Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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第1幕 前哨戦
11月26日① 聖杯(ヒジリノサカズキ)の娘


 今際の際に、男は思う。薄れゆく意識の中で、己の生を振りかえる。

 称賛された。憧れられた。当然、嫉妬もされた。

 それは、その男が人々の思うとおりに「幸運」であったからに他ならない。

 

 男自身もそれを認める。どのような行いを前世でし、想像を絶する幸運に恵まれたのかと人びとに首を傾げられたほどである。本人も、今振り返っても信じられないような、図ったかのような時、人生の節目で幸運にであった。

 

 しかし、どんなに幸運であろうと不幸であろうと死は逃れようもなく訪れる。

 

 そして、権力の頂点を極めたものは常にその先に不老不死を求める。

 ただ、この男は違った。

 

 不老不死を求めるのではなく、死後に別世界に行こうとしたのである。

 男は仏なるものを信じ、死後、極楽浄土より迎えがくることを願って死の床についた。

 

 死後、男は衝撃を受けた。あれほど固く信じていた浄土にたどり着いたのではなく、己が「英霊」というものになり、この世界を守護する一端を担う力となったことである。

 

 そして男は思う。浄土には行けなかった。

 

 その幸運を称揚された男は、己の生を振り返って自問する。

 

 己は確かに幸運であったが、果たして真に「幸福」であったのだろうかと。

 

 

「幸福」とは如何様なものか。そのことを思う度に、男は生前の一人の人物を思い出す。

 

 

 生前、其の男に決して問うことのできなかった疑問が、今でも胸に燻っている。

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

(何だ今の夢……)

 

 酷くぼんやりとした目覚めである。自分のものではない、遠い過去の夢を見ていたような気がする。

 一成はとりあえず布団から上半身を起こすと、何か体のだるさを感じた。元々寝起きがいい方ではないが、いつもの布団で寝たのではなく全く違う布団で眠ったような、そんな違和感が体にある。

 首を傾げながら、ひとまずテレビをつけると病院の話題が上っていた。駅から徒歩十分ほどの場所にある総合病院の話題である。何でも大きな医療ミス―――患者の容体を管理する機器――に重大な欠陥があり、手術後の容体急変に気づかず複数人の死亡者が出たとの話が大きく取り上げられていた。

 

「物騒よなぁ」

 

 一成が食パンを焼きもせずベッドの上でそのまま貪っていると、傍らにアーチャーが姿を現した。もうワイシャツとスーツのズボン姿が異様に板についてしまったサーヴァントである。選ぶにももっとラフな格好をすればよいものだが、本人曰く「生前も正装することが多かった故、このくらいの方がむしろ楽なのだ」とか。

 

「ああ、命かかってんだから本当にな」

 

 飄々としたアーチャーもこのような事件にはまともな感情を持つのかと内心思いながら、一成は答えた。

 

「全く戦うなぞ本来は私の役目ではないのだが、多少はやむを得ぬな、全く」

「?何の話だ?」

「?聖杯戦争とやらの話だ」

 

 アーチャーは別にテレビのニュースにコメントを付けたわけではなかった。

 しかし一成としては今、そちらの話の方が聞き捨てならない。

 

 

「何かあったのか?」

「そなたも感じておろう。おそらく、聖杯戦争は始まっておる。つまり、全サーヴァントが召喚されたのじゃ」

「!?」

 

 一成は噛んでいた食パンを噴出して噎せた。呆れた眼でアーチャーが見てくるが、気にしていられない。

 

「本当か!?」

「斯様なウソをつく意味があるか?一成、そなたも感じておろう。もはやこの春日の地は、そなたの知る春日の地ではなくなりつつあるぞ」

 

 今朝のだるさは気のせいではなかったということか。

 人外の存在を七騎も呼び出し、夜な夜な人知を超えた戦いを繰り広げる土地は普通の土地ではなかろう。

 

「そういうわけだ。遊んでられるのも今日の昼までじゃ。というわけで私は遊んでく「まてぇい!!」

 

 霊体化して出かけようとするアーチャーの首根っこを寸前でとらえる。文句タラタラであるのを全く隠そうとしないアーチャーを座らせて、一成はベッドの上に仁王立ちする。

 

