ミヨコに撃たれ、気付いた時には真っ白な空間にいた。
その場にいたミヨコは、「あなたはまだ死んでいない可能性がある」と言い、「これを」と言って手鏡を差し出した。
そこに映るのは、引田神の顔だった。身体に触れる。身に付けていたのは、戦車兵の時の装備一式。
混乱する引田に、ミヨコは「あなたの魂は生と死の狭間にある。このまま元の世界に帰らなければ、『戦死』と言うことになる」と告げた。
それを聞いた引田は、「俺は夢の中で未来の日本を生きた。元の世界がどのような歴史を歩むのか、この目で見たい」と、元の世界に帰る決意を固めた。
元の世界に戻ると、福岡にある病院にいた。日付は『昭和20年8月14日』。看護婦の話では、1年以上眠っていたという。翌日。玉音放送と共に、終戦を迎えた。
終戦から6年半。引田は思いがけない人物と再開する。元引田班通信手の中島だった。
彼の話では、大室。芦沢。酒井は戦死し、インパール作戦遂行中に日本に戻っていたという。
今は警察予備隊に入隊して訓練を受けている最中で、もうすぐ戦車の操縦訓練が始まるという。すると中島から、「警察予備隊で教官にならないか」と誘われる。
引田の答えは・・・
『昭和27年6月19日 曇り
中島と共に、警察予備隊が訓練を行っている警察学校へ足を運んだ。
面接に対応したのは、恐らくこの警察学校に勤めている警察官。片言だが日本語を話せるアメリカ軍の兵士だった。
中島が言っていた通り、戦車の操縦訓練を行うに当たって教官が足りていないというのは事実だったようだが、アメリカ軍の兵士は俺の経歴を見て顔をしかめた。
それを見た俺は、「この組織に入ろうと思ったのは、この国を守るため。決して、あなたたちに報復するためではない」と言った。
そうは言ったが、アメリカ軍の兵士はずっと顔をしかめたままだった。最後に、「結果は明日伝える」と言われ、俺はその場を後にした』
『昭和27年6月20日 晴れ
今朝早く、中島が泊まっている旅館に駆け込んできた。彼が言うには、俺は正式に教官として認められたとの事だった。
23日までに入隊手続きを済ませなければならないので、日記はここまでで区切ろうと思う。これから忙しくなりそうだ』
『昭和27年6月23日 曇り
本日。正式に戦車操縦訓練の教官として入隊することになり、『2等警察士』という階が与えられた。
訓練で使用する戦車は、M24・チャーフィー。アメリカでは軽戦車の部類で運用されているという。
戦車第14連隊に居た時に乗っていたM3も軽戦車だった。不思議な巡り合わせだ』
『昭和27年10月15日 曇りのち晴れ
警察予備隊が改編され、本日より保安隊となった。俺と中島は福岡に駐屯している『第64連隊』に配置転換となった。
この部隊は榴弾砲を扱う
部隊が改編され、警察予備隊令に明記されていた『警察力を補う』という文言が無くなったという。つまり、警察とは別の独立機関となったと言うこと。
本格的に国防に携わる事になる。気を引き締めなければならない』
『昭和27年10月30日 晴れ
今日は結婚式。俺は家庭を持つことになった。
妻の『
『昭和28年8月29日 晴れ
今日、男の子が産まれた。名前は『
『昭和29年10月5日 曇り
今年の3月から再び部隊は改編され、『陸上自衛隊』と名称が変わった。
7月1日からは新たに『海上自衛隊』、『航空自衛隊』が編成された。以前に比べ、この国の国防は目まぐるしい進化を遂げた。
俺と中島は、熊本に設置された『第4特車大隊』に異動となった。『特車』は戦車のことだが、敢えてそう言い換えているという。
この部隊にはM24・チャーフィーに加え、新たにM4A3E8(イージーエイト)が配備された。アメリカでは活躍した戦車だと聞く。その実力は、如何なものか』
『昭和29年11月5日 曇りのち雨
