Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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12月7日④ 生まれた時から決まっていた

 外は晴れており、少々風が吹いているが暖かい。無理を押して小走りで進みながら、明は私鉄を使って春日駅まで急いだ。パスでおおよそセイバーのいる位置はわかる。おそらく春日駅周辺にいる。正直、何を言ってどう謝ろうかまで考え至っていない。

 

 自分をないがしろにするな、と言われても、ずっとこうしてきてしまったからどうすればいいのかわからない。明は考えをまとめきれないまま春日駅に到着してしまったが、それでも思ったことがある。

 

 もし本当にセイバーが自分の人生を無意味どころか害悪だと思い、共に生きた人たちに対して罪悪感しか持っていないとするならば――あの願いはどこか変だ。

 

「……しかし、駅前っていってもなぁ……」

 

 相変わらずの駅前は、仕事に行きかう人、レジャーに向かう人で溢れている。このなかからあのセイバーを探し出さねばならない。とりあえず、パスの気配を頼りに足で探す。

 

 やるしかない、と明が顔を上げた時、急に後ろから呼び止める声がかかった。

 

「あ・き・らちゃ~ん」

 

 妙に甘ったるく、それでいて艶めかしい声だった。一度碓氷邸にやってきた女姿のキャスターのそれに通じるものがあるが、それよりも遥かに意図的なものを感じた。

 キャスターは悪鬼であったが、彼女自身に嘘偽りと悪意はなく、甘ったるい魔性も誰彼かまわず振りまかれるものだった。だがこれは、明確に明を志向している。

 

 

「……どなたですか」

 

 警戒しながら振りかえると、その相手は思った以上の至近距離に立っていた。振り返った明の右手が掴まれるくらいの近さだ。

 

「やっとこの姿で会えたわ」

「……だから、どなたですか」

 

 目鼻立ちの整った、二十代半ば過ぎの美女だった。豊かな金髪が風になびく、豊満な肉体をもつ女だ。同じく空気を孕んだロングスカートが膨らんでいる。明の手を掴んでいる女の手は、見た目の華奢さとは裏腹に絶対に離すまいとする力が込められている。

 女はどこか淫蕩さを含んだ眼で明を見つめ、花唇を開いた。

 

 

「ランサーの本当のマスター、といえばいいかしら?」

「は……っ!?」

 

 明が驚愕した瞬間に、女は明の手を強く引きさらに空いた左手で腰をとらえて引き寄せた。二人はぴったりと密着し、明は女に抱きしめられている格好になる。吐息がかかるほどに近く、女の碧眼が明の目を捉えている。

 

「な、なに、あなた、ランサーのマスター……!?」

 

 ランサーのマスターはハルカ・エーデルフェルト。目の前の女とは似ても似つかない。仮にそうだとしても、魔術師にここまで近づかれて明が気づかぬはずはない。強力な魔力殺しのアイテムでも身につけているのか――そこまで混乱した頭で考えた時、ぞわりと総毛立った。

 

 女の白魚のような手が、明のスカートの中に滑り込んで柔い尻の肉を撫でている。明は反射的に女を退けようともがいたが、怪我のせいでうまく力が入らず激しい抵抗ができない。

 

「太もも、古傷だらけね。でも嫌いじゃないわ、そういうの」

 

 どこまでも澄んだ碧眼が覗いている。艶やかな花唇が明のそれに近づいて、「女、そこまでにしておけ」

 

 白く細い女の首を、後ろから何者かの手が掴んでいる。ライダースジャケットを着たセイバーが、女の首を掴んでいる。

 明を見る甘ったるさは掻き消えて、無感動な声で女は言う。

 

 

「……まだ昼なのに気の早いサーヴァントね」

「昼だから殺さないでいてやっている」

 

 女はぱっと明らから体を話すと、軽やかな身のこなしで明とセイバーから距離を取った。先ほどのまでの陶然とした表情はどこへやら、冷たく高貴な雰囲気が女を取り巻いている。

 

「本当に邪魔なサーヴァント。明ちゃんとベタベタして」

「……待って。ランサーのマスターって言ったけど、あなたは何者」

 