「なんじゃ」

「なんじゃ、じゃない!作戦だ!俺たちが聖杯戦争で勝ち残るために作戦を練るんだよ!」

「ナンジャタウンとやらもいいのう」

「だからナンジャじゃない!!」

 

 先ほどまでの寝起きの悪さはどこへやら、一成はエキサイトしてアーチャーを指差す。

 だがアーチャーはやれやれと首を振る。

 

「全く、それなら昨日にも話したであろ。まずは索敵しつつ、共闘、もしくは休戦協定を結べる相手を探す。仮にセイバーなどがやたら強かったとするぞ。それをターゲットにして他サーヴァントと手を結び、セイバーを破る。強い一体を撃破する前に他のサーヴァントにも渡りをつけておく。こちらは宝具解放を控え、できるだけ同盟者が宝具を解放していくように仕向ける。こちらも同盟者が大体の概要を掴める程度には力を開示していく……」

「ちょちょちょ落ち着けアーチャー」

「そなたが落ち着くがよい」

 滔々と作戦を述べる速さについていけなくなり、一成はストップをかけた。「昨日も聞いたけどよ、ややこしい!しかも俺たちが考えていることなんて他の連中も考えてるだろ」

「だろうな」

「じゃあもっと別の方策も検討したほうがいいんじゃねーの」

「検討しようにも検討するための材料がなかろう。敵はこんなマスターだ、サーヴァントだと妄想するよりも実物を見ぬと始まらぬ。つまり方策を考えるにも敵を知らねば意味がない。そして敵を知るには、夜をおいて索敵を行うより他に無しつまり私はナウタイム遊びに行く」

 

 一成は再び霊体化で消えようとするアーチャーの襟首を掴んだ。

 

「どんだけ遊びたいんだお前は!!っていうか、それじゃ俺外出れないけど!?アサシンとかには一発で殺されると思うぜ!」

「む。そういえばマスターの天敵とされるクラスがあったのう。忌々しいことよ」

 

 アーチャーは舌打ちをして肩をすくめた。聖杯戦争が始まった今、マスターを一人でふらふらさせていてはあっという間に殺されてもおかしくはない。

 しかしアーチャーは歪みなかった。

 

「なら今日一日は引きこもっておれマスター」

「何様だお前はァーーーーーーーーーーーー!!」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 結局アーチャーは一成の剣幕に折れ、豪遊を諦めた(アーチャーは金などなくても舞い込んでくる質だから無一文でも気にしない)。一成は家の食料のあまりの貧しさと、これからの戦いに備えて買い出しに出掛けることにした。一成は普段着のパーカーに着替え、アーチャーはスーツだ。はたから見たら謎の二人組である。

 

「そういえば一成、そなたは「高校生」とやらで学校に通わねばならないのではないか?」

 アパートの階段を降りながら、アーチャーは一成に尋ねた。

 

「学校に行ってもいいんだけど、あんま行ってる場合でもないしな。昨日、先生には暗示をかけた」

「どのような?」

「ブラジルの親戚に不幸があったため二週間くらいいないっていう設定だ」

 

 もうちょっと他になかったのかよ、とありありと顔面に書いたアーチャーを無視して一成はすたすたと千切れ雲の浮かぶ初冬の下を歩いていく。普通の買い出しならもっと近いスーパーを使えばいいが、今は学校へ持っていく水筒も壊れていたのでそれも買うためにショッピングモールに行くことにした。

 駅周辺でもいいが、そこは小さい店がいっぱい入っている形なので日用品まとめ買いには向かない。また、駅近いスーパーは高級志向のスーパーだ。

 多少歩くが、あとは上空を走るモノレール沿いに歩いてつくショッピングモールの方が割安だ。

 

 一成は散歩がてら、今日夢に見たことを思いだす。普段なら夢など時間が経てばあっという間に薄らいでいく記憶だが、不思議と今回の夢は頭に残っている。

 マスターとサーヴァントは因果線(パス)で繋がれている為に、お互いの過去を夢として垣間見ることがあると言う。

 

 

