第一話 植蓮
子の刻の夜闇、木々が月光を覆い隠す人里離れた山を、一人登り歩く男がいた。
何十年も着古したボロと太刀は、彼が極めて卑しい身であることを如実に示していた。
しかし、履いているその袴には、彼が嘗ては貴い身分だった頃の名残が微かに残っていた。
年代は凡そ初老。しかし彼には最早時が残されていなかった。
若かりし頃は蹴鞠で名を馳せつつ剣の修行に励み、そして牙なき者の牙として今日まで幾度も剣を奮ってきた男の肉体は、実に丈夫な方であった。
最も、この時代の賤民にしては、と付け加える必要はあるが。
今ここで数里以上の距離を涼しい表情で歩き切っているだけで、驚嘆する者がいても然程可笑しいほどではない。
しかし、男にとっては、これくらいは出来て然程可笑しくはない芸当であった。
夜闇に紛れ、人を喰らう物怪と戦う『魔戒騎士』であった、彼にとっては。
やがて男が辿り着いたのは、人が入れるほどの大きな洞窟であった。
洞窟の入り口には注連縄が伸びており、ここが立ち入れざる禁域であることを余人にも分かるように示していた。
男は一度、何かを確認するかのように入り口に向けて右手をのばす。
すると、注連縄の紙垂が発光するとともに、何かが男の手を跳ね除ける。
「うっ!」
弾かれた様な感触と共に右手が此方側に返り、男は痺れる右掌を左手で抑える。
しかし男は一瞬口元を緩めると、ここにいる自分以外の誰かに声をかける。
「ゴルバ。」
「わかった。」
すると、左腕に付いている腕輪が、人語を発して応えた。
それを確認した男は、今度は左腕に付いている腕輪を洞窟の入り口に翳す。
再び紙垂が発光するが、今回は何も起こらなかった。
男は洞窟に向かって歩き出す。しかし入り口の注連縄を通過しても、男が弾き飛ばされることはなかった。
洞窟の中は予め壁に貼られていた、発光する術の書き込まれた札によって明るく照らされていた。
札の光の源はゴルバから調達しており、ゴルバの意思に応じて光る様になっている。
札の発する緑色の光の道に沿って、男はゆっくりと歩みつつ、この洞窟に来るまでの経緯を回想する。
男は盗賊だった。それも、都中の盗賊を束ねる大盗賊であった。
貴族として相応しい人間となるために叩き込まれた知識や武芸を、惜しげもなく強盗行為に利用し、多くの金銀財宝を数十年間盗み続けてきた。
しかし、盗む対象はあくまでも貴族のみ。それも私利私欲を貪るばかりで民草の事を歯牙にも掛けない堕落した貴族に限定している。
奪うのは命に非ず、されども宝物は余すこと無く略奪し、泥水を啜り地面に這い蹲る都中の貧民の下に配り回った。
男は盗賊というよりも、寧ろ義賊と言ったほうが正しい人種であった。
勿論、自分らが生活できる分の資金は必要な為、民草に分け与えていない幾ばくかの財宝を、男は隠し持っている。
しかし、男は本来、こんな拠点から大きく離れた場所に財宝を隠したりはしない。隠すなら自分の目が届く範囲で管理する。
ならば男は何を隠すのか。それは魔戒騎士が代々一子相伝で伝承し、物怪と戦う為の最大の戦力とする『鎧』である。
男が魔戒騎士となったのは、盗賊として一定の勢力と知名度が付いてきて暫く経ってからであった。
上述の通り、男は貴族だった。最も、今は力なき者達の苦痛に応えて貴族を苦しめる盗賊に成り果てているが。
そして、男の家系…藤原南家には、とある言い伝えがあった。一族には代々、白銀色の魔戒騎士の鎧が伝わっていると。
とは言っても、その鎧は時を隔てるに連れて行方知れずとなり、男も物怪や騎士の存在こそ認知している物の鎧の行方に関しては然程興味はなかった。
白銀の鎧を受け継いでいたのは、自分と同じように貴族を捨てて貴族から奪い、嘗て古都中の悪党を束ねていた大義賊…謂わば自分にとっての大先輩であった。
