夜もとっぷりと暮れた、深更の碓氷邸。神父の襲撃により破壊された庭をそのままに、美琴の死体も庭においたままにしている。
一同、二人の明とセイバー、一成、悟は一階のリビングに集合していた。テーブルを挟んだソファに、明二人とセイバー、向かいのソファに一成と悟が座っている。テーブルの上には一成とアサシンが持ち帰ってきた、神父のノートと霊器盤が鎮座していた。
全員が複雑な面持ちで、重苦しい空気が場を覆っていた。セイバーは常と変らぬトーンで口を開く。
「では、情報を整理するか。まず山内悟、俺たちのいない間いったい何があった」
「……つーか、それよりも碓氷の状態について話してほしいんだけど……」
一成の言葉に、悟も無言のうちに頷いた。超常現象を見過ぎておかしくなってしまったのかと自分の頬をつねりたくもなるのだが、驚いたことに――彼らの前には、当然のように碓氷明が二人いるのだ。概ね同じ人間がふたりという感じだが、髪の毛の長い明は、髪の毛の短い明よりどことなく大人びた印象を受ける。
「……セイバーはもう事情を聞いたのかもしんねーけど、俺たちにも教えてくれ」
「いや、俺も事情は聞いていない」
「聞いてなくてなんでそんなに落ち着き払ってんだ……」
「もちろん驚いたが、明が減るよりは増える方がいいだろう」
一成は「何言ってるんだこいつ」と顔に書いていた。すると、年上らしく見える方の明が続けた。
「しょうがない、説明するよ。今の状態はドッペルゲンガーに近いんだけど。いや、モデルがドッペルゲンガーというべきかな」
ドッペルゲンガー。ドイツ語であり逐語訳すれば「二重に歩く者」。ドッペルとは「写し、コピー」の意味である。自分はA地点にいたはずなのに、第三者がB地点で自分を目撃する、また自分自身が自分を目撃するという怪現象のことを言う。古来から「ドッペルゲンガーを見たら死ぬ」と言われ、恐ろしく不吉なものであるとされる。
「ドッペルゲンガーと呼ばれる現象を魔術的に起こす方法はいくつかある。生霊の幽体離脱の二重存在者、空間転移、見た目がそっくりな人形作成、未来もしくは並行世界の自分の二重存在者」
「……で、お前が二人になっているのはそのうちのどれなんだ?」
「消去法でわからない?」
髪の長い明は口角をあげて笑った。この明は、今までみてきた明とはどこか違うと一成は感じた。碓氷明という女はこういう作戦会議や情報交換の場では真面目で冗談を挟まず話をしていくタイプだと思っていたが、どうにもこっちの明は違うらしい。と、髪の短い明が一成に代わって答えた。
「幽体離脱はここまで明確な肉体を持つことはない。空間転移は魔法級の大魔術だけど、肉体が二つになるわけじゃない。そして碓氷に人形作りの教えはない」
「あなたが答えちゃ意味ないよ。まあいいけどさ」
髪の長い明は横を向いて、もう一人の明をにらんだ。髪の短い明は少し怯んだものの、負けじともう一人の明に鋭い目をやった。なにやら、二人の明はあまり仲が良くないらしい。
「じゃあ、未来か並行世界の碓氷……?つっても意味わかんねぇんだけど……」
「虚数魔術。概要はそっちの私が説明したと思うけど、それは全部じゃないよ。影魔術と言ってたと思うけど、影魔術は虚数魔術に包含される感じだから」
術者の他者を傷つけたい・己を破滅させたいといったくらい欲望を源とし、目に見えぬ不確定を以て対象を拘束・破壊する、幽世の者への特攻攻撃――影魔術。
「影は虚数魔術、いや虚数空間から漏れ出たものにすぎない。虚数空間から必要に応じて影を引きずりだして使っているっていうのが正しいの。ま、虚数魔術としては初歩なんだよ」
