マーズがいなくなったのを念入りに確認してから、シロナはアカギとの約束の場所に向かった。
マーズは突然現れた恋のライバルだったが、いくつか会話を交わした感じからするとまだまだ子供だ。
そこまで意識する必要はないかもしれない。
しかし、子供ゆえに無駄に行動力を発揮するかもしれない。
だから、シロナはテンガン山のロープウェイ乗り場にたどり着いても、周囲に目を配った。
ロープウェイは夕方6時が最終便になる。
午後4時を過ぎると、乗る客はほとんどいなくなっていた。
カメラを持って景色を写す山男一人だけだった。
マーズがいないことを確認すると、シロナはロープウェイに乗り込んだ。
夕焼け空が濃くなるころ、テンガン山の山頂はその夕焼けより高い位置にある。
ロープウェイの降り場につくと、すでにあたりは暗くなっていた。
空には一番星が見えた。
アカギはいつもの場所に立って空を見上げていた。
シロナは約束の時間の15分前にここにやってくるが、いつもアカギが先着している。
ずっとそこに立ち続けているのではないかと思うほど、いつも同じ場所に待っていた。
シロナの足音に気づくと、アカギは後ろを振り返って嬉しそうな表情を浮かべた。
「シロナ、ありがとう。君のおかげでまた一歩夢に近づいた」
「……何かあったのでしょうか?」
「見つけたんだ」
そう言うと、アカギは懐からモンスターボールを1つ取り出した。
「シロナ、君のおかげだ」
アカギが繰り出したポケモンは、古文書の中でしかお目にかかることのできないポケモン――アグノムだった。
アグノムはモンスターボールから解放されると、アカギの周りをグルグルと回るように漂った。
「アグノム?」
「ああ、シロナのおかげだ。君が教えてくれた場所に眠っていた。これで確信した。古文書の言い伝えは真実。間違いなく新世界は存在する」
アカギは本当に嬉しそうだった。それは同時にこの世界には何の希望も持っていないということを意味していた。
「お力になれて良かったです」
「言い伝えが正しいならば、エムリットとユクシーも実在するはず。シロナ、君ならば見つけ出せると信じている」
「……」
アカギの目に映っているのはシロナではなく、新世界のことだけだった。シロナにもそれは理解できた。
それでも、シロナはこの道を進むことを選んだ。もう引き返す道は消えてなくなっていた。
「アカギ様、私が必ず残り2体の居場所を突き止めてみせます」
「頼む、君だけが頼りだ」
「アカギ様……」
シロナはアカギの胸に飛び込んだ。アカギの力になれているうちはアカギを独占することができる。
「アカギ様、もし新世界にたどり着けたのなら、私はあなたのそばにいてもよろしいですか?」
「ああ、そのときは、おれたちが新世界のアダムとイヴになろう」
その言葉を夢うつつにシロナは目を閉じた。
イッシュリーグ主催の大会まで、あと1か月となった。
しかし、シロナの調子はいまいち上がらず、定期の朝の練習では、若手のナタネやスズナに苦戦することもしばしばだった。
いまいちポケモンバトルに集中できない状態はアカギと出会った日から継続していた。
それもそのはずで、昨日も古文書の解読のために徹夜をしていて、ここのところ寝不足が顕著だった。
「シロナさん、大丈夫ですか? 少し疲れているように見えますけど」
シロナの不調は他のトレーナーにも伝わっていたようで、練習が終わった後に、ナタネが心配そうに尋ねてきた。
ナタネはイッシュリーグ本戦への出場を決め、いま注目の若手の一人だった。
シンオウ勢はいま最も勢いがある。イッシュリーグ本戦に参加するトレーナーは、シロナ、ナタネ、ゴヨウ、クロツグ、ドラセナ、キクノ、デンジ、トウガン、オーバの9人であり、これは最多だ。
地元のイッシュ地方から本戦出場を決めているのは、アデク、ギーマ、カトレア、レンブの4人だけであることを思うと、シンオウ勢は大会荒らしをする外来魚のようなものかもしれない。
ナタネはシロナが輩出した第一号のエリートトレーナーでもある。
「少し疲れているかもしれませんね。お昼から少し休もうと思います」
「あの、ひょっとして私のせいでしょうか?」
「え?」
「このところ、私の指導に時間を取らせてしまっていましたから」
ナタネは悪びれてそう言った。
「そんなことはありません。あなたのおかげでいい刺激になっていますよ」
シロナは微笑んで答えた。
「それならいいんですけど」
「ナタネはたしか新人王戦以来の大きな大会でしたね」
「はい。ですから今から緊張しています。リーグ戦は初めてですし、アウェーだし」
ナタネは大会一か月前からずいぶんと緊張している様子だった。
リーグ主催の大会はポケモントレーナーにとって最も大きな舞台だ。初出場となると、緊張するのも仕方がないことだろう。
弟子の不安をケアするのも師の役目だ。
「心配することはありません。心を無にすればいいのです」
「そ、そんなことどうすればできるのですか?」
「他に何かやりがいは? それに集中すればいいのです」
「そうですね……ガーデニングとかですけど、それも手につかない状況なんです」
「そうですか……それは大変ですね」
ふと、アカギのことが思い浮かんだ。
不安を取り去ってくれるのは、自分の愛するパートナーであることはシロナもよくわかるようになっていた。
「ナタネはボーイフレンドいないのですか?」
「え?」
唐突な質問にナタネは目を丸くしていた。
「ごめんなさい。ぶしつけな質問でしたね。しかしパートナーの力を借りるのが一番かと思います」
「いないことはないかな……」
ナタネはいくらか思案した後、笑みを浮かべて頭を下げた。
「アドバイス、ありがとうございました」
ナタネは緊張を吹っ切ったように小走りで練習場を後にした。
シロナはその後姿を羨ましそうに見つめた。自分にも少女だった時代があったはずだが、あまり魅力的な経験を思い出すことができなかった。