極東の騎士と乙女   作:SIS

24 / 45
第二章、鈴編。迫りくる世界の悪意。はたして、一夏は抗う事が出来るのか。


code:19 黄金の夕焼け

 

 

 

 夢をみていた。

 

 少し、昔の。何もかもが暖かい頃の夢だ。

 

 

 

 

 

 

 蜜柑色の空。小さな羊雲の群。グラウンドから響くかけ声。部活にいそしむ音楽部の練習の音色。穏やかな風が吹いていく、放課後の屋上。

 

 小さな、少年と少女の世界。狭苦しくて雑多で、何もかもが満たされた世界。

 

「ねえ、一夏」

 

 そんな完結した黄金の世界で、彼女は微笑んでいた。ゆるやかな風に二房の髪をなびかせて、つんと背伸びするようにつま先立ちで。

 

 柔らかでしなやかな、少女の笑みを、抱きしめられるような距離でみている少年。そんな少年を、少女は凪いだ穏やかな笑みの向こうから、まぶしく遠いなにかを探すように見つめている。

 

「私、あんたの事、好きよ」

 

 停止する時間。

 

 世界のすべてが、演出と化す。黄金の劇場で、少女は踊るように、思いを綴る。

 

「年をとって大人になっても、おばあちゃんになっても、私、貴方の為に毎日酢豚を作ってあげるわ。年をとったらちょっと味が濃いかもしれないけど、その時は改良していくわ。どう?」

 

「さすがに毎日酢豚はきつい」

 

「……そう」

 

「だからたまには味噌汁も混ぜてくれ」

 

「……ふふ。そうね。たまには味噌汁も作りましょう」

 

 くすくす、と少女が笑う。皮肉な返し方をした少年はというと、むすっとした顔を赤くしてそっぽを向いている。それがおかしいのか、少女はくすくすと鈴を転がすように微笑んで、とうとうふてくされた少年が背を向ける。

 

 そんな、ある日の夕方の出来事。

 

 ……少年が、少女をみた、最後の夕方。

 

 

 

 

 

 そんな夢をみて。織斑一夏は目を覚ました。

 

「…………」

 

 無言で布団から身を起こす。枕元の時計が示しているのは、まだ今が早朝であるという事。見渡せば、ここが自分に与えられた部屋であるとわかる。ベッドの上では、静かに寝息をたてる響子の姿。カーテンから差し込んでくる朝焼けの明かりに目を細めて、一夏はけだるげにため息をついた。

 

「なんて夢だ……」

 

 夢の内容を思い返して、そりゃないぜ、と一夏はうなだれた。

 

 凰鈴音。かつての、一夏の幼なじみ。箒に続けて二人目の馴染み、セカンド幼なじみといっていい。一夏にとって、親友の五反田弾とならんで、彼の中学時代を象徴する人物。

 

 だけど、彼女もまた一夏の元を離れていった。親の都合で国元に帰って行った彼女とは、それ以来連絡をとれていない。あの黄金の夕焼けの下で最後にあった彼女は、その事についてなにも教えてくれなかった。数日後、確かにあった絆が永遠に失われた事を知った時の心の芯がひえていくような感覚は、今も鮮明に思い出せる。

 

 しかし、しかしだ。

 

 それでも今の夢はない。

 

 確かに最後に鈴音、愛称”鈴”とはなしたのは夕焼けの放課後だが、そこでは別にあんな告白はされなかったし、一夏はそもそもあんな気のきいたのかよくわからないが遠回しな言い回しがとっさにでてくる訳がないと自分で自分を断言できる。現実にあったあの最後の会話は、他愛もない世間話に、鈴の「もっと料理が上手になったら毎日酢豚を作ってあげる」という、当時の一夏には訳のわからない、あとから思えば鈴なりの未練であったのだろう言葉だけだ。あんな、なんのドラマだ、みたいな展開ではなかった。

 

「いくら夢でもねーだろ、全く……」

 

 誰にともなく言い訳するようにぼやいて、彼は寝床にしている布団からはいでて、そのままシャワールームへと歩いていった。

 

 ばたん、とドアが閉じて。

 

 その様子を、布団の中から響子がじっと、見つめていた。

 

 

 

 

 

 早朝のIS学園。今日もどこかから低い重金属音が響いてくる中を、一夏はランニングにつとめていた。

 