「アーチャー、お前の過去を見たかもしれない?」

「何じゃ語尾の?は……それで、どのようなものを見た?」

「よくわかんねーけど、お前が死後は浄土に行きたかったって話」

「それだけか?」

「おう」

 

 アーチャーはため息をついたが、特に一成に文句を言うことはなかった。

 一成とて見たくて見たわけではないが、人の過去を勝手に覗くのは気分が良くない。

 

「全く聖杯ももう少し「ぷらいばしー」を考えてほしいものよな。ま、私がそなたの過去を垣間見ても文句など申すなよ」

「別にみられて恥ずかしいことはねぇ」

 

 一成は少し見得を張ったが、事実だった。小さい頃におねしょをしたとかいうことは皆共通だからきっと恥ずかしくない。だが、アーチャーは我が意を得たりと言わんばかりにニヤニヤしている。

 

 

「ほほう。だがそなたのベッド下は相当恥ずかしいことに……」

「アアアアアチャアアアアア!!」

「若いってイイネ!というかそなたベッドの下とかベタすぎてつまらんぞ!」

 

 謎のサムズアップをかまして、アーチャーは全力疾走で逃げていく。

 完全におちょくられている一成は、とりあえず張り倒すべく全速力で追いかけた。

 

 

 

 

 

 謎の全力疾走によりあっという間にショッピングモールに到着した。サーヴァントゆえにアーチャーは涼しい顔をしていたが、この寒い季節に一成は汗だくである。ショッピングモールは駅から少し離れている為、敷地面積が広く二階建てである。一階には生鮮食品、日用雑貨、薬品、化粧品売り場、フードコートがあり、二階には衣料品売り場、本屋、子供用玩具や文房具の売り場がある。屋上は駐車場になっている。

 かつては屋上の一画に子供向けの遊び場があったが、子供が転落する事故があってから直になくなったらしい。

 

 一成とアーチャーは当初の目的通り食品売り場を物色する。カップラーメン、冷凍食品は常識だ。基本自炊をしない為このような食事ばかりなので、大変偏っている。ちなみに一成自身は料理ができるが、自分の為だけに作るのが億劫で今のありさまである。気づいたらアーチャーも自分で籠を持ってきてワインやら豚肉やら野菜やら雑多に買っている。

 

「お前料理できるのか?」

「ん?私の生きていたころ肉料理系は男もやるものであった故。あとくっくぱっどとかを見て興味がわいたのでな」

 

 このサーヴァント、やたらと現代への順応性が高い。時代は違うが同じ日本であるからか。あとどう見ても一成の買っているものより値段の高いものが多く、さらにそれをどこからか湧き出た金であっさりと会計するのだろう。一成はささくれた気持ちを胸にしまって、己も会計に向かった。

 

 このショッピングモールは十五年ほど前からあるもので、昔から春日の住民には親しまれている。一階の食品売り場で買い出しを済ませ、おニューの水筒も手に入れた一成はさて帰るかと思ったところ、早速アーチャーが姿を消した。

 

 

「っったくあのクソサーヴァン……?」

 全くもって自由なアーチャーに憤慨しながらも彼を探そうとしたところ、服の裾を何者かにつかまれた。

 何かと思い振り返れば、そこには十歳程度の女の子がいた。

 

 艶やかな黒髪が腰まである、顔立ちの整った美少女である。肌の色が透き通るように白い反面、その目は血の様に赤い。だが、全体としてか弱さを感じさせる少女だ。

 

 

「な、なんだ?迷子か?どうした?」

「迷子なのはあなたの方でしょ?サーヴァントはどうしたの?」

 

 鈴を転がすような声音に微笑む余裕など一成にない。一瞬にして肌が粟立ち、一成は荷物を抱えたままバックステップで少女から距離を取る。しかし、少女はにこにこと笑う。

 

「やだ、こんなところで戦わないわ。魔術師の戦いは夜って決まってるんだから。偶然、土御門のマスターさんを発見して、声をかけただけよ」

 

 少女はくるりとターンしてみせる。雪のように純白のコートがふわりと舞った。神経を研ぎ澄ませて感じるのは、アーチャーの気配。アーチャーはそう遠くにいない。そして彼女がマスターならば、そのサーヴァントも近くに居るはずである。警戒を緩めず、一成は問う。「誰だ?」

