Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

87 / 108
趣味と道楽の差は何か。さまざまに違いをあげることはできようが、最たる差はその対象によって実益があるかないか、実生活に影響を及ぼすかどうかの二つである。

日々の隙間に行い、実益があり、生活に彩りと楽しみを与えるモノは「趣味」。

実生活を損なうほどに精力を注ぎ、無益で、家財や命を賭して、時には人にも迷惑をかけうるモノは「道楽」。

――「酒道楽」「女道楽」「ばくち道楽」という言葉を思い出せば、おおよそ理解はしてもらえるだろう。

とすれば、彼にとって「聖杯戦争」は間違いなく「道楽」となる。



12月7日⑬ 聖杯戦争という名の道楽

 ――すでにこの異変に、アキラ・ウスイも気付いているはず。だけど、すぐ向かえる状態にない。とすれば、あちらにシグマやライダーがいる可能性が高いわね。

 

 魔力を通した針金で生成された鳥の使い魔たちは、美琴と神父めがけてその口腔から光弾を一斉に打ち放った。背後と下以外の全方位から同時に爆発が炸裂し、轟音と閃光によって狙われていない悟も、暫し感覚を失った。鮮やかなキリエスフィールの先制攻撃だが、爆発に劣らぬ雄叫びがその成功を許さなかった。

 

 

「キェェエエイ!!」

 

 美琴が掲げた一振りの黒鍵が目にもとまらぬ速さで動き、あまつさえ一撃も漏らすことなく黒鍵を振るう風圧だけで、光弾を払いのけてみせたのだ。光弾の破壊はまるで美琴と神父だけを避けるかのように地面をえぐり、空気の焦げたにおいを発散させていた。

 

 

 ――示現流を基幹とした、起源「放出」による魔力の運用。

 

 美琴自身は魔術に対する造詣は深くない。彼女の戦いで際立つのは、その剣術である。

 示現流は、九州は薩摩にて戦国の世に生まれ古流剣術だ。その剣術の特徴は一言でいえば『二の太刀要らず』。髪の毛一本でも敵より早く刀を振りおろし、初太刀で決着をつける究極の『先手必勝』である。

 

 野太刀と疾走による威力の初太刀は躱すことそのものが困難である。幕末に薩摩の者と戦った武士の中には、その一撃を防ごうとしたものの、威力を殺し切れず自分の刀の峰や鍔を頭に食い込ませて絶命した者がいたという。その上美琴は起源「放出」によるブーストを加えた代物であり、並みの人間なら意識する間もなく文字通り「真っ二つ」にされていることだろう。

 

 かつその剣術を幼い頃から習得していた彼女は、たとえ初太刀を躱されてもいくらでも反撃できるパターンを身に着けており、連続行使も可能にしている。彼女の黒鍵は特別製のため何の損傷もないが、もしこれが稽古で使う木刀であればその木刀は空気摩擦により炎上しているところだ。

 

 しかし彼女は途中で魔道を投げ出しただけあって、魔術の練度自体は高くない。ゆえにキリエは今の砲弾で打倒せるかと思ったのだが、予想を超える力量だった。それどころか、今の速度はあのセイバーの魔力放出による戦闘を思い起こさせるものであった。

 

 

 ――そもそもミコト・ジンナイは、ミコト・ジンナイのままなのかしら?

 

 それはキリエがここで美琴の姿を見てから感じていたことでもある。一言も発さず、ただただ御雄神父の言うがままに行動する。大西山決戦の前に一度見えた美琴とは別人のようだ。

 

 シグマ・アスガードという女魔術師……

 

「聖杯を捕えろ」

 

 神父の感情のこもらない声が、キリエの耳に届いた。神父の好き勝手にさせるつもりはない。

 鳥の使い魔自体は弾を打ち出すための砲身でしかないため、打ち出した衝撃で自壊した。すばやくキリエは自らの髪の毛を数本引き抜き、一小節で詠唱を成す。

 