彼は今の自分と同じように、鎧の継承者を見つけられないまま生を終えるのを今か今かと待ち構えていた頃だった。
そんな時、同じく義憤故に家と名を捨て、力なき者達と共に歩まんとした男は彼にとって、あまりにも都合の良い人間だったのだろう。
無論、そんなことを勝手に決められても困る。最初は困惑したが、余命が僅かしか残されていなかった彼の必死さに、恥ずかしながら胸を打たれた。
そして、彼のある言葉に少しではあるが勇気は貰えた。
((例え貴族の道に背を向けようと、己の定めからは逃れられん。守りし者としての、宿命からはな))
はっきり言って強引な言い草だったが、その言葉に己が守りし者の血筋を引く人間であると自覚させられ、尻を強く叩かれた様な気分になった。
人を襲う物怪を斬るのも、財宝をバラ撒くのと同様に人を守ることに繋がる。
貴族も守らなければならないのは癪だが、宝物はともかく生命を奪うことにさして興味はなし、文句はなかった。
そして今はこの左腕に付けられている腕輪の課す地獄の様な修行に耐え抜き、鎧を継承した。
それでも最初はまだ自信がなかったが、物怪となった元友人の腐った貴族に怒れた事で、漸く覚悟は定まった。
初めて白銀の鎧を身に纏い、この手で斬った。
それからずっと、貴族からお宝を盗んでは、その傍らで物怪と戦って人を守る日々だった。
しかし、自分もまた人である以上、いつかは彼と同じように死に絶える日が待ち構えている。
当然、若かりし頃はそんな事に興味はなかった。ただ地を這い貧苦に喘ぐ者達の事で頭がいっぱいだった。
鎧の後継者について考え出したのは、貴族だった頃からの腐れ縁だった、ある魔戒騎士と魔戒法師との間に産まれた子供がきっかけだった。
二人はこの子はきっと自分の鎧を継承する騎士になるだの、自分が祖父から受け継いできた術を相伝せし法師になるだので度々言い争っていた。
最も、二人共決められた人生に背を向けるような生き方をしてきたので、子供に定められた道を強要するような真似はしなかったが。
結局、その長兄は騎士にも法師にもならなかった。しかしその代わり、後に産まれてきた弟達が、それぞれ騎士や法師としての道を歩まんとしている。
あの腐れ縁だった騎士は、偶に指令で行動を共にする時には息子の話をするようになっていった。
暫くすれば修行の一環として息子を物怪退治にも連れて行くようにもなり、自分も何度か同行したこともある。
新たに彼の黄金色の鎧を受け継ぐ宿命を背負ったあの少年を見るたび、男は思うようになる。
ならば、自分の鎧を継ぐ者は一体誰なのかと。
自分が死ねば、一体誰が代わりに牙なき者の牙となれるのかと。
あの大先輩は、血筋も心も力も全て兼ね備えていた自分という後継者を、晩年に漸く見つけられた。
だが、その様な都合の良い人間が見つかることを男はそう期待はしていなかった。
女を作れる程の余裕はないし、そもそも色恋は貴族の道と共に捨て去った。
自分の志を理解している子分はいるが、血筋すら持たない者に物怪と戦う謂われもなければ決意を持てるはずもない。
信頼できる南家の親類と言えば、騎士の技能を有する甥がいる。が、彼も同様、守りし者として生きる余裕があるとは思えない。
結果、男は後継者が見つからなかった時の備えとして、遠く離れたこの山奥の洞窟に剣とこの腕輪…魔導輪ゴルバを隠すことにした。
もし、藤原南家の血を受け継ぐ男がここに来た場合、山中に張り巡らせた札や結界を通じて男を洞窟に招く。
そして守りし者としての覚悟と資質があろうものならば、彼に修行を付けさせる。
そう考えた男は、先程の腐れ縁の魔戒法師に頼んで結界や札を貼ってもらい、死期が近づいた時にここに来れるように予め備えていた。
