Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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12月9日④ 今生きるものたち

「――!!」

 

 御雄と一成は二人そろって再び、悪意の泥沼へと落ちていく。回避する方法がないのも同じ。ぞぶりとおぞましい音と共に、陰陽師と神父は悪意に浸かった。

 御雄神父は呪いで寿命を縮めることを最早全く恐れていないのか、呪いの浸食を防ぐために割く魔力を最小限にとどめて呪符を核にした剣を生み出した。

 

 神父と同様にどっぷりとつかりながらも、一成は違う――絶対にこいつと心中などしてたまるかと強く思っている。命にすら響く泥と頭痛の中で、すべきことを見定めた。

 

 一成にできることは限られている。

 ――するのはより精緻な「検索」しかない。ある意味地の利、晴明神社のご神体――「占事略決」写本。

 安倍清明が記したとされる、陰陽道に関する最古の書物。真本は失われて久しいが、同じく魔術師である高名の陰陽師が書写した本が御神体として祭られている。

 

 自分の血肉に加え、さらに精緻に情報を引き出すためのインプットはある。やってできないことはない――目前に迫る泥の沼から自分を守るよりも、一成はそちらを優先した。

 

 頭痛が止まらない。襲い来る暴力的なまでの情報の奔流にさらされながら――さらに間近に忍び寄る悪意の呪いを感じながら、一成はひたすらに自分の内側へと意識を向ける。

 

 ――安倍晴明。

 稀代の陰陽師。脳裏に過るのは――酒呑童子/玉藻前/土蜘蛛、都を脅かす妖魔の群れ。

 

 それらに臆することなく、ただし基本は直接手を下すことなく――日本史の英雄たちが退治するのを手伝うにとどめる、大陰陽師の姿。

 

 ――来い。なんでもいい、今こいつを倒せるだけの力を!

 

 

「ハッ!」

 

 閃くのは、神父の泥の剣。呪いをまとわりつかせたそれは、一成の四方八方を取り囲み隙間なく串刺しにせんと襲い掛かる。うずくまった一成は微塵も動く様子を見せなかったが、呪言はむすばれた。

 

 

「――叫べ、桜嵐」

 

 突如として吹き荒れる春の嵐。

 魔力によって突き動かされ、渦を巻いた場違いな温風が、物質化した呪いを風圧任せに払いのけた。先ほど一成が使って見せた暴風の呪術だが、遥かに威力が上がっている。

 

 ただその魔力風は呪いを消したわけではなくさらに周囲にまき散らしただけで、神社を護る木々へと容赦なく泥を降り注いだ。ただ一成の体をこれ以上の浸食から護るための業。

 この突風により神父も吹き飛ばされたが、彼も同時に呪いからは一時的に解放された。突然の風にも動揺もなく、神父は石畳の上に着地した。呪符を剣に変えて何本も背後に侍らせたまま。

 

 違和感――それを感じた神父は、彼から距離と取りながら問うた。

 

 

「お前は、土御門一成か?」

「……そうだ」

 

 懐から取り出し、右手で持つ占事略決写本をつきつけながら、普段の土御門一成とは似ても似つかない口調と目つきで喋る土御門一成。瞳からは光が失われ、どこを見ているのかはっきりしない――ただその眼の蒼さだけは変わらずに。既に失われたとされていた千里天通眼――正確には陰陽道の家ではなかった神父はその力の詳細を知っていない。

 

 しかし、明らかに今の一成は先ほどまでの彼とは違う。

 

 

「……安倍清明」

「違う。アビラウンケ――ッ!」

 

 急にがくりと、その場に足をつく一成。何が起こっているのか神父にも把握できていないが、隙は隙。

 侍らせた呪剣を一斉に射出し、一成を蜂の巣にする。されど急に顔をあげた一成が切った五芒星(セーマン)の結界によって、剣は見事に弾き返された。

 しかし奇妙なことに一成は攻撃に移らず、その場にうずくまっているばかりだ。これ幸いに神父はあらかじめ作り置いてある人型をかざし、それに一成の髪の毛と己の血を塗りつけて呪いをかける。

 共感魔術・丑の刻参り。一息に殺すべく、魔力を込めて一成と人形を重ねるイメージを張り付ける。

 

 きゅ、と一成の首が締め上げられる――が、上げられたその顔は笑っていた。たとえるならば、狐に似ている。ずる賢く罠にかかった獲物を見るように、首をねじり上げられながら一成は指で詠唱代わりに九字を切る。

 

「臨、兵、闘、者、皆、陳、烈、在、前……人を呪わば、穴二つッ!!」

「っつ――――!!」

 