秋が終わり、冬が始まろうとしているのか、朝と夜は特に寒くなった気がする。
異動となって1ヶ月。隊員たちはM4E3A8の取り扱いに苦労している。
操縦手になった中島曰く、体格に合わないらしい。俺も乗ってみたが、車内が広すぎるように感じた。
この他に、整備業務の効率化が上手く出来ず、車両の故障が相次いでいた。
慣れない戦車で苦労を掛けることになるが、今はこれしかない。隊員たちには申し訳ないが、慣れて貰らうしかなさそうだ』
『昭和35年6月1日 晴れ
今日の新聞に、驚く内容が記事に載っていた。
『戦車道、第11回全国大会始まる』という内容だった。あまり新聞は読まないので気付かなかった。1948年から戦車道は始まり、1949年には全国大会が開かれていたらしい。
読み進めていくと、『使用する戦車は第一次世界大戦で活躍したものに限定されている』と言うことだった。
今のところ、イギリスの戦車『Mk.Ⅰ』や、ドイツの『A7V突撃戦車』が主戦力だという。ここから戦車も発展していくのだろうか』
『昭和35年8月12日 晴れ
今は実家に帰省している。散歩ついでに、『キャンプ・チッカマウガ』がどうなったのか見に行ったところ、アメリカ軍から返還されて『別府駐屯地』となっていた。
母の話では「3年前ぐらいに名称が変わっていた」という話だった。ここから再び、別府公園に戻るのだろうか』
『昭和38年7月18日 晴れのち曇り
この部隊に、新戦力が配備された。名前は『61式特車』。他の部隊には去年あたりから配備は始まっていたので待ちわびていた。
戦後初の第一世代主力戦車。チハ車と比べるとかなり大きくなった気がする。この戦車で訓練するのが楽しみだ』
『昭和38年7月25日 晴れ
61式特車が配備されて1週間が経った。
この新型を使って訓練しているのだが、操縦手から「操作しづらい」と評価を貰った。
どうも変速機の歯車が上手く噛み合わないとレバーが弾かれるようで、俺も乗ってみたが何回か弾かれてしまった。
操縦系統以外は特に問題無いようだが、戦車を運用する上でメインと言っても良い操縦が難しいのは流石に困る。何とか改善の余地があれば良いのだが』
『昭和40年9月13日 晴れ
中島が昇進して『陸曹長』となった。同時に戦車長に任命され、明日から61式戦車の車長として勤めてもらうことになった。
中島は「すぐに准陸尉に昇進して見せます」と意気込んでいる。部下が成長していく姿を見れるのは、教官の特権だ』
『昭和45年4月3日 晴れ
戦車道に進展があった。今まで第一次世界大戦までの戦車しか使用出来なかったが、今年から第二次世界大戦まで使用されていた戦車が使用出来るようになったと言う。
戦車道の履修がある高校には『学園艦』の保有が義務付けられ、随時竣工する予定だそうだ。
昭和20年8月15日までの戦車が対象で、試作されていた物も含まれるという。夢で見た通りの戦車道が幕を開ける。
ミヨコがこの場に居たら、「夢で見た通りだ!」とはしゃいでいただろう。彼女は今、どうしているのだろうか・・・』
『昭和46年12月15日 曇りのち雪
三夜から実の進路相談をしたと聞いた。何でも、実は公務員になりたいそうだ。市役所に入職し、地域の役に立ちたいという。
立派な心掛けだと関心する一方で、実も自立する時が来たと思うと、感慨深くなった』
『昭和50年4月2日 晴れ
22年間に渡る自衛隊生活が終わった。教官として入隊し、最後の最後まで勤めきった。
中島は『陸准尉』に昇進し、小隊長を任されている。少し緊張気味だったが、彼なら大丈夫だろう。俺以上に良い隊長になれるはずだ』
『昭和52年5月11日 晴れ
別府駐屯地が移転し、駐屯地跡は別府公園として整備し直されることになった。昭和天皇陛下御即位50周年記念公園として選定されたとの事だ。