「自己紹介は自分からでしょ?」

 

 

 相手は既に一成が誰かわかっている風情である。くすくす笑う妖精のような少女を睨んだまま、一成は深く息を吸った。

 

「土御門一成。お前は」

 

 透き通るような微笑みを浮かべ、少女は笑う。か弱さを感じさせる外見なのに、一成は同時に不敵さも感じた。

 

 

「キリエスフィール・フォン・アインツベルン。改造されても聖杯は聖杯。その日本式聖杯のためのマスターが私」

「アインツベルン―――!?」

 

 冬木での聖杯戦争そのものを始めた御三家のひとつ。力の転移・流転を魔術特性とし、ホムンクルスの製造を得意とする一族。その歴史は千年を優に超える大魔術師の家系。一成の動揺をよそに、キリエは微笑む。

 

 

「言ったでしょ、魔術師の戦いは夜に行うものよ。今日は貴方に興味があって声をかけてみたの」

「……?何でアインツベルンが俺に興味を持つんだ」

「あら、案外何も知らないのね。冬木の聖杯はアインツベルンの魔術――要するに西洋の魔術が基盤だから、西欧圏の英霊しか呼べないわ。だけどここ春日の聖杯は三十年前に冬木の聖杯を模倣して、さらに陰陽道でアレンジされているから日本の英霊しか呼べないの。……厳密に言えば違うのだけれどね。ともかく、陰陽道のもとの陰陽五行説は中国から来ているそうだけど、陰陽道はそれを日本流にしたあげく別物にしたものだから」

 

 三十年前に模倣されたことは初耳だが、その他の情報は聖堂教会から聖杯戦争の知らせがあったと同時に聞いている。しかし、キリエスフィールはさらに衝撃の事実を口にする。

 

 

 

「そのアレンジの陰陽道部分はあなたの一族から拝借されているのよ。カズナリ・ツチミカド」

 

 

 土御門の家が今回の聖杯戦争の勃発に関わっている。キリエスフィール・フォン・アインツベルンの言わんとすることはそれだ。一成はそのようなことを父母から一度も聞かされたことはないし、そもそも、この戦争に参加していることさえを離れた場所に住む父母には報告していない。

 何故、土御門の家は新たなる聖杯戦争に手を貸すような真似をしていたのか。

 そもそも、土御門の家の魔術回路は成長の限界を迎えて衰退に向かっていたのではないのか。

 

 

「つまりあなたは冬木の聖杯戦争で言う『始まりの御三家』なのよ。だからそんな残念な魔術回路でも、令呪が宿ったわけね」

 

 

 だから望む最低ラインの成長にさえ達しない一成を見限り、魔導の教育を放棄したのではなかったのか。

 

 

「ちょっとカズナリ・ツチミカド?私の話を聞いてる?」

 

 

 いや、先ほどキリエスフィールは「春日の聖杯戦争は三十年前に冬木の聖杯を模倣し」と言った。三十年も前のことならば、もしかして関わったのは父母ではなく祖父、祖母であるのかもしれない。

 成長の限界に達した土御門の魔導の血を絶やさぬために、彼らは聖杯を狙ったのか……。

 

 

「人の話を聞きなさいカズナリ・ツチミカド!」

「ぐおうぶ!!」

 

 一成が沈思黙考してしたところに脳天を直撃する衝撃。なんと、目の前の可憐な少女は一寸の容赦もなく一成の股間を蹴り上げたのである。ああ恐るべし 聖杯戦争、恐るべし、と一成は残念な辞世の句を頭に思い浮かべたが、なんとか根性で卒倒せずに足をぷるぷるさせるに留める。

 かわいい子、可憐な子だなと思ったのはどこへやら、最早殺意しか浮かばない。

 

 

「このクソガキィ……」

「女性に向かって無視、さらにクソガキとはなってないわ。お詫びのしるしに私をエスコートしなさい、カズナリ・ツチミカド!」

 

 全く意味不明な命令を居丈高に発するキリエスフィールに、一成をは眼を白黒させることしかできない。あまりの意味不明さに何か時間稼ぎとかその手のこと(稼いだところで何をするというのだろう)かと思い、己が従者に念話を飛ばす。魔力の状態から、アーチャーが交戦状態にないことくらいはわかるが、一体何をしているのか。

