Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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第3幕 fate/beyond
12月8日① 最終工程


 星の祭壇。半径二キロはあるであろう円形の空間が、土御門神社の地下深くに広がっていた。天蓋は暗い闇となりどれくらいの高さがあるのかうかがい知れない。

 薄紫色の光がぼんやりと覆っており、空気の禍々しさはここに頂点に達し――祭壇の中央には黒い太陽が浮かんでいた。

 

 燃える地獄、溢れだす憎悪と悪意。ブラックホールのようにぽっかりと空いた穴からは、暗紫色の光りがぼんやりと放たれている。穢れた冬木の聖杯を模倣した春日の聖杯。

 アインツベルンは気にしなかったのか――いや、本当に気にしなかったのは神父の方であろう。彼の目的において、聖杯が穢れているか否かはどうでもよいことなのだ。

 当のアインツベルンの聖杯は、今は神社の境内に横たわっていることだろう。聖杯の降霊自体はそちらで行う予定のため、神父はこちらには滅多に来ない。

 

 祭壇のホールは平らにならされたただの地面のようにしか見えないが、隙間なく魔法陣が刻まれている。発動すれば一目瞭然だが、発動前の今は目立たないのみ。陣を刻むため、その陣の主はここしばらくこの地下空洞に籠りきりであった。

 昼間、碓氷明と遭遇した彼女も、先ほどまで碓氷明と激闘を繰り広げていた彼女も、彼女の本体ではない。春日で聖杯戦争が開催されるという触れ込みに引き寄せられてやってきた、外様の魔術師の肉体である。

 

 熱心に陣を刻んでいたのは、来るであろう碓氷の七代目を倒すためではない。彼女を倒すだけならば工房のごとくにこの場を要塞化する必要はない。

 魔法陣は――魔剣を触媒に聖杯を再構成するためにある。

 

 そして今、彼女は陣を刻む作業を終えて黒き聖杯を眺めている。ふと遥か背後に白い気配を感じて振り返る。

 

「堕落の黄金よ、お前の準備は終わったようだな」

 

 当然のようにライダーが悠然と立っている。ちらりと黒い太陽に眼をやるものの、大した興味はなさそうに視線を戻した。

 

「あら、ライダー。あなたこそ街を歩き回らなくていいの?そういえばずっとここにいた烏の姿が見えないけれど、どうしたの?」

 

 ライダーの宝具でもある烏は、戦闘時以外はライダーと行動をともにせずこの地下空洞で飛んでいた。ライダー自身も烏を常に連れるつもりはなく放っていたが、姿が見えない。

 

「あれは焼き鳥にして食った」

「は?」

「言葉の綾だ。フツヌシは大聖杯の魔力のあおりで、最大解放するためには少々神性が落ちている。その分、烏の神性を取り込んで解放しようと思ってな」

 

 ライダーは現界する前に大聖杯そのものの魔力に浸かっている――冬木の聖杯からそのまま『この世全ての悪』に侵された聖の杯。シグマから見れば、あの悪性に浸って正気でいられること自体が規格外なのだ。

 以前に『犠牲もある』と呟いていたのは、このことかとシグマが思った時、ライダーが口を開いた。

 

「ハハッ、セイバーには最初から『天啓齎す導きの金鵄』は効かないが、あの草たちには違う。あれが開帳できなくなった今生け捕りにするには、お前はお前自身の力でやらねばならぬということだ」

「別にいいわよ。明ちゃんが碓氷の家宝を持ち出せばあまり意味なさそうだし、烏さん。というか持ち出す前提で考えてるし」

 

 シグマはつんとそっぽを向いた。美玖川周辺にて展開された昨夜の戦い――傀儡化した魔術師を通してシグマは明の戦いとその変貌を確認している。

 おおよそ彼女が何をしたかは把握しているが、その未来の彼女を以てしても工房を設置したシグマには届かないと、彼女自身は見ている。明自身とて楽観はしているはずがない。

 ゆえに明がシグマを下そうと思えば、碓氷の家宝に頼るしかない。

 

 今やシグマと神父の目的は大局で一致している。神父の「聖杯戦争を開催し続ける」という願いを成就させれば、ここ春日には有象無象玉石混合に魔術師が終結するであろう。それら全てがマスターとしての資格を得ようと得まいと、シグマとして関係がない。

 

 聖杯につられてやってきた魔術師・呪術師・錬金術師を食らい糧にするのが、シグマの目的である。いちいち彼らをを捜し出さなくともここ春日にいれば集まってくる。

 

 ――食えば食うほど、この刻印と回路は肥え太る。

 

