アカギと出会ってから、シロナの優先事項も変化した。
「アカギ様……」
これまで当たり前にやっていたことが手につかなくなった。
アカギに会いたいという気持ち、何よりも認められたいという気持ちが大きくなった。
古文書を解読する理由が、アカギのためというものに変化した。
この歳になって恋煩いを経験することになるとは思ってもみなかった。
けれど、それはとても心地よい感情だった。
日課にしていた午前のポケモンバトルの練習にも影響が出るようになっていた。
集中を欠くことが多くなった。
「シロナさん、何かありましたか? あまり調子が上がらないようですが」
雇いのスコアラーが指摘した。
シロナは緻密なデータに基づいた戦いを展開するために、技を繰り出す時間や距離など、細かくデータを取るようにしていた。
アカギのことを考える時間が増えると、いつものように力を発揮することができなかった。
「この調子だと、来月から始まるイッシュリーグに向けて少し不安です」
「大丈夫です。その時までに調整します」
シロナはポケモンバトルに精彩を欠くことを、そこまで気にしなかった。
いまはポケモンバトルよりときめきを覚えることがある。それを優先しているだけに過ぎないのだから。
ポケモンバトルに精彩を欠くようにはなったものの、人生に刺激的な一要素が加わったことには間違いなかった。
シロナはこれまで恋愛を経験したことがなかったから、そのときめきはより素晴らしいものに感じられた。
シロナとは裏腹にいまの若手トレーナーは普通に恋愛を楽しんでいた。
シロナの練習場に集まってくるトレーナーは若手が中心で、当然恋愛の最中にある者も少なくなかった。
若者たちは最新のロトムタブレットを使ってオープンに恋愛を楽しんでいる。
しかし、シロナと若者たちには時代の隔たりがある。少し羨ましいと思いながらも、同じようにはできなかった。
シロナの門下生には、ナタネやスズナなど青春を生きている、おそらくはシロナ以上に恋愛経験を持つ少女たちがたくさんいたが、さすがに彼女たちに恋愛の指南を受けるわけにはいかない。
だから、シロナは自分なりの方法でアカギのことを思いつめた。
アカギとは定期的に会った。
恋愛経験のないシロナは積極的にアプローチする方法を知らなかった。
アカギのほうも、新世界を見つけること以外に興味がない様子だった。ただ新世界を見つけるための人柱としてのみシロナを見ていた。
「アカギ様は普段、何をされているのですか?」
「ギンガ団を経営している」
「宇宙開発の有名な会社ですね。私、知っています」
「近く解散する予定だがな」
「どうしてですか?」
「経営はあまりうまくいっていない。もともとシルフカンパニーの赤字事業を買い叩いただけの幽霊企業に過ぎん」
ギンガ団はシンオウ地方を代表する宇宙開発企業だが、経営の世界に精通する者たちの間では、上場廃止の落ち目企業と見られていた。
「私に何か力になれないでしょうか?」
シロナはアカギにアプローチするためにそのように申し出た。
「いや、いいんだ。もうこの世界に熱心になるつもりはない。おれは新世界を見たい」
アカギは完全にこの世界を見限っていた。アカギの冷たい目の奥には、この世界での苦労の数々が封印されているのかもしれない。
シロナはアカギの手を握りしめた。自分のやるべきことが定まった。
「私が必ずアカギ様を新世界に導いてみせます」
「こんな私を助けてくれるのか?」
「必ず」
「すまないな。私の力になってくれ。シロナ、君だけが頼りだ」
アカギはそのようにシロナを褒めたが、その目はシロナには向けられていなかった。
来月から、イッシュリーグが主催する大会が始まる。
夏場にかけて開かれる大きな大会であり、シロナも参加することになっている。
「3年ぶりの2冠に向けて頑張りましょう」
周囲からも期待も大きい。
シロナは8年間シンオウリーグのチャンピオンの座を守っているが、他のリーグは勝ったり負けたりの状況が続き、2冠以上を維持した年は3年前までさかのぼる。
もっとも、複数のリーグでチャンピオンに居座り続けるのは簡単なことではない。
現役のトレーナーでも、2冠以上を経験しているトレーナーは、シロナを除いてはワタル、ダイゴの二人しかいない。
ファンのためにも、イッシュリーグを制覇したいという気持ちはあったが、今はただ一人の男性の期待に応えたいという気持ちのほうが強かった。
イッシュリーグの大会が近づいてきても、シロナは古文書の解読に集中力を費やしていた。
その熱意がある発見をもたらす。
試行錯誤の末、シンオウ地方に存在する3つの湖が新世界を封印するために利用されたということが明らかになった。
シンオウ地方にはエイチ湖、リッシ湖、シンジ湖という3つの湖があり、それぞれシンオウ地方によって保護されている。
かねてから、考古学者の調査対象であり、現在解読されている古文書の内容の中にも、ポケモンたちにあらゆる感情や叡智をもたらすに貢献したポケモンたちが眠っているという記述がある。
エムリット、ユクシー、アグノムは地元の人たちに崇拝されるポケモンとなっている。
しかし、これらのポケモンは公式にはまだ発見されていない。
いくつかの目撃情報がまことしやかに語られているために、それらを発見しようとするオカルトマニアも少なくないようだ。
シロナはあることを確認するために、リッシ湖を訪れた。
リッシ湖はシンオウ地方によって保護対象となっている場所で、地方を上げて観光地としてアピールされている。
今日も人手が多かった。ボートを漕いで人々が歓声をあげていた。
しかし、シロナに興味があったのは人目につかない湖のほとりの一角。
いくつかの大地の亀裂をたどり、あることを確信した。
アグノムの封印されている場所はリッシ湖において、東から650m、南から900mに位置する海底。
もちろん、それが正しいかどうかは実際に確かめてみなければわからない。
しかし、アカギへのプレゼントとしては十分すぎる情報だった。
アカギとは定期的にテンガン山の山頂「槍の柱」で会うことができる。
アカギと会うことはシロナにとって一番の楽しみだった。
そして、アカギの期待に応えることは人生最大の優先事項だった。
「シロナ、何かわかったか?」
アカギはシロナから受け取る情報に目を輝かせていた。
アカギの目に映っているのは新世界への扉だけだった。シロナはその人柱でしかない。
シロナも薄々そのことに気づいていたが、それでもこの恋心を捨てたくはなかった。
シロナはアグノムの封印されている場所、正確な位置情報を解読した事実をアカギに伝えた。
「あの古文書を解読したというのか?」
「確かめてみるまではわかりません。しかし、自信はあります」
「すごいな、シロナ。やはり君は偉大な存在だ」
アカギはそう言うと、自分の愛娘に愛情を注ぐようにしてシロナを抱きしめた。
シロナを自分の都合のいいように操るためのポーズだったが、シロナにとってはそれでもよかった。
ただこの瞬間におぼれていたかった。ただ利用されているだけだとしても、この世界から離れたくなかった。
「ありがとう、君のおかげで私の夢は叶うかもしれない」
「必ず、私があなたの夢を叶えてみせます」
シロナにとってその思いがすべてだった。