 共感・類感するということは、対象とこちらに共通点を見出す、つまり対象と己を繋げることに他ならない。

 もちろん術をかける方は相手の痛みが自分に返ってこないように己に精神防御として共感断ちを施しているのだが、そもそも共感(・・)魔術であるだけに、共感状態でなくなることは決してない。

 その根底に流れる共感状態を逆手にとり、呪いをかけられる側から共感状態を強化し、掛けられた呪いを反転する。共感断ちを破り、逆からその呪いをかけなおす呪い返し。

 

 便利なところはあくまで魔力元が先に呪いをかけた側であるため、返す側は一切魔力を必要としないこと。

 ただし、呪いを受けた瞬間に共感状態を引き上げるだけの技量が要される。高度な呪術師同士の戦いはこの呪いと呪い返しの応酬になってしまうため、前述の物理的自然現象のぶつけ合いになってしまうことが多い。

 しかし一成が呪い返せると思っていなかった御雄神父は、呪いで終わらせようとしていた。

 神父は首元から出血しながら一成から距離をとった。

 

 幸い気づくのが早く、首をねじ切られるには至らなかった。しかし考える間もなく、一成の体は追撃を始めた。懐に備えていた呪符を引き出すと、僅か二言、三言呟くのみ。瞳に宿るのは冷たい眼差しだけ。

 

「轟け、霹靂!」

 

 西洋魔術にたとえれば僅か一小節。僅かそれだけで、烈しい稲光の槍が幾数本も浮かび、疾風迅雷神父へ突き刺さる。

 

「唸れ、流黒!」

 

 西洋魔術にたとえれば僅か一小節。僅かそれだけで吹き荒れる冬の風が神父を吹き飛ばし、刃の鋭さまで伴って切り刻む。

 

「弾けろ!玉氷!」

 

 西洋魔術にたとえれば僅か一小節。僅かそれだけで降り注ぐ氷の塊が、上空からそして跳ね返って地面から神父を殴りつける。

 

 物理現象たる呪術による嵐のような自然現象に対応せんと、御雄神父は五芒星を切り結界を創り上げるが、それを遥かに上回る威力で粉砕される。

 一方の一成は自分身体強化を掛けた上に嵐の中を突き進み、その体で男を蹴り飛ばした。よけきれずに鳩尾に蹴りを食らった神父はそのまま石畳の上を転がった。

 

「……!」

 

 あっという間に神父を圧倒した一成は、昏倒したその体を靴で踏みつけていた。右手には碓氷明から借りたナイフ。起き上がろうにも神父の左腕は骨折を負い、肉体の戦闘能力でも水を空けられていた。

 

 容赦ない呪術で圧倒された神父が見上げた土御門一成の瞳は――やはり、これまでの彼とは全く違っていた。周囲では一度風で吹き散らされたはずの呪いが、再び黒い太陽のもとに集まりつつある。

 

 一成と御雄――彼らが再び沼に呑み込まれるのも時間の問題である。

 それを知りながら、神父は問うた。

 

「お前は、誰だ」

「……あ」

 

 その問いかけで、呆けたような声が漏れた。瞳の色がかつてみたものに戻る。

 そして急に崩れ落ち、頭を抱えてうずくまった。

 

 神父には一連の中で一成にどのような変化が起きていたのか、詳細に知る由もない。しかし、「占事略決」写本を以てさらに精緻な「検索」を試みた一成は、晴明の術だけでなく――その人格さえも読み込んでしまっていた。

 

 ただそれも読み込もうとして読んだわけではないのが祟り、今は一成の人格と清明の人格が入り混じった状態に陥っていた。

 それでも残る一成の闘うという強い精神が、晴明の術を以てここに具現していた。

 

 外部からの呼びかけで我を取り戻しかけた一成だが、開きっぱなしの「」への扉。

 情報量に脳が耐えきれる限界を超えて、今も頭を割るような痛みに苛まれている。

 

 ふらふらと、かすむ視界で立ち上がる一成。一成の変調を見てとり、立ち上がる神父。双方とも、限りなく動きは遅く。周囲は泥が忍び寄る。

 

 一成は自分で眼を止められない。けれど一回だけ、無理やり止める方法を知っている。それは明にもう眼を使うな、と言われた時からわかっていて敢えて言わなかったのだが。

 

 キリエとのパスを自分から切断する。そうすれば魔力がなくなり、眼は強制停止する。

 

 ただしこれは正規の手順ではない強制停止、一成の回路は三度目のダメージを負う。

 

 

 ……悪い、碓氷。お前の言う通り、逃げればよかったのかもな。

 

 でも逃げられない。逃げたくない。

 最後が死であっても、意地を張りたくて仕方ないこれは病気だ。

 

 

 ――俺は、魔術師になりたかったわけじゃない。最初聖杯が欲しかったのも、生まれた家が続けてきたものを俺の代で終わらせたくなかっただけだ。

 

 でも、その願いはもう叶えなくていい。俺は魔術を途絶えさせるのが嫌だったんじゃなく……祖父が大事にしてきたものが潰えるのがいやだった。

 

 だからもう魔術は使えなくなっても構わない。

 今はただ、こんな争いを続けようとする奴を……殺す!

