ライダーの突撃を皮きりに、二騎のサーヴァントは戦闘を開始した。双方とも破壊力は自然現象そのものと称して偽りのないサーヴァントだ。
ライダーが気遣ったのか、セイバーが明の命令を重視したのかは不明だが、二騎は光を放ちながら空へと戦場を移していった。
ゆえに今土御門神社の本殿前に立つのは、御雄神父と土御門一成の二人のみである。本殿の上空に吊り上げられたキリエを気にしながらも、一成は鋭い眼で神父を睨みつけた。それに応え、神父は薄く微笑んだ。
「二、三日ぶりだな、この戦争オタク神父」
一昨日の碓氷邸襲撃の際、一成は神父と直接対話をしたわけではない。ただキリエとのパスを通じて、異様な会話の一端を知っている。
人の営みの極限として、戦の鑑賞を求める神父。
「――ふむ。前回は話す時間も余裕もなかったからな、土御門一成」
神父の足取りは、武術の熟練者のように静かで気配を感じさせない。聖杯戦争にとりつかれ、戦争を見たいという「道楽」の為に全てを費やしてきた神父は、ここでも常と変わらない。
只、聖杯戦争を見てみたかった。その願いで生きてきた神父は、今だに堂々と立ちふさがる。
「お前、戦争が見たいんだってな。だけどなんでよりにもよって聖杯戦争なんだ。人と人とが争うのは――イヤだけど、紛争地帯でもどこでも、世界中で起こってることだ。なのに何で聖杯戦争に拘る」
神父はク、と笑った。「――例外はあるが、基本的に聖杯戦争の参加者は自ら参加しようと志している者であることが大きい。そして英霊という、聖杯戦争でしか見られぬものもある」
「?」
「私は紛争地帯にまで足を運んだこともある。だがな、あの地で実際に命を懸けて戦う者は主体的に戦闘を望んだわけではない。ただ生まれた場所がたまたまそこで、たまたま戦わずには生きられなかった者たちだ。戦いを望んだわけではないだろう」
一成とて、最初は彼なりの望みがあって参加を決めていた。悟も――アサシンがやめておけ、と誠意を以て忠告したにもかかわらず、自ら参加を望んだ。確かに世界の紛争と比べれば、はるかに自分の意志が反映されている。
「――英霊も、召喚を拒否することができる。にもかかわらずサーヴァントに身を落としてまで人類史に名を遺した英雄が戦うなら――それほどの強い理由で、強い願いで戦う戦が興味深くない訳がないであろう。監督役の立場は観戦という意味で、良い立ち位置だったよ」
一成は絶句した。神父がすがすがしく語る姿を見て、彼に悪意がないことが本当にわかってしまったから、黙らざるを得なかった。
御雄神父は明や一成、果ては他のマスターを害する気はこれっぽっちもない。争うさまが見たいという欲だけ。
しかし――その思いに至るまでの過程が、一成にはさっぱりわからなかった。
「アンタ、なんでそんなことしようと思ったんだ」
「解ったら苦労はすまい。畢竟、私には自分の人生よりも人の人生の方が尊かったのかもしれない。この道楽なしに私という存在はありえない。つまり私自身には何もないわけだからな」
「他人を尊い、って思う奴がこんな他人を何人も殺しかねない危険な儀式を喜々としてやるわけねえだろうが。お前、自分の娘まで聖杯戦争の為に使い捨てやがって」
一成自身は神内美琴と深いかかわりがあったわけではない。ただ教会にて一度会話をしたきりだ。御雄は深いため息をつき、しかと一成を見据えた。
「……美琴か。あれを拾ったのは自分を試したかっただけだが――結局私には親の情など得られなかった」
一成の手は僅かに震えていたが、それはいつしか止まっていた。
自分が傷つくことを了解していても、自分が誰かの命を摘み取ることを考えていなかった。それはバーサーカーとの戦いで嫌というほど思い知ったが、今や腹は決まっていた。
本人は優れた魔術師ではなくとも、碓氷や土御門、アインツベルンという他人を巻きこむことでこの男は戦争を甦らせた。
かつてアーチャーは言った。人はどのような状態にあっても、人と争う。争うことを真に止めるとすれば、それはもう人ではないと。
争い全てを肯定するわけではない。避けられぬこともある。