 早朝であるからか、人影はない。ただ、IS学園のサイズを考えると、ただ単にコースがあっていないだけとも考えられる。そもそも一夏がここにきてそろそろ数ヶ月が経過するが、その大半は千冬に訓練付けにされていたせいでIS学園の地理にもそう詳しくはないのだ。今走っているのが実はあんまりおいしくないコース、という事も考えられた。

 

「……ま、そのあたりはボチボチはしって理解するしかないよな」

 

 走りながらつぶやく。なんだか最近、ため息の回数が極端に増えた気がする一夏だった。

 

 と、走っている彼の目に、変わった光景が目に入ってきた。IS学園は海にうくギガフロートであるが故に、砂浜のようななだらかに海面に没している部分は少なく、たいていの外縁部が防波堤のようになっている。が、今一夏の目に入ってきたのは、その防波堤として展開されている装甲版の一部がスライドして斜めに海面に没しており、その周辺に複数の防壁が展開されているという人工の砂浜のような光景だった。その、砂浜というより装甲浜で、海面に膝をつけて何やら木刀を振り回している女子がいるのだ。

 

「なんだ……?」

 

 興味をもって走り寄る一夏。そこで、彼はその女子が幼なじみである篠ノ之箒である事に気がついた。あの特徴的なポニーテイルと、つり上がった視線は間違いない。ついでにいえば、この超現代主義のIS学園において、鍛錬にわざわざ空手服というか、それっぽい白い衣服を身につけるのは一夏の知る限りでは彼女ぐらいだ。そもそも知り合いが少なくもあるが。

 

「おーい、箒~」

 

「っ。……一夏か」

 

 一夏の声にびくりと体をふるわせた箒だったが、すぐに声の主に気がついて木刀をおろす。その間に一夏は一段目の防壁に飛び乗り、そのまま三つの防壁の上をわたると浜に飛び降りた。降りてみると思ったより取り囲む防壁が高く見える。坂になっているからだろうか。そのまま、海面に靴をつけてしまわないよう注意しながら、波打ち際まで歩いていく。

 

「鍛錬、じゃましたかな」

 

「いや、私もそろそろ切り上げようと思っていたからな、ちょうどいい。……お前も鍛錬か?」

 

「まあ、基礎体力をつけるに越したことはないからな。……この浜は、いったい?」

 

「あ、ああ。簪に教えてもらったんだ。なんでも防壁の一部は、艦船の受け入れの為に変形するようになっていて、定期的にメンテと点検をかねて展開されるようになってるんだそうだ。で、ここは強襲揚陸鑑の発着ポートになってるそうでな。スケジュールを把握しておいて使わせてもらってるんだ」

 

「なにもそんな事しなくても、木刀なんて学園の上でも振れるだろうに」

 

「篠ノ之流の修行項目にあるんだから仕方ないだろう。海面に足を沈めての抵抗ある状態での足裁き、船上での不安定な立場での足裁き、その二つの訓練は必須なんだ。まあ、IS学園は船というには安定しすぎているから、後者の訓練には向かないが……」

 

「ああ、確かスーパーコンピューターで波の動きを予測してそれにあわせてバラスト調整する事でなんとか、って話か。他にもいろいろあるらしいが」

 

「らしいな。まあ、私にはそのあたりは門外漢だしどうでもいいが」

 

 ふぅ、と息をはいて箒は波打ち際へとあがってくる。完全に修行モードから日常モードに体内を切り替えたのを見て取って、一夏は彼女に手を延ばし、引っ張り上げた。すまん、とつげる箒の頬が少し赤く染まる。

 

「さて、と。そろそろいい時間みたいだし、俺も一度部屋に戻るわ。朝飯食べないとな」

 

「そうだな、私も急いだ方が良さそうだ。今日はちょっと予定があるしな」

 

「予定?」

 

 何気なく聞き返した一夏に、箒はいや、と首を振って苦笑を浮かべた。

 

「そう対したものじゃないさ。ちょっと島の外に用があってな。……一夏は今、学園の外にはでられないだろう?」

 

「……まあな。とりあえず、あと数ヶ月は無理らしい。肩身が狭いことだ」

 