 

 

「ッ!神父!!」

 

 上がりきった体温に呼吸、今すぐ倒れろと願う体を叱咤して、一成はナイフを片手に神父へと突撃する。方や神父も満身創痍、血反吐を吐き出しながらそのナイフを躱し、呪剣を両手で持ち振り下ろしてくる。二人とも、気力で立っているようなものだった。

 

「……私はお前のことを嫌いではないよ。陰陽師」

 

 一成のナイフが御雄の脇腹を掠めていくと同時に、放たれた剣が一成の右肩を貫いた。桜嵐で吹き飛ばした泥はぞろじわじわと孔の下へ集まりつつあり、二人に触れるのは時間の問題。一成はキリエからの魔力で防御、さらに自前の身体強化をかけて――晴明のレベルにて、神父の剣をはねのける。

 

「……気持ち悪いこと言うんじゃねえ!」

「私は人の人生が見たい。そして見るのに――お前という存在はふさわしい」

 

 己の為に戦うから。己の意志を以て聖杯戦争に臨み、己の意志で戦争を終結させるべく戦うから。神父は言った――「己の望みで戦うことこそ、最も見るに値する」と。

 土御門一成の戦いは、見るに値すると。

 

 獰猛な銀――放り投げた呪符が、無数の剣となり三百六十度覆い尽くす。比較的魔力が込められていない剣は身体強化でものともしないが、そうでない場合はまずい。周囲の泥の様子を見て、長い戦闘は不可能であると悟った御雄神父は一気に攻勢をかける。

 

 魔術師には結界に特化し、結界自体を移動させ身に纏う絶対の防御を扱う者もいるという。ただそれは晴明の業ではない――今引き出せる最大の防御でこれをしのぎ切るには。

 もう目の前が暗い。夜だから、ではなく視野が狭窄し瞳孔が勝手に収縮している。神父が泥に飲まれる前にと思うと同様に、一成はこの眼が己を壊す前に終わらせなければならない。

 

「急急如律令!!」

「呪層――黒天洞!!」

 

 呪層界とは、特定の人物を呪い殺すための固有結界とは似て非なる空間である。黒天洞はこの呪層界を一時的に発生させ、渦巻く負の念を反転させる。体や精神を害する呪いを守護の呪いに、精神を削るなら精神を安らかに――呪詛を反転させれば願いになる。

 普段の一成では決してあり得ぬ呪詛の嵐、ナイフ自体で切られた五芒星で発した紫光。

 雨あられと降り注ぐ剣の弾幕をそのまま受けて、一成は黒いカソックにむけてひた走る。

 

 泥は忍びよる。二人は幾度も己が倒れる幻想を見た。

 

 

「神内御雄――!!」

 

 

 一成のナイフが真正面から御雄神父の胸を穿ち、神父の剣が一成の腕を斬り落とした――義手である左腕を。

 真っ暗な視界の中、一成は息を詰めて一息にナイフを抜き去り、大きい神父の身体を突き飛ばした。

 

 彼が倒れる姿はまるでスローモーションのように映り、ただ休むためだけに倒れたように地に堕ちた。

 一成は気を緩めず、倒れた男の姿を見据えた。ゆっくりと唇が動き、言葉が漏れる。

 

 

「……もし転生が、あるのなら――また見たい、ものだ」

 

 末期の言葉まで、何一つ変わることなく。

 道楽に一生を費やした神父は、眼を開いたまま――生命活動を止めた。それを確認する前に一成は、鳴り響く剣撃の音を体の奥底で聞いてその場に倒れた。

 

 最後の力を振り絞って、一成はキリエとのラインを断ち切った。適切な止め方がわからないから、魔力源であるラインを断ち切って無理やりに回路を停止させて魔力不足に追い込み、眼を止める。自分の意志で止められる、一回きりのやり方。

 

「っ……ぐ……!!」

 

 体中が痛い。特に胴体、中身が――雨のように降り注いだ剣の傷で全身くまなく出血しているが、それは些細な傷だった。強制的にショートさせた魔術回路が焼け付く痛みで、一成は動けなくなってしまった。