戦うしかないこともある――しかし、神父の願いはむやみやたらに戦を増やすだけ。
――このままにしてはおけない。
「これが最初で最後だ、土御門一成。私の願いが成就すれば、私は再びこのように戦うことはない」
「そうだな、最初で最後にしてやるよ」
方や聖杯戦争を続けるために、方や聖杯戦争を終わらせるために。彼らには最初から妥協の道などなかった。神父の背後、本殿の上から泥がしたたり続けて、本殿は半ば溶解して沼となっている。
「……急急如律令!!」
一成の詠唱とともに成されたのは、自らの身体強化。起源的に「身を守る」意味での身体強化であるが、自分から攻撃を仕掛ける際の反動を防ぐ機能にもなる。
されど通常の状態では相手を害する魔術が使えないがゆえに、彼は自らの腕で神父を殴りとばさんと走る。神父は右腕を伸ばし一成を指さして、遠当てを放った。しかし身体強化を施している一成は、全く躊躇することなく、魔力塊が直撃するのも厭わずに突き進む。
明曰く神父は「魔術師としては三流、代行者のような武闘派でもない」――ゆえに一成は勝ち目がある、はずだった。
急接近する一成に対し、神父は何も持たぬまま手を伸ばす。何をしてもかまうかと、一成の渾身の拳は神父の頬を激烈に痛打する。しかし神父もただ怠けて生活してきた者ではない――その体が吹き飛ばされることはなく、ふらりとよろめいただけにとどまる。
「――ッ!!」
しかしよろめきはよろめき。一成はただの拳で神父を倒せると思っていない。只管に拳を叩きつけるのではなく、明より借り受けた影のナイフを左手で取り出す。どこでもいい、ただの一突きを浴びせかければよい。
いかな聖杯戦争という修羅場をくぐってきているとはいえ、一成は専門的な戦闘の訓練を重ねた者ではない。神父は出血も厭わずそのナイフを掴み、さらに言葉を紡いだ。
「一二三四、
「!?」
それは神道における祓いの魔術。物部氏の始祖たるニギハヤヒが葦原国に降りる際に、天照大神から授かったといわれる十種の神宝とそれにちなんだ呪言である。
詠唱が完了すると同時に、神父の手の血はとまり動きも俊敏に一成から距離を取った。
「――本来神道魔術とは「祓う」呪術でな。直接的に敵を殺めるものではない。それらは後年陰陽道呪禁道との混交によって取り入れられたもの。今や陰陽道を明確に分かつ術はないほどに混ざり合った神道には、呪いもある」
殴られた頬を撫でながら、神父はゆったりと手を広げている。右手には白い人形、左手には何もないと思いきや、何かの毛が数本握られていた。
まさか、と一成は不吉な予感にとらわれた。一刻も早く神父を倒さなければ、こちらが殺される。
神父は右手の親指をかみ切ると、数本の毛と人形もろともにその血を擦り付けて詠唱を為す。その声は一成と同時に発せられた。
「「急急――如律令!!」」
一成は自分を護るための防壁を展開したが、その行為は無意味と帰した。神父との距離は十メートル以上あるにもかかわらず、矢が飛んできたわけでもなのに動けない。
気道が塞がれて息ができない――見えない何かに首を絞められている。
「か……」
かろうじてその場に崩れ落ちることはなかったが、走っていた足は止まる。神父の手に握られている人形による呪い。
――呪術には大きく分けて「類感呪術」「感染呪術」に分けられる。類感呪術は象徴を扱い、感染呪術は記号を扱うとされる。どちらも「同じ形をしたモノには何らかの共通性がある」という意味で呪術は「共感魔術」と呼ばれることも多い。
象徴とは「良く似た何かを、対象に見立てる」、記号は「モノの一部をモノそのものに見立てる」ことを意味する。人形は人間そのものに、毛は――一成に一撃殴られた際に奪った彼の髪の毛。
つまりこれは紛れもない呪術であり、なじみ深いところで言うと「丑の刻参り」の変形である。
人間に見立てられた人形は、髪の毛という情報が与えられることで「土御門一成」という一人に限定される。神父の持つ人形は、無残にも首がねじ切られている。
確かにこの男、魔術師としては三流、神父としては二流であろう。だが呪術師としてはどうか?明も知らなかったくらいだから、その腕は多少錆びているにしても。
