Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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12月7日⑰ 続・夜更ける

 ――仮に無事に戦争を終えられたとしても、やることは山積してるなぁ。

 

 そう思いながらも、明の顔は笑っていた。一成の義手の作成依頼、春日内で起きた騒動――病院での惨殺事件に市街の殺人事件の後始末、ライダーの剣によって断ち切られた碓氷の結界の修復もある。その上、もし最後の決戦において使う魔術の如何によっては、時計塔に出向いての説明も必要になるかもしれない。

 

 正味な話、明には高校を卒業した時点で大学進学ではなく時計塔へ留学する選択肢もあった。大学で経済を学ぶことは、一般世界で生きる方便を学ぶという意味では悪くはなかった。

 だから父も大学進学を許可したのであろうが、当の明はきっと理論的にその進路を選んだわけではなかったのだ。

 

 時計塔に留学することになれば、本当に魔術の徒になるのだと。

 魔術の庇護なしでは生きれぬ体であることを知りながら魔術に生きることを拒み続け、中途半端なまま生きてきた。

 

 ――しかしそれも、もう終わりにする。

 

 今明の手に握られているのは、一振りの剣。自分の部屋に向かう前に一度地下室に寄って取り出してきたものだ。

 明は呼吸を整え、意を決して自分の部屋をノックした。

 

「セイバー、入るよ」

「ああ」

 

 いつもと変わらぬ真面目な声を聴いてから、明はノブを捻った。

 電気をつけた部屋の中に、明のベッドの上で、全裸で正座しているセイバーがいた。

 

 

「……何で全裸なの?」

「……服を脱いで待てと……!?」

 

 セイバーはベッドの上で片膝立ちになり、明の持つ剣を睨みつけた。全長は八十センチあるかないか、刀身は六十センチ程度の西洋剣。刀身は、映り込む部屋の様子が箪笥の模様も判別できるほどに磨き抜かれている。しかしもっとも目につくのは、柄の部分――目にも鮮やかな黄金である。

 総じて芸術品と言っても差し支えない剣だが、セイバーの目つきは剣呑だった。

 

 

「……その剣は何だ?」

「セイバーの言いたいことはわかるけど、大丈夫だから。覚えてる?まだ聖杯戦争が始まったばっかのとき、お父様から手紙と鍵が届いたの」

 

 もう二週間は前のことになる。明がセイバーを連れて教会に向かい、ハルカ――既にその時にはシグマに体を奪われていたのだが――とランサーに会った日のことだ。家を出る時、明は手紙とそれに同封された古い鍵を受け取っていた。

 

「この鍵はね、碓氷が大本の大家から分裂する前に、その大本の大家から盗み出してきた魔術礼装を保管する箱の鍵なんだよ。簡単に言えばウチのお宝」

 

 この礼装を保管する鍵は、もうアンティークと言っていい年代もので複製を作れない。それだけなら物理で箱ごと破壊する手もあるが、箱は明の父が魔術をかけたうえに魔術錠をかけているために生半な魔術師では破壊も開錠も不可能である。

 

 そして手紙とともに鍵が送られてきたということは、父が礼装の使用を許可したということだ。この礼装が明に向いていることを父はよく知っている。

 これを使うことになる筋書きを父が予想していたように思えたが、明はそれを否定するだけの材料を持たない。

 

 基本的に碓氷影景という男は、いつも()の予想を上回って――魔術師であり人でなしであり、賭け事が好きなのだ。

 

 逸れはじめた思考を振り払い、明は剣を掲げた。

 

「セイバーの思っている通り、この剣はあんまり縁起のいいものじゃない。聖剣、神剣、その類とは真逆にある魔剣の類」

 

 魔術刻印は代々受け継がれるものだとは前述した。その受け継がれる最初の魔術刻印のことを、源流刻印という。現代においては既に確立した歴史ある魔導の家から刻印の一部を株分けしてもらい分家となり、新しい魔術刻印を持つというパターンが多い。

 しかし大昔の源流刻印は、魔術礼装や幻想種の欠片を体に埋め込んで核として作成されてきた。

 