 今にも目をつぶって気を失ってしまいそうなところを必死でこらえる。まだここは安全地帯ではない――吹き散らした聖杯の泥と、上から漏れるそれが一成の周りを取り囲み閉じ込めようとしていた。

 このまま目を閉じて倒れていたら、泥の風呂に浸かって気づけば死んでいるに違いない。地面をはいつくばって、一成はじりじりとかつて沼でなかった場所まで移動しようと足掻く。神父の体を運ぶ余裕など全くない。自分がまず生きなければ、キリエに合わせる顔がない。

 

 死んだら、顔も合わせるも何もないのだが。

 

 キリエを助けなければ。

 聖杯を壊さなければ。

 明たちと合流しなければ。

 明は「死ぬな」と言った。

 自分はキリエに「生きてほしい」と思っている。

 だから今、ここで倒れているわけにはいかない――

 

 

 周囲を覆っていく泥、この世全ての呪い。暗くなっていく視界の中、一成は地面を這いずっている。

 

 

 

 *

 

 

 

 

 完全。完全。完全――か?

 

 それは違う。己の人生は、もっと歪で欠けていて、失ったものだらけでみっともない――けれども、それは己だけの人生であったはずだ。

 

「!」

 

 ガン、と後頭部を殴られたような衝撃と共に明は我に返る。血をすするまで戦い続けることのできる剣から与えられる加護、サーヴァント換算で対魔力EXを身に着けた明が魔眼に飲み込まれることはない。

 

 今、シグマと首筋を撫でられるほどの近距離にいる。彼女は真正面から明を抱きすくめていて、明の右手と魔剣は今だ無事だったが――シグマのしなやか指が這い、離されようとするところだった。

 

 惚けていたのは須臾の間だった。明はそのまま剣を左手に持ち替え――ためらいなく、背中からシグマを突き刺したのだ。

 

 シグマごと自分を貫いてしまっては目も当てられない。背骨があることも考え明は上から下に、女の身体に剣を滑り込ませていた。

 一撃で貫き、引き抜いた直後にシグマを蹴りとばし、再び自分から迫り何度も何度も剣を突きたてた。

 

 血飛沫が舞い、肉片が飛び散る。まるで明の方が狂っているかのような体たらくだがそれでも彼女は殺害を辞めない。

 飛び散った血潮が明をも赤く染めていく。シグマの美しかった金髪も見る影もなく萎れていたが、突如その手が振り下ろされる剣を掴んだ。

 

 

「!!」

 

 万力のような力で掴まれ、明は剣を再び振り上げることができない。明は剣から勢い任せに魔力を放ち、影で分解しその手をもぎ取って飛び退った。しかし驚くべきはシグマ・アスガード――致命傷を何度も受けて右腕をもがれたにも拘わらず、彼女は悠々と立ち上がりって明にゆらゆらと近づいていく。

 

 消えた腕も元通りに蘇る。まるで、何事もなかったかのように。

 彼女が紡ぐのは歌。世界が始まり、そして終焉(ラグナロク)を迎えるまでの呪歌(ガルドル)

 

 旋律は美しいが、古く神代に至る言葉の為明にも理解はできない。

 

「――さあ私を貫きなさい。さあ私を三度燃やしなさい。幾度でも繰り返しなさい。全て手無駄に帰すけれども――何故なら貴方たちが黄金(わたし)を求めているから!」

「――――殺す!」

 

 明は己を奮い立たせ、強く地面を蹴った。この事態も予想してなくはなかったではないか。それにこの魔剣がある限り、明は決して目の前の黄金華に劣ることはない。

 

 ――セイズ魔術。北欧における神話に生まれた降霊術にして、その状態の巫女が語る言葉は『予言(ヴォルスパー)』。世界の始まりから終わり、神話のあらゆる英雄譚を紡ぐ預言である。

 そのセイズの創始者たる女神の名は、グルヴェイグ。

 黄金の擬人化にしてアース神族とヴァン神族の争いを呼び、終焉(ラグナロク)へと導く破滅の女神。槍に貫かれ三度燃やされ、それらを何度繰り返しても死なずに蘇り続けたという。

 

 アスガルド家は、狙ってこの女神を降霊したかったのではない。

 真に巫女たるべく何代にもわたって身体改造を重ね、魂の希釈にまで手を出した末の傑作がシグマ・アスガード。その巫女である彼女が降霊するのにふさわしかったのが、グルウェイグという神霊だっただけだ。

 

 しかし彼女はアスガルド家が思いもよらなかった特質まで備えて生まれてきた。

 