石碑に沿革が書いてあった筈だが、しっかり見たことが無かったので忘れていた。
あの公園は俺と同じで、変わった運命を辿っているようだ』
『昭和56年4月5日 晴れ
中島から久し振りに手紙を貰った。
その内容は、定年を迎えたとのことだった。『自衛官として28年間、しっかり勤め上げました』と書かれていた。
定年後は戦車道の教官として活動するそうだ。古い戦車を扱える人間は貴重なのだろうか』
『昭和58年7月16日 晴れ
俺のもとに、『知波単(ちはたん)学園』という学校から手紙が届いた。
その内容は、戦車道の教官になってほしいと言うものだった。俺にもこんな誘いが来るとは思ってもみなかったが、少し考えさせて貰おう。
中島も教官を勤めているが、女学生を相手にするのは苦労しているそうだ。
もしこの教官としてやってくなら、この学園の学園艦にある街に移住しなければならない・・・ここは三夜に相談してみよう。反対されるかもしれないが、独断で決められる事ではない』
『昭和58年7月17日 曇りのち晴れ
昨晩。三夜に例のことを話したところ、あっさりと賛成してくれた。
三夜と共に移住するのは色々と大変なので、俺だけ学園艦に移住することにした。早速、返事の手紙を送ろう』
『昭和59年4月13日 晴れ
今日から知波単学園にて、戦車道の教官として勤めていく事になった。任期は2年。使用しているのは日本の中戦車だった。
チハ車が何輌かあったので、製造番号を確認してみたが『345号車』は無かった。また会えると思っていたが、そう上手くはいかないようだ』
『昭和59年7月12日 晴れ
今日、実が結婚した。1ヶ月前、突然結婚すると連絡を貰い、一旦帰省して話を聞いたところ、去年の12月から交際を始めていたという。相手の両親はこの結婚に賛成し、円満に進んでいたという。
息子も家庭を持った。夫婦仲良くしてくれることを祈ろう』
『昭和59年9月22日 曇り
知波単学園の教官となって5ヶ月。中島の言うとおり、ここで教官として勤めるのはかなり苦労する。
気苦労もあるが、上級生の訓練で困った事になった。「突貫するのが伝統だ」と言い、隙あらば突貫する癖があった。
個人的な意見としてはあまり好ましい戦法とは言えないのだが、この学園の伝統としているというので反対することは出来ずにいる。どうにか改善したいところだが、どう言い聞かせようか・・・』
『昭和61年4月15日 晴れ
2日前。知波単学園での教官が任期を迎えた。業務の引き継ぎや引っ越しの準備、学園の生徒たちがお別れ会をしてくれたりと忙しかったので、日記を付ける余裕が無かった。
突貫する戦法は結局直せなかったが、これで良かったのかもしれない。
後任の教官に全ての業務を引き継いで地元に戻った。こちらの桜は満開だ。向こうも、そろそろ花開く頃だろう。
中島に連絡を取ってみると、俺と同じ時期に教官の任期を迎えたという。何処で教官をしていたか聞いてみると、茨城の大洗にいたそうだ』
『昭和61年6月18日 晴れ
実が孫を連れて来てくれた。名前は『隼(しゅん)』。男の子だ。去年産まれたと聞いていたのだが、互いに忙しかったので今日になった。遅くなってしまったが、孫の顔が見られるのは本当に嬉しかった』
『昭和63年10月28日 曇り
今日。中島と13年ぶりに会った。俺が退官してからは手紙でのやり取りだけで、こうして顔を合わせるのは久し振りだった。
戦時中から今までの事で話は盛り上がった。俺は69歳。中島は61歳・・・互いに歳を取った』
『平成元年1月8日 雪
昭和時代が終わり、新たな時代が幕を開けた。平成。どんな時代になるのだろうか』
『平成9年11月26日 曇り
2人目の孫が産まれた。名前は『桜(さくら)』。女の子だ。2人目の孫の顔を見られるとは、俺は幸せだ』