 通りかかる人々が、じろじろと三人を見てくる。ここで聖杯戦争の話をおおっぴらにするべきではないとわかっているが、何も得ずに逃すわけにもいかない。

 

 

「シグマ・アスガード。ランサーの、本当のマスターよ」

 

 女――シグマ・アスガードは冷酷に微笑む。彼女は優雅に明の横を通り過ぎると、その存在感がなかったかのようにあっという間に雑踏に紛れた。

 

 

 

 

 シグマ・アスガードという女が去り、ちらちらと明たちを見る人々もいなくなった。人々の交錯する駅前に、セイバーと明が残されて立っている。セイバーを探すために飛び出してきた明だが、いざ目の前に現れると気まずい。

 セイバーも同様なのか、言葉を発さずに、ちらちらと明を伺っている。今の女の事など色々と言わなければならないことはあったが、一番先に出てきた言葉は全く別の言葉だった。

 

 

「セイバー、帰ろう?」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 明はセイバーの手を引きながら家への道を歩いていた。二車線の左側の歩道を歩いており、散歩やランニングをする人たちとすれ違う。道並に植えられた木が遅い紅葉を示し、落ち葉が道をうずめている。

 あんな喧嘩をした後でも、セイバーは助けに来てくれた――その事実が、明に少しの落ち着きを与えていた。

 

「……セイバー、ごめんね。私、契約を辞める気なんてないよ。頭に血が上ってたからあんなこと言っちゃったけど」

「……それは、よかった」

 

 後ろから聞こえる声は、あからさまに安堵した声音だった。

 

「あとさ、聞きたいんだけど、私、願いは根源って言ってたよね。それって、最後にセイバーは私に殺されるってことだよ。……セイバーはそれでいいの?」

 

 セイバーは先日「明に願いなどない」と言ったが、それまでは普通に「根源に至る」という明の願いを信じていたはずだ。つまり、召喚された日から彼は「最後にはマスターによって殺される」可能性を承知で明に従っていたことになる。

 

 

「俺の目的は他陣営に勝つことだけだ。それは聖杯を得る条件でもあるから、マスターは俺を殺すわけにはいかない。まず俺の目的は果たされる。その後に俺が死ぬことでマスターの願いも叶うなら問題はない」

「――それは、本気?」

 

 明は振り返る。冬の木枯らしが寒々しく吹いている。セイバーは少し逡巡した後、それでもはっきりと言葉を口にした。

 

「……英霊はもう死んでいる。俺は死体が剣を握ってかろうじて動いているようなものだから、それが改めて死ぬことでお前の願いが叶うのならばそれでいい」

 

 明は、セイバーが何を望もうと構わないと思っていた。それがどんな願いであれ、この春日や日本を害するモノではないかぎり、彼が好きにするべきだと。

 何の根拠もなく願いを間違っているということは彼を侮辱することだと。

 

 ――でも。

 

 

 明は右拳を握りしめた。手加減などはいらない――そんなことをすれば、決して何も伝わりはしない。

 

「こんの、大馬鹿サーヴァントがぁ!!」

 

 予想だにしていなかった攻撃に、セイバーは明の拳をまともに顔に食らった。けが人、しかも女のパンチくらいでセイバーはびくともしないが、それでも眼を丸くしていた。

 

「な、なんだマスター」

「今日の朝のお返し!!セイバー私を殴ったでしょ!!」

「あ、う、そ、それに関しては……済まなかった」

 

 セイバーは文句は言う。明がたてた方針に対してこれは可笑しいと意見を言っていたし、本当に勝つ気があるのかときついことも言っていた為に明は気づかなかったが、彼は最終的には明の言い分を全て呑んでいる。

 明はてっきりセイバーの「許せる範囲」に自分の要求が入っているのかと思ったが、それは違う。

 

 端からセイバーには、「マスターの意向を拒絶する」という選択肢が存在しない。「言うことを聞かせたいなら、令呪を使え」と彼が言うことは絶対にない。

 

 どんな無茶な命令だろうと、明が「やれ」といえば彼はする。夢――セイバーの過去でだって、彼は「死ね」と言われたにも等しい東征という命を受けた時も、嘆きはすれど父帝を恨んだり謗ったり怒ったりすることはなかった。

 