 シグマ・アスガードには己がない。巫女として最適の肉として生を受けた彼女の身体は、生まれる以前から降霊を行うためだけに改造されていた。

自分以外の何かを己の身体に降ろす時に、自我は邪魔でしかない。ヴォルヴァの神落しの儀式が性的恍惚を伴うのは、自我を喪う方法として簡便なことも理由の一つだ。

 

 

 ――きっと、一番降霊に適しているのは人形なのね。

 

 今にしてシグマはそう思うが、かつての実家にいたときには考えもしなかった。代を重ねた降霊の大家は、虚ばかり巣食わせた女を生んだ。神代の御業を現代にまで遜色なく引き継ぐため、かの家に生まれる女に己などないことが常だった。

 

 彼らの期待に違わず、シグマは傑作だった。

 

 ただその虚が、虚でい続けることに耐えられなかったことが彼らの誤算だった。

 己が空虚なら、他のもので埋め合わせるしかない。

 

 

「さてシグマ・アスガード。今宵、あやつらはここに来るだろう。公とセイバーがここでやり合えばここ自体が崩壊するゆえ、地上か上空で演じてみせよう」

 

 なかなかもってセイバーも見どころはある、とライダーは楽しそうに笑った。本来この英雄は聖杯を正すべく大聖杯に居残ったのだ。その目論見は果たせずとも、彼はあくまで彼のままここに立っている。

 

「勝者に聖杯を与えよう。ゆえに勝って見せよシグマ・アスガード。あの道楽の殉職者と共にな」

「勝つわよ?だけど聖杯は神父のものでいいの。私は聖杯を以て私を満たそうなんて思っていないから」

 

 だってお腹いっぱいになったら、楽しい食事が終わってしまうじゃない――黄金の髪の女は臈長けた笑みを浮かべた。

 

 

 

 *

 

 

 

 冬の早朝は当然のごとく寒い。しかも夜明けすら迎えていないのであればなおさらである。

 そして一成と想像明が立っているのは、荒れた碓氷邸の庭である。昨日の激闘の色もそのままに、二人は立っている。

 想像明はいつものブラウスにスカートに紺色のコートを着た格好、一成は神主衣装に茶色のコートと、こちらも通常の格好である。

 

「寝る前にも言ったけど、こっちは敵についての情報が足りてない。神父のノートは有益ではあったんだけど、流石にシグマの力が書いてあるわけじゃないし」

 

 庭のど真ん中、地面に立つ想像明は腰に手を当てて説明した。なお、神父側にも碓氷の魔術のすべてが漏れているわけではない。

 魔術師が自分の家の魔道を他家に教えるなど分家にもならないかぎりありえない。ただ、大本を同じくするシグマがいるあたり、神父の情報とあわせて分析されている可能性は高い。

 

「こっちも対抗策はある。だけど相手ははるかに格上の魔術師。手の内をすべて暴いたとしても勝てるかどうか」

 

 相手が百メートル十秒で走れることがわかっても、今の自分が百メートル九秒で走れるようになるわけではない。しかし力の差に唖然とするだけかもしれなくとも、戦力は把握する必要がある。だが今から土御門神社に乗り込めばそれこそ戦闘再開であり、隠密行動のできるアサシンはもういない。

 

「だったらもう一成の眼に頼るしかないんだよね。そうか、キリエがいればな……まーないものを言ってもしょうがないんだけど」

 

 そのため、一度睡眠をとってから眼を使う相談をしようと一成と想像明は決めていたのである。そうしてこの状況に至る。

 

 あの時――キリエが碓氷邸にやってきたときは、明は己とセイバーのことでいっぱいいっぱいだったために気が回っていなかったが、キリエも内側で不安定な状態だった。

 一成にパスをつないだことも土壇場でなされたことだ。キリエは生き続けるつもりだったから一成にパスをつないだ。

 もし私が危なくなったら助けて、との願いをこめて。

 

 千里天眼通。「」へとつながる眼。しかし使用のネックは、一成にコントロールがまったくできていないこと。起動と終了を制御できず、その上使用に伴う魔力消費に一成の魔力と聖杯からの微量の魔力を加えてもおいつかない。

 その魔力不足が大西山では吉と出たのだが……。

 

 キリエとのパスはそれらすべてを解消し、眼を使用するための策だった。要するにキリエに一成を遠隔コントロールさせるわけで、キリエが眼を起動させ「」との接続を切り、伴う魔力消費もすべて彼女が請け負う。

無論キリエとて眼の使い方を知っているわけではなく陰陽道のエキスパートとも言いがたいのだが、それでも魔術師としては一成よりも遥かに格上であり、確実だった。

しかしそのキリエの意識も今はなく、魔力源としては頼りになるが肝心のコントロールができない。

 