『平成19年11月26日 晴れ
桜が10歳の誕生日を迎えた。桜は「戦車道をやりたい」と言ってきた。
実は「危ない」と言っていたが、俺は反対しなかった。折角やりたいと言っているのだ。やりたいことをやらせても、損はない』
『平成22年5月19日 晴れ
中島が冥界へ旅立った。去年にも会ったのだが、その後から体調を崩してしまったそうだ。
また会おうと約束していたのだが、このような形で再開することになるとは・・・享年83歳。遺影の中島は、穏やかな笑みを浮かべていた』
『平成24年4月1日 晴れ
明日は孫娘、桜が知波単学園に入学する日。
この学園を選んだ理由は、「日本の戦車を使っているから」だという。入学式に遅れないようにしなければ』
杖を付きながら知波単学園の校門を潜る。
懐かしい風景だ。校舎や格納庫はあまり変わっていなかったが、制服は一新されていた。
今年で93歳。この年になるまで、この国がどのような歴史を歩んできたのかをこの目で見てきた。夢の中で見た通り、この国は平和だ。
式が終わり、グラウンドに出た。
そこには戦車が整列し、側に生徒が立っていた。戦車道科の履修生だろう。記念撮影の手伝いをしたりしているようだ。
チハ車。チハ改。94式軽戦車が並んでいる。一時期、教官として勤めていたが、ミヨコとの再開は叶わなかった。
すると、目の前に鳥が下りてきた。白い鳩・・・銀鳩?近付くと飛び立っていった。目線で追っていくと、チハ車のアンテナの上に止まった。そのチハ車の側で、こちらを優しい目で見る女性の姿が目に入った。
旧日本軍の軍服を着用し、鉢巻きを巻いた鉄棒を被っている。足には脚絆を巻き、軍靴を履いていた。年齢的に20代近くに見える。目線を合わせると、彼女はにっこりを笑った。
「・・・ミヨコ、か?」そう言うと、彼女はコクッと頷いた。周りにいる生徒は見向きもしない。
声も、姿も、引田にしか見えていないようだ。するとミヨコはゆっくりと近付き、話し掛けた。
「お久し振りです。引田准尉」
「お前、今まで何処に・・・?」
「インパールで放置されて、どれ程時間が経ったか覚えていませんが、アメリカ軍に見つかって鹵獲されたんです。その後は世界を回って、5年前にこの学園に来ました。今は、この学園の戦車道科に所属しています。毎日がとても楽しいです」
ミヨコは桜に視線を向ける。「あの子が、引田准尉のお孫さんですね」
「良く分かったな」
「目元がそっくりですから」
ミヨコは微笑み、こう続けた。「こうして出会えたのも何かの縁。今度は、あなたのお孫さんをお守りします。あなたを守ったように。約束します」
「ああ。宜しく頼むよ。お前は・・・俺にとって・・・」
「お爺ちゃん!」桜の呼ぶ声を聞いて、ぱっと視線を変えた。桜は手を取り、ミヨコがいるチハ車の側に連れていった。
「父さんが写真撮ってくれるって!一緒に写ろ!ほらあっち!」
桜が指を指す先に、実がカメラを構えていた。カメラに視線を向けると、シャッターを切る音がした。
『平成24年4月2日 晴れ
今日は桜の入学式だった。俺はそこで、67年ぶりに戦友と再開した。あの時に比べてかなり成長していた。俺はかなり年を取ったが、彼女は思っていたより若かった。人よりも年を取りにくいのだろうか。
彼女は言った。「今度は桜を守る」と。彼女なら、その約束を果たしてくれる。俺にとって、中島たちと同じように、最高の戦友だからだ』
『平成24年4月5日 晴れ
実から入学式の写真が届いた。
笑顔でピース姿で写る桜。そしてその横に立つ俺。そして、その背景に写るチハ車。実や桜にはそう見えているだろうが、俺には見える。
俺と共に戦場を駆け巡った、元引田班の戦友たち。そして夢の中で見た、俺たち元引田班が転生した姿が・・・』
次回。あとがきを投稿します。