極東の騎士と乙女   作:SIS

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code:03 大海の青い滴

 

 

 

 ボムン、と気の抜けるような音を立てて、ダミーがはじけた。

 

 空気の抜けた風船のような残骸が海面に落下したのを見届け、一夏は緊張から凍りついていた息をゆっくりと吐き出した。残心を維持したまま、右手に保持した11式突撃砲を体に引き寄せ肩に担ぐ。

 

「……とりあえず、ランク外タイムからは脱出したかな」

 

 ふぅ、と汗を拭う。ISの便利なところは、物理的に遮蔽されていないのでどんな状況でも汗を拭う、四肢を伸ばすという贅沢が許されている事だと一夏は思う。シェリーに鍛えられていた時に乗った事のあるパワードスーツは、熱いわ蒸れるわ身動きとれないわ、の三重苦で地獄だったのを思い出す。

 

 そんな一夏が挑戦してたのは、特定のコースにばらまかれたダミーバルーンを撃破して回る訓練コースだった。ダミーバルーンは海面に漂っている浮きから射出される強化ゴム製で、IS訓練生なら誰でも自由に呼び出し、特定のコースで空中に配置することができるというものだ。そしてこの撃破タイムは学園に記録され、ベスト30まで保存される。ちょっとしたミニゲームのようなものだ。

 

 一夏も最初は唯ひたすら飛びまわっていたのだが、それでは勿体ないと思ったからか。ふと学園説明でこのバルーン訓練の事を思い出し、先ほどからずっと挑戦している。そしてようやく、さきほどベスト30に入る記録を出したところだ。

 

 最もベスト30といってもあくまで一年生クラスでの、という話だ。ちらりと見た二年の記録は一年の半分以下のタイムとなっており、その壁の厚さが逆に一夏を燃え上がらせていた。壁が高ければ高いほど燃え上がる、一夏はそういう男の子気質の強い少年だった。

 

「うっし。次いくぞ次っ」

 

 展開を終えたダミーターゲットめがけて、一夏は突撃砲を脇にしっかりと抱えるように飛翔した。立ち並ぶターゲットに全身の切っ先を向けるようにして、射撃。ターゲットを破壊したのを確認しつつやはり体全身をひねって方向転換し、次へと向かう。

 

 本来、ISは空気抵抗をある程度無視できるため、それこそ立身姿勢のまま移動する事も可能だ。だが一夏は敢えてこの、水面に頭から飛び込んでいくようなダイブスタイルを選択した。理由は、今も頭にしっかりと刻まれたままのシェリーの教えだ。

 

『銃は、体の芯で狙う事』

 

 シェリー・アビントンはまぎれもなく天才であったため、その言葉の多くを一夏は今も理解できていない。その中にあって、その言葉はひどくわかりやすくシンプルであったが故に、真理として一夏に刻まれた。無論、その後「敵がいっぱいいたらどうするんですか師匠?」「? 一夏君って芯が一個しかないの?」「え?」「え?」というやはり天才というのは良くわからないモノだ、なエピソードが挟まれるのだが。

 

 ともかく、例え単純であっても行動に移すのはまた違う物。ISに乗り、銃を手にした一夏は迷った。芯、とはなんだ、と。分かっていたつもりで分かっていなかった事に気がついた一夏は試案の末、全身を一つの棒に見立て芯とし、それに銃をくくりつける、すなわち体全身で抱えてターゲットに突っ込む方法を選択した。これならば、自分でも容易に芯の向きとやらを調整できるのではないのか、というその発想は、現状うまくいっているといえる。方向転換に関しても、左右でふよふよ漂っている実体シールドを振り子のように振りまわすイメージでベクトルの向きを曲げ、あるいは戦闘機のそれを参考にしたバレルロール機動を取るなどして対処している。

 

 一見、全方向に最大速度で移動できるというISの変幻自在な機動性を殺しているようにも見えるその機動は、実際のところ利にかなっていた。素人なら自ら移動方向を固定していると思いがちなその体勢は、全く打鉄の機動性に影響を与えていない。全方向に移動できるというISの特性は、ISにとって基本的な事、大前提の能力なのだ。今はまだ一夏のイメージがISという兵器に適応していないが故のぎこちなさがあるが、近い将来、彼はわずかな姿勢の変更だけでのまま上下左右、前後にすら瞬間的に軌道を変える事ができるようになるはずだろう。

 

 そんな事に気が付きもせず、一夏は次々とターゲットを撃破し、残るは一つ。

 

 残ったターゲットに対し、一夏は突撃砲を量子化、収納し、

 