 

Winterdichtung(冬の詩)

 

 洋館と夜陰を背景に浮かびあがったものは、白い光の線で編みあげられた巨大な剣だった。それらは整然と並び、猟犬が主人の号令を待つように鋭い魔力をほとばしらせている。自らの髪の毛を触媒とした使い魔は、針金で生成した先ほどの鳥よりもはるかに高度な使い魔であり、自動で美琴を追尾し殺害すべく動く。

 

 

「――Schwert-Tanz von Rittern(騎士たちの剣劇)!」

 

 光を纏う剣は、一斉に美琴を串刺しにすべく襲いかかる。たとえ初撃を外すか避けるかしたとしても、「殺害せよ」との命を与えられた剣はその命を果たすまで止まることはない。

 

 雨のように降り注ぐ剣を、美琴は避けなかった。「二の太刀要らず」といわれる示現流だが、実際は連続技も存在し、決して一撃きりではない。だが全力を込めた一撃の次に、すぐさま次撃に移れるはずはない――にも拘らず。

 

「チェストォォォッ!!」

 

 左足を踏み出し、一気呵成に魔力放出を使用し最速の剣を上段から一刀に叩き壊す。そのまま振り下ろした黒鍵を左斜め上に向かって、放出の力のベクトルを変えて跳ね上げ、次の剣を下から引きちぎる。そして振り上げた黒鍵を持ち上げたまま横なぎに払い、次次の剣を横へ吹き飛ばす。

 まるでそのスピードと強力はサーヴァントの如く――否、実際にサーヴァントに肉薄するレベルの魔力放出である。

 

 キリエは差し向けた剣のすべてがなぎ払われる前に、もう一本髪の毛を引き抜くと一気に詠唱を紡いだ。「Strafe des Gottes(神の罰)Schild des Donners(雷の盾)!!」

 

 剣の形ではなく盾の形をとる使い魔を形成し、自身から手前一メートルほどの位置に展開させてキリエは走った。もちろん、使い魔であるからには盾はキリエに自動で随伴する。

 その判断は正しく、なんとすべての剣の使い魔を破壊しおおせた美琴は、修道服の内側に仕込んでいた黒鍵を取り出すと――先ほどまで持っていた黒鍵とともに、キリエに向かって投擲したのだ。本人が振るうほどの威力はないが、鉄甲作用もかくやとばかりの威力は鋼鉄程度なら貫くだろう。

 幸いにしてキリエ御手製の盾は鋭い音を立てて黒鍵を叩き落としていった。

 

Fortpflanzung(再生)Zerstören,Schwert meiner Marionette(撃墜せよ我が傀儡の剣)

 

 キリエの詠唱とともに、破壊された剣が再び魔力を得て形を取り戻す。それは何度でも、キリエの魔力が尽きぬ限りに再生して美琴の命を狙う。いまやサーヴァントを持たぬキリエは、全力で魔力を使っても問題ない。魔力をそそぎ剣の再生の速度を上げていけば、美琴はいつか仕留められる。

 キリエの目的は我が身を守ることと、神父の真意を問いただすこと。キリエは盾を随伴させたまま、悠然と立つ神父へと迫る。

 

「オユウ――聞かせてもらうわよ――!!」

「キリエさん、後ろッ!!」

 

 しばらく見ておらず、屋敷の中に引きこもったと思っていた山内悟が神父のやや後ろから叫んだ。死にたいのか、と毒づきつつ背後を見やれば――使い魔の剣に押しとどめられているはずの美琴が、至近距離にまで迫っていた。

 今だ剣は再生を続け、美琴を執拗に狙っているのだが――当の美琴が、すでに剣を眼中に入れるのをやめていた。致命傷こそ避けているものの、既に体は血まみれであった。

 腹には剣が刺さっているにも拘らずなぜここまで変わらずに動けるのか。まるで狂戦士ではないか。彼女には随伴させている盾の使い魔があるとはいえ、それは投擲黒鍵を防ぐためのもの。彼女の本撃を防ぎきれるかどうかは。

