S「春だなあ」
J「十中八九、春ですねぇ」
S「十中十、春だよ」
窓をグワングワンと揺らす突風にもかすかなぬくもりが感じられるようになった、四月初めの早朝。三寒四温の影響か、一旦落ち込んだ気温もどうにかこうにか戻りつつあり、太陽はついに冬将軍との戦いを制したようである。
街路樹は上下動を繰り返す不安定な気温にもめげずに、ぽつぽつとそのすすけた茶色の木立に新芽を芽吹かせ、公園の桜並木はぼちぼち満開を迎えている。
俺の部屋にも日光が差し、ピロピロと不可解な音を立てながら寝こけているジョニーをうっすらと照らしている。
もう……朝か。
冬という季節の何が嫌って、寝てる時にしんしんと冷えることに尽きる。主に足の指とか。寝込みを襲うばかりか下半身を集中攻撃してくるのは本当に卑劣だと思う。春万歳。
毛布にくるまりつつ冬を呪っていた。
温かいという概念は愛情や受容、情熱の表現に用いられることが多い。したがって今俺が布団から出たくないのは毛布という名の愛に包まれ満たされているからであり、心身が満たされている以上、さらなる欲望の充足を求めて寒冷なる階下へ踏み出すのは我々人類を生み出したもうた神への冒涜と言えるのではないだろうか……。
俺は何を言っているのだろうか……。
要するにずっと布団でぬくぬくしていたい。
温もりという名の愛という名の煩悩に支配されていた。
十五分を費やしようやく毛布への未練を断ち切り、冷ややかな床を雄々しく一階に下りる。寒い。足が冷たい。スリッパは履いているのに。むしろスリッパが冷たい。もはやこの世に俺の味方はいないのかもしれない……。
なして俺はこのような苦行を強いられているのか。甚だ疑問だ。俺はぬくぬくしていたいだけなのに。どうして朝は起きないければならないのか。
布団から出る義務など無いはずだ。朝、毛布の暖かな抱擁を拒絶し冷え切った服に着替える時間はまさに拷問である。そうだ、だったら毛布を着ればいいじゃない! 俺って天才。
これは冬中思ってた。なんなら毎年思ってる。
だがしかし、夏は暑い。違うんだ。俺はぬくぬくしていたいのだ。じりじり熱いのはきらい。きらい! だってしょうがないじゃん! きらいなんだもん! うわーん!
童心に還りむせび泣きながら顔面に洗顔料を塗りたくり、羞恥心までざばざば水に流す。
二十八本の歯(親知らずは治療済み)が磨かれていくシャカシャカという音にじゅうじゅうと食材の焼ける音が混じる。かぐわしい香りが漂ってきて耳にも鼻にも心地よい。焼いているのは間違いなくウインナーですねわかります。
前原さんが料理をしているようだ。ありがたいね。俺、卵焼きしか作れないので……。
鏡に向かって「トゥース!!(歯だけに)」と叫び、洗面所を出ると、釈迦みたいな生温かい視線を照射しているジョニーとがっつり目が合った。「全てを許そう」とでも言わんばかりのニコニコ笑顔。
そこで俺はジョニーを見なかったことにした。これで問題はない。ないといったらないのだ。
机に反射する日光が眩しい。
香ばしい匂いにつられてふらふらフラミンゴとリビングに到着すると、ソファーにどっかと腰を落ち着けた。
前原さんがキッチンに立ちフライパンを振りながら「おはようございます」と言った。それにむにゃむにゃ眠たい返事をする。
なんとなーく足の指の本数を数え、素で間違え、ようやく目が覚めた。
「卵を割って溶いておいて下さい」
「分かっ……、……理解した」
「もう遅いです」
弾んだ声音で差し出されたボウルを受け取り、片手でかっこよく割っていく。この悔しさをバネにするのだ。「片手で割るのはやめてくださいね」両手で割っていく。安全第一。両手に決まってるじゃないですか。ねぇ?