 そう、碓氷の源流刻印もその手法で生み出されたものであり、その核となった魔術礼装の黄金はこの剣の黄金と同質である。だから由緒ある品ではあるが紛れもなく「魔剣」であるがゆえに、生粋の神剣使いであるセイバーにはよくないものに見えるのだろう。

 

「今からパスを作る為に、私の魔術刻印ををちょこっとだけセイバーに移植するよ。刻印の大本と同質のこの剣を触媒にすることで、刻印に与えるダメージを軽減できるんだ」

 

 魔術刻印を切り取って他者に与える、しかもサーヴァントになどは本来すべきことではない。それは先祖の研究を後退させることにほかならないからだ。だがある一定以下の損傷に抑えることができれば、調律師の治療を受けて刻印を回復することができる。

 

 セイバーは足を正座の状態に戻すと、静かに頷いた。

 

「……わかった」

「あと全裸じゃなくていいから、下は穿いて」

 

 明は机の中からろうそくとライターを取り出し火をともす。香料が混ざっているのか、微かに甘い香りが漂う。少しあいていたカーテンをきっちりと閉めて、電気を消した。

 

 セイバーが何事かと思いつつ明を眺めていると、突如明が脱ぎだした。まずはタイツを脱ぎ捨て、スカーフを外してブラウスも脱いだ。

 素足に膝上スカート、キャミソールのみである。

 

「……?何故お前も脱ぐ?」

「魔術刻印移植の為には移植者と被移植者の間で高い共感状態を維持する必要があるんだけど、そのためにはできるだけくっついてた方がいいんだよ」

 

 明は恥じらいもへったくれもなくさっさと自分もベッドの上に乗りあげる。そして右手でセイバーの左手を、左手で彼の右手を繋ぐ。足を崩して座り、額と額がつくくらいの至近距離でセイバーを見た。剣は、明の太ももの上に鎮座している。

 

 移植の儀式は明の専門ではないが、方法自体はわかっている。ただ移植するモノがモノであるだけに、失敗は命に係わる。

 否、それは今更である。魔術師である以上、魔術の行使自体に常に精神の危機と死の危険は付きまとう。

 

 ――変なの。ちゃんと生きる、って決めた途端に魔術が怖くなるなんてね。

 

「――明、手が震えている」

 

 内心の動揺があからさまに体に出ている。この状態では移植を行えない。

 

「――あ、ごめん、ちょっと待って、」

 

 深呼吸をして息を整え、呼吸を落ち着ける。暗闇の中で己の内面に意識を集中させる。その時セイバーが、小声で呟いた。

 

「……お前はその体を以て、例えその道に、大事な誰かの死が転がっていくとしても生きていくのだな」

「……?うん」

 

 己の人生の価値をつけられるのは己だけ。自分を愛した人が価値を己に見出したなら、自分も見つけるために生きてみようと思う。結果は無為に終わるとしても、諦めるには早すぎる。

 

「……俺はそれに耐えられなかった。俺が生きることで、大事な誰かが死んでいくことに。どうせ生き続けても、俺自体にも先はない。実際俺が伊吹山で斃れなかったとしても、どうなったかはわからないが……」

 

 セイバーが望んだものは、最後まで手に入らなかった。誓いも果たせなかったが――その日本武尊の生に、価値を見出した者はいたのだ。

 それは美夜受媛であり、かつての東征の仲間であり――誓いが果たせずとも、彼が生きていること自体が旅の希望そのものであった。

 日本武尊が生きていること自体が生還の希望であり――この国の未来であると。

 

「結局俺は人の願いを叶えたいと思いながらも、俺のことしか考えてなかったわけだ。俺が生きていることそのものが誰かの希望だと、考えたこともなかった」

「……サーヴァントとマスターはよく似る。そうだね、私も自分ことばっかだった」

 

 もうこの体で生まれたのはどうしようもない。ならば――運命を規程するほどの力を超えるには、その力を以て成すしかない。明はそう思う。

 

「私は魔術師になる。終わりがどうなるかは、死んでみなきゃわからないけど」

 

