フスベシティに戻ってきたワタルはひとまず、師匠のもとに敗北を伝えに言った。
ワタルはフスベシティの龍の祠で修業を積み、竜の試練を突破して、現在世界最強のトレーナーとして君臨するようになった。
ワタルはすでにすべての教えを理解したと思っていたが、今回の敗北を受けて、自分にはまだ力が足りないということを悟った。
龍の祠には立派な橋がかかっていて、水中からはミニリュウが顔を出していた。
ワタルは1つ深呼吸をすると、師匠のいる間の扉を開いた。
師匠は間の中央で座禅を組んで座っていた。目を閉じ、気を集中させていた。
齢90を超える老齢だが、何人もこの老人には勝てないと思わせるようなオーラが漂っていた。
ワタルはしばらくその姿を見ていた。
「ワタルか」
師匠は目を閉じたまま言った。
「師匠、私は敗れました。それを報告に上がりました」
ワタルは元気のない声でそう言うと、師匠のもとまで歩いて行って、師匠と向かい合う形で腰を下ろした。ワタルもまた座禅を組んだ。
「敗北……そうか、やはりお前は敗れたか」
師匠は「やはり」という言葉を使った。もしかしたら、ワタルの敗北を予言していたのかもしれない。
「力及ばず、門下に泥を塗ってしまい申し訳ありません」
ワタルはそう言って頭を地面につけた。
「……」
「私にはまだ修業が足りませんでした。もっと……もっと大きな力を手に入れなければならないことを悟りました」
「……力か」
師匠はようやく目を見開いて、ワタルを見つめた。ワタルは顔を上げて、師匠の視線を受けた。
「ワタル、敗北の理由……己の力不足にあると考えているのか?」
「違うと言うのでしょうか? ポケモンの世界は力の世界。力のある者が勝ちあがる世界です。現に私は師匠のもとで力をつけ、イッシュの頂きの座をつかんだのです」
「ふむ……間違いではない。己の力を高めること。それが修行の基本。力無き者に栄光無き。それはまぎれもない事実じゃ」
師匠の言ったことに、ワタルもうなずいた。力こそが正義。ポケモンの世界では力こそがすべて。師匠も同じ考えでワタルは安心した。
「ワタルよ、お前の身に着けたその力には輝きが足りんのう」
「輝き……ですか?」
「ふむ、お前は誰よりも力を望み、文字通り、誰よりも力を身に着けた。輝き無き力、むなしき力」
師匠は難しい物言いをした。ワタルは師匠の言葉の真理を掴み切れなかった。
「ワタル、そのむなしき力でホウエンリーグにも挑むつもりか?」
「いいえ……さらに力を磨くつもりです」
「お前のその未熟な心ではどれだけ磨いても輝きは生まれんよ」
「師匠はいったい何をおっしゃいたいのですか? 私にはわかりかねます」
「ワシが100の言葉で説明したところで、その意味がわかることはないよ。お前自身の目で真理を見つけ出さなければな」
師匠はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。
「ワタル、お前にチャンスを与えよう。ワシは初めて新たなる試練を紡ぐ。「裏試練」じゃ」
「裏試練?」
「お前は龍の試練を突破した身。じゃが、それだけでが龍の教えのすべてではない。裏試練を加えて、真のフスベの地の教えとなる」
「……」
ワタルは裏試練なるものが存在する事実をこのときはじめて知った。
「ワタル、夕方6時の刻にもう一度ここへ来い。そのとき、ワシがお前に裏試練を与える。その試練はこれまでの試練で最も険しいものになるじゃろう。しかし、その試練突破した暁にはお前のその渇いた力に潤いと輝きが満ちるだろう。誰にも負けない真の力がな」
師匠は霞がかかったような言葉を残した。
◇◇◇
ワタルは師匠の言葉の真理がわからないまま、間を後にした。
「輝きのない力……師匠はいったいおれに何を伝えようとしたのだろう」
ワタルは橋を渡りながら、師匠の言葉を何度か反芻して考えてみた。しかし、何もわからなかった。
力に輝きという概念があるのだろうか。力は力でしかない。
力あるものが勝つ。シンプルなことだ。事実、ワタルは力によってここまで勝ってきた。
力に輝きなるものがあるはずがない。
ワタルはわからないまま龍の祠を後にした。
