幼なじみとの再会。
それは箒が落ち着いた後に、その場はお開きとなった。
千冬はきりっとした先生モードに切り替えると三人を部屋から追い出し、自身も忙しそうに仕事に戻っていった。そのスイッチの切り替えの早さと変貌ぶりに、ああ、千冬姉もちゃんと先生してるんだなあ、と妙な感慨に浸る一夏だったが、それ以上に今は優先しなければならない事を思いだし背後の二人に意識を戻した。
更識簪と、篠ノ之箒。まったく見知らぬ女子と、幼なじみは、数年来の友人のようによりそってたっていた。話を聞くに、あのヘリ襲撃の中で特に重要な働きをしたのが簪という少女で、なんと日本代表候補生らしい。その割には名前を聞いたことがないが。詳しい話によると彼女は専用機の開発が難航しており、その開発促進の為にIS学園に入学することとなり、その最中にヘリ襲撃に巻き込まれ未完成の機体で応戦したのだという。
そしてそのさなか、ヘリとの連携において連絡係をつとめたのが、箒なのだという。つまり、箒はあのヘリにのっていた数十人の命を背負って、戦ったのだという。その心労は一夏には計り知れない。彼は幼なじみの背負った重みを想像し、俺には無理だな、とただ感嘆した。実際のところ、箒が先ほど取り乱したのは全然違う理由だったのだが、そのあたりに気がつかないのは人間性の問題なのだろう。
とりあえずは、状況を動かさなくては。一夏はそう思って、コホン、とわざとらしく咳をついた。途端に二つの視線が、一夏にそろって吸い寄せられる。
「まあ、積もる話もあるけど、これからどうする? 入学式はそろそろ終わるみたいだし、今から参加するってのもナンセンスだろ?」
「そ、そうだな…………どうしようか」
「……」
戸惑ったように簪と目をあわせる箒だが、対する簪はそっけない感じだ。あれ、仲が良いかと思ったんだけど、と思った一夏だったが、簪はふむ、と頷くと短く要望を口にした。
「とりあえず、シャワーが」
「あ」
「……そういや出撃から戻ってすぐ呼び出されたっけ。まあ、早く浴びないとたしかに汗くさくもなるか」
「汗…………?!」
ぎょ、とした顔で後ずさる箒。あれ、何か変なこといったか、と首を傾げながら一夏は箒? と呼びかけ。
「どうした、何かおかしな……」
「いいいいいい一夏そうだまずシャワー浴びようそうしようその後でまた集まって会話だそうだそうしようじゃあ私はシャワー浴びてくるからあとでお前の部屋にいくからなそうだお前の部屋何番だっけそうだ先生にあとで聞こうそうしようそれじゃあ一夏またあとで!!」
止める暇もあればこそ。聞き取るのが精一杯の早口で一息にまくし立てた箒は真っ赤になった顔を各層ともせず、ぎゅん、ときびすを返してどたどたと走り去って言ってしまった。あ、え、と一夏が伸ばした手をむなしく宙をかき、その先でがくん、と箒は角を曲がって姿を消した。
あーれー? と呆然とする一夏の横を、簪は無言でかつかつと歩いて箒の消えた方向へと歩き出す。後を追うつもりらしい。そんな簪を呆然と見送りながら、ふんふんと自分の制服の裾をかいでみてから、一夏は一言、彼女に問い訪ねた。
「……俺、そんなに臭いか?」
「さあ」
「ううむ…………スプレーでも使った方がいいんだろうか……」
誰もいない廊下を、一人つぶやきながら一夏は歩く。その隣に簪の姿はない。箒と同様に、シャワーを浴びにいってしまったからだ。ちなみに彼女はちゃんと一夏の部屋確認をした。
そんな訳で一人になった一夏もまた、自分の部屋に戻ってシャワーを浴びようと考えたのは自然な流れだろう。もしかするとシャワーあがりに箒達が押し掛けてくる可能性もあったが、正直この時の彼はそこまで思考を回す余裕がなかった。
「考えてみればここ実質女子校だしな……。自分ではわからないからってそのあたりおろそかにすると村八分にされかねん。IS学園……恐ろしいところだ」
恐ろしいところであるのはもうずいぶん前にわかっていたつもりだったが認識を改める様子の一夏。恐ろしいの意味合いがずいぶん違うが。