 起源は『虚』。魂をも薄められた少女には、文字通り何もなかった。齢五歳を迎えても何も話さず、ただいう事を聞くだけの人形だった。魔術の素養自体は文句のつけられない完璧さだったこともあり、本人の意思など重要視されない家において彼女を危ぶむ者はおらず、その完成度を言祝がれるばかりだった。ただ最高傑作であるがゆえに恐れられ、半ば監禁状態で過ごしていた。

 しかしある日、降霊術の過程において彼女は人を殺してしまった。正確に言えば半殺しで済んでいたのだが、――そこで彼女は倒れて動かないヒトの肉を食った。

 

 当然周囲のアスガルド家の者たちは驚いた――今まで命じたこと以外の行動をしなかったシグマに驚愕しただけだったが、次に彼らはさらなる衝撃に襲われた。

 

 むしゃむしゃと食われた魔術師の持っていた魔術回路が、そのままシグマの回路に加わっていた。つまり、既に持っているシグマの回路が増加していたのである。

 そして彼らが気づくのはさらに後のことになるが、シグマは回路だけでなく他家の魔術師の魔術刻印まで奪い、我が物としていた。

 通常回路は疑似神経、刻印は臓器にたとえられ、他人のそれを植え付けると非常な拒否反応が出て失敗に終わるはずなのだ。にもかかわらず、彼女が無事にここまで生きていられるのは――起源と、生まれつき己の魂が薄い、己の意思が薄いという体ゆえ。

 体に拒否反応はある。だが彼女は拒否反応を感じないまま、もしくは無視して他人の臓器と神経を同化させている。

 

 監禁という純粋培養の環境で出会った他者に、彼女は酷く興味を抱いた。

 彼女は拒絶しなかった。異物に興味を持ってしまった。排斥ではなく包摂。

 色鮮やかななにものかを、欲しくなってしまった。

 

 自分には何もないから。己の存在が薄すぎるから。

 ないものを満たすとすれば、もう他から持ってくるしかない。

 そうして「人を食らう」悦を知った巫女は、ただ魔術師の研究の結果と生涯を得る虚となった。

 

(シグマ)』の名。それは「アスガルド家の歴史の総和としての魔術師」としてつけられたものだったが、今や魔術師の屍を食らうだけ力を「総和」する名になり果てた。

 

 女に何かを成そうという気概があったわけではない。ただ満たすために食う。腹を空かせた子供のまま成長してしまった黄金の女。本来の巫女の機能とは別に得てしまったこの力こそが、シグマを封印指定たらしめた理由だった。

 

 ――その虚にして希薄な女が、本来の造られた力を以て行使する魔術こそ、疑似神霊憑依『終末の黄金華(グルヴェイグ)』。

 

 神話にある通り、この魔術下にある彼女が死に至ることはない。黄金の擬人は魅了の魔眼であらゆるものを魅了する。その魅了は相手の心をとらえるというレベルをはるかに超えて、無機物であろうと揺り動かし意のままに操る暴力そのもの。

 同時にその目はあらゆるものを見通す千里眼。マナに直接働きかけて瞬時に魔術を行使する、神霊の代行者。

 真エーテルの薄れた現代において、それでも神霊を最大限人の身に落とす「疑似」神霊憑依。

 

 空間さえも魅了し、敵を押しつぶす。黄金の魔眼。明がそれに耐えしのげているのは、いわずもがな魔剣のおかげである。呪われた勝利の剣は、勝利を得るまでは持ち主が剣から手を離すまでは持ち主の戦いを続行させる対魔力を与える。

 

 しかしこの魔術、魔力の消費量は莫大である。他人を食ってきたシグマが所有する魔術回路量は明を圧倒するが、それは有限。しかしその問題はシグマはここに陣取り続けていたことで解決されている。

 

 彼女は聖杯に宿る魔力を拝借しているのである。既に春日聖杯は、一成とキリエに微量ではあるにしても魔力を分け与え続けてきた。既に魔力の貯蔵にほころびがある聖杯から、さらに魔力を流すために――彼女はここに籠り続けてきたのだ。

 

 セイバーとライダーが神話の再現を成すのなら、明とシグマも神話の再現だった。

 明が無限回星幽界から魂を引きずりおろし無限の魔力を得るのなら、

 シグマは己の魔術回路と聖杯から無尽蔵の魔力を得る。

 

「その剣、存在を知っていたけど面倒ね。放つものが明ちゃんの分解の影だとすれば、なおさら」

 

 歌うようにシグマは手を伸ばした。それより早く、再び距離を詰めて明が闇に舞った。不死のシグマをどう殺すか――可能性としてその力を考慮してはいる。

 今、シグマは死なない、死ねないのだ。

 

「――Hajoaminen(分解)Musta varjo,Irrota(黒き影、絶てよ)!」

 