しばらく無言の時が流れた。食材や調理器具がキッチンをにぎやかに保っている。
じゅうじゅう
パキ、ピチャン
じゅうじゅう
カシャカシャ
バサッ
「卵の殻を投げないでください」「はーい……あっ」「もう遅い」
じゅうじゅう
パキ、ピチャン
ぱたぱた、カチャ
「よろしい」「うむ」
ころんころん
「ウインナーが焼きあがりました。こちらは昼のお楽しみということで」
さささ
ひょいパクッ
「こら、つまみ食いはやめ」「熱ァ!」「ほら言わんこっちゃない」
卵割り人形の役目から一時離脱し、グラスになみなみと冷水を注ぎ口を潤す。……ふう、舌が焼けるかと思った。危うくスタミナ太郎に新鮮な牛タンを提供するところだった。俺、牛なのかよ。
フォークに刺さったウインナーから肉汁が垂れるのに恍惚としていると、
「おはようございますー」ジョニーが机の下から顔を出した。
「おはようございますジョニーさん」
前原さんは中華鍋を振り、チャーハンが宙を舞った。
「おお、おはよう」
「さっきも会いましたよね?」
「いや、今日会うのは初めてだが」
「……ではさっき洗面所で『トゥース』と叫んでいたのは……⁉ ひゃああああ!!」
もちろん嘘だが、ジョニーはすっかり信じたようで、悲鳴をあげソファーの方へぶっ飛んでクッションと同一化を図っていた。
「ところで今回はやたらと擬音が多いですね」ジョニーだ。クッションを背中に縛り付けて亀みたいになっている。
「まさか今日はギオン祭り? なんちゃって」
「……」
「……」
凍り付く空気。にわかに光度が落ち点滅する電灯。ブリザードの幻聴と悲壮なバックミュージックが聞こえ始めた。
何を言ったものかと頭を時計回りに回転させていると、食卓に妙にたくさん料理があるのが目に留まった。
朝食と思しき焼き魚やサラダが盛り付けられたプレートのほかに、空の大皿、水筒と巨大な重箱が置かれている。はて何のつもりじゃろうかとまだ寝ぼけた頭で考え考え、答えは出ない。残念、また来週。
~END~
さすがにそんなことはない。
焼き魚をもぐもぐ頬張りつつジョニーがウインナーに手を伸ばす。食欲をそそる焦げ方をしてかてかと室内灯の明かりを反射するウインナーをフォークに刺して掲げ、
「……Winner(勝者)」
片手を腰に当て、とびきりのダンディーフェイスでのたまった。
前原さんが卵焼きを豪快にひっくり返す。空中を回転した程よい黄色の物体がフライパンに着地しじゅわーと良い音を立て、俺はひとしきり拍手を送ったが、……卵焼きにそんな派手な行程ありましたっけ?
「皆さん、今日の予定は空いてますか?」前原さんが焼き色のついた卵焼きをさらに移している。
「俺はいつだってヒマですよ前原さん」
「ちょっと! 今のギャグの感想は⁉」
完全にスルーを食らったジョニーが悲痛に叫ぶ。スベってもめげない精神は素晴らしいと思うぞ。
「ふむ……微妙でしたかね今の」
使用後のフライパンに水を注いで前原さんがテーブルへ音もなく歩いてくる。そのスリッパの素材は何なのか教えてほしい。
「そろそろ朝食にしましょうか」
「「おっす」」
「なんですかその掛け声は……」
我々からの感謝のしるしであります。
「「おっす」」
「二回もやらなくていいですから」
穏やかな春を告げる小鳥のさえずりを聞き、がつがつ、むぐむぐ、もぐもぐと朝食を平らげ、しかしまだ別皿には大量の料理が残っていた。食べきれば一日分の栄養が丸々取れそうである。
「前原さん、質問があります」ジョニーがぴしっと肩口まで手を挙げた。
「はい、そこのジョニーさん」
「一体この量の食料はなんです? 兵糧攻めでもあるんですか」
相槌を打ちつつ会話に加わる。「俺も気づいていた。たった今」
「今……」
「どうぞ当ててみて下さい」
三段の重箱にこれでもかと詰まったウインナー、いなりずし、きんぴらごぼう、ほうれんそうの和え物。だて巻き、栗きんとん、三色かまぼこに黒豆、数の子。おせちじゃないか。いやあ寒いねぇあけましておめでとう今年もよろしく。いや今は四月だよ。
でかい弁当を持っていく行事といえば……。
遠足か。間違いなく遠足ですね。遠足、唯一無二。
「簡単だ。答えはえんそk」
「花見のにおいがしますねぇ……ちょうどそんな時期ですし」
「ウインナーの匂いじゃないですか?」
ジョニーが遮ってさもありなんと頷き、前原さんが茶化す。
「正解は花見ですおめでとうございます」
どこから取り出したのか前原さんがカランカランと鐘を鳴らした。……お、よく見たらカウベル……。
花見だな。確実にこれは花見。花見、たった一つの真実。危なかった、違う答えを自信満々に言うところだった。
「昨日ふと思い立ちまして。一緒に行きましょう。暇でしょう?」
光の速さで重箱水筒その他諸々をリュックに詰めウキウキと有無を言わせぬ口調で言われても困るというか。なんだろう、俺に暇じゃない時があるような言い方やめてもらっていいですか? いつだって暇だよ。
「それでは準備はいいですか?」
いくら何でも早すぎませんか。俺とジョニーは用意も何もしてないのに。
「そうですね。では次の回にしましょう」
「え、ちょっと」
「それでは今回はこの辺で。皆様、ごきげんよう……」「ちょっと前原さーん?」
M「春でしたね」
S「なんで過去形……」
M「あなたの春はここで終わるからです」チャッ(拳銃を構える)
S「俺は……死ぬのか?」