祠の外にはドラセナが待っていた。
ドラセナは今でもワタルの母親代わりとしていつも世話を焼いてくれた。最近のワタルはそのおせっかいを煙たく感じるようになっていた。
いつまでも母親がついてくるのは恥ずかしいという気持ちが強かった。
「ご師匠様、なんて?」
「また6時に来いってさ」
ワタルは言いながら、意識的にドラセナの前に出た。並んで歩いているところを周囲の人に見られるのには羞恥心があった。
ドラセナもわかってか、ワタルの3歩後ろをついていった。
「なあ、ドラセナ。力に輝きという概念があると思うか?」
「んー? 輝きねえ……」
「師匠はいまのおれを見て輝きのない力、むなしい力だと言ったんだ」
「うーん……」
ドラセナは師匠が言った輝きのない力というものを薄々どこかで感じ取っていた。しかし、それをワタルに説明するのは難しいことだった。
「おれの修業に対する姿勢がまだまだ甘いということなのだろうか。もっと厳しく自分を見つめなければならないということなのかもしれん」
ワタルはそのように答えを出した。しかし、ドラセナはそれが誤った答えだということを確信を持って断言できた。
「ワタルに足りないのは力じゃないと思うけどな」
ドラセナはそのように言った。
「力ではない? どういうこと?」
「私にもわからないよ。でも何となく思うの。力じゃないって。もっと別のものが足りないから輝いてないんじゃないかって」
「……」
ドラセナの予想通り、ワタルは狐につままれたような顔をしていた。
◇◇◇
フスベジムは現在2つある。
もともと、ジムは国営であり、国の承認を受けたものが公認ジムとして税金で営まれる。
しかし、ポケモントレーナーを目指す者がどんどん増えている中で、カントー政府は民営のジムを認めた。
カントー政府には、四天王と呼ばれるポケモン業界の政治を担う組織がある。
この組織には、たいてい著名なポケモントレーナーに選ばれる。
ワタルも選ばれていたが、トレーナーに集中するため、その座を同門で友人でもあるイツキに譲っていた。
現在四天王には、キョウ、カンナ、イツキ、キクコが在籍している。
キョウは6度のチャンピオンに輝いた実績のあるトレーナーで、現役でまだ活躍している。
カンナも2度のチャンピオンの経験があり、イツキはまだチャンピオンの経験はないが、ワタル世代と呼ばれる強力トレーナーの一角として有名だ。
キクコは過去に16度のチャンピオンに輝いた実績がある。キクコはオーキド世代と呼ばれるトレーナー黎明期を支えたベテランである。60歳を過ぎたいまでも現役である。
四天王は民営のジム経営を認め、用件さえ満たせば補助金を出すことも決めていた。
これにより、フスベジムは2つになった。ワタルは普段はその1つで修業を積んでいる。
ワタルの後援会が経営してくれている。
ワタルはまもなく開催されるホウエンリーグ大会に向けて練習するため、ドラセナと共にジムにやってきた。
「坊ちゃん、いらっしゃい。ドラセナさんも」
「ああ」
「お世話になります」
ワタルは自分の家に上がるがごとくジムに足を踏み入れた。
「しかし坊ちゃん、惜しかったですな。あと少しタイミングが早ければ、最後のところ、ディアルガをなぎ倒せていましたよ。負けはしましたが紙一重でした」
後援会会長の小父はそのようにワタルを励ました。
「いや、大差。いまのおれでも再戦しても勝てない」
「坊ちゃん、あんまり根を詰めない方がいいのでは?」
「そうはいかん。ホウエンリーグは来月だ。1秒も無駄にはできん。すぐに修行だ。スコアラーは来ているか?」
「いま電話で呼びます」
「練習相手、呼べるだけ呼んでくれ」
「わかりました」
ワタルは懐からモンスターボールを取り出した。
「ドラセナ、すぐに修行だ。相手してくれ」
「はいはい。相変わらず熱心ね。でも、もう少しぐらいは肩の力を抜いたほうがいいかもしれないわよ」
ドラセナはそう言ったが、ワタルが聞くはずなかった。子供のころから勝つために命がけで努力してきたワタルに肩の力を抜けと言っても無駄なことは、母親を務めて来たドラセナが一番よくわかっていた。