「しょうがないだろう。世界初の男性IS搭乗者、IS委員会でもどう扱うか決めかねているんだろう。それに、入学式の出来事もあるからな。なに、完全な防空体勢ができるまでの辛抱さ」

 

「だったらいいんだけどな」

 

 苦笑して先をいく一夏。その背中に、うそをついた罪悪感から箒の胸がちくりと痛んだ。

 

 島を、学園をでるというのは嘘ではない。でも、決して対した用事じゃない、なんて事はないのだ。

 

 何故なら。

 

 何故なら、箒の目的は墓参りなのだから。あの日、入学式の日、テロリスト共に果敢に挑んで散っていった、自衛官達。彼らの眠る墓所への訪問こそが、箒の目的なのだから。

 

 でもそれは一夏にいえない。言えば、学園からでられない彼の事を苦しめてしまうだろう。表には出さないが、一夏はあの日、死んでいった自衛隊員達の事を忘れたわけではないのだ。間に合わなかったとうぬぼれるつもりはないが、それでも何かできたかもしれない……そう、彼が口にしたのを知っている。だから、大した用事ではないと誤魔化してしまうしかない。それならば、あの人の機微には疎い幼なじみは気がつかないだろうから。

 

 そんな事を考えながら、箒は防壁へと続く階段の向こうからのばされる、一夏の手を握り替えして力を込めた。握りしめた手は、暖かくて。逆に、冷え切って冷たい自分の手に、箒は小さく嘲笑した。

 

 

 

 一夏が自室に戻ると、すでに響子は起床してきていつものメイド服に着替え、部屋を軽く掃除しているところだった。

 

「ただいまー」

 

「……お帰り」

 

 お互いに挨拶をかわす。これもいつもどおりのやりとり。ランニング姿のまま一夏は響子の横を横切り、彼女は一声答えただけで一夏の存在を無視するかのようにぱたぱたとほこりを落とす事に集中している。やがて一夏がシャワーを浴びて、制服に着替えて居間に戻ってくると、彼女は落としたほこりを掃除機ですっているところだった。

 

「……精がでるなあ」

 

「不愉快ではあるけど、私の生活空間でもある。手を抜くことはしないわ。それよりも」

 

 カチ、と掃除機のスイッチが切られる。響子はぞんざいに掃除機を所定の位置に立てかけると、一夏に歩み寄ってその襟元に首を寄せた。そのまま、すんすん、と鼻をならす。

 

「ちょ……」

 

 一夏が羞恥と別の感情に顔を赤くする。

 

 響子は見た目だけなら結構な美少女で、しかも今はメイド服という、いい加減なれたがやっぱり非現実的な衣装をまとった状態。露出が少ない本職仕様のメイド服とはいえ、だからこそちらりと見える首筋とかの破壊力は抜群である。いかに一夏がそっちに疎いとはいえ、ウドの大木でもゲイでもない以上、意識してしまっても仕方がない。

 

 が、直後響子が眉を潜めて放った一言に、そんな気分も飛んでいってしまう。

 

「臭い」

 

「臭いって……。いや、ちゃんとシャワー浴びたし先輩に推奨された洗剤も使いましたよ」

 

「そうじゃない。男臭いっていってるの」

 

「いや、そんな事いわれげふげふげふっ!?」

 

 問答無用でメイド服のポケットから取り出した香水をぶっかける響子。はなしてる最中にそんなものかけられた一夏は面食らってせき込んでしまう。そんな彼を見下ろして、よし、と響子は頷き、そんな彼女を一夏は恨めしげに見上げる事しかできなかった。

 

 

 

 さらに、一夏の受難は続く。朝のランニングこそ一人きままではあったが、それは響子の着替え時間を作る、という前提があってこそ。基本的に響子というボディーガード兼世話係と一緒にいる事は一夏にとって義務であるため、朝食も一緒である。

 

 さて、ここで考えてほしい。普通に考えて、学園の食堂に、メイド服をきた女性と一緒に食事をとっている男子生徒がいれば、どう見えるか。ましてやその両方が、学園に名のしれた有名人だったとしたらどうなるか。その答えを一夏は現在進行形で味わっていた。

 