 ふと気づけば、セイバーが笑っていた。

 

「……笑うとこじゃないと思うんだけど……」

「いや、済まない。これでは弟扱いも仕方がないと思っただけだ」

 

 なぜそこで弟扱いが出てくるのか、明にはよくわからなかった。一方セイバーはまだくつくつと笑っていたが、顔を上げた。目と目がまともに合って、明は改めて気恥ずかしいと思った。

 

「俺は責任のない適当なことは言いたくない。だから、お前が納得のいく生を送れるかどうかは、結局お前次第だ。もしかしたら、さっさと死んだ方が楽な道かもしれない。それでも、戦うことを選ぶと言うならば――」

 

 既にセイバーの顔は笑っていなかった。どこまでも真摯で真っ直ぐ見つめてくる瞳は、神宮での召喚を思い起こさせた。

 

「たとえお前が道半ばで倒れても、戦った果てに死を選ぶことになっても――」

 

 そう、たとえその人生において望んだものが手に入らずとも。たとえ、道半ばで力尽きても。

 

 それまでの道のりが、全て無駄だったのか。

 それまでの出会いが、全て価値のないものだったのか。

 それまでの行いが、全て徒労であったのか。

 それまでの己が、全て無に帰すのか。

 

「誰の為でもなく、お前がお前を認めなければならない」

 

 そういうセイバーの顔は、思いつめたそれでも悔やむ顔でもなく、ただいつも通りだった。どこか達観したように長く息を吐いてから顔を上げた。

 

「長い話をしてしまった。頼むぞ、マスター」

「そ、そうだね。もうちょっと近寄って」

 

 もうかなりの至近距離だが、儀式には共感状態を高めるために近い方がいいのだ。セイバーはおそるおそる近付き、ほとんど抱き合っている状態になった時、明が奇声を上げた。

 

「ふぎゃあ!」

「何だ!?」

「髪の毛がくすぐったくて……」

 

 明がひきつった声をもらすと、セイバーは呆れた様にため息をついた。明はこほんと咳払いをして仕切り直すと、既に夜の――魔術師の姿になっていた。

 

Levinneisyys,alku(浸透、開始)

 

 漸う明が儀式の詠唱を始めた。魔術のことはわからないが、その声音に動揺や焦りの類は読み取れない。よい感じなのだろうと、セイバーは思った。

 

Pudota, pudota,varjominunyhdistääkaikki(降下、降下、私の影は全てを繋ぐ)

 

 眼を閉じて何も見えないはずなのに、真っ暗ではない。体を包むのはぬるま湯のような液体。その中に浮かんで揺蕩っている。例えるならば暗渠。

 この水の流れは今まで停滞していたように淀んでいたが、今は僅かに定められた方向があるように流れ始めている。そして視界は暗渠の奥深くへ向かっていく。

 

 原初の世界は混沌だという。混沌とは暗闇を意味するのか、それとも光や闇などとは表し切れないものなのか。揺蕩う世界はただ、闇。ひたすらに闇だった。しかし深き闇の中では、微かな光さえ際立って見える。

 蛍光ほどに幽けき光でも、全き闇の中では大きな道標となる。

 

 転々と灯る光はどこへ向かっていくのかわからない。

 果てなき道の先までは見通せない。

 

 一寸先、一歩先、広がるは黒。それでも光が見えるならば、誘われる蛾のようにでも進む。たとえ光がなくとも、止まるという選択肢はない――。

 

 何処からともなく、声が聞こえた。

 

「――待って、お姉ちゃん!」

「明、こっちよ!」

 

 在りし日の光景を幻視する。仲睦まじい姉妹の映像――それが疾うに失われたものでも、もう戻らぬものであっても、大事な――の一部で――

 

 

「……あ」

 

 急激に意識が引き戻され、セイバーの視界は明の部屋へと変わった。すぐ至近距離にいた明はいつのまにか少し離れている。

 キャミソールの右肩のストラップがずり下がったまま、気まずげに眼をそらしている。

 その頬はほんのり朱に染まっている。

 