 

 

『アーチャー、お前なにしてるんだ!』

『おや一成。私はいまそちらにいるであろう少女のマスターのサーヴァントと相対しておる』

『ウソだろ!?』

『ウソなものか。しかしマスター、これはチャンスかもしれぬ。己を知り敵を知れば百戦危うからず。魔術師の戦いは夜、となれば昼はそのマスターの人となりを探って見るが良い。こちらのサーヴァントも昼間から私と戦闘に至る気はないようだぞ』

 

 

 アーチャーの様子は切羽詰まった感じではなく、むしろこの状況を楽しんでさえいるようだった。目の前のキリエスフィールは(今の金的蹴りには悪意を感じたが)特に今交戦の構えをとるつもりもなさそうである。

 ならばこの少女の言葉に乗ってみるのも一つの手である。それに、土御門家を発端のひとつと言ったことは聞き捨てならない。一成は自分に落ち着けと何度も言い聞かせてから、改めてキリエスフィールに向き直る。

 

 

「……本当に今戦う気はないんだな」

「魔術師の戦いは夜って決まっているじゃない。本当はサーヴァントも連れてくる気はなかったのだけれど、一人じゃ危ないってついて来ようとするから」

 

 少女は当たり前と言わんばかりに胸を張った。

 

「エスコートって……何しろってんだよアインツベルン」

「私のことはキリエ、で構わないわ。そうね、まずは何をするにもお腹をいっぱいにしなければならないと思うの」

 

 要するに腹が減ったからうまい飯屋に連れていけとの仰せだ。幸いにしてここはショッピングモールで、二階にはチェーンながらも飲食店が複数ある。この貴族的な生まれの良さの少女にそのような庶民の味が合うかは全く保証できなかったが、それは現在絶賛ド庶民まっしぐらの男をエスコートに選んだ彼女の判断ミスであろう。

 

 

「……わかった。何か食べたいものは?」

「あなたの判断に任せるわ、カズナリ・ツチミカド」

「女のなんでもいいはアテになんねーんだよ」と心の中で呟きながら、一成は少女が差し出す手を取った。

 

 

 

 ショッピングモールの二階にある『丼幸(どんさち)』という海鮮丼を売りにしているチェーン店の奥のカウンター席に、一成とキリエは並んで座っていた。平日の昼間なのでそこまで混んではいない。

「こんな雑多な店私にふさわしくないわ」などと高飛車そのもののセリフが飛んでくるかと思いきや、「これが日本の『丼』というものね。上品とは言えないけれど、主菜と主食を同時に摂取し時間を短縮する。労働を旨とする者には適した食事ね」とわかるような、わからないようなコメントが返ってきた。表情を伺うに満足しているように見える。

 

 食べるスピードには大きく差があって、一成が食べ終わったころにキリエが三分の一という状態である。それでも満腹ではないらしく、少しずつ食べ進めている。一成は頬杖をつき、ちまちまと食べるキリエを眺めた。

 アーチャーは敵を知れば百選危うからずと言っていたが、何を聞くべきか考えあぐねている。

 あぐねた末に、どうでもいい話ばかり口から出てくる。

 

 

「エスコートされたいなら知り合いとかを当たればいいだろ、お前」

「私は聖杯戦争のために日本に来たのよ。ここに知り合いなんて他にいないわ」

「いや俺もお前の知り合いとかじゃねーんだけど……あれ?お前って日本生まれじゃないのか?」

 

 名前は外国人のものだが、外見は服装を和服に整えれば完全に日本人形のようなキリエである。一般人からなら日本生まれ日本育ちに見えるかもしれない。キリエは水を飲んだ。

 

「日本生まれも何も私は日本式聖杯戦争のためだけに作られたホムンクルスよ。聖杯戦争のために作られた私がそれ以外の事で外に出る用なんてないわ。だから日本は初めてよ」

 

 少女は来日が初めてどころか、生まれた家をでることそのものが初めてだと言い放った。アインツベルン。錬金術を得意とし千年の歴史を数える大魔術師の家系。冬木の聖杯戦争を始めた御三家の一。冬木の聖杯が解体されてからも、彼女の一族は聖杯をあきらめることは無かったのだ。

