極東の騎士と乙女   作:SIS

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code:09 ウォーム・ティアーズ

 

 

 

 

 

 

 

 IS学園という巨大な学園にして移動要塞には、基本的にありとあらゆる学校と呼ぶに必要な設備が整っている。本校に学生寮、プール、体育館、スタジアム、図書館、etc……。

 

 特筆すべきは、それらが狭いエリアに押し込められているのではなく、学園そのもののスケールに沿うようにしてまたそれらも巨大である、という事だ。その中には、年に何回も使われないような特殊な目的の施設すら含まれている。

 

 その、ある目的でしか使われない大型施設が、しかし今は多数の人間に埋め尽くされていた。普段は電源を落とされ時々清掃用ロボットがうろつく程度のその場所は今や、多くの年若い少女が一定の間隔を保って整列している。その表情は様々だ。期待に目を輝かせる者、緊張に縮こまっているもの、不安そうに視線をさまよわせている者、つまらなそうに目を伏せている者、ほほえましそうにほほえんでいる者、等々。それらの表情にも差異があり、前列付近に座る少女達はどこか明るく、そしてその背後にいる少女達はどこか、前列を見極めようとしているかのように静粛だ。誰も彼もが不用意に口を開き、音を立てることこそないものの、音のないざわめきが空間に満ちている。

 

 そんな少女達が集うその場所を、セレモニーホールという。

 

 そう。これはIS学園の入学式。

 

 数百名の新入生達は今、これから、正式にIS学園所属の候補生となるのだ。

 

『………………』

 

 マイクのハウリングらしきものが、放送から流れる。その聞き慣れた音に反応した新入生達が、一斉に背をぴんと立てた。たちまち、無音のざわめきに包み込まれていたホールが、凍り付いたように静まっていく。

 

 始まる。この場に集った少女達にとって、待ちに待った神聖な儀式が。

 

 そして放送は高らかに、儀式の宣言を読み上げた。

 

『これより、第三回IS学園入学式を、開催します……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようやく始まったか……長かったな」

 

 開会式の様子を、テレビ画面ごしに見ながら、千冬はやれやれ、といった体でつぶやいた。その手には、ノンアルコールビールが握られている。いくらアルコールが入っていないとはいえ業務中にいいのかそれは、と言われてもしょうがない態度であるが、入学式にそもそも出てないように彼女の仕事はある意味で終了している。今回、彼女の仕事はIS学園の防衛における陣頭指揮、そのものだ。防衛戦という名を借りた蹂躙の後もまあそれなりにやるべき事は残っていたが、捕虜の確保と残骸の回収といった最低限の用はすでに終了し、捕虜への尋問や背後関係の調査は別部署の仕事だ。後はそれこそ通常業務の範疇を出ず、故に千冬は本日の疲れをゆったりとソファに吸わせながらくつろいでいるのである。

 

 とはいえ、あんまりほめられた態度ではないのも事実。そしてここには、それを指摘する程度の常識を持ち合わせた人物も居合わせていた。

 

「……いや、流石に真っ昼間からその態度はどうかと思うよ、千冬姉」

 

 眉を寄せて、渋面で注意を促す少年。言うまでもなく、一夏である。彼はシャワー上がりのどこか水っぽい雰囲気をごしごしタオルでぬぐい去りながら、半眼で姉の事をじと目で見やった。

 

「まさか、学園でいつもその調子だったりする?」

 

「それこそまさかだ。お前以外の目がないから、羽目を外しているだけだ。これでも気苦労が多い立場なんでな。少しぐらい大目に見ろ」

 

 ラフに着崩したスーツの胸元をぱたぱたしながら、ソファにのけぞったままの千冬。今更ながら描写するが、二人がいるのはIS学園内部の生徒指導室、という名を借りたある種の質疑応答部屋だ。一夏はここに戦闘終了後の事後報告の為にここを訪れ、千冬はそれを聴取する、という名目になっている。ちなみに一応、本来の用件は二人とも迅速に終わらせている。流石に、するべき事をおいておいてまでまったりするほど二人とも駄目人間ではない。