そんなこんなで人気のない通路をわたりきり、ぶつぶついいながらドアを開く一夏。そこに警戒心はない、考え事で頭がいっぱいだ。ちなみにIS学園の個室はオートロックだが、個人個人がもつカードキーを無線で認識して自動的に鍵の開け閉めが行われるために基本的に鍵を気にする必要はない。そもそも監視カメラでガッチガチの陸の孤島で盗みを働く生徒もいないだろうし、今までいなかった。故に、ここになれてきた一夏も流石に自室に入る瞬間は無防備だった。
故に。
部屋に入った彼がその存在に気がついたときの驚愕は、とても文字にできない。
「おかえりなさいませ」
そこには。
メイドがいた。
比喩でも何でもない。服装こそIS学園の制服の上からエプロンドレスにカチューシャというものだが、ドアの真正面にたち帰宅した部屋の主を真正面から礼で迎えるその楚々とした佇まい。その背後に、一夏は遠くイギリスのヴィクトリア朝のオーラをかいま見た気がする。
具体的に言うと、いちかはこんらんした。
「え? ……え?」
意味のある言葉を発せないほど混乱する彼をよそに、女性は数秒、頭を下げ続けた後ようやく顔をあげた。その、年若い覚えのある相貌に、一夏の驚愕は限界を突き抜けた。
熱のない冷たい視線。腰までのびた長い三つ編み。その、エプロンドレスがにあっているのか似合わないのかよくわからないクールビューティーはまさに。
「せ……先輩ぃ!?」
「記号で呼ぶな、任務中でもなしに。私には名前がある。あと人に指を突きつけるなと姉に教わらなかったのか」
「あ、す、すいません」
驚愕のあまりつきつけてしまった人差し指をしおしおと戻し、え、なんで、と目の前にたつ女性の顔色を伺う一夏。先輩……前日に一夏を襲撃した張本人である響子は、一夏の先輩呼ばわりがきにいらなかったのが眉を不愉快げにしかけて、ふん、と一夏に絶対零度の視線を突きつけ返した。
その冷たさにうわあ、とひるむ一夏だったが、しかしここでひるんでは話が進まない。意を決して、目の前の存在に話しかける。
「え……と。せんぱ……じゃなかった、響子先輩? なんでまた、そんな格好で、俺の部屋に……?」
「…………」
一夏のおっかなびっくりな問いに、いらぁ、といった感じで響子の表情がおっかなく変化する。うわあ、まずったか!? と思わず半歩引いてしまう一夏だったが、彼の予想に反して響子はしばらくその雰囲気を維持した後、ため息とともに殺気を霧散させた。
「……罰則よ」
帰ってきたのは、短い一言。
その言葉の意味を、一夏はよく考えてみる。
罰則。意味:違法行為に対する罰を決めた法則。
つまり、響子は自分が何か違反をしたからこのような姿をしている、といっているのだろうか、と考える。しかし何故メイド服。違反行為というのなら、つい先日自分自身が攻撃されたからそのあたりに理由があるのだろうと一夏にもわかるが、なぜメイド服。
めいど、めいど、めいど……? などとつぶやきながら自問自答の渦に引き込まれかけていく一夏に、響子は今度こそ心の底からいらだったように腕を組んで斜めに一夏をにらみつけると、短く説明した。
「お前を襲撃した事へのペナルティ。これから数週間、この学園になれるまで私が専属ホームヘルパー兼案内役。わかった?」
「…………ああ、なるほど」
ぽむ、と手をたたいて納得する一夏。さすがにホームヘルパー、というのは勘弁願いたいところであるが案内役は確かにごもっともだと。何せIS学園は超巨大な複合施設で移動要塞でメガフロートだ。その施設の過密っぷりは尋常ではなく、その巨大さ故機能を維持するために常にどこかでメンテナンスが行われ、使用可能な通路は日々変化する。そんな迷宮じみた場所での生活にもやがて慣れていくのだろうが、それでもやはり迷うものは迷う。確かに一夏も案内役ほしいなあ、などと思っていたのだから、それがペナルティという形でも助かるものは助かる。
「でもなんでメイド服で?」
しかしここでよけいなことをいってしまうのが織斑一夏という人物なのか。数度目になるその質問に、ついに危険な角度で響子の眉がつり上がった。