 勿論当時のセイバーからすれば、帝の命を断ることはできなかっただろう。

 しかし、そうでなかったとしても彼は断ったのだろうか。

 

 

 ――ただ、親しい人の願いを叶えたかった。

 

 それが始まり。セイバーが抱いた原初の願い。誰もがそう思う気持ちを理解できる、小さな願い――でも、それはどうしても彼に叶えることができなかった。

 そんなちっぽけな願いの主に生まれながらにして与えられた神命は、彼を英雄とならしめ、小さな願いを砕いた。

 

 誰も助けられず、誰も救えず、誰の願いも叶えられず、その己を許せずに望むものは「かつての親しき人が己に望んでいた願いを叶える」、すなわち最強。

 

 けれど本人は気づいているのか。「人の心がわからない」と自覚しているのに、彼はどんな理由を以て「かつての仲間たちが、妻が、日本武尊の最強を望んでいる」と思っているのか。

 

 人の願いを叶えたい。だけど、自分にできることは戦うことだけ。

 だから、かつての人々が願ったことは戦いに関することでなければ自分には叶えることができない。

 だから、かつての人々の願いは(・・・・・・・・・・・・・・)戦いに関することであってほしい(・・・・・・・・・・・・・・)。 

 

 

「セイバー、あなたの最強なんて、誰も望んでない。それを望んでいたのは、『親しき人たちには、そう願っていてほしい』と思っていたあなただけ」

 

 

 誰が望んでいるのかも定かではない願いを抱え、ずっと一人戦い続けてきた英雄。この呪いのような願いが生まれてしまったのは、何か一つが原因とは言えない。それでも、この願いにセイバーが縛り続けられていいはずない。

 

 

「……マスター!?」

 

 明はセイバーを抱きしめた。当のセイバーは驚いて突き放そうとしたが、明の剣幕に押されて止まった。まだ続けなければならない言葉は多かったが、言葉の体を成さなかった。だから出たのは、思いだけ。

 

「……だから世界との契約なんて、やめなよ。やだよ」

 

 セイバーが明の責務を否定したように、明はセイバーの誓いを否定する。この思いはきっと勝手なもので、セイバーは怒るだろうと思った。

 それはちょうど、朝食の時に明がセイバーに対して怒ったのとまったく同じだからだ。知らぬうちに声は湿りを帯びて、明は泣いていた。しかし、明の声は間違いなく聞こえているにもかかわらず、セイバーは怒らなかった。

 何も言わず、答えず、ただ泣く明の背をさすっていた。

 

 

 

 泣く明に抱きしめられながら、セイバーは妙に落ち着いた心境になっていた。あまりにもわかりすぎて、最早受け入れるしかないと理解してしまったからだろう。

 

 人の心がわからない。昔も今も、死したのちも。そんなこととっくにわかっていたのに、何故彼らの願いが最強と思っていたのかと言われれば、明の言うとおりだ。

 

 過去は変えられず、死人は蘇らず、なくしたモノは取り戻せない。ならばその過去となくしたものに報うべく戦ってきたつもりだが――愚かすぎて涙も出ない。

 

 最強になっても誰も喜ばないならば、戦う意味がない。ならばセイバーは聖杯戦争を降りるのかといえば、その気もない。

 目の前にいる、碓氷明というマスター。明がセイバーの過去を見たのと同様に、セイバーも明の過去を覗き込んでいる。

 

 

 ――明は、自分の命をどうでもいいと思っている。

 

 魔導をなさねばならぬと知りながら、一方で魔導などどうでもいいとも思っている。

 魔術を学ぶということは、人に生まれた体を「魔術師」という血に濡れたモノに変える事。そして何代も続いた、先祖代々の願いを引き継ぐために、神秘を成すモノになること。その責任は、「イヤだから」の一言で逃げ出せるものではない。

 それ以前に明の魔導に適し過ぎた体質は、魔を呼び込む。望むと望まないとに関わらず、生きるためには魔術を学ぶ選択肢しかなかった。

 

 ――姉を犠牲にし、先祖の願いを背負って、魔導を学ぶ。お前は素質もあるから、立派な魔術師になれると何度も聞かされてきた。

 

 けれど、明の別の部分は違うことを考えていたのだろう。

 

 ――それって、そんなに価値ある事?魔導を極めるって、そんなに大切?そんなに魔術師って偉いの?