 

「チェストオオオオオオ!!」

 

 背後で響く、美琴の絶叫。裂帛の気勢が迫る。キリエは全速力で魔力を盾に注ぎ込む。真紅に染まった修道女が渾身の魔力を込めて黒鍵を振り下ろす――!あまりの速度で空気が切り裂かれる音が聞こえ――盾は紙を破くがごとくに、引きちぎられた。刃物というより鈍器である黒鍵の上空からの一撃は、キリエの右半身をたやすく打ち砕いた。

 

 

「ぐぅ――!!」

 

 冬木の聖杯戦争から、御三家の一であるアインツベルンにはある弱点があった。魔術師としては一流も一流だが、直接的な戦闘を得手とする家ではないことだ。

 キリエはその点、ホムンクルスとしては戦闘の素養がある方ではあった。だがそれもアインツベルンにしては、の域にとどまるものであった。

 

 キリエは受け身も取れずに石畳の上に倒れた。かろうじて右肩と右腕はつながっているが、骨を砕き鮮血を溢れさせていた。悲鳴をかみ殺し、キリエは立ち上がろうとするがそれよりも美琴の方が早く、キリエの背中に馬乗りになり、左手を黒鍵で刺し動きを封じた。

 

「……ッ!」

 

 全身の激痛で意識が乱れ、正常な魔力行使を阻害する。黒鍵自体に何かを塗りつけてあるのか、痛みははっきりとあるにもかかわらず刺された左腕が思うように動かせない。

 

「そのまま刺しておけ。私は碓氷の屋敷に邪魔させてもらおう――おや?」

 

 神父は悠然とした表情のまま、その足を屋敷に向けて踏み出した。だがその時、彼は動きを止めた。神父の背には人影が一つ。

 

「キリエさんを離せ!」

 

 御雄神父の首元には、一振りの包丁が突きつけられていた。キリエと美琴が大立ちまわりを繰り広げる間に、誰も悟に気を払わなかったため、彼は全速力で屋敷に戻り武器になるものを持って戻ってきたのだ。

 神父の首筋に宛てられた包丁はわずかに震えている。神父は全く恐れることなく、懺悔に来た信者を諭すように柔らかに、背後の悟へと声をかけた。

 

 

「おや、命は大事にしろとは言われなかったのか?元アサシンのマスター」

「キリエさんを離せ!そもそも、あんたたちはなんで聖杯がほしいんだ!」

 

 その言葉に神父ははて、と視線を背後にやった。

 

「なぜお前がそれを気にする?お前の聖杯戦争は終わっただろう?おとなしく日常への帰還を待てばよいのではないか?」

 

 それはアサシンにも明にも言われたことだった。特に明はあえて情報を悟に与えないようにしている節もある。それは一般人――聖杯戦争という奇跡に触れてしまった人間を一般人に分類するべきかた怪しいが――に神秘を漏らすまいとする気持ちもあろうが、何の心配もさせたくないことの方が大きいだろう。

 それでも同じ家にいて、会話を聞けば不穏な空気はにじみ出る。きっとまだ春日は危機にさらされていて、同時に彼女たちもまだ、危険に身をさらすのだと。

 

「俺は、彼女たちに恩がある。その人たちに危険なことはしてほしくない。あの人たちは、春日と、平和を守るために戦っている。もしあんたたちの願いが平和を害さないものなら、話し合えば碓氷さんたちは聖杯を譲ってくれるかもしれない……」

「なるほど。あなたは善人なのだろうな――この戦争に場違いな人だ」

 

 悟の言葉を御雄は間違うことなく理解したが、その言葉は的外れであった。魔術を行う者にとって、魔術を行うこと自体が既に命がけである。

 危険なことをしてほしくないということは、魔術をやめろということと同義になる。何百年もの先祖の宿願を背負った彼らにその選択肢は存在しない。そして話し合いの件についても、到底ありえないことであった。