 あくまで聖杯を求める彼らは、再び聖杯戦争を再開すべくこの春日の地にて、聖杯の改造に取り組んだ。キリエは少しずつどんぶりを消費しながら言う。

 

「でも三十年前に模倣し改造された聖杯による聖杯戦争が起こるかは疑わしかったから、もしこれがなかったら日本に来ることもなかったわね。三十年待った甲斐もあるというものだわ」

 

 千年を経てなお諦めぬアインツベルンの生み出したホムンクルス。魔術回路が成長の限界を迎えて魔導を諦めようとしている土御門の家。時があまりにも長すぎ、その期待を背負っているだろう少女にかける言葉を、一成は持ち合わせていない。何を言うべきが迷っていると、一成はふと違和感を覚えた。

 

 

「……三十年待った甲斐がある?」

「そうよ?どうしたのカズナリ・ツチミカド」

「お前、歳いくつだ?」

「女性に年を尋ねるなんて失礼よ、カズナリ・ツチミカド」

「いくつだ」

「人の話を聞きなさい。答えてあげるけど、私は三十二よ?」

「ロリババアかよ!!」

 

 

 全国の三十代女性を敵に回す発言をかましながら、一成はテーブルに突っ伏した。

 当のキリエはロリババアの意味を分かっていないらしくぽかんとしていた。

 

 

 

 

 腹を満たした後は、特にプランのないため一成の標準コースをたどった。すなわちゲーセンである。当然ゲームセンター訪問が初めてでまごつくキリエを引っ張り、クレーンゲームから音ゲー、クイズゲーム、対戦ゲームまでを教えた。特に熱を上げていたのはクレーンゲームで、「あれ握力弱すぎじゃないの!?」などとかなりエキサイトし、こっそり強化の魔術を使おうとしていたくらいである。「私が使い終わったら解除するし、この程度の簡単な魔術一瞬だから一般人にもばれないわ」と胸を張っていたがそれはズルだと、一成が懇切丁寧に諭す一幕もあった。

 

 

 ショッピングモールを出た後はその近くのおいしいパン屋や、一成の通う高校を見せて回った。駅に行けばもっと栄えているのだが、逆に店が多すぎて目移りしてしまいそうだった為に却下した。

 それでもキリエには珍しいものばかりだったようで、あれはなんだこれはなんだといちいち一成に尋ねていた。

 

 公園を通りかかった時には、例によって興味を持ったキリエは一成の袖を引っ張った。もはやエスコートもへったくれもなく、ガイドとして引き図られているに等しい。

 あとついでに当初は買い出しのためだけに来ていたので、キリエに引きずられている間、一成はずっと大荷物を抱えたままであった。

 

 

「あの区域はなんというのカズナリ・ツチミカド!行きましょう」

「はいはい……」

 夕暮れの早くなる時期、もう日が橙色に染まっている。それでも元気いっぱいなキリエはまずブランコに駆けだした。本人は三十二だと言っていたが、この行動の無邪気さからはやはり年下のあどけない少女にしか見えない。

 三十二年もの時期を同じ家の中で暮らし、人に傅かれて生きてくればこのようなものなのだろうか。

 一成の心中をよそに、キリエはブランコにのりどう動かすべきか困っている。

 

 

「これはいったいどうやって動かすものなのかしら」

「はいはい、ちょっと待ってなお姫様」

 

 どさりと無造作にパンパンになっているビニール袋を地面におろし、一成はブランコに腰かけるキリエの背を押してやる。「揺れるのに合わせて、どう足を動かしたらもっと動くかやってみろ。なんとなくでいいから」

 

 

 背中を押そうと思ったが見本を見せるために、一成もとなりのブランコに腰かけ揺らす。傍でキリエが歓声を上げて、それを見習い足を投げ出し、折り曲げる。その動作を繰り返す。

 

 歳の離れた妹がいたらこんな感じなのかもしれないと、一成は思う。魔術師の家系は一子相伝であり、特別な例でもない限り兄弟はいない。たとえいたとしても後を継がない方は魔術のことを一切知らされず、一般人として過ごす。それは引き渡される魔術刻印が分割できず一人から一人にしか渡せないため(分割することは研究結果を真二つ、半分に減らしてしまうことでもある)であり、神秘の秘匿のためだ。