 

 ――こんな苦しいことよりも、普通の家族みたいに、普通に幸せであるほうが、ずっと――

 そう思えど、彼女に魔導を捨てることはできない。

 優れた体質は、他の選択肢を許さない。先祖代々の責任も投げ捨てることを許されない。

 

 だから、自分の事を諦めた。そのかわり、せめて普通に幸せである人たちがいればいい。彼らが幸せであるのを見て、その幸せを追体験して、満たされよう。

 

 ――何事もなく、聖杯戦争を終わらせるために――。

 

 魔導の素質は生まれでほとんどが決まるという。だから、彼女がその道を歩くことは生まれた時から決まっていて、どうしようもないことなのだ。

 あまりにも凡庸な願いと在り方に宿ってしまった、優れ過ぎた魔術の素養。

 

 

「……お前が俺を呼んだことは必然だ、マスター」

 

 セイバーの服で涙を拭いていた明は、無言のまま頷いた。おそらく同じようなことを、明も考えていたのだろう。

 

 セイバーは日本の英霊が呼び出されうる戦場には優先的に召喚される。さらに触媒がない場合、召喚者と性質の近い英霊が召喚される――要するに、似た者が呼び出される。

 そうだ、セイバーと明は似ているのだ。

 

 ――行き過ぎた素質は、本人の意思をも裏切って進む運命(みち)を規定していく。

 能力が向いているからといって、嫌が応にも果てしのない道を歩く辛さをセイバーは知っている。

 己に未来などない、と諦めたまま生きながらえる苦痛をセイバーは知っている。

 

 ――自分と明は、生き物としてどこか欠けてしまったのだ。

 

 そこまでわかっておきながら、セイバーは己がマスターにかける言葉を持ち合わせていなかった。それでも、セイバーは全てが終わったわけではないことをわかっていた。もし明が本当に全てを諦めているのだとしたら、彼女はもうここにはいない筈だ。

 

 

「……とにかく、明、泣くな」

「……お~い……」

 

 その時、セイバーの背後、明の正面から聞き馴染んだ声が聞こえた。ものすごく居心地が悪そうで気の引けた声だった。

 明とセイバーは二人して声の方に顔を向けると、そこには買い物帰りらしき一成とキリエ、雨合羽のアサシンが立っていた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 セイバーが去った後も、ライダーは駅前電光掲示板の前の広場にて、適当なベンチに腰を掛けていた。そこへ姿を現したのは、金髪に碧眼の美女――シグマ・アスガードだった。今その美貌には険があり、文句ありげにライダーを見下ろしている。

 

 

「探したわよ、ライダー」

「おや、何かと思えばお前か。公に何用か?」

 

 とぼけた様子のライダーに向かい、シグマはその表情のまま口を開いた。

 

「聖杯と貴方のことについて話があると言ったはずだけど、あなた朝から歩き回っているんだもの」

 

 駅前は人に満ちている。金髪の美女と白髪の美男の取り合わせは嫌でも人目を引くはずなのだが、当人たちは何故か注目を集めない。それはシグマが自分とライダーから視線を外し誘導する魔術を周囲に掛けているためだった。

 周囲の一般人はシグマとライダーが見えていながら、認識できていない状態にある。

 ライダーはあまり興味もなさそうに、鼻で笑った。

 

 

「ほほう、わざわざ公を探しに来たか。しかし大した話ではない。既に大聖杯を見たのなら、民草(おまえ)にもわかろう。道楽神父はアレを冬木の複製といったが、本当にあれは冬木の複製なのだろうよ。穢れも、全てな」

 

 神父は聖杯の正体を最初から知っている。シグマも大聖杯の在り方を見て、神父の言葉に納得をした。確かにこの聖杯は願いを叶えよう――但し、非常な悪辣を以て。

 だから、シグマが気にしているのは聖杯の正体についてというよりは、それから出でたライダーのことだ。

 

 