 

 一夏はその我が家でしばしば目の当たりにする姉の駄目っぷりにため息をついて、やはり相手が折れる気がない様子を見て取ると自らもソファに身を預け、入学式のライブ放送に目を向けた。できれば、自分もせっかくなんだからあの場所にいたかったな、と少しだけ思うが、あれだけの女子の中に一人男として入り込んでプレッシャーに押しぶつされるであろう未来図の想像も用意であったため、むっつりと押し黙った。

 

 しばし静寂が部屋に訪れる。ボリュームを落としたテレビから聞こえてくる言葉が、どこか遠くから聞こえてくる念仏のように耳に響いた。

 

 やがて静寂を破ったのは一夏のほうだった。

 

「なあ、姉さん」

 

「なんだ」

 

「…………何人、死んだんだ?」

 

 その言葉を絞り出すのに、一夏は相当の努力を必要とした。

 

 あの時。かけつけた一夏は確かに、海面に墜落した複数のヘリの機影を目撃していた。そのすべてが、輸送機の護衛をつとめていた日本の自衛隊所属のヘリである事も、データベースで照合済みだ。戦闘中はあえて意識から追い出していたその事実を、しかし今、確認せねばならないだろう。

 

 無言で見つめてくる一夏の視線の圧力に負けたわけではないだろうが、千冬はひとつ、ため息をついてその質問に答えた。

 

「軽傷が一人。重傷が五人。死者が……三人だ」

 

「…………」

 

 最初、一夏の心は微風が吹いただけだった。あれ、俺ってそんなに白状だったっけ、と彼が思った瞬間、何かとてつもなく重く、大きな物がずしりと彼の胸にのしかかってきた。うぐ、とうめいてうつむく彼は、その大きな何かを持て余し、視線をさまよわせた。

 

 見つけたのは、一つの視線だ。冷徹に、否、冷徹にあろうとする、姉の視線。その奥に隠しきれない何か大きな感情のうねりを見いだして、一夏はしばし我を忘れてその瞳にみいった。

 

「勘違いするなよ、馬鹿者。死者の責任を、お前一人が背負うなどと思うな」

 

「千冬姉……」

 

「貴様には責任をとる資格も、義務もない。あれは、学園の過失だ。学園は襲撃を予定していながら、しかしそれに対応できなかった。それが事実だ。お前は確かに学園の指示に従って迎撃に出たが、そこにお前個人の理由など存在しない。お前はただ学園の駒として戦い、倒すよう命じられた敵を討った。ただそれだけだ」

 

「…………」

 

 どこか突き放したようにすら感じる、冷徹な言葉。だがその中に、隠しきれない肉親の情と、深い懊悩を感じ取り、一夏はもう言葉を口にする事もできずに押し黙った。

 

 そんな一夏の様子を横目で見て取り、千冬は深く息をはくと手にした缶を投げ捨てた。それは正確無比に、部屋の片隅のゴミ箱に落下し甲高い音をたてた。それを区切りに、千冬はソファから腰をあげるとテレビを消した。ついで時計を確認し、ふむ、とうなる。

 

「そろそろ時間か」

 

「……? なにの?」

 

「ああ、聞いてないのか。そうだったな。実は先の襲撃において、孤軍奮闘した代表候補生と、それと連携して活躍した女子生徒がいてな。そいつらにも聞き取りをしてもらった後、こっちにきてもらうよう伝えておいた」

 

「代表候補生と……女子生徒?」

 

「ああ。代表候補生は日本出身で……見なかったか? ヘリの後部格納庫から応戦していたらしいが」

 