「……く、ぁ……」
声は出せない。呪言を唱えて呪符を芯に魔力で剣を編み上げた神父が、一成の命を絶つべく走った。詠唱はそもそも自己に働きかける言葉であり、詠唱に代わるモノがあれば省略や代替はできる。
一成は地面に足をつき、片手で五芒星を切った。
ギン、と鋭く刃が交錯した。神父の剣と、一成のナイフが交錯して弾き合った。一成は息も荒く神父から距離を取った。
呪術は強力ではあるが、仕組みとしては単純である。さらに「保護」を得意とする一成にとって解呪自体は困難ではなかった。
「……てめぇ、呪術師」
「お前とそう変わらない系統だ、陰陽師。流石に直接殺せるだけの呪殺は不可能らしい――……
唱えられた日本の最高神の御名は
もう間違いなく、呪術の腕では神父の方が上である。一成と同じく、魔術の特性的に傷つけることを得手としないその術は一成を拘束してふわりと空に持ち上げた。
それをすかさず何かをさせる間もなく、投げた。自分の居る場所を遥かに超えた、土御門神社の本殿へと。
キリエが吊り上げられ、黒い孔から泥が漏れている呪いの沼へと。
「……!!」
あれは物質化した呪いだと、流石の一成も理解している。そんなものに体からつっこんでしまえば、短時間ならともかく命の保証はない。しかし空中で方向転換することもできず、一成はただ放り出されたままに眼下に、目の前に黒々とした泥が広がるのを見た。悪意の塊、観たことがないほどの濃度の呪い。
できることはありったけの魔力で呪いを跳ね除ける防御を行うことだけだ。
「――急急如律令ッ!!」
本殿は、真上の孔から漏れ出る泥に溶解させられて半壊している。神殿でありご神体を納めるはずの本殿前方は泥により床まで腐り落ちていた。かろうじてご神体を修めている後方が残っていたが沼と化した呪いの上に立っている楼閣で、いつ足元から崩れてもおかしくない。
その近づくことさえ厭わしい災いの中に、一成は体ごと飛び込んだ。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す――――。
おぞましい、ものを見た。およそ短い人生において、まだ、否永久に知りたくないほどの呪いに触れた。
にもかかわらず彼が正気を保って沼の中に立っていられたのは、キリエとラインを繋いでいる為にある余剰魔力の賜物であり、彼の起源を以てしても彼だけではあっと言う間に魔力が尽きていただろう。
這い上がる
土御門神社、御祭神は勿論安倍晴明。奉られているモノは確か「……呪いの中でまだ生きていたか」
一成が振り返る先、沼の縁には神父が立っている。手には再び人形が握られており、再び呪術を実行せんとする。今、ここであの呪いをかけられるのは困る。
今は足元から侵食する呪いを防ぐことに全力を注いでいるのに、その上外部からの呪いに対応できない。
「おそらくお前が最後になるだろう。私が私の手で殺めるのは」
傍観者たることを望み続けた神父は、何の感慨もなく血に濡れた人形を突き出す。無造作に無感動に、自分の行動自体には何の興味もないように、細い人形の首をねじ切った。
とにかく無事に逃げろと明は言ったが、一成にそれは叶わない。
それでも生き残るとするならば、後先を忘れて辿りうる根源<安倍晴明>にて殺す。
思い出せ、大西山での感覚を。思い出せ、幻想の中で碓氷明に殺されたことを。
魔術回路を起動させるときの剣戟よりももっと鋭くもっと深く、心臓を抉り取るようなあの――死の感覚を。
――竜より賜った蒼の眼。
現時点で引き出せるものは、この血肉も以てする千年前の陰陽師だけ。
「……ッ、解!」
縊る呪術を一言で解呪し、一成は泥の中を走った。いくら術儀を身に着けても体は生身の人間であり、この泥は毒に過ぎる。空から滴り落ちる呪いから免れている御神座へと飛び移り、扉をこじ開けて乱入し、彼はやっと人心地つく。
祭壇に奉られている御神体は白い木箱に封じられている。一成はよろしくないと知りつつも、その箱に手を伸ばし懐にねじ込んだ。
一成は激しい頭痛を噛み殺しながら、すぐに御雄神父の方へと振り返る。沼を挟んで立つ男は、動揺せずに言葉を紡いだ。