碓氷明が大西山において放った「フィンの大砲」とも呼べる一撃は、この初歩の魔術出力を限界まで上げただけであり、難度としては易しい方に入る。ただ出力の大きさが破格だっただけである。髪の長い明はにっこり笑って、一成に問いを投げた。
「時に一成、あなたは数学Ⅱを勉強したかな?数学における虚数の概念はわかる?」
「……二乗したらマイナスになる数のことだろ」
「よくできました。すごい」
そう言われても一成としては完全に馬鹿にされているようにしか感じられない。明自体にもとぼけたところはあるのだが、それと髪の長い明は性質が違う。やっぱり、これまでの碓氷明とこの髪の長い明は別物のように思える。
となれば、いままでの碓氷明は髪の短い方なのだろうか。
「もちろん魔術の方では違うものだけど、名前には重要な意味がある。二乗したらマイナスになる数は自然界に存在しない。ならなんでそんなモノが必要とされたのか?簡単にいえば便利だから。虚数というものがあるとすれば、何次の方程式だろうが解があると証明されているよ。今の量子力学には虚数の存在が欠かせないし、虚数時間の概念で宇宙の開闢を説明することもできる。虚数を仮定することで、いかなる問題にも答えを出す――それが虚数の威力なんだ」
「……あなた、話が長い」
うっとうしそうに、髪の短い明がつっこんだ。しかし片方の明は気にも留めない。
「さて、いくら便利でも虚数はない。少なくとも物質の世界で存在するものではないんだ。ないのにあると仮定されるもの――それは、死後の世界にも似ていない?世界の裏側とも星幽界とも違う、この物質界の裏側に張り付いている虚数空間。それにアクセスする力こそが架空元素・虚数魔術の真髄だよ」
バーサーカー戦後、共闘することになった一成に対し、明はにここまでの説明をしてこなかった。それはする必要がないと思っていたこともあるが、同時に魔術とは秘匿するもの――同じく魔道を目指す者であっても、他家の人間に易々と自身の魔術を披露するなどありえないと思っていたからでもある。しかし、ここ至っては是非もない。
「虚数空間っていうのは、この物質界とは時間の流れも空間の概念も異なる世界。虚数の使い手はこの空間にモノを放りこんでタイムカプセルみたいにしたり、自分自身が空間に入ることで物質界のある場所から別の場所に現れたりとか、空間転移の真似事もできる」
前述したが、空間転移の真似事にはかなりの制限がある。虚数空間に飛び込むことは――物質界から物質界ではない場所に行くということは――一度死ぬことにも等しい。そして物質界に戻ることはもう一度生まれること。
また、物質界に現れる際に座標を正確につかめなければ、土の中に出現したりコンクリートの中に出現したりすることもある。勝手知った場所でなければ、むしろ大惨事を引き起こす。
「で、やっと私の今の状態の話になるんだけど。さっきも言ったように虚数、いや架空の数の真価は「いかなるものにも答えをつける」こと。架空、つまりは想像――虚数空間において、私は――そこのオリジナルの私は「未来の理想の自分」を想像したの。想像してその通りに理想の在り方とその魂を偽造した」
悟がもう話についていけないのは当然としても、一成も既に理解の外にあった。魂の偽造とさらりと明は言ったが、それはとんでもないことなのではないだろうか。
しかしよく考えれば、既にキリエ――人造人間という錬金術の粋の結晶が存在している。
「ただホムンクルスの寿命が普通の人間より短いように、虚数空間で造られた魂もまがい物の域をでない。魂だって腐る。それが普通の人間よりずっと早い」
一成は思わず息を呑んだ。そしてキリエを思い出す。普通の人間のようにしか見えないのに、そこにいるのは人造人間でありクローンのようなものである。しかし想像された明は一成の様子に頓着しなかった。