「11式近接長刀!」

 

 武装銘を口にすることで、格納領域から近接戦闘用のハイパーカーボン製の長刀を呼び出した。本来は無言で行われるべき動作だが、まだ未熟である一夏は武装名を口にしはっきりとイメージを固めなければ呼び出せない。今後の課題だな、と頭の隅で考えながら、一夏は刀を構え上体を起こした。

 

 長刀を肩口にしっかりと構え、下半身は見えない道を滑走するかのように構える。一意専心、一刀両断の構え。ダミーターゲットには可燃性のガスが使われているため、切り裂いたとしても一瞬で行い、直後に離脱しなければ巻き込まれ、スコアとしては失格となる。そうしないためには、ISの能力をフルに発揮するだけでなく、装備するISの可動範囲と己自身の体のひねりを熟知し、なおかつ斬撃から離脱へと瞬時に意識を切り替えねばならない。

 

「やってやるさ……!」

 

 目を細める一夏の視界の中で、ターゲットと己の距離が凄まじい速度で縮んでいく。

 

 それを見定め、一夏は捉えたイメージのままに長刀を振り抜こうと歯を食いしばり、

 

「なっ!?」

 

 

 

 ダミーターゲットが、爆発した。

 

 

 

 まだ一夏は刀を振ってすらいない。急な出来事に動揺をきたした一夏は機体の制御を失い、そのまま爆発に突っ込んだ。シールドバリアは設定にもよるが、基本的に害のない刺激は防いでくれない。ふきつける爆風にせき込んだ一夏は、しかし片手で煙を薙ぎ払って背後へと振り返った。

 

「?!」

 

 視界に映ったのは、三人の生徒。

 

 うち二機は、一夏自身も纏っている打鉄。一人は長い黒髪をなびかせるにまかせ、もう一人は首の後ろで切りそろえたショートカット。いずれも、二年生を示す腕章をISスーツの上から取り付けている。

 

 そして、三人目。

 

 身にまとうのは、一夏の知らないISスーツ。アメリカ製第二世代機、その名をブラックナイフと呼ばれる機体だ。ブラックナイフは、射撃による戦域の制圧を目標として設計された高性能機であり、IS自体のシステムリソースを裂かずに高精度射撃を行うためあえてアンロック式ではなくアームによって連結した推進システムや衝撃吸収目的の装甲を全身に持っているため、非常に攻撃的な印象を受ける。だが装甲部分が近接武器としても運用可能なように設計されているため、特に鋭利な脛の装甲や腕部装甲をカッターとして使う事で、近接戦闘にも対応しており、実際の攻撃的性能は印象を遥かに上回る。汎用性と拡張性こそ最後の第二世代と呼ばれるラファール・リヴァイヴに及ばないが、得意な距離での攻撃性能は他の第二世代型を圧倒する。

 

 その、二年生でも一部にしか運用を許されない超高性能機体が、今、一夏に銃口を向けていた。構える銃口からは、今放った弾丸の残り火が一筋の煙となって立ち上っている。ほの暗い銃口に、しかし一夏は目を奪われる事はなかった。

 

 彼が目を奪われたのは、ブラックナイフの搭乗者、その視線だ。

 

 長い、腰まで伸ばした三つ編みを風になびかせる搭乗者。腕部には、やはり二年生を示す腕章。ある意味少女らしい起伏の足りない、それでもしなやかな体のラインは、無骨な装甲の下からでも見てとれる。もしIS搭乗者として鍛える事がボディラインの形成につながるのなら、恐らく少女は他の二人よりも遥かに厳しい訓練を己に課しているのだろう。そういう、しなやかな強さを感じさせる美少女だ。だがその空気は、熱意とは程遠い。むしろ、冷徹だ。その視線は、今向けられている銃口や、そのセンサーよりもずっと無機質で冷たかった。無感情なのではない。ただ、徹底的に関心と感情を切り捨てた結果、ただ対象を観察するだけの視線。

 

 相手を、排除するためだけの視線だ。

 

 そのまま、睨みあったままの時間が過ぎる。実際には数秒だったかもしれないが、一夏にはかなり長い時間に感じられた。右手に構えたブレードの柄を浅く握り直し、自分自身が臨戦態勢に入っている事を自覚する。

 

 有効的な視線ではない。だが、一夏には、少なくとも今この瞬間、このような敵意を向けられる理由がわからなかった。

 

「………何かようですか、先輩方。俺は、今、特訓したいんです、が」

 