「……噂には聞いていたぞ、土御門一成。その力がお前を焼き果たすが早いか、それとも私が殺されるほうが早いか――
十草の神宝に基づく祓いの言葉を以てしても、聖杯の泥を浄化することは叶わない。しかし唱えられた言葉は神父の身体を覆いつくし守護する防護となる。
信じがたいことに、神父は自ら泥の沼に一直線に飛び込み脇目も振らずに走り抜ける。さらに呪言を重ねる。
「
自ら持つ剣とは別に符を撒き散らし、それを核に幾本もの剣を精製した。それだけならただの剣だが、さらに聖杯の泥をも纏わせた。一撃、一切するだけで死に至るであろう必殺の剣。
一成は蒼い目で向かい来る神父を見据え、ひとつ唱える。
「――叫べ、
魔力によって強制的に突き動かされる大気の塊。物理攻撃として大嵐の風が容赦なく神父と剣を襲うが、彼らは止まらない。
「
風圧をものともせず、剣は一成へと襲い掛かる。ライダーが操る布津御霊ほどの精緻なコントロールはなく、しかし放たれた矢のように飛ぶ。
既に一成は数秒先の未来を予測しているため、泥の剣を避けることは容易かったが神父は止まらない。あの呪いは、たとえ魔力による保護を施したとしても耐え難いほどの苦痛を与えるにも拘わらず――その姿を見て、眼のゆえかあるものを感じる。
「……お前、自分のことは――興味がないのか」
人の戦いをみることが欲望。それはわかるが、そのために費やした神父の労力と人生は計り知れない。魔道を辞めて、親交もない聖堂教会に身を移し、三十年以上もこの時だけを待っていた。
キリエを通じて知った話からもわかるが、この神父はそれ以外に何も残していない。
その呟きが届いたのか、神父は不釣り合いなほどににこやかに笑った。
「つまらないことを言うな、陰陽師。自分に興味も何もないからこそ、世界が色鮮やかに見えることもある」
「――ッ!!呪相・
空を焦がす豪熱を纏い天に迸る炎柱も、神父は祓いの術で突破する。神父の呪術師としての腕は一級といって差し支えない。
ずぶり、とより深く沼へと足を踏込み、神父は一成の元へと、御神座の前に辿り着く。扉はすでに呪いの剣でぐずぐずに崩れ去っていて、御神体を祭る祭壇を露わにしていた。
「ぐ……」
半ば崩れ落ちた本殿の畳の上で、二人は再び対峙する。炎天でカソックが焦げていたが、神父本体にやけどはない。ただ一流の祓いを以てしても、一成の術を防ぎながら聖杯の呪いから逃れ続けることは至難であり足許から呪いの浸食が始まっていた。
しかし一成も呪いとは別の部分、千里天通眼による根源検索による情報過多により割れんばかりの頭痛に苛まれている。しかし一成は思考の片隅で可笑しい、と感じていた。晴明の術はこの程度ではないはずだ、と。
大西山での戦いでは晴明レベルの魔術を行使できるようになっても、魔力が足りずに大仰な魔術は実質使えなかった。しかし今はキリエとパスを繋いでいるため、その点を解消できているはずだ。
ならば何故、高度な術を使えないか。それは、明に頼まれた神社の検索ですでにわかっていたことだが、一成は「検索」も完全にこなせていないからだ。
ゆえに情報の波にさらわれ、肝心の「欲しい情報」の検索も不完全にとどまっている。今だ一成は、陰陽術の深奥を掴んでいないのだ。
本殿の最奥、御神座という神聖な空間において神父は穢れも厭わずに剣を向けた。
「――本来、私はここまで戦いに出張るべき人間ではない。これが最初で最後の表舞台だ」
道楽が体と人生を蝕む域に達していても、自らを侵す呪いも、寿命の長短も、きっとこの神父には関係がない。神父・神内御雄がどうしてこのような想いに至ったのか、生まれつきそうであったのかは結局わからない。
ただ
――その解る事実だけで、一成の勘に障る。
別に神父が何を考えていようと、どうでもいいのだが……。
「神父、俺はあんたが嫌いだ」
「知っている」
その時、みしりと畳が、そして柱が歪んだ。既に本来の形状をとうに失っている本殿は、支える柱もないたためいつ全壊しても可笑しくない状態だった。
二人の呪術使いの足場は一気に崩壊し、再び祭壇もろとも沼へと落下する。