「……せ、成功したよ。魔力、流れているでしょ」

「あ、ああ」

 

 セイバーの右腕に、令呪を思い起こさせる文様が浮かんで光を淡く放っている。それこそ明の魔術刻印の一部を移植したものであり、新たなパス。一成のモノとは違う甘い魔力が伝わってくる。

 しかし、明は黙ってベッドから降りると、黙々と服を身に着け始めた。

 

「……明、何かあったのか」

 

 もしかしてまた己は粗相をしてしまったのかとセイバーは不安になったが、明は小さくいや、とつぶやいた。

 

「……まあ、しょうがないんだけど、私の中、……見たでしょ」

「見たな。だが明、何故今更……むしろその恰好を恥ずかしいと思わない方が」

 

 明の記憶。魔術師の体の中身。かなり明の内面に踏み込んでいることは事実だが、彼女の過去は今までも夢の形をとりセイバーの中に流れ込んでいた。

 それを恥ずかしがるならば、土御門相手にもタオル一丁で平然としていられることを気にするべきではないのかとセイバーは思う。

 

「全裸なんて自分でも見られるんだから恥ずかしくないの!でも、過去の記憶はわかってるからいいけど……中身とか、自分でもよくわからないものを人に見られるのは恥ずかしいんだってば!」

「……よくわからないのだが」

 

 正直明の言い分はセイバーの理解の範疇を超えていた。しかし魔剣を投げつけんばかりの照れ隠しで、セイバーは曖昧に頷くことしかできなかった。

 

 明はまだほんのり紅い顔のまま、頭を振った。

 

「と、とにかくこれで魔力には問題ないから!一成の方はもう一人の私がなんとかしてくれるから、今日はもう休むよ!疲れたし」

 

 セイバーもいつもの衣袴に着替えた。明はさっさと部屋を出て行こうとしたが、セイバーはその腕を掴んで引きとめた。明は何事かと振り返った。

 

「――一つ、マスターに言っていなかったことがある」

 

 セイバーは自分の服の中から一つの首掛けを取り出した。簡素な紐で結ばれていて、小さな袋がついている。その中から取り出したのは、古い木製の櫛だ。

 

「俺の宝具は草薙剣と天叢雲剣――だが、それとは別にもう一つ、宝具がある」

「それは」

「海に身を投げた妻の形見だ。俺の身を護る結界宝具」

 

 セイバーにまつわる伝説で、櫛といえば思いつくのは一つ。荒ぶる海の神を鎮めるために、その身を投げた弟橘姫。人の命を捧げることで得た魔力は、日本武尊における最強の守護の力であろう。

 明とて、当初はそういう宝具があることを勘ぐっていたのだがセイバーは一言も口にしなかった。ゆえに、そういう宝具はないと思っていた。

 

「昨日までこれを使うことを考えさえしなかった。だが、今日の戦闘で俺はこれを使った。しかしただ使うだけでは、あのライダーに届かなかった」

 

 その時セイバーは己の決意を告げた。「だが――これにはもう一つの使い方がある。俺はこれを壊す」

 

 宝具は一度限りの『壊れた幻想(ブロークンファンタズム)』。英雄の半身でもある宝具を損ない、修復するためには長い時間を必要とする。生前からの宝、亡き妻の形見を破壊するとは――セイバーの過去を知る明は口ごもった。

 

「……それ、セイバーの大事なものなんでしょ」

「そうだ。だが使う――マスターの方針に従ってきたが、基本的に俺は勝つためには何でもする者だ」

 

 そう言って、セイバーは珍しく笑って見せた。勝つためには手段は択ばない。自分の目的を遂げる。セイバーの中で、それは今も昔も変わらない。

 それでもこれほどまでに、この言葉を朗らかに言ったことはなかった。

 戦況が有利というわけでは決してない。ただ、この戦いに勝てば――明には先がある。勝っても勝っても何もなかった、索漠たる戦いではない。たとえ道半ばにして倒れることになっても、生きることを選んだことに価値がある――かつて己が選べなかった選択をした碓氷明という女の未来を繋ぐための戦いなのだ。

 

 