「虚数空間で魂と体を想像して、本来の私の魔力を楔に物質界へ叩きだした。魂と体を想像しても、それそのもので存在できるのは虚数空間だけ。物質界で活動させるには碓氷明の魔力という物質界と虚数を繋げる楔が必要不可欠。こっちの私はある意味――セイバーと同じくサーヴァントみたいなもの、と言えなくもないね」
説明をする髪の長い明が「
つまり、二人は同一人物だがあえて本物と偽物を分けるなら髪の短い明が本物で、長い方が偽物となる。想像の明は、オリジナルの明なしでは存在できない。ゆえに河原での戦いで――先に物質界へとあらわれた想像の明は、虚数空間にいたままのオリジナルを引き戻して来ざるを得なかった。あくまでも自分が存在をし続けるために。
その時、セイバーが困惑した様子で問いかけた。
「……しかし明、どうしてそんなややこしいことをした?」
「言ったでしょ?この私は「未来の理想の明」――そこのオリジナルのおぼこい明が「こうあれたらいい」と想像した姿。今の自分の魔術ではシグマ・アスガードに勝てないと理解した碓氷明の窮余の策ってことだよ」
「理想、とは魔術の腕という意味でか?」
「第一にはそれだよ。だけど魔術は精神が強い影響を及ぼすから――人格も「こうあればいい」という理想に基づいている」
ならば想像された明は「明がこうなりたい」と願った姿ということになる。なんとなくセイバーと一成はまじまじと髪の長い明を見てしまったが、その時彼女は伸びをして不意に口を開いた。
「にしても、私が二人じゃ呼び分けに困るね。明の名前はオリジナルのだし、茜とでも呼ぶ?」
「ちょっ……!」
オリジナルの明が急に声を上げ、想像の明を遮る。「それは、だめ。影明とか、
「ま、何でもいいけど。好きに呼んで。わかればいいよ」
想像明はひらひらと手を振って、ソファに深くすわりなおした。セイバーはじっと二人の明を見比べたが、ようやく概ね納得ができた。
だが、普通に考えて同じ人間が二人いるということは異常である。何か後々、明に酷いフィードバックのようなものがあるのではないかと気にかけた。
セイバーとて、魔術が自由自在に何でもできる業ではないことは承知している。だがセイバーの不安も想像明はどこ吹く風で、オリジナルの明は穏やかならぬ目でもう一人の己を見ている。想像明はソファから立ち上がり、勢いよく両手をテーブルについた。
「さて、碓氷明が二人になった話はここまで。まずは悟さんと一成から、この屋敷に何が起こったのか教えてもらう。その次に私から、女魔術師シグマ・アスガードの正体について。そして最後にセイバーからライダーの対抗策について。それを踏まえて、対策を考えよう」
一成やセイバー、悟に異論はない。ただ言葉少ななオリジナルの明が気にかかっていたが、当の彼女も流れ自体に文句はなく頷いていた。
明、一成、セイバー、そして今は無きアサシンが教会へ向かった後に碓氷邸に姿を現したのは、御雄神父とその娘の美琴であった。狙いは聖杯たるキリエであることは明確だったが、それに加え神父の様子からして碓氷邸にある何かも目的であるようだった。
それに加えて明とセイバーが驚かされたのは、神父の聖杯戦争についての動機だった。戦争をするために戦争をするなどと、およそ理解の範疇を超えていた。一体神父の中の何がそうさせるのか全く分からない。明と神父の付き合いは長いとはいえ、それでも聖杯戦争準備期間の三十年を超えることはない。
出会った時には、既に神父は戦争を画策していた。
「全く意味がわかんねーけど、聖杯戦争で聖杯戦争を起こすなんて絶対ダメだ」
一成が言うまでもなく、この場の全員がそれに同意している。しかしその思いとは別に、想像明はその願いが実現される可能性について考えていた。