 いわれて、思い出す。確かに、ヘリ後方にあるハッチから、銃を片手に応戦していた人影があった。よくよく思い出してみれば、彼女は全身をなんらかのスーツで多い、機械化装備を身にまとっていた。ただ、飛行していなかったし、シールドバリア反応もスラスター類の輝きも見られなかったので、ヘリに搭乗していた護衛だと思っていたのだが……。

 

 いや、と一夏は頭を降った。常識的に考えて、彼女が持っていた銃であの戦闘機と渡り合えたとは思えない。なら、そこにはその常識を覆す何かがあったはずで、それがISのPICを応用したベクトルブースターであると考えるのは簡単だ。なら、おそらくあれもISだったのだろう。何か事情があって飛行できなかった、とでも考えるべきか。

 

 と、そのタイミングで、とんとんとドアをノックする音。あれ、心の準備が、とあわてる一夏を完全に無視して、千冬はノックに答えた。

 

「かまわん。入ってこい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かまわん。入ってこい」

 

 扉の向こうから聞こえてきたその声に、箒はびくりと肩をふるわせる。知っている声だ。TVやラジオで知ったわけではなく、過去、近しい友人として、何度も耳にした声だ。それを何年もの時を越えて、扉越しに再び聞く、というのはなんとも不思議な感覚だった。

 

 そして、いるのだ。声の主とは別に、この扉の向こうにはもう一人。箒がずっと再会を渇望し、しかし、決してかなわぬだろうとあきらめ、どこかその事を安心すらしていた、大切な幼なじみが。

 

 変わる。この扉を開けば、何かが変わる。悪いほうか、良いほうにかはわからない。だが、箒の停滞しつづけた時間は、今この瞬間、動こうとしているのだ。

 

 ドアノブを回そうとした手が止まる。恐ろしい。時間が動くのが恐ろしい。ずっと、箒は停滞した時間を恨んでいた。憎んでいた。……だが、停滞していればそれからはなにも変わらなかった。それ以上、傷つく事も、失う事もなかった。だけど、このドアを開けば……。

 

 そんな戸惑いと躊躇いに固まった箒を動かしたのは、背後からの小さな声だった。

 

「篠ノ之さん」

 

 その声は平坦で小さかったが、それでもわずかな思いやりを箒は感じ取ることができた。振り返った先にたっていたのは、先ほどから無言で箒の後ろについてきていた、同い年の少女。

 

 更識簪。彼女は、あのとき猛り戦闘機に立ち向かっていた人物と同じとは思えない、静寂の宿った瞳で箒をみつめながら、ただ一度小さく、コクンと頷いた。

 

 それだけ。

 

 それだけで、嘘のように緊張がほどけていく。こわばっていた手を一度握り、そして開いて、箒は簪にうなずき返した。そして、ドアノブを握る。

 

 心理的な印象とは裏腹に、当然だがドアは実に軽かった。よく手入れをされているのだろう、音も立てずに静かに開いたドアの向こうには、どこか無機質な空間が広がっていた。あるのは壁に埋め込まれたテレビと、机とソファのみ。その部屋の中に、先ほどの声の主がたっていた。

 

 織斑千冬。黒いスーツを身にまとった年上の女性は、かつての記憶とかさなる冷たい視線で箒を見ている。その視線に一瞬ひるむも、箒は気を取り直して視線を巡らせた。彼女があうべき人物を探して。

 

 そして。

 

 彼はそこにいた。

 

 背はずいぶんと延びていた。かつては箒の方が高かったのに、今はずいぶんと上をいかれている。体はほどほどに鍛えられているようではあるが、かつての同級生達のそれよりちょっと筋肉質、といった程度。あまり本格的に運動はしていなかったのだろう。だが、そのたたずまいにはかつてともに学んだ武術の基礎が、残滓のようにこびりついていた。

 

 そして、その相貌には、泣きたいほどの覚えがあった。年を経て大人に近づいてはいるものの、それでもかつて隣あって、竹刀をふるったあの少年の面影が、確かにそこにあった。