 

 

「なあお前、聖杯を手に入れたら何をするんだ」

 

 不意に口をついて出たのは、聞くまでもなかった問だった。アインツベルンの聖杯獲得の目的は聖杯の獲得。

 それだけを悲願とし続けた一族だからである。

 

 

「それはさっき教えたハズだけど?アインツベルンの願いは聖杯を得ること」

「お前の願いはないのか」

「だから聖杯を得ることと言ったわ」

「それはお前の一族の願いだろ」

 

 

 キリエはあどけなく笑う。背中に夕日を背負い、一成の事を知ったかのように言う。軽率なことを聞いたと、今更ながら一成は後悔した。見るものすべてに目を輝かせる少女はともすれば本当に無垢な少女に思えてしまう。そんな少女が、「聖杯を求める」という千年も続く呪いに無理に縛られているように見えてしまった。

 

 しかし、キリエスフィール・フォン・アインツベルンは違う。外界に出たことがなかっただけで、その中身は魔術師。何代も魔術を重ねて生み出されたホムンクルスは、そのまま言葉を一斉に跳ね返した。

 

 

「私の一族の願いは私の願いよ。なぜなら私はそのために作られたホムンクルスだから。私の事をとやかく言うのは勝手だけど、魔術師はそもそも己の家に縛られるものよ。だからこそあなたも聖杯戦争にいるのでしょう」

 

 一成の願いは根源へ至ること。しかし、その願いの根本にあるのは、廃れ行く土御門の家を放っておけないから。誇りある魔導の家、それを己が代で耐えるなど、我慢できなかったからだ。

 

 果たして、その願いは己の願いなのか、家に縛られた願いなのか。

 

 一成の心中を知ってか知らずか、キリエはブランコを降りて彼に近づいた。

 

 

「今日はありがとう、カズナリ・ツチミカド。粗忽な面は多かったけれど、なかなかのエスコートぶりだったわ」

「そりゃどうも」

「名残惜しいけれど、そろそろお別れね。そうしないと夜になってしまうもの」

 

 ―――魔術師の戦いは夜って決まってるんだから。出会いがしらに放たれた、キリエの言葉が一成の脳裏によぎる。

 

 

「今日のエスコートに免じて、今は見逃してあげる。できれば次も昼間に会いたいわ」

 

 何の裏表もない笑顔。そう、きっと本当に裏はないのだろう。「見逃してあげる」「昼間に会いたい」も共に本心。彼女ほどの魔術師ならば、一成のような未熟な魔術師など片手で始末できるという宣言。

 

 

「ならば此度はお引き取り願おうか、アインツベルンの姫君」

 

 情けないことに一成まで驚いてしまったのだが、彼の隣にはアーチャーが姿を現していた。いつもは飄々としていて掴みどころがないのに、今は珍しく不機嫌である。

 キリエは丁寧にワンピースの裾を持ち上げ礼をする。

 

「あなたのマスターはなかなかの紳士よ。長く借りてしまい失礼をしたわ」

「お褒めに預かり光栄だが、あまり私のマスターを弄ばないでいただきたいものだ。このマスター、単純で扱いやすいのはいいが他のマスターにまで容易く扱ってもらっては困る」

 

 さりげなく一成をこき下ろしながらも、アーチャーは彼の一歩前に出る。

 キリエを見ながら、その奥もまた注視している。キリエの後方に、キリエのサーヴァントがいるのだ。

 

 

「マスターを護るのもサーヴァントの職務よ。私としては弄んだつもりなどないのだけど……それじゃあ、また」

 

 優雅にコートを翻し、静かに公園を後にする。アーチャーは一息入れるが、その雰囲気はいまだ不機嫌さを纏ったままだ。いや、怒っているのだ。

 

「おまえ、いつからいたんだ」

「そなたとアインツベルンの姫がこの公園に来た時からよ。マスター」

 そんなことは些事と言わんばかりに、アーチャーは言う。

 

