極東の騎士と乙女   作:SIS

10 / 45
code:05 祭の前夜は

黒い機影が、ぐらりと傾ぐ。

 

 鋼鉄の猛禽、それを操る繰り手の瞳から生気が抜け落ち、紫電を伴って崩れ落ちる。

 

 ここは高空。重力にあらがう生気を失った翼は、ただ大地に引きずり降ろされるのみ。そこに例外は無く、黒い猛禽もまた、重力にひかれて落ちていく。

 

 それを見送って、セシリアは脱力の溜息をついた。

 

 危ない勝負だった。ギリギリだったといってよい。

 

 ブルー・ティアーズは所詮試作機、それも本体には何の展望もない唯の間に合わせに過ぎない。最低限第二世代レベルの能力は確保しているが、逆にいえばその程度の能力しかない。セシリア自身の近接戦闘への適正の無さもあって、ブラックナイフに踏みこまれたあの展開は極めて危険だった。もし、ビットの一機を保険として常にひきつれるという戦術を取っていなければ、あのままやられてしまっただろう。

 

「……また貴女に助けられてしまいましたね、シェリー教官」

 

 ビット戦術。それを構築したのは、セシリアではない。

 

 イギリス国家代表、シェリー・アビントン。世界最強の射撃技能を持つとされる、最強の狙撃手。ビットのオートマニューバパターン、そしてビットを一機残すという戦術、それらを構築したのは彼女だ。セシリアがいくら高いBT兵器適正をもっているとはいえ、高速移動により安定しないビット、そこから照射されるレーザーのブレ幅にいたるまで全てを制御している訳ではない。その制御にはかなり自動操縦に頼っており、それは全て、シェリー・アビントンがセシリアの為に入力したもの。

 

 例え離れていても、教官は自分を見ている。守ってくれている。

 

 一人では、ない。

 

「そうですわね。この恩に、報いれるよう……今回の戦いを糧に、私は強くなりましょう。今より、ずっと」

 

 噛み締めるように呟き、セシリアが今回の戦いを終えようとした、まさにその時だった。

 

 見下ろす先の、海面へと堕ちていく人影。すでにダメージから装甲は解除され、ISスーツだけになったその姿めがけて、海面を奔る白い姿が、セシリアの目に映った。それは猛烈な加速で海を割って白い線を引きながら、落ちる人影に追いすがろうとしている。

 

「織斑さん……?!」

 

「間に………合えぇ!!」

 

 叫び、一夏はさらに加速。とてもISに乗り始めて一月とは思えないような加速を操る手綱の妙に、セシリアは目を見張った。

 

 だが、何故。

 

 ISスーツになっても、海面に落下したぐらいではそう死にはしない。このあたりの海面付近には、こういったトラブルに対処する為の安全装置を備えたフロートが常に監視している。例え落下しても、それよりも早くセーフティが働き、ISスーツかフロートの展開するエアバックが安全に搭乗者を確保するはずだ。

 

 だから、別に助ける必要はどこにもない。

 

 それを知ってか知らずか、一夏はかける。まっすぐ、ためらわずに。

 

 その愚直さが、なぜかセシリアには眩しく映った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……!」

 

 一方一夏の方は割と必死だった。

 

 彼は、この海域では落ちても大丈夫だと知っている。ISスーツのエアバッグ機能も、フロートの安全機能も知っている。訓練で出撃する度に、姉に念いりに説明されたのだから、忘れるはずもない。

 

 だから、一夏が焦っているのはもっと別の理由。

 

 ……少女の落下予測地点が、IS学園の海域ギリギリだからだ。

 

 もしこのまま落下すれば、彼女は無事でも常に移動するIS学園の海域から放っておけば流れ出してしまう。それが具体的にどう不味いのかは一夏にはよくわかっていないのだが、彼の頭には姉が今回出る前に言った「間違ってもIS学園の防空領域を飛び出すなよ? 領域侵犯で撃墜されてもしらんからな」というセリフが、繰り返しリフレインしていた。実際のところこのセリフは弟の事を心配し過ぎる過保護な姉の脅し文句にすぎず、実際のIS学園の防空領域は生徒達に伝えられているよりもはるかに広い。

 

 だが千冬が過保護な保護者なら、一夏は絶対的な姉の信奉者だ。ちょっとぐらい大げさでも、それをまるっと信じてしまう。

 