 

「私の願いを、碓氷の七代目は許さない。どれだけの死人が出るかはわからないが、穏当な願いではないことは自覚している」

「……そうよ、オユウ……貴方の願いは何……?」

 

 這いつくばって苦痛にうめきながらも、キリエは顔をあげた。恐れながらも、彼女はその問いをせずにはいられなかった。

 

 アインツベルンと手を結ぶ際に、神父が望んだこと――その時はまだ魔術教会に属しており神父ではなかったが――は、かつて冬木の御三家、神域の天才とが生み出したと言われる儀式を再現して己が魔術の糧としたい、ということだった。

 実際に聖杯戦争を勝ち抜くほどの技量は己にはないから、せめて儀式を間近に観測する立ち位置が欲しいと述べたのだ。

 

 

 確かにアインツベルンは、御雄神父と出会わなくても別の場所で聖杯の構築を行っていたと、キリエは考える。

 参加者よりははるかに安全な監督役という特等席での、儀式の観測。その意味で聖杯戦争そのものが目的だと神父は告げていた。また御雄神父は魔術師としては一流というほどでもないためよからぬことを企まれてもどうにかできると、アインツベルンもそれを信じていた。

 

 

「私の願いは聖杯戦争という儀式の観測に間違いはない。だが、魔道のためのものではない。ひとえに私の道楽の為だ」

「……道楽?」

 

 悟もキリエも、聞き間違えたかという顔をして繰り返した。ただ一人、神父のみが凍てつく冬の寒さそのままに変化しない。

 

 

「私は聖杯戦争という、世界最小の戦争を砂被り席で見たかった」

 

 世界は一時、沈黙に包まれた。いったいこの男は何を言っているのかと、一般人の悟も魔術師のキリエもこの時ばかりは思うことが一致した。聖杯に掛ける願いがあるわけでもなく、大儀式を己の魔道にフィードバックするでもなく、ただ血の戦を見たかっただけ――神父はそう、高らかに謳う。

 

「聖杯戦争を行いたかったから、戦争を始めた……?」

「然り。私が七代目やハルカ、キリエスフィールと組んでいたのは――三陣営と連絡をとれれば、もし戦況が行き詰った場合も何らかの手を打って事態を打開でき、趣深い戦況に導くことも可能だったからだ」

 

 二の句を継げずに唖然とする一成らをよそに、御雄神父は話を続けた。

 

 

「私は元々魔術師だが、根源に興味はない。ただ魔導の家に生まれたという義務のままに魔導を修めてきた」

 

 神内家は、元をたどれば神道魔術を生業とする家だ。本家は神代以来の巫女の家系、信託を受けた巫女の言葉を解釈する審神者の一族だったが、神内家は明治時代にその本家から刻印を株分けしてもらった分家である。ゆえに陰陽師と同様に魔術師というより呪術師の側面が強いのであるが、文明開化以降の新興であるため、西洋の魔術教会とも細々とつながりを作り続けてきた。ゆえに、勉強の一環で御雄も十代後半に時計塔の末席に席をおいており、北欧の呪い程度の魔術は扱えるがその程度である。

 

 彼は魔術を嫌っているわけでもなかったが、たまたまあった家業を継ぐような感覚であった。「魔導を継ぎたくない」といえば親は怒るだろうが、自分の「継ぎたくない」気持ちもたかが知れており、特に望んでしたいこともなかったために、御雄は魔導の徒となる運命を受け入れていた。

 

 時計塔に渡り一年を経た時、彼は運命の邂逅を果たした。かつて日本の冬木という地で行われた聖杯戦争という儀式のことを知ったのだ。

 

 聖杯を求めて争う形式の儀式はバリエーションが多く、その手の中では冬木の聖杯戦争はマイナーなものであったが――強烈に御雄の心に焼き付いた。

 