 威力をたがわず放たれる漆黒の炎。シグマに襲いかかるそれは直前に一条の炎から彼女を覆う網のように変形し、逃がさんとばかりに包み込む。

 死角はないが、小気味よくステップを踏むことで影がねじ曲がる。虚数の影さえも魅了して、シグマは逆に影を明に叩き返す。鏡に反射した光のごとく、刹那に明を狙い撃つ分解の影。即座に明は突き進む足を止め、剣から放つ影で跳ね返ってくる魔術を相殺せんとした。しかし――

 

「そっちも、私の言う通り」

 

 相殺するための影が、容赦なく明に向けられる。畳みかける魅了による魔術の強制介入(ジャック)に、明は避ける暇もなく自らの魔術を自らの腕に受けてしまった。

 

「っ、ぐ――!!」

 

 分解の魔術が本人を襲う。しかも魔剣を握る右腕に。

 今手を離してしまうと、即座に明の魂は剣に食われて全てが終わってしまう。明の体内をめぐる魔力、起源「分解」において分解の魔術を分解する。しかしそれに夢中になっている間に迫るは、当然シグマ・アスガルド。

 

 黄金の瞳、黄金の吐息、黄金の軟肌、黄金の美髪が視界を覆い――その手は明が握る魔剣を支えながら、まるで吸血鬼のように、明の首筋にかみついたのだ。

 

「っづ、ああ……ッ!!」

 

 幾度もシグマに明を襲撃するチャンスがあったのにあえてしなかったのは、生きていることに意味があるからだ。

 魔術的にシグマの特異性は回路や刻印を奪えることとされるが、彼女が敵から奪っているのはそれだけではないはずだ。回路と刻印だけなら死体からでもいい――生きていることが肝要なのは、魂を欲していたからではないか。生きた人間の記録を欲していたのではないか。

 確かにシグマは魔術師だが、ただ本当に魔術師らしいだけの魔術師なら明をここまで生かしていない。一直線に聖杯に向かえばいいのに、それをしなかった。

 魔術師としての意識の他に、この女を突き動かすモノ。

 

 明は喉笛を食い破られるほどに傷つけられながら、それでもまだ、意識を失わなかった。

 神経の全てがかみつかれた部分へ集中し、そこへ全身の回路が集合するイメージを幻視しながらも――明はシグマの支える手を死に物狂いで振り払い、黄金の柄でシグマの後頭部を殴りつけた。一瞬怯んだ隙を逃さず、明は一回転後振り向きざまに渾身の影魔術で薙ぎ払う。

 

 長い詠唱などしていられない。詠唱とは自己暗示、いくら短くても自分に意味が通じればそれで成るもの。

 

 大切なものは想像(イメージ)と現実を繋げる力。なによりも己は――虚数使いである!

 

「――ハッ!!」

 

 一息の言葉で放たれた虚数魔術は、真一文字にシグマを上下に真っ二つに裂いた。先ほどぶつけようとした魔術は、影で四肢を切断するものの分解の仕方を調節して四肢を虚数空間に送りつけるものだった。

 生きながらにしてシグマをだるまにすれば、まだ少しはこちらに考える余裕ができることを目論んでのことだった。しかし精密なコントロールゆえに、今のようなギリギリの攻防では使えなかった。

 

 そして真っ二つになったシグマは、明が息を整えるうちに何事もなかったかのようにくっつき蘇った。大西山で戦ったキャスターの眷族よりも早い再生速度に、舌打ちするしかない。幸い首は動脈を食い破られておらず、まだ戦える。

 

 お互いに魔力の制限はなし。お互いに死ぬことはない。

 一見して勝負がつかないのではと思われるが、明が不利なことは明白だった。

 

 明はこの剣を手放したら一巻の終わりなのだ。そのうえ何度も繰り返したことだが、魔術を放っても叩き返されて、叩き返された魔術を処理するために隙が生まれる。

 

 その隙だらけの明をシグマが襲う。生きながらにして食われていく。

 

 場は、静かだった。遠く、穢れた聖杯の胎動が聞こえる気がした。今まで笑顔だったシグマが、いつの間にか笑顔を消していた。

 

「――明ちゃん。これまでにない、明確な殺意があるわ。どういう心境の変化かしら」

「男子三日会わざれば剋目して見よって言うけど」

 

 シグマに語る必要など感じない。

 今まで、自分の体のせいで大事な人の人生を台無しにしてきた。生まれつきだから仕方ないと、もう諦めていた。

 

 でももう「仕方ない」とは言いたくない。

 生まれた価値を見つけてみたい――今は無理でも、いつか、自分の力で。

 

