その夜、ワタルは一人で家を出た。
「ワタル、こんな時間にどこ行くの?」
「ちょっと散歩だよ」
「あんまり遅くなる前に帰ってくるのよ」
いくつになってもお節介なドラセナを煩わしく思いながら、ワタルは夜道を進んだ。
フスベシティはジョウト地方の中でも、かなりの田舎に位置する。
山に囲まれていて、ジョウト鉄道も、市役所前までしか通じておらず、山奥のほうで暮らしている者の生活は不便だった。
文明的な生活をしたいなら、車は必須。
しかし、フスベシティでは、ドンファンの引き車が使用されることがある。
ドンファンの引き車は、4年前にて「国道での運搬の全面禁止」が発表されて、その数をかなり減らしたが、山の深いところで住む者の間でまだ利用されている。
ワタルの隣を額にライトをつけたドンファンがどんどんと大きな音を立てて横切って行った。
ワタルには懐かしい光景だったので、しばらくそのドンファンを見ていた。
ワタルが幼いころ、よくドンファンの引き車に乗って、山のふもとの市場を訪れたものだった。
ドラセナが仕事に出ている間、おつかいを任されていて、ワタルは毎日のように引き車に乗って山を下りたものだった。
科学の力はすごい。あれから4年で、ロトムエンジンやロトムブースターが開発され、ドンファンの引き車から、普通乗用車にとって代わった。
ただ、ワタルは文明の利器が苦手だったので、車の免許をついには取らなかった。
ワタルは時間をかけて山を降りて来た。フスベシティの5割は農地であり、この季節は田植えが済んだばかりの田が広がっていた。夏の終わりを予感させた。
そんな道を歩いていると、草原で音がした。
「ウパーか?」
ワタルは草むらのほうに携帯していた電灯を当てた。
夏の終わりになると、このあたりはウパーが大量発生して、田で繁殖した蛙を食べて回る。
しかし、ライトに映ったのはウパーだけではなく、ウパーを抱えたヒガナだった。
ヒガナも目の前にワタルがいたので、しごく驚いた表情を使った。
「ヒガナか? 何やってるんだ、こんなところで」
「ウパーを捕まえてたの」
ヒガナは少し照れ臭そうにそう答えて、腕に抱えたウパーを示した。
昔から、ヒガナはよくわからない性格だった。ワタルは今でもヒガナのことがよくわからなかった。
「ワタルこそ、こんなとこで何してるのよ、びっくりしたよ」
ヒガナはそう問いかけて来た。闇夜がお互いを隔てていたので、ヒガナは昼間の時よりは、きちんとしゃべることができた。
「おれはただの散歩だ。あてはない」
「……」
ヒガナは少しうつむいて考え込んでから、
「私もついていっていい?」
「別に構わんが」
「あ、ありがとう」
ヒガナはそう言うと、ワタルの後ろをついて来るようになった。
ヒガナは草むらが揺れるたび、蛇のように反応してウパーを見つけると、次々とモンスターボールで捉えていった。
「やった。6人目」
「そんなに捕まえてどうするんだ?」
「村に戻ったときの新しい友達だよ」
「……戻る気なのか? あの場所に」
ワタルは真剣な表情で尋ねた。
「私の故郷だから」
「妹が殺されたのにか? 裁判の判決も明らかに差別的だった。戻らなくてもいいだろう、もうあんなところに」
ワタルは昔のことを思い出して、口調に怒気を込めた。
あれはワタルが龍の試練を突破して、プロのトレーナーとしてデビューしたころのことだった。
ワタルの吉報に混ざって、悲報も紛れ込んできた。
ヒガナにはシガナという妹がいて、共に竜星の一族の末裔だった。
そのことで差別されてきたが、それでも二人は負けずに生きてきた。
しかし、ある日、シガナは交通事故で亡くなった。
その事故は不可解な点でいっぱいだった。シガナを轢いた犯人は犯行後、「マグマ団に脅されてやった。他殺だった」という供述をした。
しかし、結局あれは過失致死だったということで処理された。
ワタルは子供心に納得いかなかった。ドラセナらの協力を経て、裁判で、故意の他殺だったということを訴えた。
シガナが竜星の民の末裔だったというのがおそらくは理由だ。
竜星の民はレックウザの怒りを招くと異教徒の者から悪く言われており、その当時、「竜星の民はホウエン地方に隕石を招く」ということが本気で信じ込まれていた。
しかし、裁判は結局、過失致死に終わり、事件の真相は闇に包まれた。
ワタルはいつまでも憤慨して、もう一度裁判を起こすように言ったが、ヒガナは事故を受け入れるという意思表示をした。
「なぜ、あきらめるんだ? シガナは絶対マフィアに殺されたんだ。やつらの悪を暴かないと、このままじゃやられ損じゃないか」
「そんなことしたって、シガナは生き返らないよ」
ワタルはヒガナのその言葉を受けて、闘争心を収めた。
あれから長い年月が経過したが、ワタルは今でもあの事件は忌々しいものに考えていた。しかし、ヒガナはあれから一度もシガナのことを思い出して悲しい顔をすることはなかった。
あんな事件があったということで、ヒガナも竜星の村に戻らず、ナツメやイブキの家を転々として暮らしていた。
しかし、ヒガナは竜星の村に戻ろうとしていた。
「シガナの声が心に響いたんだよ。レックウザが呼んでいるって。だから戻らなくちゃ」
ヒガナはそう言った。
本当に聞こえたのか、夢でも見ていたのかはわからなかった。しかし、ワタルは真剣に尋ねた。
「シガナはなんと言ったんだ?」
「レックウザが呼んでるって。災いの星が近づいているからって」
「……」
災いの星が何を示しているのかはわからなかったが、竜星の民に言い伝えられている伝説のことなのかもしれない。
竜星の民の言い伝えにこうある。
災いの星が大地に荒廃をもたらさん。
続き、カイオーガが海をもたらさん。
続き、グラードンが大地をもたらさん。
ただし、もう1つの定めあり。
竜星が2つ輝いたとき。
ラティオスの導きが天を貫く。
ラティアスの舞いが降臨を招く。
レックウザ、竜星の輝きに大いなる力をもたらさん。
災いの星、大地を越え、人の子の繁栄は永遠となる。
この伝説に書かれているもう1つの定めをこの世から消すために、マグマ団がシガナを殺したのだとする見方もあった。
「そうか……それならば、戻ってやらないといけないな」
「うん……」
「いつ戻るんだ?」
「ワタルと一緒の時に。私、応援してるから、必ずチャンピオンになれるように」
「……」
ワタルはホウエンリーグのチャンピオンになれる自信がなかった。いま自分の力はチャンピオンの頂に届くほど大きくないことを悟っていた。
こんな気持ちはこれまでになかった。いつもなら、前を向き、堂々とチャンピオンの座に挑戦できたのに、いまは勝てる気がしなかった。
シロナに敗北したときから、ワタルは生まれて初めて、そんな気分になっていた。
「もう遅い。イブキのところまで送ってやるよ」
ワタルはそう言うと、歩きだした。ヒガナはワタルのそんな背中を不思議そうに見ながらついていった。