「……それと明、ここを出て行こうとしていたが、ここはお前の部屋だろう」

「……そうだった」

 

 

 

 *

 

 

 

 セイバーを庭へと見送った後残された悟と一成だが、悟も怪我人であり先に応接間で休んでもらうことになった。また一成や明は決戦を備え、さらに作戦会議をすることも鑑み、悟が食事の用意をすると言った。

 明二人とセイバーの帰還を待ちがてら、一成はリビングのテーブルに置かれた古いノートの束に手を伸ばした。おそらく神父としてはもう知られても問題はない内容ばかりだと思われるが、それでも情報源である。

 

 できるだけ早くノートに目を走らせて読むが、大体は「神父はこの聖杯戦争の発端の一人」だということの証左にすぎなかった。中身は神父が冬木の聖杯戦争について調べ上げたことであり、内容は仔細にわたっていたが、基本的にキリエから聞いたことばかりであった。

 

 あまり意味はないのか、とノートを置こうとした時、一成の手はあるところで止まった。

 

 

「冬木の聖杯は、第三次の戦争をきっかけに汚染されている……?」

「いいとこ読んでるね」

「うわっ!?」

 

 脇から顔を出したのは、年上らしく見える想像明だった。当然のように一成の隣に座り、彼そっちのけでノートに眼をやっている。

 

「おまっ、もう一人の碓氷は!?」

「んーもう少ししたらセイバーと戻ってくるよ。一成の方は私がどうにかすることになったから……ふぅん」

「つーか俺をどうにかするってどういうことだ!?」

 

 一成は怒涛の勢いで想像明につっこんだが、彼女はどこ吹く風でノートの記事を読んでいた。挙句の果てに一成の手からノートをひったくったのだが、彼女の眼差しは真剣そのものだったため、一成も雰囲気にのまれ様子を暫し見守ることとなった。

 

 暫くの後、明はノートをテーブルの上に荒く投げ捨てた。

 

「……こりゃ神父、本当に聖杯が本物かどうかなんてどうでもよかったんだね。聖杯戦争というバトルロワイヤルがきちんと開催さえされれば……」

 

 一成がどういうことか問う前に、先んじて明が話し始めた。

 

「冬木の第三次の戦争で、私のアインツベルンはエクストラクラス――アヴェンジャーというクラスで、「この世全ての悪(アンリマユ)」なるサーヴァントを召喚した。けどアヴェンジャーは弱くて、直ぐに敗退してしまった。そして第三次の戦争は、小聖杯が途中で破壊されることで中途半端に終わった。……そして先に消滅していたアヴェンジャーは、その後大聖杯にとどまり続けることになった。だけど、このアンリマユというものはそもそも存在しない英霊だって」

 

 明はノートの文を指さしながら、一成にひとつひとつ説明する。

 

 アンリマユ、とは拝火教の神の名前である。だが、冬木の聖杯戦争において神霊は呼ばれることはない。その正体は、世界がもっと小さかったとき、小さな村にて『この世全ての悪』なるものを肯定するという役割を一身に背負わされ、延々と蔑まれ、疎まれ続けた結果、『この世全ての悪』という反英雄に祭り上げられた普通の人間である。

 

 つまりそのアンリマユとは「世界を呪う悪であれ」という願いそのもの。聖杯は万能の願望器。元々は無色の力の塊である聖杯は、その「アンリマユ」の願いを叶えてしまった。アンリマユの願いによって、聖杯は悪意ある穢れたものになってしまった。

 

「――それは、聖杯は願いを叶えられないということなのか?」

 

 明は頭を振った。「……いや。願いは叶うと思う。だけど、聖杯はその願いを曲解する――すべて悪意で解釈して叶えようとする、いわば猿の手」

 

 例えば「世界一の金持ちになりたい」と願ったとする。聖杯がどういう手段で願いを叶えようとするかは、この聖杯の場合だと「世界中の金持ちを殺して、願った者に金を集める」手段となる。

 