 黙っていては埒が明かない。そう思って、一夏は躊躇いながらも口を開いた。説得するつもりも、できる自信もない。それぐらい、相手の敵意ははっきりとしたもので、疑いようがなかった。それでもせめて、自分が狙われる理由ぐらいは知りたいと思ったのだ。

 

 だがその発言は、切っ掛けでしかなかった。一夏に攻め込むタイミングを、ずっと見計らっていた三人にとっては。

 

 再びの発砲。人間の耳にはつながっているようにしか見えない速度で、複数の弾丸が一夏めがけて撃ちだされた。完全な不意打ちだったが、一夏はかろうじてそれを回避する。ISの銃器には引き金はあるが、実際にはISスーツからの電気信号で制御される。その為、いわゆるトリガーを引くのを確認しての反応は不可能だが、一夏は代わりに相手の敵意の高まりからそれを感じ取った。

 

 これは一夏が敏感なのではなく、素人でもわかるほどに相手の敵意と戦意が高かったからに他ならない。その事が、この戦闘の回避がいかに不可能であるかを、無言のうちに一夏に語っていた。

 

 ならば、応戦するまで。

 

 一夏の頭の中で、交渉と停戦に至るまでのあらゆるプロセスがざっくりと切り落とされ、同時に戦闘の為の回路が形成される。その瞬間、織斑一夏という人間は、ただ闘う為の機関と化した。

 

 自己暗示と闘争の愉悦によって、神経にわだかまるノイズが押し流される。かつてとは違い、シェリーのおしえた”覚悟”は、明確な牙を一夏に与えていた。

 

 考え。高ぶり。しかし、理性は常に。数千、数万の引き出しから、適切な答えを引き出し、放つ。

 

 しかし。

 

 

 

 そんなものは、戦闘者としての”大前提”にしかすぎない。

 

 

 

 

「っ」

 

 体勢を整え直すよりも早く、視界の端に異物が映り込んだ。とっさに抜き放った長刀が、回り込んできた敵の一機、短髪の一撃と交差する。短髪の獲物は短いナイフ、だが加速を込めたその一撃は、一夏の技量をもっても受け流し損ねた。ずしり、と重い衝撃が刀を通して一夏の腹まで通る。一夏はそれをこらえて、長刀をそらしてナイフを跳ねようとした。が、それよりも早く、敵が離脱する。完全なタイミング。切り込み、しかし決して長居はしない。ナイフという武器の欠点と利点をISの特性をうまく合わせた、短距離一撃離脱。それを長刀の間合いで追撃しようとした一夏は、しかし自身が両断される未来視に脚を止めた。

 

 背後から迫る殺意。それを、咄嗟に呼び出した長刀の鞘、それを後ろ向けに差し出して受け止める。火花を散らして鞘に食い込んだ長刀の主は、長髪の打鉄だ。短髪の強襲によって脚を止めた一夏を狙い澄ましての、大上段、それもより高高度からの一撃。受け止めても絶大な負荷がかかり、一夏は上昇推力をもってようやくそれを受け止めた。

 

 流れるような、三連撃。だが、相手が三人だからといって。

 

 

 

 三連撃とは、限らない。

 

 

 

「…………ぁああ!」

 

 吠える。臓腑に力を入れ、視線に意思を溢れさせ。その熱量を根こそぎ、ISのシステムに叩きこむ。

 

 下から救いあげるような、長刀による切り上げ。それは上から一夏を叩き伏せんとする長髪をその得物ごと弾き飛ばす。その瞬間、一夏を引きずり降ろそうとしていた圧力が消え去った。前後左右への移動能力を取り戻した一夏は、しかしそれでも間に合わないと判断。傍らをふよふよと浮遊するそれまで存在すら忘れていた実体シールドを暫定的な足場にして、それを蹴り飛ばしてその場を離れた。

 

 直後、狙い澄ました射撃が空間を撃ち抜いて飛び去っていく。その射手は、最初にしかけてきたブラックナイフの搭乗者だ。

 

 先制攻撃は、あくまでとれればよし、というもの。それに続く短髪の攻撃で敵の二次元的機動を封じ、続く長髪の一撃で上下移動を封じる。そして完全に三次元的機動を殺された相手に対する、本命の掃射。一切の油断も妥協もない、冷徹なコンビネーション。

 

「………っ」

 

 違和感は、思い返せばいくらでもある。そもそも短髪の強襲からして不自然だった。全領域を自由自在に動き回れるISが、わざわざ高度を合わせて強襲してくる? それがまずあり得ない。ゲームならともかく、一夏と相手が交わしているのは実戦なのだ。そんな都合の良い事は無い。

 