「――最初にアインツベルンに召喚された貴方は、召喚を途中で拒んだ。だけど拒んだ後、貴方は神父の召喚に応じるまでどこにいたの?」

「決まっておろう。英霊を呼ぶのは大聖杯。それに一度は諾と答えたのだから、座にはただでは戻れない――となれば、行く当ては大聖杯そのものでしかなかろうよ」

「それはわかるわよ。だけど、呪いの塊になってしまった大聖杯に浸かって、どうして平然としているのかしら」

 

 膨大な魔力を伴った呪いの塊たる大聖杯に、英霊が居座り続けて正気を保てることがシグマには不思議だった。そして彼女がそれを問うのは、この戦争を勝ち抜くためもあるが――彼女はただ知りたかった。基本的に彼女が動くのはその程度の理由であり、満たす為だけにある。何でも知りたがる姿は、妖艶な姿とは裏腹に無邪気な子供に似ている。

 

 

「――通常は無事ではおれまい。だが、大聖杯の場所とある犠牲がそれを可能にした。そして犠牲もあったが、恩恵も多い」

「犠牲って何かしら?」

 

 しつこく問い続けるシグマに飽きたのか、ライダーはベンチから腰を上げるとどこへともなく歩き出す。しかしすぐに何かを思い出したらしく、女へ振り返った。

 

「気が向いたら語ってやろう。しかし民草、お前は神父の願いを叶えるということでいいのか」

「いいのよ?根源に至るにしても、これまで成功した人間が皆無の聖杯なんて、何かしらの呪いの因果の可能性もあるしね。調べるにしても、これからじゃ時間がかかりすぎるし……それに、神父の願いが叶えば、この地にはウジャウジャ魔術師が集まるじゃない。貴方こそ、この国の人間がたくさん死にかねないのにいいのかしら」

「先日それは言ったはずだ。公が死んだ時に、この国は公の手から離れている。この国は公の庭でありながら庭ではない――ゆえに今生きる者が、この国が滅びる選択を望もうと、公が否定するほどのことではない」

 

 その言葉を聞いて、シグマははてと首を傾げた。「あら、あなた、この国が好きなのではなくて?」

「当たり前だろう。この公が民草を愛さぬわけはない」

 

 ライダーは、遥か高みから下々を睥睨するかのような尊大さで当然のように言った。しかし「愛」と言う彼の口調は、確かに常より優しさを帯びたものである。だが先ほど、ライダーはこの国が滅びても構わないと言ったばかりだ。

 この男のいう「愛」は、おそらく現代で一般的に語られる愛とは違う。愛しているから守り大事にしようという心の動きとは無縁の境地にある。

 

 

「まあ別に、あなたの愛の形がどうであれいいんだけど」

 

 シグマは腰に手を当て、やれやれと言わんばかりに溜息をついた。基本的にシグマの視線は、明に対してのみならず常に不躾と評されるほどに遠慮のないものである。それはライダーに対しても変わらない。

 しかし、神父に対してのみは違う。彼女曰く、同じ過ぎてつまらない。

 明に手を出そうにも、昼間では都合も悪く、基本的にはセイバーが貼りついている。シグマは大聖杯の元に戻り、ある準備を進めようと考えていたところ、いきなりライダーが振り返った。

 

「民草、お前はあのセイバーのマスターが欲しいと言っていたな。とすれば、お前にとってセイバーは邪魔者ということになるな」

「ええ」

「だがしばらく放っておけ。公は公の後を継いだ者の力を知りたい。神々の出した一つの解の形に興味がある。それに、あれ自身の答えも」

 

 シグマは初めて、ライダーに対し鋭い目を向けた。今や彼女の目的には神父の願いの成就があるが、明はも重要な目的の一つには変わらない。ライダーはシグマの険のある視線を意にも解さず、雑踏へと歩き出した。

 

 ランサーを用いてセイバーを殺すことは、宝具とそのタイミングで可能であろう。だが、勝手に行えば、シグマはライダーに殺されるだろう。

 

 このライダーを縛れる者は存在しない。神父には残り一画の令呪があるが、令呪一画では高すぎる神性と対魔力でライダーに命令を強制できない。その上、依代としてのマスターを必要としていない。

 神父は最初からライダーのああだこうだと命令する気はなく、ライダーが戦いさえすればそれでいいと考えている為、彼らの相性は良いといえば良いのだろう。

 