 ――世界の守護者である英霊を呼び出し、魔術師が使役して殺しあうバトルロワイヤル。

 

 最初は引き付けられた理由は判然としなかったのだが、彼は興味を持った。時計塔にいたため、冬木の戦争がいかなるものかはおおよそ了解することができた。

 

 御三家の一、遠坂の当主とロード・エルメロイ二世が冬木の大聖杯を解体する作業にも同行してつぶさに観察したこともある。

 そうして、彼は何故自分がこの戦争に興味を持ったのか理解する。

 

 生前の未練と共に呼び出される英霊。欲望に取りつかれるままに戦う魔術師、中には魔術師ではないものもマスターとなり、その命をかける。己が至上とする願いのぶつかり合い。「生死をかけた戦いの中にこそ、人の真価・本性が現れる。聖杯戦争は、力のぶつかり合いではなく、欲望の激突」

 

 英霊と人が入り乱れる欲望の饗宴。それが崇高な願いであれ下劣な願いであれ、男の中では等価。

 極論すれば、彼は人間という生き物を愛していた。

 たとえ死にゆく終わりと決まっていても、人の生き足掻く姿、醜くも欲するものを追い求める姿は美しい。そして、その姿が尤も先鋭化するのは生死をかけた戦いである。それを見ることを、彼は望んでいた。

 

 その気持ちを自覚した後の彼の行動は早かった。冬木の大聖杯が失われたことは非常に痛いが――「他の土地で聖杯を作り上げればいいではないか」と。

 

 御三家のひとつ、アインツベルンはいまだに聖杯を求めていると言う。御雄も大聖杯解体の最中に、わずかだが聖杯の欠片を入手していた。ノウハウはある。アインツベルンに誘いをかけ、適した場所を選定すれば新たな聖杯戦争の開始も不可能ではない。

 

 元々は古い御雄の家を辿れば日本の地における人脈と情報網はある。そのうえ神道と陰陽道は歴史において分かちがたく影響を与えてきたため、陰陽道の家とのつながりもある。

 刻印が枯れつつある大家土御門に話を持ちかけ、日本中の霊地を訪ね歩いた。土御門の地にて大聖杯を設置する手もあったが、今彼らが住む土地は戦国の時代に追い出されて仕方なくいる土地だった。

 候補がなければ土御門の土地に大聖杯を設置する予定だったが――。

 

 

「碓氷の先代が、何処から話を聞きつけたのか――我が土地に大聖杯を設置することを赦した」

 

 明はまだ正式に家督を受け継いでいない為、先代とは明の祖父のことを意味する。だが土地は貸し与えたものの、碓氷家自体は積極的に聖杯に関与しなかった。その理由を知るは先代のみだが、なにはともあれ後は聖杯を満たすだけとなったのだ。

 

 春日の地に使い道無く滞留していた魔力を大聖杯に注ぐことができたため、恐らく五年で戦争は始まるだろうと思われていたが、初めての試み故に何かしらの不具合があり予定通りには始まらなかった。原因は大聖杯の核によるものであったが、碓氷と土御門が諦めてもアインツベルンと御雄は諦めなかった。

 

 また御雄自身は魔術師を辞め、聖堂教会に入っていた。その理由はただ一つ。来るべき春日の聖杯戦争に向けての監督役となるためである。それこそが願い。

 

 ――闘争において、人の本性は剥き出しに。

 ――かつて死した英雄も、今を生きる人も同じく。

 ――傷も欲望も全てをさらけ出す。

 ――人の根源を垣間見ることを道楽とする。

 

 

「自分の魔道などどうでもよい。アインツベルンを妨害する気も、碓氷を謀る気もなかった。誰が勝って戦争を終えようとよかった。だが、私は途中であることに気付いた」

 

 ふう、と仮初の神父は嘆息する。万感の思いを込めて、彼は真実の言葉を吐いた。

 