それが、彼がここに来るまでの経緯であった。後継者が見つかったかは否かは、男がここに来たということが如実に示している。
細い道を通った先にあったのは、広く広大な空間であった。嘗て自分が修行させられた場所に、雰囲気がよく似ていた。
その前方の最奥には何も乗せられていない文机が置かれており、周囲を六尺程の四本の支柱と注連縄、そして護符で囲っている。
更にその文机を囲う結界の前方には半分程足の小さい文台が置かれていた。同じく文台には何も乗せられていない。
そして、その文机と文台を更に広い結界が囲う、二重構造の陣が形作られていた。
ゴルバの意思一つで、五芒星状の光が結界中に展開されて通れるようになった。
男は文台の眼の前に立つと、懐から鞘に納められた、青色の直刀を取り出し、文台の上に置く。
大先輩に押し付けられ、寝食を共にし、数多の物怪を封印するまで一緒だった魔戒騎士用の剣…『魔戒剣』に、別れを告げる。
続いて前方の結界の前に立ち、ゴルバの意思と共に結界が解除されたのを確認した後、長い間共に戦った相棒を左手首から取り外す。
肌身離さず持ち歩いていた魔戒剣と魔導輪が離れると、自分が騎士を辞めるという実感が強く湧いてくる。
「…これで、魔戒騎士は一旦廃業か。随分とまあ、長いことやったもんだ。」
「よくぞここまで戦い抜いた保輔。後のことは任せろ。」
柄にもなく感慨深くなって呟いた男の言葉に、掌の上で相棒が応えた。
「ああ、ここは寒いし腹も空くだろうが、我慢はしてくれ。
守りし者の宿命なんざを受け入れちまう様な酔狂者がここで新たに鎧を纏う、その日まで。」
男は皮肉げに笑いながらそう応えると、これまで共に戦った師にして相棒を机台に置いた。
◆ ◆ ◆
それから百年以上もの月日が流れていった。
武家の統治者が決まりゆく時期であった。
武士は二つの勢力に分かれて激しい争いを繰り広げ、勝った片割れは栄光を手にした。
しかし、敗けた片割れは―――
草木も眠る丑三つ時の山を、とある集団が息を切らす様な音と共に登っている。
集団を構成する人間の大半は男だが、しかし女子供も紛れていた。そして共通する点として、何れの者の顔からは、最早精気が殆ど消え失せていた。
それでもなおこうして立って歩き続けていられるのは、それだけ「生きたい」という想いが強い原動力となっている証であろう。
彼等には本来、こうして息を切らして山を登り詰める必要などなかった。
百年以上前に隆盛を極めた藤原家の栄耀栄華を嘗ては継承した、平家の落人にとっては。
しかし、藤原家が先んじて示してくれたように、如何なる栄華もついには枯れるのがこの世の必定。
その法則に従い、彼等はただ命あっての物種と必死に自他に言い聞かせながら、落人は良い潜伏先を見つけんが為に山へ登る。
親平家の豪族の子息だった男もまた、その一人であった。
父と共に敵に捕らえられ、一度は情けを掛けられて助けられたにも関わらず、後戻りは出来ぬと戦場に戻り、今こうして藻掻いている。
それを加えた多くの悔恨を脳裏に浮かべ、それでも尚生にしがみつかんと進み続けていた、その時の事だった。
ふと周りを見渡してみれば、樹木の幹に奇妙な札が貼ってあるではないか。
それも一枚だけではない。見渡してみればあちらこちらの木々に、札が貼ってある。
この山は呪術師の縄張りなのでは、と寒気がしてくる。
しかし、誰一人この現象を妙に思う者はいない。
前方を歩いている同胞に、一度口を聴いてみる、しかし。
「……こんな時に下らぬ戯言を抜かすな、札など貼られている訳がないだろう!」
いや、確かに見えている。前方の者が話を聴いてくれて確認している時、男の視界には確かに、札の貼られた木々が幾つかあった。
もしや、この札は自分にしか見えていないのではないだろうか。ならば、自分は呪われているのでは…?