大聖杯に魔力が充填されるのを何年もかけて待ち、仮に聖杯が使用されずに終わったとしても――それは冬木の第四次と第五次であるが――すぐに戦争が再開されるとは思えない。既にサーヴァントを召喚した分だけ、魔力の充填が必要になる。
(……神父は、キリエ以外にも碓氷の家に目的があった……)
聖杯戦争が本格的に始まる前、父親から送られてきた鍵。碓氷が日本に移ってくるときに持ち出した礼装の特質は「持ち主の願いを叶える」こと――ただそれはあくまで神代の話であり、現代においてはその機能まで再現はできず別の用途の魔術礼装になっているのだが、それでもあれは願いをかなえるモノであったのだ。オリジナルの明は頭を振った。
「……とにかく神父を止めるよ。だけど、たぶん美琴は知らなかったんだろうね。神父がこんなことを考えていたなんて」
今も庭に野ざらしにしている、変わり果てた修道女のことを思う。神内御雄は見た目はどこからみても敬虔な神父だったのだが、今の状態を鑑みれば一体何を思って美琴を引き取ったのかわからない。一体美琴は意志を奪われ操り人形にされ、息絶えるその時に何を思っていたのか。
「そこのところにしときなよ、
冷酷なまでにあっさりと、想像明はオリジナルの心を読んだように切り捨てた。オリジナルの明も、一成や悟もその態度には反感を覚えたが、言い分は決して間違っていない。こほんと咳払いをして、想像明は話を続けた。
「で、何故神父と美琴が私の許可なしに屋敷へ立ち入れたのか。管理者の結界は何代にも渡って強化されてきたもので、一朝一夕にして破られるものじゃない。だけど謎は解けてる――ライダーの宝具だよ」
想像明の言葉の意味。ライダーの宝具である断絶剣は、概念をも断絶させる。その古い神秘を秘めた剣によって、碓氷家の結界はあっさりと破壊されたのだ。
世界を斬る剣であるそれは、宝具開帳もせずに結界を斬ることもたやすい。それに教会でライダーと見えた時、最初彼は剣を所持していなかったことと、協会にて明が感じた衝撃があったこと――結界破壊による魔術回路へのフィードバック――も証左である。
しかし一成が今気にかけていることは、碓氷の結界が破られたこと自体よりも神父たちの襲撃の結末であった。アサシンが消滅し、その上。
「……キリエ、攫われちまった」
あの時千里天通眼が使えれば、未来でもなんでも覗いてキリエを奪い返したのに。一体この目は大西山で何をきっかけにして動いたのかわからない。肝心な時に使えないのでは、いくら立派な能力でも無用の長物である。
一成の言葉に沈むのは、悟も同じだった。キリエを守るべく動いた彼にとって、近い年ごろの娘を持つ彼にとって心痛事だった。アサシンが命を懸けてくれたのに、そのかいもなく少女は攫われた。
「でも殺してはいないはず。小聖杯の本体はキリエの心臓だけど、他の魔術師がいるならキリエを殺して心臓をそれに埋め込むってのもあり得る。でもそんなめんどくさいことするよりキリエ自体でいいしね。……ま、キリエの生死なんて今は一成が一番わかるでしょ」
びくり、というよりぎくりといった様子で一成はぎこちなく明の方を向いた。どうにもバツの悪い顔である。想像明はあえてそれには触れず、意地の悪い笑い顔のまま話を続けた。
「助けられるに越したことはなし。キリエは助けるとして――で、その神父と手を組んでいるらしいシグマ・アスガードだけど……あれは封印指定を受けた魔術師だった。というか、これはさっさと思い出すべきだったというか、家にある目録を見ておくべきだった」
「封印指定って……一代限りの特異な魔術師に与えられるっていうヤツだろ?」