「――戦争が終わってしまったら、私の人生のほとんどをかけた願いは叶って終わる。また魔力の充填に何十年かかるかわからない。ああ、つまらないなと」

「つ、つまらない?」

 

 悟が心の底から声を絞り出した。春日総合病院で無数の死者を出し、大西山を崩壊せしめた争いが終わって安心するのではなく、残念がっているのだ、この男は。

 目の前にいるのは本当に同じ人間なのかと、魔術師である明や一成と引き比べて思ってしまう。

 

「しかしどういうわけか、おかしな英霊や予想しない魔術師の出現――それを受けて、私にある願いが芽生えた。聖杯に、再び聖杯戦争を開催してほしいとの願いをかければどうか、と」

 

 聖杯を以て聖杯を満たし、聖杯戦争を行う。再び聖杯を以て聖杯を満たし、聖杯戦争を行い、再び聖杯を以て……。

 戦争をするために戦争を願うと、この男は本気で思っている。

 

 悟だけでなくキリエにとっても、彼の発言は理解の外である。だが小聖杯の立場としてその願いに対して答えるならば。

 

 

「……オユウ、その願い、あなたの、思っている通りに、叶うかどうかは賭けよ」

 

 かつて冬木の聖杯戦争で、願いを叶えずつまり魔力を使用しないで終わったことがあった。その時でも魔力の再充填に十年の時間を要していた。既にサーヴァントを召喚する、という時点で膨大な魔力を消費しているため、その分回復時間が必要となったのだ。

 つまり戦争の即時再開を願ったとしても、再開の間隔は短くなるだろうが御雄の望むものになるかどうかはわからない。

 

 しかし、冬木の聖杯戦争を調べつくした男が何の策もなくそのようなことを言い出すとは思えない。

 

「私はいつでも、自分の思いつく限りの最善を尽くしてきた。諦めはしないさ」

 

 その瞳に、キリエも悟も見下す色はない。むしろ興味深げに輝き、それを放っておかねばならないことを惜しんでいた。キリエは唇を噛みながら、声を上げる。

 御雄に問うべきことがあるならば、今をおいてほかにはない。

 

「……ランサーの、奪取を進めたのも、私を裏切るつもりで、進めたこと、ね」

「召喚に失敗したお前は、再びの失敗を恐れて山に籠った。アーチャーを得ても動かなかった。最大勢力でもあるお前がいつまでも動かぬままでは戦況が停滞する――ゆえにハルカのランサーを潜り込ませることにした」

 

 召喚のミスを引きずるキリエは、第二のサーヴァントアーチャーを得ても動かなかった。彼女を動かすため、神父は一度ランサーをくれてやることにより彼女の腰を上げさせた。さらに戦いのどさくさに紛れてハルカを山に入れてランサーを回収し、キリエのサーヴァント三騎のみで戦いが閉じてしまうことを防いだ。これがそっくりそのまま御雄の描いた図ではないが、彼はサーヴァントなきままに聖杯戦争に参加していたのだ。

 当初は純粋に局面の停滞を防ぐつもりであっても、今や彼は目的を持ってしまった。

 

 そしてキリエは、決定的に御雄はハルカ(本当はシグマだが)と結んでいた事実に震えた。三十年間、ずっと味方だと思い、御雄も――その実キリエに思入れもなかったのだろうが、戦争が始まるまでは味方するつもりではあったのだ。

 

 しかし御雄を責めるべき事柄ではないと、キリエの冷静な部分は理解していた。魔術師の大願の前には倫理も家族の情も無意味となる。御雄は御雄の願いの為にキリエを無に帰しただけである。御雄の願いの前に、キリエが敗れた――事はそれだけの話である。

 

 ならばもうその話は終わりだ。聖杯になりアインツベルンの悲願を叶えることが生まれた意味とならなかったのならば、もう生まれた意味はなくていい。

 これから考えればいいと、あの未熟な陰陽師は言うのだろう。

 ただ今は、死なぬ為に。

 