 がやがやと賑やかな朝食タイムの食堂。そこに、響子を伴って入った瞬間、一瞬で騒音が消え去り沈黙が食堂を満たす。艦隊の対空砲火といわんばかりの視線の集中の中で、食券を響子に渡して自分は席取り。やがて響子が受付に消えると、今度はどっと好奇心みなぎる女子生徒が押し掛けてきて、賑やかを通り越して阿鼻叫喚の混沌に突き落とされる。特に、一年生の女子生徒のコミュニケーションは非常に過激だ。なんかもうしっちゃかめっちゃかの中、人の間をすり抜けるようにして戻ってきた響子と向かい合って、周囲の女子生徒と苦笑いを浮かべながら一緒に食事をする。

 

 そして一方で、好意的な女子がいればその逆もある。ふと視線を巡らせれば、遠い席で急ぎで朝食をかっこみ、食器を返して足早に食堂を去っていくものもいれば、それまで食べていた食事を食べきらずに返してしまうものもいる。そのどちらにも共通しているのは、一夏の視線に気がついているはずなのにいっさい視線をあわせようとしないその態度と、遠目でもわかる不愉快なオーラだ。

 

 響子に言わせれば、排他的な女子生徒は二つのプライドを持っているという。一つは自分たちが、ISに乗れるという選ばれた女性である事への自負、二つ目は自分自身の技量への自負。一つ目のプライド故に彼女達は織斑一夏を決して受け入れる事はできない一方で、あの学園対抗戦で見せた一夏の戦いを否定すると言うことは、自分自身の技量に対する誇りを否定する事だという。セシリア・オルコット相手に食い下がったという事実は、それだけの重みをもっている。

 

 だから彼女たちは、織斑一夏を苦々しく思いながらも直接否定する事はできない。だから、こうして可能な限り不愉快な人間との空間の共有を避ける事しかできない。

 

 一夏にとっては難儀な話である。別に学園全体と仲良くできるなんて最初から思ってはいないが、しかしこうもあからさまに敵視やら拒絶されると、不愉快というよりも気まずい気持ちが先に立つ。もしもこれで代表決定戦で無様な真似をさらしていたり、そもそも決定戦自体がなかったらどうなっていたか想像もできない。そういう意味では、共に死力を振り絞ってくれた響子や、戦いの場を用意してくれた千冬には感謝しなければならないな、とも思う。同時に、千冬が強引に話を進めたのは、この展開を予想していたからなのかもしれない、とも思う。

 

「まあ、でも慣れだよな、慣れ」

 

 そう。結局、なれてしまえばなんという事はない。ずっと顔を付き合わせる事になるクラスメイトとはうまくやっていけてるし、響子だってさすがに卒業してまでも一夏の横にいる訳でもない。一夏の事を嫌っている女子だって、だからこそこっちに近づこうとする訳でもないので気にしなければ実害はなにもない。少なくとも、一夏達が二年に進級し新しい一年生が入ってくる来年までは現状維持だ。その間になれてしまえばいい。

 

 そう考えれば、現状の混沌も楽しめるかもしれない。

 

 一夏は、まあそんな事を考えていた。

 

 

 

 

 

 しかしながら、そもそもIS学園に入学して、否、試験の時に打鉄に振れてしまってから、一夏の思う通りに現実が動いたことなどひとつもなかった訳で。

 

 当然のように、今、IS学園に波乱の渦をもたらす来訪者が降り立とうとしていた。

 

 

 

「ここが、彼のいる学園なのね」

 

 小柄な背丈、控えめなスタイル。長い黒髪をツインテールにして、ちょっとつり目の勝ち気な視線。身にまとうのは、すずしげに肩を露出させた、改装済みのIS学園制服。

 

 よっと声をあげてヘリポートから飛び降りた彼女は、自分よりも大きな鞄を片手で軽々と抱えなおして、目を細めてIS学園を見渡した。日差しをよけるようにして掲げられた右手には、赤と黒で彩られたブレスレットがきらりと光る。

 

「まってなさいよ、織斑一夏」

 

 彼女が今日、この場所にたつ。それは果たして偶然なのだろうか。

 

 少女の姿は、あまりにも今朝、一夏が夢に見た少女の面影を持っていた。夢の彼女が、数年の時を経れば、こうなるのだろうか、という程に。

 

 

 

 彼女は、国の人間からはこう呼ばれている。

 

 凰鈴音。中華人民共和国、国家代表候補生にして”甲龍”の担い手と。

 

 

 

 嵐が、近づいてきていた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。