そんな考えが男の脳裏を掠め、男は恐怖のあまり冷や汗が垂れる。しかし、行列は男に考えることも、立ち止まることも許してはくれない。
それに流されるがままに、男はただ歩き続けていくしかなかった。
ふと、すぐにも手が届きそうな距離の樹の幹に、札が貼ってあるではないか。
怖いもの見たさなのか、或いは心のどこかに眠っている破滅願望からなのか、何かに駆られるかの様に、男は通り際に札に触れてみる。
そして、声が聴こえた。
――藤原南家の者か。
脳裏に響くその言葉に、男は足を留める。
(藤原…南家…何故、それを……)
確かに、男の祖先は藤原南家の人間であった。
藤原南家。奈良の時代より続く名門で、嘗ては天子をも凌ぐ隆盛を誇った藤原家に連なる貴族の家柄。
男の祖先は、この南家に連なる武官貴族だったと聞いている。
しかし、何故この南家に連なる人間であることに、札は興味を抱くのか……
「おい!!!!何を呆けておるのだこの戯けが!!」
後方にいる武士の言葉で、男の意識は現実へと帰還する。
「急がねば源氏の追手が来るぞ!我等には一刻の時間すらも惜しいのだ!」
「す、済まない……。」
焦燥と苛立ちが色濃く映し出された形相の男に詫び、再び男は歩み続ける。
ただ、生きたいという本能のままに。
◆ ◆ ◆
やがて人里離れた地へと逃げ込んだ落人達は、敵対勢力の捜索から身を隠しつつ新たな生活を密やかに始める様になった。
暫くして男は山菜の採集と、山の地理の調査も兼ねて、ふらりと外へ出かけていった。
しかし、男の目的は、実際には別にあった。
落ち延びた先にあった場所の木々には、札は貼られていなかった。
だがあそこの近くに戻ってみれば、やはりそこかしこに札が貼られている。
男は、あの札が気になっていて仕方がなかった。
何故、札が自分だけに見えるのか。
そして何故、札は藤原南家の者を求めるのか。
あの後男は、ここでの密やかな生活を続けていく内に、一つの結論に辿り着いた。
これは、己に課せられた宿命なのではないのかと。
自分が藤原南家の生まれであること、それを求める者がいるということ…そこに、何か意味があるのかもしれないと。
誉れと言える誉れを、最早男は持ち合わせていなかった。
忠孝の道に従って父とともに戦い続けることを決めたのに、今となってはただの落人でしかなかった。
名門藤原家の名に連なりし武官としての誇りは、行き場を失ってしまった……そう、思い込んでいた。
だがもし、今ここに藤原南家に連なる者を求める者がいるのなら。
それが己の宿命というのならば、それが今の自分に残された最期の勤めというのならば、応えてみよう。
そう思って、男は再び近くの木に貼られた札へと触れてみる。
するとやはり、声が聴こえてくる。
――先がたの南家の者か。
「左様。」
試しに返答してみれば、直ちに返事は来た。
――ならば問おう。お主に、己が定めを受け入れる覚悟はあるか?
「……っ!」
まるで、自分の考えを見透かされているかの様な問いかけであった。
「定めとは、一体、如何なる?」
――"白銀の鎧"の伝承は、南家にて絶えてはおらぬであろうな?