 故に、彼は今現在必死で空をかけているのだった。

 

「……このままだと、間に合わない」

 

 海面すれすれを飛行しながら、一夏は落下予測地点をまだ遠くに捉えていた。現在打鉄は全力で飛行中だが、それでもギリギリ少女が海面に堕ちるのに間に合わない。速度だけならISにとってこの程度の距離問題ないが、受け止めるとなると話が違う。現在打鉄の速度は600km/hを越えている。もしこんな速度で落下する少女を抱きかかえにいけば、それこそ列車の人身事故のような事になってしまう。ならば先回りして減速すればいいのだが、この速度は今の一夏に出せる限界といっていい。また高速巡航モードへの切り替えやスラスターの出力調整といった機能、瞬時加速といった技術は彼には手に余るもの。瞬間的になら音速を突破する事も可能だが、それはいってみれば踏みこみにすぎない。踏みこんだ後は脚を止めざるを得ず、その間合いには少女は未だ遠い。

 

 つまりは、どうやっても間に合わない。

 

 だが、一夏はそんな事を考えてはいなかった。

 

 間に合わないから、諦めるのではない。

 

 どうやっても、間に合わせる。

 

「………そうだ!」

 

 脳裏に奔った閃き。それに一夏は光明を見出した。

 

 傍らを追従していた実体シールド。風圧をものともせず、引きずられるように一夏に従っていたそれが、不意にバランスを崩した。そしてそのまま、風にあおられるようにして遥か後方へと飛んでいく。

 

 実体シールドに推進機構は存在しない。それを浮遊・移動させているのは内蔵されたPICと本体からのPIC、二つによる影響だ。それを今、一夏は切断した。代わりに、その出力は外部、目の前で落ちていく少女の体に収束させる。

 

 思い出すのは昔の事。追われるシェリーは、一夏を逃がすためにPICの応用技術を行った。それと同じ事を、今、ここで再現する。

 

「いけえええええ!!」

 

 落下する少女の体が、減速する。ふわり、と風船のように浮かび上がったその体めがけて、今度は加速を殺しながら両手を広げて突進する。

 

 そして。

 

 とさり、という軽い音と共に、少女の体は一夏の両手に収まった。

 

「………ふぅ」

 

 やり遂げた満足感に、体の熱を吐く一夏。手の中の少女は、高所からの落下の影響か気を失っており、その体は酷く重い。それをISのパワーアシストで抱きかかえたまま、一夏は海面スレスレまで高度を落とし、IS学園へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 IS学園の離発着場にたどり着いた一夏を、蒼の少女が出迎えた。

 

「お疲れ様でしたわね」

 

「ああ、待たせちまったみたいで悪いな」

 

 薄く笑みを返すセシリアに軽く苦笑を見せて、一夏は抱きかかえた少女を傍らに下ろした。その両隣には、やはり先ほど一夏が救出した二人の少女の姿もある。ぐったりとした薄手のISスーツを纏った少女達の寝顔から顔を背けて、一夏はセシリアに向かいなおった。

 

「成程。一機落としてもなかなか動かなかったのは、そんな事してたからでしたのね」

 

「悪い。放っておいても命には関わらない事はわかっていたんだが、個人的な感情の問題で置いておけなかった。謝罪する」

 

「いいえ。あなたと私の契約はお互いにチャンスを作る事。手助けをする事ではありませんし、そうさせるつもりもありませんでしたわ。お気になさらず」

 

 ふふ、とセシリアはISの歩行には適しているとは言い難い尖った脚先で甲板を叩きながら一夏に歩み寄る。その歩みの一歩一歩がどこかモデルのような洗練された動きで、思わず一夏は気押されて固唾をのんだ。

 

「そう緊張なさらずとも結構です。少しいくつか質問をしたいのですが、よろしくて?」

 

「……かまわないけど」

 

 とりあえずは聞いてみよう、という一夏の回答に、しかしセシリアは強く眼光を輝かせた。まるで試すように、鋭い視線が剣となって突きつけられる。

 

「そう。では聞きたいのですが……貴方は、このIS学園で何をなし、何を目指すのですか?」

 

「何を目指すって……」

 