 キリエは既にパスを通じて、土御門一成に今の状況を視覚を共有して伝えている。本当に彼が来れる状態なのかはわからないから、頼りにするわけにはいかない。魔術的な意味では、本当に頼りないんだから――キリエは知らず知らずのうちに笑っていた。

 

 その一方で、キリエの冷静な部分は神父――否、御雄に目を向け続けていた。彼がキリエだけを目的とするなら、碓氷邸本体に用はないはずである。だが御雄は碓氷邸に足を進めている――さすがに何が碓氷の家に眠っているのかまではキリエも知らないが、何か聖杯に関係するものがあるのか。

 

「さてアサシンのマスターよ、その意志は素晴らしい。本来私が茶々を入れるべきではないが――おとなしくしていろ」

「ッツ!!」

 

 御雄が手をかざした瞬間に、背後の悟の体が宙を飛んだ。額を拳銃で撃ち抜かれたように頭から吹き飛んで、石畳の上を滑って行った。

 

 西洋魔術をもっぱらとする者にはガンドそのものに見えただろうが、これは神道における遠当てと呼ばれる技である。自らの魔力を高密度で固め物理的破壊力を付与させ、それを対象めがけて放つという、明のガンドから「呪い」を抜いたようなものである。

 それをゼロ距離で食らった悟は、今や地面に転がって動かない。神父の遠当てにそこまでの破壊力はないため、死んでいないが気絶している。御雄は肩を払い、呟いた。

 

「やはりガンドより、こちらの方が性に合っている」

 

 御雄は悟には目もくれず、泰然とした足取りで碓氷邸の玄関へと向かう。だが、その足が再び止まる。足元に何かが絡みついている――今しがた吹き飛ばしたはずの山内悟が、御雄の足首を掴んでいたためだった。

 

「……キリエさんを」

 

 殆どうわごとのような言葉だった。意識は戻っていない。

 

「……やめなさい、サトル・ヤマウチ。あなたでは敵わない、のだから。無駄に、死ぬことは、ない……わ」

 

 キリエの言葉も途切れ途切れだった。黒鍵に塗られた毒物で、左半身が最早いう事を聞いていない。意識はまだクリアなだけ余計にもどかしく、キリエはできる限り顔を上げた。

 

 何故あの男は、キリエのためにここまでするのか。御雄は悟を殺すつもりはないが、邪魔をするなら殺す程度のことは考えている。大人しくしていろと、明もキリエも伝えたはずだ。それでも彼は、殺されることを畏れず神父を止めようとしている。

 

「……キリエさんを守りたい、のもあるけど……」

 

 見目はキリエよりも年下だが、悟には娘がいる。近い年頃の少女を見殺しにしたくないこともあるが、それよりも。

 

 会社の事件で、結局悟一人が泥を被らされて追われることになった。自分が間違っていないことを行ったとしても、周囲がそれを正しく受け止めてくれなかった。もっと賢くうまく立ち回ればよかったと後悔した。それでも――

 

 あの時の自分の行い自体は、間違っているか?

 今振り返って、恥ずべきことであるのか?

 直すべきはそのときのやり方と振舞い方で、間違いを糾そうとする行い自体は間違っていない。

 

 ――だからあの時の行いを、後悔していない。

 

 このまま少女が殺されることを見過ごして、震えて待っているなんて。きっと後で絶対に後悔する。その負い目をもっては、真っ直ぐ妻や娘の眼を見られない。

 

 アサシンと碓氷明には、本当に申し訳ないけれど――死にたくはないけれど、避けられる後悔ならばしたくない。

 

 そのとき、キリエを押さえつけていた美琴が素早く黒鍵を取り出し立ち上がる。刹那足元のキリエを踏みつけ、御雄を守るかのように悟を蹴って彼の背後に立った。彼女は悟のことを転がった丸太程度にしか思っていない。

