきっと歓迎されるに違いないと――そこまで考えて、日本武尊は凍りついた。
――この東征の旅に出て、何年が経過した?
――そもそも、父帝は途中で俺が死ぬことを願ってこの旅へ向かわせた。俺が気づいているということは、大和の周りの人も俺が疎まれていることを知っているだろう。
――そんな人間が帰ってきても、喜んで迎えられるのか?
旅に出たころは、その場その場を必死で戦ってきただけだった。
しかし、今や「生きて帰る」ことが現実として迫っている。『全員で』生きて帰る願いは破れたが、今も共に戦う仲間がいる。その仲間――部下たちは絶対に無事に帰るべきであり、彼らもそれを喜ばしいと思っていることは、今の喜ぶ姿で明らかだ。
だけど、自分は?無事に大和へ帰れたとしても――
父帝に「早く死ねばいい」と思われながら、もっと遠い場所へと戦いに行くことになるのではないか?
また、仲間を行きたくもない死刑代わりの旅に付き合わせるのか?
それとも、少数で東征を成した実績を立ててしまったから、今度こそ一人か。
その想像は全身から冷や汗が出るほど悍ましいものだった。尊敬する父帝から「死ねばいい」と思われていることに気づいた時の空虚は今でも忘れていない。
東征以上の旅を命じられれば、それこそ異郷の地に身を沈めることになるだろう。
――もう俺が大和に戻ったところで、誰も喜ばない。
喜びに沸く仲間をよそに、日本武尊は再び己が来た道を振り返る。
先などないと思っていたこの旅路の先に、生きる光明は確かにちらついているのだ。
それに向かって直走ればいいのかもしれない。されど、それは真に光明であるのか?
光明ではなく、索漠として暗澹たる旅路が広がっているだけではないのか?
全員で帰ろうと、願った。それこそが一番だと思った。
仲間は間違いなく大和、そして彼らの故郷に帰らなければならないが、自分は。
――なあ、弟橘媛。もう、いっそ、大和に戻らない方が――
問いかけても答える人も、いない。どんなに自分が武功を立てても、父帝は喜ばない。
何が悪かったのか。兄を誤って殺してしまったことか。勝手にイズモタケルを殺したことか。
それとも大和を追い出されても、帝に実質「死ね」と思われていても、仲間を妻を殺されても、自分だけがのうのうと生きていることそのものか。
振り返れば落日の夕日が、長い影を投げかけていた。日が沈み、日が昇り、日が沈み、日が昇り、を繰り返す。それと同じだと、日本武尊は思った。
斬って、殺して、斬って、殺して、斬って、を繰り返す。否、同じではない。日が沈んでもまた昇る。終わりがあって始まりを迎える。
だが、己には終わらせることしかできない。殺すことしかしていない。
この旅に出る前に告げられた、叔母の言葉が蘇る。
「もし、人の心が分かるなら」
あの時、兄を殺さなかったのか。兄を殺さなければ、そもそも熊襲討伐に行かなかったか。仮に行っても勝手にイズモタケルを殺すこともなかった。
そして死刑代わりの旅に出ることもなく、仲間も妻も、巻き込まれて死ぬことはなかったのだろうか。
「こんなことには、ならなかったのか――」
何故、ばかりが繰り返されて答えはない。己が影で「あれは人ではない」と言われていることは知っていたが、今までは「人間離れしている」という程度で、強さを讃える言葉の一つとしか考えていなかった。
だが、今に至りそれは別の意味をもつのではないかとの思いが過る。
――己は人として、壊れている。
それでも東征の復路にて、彼は正しく日本武尊だった。
誰も彼も日本武尊の最強を、東征の成功を疑わない。己が勝ち続けることが仲間の支えたるならばと、彼は最強であり続けたのだ。
その「最強」という外装の内側がただの伽藍堂だったとしても、彼は必死で外装を取り繕い続けたのだ。
天之御影(アメノミカゲ) 鍛冶・刀工・刀剣の神。
東征の途中でミヤズの兄ちゃんとかは死亡(ヤマタケとは別行動だけど)