「……サーヴァント失格」

「褒め言葉として受け取ろう、草。それより公はこれから映画なるものを見る、供をせよ」

 

 英霊の戦いは英霊に任せればいい。シグマは魔術師を食らうだけ――彼女はライダーの後を追った。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 春日の住宅街にある、ハルカ・エーデルフェルトが拠点にしている洋館。一昨日夜の激闘により、ハルカの魔力もかなり減っていたために昨日一日は回復に費やした。

 恐らくセイバーやアサシンも同じだろうと、ランサーは霊体化し、自身も回復に専念した。

 

 だが、丸一日を回復に費やしても、それに見合った回復が全くなされていない。

 

 要するに、ランサーの魔力源――ハルカの魔力が戻っていないのだ。ベッドに横たわるハルカからは、健常な状態とは思えないほど微量な魔力しか渡ってこない。

 

 

『これはおかしいぞ』

 

 一昨日の戦いでは、山に乗り込んできたハルカと合流したランサーは再び別れた。ランサーはキャスターへ、ハルカはキャスターのマスターへ。

 ハルカはキャスターの召喚した部下である茨木童子と一戦を交えたらしいが、無事にハルカはキャスターのマスターを連れて先に山を下った。魔術の身体強化を使い、かつ「たくしー」でも捕まえられれば、早々に拠点に戻っていてよい筈だが、彼が戻ってきた時刻とランサーが戻った時刻の差は、僅かにハルカが早かった程度だった。

 

 ハルカが離脱したあと、ランサーはキャスターとの戦いに鎬を削っていたため、ハルカがどこにいたのかは知らない。

 少し気になって遅かったなと尋ねたところ、ハルカは山を下りてからもキャスターが消滅するまでは、キャスターの結界に阻まれ山から出ることはできなかったからだと言っていた。

 

 その時に気になったことは、ハルカが連れ去ったはずのキャスターのマスターの姿がどこにも見えなかったことだ。一体何の為にさらったのかを問いただしたかったが、深く眠りにつく彼を見て、後回しにした。

 同時にランサーも消耗していた――宝具の解放よりも、それに至るまでのキャスターの猛攻を凌ぐ経緯で消費した魔力減少によるものが大きかった。

 

 だが、一日が経過し流石に黙ってはいられなくなった。

 

 

「ハルカ!邪魔をするぞ!」

 

 ランサーは二階のハルカの部屋の扉を、勢いよく開いた。カーテンを閉め切って薄暗い部屋の窓際に据えられたベッドの上には、人一人分の盛り上がりがある。

 ランサーはつかつかと歩み寄ると、太い手でそれを揺すった。「ハルカ!」

 

 人間の体温を感じるものの、反応は何もない。焦燥に駆られたランサーは毛布をはぎ取って、己がマスターを直視する。

 

「おい!どうした!何があった!!」

 

 仰向けになった顔には血の気がなく、青いどころか白い。いつの間にか痩せ細ったその体は、腕は、ともすれば折れてしまいそうな気さえした。しかし目立ったが外傷はなく、ランサーと離れていた時に傷を負ったわけでもなさそうだった。

 それだけにこの衰弱ぶりが不可解で、ランサーはさらに焦る。必死に頬を叩き、目を覚まさせようとするうちに、その微動だにしなかった瞼がぴくりと動いた。

 

 非常に緩慢な動きで瞳が覗くが、焦点があっていない。「ハルカ!」

 

 

 夢と現をさまようハルカの左手が、ランサーの腕に触れた。二画の令呪が残ったその手が落ちる。

 

「……二画?」

 

 キャスターにその身を受け渡す前のハルカの令呪は、二画であった。だがその二画とともにランサーをキャスターのマスター・キリエに受け渡し、キリエの令呪は八画となり、ハルカの令呪は失われた。

 それから、ランサーとアーチャーを従える為にキリエは二画を消費して六画となった。それを心霊医術とやらで無理に剥奪し、ハルカの手には六画の令呪がある――はずである。しかし、何度ハルカの手を見ても二画の令呪しかない。

 

「――残りの四画は……」

 

 ふと、ハルカが身じろぎした。ランサーのマスターはその目にやっと己が従者を映して、言の葉を紡いだ。

 

 

「あなたは……誰ですか」

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