「願いを叶えようとすれば、それに対して不釣り合いな代償があるってことだな」

「そ。まあそれを聞けば、つじつまの合うことも多いんだよ。キリエのキャスター――酒呑童子は前身は神とはいえ、今は魔物・悪鬼の類。それを聖杯が呼ぶのかって疑問だったけど、聖杯が悪意の塊であればそういった反英雄だって呼びうるし」

「……ちょっと気になるんだけど、それキリエも知らなかったのか?」

 

 言われてみれば、キリエが碓氷邸にやってきた時に聖杯の穢れについては説明しなかった。元々聖杯で願いを叶える気のなかった明や一成にとっては大した情報ではないのだが、気になる。

 

「キリエ自体が知らなかった可能性がない事もないね。アインツベルンの悲願さえ達成できれば聖杯が穢れていようとなんだろうと関係ないし、魔力が変質しているだけで量が減ってるわけじゃないから根源にも……」

「浄化とかしようと思わなかったのか?アインツベルンだけじゃなくて、うちも……」

「それはさっきと同じ。願いさえ叶えばあとは何でもいいって考えなら、そんな手間はかけない」

 

 明があっさりと結論づけたが、一成は渋い顔つきをしていた。廃れつつあるとはいえ、千年を数えた魔導の家土御門家――祖父が聖杯の穢れを知らなかったとは考えにくい。

 

 此度は諦めたと祖父は言っていたが、次回は――。

 

「……やっぱり、聖杯は壊すべきだ。たとえまっとうに願いを叶えるものでもそうするべきだと思ってたけどよ」

 

 勿論一成は冬木の最終聖杯戦争、第五次聖杯戦争がどんな結末を見たのかは知らない。だが五回も繰り返し願いが叶うことがなかったとすれば――もしや、一成と同じ結論に至った者たちが願いの成就を阻んできたのではないか?

 そう、一成は都合のいい想像をした。

 

「それには同意だけど、実際大聖杯本体を壊せるかはアヤしい。で、その為に、勝つために――一成には眼を使ってもらいたい。魔力の問題はキリエで解決しちゃってるみたいだし、あとは使い方か」

「や、やっぱりそれ知ってたんだな!?つかなんでそれ知ってんだ!?」

 

 一成はソファからずり落ちる勢いで明に突っ込んだ。今日、教会へと出陣する前にキリエに呼び出された記憶がよみがえる。いや、決してやましいことをしていたわけではないのだ。

 明は深々と溜息をつき、若干口元を歪ませて笑った。

 

 

「まーキリエもキリエで結構テンパってたみたいだけど……一言くらい教えてほしかったかな、パスを繋いだならパスを繋いだって」

「……ご、ごめん。なんか言うタイミング逃しちまって……」

 

 一成とキリエは、サーヴァントとマスターでいうパスを繋いだ状態にある。明がそれに感づいたのは彼女がシグマとの戦いにケリをつけ、一成とアサシンが追い付いてきたときの連絡にあった。

 

 明は結界が破壊されたことによるフィードバックにより碓氷邸で何かが起きたことを知っていたが、一成には異状を知る手段はない。にもかかわらず、彼は明と再会したときに「キリエが危ない」と言ったのだ。しかも明よりも詳細に事を知っていた。

 

 次いで先ほどの報告において、キリエの無事はわかるとの発言から明は確信した。

 

「もし何かがあった時にあなたに助けを求めるためか、またはあなたが危なくなったとき、キリエからの遠隔操作で眼をサポートして使用できるようにするためか、両方か知らないけど」

「……」

 

 一成はぐっと黙り込んだ。まさにこの想像明の言うことそのものずばりがキリエの意図と同じだからだ。キリエとて、わけあって黙っていたのではない。

 彼女はずっと自分がこのままでいいのか、神父と向き合わずにいていいのかと考え続けて、とにかくまだ死ねないと一成に命綱を託したのだ。

 

「とにかく今日は寝るよ。明日の朝は……あなたが一人で眼を使えるように……は無理でも、つかってもらいたいことがある。拒否権はないよ」

 

 おう、と一成は頷いた。明はキリエがいなくなった部屋――父の寝室で眠ると告げて、リビングを立ち去った。


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