 だから今は殺す。仕方ないから、殺さなくてはいけないからではない。

 明確な意思を以て己が「良い」と信じるこの春日の、身近の幸福の為に殺してやるのだ。

 

「私の邪魔をしないでくれるかな」

 

 明の様子を見て、シグマは再び笑みを浮かべていた。

 

「貴方も食べれば、きっとその理由もわかるのね――!!」

 

 受けるばかりであったシグマが仕掛ける。「来ないのならば、魔術を使わせてあげるわ――(アンザス)

 

 指で空中に描かれたのは「火」のルーン。激しく噴き上げ輝く紅い熱――押し寄せるのは空間ではなく、火の壁。轟々と燃え上がるスルトの炎は、すぐ殺すのではなく明の魔術を誘うように直撃で殺しに来ず逃げ場なく彼女を覆い尽くした。

 魅了のコントロール下にある炎はシグマの意のままに、奇妙な形状でじりじりと囲いを狭めていく。このまま燃やされつくすかそれとも分解の魔術か。魔術を使えばそれも乗っ取られてコントロールされる。

 明が判断を迷ったその時、再びシグマの背後に己の姿を見た――両手にナイフを備え腰を落とした想像明。

 

 しかしこの空間の神となったシグマは、とうに想像明を察知していた。後ろ手に再び火のルーンを描き、想像に用はないと最大出力の業火で焼き果さんとする。炎の熱気で空洞全体がめらめらと輝いた。

 

 だが想像明は焼かれる――魔力によって体を保護しながら、何事かを静かに唱えながら、その業火の中を熱さも構わず走り抜けた。シグマのルーンを完全に無効化できず、彼女の服が、髪が、肌が燃えていく――しかしそれは些事とばかりに駆け抜け、そしてシグマの背後を襲撃し、両手のナイフで突き刺した。

 

 だが、その程度シグマには無意味。いかな急所を貫こうと死なぬ黄金華は煌めき続ける。ほしいものは真に回路と刻印を持つ明だけとばかりに、シグマは想像明を気にも留めない。

 

 はずだったが。

 

 シグマの背に突き立てられた二本の影ナイフ。真後ろに立つ想像明は、先ほどまでの想像明ではなかった。服が焼け焦げ、炎が彼女の顔や体まで嘗めつくす直前に見えた姿は――先ほどの想像明よりも遥かに大人びて成熟した女性の姿をしていた。

 

「――「Antaa juuri sinulle.(汝に権利を与えよう、)Sukeltavat(生きながらにして)mielikuvitusmaailmassa elinaikanaan.(想像の世界に足を踏み入れんことを)

「まさか、貴方!?」

 

 シグマの目が見開かれる。炎に包まれた想像明はシグマの背後に取りついたまま離れない。

 

Eri aineiden vanki.(変われ、物質の虜)Mielikuvitusta business vapauteen.(至れ、想像の自由へ)――!」

 

 

 前方より迫るのは本来の明。身体強化の重ねがけでできる限界の速度による接近にして、剣の魔力を使うことなく力でシグマの眉間を串刺しにしさらにそのまま、想像明の顔も串刺しにした。真っ二つに割れる二つの頭蓋と、あふれる鮮血と脳漿――二人が絶命したことを確認して、明はシグマを蹴り飛ばして炎と血濡れの剣を引き抜いた。

 剣自体はシグマに魅了されない――それに、想像明が詠唱を終えた時点でシグマには何もできないことがわかっていた。

 

 シグマ・アスガードは殺せない。その上、もし仮に何らかの方法で殺せたとしてもこの空洞は既にシグマの工房。つまりこの世界は彼女の世界であり、その中で神霊の一端を行使する彼女は「神」ですらあった。

 神の死は世界の死。世界が死ねばその中にいる明もただでは済まない。ゆえにシグマは殺せない。

 

 ならばどうするか。

 永久に戦闘不能へ追い込むしかない。

 

 虚数空間は虚数使い以外に目に見えない。

 しかし今のシグマには見えているのかもしれない――背後に空いた、奈落の底。虚数の世界が。

 

「ッ――!!あなた、まさかそこまで至る――!!」

 

 シグマの絶叫が空洞に轟いた。脳を破壊された想像明は体を保てず、その場で霧のように霧散し果て――そして黄金華は消えた(・・・)

 

 生暖かい地下空洞の中に立つのは、碓氷明ただ一人。戦いの後である焦げた臭いと鉄臭を残して、周囲には静寂が満ちた。

 残された明は真黒い太陽を見上げ、大きく息を吐いた。そしてその場に倒れこみ、魔剣を手放した。

 

 

 

 想像明は死に、シグマ・アスガードは消えた(・・・)

 