「アスガード家、いやアスガルド家。かつて碓氷の大本にして、今は分裂した大家の第一位。碓氷の大本は北欧の神代から続く大家で、あの女はその血縁。ウチの本家は元々神降ろし――要するに巫女の家系なんだけど、あの女の家は特にその血を色濃く持っている。でも神代から伝わる神落としの魔術を持っていても、歴代受け継がれるものだからそれで指定を受けているわけじゃない」
ならば彼女の魔術の真髄は何か。これまでの彼女の魔術を振り返ってみると、まずは時計塔から送られてきたハルカを下し操るほどの洗脳・暗示の魔術、明に見せた重力操作に陰陽術と全く一貫性がない。
陰陽術に至っては魔術基盤そのものが異なり、北欧の魔術を専らとするシグマでは絶対に使えるはずがない。にも拘わらず使えている事実を鑑みれば、それこそがシグマの特異さである。
「……あの女の力に検討がついたのも、遠縁という魔術的に近い位置に私がいるから。っていうかわかったところでどうにかできるとも思えないんだけど、今のところ」
腕と足を組み、眉を寄せて悩む想像明を焦れた一成がせっついた。彼が焦っている理由は敵の能力とは別の話なのだが、心のままに急いた。
「とりあえず言ってみろよ碓氷、もしかしたら俺やセイバーでも何か気づくかも知れないだろ」
「……まあ、言うよ。簡単にいえばあの女の魔術はたぶん吸収なんだ。いや包摂かな」
「……包摂?」
碓氷の元は巫女の家系であると、先述した。遠い昔北欧の巫女はヴォルヴァと呼ばれ、ヴォルヴァの女の周囲にさらなる巫女を配置し歌い踊り、己の体に神霊を降ろす。その時巫女が持っている己の魂は限りなく薄まり、神霊に肉体を明け渡すのである。
よってすぐれたヴォルヴァの条件には、己の魂を極限まで希薄化させる才能――短時間でも自我を無くす才能の有無がある。
しかし魂を希薄にしながら魔術行使後に己を保つには、高度な精神干渉阻害魔術の行使が必要である。それを持たずして降霊を行った後に待っているのは、魂を失った抜け殻の体だけ。
碓氷の元の大家は大勢の女を廃人にし、体を改造して研鑽を続け、神代からの業を継いできたのである。
魂とはそもそも記録である。肉体に依存せず、物質界の上の星幽界にあるもので永劫不滅の存在であるが、肉体なしに物質界にとどめることはできない。肉体があれば記録を肉体で再現するが、代わりに肉体に固定され、肉体とともに劣化し滅ぶ宿命を持つ(ゆえに肉体なしで魂を物質界にとどめる業があるとしたら、それは真の不老不死となる)。
その魂が薄いということは、記録が薄い――記憶と人格さえも薄いということ。だからこそ己れ以外の何物かである神霊の寄りしろとしては優れている。
「あの女、シグマ・アスガードはその手の巫女だと思う。むしろ巫女としてその性質を生かしているんじゃなくて、その性質を以て魔術を成している。多分、他の魔術師の魔術を受け入れる魔術。ただ具体的にどうやるのかまでは……。魔術刻印を奪うのか、魔術を見て魔術式を解析して取り込むのか」
明にまとわりついているのも、明の虚数という特異な体質と魔術を欲しているからとすれば説明はつく。そういう意味では、千里天眼通に目覚めた一成もそれを知られたらまずいことになる。
「……何度もここに聖杯戦争を起こすことが本当にできるとしたら、魔術師も続々とこの地に集まる。そうしたらあの女は好きなだけ魔術師を影から襲って魔術を吸収できる――ハルカ・エーデルフェルトにそうしたようにね」
おそらくシグマと神父は最初から結託していたのではない。神父は明の父影景と親交のあったハルカ・エーデルフェルトを以前から知っていた。当初から操られていたと思われるハルカ・エーデルフェルトに対し神父は違和感を抱いたのであろう。