ひゅいん、と右手がかすんで振り上げられる。ちゃきし、と小指と薬指が動いたかというと、次の瞬間その手の中にはどっからとりだしたのか薄いナイフが回転していた。ぎょ、とする一夏の鼻先にぴたりとナイフを突きつけて、響子は地獄のそこから響いてくるような声で、ぼそり。
「……人がさっきからその話題、避けようとしてるのにつっこんでくるのはバカなの? 死ぬの? おーけい、殺してあげる」
「ちょちょちょちょま、すいませんでした! 俺が馬鹿です自殺志願者でしたっ?!」
「そう。ならしになさい」
「ひぃっ!?」
やべえ目がまじだ、と覚悟を決める一夏。だが響子は深い瞳で一夏をにらむだけで動かない。緊張に満ちすぎた時間が数旬流れ、気がつけば鼻先からナイフは引かれていた。思わず下がって、ドアに背を預けてへたれ込む一夏。
そんな彼に、響子は出したときと同じく手品のようにナイフを消して、へたりこんだ一夏と目をあわせるように自身もかがみ込んだ。長い三つ編みがふわりと揺れる。
「……いっとくけど、本気だったから。私にも立場というものがあっただけ」
「は、はひ……」
「……まあ、私みたいなのがこんなフリフリ服きてても気味が悪いだけだろうから、一応伝えておくわ。……うちの会長、生徒会長の事だけどね、あの女は最強で最悪なのよ。覚えておく事ね。あと次聞き返したらさすがに私もどうするかわかんないから」
「が、俄然承知しました……」
まるで訳が分からなかったがとりあえずうなづいておく一夏。ついでにいうと似合ってるし、とも思ったがそれは今度こそ心の中だけにとどめておく。これぞ大人の処世術、ちょっとだけまた大人という汚い生き物に近づいた一夏だった。
「でも、なんでまた部屋の中で待ってたんです? 俺は別に今すぐどこかいくつもりじゃなかったんですけど」
「ホームヘルパーだといったでしょう」
「でも俺別に私物そんなに多くないし……?」
「……簡単なことよ。いわゆるハニートラップ除けも私の仕事なのよ。貴方なんぞに媚びをうる女子の気が知れないけどね」
「は、ハニートラップゥ!?」
言葉の意味なら一夏もしっている。いわゆる、色仕掛けというやつだ。そうやって女の色気で陥落して、情報などを絞れるだけ絞ってあとはぽい。映画やマンガの中で時々目撃しては、こえーこえーと友人と語り合ったものだ。まさかそんなものの対象に自分がなっている、などとは思ってもいなかった。
だがすぐに冷静に考え直して、当然か、と思い当たる。なにせ自分は世界でたった一人、ISに乗ることのできる人間なのだ。その遺伝情報や身柄をねらって、各国の諜報機関がそういった工作を仕掛けてくるなど予想できたこと。そういうのを避けるためのIS学園への早期移送だが、生徒が工作員だった場合のフォローまではさすがにできない。
だから、なのだろう。
一夏を敵視し、憎み、攻撃まで仕掛けたこの二年生が、一夏を守る盾として選ばれたのは。確かに彼女なら間違っても一夏に色目を使うなんて事はないだろうし、IS乗りとして学園生徒として誇りも持つ彼女がそういった謀略を見過ごすというのもあり得ない。短いつきあいだが、それぐらいを把握できる程度には一夏は村上響子という人物を知っていた。
しかしそうなると、一夏の脳裏にとても怖い予想が浮かび上がってくる。まさかとは思うが、まさか。
「同じ部屋に寝泊まり、するなんて事は、さすがに……」
びきぃ、と音をたてて響子が両手を握りしめた。さすがIS学園でもトップ10に入る凄腕、素の肉体も鍛え上げられている。わずかにのぞく拳に青筋を浮かべながら、響子はそれこそ肝でもなめさせられたかのような苦痛に満ちた表情で細く開いた唇から絞り出したような声で答えた。
「…………ええ、そうよ」
え、本当ですか。
響子の反応に背後の扉に張り付いたまま戦慄する一夏。つまり、つまりは、つまるところ、一夏はこれから、このおっかない先輩に監視されながら学園生活を送らねばならないという事になるのである。先輩にも個人の時間があるしきっと訓練とか忙しいから辞退しますよはははは、と言ってしまいたい衝動にかられたが、しかしそんな事は目の前の当人こそが誰よりも強く思っている事だろう。その彼女が、意に反して衣服を改めスタンバイしていた事そのものがもはやどうしようもない事の証左なのではないか。