「貴方に選択肢がなかった事は存じております。己の意思など関係なく、不本意なままここに連れてこられた事等。その上で、貴方は何をなすのです? 何をなそうというのです?」

 

 セシリアの口調は強い。一切のごまかしを許さない、そんな強い意思を感じ取って、一夏は内心気合を入れた。

 

 試されているのだ、とすぐに分かった。

 

 ここで下らぬ答えを返せば、セシリア・オルコットにとって織斑一夏は意味を成さない愚物になり下がる。その確信があった。

 

 だが。

 

 呑まれてやるつもりもない。楽しませてやるつもりもない。

 

 そう、織斑一夏は、この学園の全てに立ち向かうと決めたのだから。

 

「具体的な目的はまだ何もないよ」

 

「では、何もしないと?」

 

 つまらぬ答えだ、そう言いたげにセシリアの目から熱が消える。それを、どこか楽しげに見つめながら、一夏は続きを口にした。

 

「いんや。やるべき事はある」

 

「やるべき事?」

 

「そうだ」

 

 その瞬間、全ては一瞬で行われた。

 

 一夏の空きのままの右手。軽く開かれたその手の中で、光が奔った。

 

 実体化するのは、11型近接長刀。大きく反り返った刀身と、前に突き出した鍔の代わりのカウンターウェイトを持ち、炸裂ボルトで刀身を固定する鞘に覆われたIS用の日本製近接武装。セシリア・オルコットが目を見張る速度で実体化したそれを、一夏は躊躇う事なく彼女めがけて振りぬいた。

 

 ふぉん、と振りぬかれた刃の切っ先、鞘の先端が、セシリアの顔の僅か数センチ前で停止する。軽く目を見開くセシリアの瞳を真正面から見返しながら、一夏は自身に宿る熱量と誇りをこめて、短く言い切った。

 

 

 

 この学園における、宣戦布告を。

 

 

 

「それは。全てのIS乗りを、ぶったおす事、だ」

 

「……本気ですの?」

 

 確認するような、セシリアの問い。それはそうだ。一夏の答えは、ただ単にこの学園で一番になる、といった意味合いのものではない。

 

 文字通り、世界の半数を占める女性という存在。それに対する、宣戦布告だといっても過言ではない。

 

 この世界にある、400を超えるIS乗り。その全ては、織斑一夏というたった一つの例外を除き、全て女性なのだから。

 

 その事を確認する問いに、しかし一夏は笑って牙を見せた。闘う覚悟を決め、そして実戦によってその覚悟を試されたものの顔だ。

 

「当たり前だろ。ここにきて数週間、覚悟を決めるには十分だ」

 

「………ふふ。一つ伝えておきます、織斑一夏。私は男が嫌いですわ。特に軟弱な自己主張のできない男が」

 

 つ、と突きつけられる長刀の先に手をやり、そっとどかすセシリア。と、その手に発現する量子変換の光。取り出したブレードを、今度は一夏にむかって突きつける。

 

「でも。覚悟を決めた男なら、そう。貴方は別。いいでしょう……私も宣言してあげます。この学園の最初の公式戦で、貴方を地に伏せさせる事を」

 

「はっ。いいぜ、その時になって前言撤回するなよな」

 

 お互いに剣を突きつけ合い、不敵に笑う。

 

 そこにあるのは敵意ではない。相手を認め、こえたいと願う戦士の友情だ。

 

 お互いを好敵手と認めた二人は、今後の学園生活に思いを馳せる。

 

「楽しみにしてるぜ、セシリア・オルコット」

 

「ええ。楽しませてあげましてよ、織斑一夏」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが忘れてはならない。

 

 このIS学園には、鬼がいる。

 

「貴様らがどんな約束をするかは勝手だが」

 

 ふぉん、と風を切って、唸りを上げる細腕。その手には、武器も何も握られていない。

 

 だが知っているものは知っている。

 

 その細腕は、時に剣や銃を上回る破壊力を発揮する凶器である事を。

 

「少しは後始末をするこちらの身にもなれ、バカ者どもが」

 

 

 

 

 

 

 その日。

 

 織斑千冬の武勇伝が一個また増えることになる。

 

 曰く『素手でIS展開中の人間二人を床に文字通り叩き伏せた』と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 IS学園は、運命の日を迎える。

 

 新入生、入学の日……。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。