「神父の願いをかなえた後で聖杯を我がものとしていいと思っているかもしれない――とにかく、あの女に関する対処はもう少し考えてみる。今はなんとも……強敵であるとしか」
オリジナルの明に比べて自信ありげに振る舞う想像明も、強い言葉を避けている。今この中で最も魔術に長けた者は明であるがゆえに、誰もそれに意義を述べなかった。想像明は周囲を見計らい、最後にセイバーに目をやった。
「……で、セイバーだけど……」
明二人、一成、悟の目が彼に向いた。あの白いライダーとの戦いに向かい、無事生還した。しかしセイバーの顔色と様子をうかがうに、よい話が出てくることはなさそうだった。
「俺は明を連れ去ったライダーを追い掛け、交戦した。結局明は自力で逃げ出せたからよかったが、こちらの戦績はよくはない。むしろあれに見逃されたに近い……それに」
セイバーはそう言って、宙から草薙剣を取り出した。白銀に輝く両刃の剣はいつもと全く変わらない。だが、セイバーは重々しい口調で告げた。
「『
「?魔力不足で発動できないって話じゃなくてか?」
一成の疑問はまっとうだが、それだけならセイバーはわざわざ話などしない。
「違う。恐らく魔力が戻ろうと俺は
セイバーは草薙剣を「少量魔力を流せばホッカイロ、もう少し増やせば野菜が良く切れる」と言い、その通り彼に宛がっていた部屋は暖房を一切使用せず、草薙剣で暖を取っていた前例がある。一成、明、悟はセイバーの持つ剣に触れたが、それは彼らに金属の冷たさを伝えるだけだった。
「え…?何で」
「原因はわかっている。教会で放たれたライダーの宝具のせいだ」
神秘はより大きな神秘の前に打ち消される。教会での宝具の撃ちあい――幻想返しの
その時に、既に『全て翻し焔の剣』は使えなくなっていたのだ。
「フツ、というのは刀剣でモノを斬る様のことだ。布都御霊剣はこれまでを断絶し、新たな世界を切り開く断絶の剣であり開闢の剣。アレは『断絶』という概念を内包した剣であるがゆえに、形のある物質に限らず概念や縁のようなものまで断ち切る」
だから、とセイバーは繋ぐ。
「あの宝具の直撃を草薙剣で受けて敗れた為、俺と草薙剣を繋ぐ伝説・由来が断ち切られてしまった。今や草薙剣は通常の剣としては使えるが、伝説の具現たる宝具の発動はできない。今は
全員、黙りこくった。教会での宝具の撃ちあいを見ていたのだから、一成と明はライダーの真名についてはわかっている。
布都御魂剣の担い手で召喚が可能な英霊となればそれはただ一人。
九州・日向の高千穂より発ち、大和を征服し橿原宮で即位した開闢の帝。両親を神にもつ、神代と人代を結ぶ者。
その名を
父親は天照大御神から四代目の
ライダーこと神日本磐余彦尊の宝具『
布都御霊剣といえば、建御雷から神日本磐余彦尊に下賜された神剣。いや、一説には刀剣の神威を現した剣、剣自体が経津主神という建御雷と対になる神だとも言われる。
そしてその通りあの剣は剣そのものが神霊級の力を持つ代物である。
「……マジで?」
「認めたくはないが事実だ。言い訳のしようもない」
暗い雰囲気が部屋に満ちる。セイバーはそのまま二つ目の報告をする。
「俺はその断絶剣によりマスターとパスを断ち切られた。だが、それは再度の契約によって修復されてはいる」
「……それは多分、私とセイバーは令呪の一画を使って繋がりを強化していたから見えたんだと思う」
剣の力が断絶であっても、捕えることができなければ断ち切れる説明がつかない。やたらめったらマスターとサーヴァントのレイラインを断ち切られては、一瞬にして聖杯戦争の決着がついてしまうだろう。
「……だからもうレイラインが断ち切られることはあり得ないと思う。だが、あれを倒せるかといえば、難しい」
セイバーは僅か数十分前の戦闘を思い出しながら、苦々しく口を開いた。