 実際の決戦で眼を使う必要があるかはまだ判断できないが、とりあえず今一度だけ使いたい。ちなみに明がパスをつないで一成の眼を開くことは現実的ではない。明はキリエと異なり陰陽道の魔術経験が全くなく、かつ想像明とセイバーの二人に魔力を与えている状態なのだ。

 

「キリエも「」との接続を切るのは楽と想定してたはず。キリエから供給している魔力を止めればいいんだし……まあそれはパソコンの電源をいきなり引っこ抜いて切るみたいなやり方だから、やりすぎると本当に脳に損傷がいくよ」

「……マジかよ。キリエぜんぜんそんなこと言ってなかったんだけど」

「んーそれは急いでたのと、もうわかりきってるから説明しなかったんじゃない?そうなるよ、って言ってもあなたは頷くって」

 

 信用されているにしても少し複雑な気分になった一成だが、正直自分でも明の予想通りだと思うので反論できない。一成にかまわず、想像明はてきぱきと話を進める。

 

「というわけで問題は起動。確か起動したのは大西山での戦闘だと思うけど、そのときのこと覚えてる?私は直接見れてないから」

「そういわれてもなー……ただただ必死だったって感じだしな。アーチャーの固有結界の中で、あいつが真っ先にアサシンを殺しにかかるのを見て俺も死ぬ、って」

 

 結局アーチャーに一成を殺す気など微塵もなかったのであるが、あの時点で一成に気づくことはできなかった。アーチャーの濃密な殺気の中で、あれは目覚めた。

 すると、明が呆れたようにため息をついた。

 

 

「じゃあ、もう一回死ぬしかないか。――Muutin tasaiselle alustalle,(平面移動、)En ole tässä maailmassa(我は架空の存在なり)!」

「はっ……!?」

 

 突如一成の目の前から明の姿が消えた。いったい何事かと思ったそのとき、背後に人の気配を感じてとっさに前方へと走って逃げた。

 ちり、と背中のコートの表面が裂かれたことで刃物が振るわれていたことを理解した。

 

 

「何だお前!?」

「ほら、さっさとしないと死ぬよ?」

 

 一成が振り返った先には、大西山での戦闘で使っていたナイフを握った明の姿があり――一寸の躊躇いもなく彼女は素早く踏み込み一成の腹めがけて刃を突き出す――!

 まさか、と思いながらもその速さに止める気配はうかがえず、一成はとっさに魔術回路を励起させ詠唱を行った。

 

「急急如律令!」

 

 一成お得意の防御障壁。だが慌てての急造であるため、強度は話にならず明のナイフにあっさりと砕かれてそのまま黒い刃が彼の腹に突き刺さった。

 

「……ッ!?」

 

 深く体にもぐりこむ深い刃。痛みよりも衝撃が先に勝ったが、刃が引き抜かれると同時に血が噴出すのを見て、一成は現実を自覚した。

 白い装束が塗れた赤に染まり、燃えるような痛みを認識した。

 

「……っ、おい、碓氷っ……!」

「ほら、早く使いなよ。(あのこ)は殺しが嫌いだけど、理想たる私は違うからね?……Puhun(語る)――Tarina johtaa tyhjyyteen(虚無に至る物語)

 

 明はくず折れそうな一成から距離をとった。だがそれは、彼に猶予を与えるための行為ではない。血に塗れたナイフで一成を指し示し、詠唱がつむがれる。明の唇が動きをとめた刹那、赤黒いナイフは彼女の手になかった。

 

 苦悶の叫びを上げる暇すらない。そのナイフは虚数空間を通過して空間を超え――一成の体の中、まさに心臓へと突き刺さった。

 

 

 

 

「……」

 

 ここは一体、どこか。一成が眼を覚ました時、世界は一面の闇だった。この現代において味わうことさえまれになった真の闇。

 距離も時間も空間もなく、高いのか低いのか、自分は血に足をついてるのか浮いているのか、ずっとここにいるような来たばかりのような。

 

 しかし、明確な理由はなくとも――ここにずっといることはよくない気がしていた。ここは、ひどく寒い。

 

 

「……」

 

 ああ、またあれか。いつだったか、見た記憶がある。大きいようで小さく、小さいようで果てしなく大きい黒い箱。触らぬ方が良いと知っている箱。

 真の暗闇であるはずなのに、何故かその箱の輪郭ははっきりと掴めた。

 

 しかしこれからどうしたものか。そもそも、自分はいったい何故こんなところにいるのか。こんな場所、一刻も早く離れたい。

 寒くて冷たくて、ここには誰もいない――あの箱の傍にいたくないのだ。

 

 帰らなければ――どこへ?

 帰らなければ――何のために?

 帰らなければ――誰のために?