 最後の魔術――あれは、想像明がシグマ・アスガルドを虚数に変換して虚数空間に連れ去ったのである。シグマの居場所を物質界から虚数空間へ移動させただけなので、彼女は死んではいない。

 不死であるのならば、虚数空間のどこかで存在してはいるだろう。ただ虚数使いではなく、口ぶりから虚数使いの回路や刻印を所持していないだろう彼女は永久に物質界に戻れない。

 

 殺せないなら戦闘不能にする。虚数の牢獄に送り込む――それが、碓氷明の答えだった。

 

 想像明が最初から虚数空間に籠っていたのには、シグマの攻撃を避ける以外に理由がある。

 もし初撃でシグマを倒せればそれでよし、もしそれが叶わなかった時にその答えを現実のものとする予定だった。

 

 本来、虚数空間にアクセスできるのは虚数の使い手のみだ。虚数の使い手が自分の魔力を通した物体ならたやすく送れるが、他人の魔力を帯びたもの、いわずもがな他人の、それも虚数使いではない魔術師を虚数空間送りにするのは高難度も高難度の魔術である(想像明が明を連れて空間転移できたのは、明が虚数使いであり、同意の上でもあったからである)。

 

 そんな魔術は、まだ想像明にも使えなかった。

 ただし、それは「オリジナル明が生み出した想像明」の話である。

 

 シグマを強制的に虚数空間送りにする方法――それは、想像明による「イマジナリ・ドライブ」無限再生。

 

 元々イマジナリ・ドライブは明の父が教え手のいない虚数魔術自主学習のために考案した魔術だ。「今自分ができない魔術ができる自分」を生み出す魂の偽造。

 できないことができるようになれば、思考が変わる。またイマジナリ・ドライブを繰り返し、自分を自分の先生もしくは対戦相手にして自分を鍛え上げる方法だった。

 

 ――だが、そこで。生み出されたもう一人の自分が、さらに魔術の通じた自分を生み出し、さらにそのもう一人の自分がさらに魔術の通じた自分を生み出し、を繰り返したら――どこまでも虚数を極めた魔術師が生まれるのではないか?

 

 ただしそれはクローンを元にクローンを作り続けるようなもので、性能がどこまでも上がるにつれて魂は偽造に偽造を重ね、原形を失い崩壊までのリミットも早まっていく。

 

 ――しかし、想像明はそれをよしとした。

 一分でも三十秒でも、詠唱さえ成る時間分だけ生きていられれば、最後の自分がシグマを刺す。

 

 時間の進み方が異なる虚数空間において、想像明はその試みを何度も繰り返し、長い時間の果てに最強の己を生み出した。畢竟物質界で現界を維持するための魔力は本体の明頼みで――最後に生み出した己を受け渡すことだけ明に託した。

 シグマを連れ去る詠唱を成就させた、新しい想像明がシグマを監獄送りにした。

 

 明はその新・想像明を魔剣で殺す。想像明の魂はクローンがオリジナルの遺伝子と同一の遺伝子を持つように、偽造ではあるが明と同一――つまり想像明の魂を贄に食わせることで、本体の明は無事に魔剣から解放されたのだ。

 

 

 ――これができるからお父様は魔剣を使ってもいいと言ったんだよね。

 

 身も蓋もなく言えば、今や明はノーリスクでこの魔剣を使い放題である。

 その為に、使う度に己を殺すことを呑み込めるのであれば。

 

「私を殺す?」と問うた想像明に、明は「(あなた)には死んでもらう」と応じた。

 その時に、この結末は知っていた。

 ゆえに最初の想像明はもういない。虚数空間に消えた彼女との間にあるパスがない――想像明は己で自分の命を絶ったのだ。

 

 三か月程度は現世で暮らせるだろうが、未練が残るからいいと。

 そして彼女はまた、本体の明に重荷を負わせることも拒んだ。

 

 お前が殺したのではない、私が選んで死んだのだと――明は深いため息をついた。

 

 明が好きだった姉。その憧憬が混ぜられて生まれた偽の魂。

 あこがれた姉が自分で選んで死んだ、と言って喜ぶ妹がいるか。

 

 明は魔力不足できしむ体で起き上がり、想像明が虚数空間に逃げ込む際に投げ捨てた鞘を拾いに入り口近くにまで歩く羽目になった。

 

 鞘を拾い、剣を納めると背後に輝き続ける聖杯を見た。

 

 

 ――決して、私はこれまで殺した誰かのことを忘れない。そしてこれから先も。

 ―-私は最善の道を探し続けるけど、もし立ちふさがる何かがあれば、殺すだろう。

 ――偽善でも、利己と言われようとも、己の為に生きてみたい。


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