若い男女が同じ部屋で寝泊まり。実にドキドキである。命の心配で心臓が緊張のあまりドッキドキするという意味だが。
「む、むむむ無茶ですよそんなの……!」
「そんな事は、私が既に100回ほど抗議した。でもだめだった」
「そんな……!」
ただでさえ学園の生徒はみんな女子の中で一人だけ男子、という状況なのだ。ただでさえ注目は避けられないのにそんな事になったら、じぶんの立場は……。
そこまで思って、ふと一夏はある事を思い出した。その、自分以外はみんな女子のこの学園生徒。そのうち二人が、自分の住まうこの部屋にやってくるという約束をしていた事を。
まて。ちょっとまて。
状況を説明する前に、この有様をみられたら。いや、そもそも状況を説明して納得してもらえる問題なのか。今どれだけ自分が学園内地位的に危険きわまりない状況なのかを把握し、真っ青になる一夏。危険だ、非常に危険である。まずは二人がやってくる前に、先にこちらから押し掛けて状況を説明して説き伏せねば。
しかし、現実は無情だった。
コンコン、というノックの音が、背後のドアを伝わって一夏の背に響いた。
そして。
「い、一夏、や、やってきた、ぞ……?」
「織斑さん、どうも」
さっき分かれた二人の声。
どうしてだろう、と一夏はどこか悟りの入った目でつぶやいた。さっきまで会うのが楽しみだったのに、今はそれを無限延期したい自分がいる。ははは、人間って不思議だなあ、と。
しかしながら、そんな事情を知ったこっちゃない人物が一人。もはや覚悟完了、どうともでなれと腹をくくったその人物は、おぼろげに一夏の事情を把握しながらもかまってくれはしなかった。むしろ、よい嫌がらせになる、とでもいいたげに邪悪に唇をつり上げながら、その透き通る声でドアの向こうの二人に答えた。
「ああ、いらっしゃい。入ってきて。織斑一夏なら今ここにいる」
ガタン、とドアの向こうで誰かがびっくりして何か滑ったような音がする。続けて、ものすごい勢いでドアがガタガタと揺さぶられた。同時に、少女のどこか必死な声。
「いいいい一夏!? なんだ今の声、ほかに誰かいるのか!?」
「……データベース照合、二年生の村上響子と推測。一般入学の生徒の中ではトップガンね」
「二年生?」
「ええ。ついでに、こんな人」
「び、びじ……。い、一夏どういう事だ説明しろというか私たちがくるのになにを女を連れ込んでいるんだ貴様は!?」
うわあどうしようというかどうにかなるのか、と思いつつも、ガゴンガゴンとすごい力で扉をこじ開けようとするのに抵抗する一夏。とにかく、部屋にいれてはならない。
だがしかし。響子はそんな一夏に陶然とするような色っぽい流し目をむけると、がし、とドアノブに手をかけた。ひきつった顔の一夏と、響子の視線が数瞬絡み合う。
冗談ですよね。
冗談に思える?
はっはー、ですよね。
そんなやりとりの後、全力で一夏はトビラを押さえる体に力を入れた。すべては自分自身の尊厳を守るため。
だが、響子はしっかりとドアノブに手をかけ、浅く息をはくと、ふんっ、と短い呼気とともに一夏ごとドアを文字通り開け放った。いくら男女とはいえ、こないだまでただの一般人だった一夏が鍛え上げられた響子に勝てないのは悲しいことに道理である。
そして開け放たれたドアからつんのめるようにして箒が踏み込んで、その背後からひょこりと簪が顔を出す。
四人八つの視線が、走査線のように部屋を走った。
「…………え?」
きょろきょろと箒が視線をさまよわせる。最初に一夏をみて、簪と目を合わせて、最後に響子と目をあわせる。にやり、と響子が意地悪な笑みを浮かべた。
静寂。
「…………い、い、一夏の…………馬鹿ぁあああああああ!!」
「うっふふふふふふふ」
「…………楽しそうですね、お嬢様」
「そりゃそうよ。いやあ、ねらってたけどここまでおいしい展開になるなんてね……くっくっくっくっく」
「さすがに趣味が悪いと思われますが」
「いいじゃないの、役得よ役得。こっちは戦闘の後始末で忙しいんだから、これぐらいの息抜きは許されるわよ」
「…………はぁ」