「そなた、その分じゃ気づいていなかったようだから言っておくが、あの姫、おそらく今日何度かお前に魔術をかけようとしていたようじゃ。私は探れとは言ったが、馴れ合えとは言うておらぬ」

 

 思いもしなかったことに一成は息をのんだ。キリエが魔術を使うそぶりなど――ゲーセンで一回あったが、一成にかけようとするそぶりはなかったはずだ。

 アーチャーは大きくため息をついた。

 

「やはり気づいておらなんだか。あの姫の体の魔術回路の量は異常ぞ。恐らくホムンクルスゆえに聖杯戦争用の改造が施されておるのだろうよ。姫君のサーヴァントとは戦っておらぬが、注がれる魔力もかなりの量であった。それだけの魔術師、ということだろうよ」

 

 簡単な魔術なら詠唱さえ省いて、目を見るだけで発動できるものも存在する。

 とすれば、キリエが掛けてみたのはその手の単純な魔術のはずだ。

 

「まぁあの姫は本気でお前をどうにかする気があったようではなかったから放っておいたが。多分お前の魔術に対する抵抗力、もっと言えば陰陽道術式のものを確かめておきたかったのかもしれぬな」

 

 アインツベルンの西洋魔術とは系統を全く異にする陰陽道魔術。土御門家の陰陽道は式神(使い魔)の使役と呪詛を専門とするが、陰陽道の歴史故に、神道魔術とも近しいために祓い清めることにも優れている。

 そして一成の起源は「保護」であり、それも相まって一成でもある程度の魔術は意識しなくてもレジストされる。生まれつき対魔力が高いのだ。

 

 

「そなたはどうやらそこそこ対魔力はあるようだが、不用心に過ぎるぞ」

「……わかった、不注意だった」

 

 あまりアーチャーに対して謝りたくなかったが、不用心だったのは厳然たる事実である。

 一成は嫌そうにしながらも頭を下げた。アーチャーは怒る気もないようで、そういえばと話を変えた。

 

「そなた、一日アインツベルンの姫と戯れていたのであろう?何か手がかりになることなどあったか?」

 

 戯れていたと言うかもはやパシられていたに近い気がするが、それは言わぬが花だ。ぶっちゃけた話雑談に近い話しかしていないが、それでもキリエの在り方を多少は理解できる。

 

「……とりあえず、同盟とかは無理な気がする。キリエは聖杯戦争のために作られたんだろう。マスター適性も半端じゃないだろうし、自分が勝者になることを疑ってない感じで、俺たちと組むメリットを感じてなさそうだ」

「うむ。私も同意見よ。現状は無理で、あとは状況次第だのう。個人的にはあまり共闘をしたくはないが、戦力としてはかなりものがある。流石は聖杯戦争のためのマスターよな」

「?したくないってなんでだ?」

 

 一成は首をかしげて尋ねると、アーチャーはわかりやすく苦い顔をした。

 

「姫のサーヴァントよ。嫌いだ。汚らわしい」

 

 ズバッと好みを言ってくるアーチャーに一成は驚いた。今まで何回か作戦を話したが、アーチャーの好みや私情を差し挟んでくることは一回もなかったからだ。

 

「嫌いってなんだよ。っていうかどんなサーヴァントなんだよ」

「姿かたちはあのアインツベルンの姫の服装を巫女装束に替えて成長させたような感じで見目麗しい女よ。だが、あれは間違いなく人ではなく魔物の類じゃ」

 

 蛇蝎を見たかのように険しい表情で、アーチャーは吐き捨てた。

 

「刃を交わせばもう少し情報もあったろうが、何分昼であったゆえにな。クラスまではわからなんだ。すまぬな。今日はもう帰ろうぞ」

 

 

 今更ながらアーチャーも買い物袋を持ったままだ。お互いに膨れた袋をひっさげて家路につくことにする。アーチャーが料理をしたいと言っているから、その腕を見るのもいいだろう。




春日の聖杯は厳密に言えば日本の英霊しか呼べないわけじゃあないんですが、割とどうでもE話なのでそのうちどっかで、または設定のとこにでも投げます(でた屁理屈)。

キリエの見た目はイリヤの髪を黒くして寒さに強くした感じ。


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