「白銀の、鎧……。」
藤原南家には、密やかにとある伝説が伝わっている。
この世には、鎧を纏って物怪を影より狩る『魔戒騎士』という者達が存在する。
藤原南家もまた、魔戒騎士の伝統を受け継ぐ家系であり、魔戒騎士の証たる"白銀の鎧"が代々伝わっていると言う。
幼き頃に、父より聞かされた覚えはある。しかし、その鎧は一族の数が増えていき、時が流れるに連れて行方知れずとなったはずであった……。
「何故、その鎧が…もしや!?」
――左様。その鎧が、この地にて眠っておる。
「あの伝承は、真であったのか……。」
子供の頃のお伽噺と、よもやこの様な所で眼にすることになるとは……。
――唐突な話ではあるが……お主、その鎧を受け継ぐ気にはならぬか?
「えっ!?何故、私が……!?」
「然程奇妙な話でもない、守りし者の血筋を受け継ぐ以上、その宿命は付いて回る物ぞ。」
行き場を失い、ただの山人として生を繋ぐだけの日々しか、自分には待っていないと思った。
しかし、自分にはまだ役目があった。祖先より受け継ぎし使命が、そこにはあったのだ。
「断る理由などない…家も誇りも、私には最早持ち合わせていない物だと…つい先程までそう考えていた。
しかし、何も持たぬ私に、果たせる務めがあるというのなら…喜んで選ばせていただく!!」
生気の戻った眼差しで、男は札に向かって答える。
――なら、話は早い。場所は只今より我が案内する。迷ったのならそこらにある札に手を当てるが良い。
「承知!」
◆ ◆ ◆
ここへ落ち延びた時以来の冒険の果てに、男は洞窟に辿り着く。
洞窟には注連縄が貼られており、それはまるで余所者の侵入を拒んでいるかの様であった。
しかし、今の男は余所者に非じ、躊躇うこと無く洞窟の中へと入り込む。
――そのまま真っ直ぐに進むが良い。
壁に貼られた札の照らす明かりに囲まれて進んだ先にあったのは…先程の狭い道とは打って変わって広大な空間であった。
最奥にあったのは長方形状の結界。そしてその中に囲まれているのは剣の置かれた文台と、装飾品の置かれた机台だった。
自分を呼ぶ者は一体誰かと思って来てみたはものの、人らしい人はいなかった。
気になって札を探してみようと辺り一面を見渡してみても、ここに限っては何一つない。
しかし、そこにある剣と顔の形をした輪がどうしても気になる。
魔戒騎士は、『魔戒剣』と呼ばれる特殊な剣で戦い、その力で鎧をこの世に顕現させると聞く。
(ならば、これが白銀の鎧を喚ぶ……)
そう確信し、結界の中に入り込み、安置されている剣を両手で掴み、持ち上げようとする。しかし…
「ん!?ぐっ……うぅっ……何だ……この剣は……。」
重い。
異常なまでに重い。
この文台から起き上がることを良しとしないとでも言いたげに、剣は、全くと言っていいほど持ち上げることが出来なかった。
魔戒剣の、魔戒騎士の振るう力の絶大さを身を以て思い知った、その時である。
「ホッホッホ、今のお主では持ち上げることすら敵わんよ。」
先程の、札を介して聴いたあの声が、前方より再び響き渡る。
しかし、男は触れているのは札ではない、剣だ。
だが、声が聞こえるのは下の剣ではない、前方だ。ならば……。
「ここよ、ここ。」
前方を見てみれば、腕輪が口を動かしながら喋っているではないか。
その様に、男は仰天し、剣を持ち上げることと空いた口を塞ぐことを辞める。
「な、何故、腕輪が、人語を……。」
「我はゴルバ、白蓮騎士と共に在る者。」
「貴方が、私をここへ……。」
「左様。我が主は子も持たず、さりとて帰るべき家も持たず……故に鎧の行く末を案じておった。
それ故、鎧を継がんと欲する南家の者がここに来る事を願い、ここに我と剣を隠した。