 

 

「たとえ力足らずでも、誰かの為になりてぇ野郎ってわけかよ。まだお前がそうしたいっつーなら、もっと力をつけることだぜ」

 

 聞こえないはずの暗殺者の声が、聞こえた気がした。

 

 

 後は反射としか言いようがなかった。悟は痛む体に叱咤し体を立ちあがらせ、全力で修道女に体当たりをした。全く予想しなかった方向からの攻撃に、美琴はその攻撃を避け損ねた。

 

「……ッ!」

 

 しかし悟より遥かに鍛えられた体幹の持ち主である美琴はそれに倒されることはなかったが――その一瞬の対応が、致命的な隙を生む。

 

 遅れて異変に気付いた御雄が振り返る。そこにいたのは――暗殺者の姿。

 

 結界の破れた碓氷邸の塀を乗り越えて姿を見せた、大盗賊の金襴褞袍は今や泥と血にまみれていた。攻撃態勢に移っている為、気配遮断は切れているがその俊敏さで狙うものはひとつ。塀と御雄たちの距離は二十メートルほど。アサシンにとっては一秒の内に詰まる距離――褞袍から引き出された黄金の太刀。

 悟によってバランスを崩された美琴の奥に、狙う命があった。

 

 

「てめぇが神父かぁ!!」

 

 血を吐くような言葉が先か、刃が先か。御雄を守るべく駆動する修道女の動きと暗殺者の速度。美琴はすぐさま悟を振り払い、全力でサーヴァントに向かって黒鍵を突きたてるべく振り上げた。

 

 挙動は音もなく、絶対の殺意を以て。暗殺者らしくない暗殺者は、最後の最後に暗殺をなすべく走る。美琴に荒く振り払われ、またも地面に転がされた悟が顔を上げて見た光景は。

 

「――あ」

 

 アサシンの太刀は、美琴の胸を穿ち貫通していた。太刀が栓となり出血は少ないものの、命はない一撃だった。そして、美琴の黒鍵はアサシンの右肩から胸までを深々と断っていた。

 

 通常のアサシンであれば、美琴の一撃を易々とかいくぐり彼女を殺した上で御雄の息の根を止めることができたであろう。しかし悟は知らなくとも、アサシンは今や現界で精一杯だった。美琴も悟の邪魔が入らなければ刹那の差でアサシンを斬り倒していたのだが、一瞬の遅れがこの状態を招いた。

 

 美琴は自重で崩れ落ち、傷からは噴水の如く温い血液が溢れ出させた。そしてアサシンも微動だにできず、ただ口から鮮血をこぼし続けていた。

 御雄は動かなくなった美琴とアサシンを一瞥すると、向かう先を変え――伏したままキリエを抱え上げた。それから悠々と――軽やかに跳ねて碓氷邸の塀の上に立った。

 

「思ったより早いな。――どうせ、七代目がシグマと殺し合うのならば願いを叶える剣(・・・・・・・)が必要になる」

 

「……ま、待て……」

 

 キリエを助けなければ――その一心で、悟は立ち上がろうとしていた。しかし悲しいかな、魔術回路の痕跡しかない彼では抵抗する術がない。深々と傷を受けたアサシンを見上げたが、彼も限界だということは一目瞭然だった。

 

「……ッ皇子、マ……あ、けたぜ……!」

 そう吐くようにつぶやかれたのも僅か、アサシンの太刀が空に溶けて彼の身体そのものも蜃気楼のように消え失せた。それと入れ替わるように現れたのは、土御門一成と、教会で回収されたノートの束だった。

 

「……おいアサシンッ……さっきから何も……!?」

 

 急に宙に放り出された一成は、思い切り地面に激突したがすぐさま立ち上がった。

 そうして彼が目にしたものは満身創痍の山内悟と、冷徹の月下に立ち塞がる神内御雄と、彼に抱えられたキリエスフィールだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。