 

「一、夏……」

 

 涙こそ流さなかったものの、箒は胸にせり上がってきた想い出の衝撃に息をつまらせた。長年思い描いていた姿が、そこにあった。彼は今、どうなっているのだろう。どんな青年に成長しつつあるのだろう、と考えたことはあったが、現実の彼は想像よりずっとたくましく、頼りがいのある男に成長していた。そこに自分と彼との隔絶された時間の流れを感じ取り、箒は意味もなく悲しくなった。

 

 そして恐れた。

 

 彼は、自分の事を覚えているのだろうか。箒と一夏がともに過ごしたのは、そんなに長い時間ではない。二人の共通点は、ただ一緒に同じ武術を学んだ、ただそれだけだったのだ。箒にとって一夏が特別な一人であっても、一夏にとってはどうなのか。

 

 もし、もしも。一夏が自分の事を忘れていたら。

 

 箒は恐れた。怖かった。だから一夏がその唇を開き、声を発そうとした時、全身は硬直して動けなかった。その中で、耳だけが鋭敏に動き、箒の意志にさからって現実をただ、拾い上げた。

 

 一夏の言葉は、ただ一つ。

 

 一つだった。

 

 

 

 

 

「…………箒?」

 

 

 

 

 

 

 最初、その単語の意味が箒には理解できなかった。

 

 ほうき。

 

 ほうき。

 

 …………箒?

 

 それが己の名前であると気がつくのに数秒。その意味を理解するのにまた数秒。そしてようやく、目の前の幼なじみが自分の事をずっと覚えていてくれたのだという事実に至ったときに。

 

 箒の頬を、暖かい滴がそっとつたった。膝が砕け、倒れ込む箒を、背後からそっと簪が支える。彼女は千冬と一夏にそっと首をふると、箒を抱えてソファに座らせた。

 

 その隣に、一夏がそっと歩み寄ってくる。彼は困惑を顔に写しながらも、ためらいがちに箒の手をとった。

 

「どうした、箒? ……まさか、どっか怪我を?」

 

「ち、違う……」

 

 ぐしぐしと涙を拭いながらも、箒は首をふった。そのまま視線をあげず、涙声でつぶやくように訪ねる。

 

「一夏……? どうして、一目で私だって?」

 

「だってそりゃあ、幼なじみだし」

 

「何年もあってないのに……?」

 

「そりゃ、数年ぶりだけどさ…………わかるよ。だって、箒は、箒だろ?」

 

 ああ、と箒はうめいた。

 

 その言葉。その言葉を、ずっと、ずっと。私は求めていたんだと。

 

 流転する世界の中で。渦巻き手をとり足を救う現実の中で、確かに握りしめるもの、すがりつく事のできる確かな何かを、ずっとずっと求めていたんだ。それを知らず、それを友に、家族に、そして想い出の中の幼なじみに求めてきて。それが、今、わかった。

 

 熱い滴がいっそう頬をぬらす。声もなく嗚咽する彼女を、困惑しながらも一夏はそっとぎこちない手つきで箒の背をなでてやった。

 

「……やっぱ怖かったんだな。実戦だもんな。武装もなにもないし、そりゃなあ」

 

 勘違いにも程がある気遣い。だが、それでも別に今は良かった。肩をとってくれる友人と、背をなでてくれる幼なじみの熱。それを全身で感じ取りながら、箒はただ、泣いた。己のひび割れていた心に、その熱が染み渡り、堅く凍えていた心がゆったりととけだし、潤い満たされていくのを感じながら。

 

 はじまるのだ、きっと。

 

 今日から、篠ノ之箒の、箒だけの人生が。

 

 

 

 




実はArcadiaにあげてる現段階の話の中で、作者自身として一番好きな話だったりします。特にこの話にメインヒロインはいないのですけど、気がつけば箒を優遇してるあたり潜在的なファース党だったんですかね、私。

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