無論、お主が来るより以前にも、南家の者が入山し札に触れることはあった。しかし何れの者も、我に興味を示すことはなかった。しかし、ここにお主は来た。
さて聞くが、お主は"家を持たぬ"と先ほど言っておったな。
我の求めにあまりにも快く応じてくれたという事は、相応の理由があっての事であろう。何故、家を持たぬ?」
「……この山の外での出来事は、如何ほどにご存知で。」
「山籠りは山の事は分かっても、外の事を解す術は持たぬ。我がここに来てから百年以上が経つが、その後の世はどうなった?」
「ならば、お話いたします。」
男は、ゴルバに外での出来事を話した。
伊勢平氏の権勢は藤原家をも凌ぎ、その上娘を天子に嫁がせたことで、その地位を揺るぎない物へと変えたかと思われた。
しかし、その過程で打倒したはずの河内源氏が決起し、数多くの武士を味方に付けた末に、平氏を窮地に追い込んだ。
男は平家に味方する武士であった、しかし戦の果てに敗れ、こうして落人となってこの山に逃げ延びてきた。
「それが、私がここにやってくるまでの経緯だ。」
「河内源氏…清和源氏か、なるほど皮肉な物よな。」
「何故、清和源氏を……もしや、"黄金騎士"と何やら関わりが!?」
「何れ話す時は来ようぞ。して、先程お主は、己が為せる事を求めておる様な口ぶりであった。
さすればお主の戦う理由、それは"誇り"であるか?」
「誇り……左様。」
父から、一族の家名に恥じぬ誇り高き貴族であれと幼き日から教えられたことで、今の自分が形作られてきた。
故に、この男の生きる理由…戦う理由は誇りと言えよう。
そしてその誇りの為に、家の誇りに恥じぬ為に、男は鎧を受け継ぐことを決めた。
「お主、名前を何という。」
「祐清……
「祐清、心して聞け。只今より、お主が誇りある鎧を纏って戦う敵は源氏に非ず。守るべき者は家のみに非ず。
時には、襲いかかる火羅より源氏の者を守らねばならぬ時もあれば、火羅に憑かれた同胞を斬らねばならぬ時もある。
戦に明け暮れた時とは、随分と価値観が何もかも異なった生き方を進まねばならぬ…それでもお主は、誇りを貫けるか?」
その言葉に、迷うこと無く祐清は頷く。
例え貴族を捨てようとも、やるべき事は変わらない。
課せられた使命を果たし、そのため守るべき者を守り、斬るべき者は斬る。それだけだ。
勿論苦しまないという自信はない。だが、もしその程度で苦悩する様ならとっくの昔に武士を捨てている。
「ならば、早速修行だ。修行の内容は我が課す。」
「宜しく頼む。しかし、如何様にしてこの魔戒剣を持ち上げるのか……。」
「魔戒剣は力ではなく魂で持ち上げるもの。心の有り様次第で岩の如く重くもなれば、羽毛の如く軽くもなる。
この剣を持てるようになれば第一歩…お主には、この剣を自在に操れるようになってもらう。」
◆ ◆ ◆
草木が茂る森の中を、一人の落ち武者がフラフラと彷徨う。
心身共に疲労しつくしたような顔で、具足はあちらこちらが破損しており、その様は最早歩くボロ雑巾の様であった。
だが、その落ち武者の行路を阻む男が、前方に一人。
「貴様ァ、魔戒騎士か!!」
落ち武者は抜刀し、直様男に向かって飛びかかる。
しかし祐清も、これを青色の柄の直刀…魔戒剣で受け止める。
両者の間で、激しい鍔迫り合いが巻き起こる。
「邪魔を…するなぁっ…許すっ……まじっ…源氏っ…!!」
「……っ!!」
嘗て自分達を殺した怨敵への憎悪を叫びつつ、落ち武者は地面を蹴って後ろに引き下がり、態勢を立て直す。
そして激しい咆哮と共に人の皮が破れ、おぞましい物怪としての本性が姿を現す。