 

 そうだ、帰らなくてはならない。

 だけど手ぶらでは帰れない――何かあの箱に触れるため、そう探すための鍵が欲しい。

 

 

 

 

 東の空が薄らと紫に染まっている。夜明けはほど近いだろう。碓氷邸の庭の真ん中――土御門一成は仰向けに眼を開いて倒れていた。

 想像明は倒れた彼の上に跨り、額にしかと手を当てている。

 

Kerro Gjallarhorn,(ギャラルホルンの角笛よ、)Alku Ragnarok,Oma viisaus, (ラグナロクの始まりと我が知恵、)minun ohi(我が記憶を伝えよ)……」

 

 彼女が行っていることは、自らが知り得るシグマ・神父・土御門神社についての記憶の共有だ。一成の千里天眼通をまともに機能させるためには、情報を検索するための鍵が必要になる。その鍵――情報を、明の魔術で伝え続けている。

 

 想像明は礼装のナイフで一成を刺してはいない。一成が体験したであろう明のナイフによる攻撃は、すべて幻覚魔術によるもので一成本体には傷一つない。

 起き抜けに一成を呼びに行った時から一成の感覚は明の支配下にある。明は暗示や幻覚の魔術を得手とするわけではないが、ここは腐っても自分の工房である屋敷。一成程度の術者相手にかけるのなら難しくはない。

 

 一成の話を聞く前から、おそらく天眼通発現のきっかけは「死にかけたこと、もしくは死を間近に感じたこと」であろうと見当はついていた。

 魔術とは修行の初歩で死を観念するもの。死という絶対にして最終的に不可避の無、そして「」に近いものに触れることで呼び起こされる力は多い。

 

 

 ――ただ、今の私と一成じゃ……。

 

 当初はただの共闘であったのだが、予想を超えて共にいすぎた。そしてお互いがお互いを「信頼に足る」と認識してしまっている。

 それは悪い事ではないのだが、その関係の中で「お前を殺す」としても説得力がない。それに本当に殺してしまったら、困るのは明でもある。ゆえに殺しはしないがそれに匹敵する状況を再現するために――明は一成を幻覚の世界に引きずり込んだ。

 

 その中で、明は彼を殺している。

 

 肉体的に一成は傷一つつかない。しかし、それは無事を意味しない。一般の世界にもプラシーボ効果と呼ばれる――鎮痛剤と聞かされて薬を飲んで痛みが治まったとおもったら、その薬はただの砂糖の塊だった――ものがあるように、本当に「死んだ」と精神が認識した場合の肉体への影響は計り知れないものがある。

 とくに魔術という精神に重きを置く活動においては……。

 

 

「……ッ!!」

 

 その時、今まで微動だにしなかった一成の身体が跳ねた。次の瞬間、バネ人形のように明を突き飛ばして、一成は立ち上がった。その体は左右に揺れて不安定だったが、頭を抱えてながら前を向こうとしている彼の眼は通常と異なり、蒼に燃えていた。

 

 ――これが千里天眼通か、と明は息を呑む。立ち上がった時点で、明の幻覚の魔術は解除されてしまっている。その時点で彼は命の危機を脱している。

 

 

「……」

 

 天眼通の発動は成功したが、明の送っていた記憶で「」を検索できたのかどうかは判断がつかない。しかし、今のまま彼を放置して待つことはできない。

 彼の蒼い眼はもう焦点があっておらず、熱病に浮かされた患者のように何事かを呟いている。「」から流れ込む情報の制御ができず、ただ魔力が尽きるまですべてが叩き込まれるのみ。

 

 明は勢い避く地を蹴り、一成の胴体に掌底を叩き込んだ。隙だらけの身体はあっけなく、大きく咳き込んで明へと頽れかかる。

 

Lain Lainaus,Pyöreä die(戒律引用、循環は死に絶える)……!」

「うっ……」

 

 一成の身体が大きく体が跳ねた次の瞬間には、ぐったりと脱力していた。明は一成の重さをささえつつゆっくりと庭に寝ころがしたが、既に意識は失われていた。

 

 自分の魔術回路を一成の魔術回路に接続する術式妨害により、一成の魔術回路をショートさせることで強制的に止めたのだ。本来この手のジャミングは一流の魔術師には通じないどころか、逆に自分の魔術回路をショートさせられる危険すらある。つまり、一成が魔術師として未熟であるが故にこの手法は使えたのである。

 

 彼が視た結果は一成をたたき起こさなければわからないのだが、とりあえず彼は無事である。話を聞くにしても冬の早朝に外に居続けたせいで体が冷えてきた。

 一度部屋に戻って休ませようと、明は一成を背負って屋敷へと戻った。

 


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