 そしてそれを一夏は見抜けなかった。まんまとコンビネーションに踊らされ、あわや必殺の場まで引きずり出されるところだった。

 

 それを踏まえて、判断する。

 

 

 

 

 

 勝てない。

 

 

 

 

 

 今の一瞬の切り結びだけで判断できる。相手はISの操縦能力はもとより、近接戦闘能力でも射撃戦闘能力でもこちらを遥かに上回っている。一夏がしのげたのは、ただ単にそれが一夏を仕留めるための攻撃ではなかったからだ。もし仕留めるつもりであったなら、最初のナイフが長刀をかいくぐり、長刀の一撃は鞘ごと一夏を両断していた。最後の射撃を回避できたのは、それこそ偶然にすぎない。もしかすると、彼女達の側に本人も意識していない油断があって、一夏はそれをうまくつけた、それだけなのかもしれない。だが、そのあったかもしれない油断も、きっと今では消え去った。

 

 ましてや、三対一のこの状況。

 

 勝利条件は、実質達成不可能だ。

 

「無理をすれば相打ち……いや、それも無理か」

 

 相打ち、というのは物語で格下が格上に対する最後の逆襲としてありふれたものだ。だが、この場において、相手は格上でありながら一切の油断を捨てている。連携をもって、一夏を確実に砕きに来た事がそれを物語っている。相打ち、なんてものはそもそも、相手が油断していなければ成り立たない。そもそも、負けてもいい、ではなく、負けを前提としているといえる相打ち狙いの熱のない攻撃が、この三機のうち一人にだって、通じるとは思えない。そう一夏は判断した。

 

 ならばどうするか。

 

 負ける気はなくとも、このまま闘えば嬲り殺しも良いところだ。勝つ気があろうとなかろうと、この現実は塗り替えられそうにない。

 

 ならば管制塔に連絡して、姉に仲裁してもらうべきか。敵三機の攻撃は、戯れにしては度を過ぎている。

 

 一番建設的に思える考え、しかし一夏はそれを一笑に付した。強い敵三機にぼこられてる、弱くて勝てないから助けてくれ、なんてみっともない命乞いを、姉にするというのか。流石にそれは、情けなさすぎるのではないか。

 

 この窮地に何を言うか、と思われるかもしれないが。おとこのこの意地というのは、とても重いものなのである。

 

 それに。

 

 決めた筈だ。たった一人でも、自分以外の全てを相手にしても、牙を剥き続けるのだと。

 

「まあ、やるだけやってみるか……!」

 

 少なくとも、負けてやるつもりはない。そう一夏が覚悟し、長刀を構えるのに合わせて、再び終結し、編隊を組んでいた相手三機も武器を構える。

 

 一触即発、を通り越して、既に火花の飛び散る戦闘空間。どちらからともなく飛びだした二つの熱は、しかしぶつかりあう事は無かった。

 

 

「楽しそうな事を、やっておられますね?」

 

 

 鼻をつくイオンの残り香。それをかぎ分けながら、一夏は頭上を見上げた。響いた声に込められた強い、強い意思の力にそう強制されたともいえる。目の前には敵がいて、しかも武器をむけあっているのに、一夏はそうせざるを得なかった。その危惧すら、なかった。

 

 

 

 

 そして彼は。

 

 ――――蒼を、見た―――

 

 

 

 

 

 

 空の青よりも、海の青よりも、深く、濃い蒼色。

 

 遥か天空にあってなお混じる事のないその色はひどく孤独で、孤高であり。

 

 まるで世界に落とされた、一つの滴のよう

 

 

「流石に、三対一というのは優雅ではないのではないかしら、先輩方?」

 

 

 

 靡く金髪を片手で優雅に払い、彼女は手にした巨大なレーザーライフルを構え直した。その周囲を、忠実な執事のような佇まいで三つの小型端末が浮遊する。見た事のない装甲の形状に、感じた事のないプレッシャーを放つその存在は、ただ一夏が知らない量産機、等とはとうてい思えるはずもない。研ぎ澄まされた銘剣、磨き抜かれた宝玉のような、この世界で唯一無二の存在だけが持つそれは孤高の煌めきだ。

 

 その名を、イギリス製”第三世代型”ブルー・ティアーズ。そして、その搭乗者の名は。

 

 

 

 

「イギリス代表候補生が一人、セシリア・オルコットは、この戦闘への介入を希望します」

 

「セシリア・オルコット……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 織斑一夏と、セシリア・オルコット。

 

 ここに。

 

 魔弾の教え子が、邂逅した。

 

 

 


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