その物怪の姿は、正しく蟹であった。蟹が後ろ向きに二本の足だけで立ち、残る四本の足には刀剣が備わっている。
頭部には兜を被り、肩には具足の大袖を身に着けており、それは正に武士の格好をした蟹人間であった。
(平家の亡霊……過去の栄光への執着や源氏への怨念が、陰我へと変じたのか…)
いつしかゴルバが言っていた事が、現実となった。
人には誰しも闇は持ち合わせている。そしてその闇が強まれば陰我へと変じ、物怪…
嘗ての同胞故の未練はある。自分も同じ存在に成り果てたのかもしれないことへの恐れもある。
だが、守りし者としての誇りの強さがそれに勝った。
火羅としての姿を現した敵に勝つため、祐清は切り札をこの世に召還する。
「我が名は
魔戒剣を構え、剣で真上に8の字状に二つの銀色の円を描き、人界と魔界を繋ぐ扉を開く。
円の中から白銀色の鎧が、魔界からこの現世へと喚び戻される。
「貴様ら火羅を討滅する……!」
鎧は瞬時に祐清の肉体を覆い、そして狐を模したかのような狼面が、主の顔を包む。
深紅の瞳と白銀色の鎧を煌めかせ、誇り高き守りし者は高らかに叫ぶ。
「魔戒騎士だ!!」
この第一話を読んでいただいた事に、誠に感謝致します。
感想、是非とも待っております。
ご存知の方もいらっしゃるかと思われますが、祐清は実在の人物です。
仇討ちで有名な曾我兄弟の叔父に当たり、源頼朝の乳母・比企尼の娘婿でもあります。
頼朝との悲恋で知られる八重姫は祐清の妹で、祐清はこの二人を巡る出来事に関わったことで最もよく知られています。
史実では頼朝に捕らえられた父の後を追ったとも、北陸道の戦いで死んだとも伝えられていますが、この物語では生還し平家の残党と共に落ち延びたという事にしています。
因みに尾張伊東氏の家祖・祐光は祐清の遺児と言う説がございますが、こちらでは通説である工藤祐経(上述の曾我兄弟の仇敵にして、祐清の従伯父)の子息という説を採用しています。
また、同じく祐清の後裔を称する筑前伊東氏も同様に、祐経の子孫という事にしています。
この後、祐清は鎧を継承して暫くの間はこの集落で暮らしていましたが、時折集落から抜け出す彼を不審に思った同胞たちによって追い出されてしまいます。
その後は源氏の追っ手から逃れつつも守りし者として戦い、鎧を継ぐ子供を遺してこの世を去った、という設定です。
最初は保輔が史実同様に切腹、魔戒剣とゴルバは光宮に回収され、清和源氏が鎧を受け継ぐという設定も考えていたのですが、「もしアイツが捕まったぐらいで腹切る様な奴なら本編で逮捕された時にやっているはずだよな…」と思ったので止めました。
ゴルバと邂逅する南家の子孫の設定も、最初は『仕えるべき主を喪った江戸時代初期の浪人』や、『摂家の家司の息子で、応仁の乱が終結した直後に勤め先の山城国の荘園の管理に遣わされた父と共に山城国までやってきた』など色々考えておりました。
しかし、何れの設定でもこの様な山の麓までやってくる動機が作れそうになかったので、結局『平家の落人』という事に致しました。
尚、彼等がどういう経緯でこの都に比較的近い山にまで逃げ込んだのかは考えておりません。ただ、京都府にも平家の落人伝説は伝わっているらしいので、経緯は概ねそちらに近いかと思われます。
<追記>
調べ直してみた所京都には、壇ノ浦の戦いより生還した平家の落人達が京の都に比較的近い原谷という山に囲まれた盆地にまで逃げ延びたという伝承が残されているそうです。
仮にここが原谷を囲む山の一つだとすれば、伊東祐清は史実とは異なり倶利伽羅峠の戦いから命からがら逃げ延びて帰京、そのまま平氏と共に都を去り、その後壇ノ浦の戦いにて生還して原谷に落ち延びた…という流れになっているかと思われます。