「アレから直接聞いた話だが、あれはもうマスターを必要としていない。大聖杯に浸かったというライダーは魔力にも不自由していないから宝具も回数制限なしに撃ち続けられる」
「……お前、どうやってそんなのから生きて帰ってこれたんだ?」
「それは……俺の宝具もあるが、大きくはライダーの方に要因がある。ライダーは、聖杯の泥がどうとか真の姿を見せてやるとか言って去って行った」
「聖杯の泥?キリエが語った以外にもまだ何か聖杯にあるっていうの?」
その時一成は、テーブルの上に置いたノートに手を伸ばした。神父が記した、古びて年季の入ったノートの中にこそ手がかりがあるに違いない。しかしパラパラとめくった程度では把握できないほど、中にはびっしりと文字が書き込まれていた。
また、見られてもどうということのない内容だから置いていった可能性もある。だが、今頼るべきはこのノートだけである。想像明は数冊のノートをひとまとめにして膝の上にかかえた。
「……後でこのノートの中身は精査するよ。とりあえず話はわかった――そして、大聖杯の場所も、推測はついてる。教会を捨てハルカもなく、行く場所ならもう大聖杯の元だけだろうしね」
「それってど……もしかして……土御門神社か?」
春日の地における霊地は三か所。大西山、碓氷邸周辺、土御門神社。春日教会も霊地ではあるが、上記三か所に比べれば格が落ちる。大西山はセイバーがさんざんに破壊しつくし、碓氷邸であれば明が知らぬはずはない。
となれば残りは消去法で土御門神社となる。
「大西山の地下にあるという可能性もあった。セイバーが破壊したのは地上だし、霊地としては春日最大、キリエが陣取っていたのも、大聖杯の設置個所だったから――って理屈もある。だけどさっきライダーが飛来した方向は、教会から南。大西山から来るなら東からになるはずだし」
それに現在大西山には近付きにくい。セイバーによる山を変形させるほどの大破壊により、一般人は立ち入り禁止で昼間は作業の為に一般人が多くいる。教会の影響力とシグマほどの魔術師をもってすればそれらを追い払うことなど朝飯前だろうが、すでに大西山の事件はマスメディアにも扱われており、他のニュースがないこともありテレビはその話題で持ちきりだ。今も警察が頻繁に出入りし、新しい情報が流されていることを鑑みれば人払いはされていないため、大西山は候補から外れる。
「……春日の管理者は碓氷。大聖杯設置の話が出たころはおそらく先代のおじい様のころだろうけど、冬木の御三家みたいに一から聖杯を計画したわけじゃないから、第一の霊地を費やしてまでとは思わなかったから消去法なのかな」
想像明とオリジナルの明は同じように腕を組んで唸った。ぶつぶつと「本当にお父様は私に真実を伝えていたのかな」と不穏なことを呟いていた。
しかし今考えても無駄だと思ったのか、勢いよく二人とも立ち上がった。
「「…よし、話はここまでにしよう。一成、悟さんの傷の手当てをしてあげて。それからゆっくり休んで。今日またすぐにライダーが襲ってくることはなさそうだけど、セイバーは家の中でいいけど警戒はしていてほしい。屋敷の結界が破れてるから」」
言葉は見事にハモっていた。大けがはないものの悟は擦り傷を負っているため、一成は静かに頷いた。それ自体に異論はないが一成が別に尋ねたいことがあったのだが、どうも明と明の様子がおかしい。少し剣呑な空気が漂っているように感じるのだ。
オリジナルの明が救急箱は棚にあるからとリビングの隅の棚を指さしてから、二人の明は揃ってリビングを後にしてそのままホールを横切り、外に出た。
「12月7日⑪ 二人の碓氷明」とカブるところがあるので多少ハショってます