フーダニットゲーム   作:N-SUGAR

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第1章 被害者の可能性(上)

 1.

 

 推理小説の世界でだれが一番不幸なのか。その問いに対する最も有力な回答が、ずばり被害者である。事件──それもほとんどの場合殺人事件に巻き込まれ、物語のかなり序盤のほうで無惨にも命を落とす。殺され役。

 

 推理小説。それも探偵小説の中では必要不可欠な存在であり、また重要な存在の一人ではあるのだが、いかんせん探偵や犯人と較べられると、どちらかと言われれば重要度の低いキャラであるといえる。殺されてしまっているにもかかわらずである。これはあまりにも酷い扱いだ。不幸というよりは、もはや不遇である。

 

 たいていは登場シーンも少なく、わずかな登場シーンのほとんどが、おそらくは誰か関係者の回想。語られる情報はすべて他人の口から語られる嘘か本当かもわからない体験談や噂話ばかり。自分の口で何かを喋る場面など全くと言ってしまっていいほど存在しない。登場するや殺される。自分の口から喋ることがあるとすれば、たいていの場合それは死亡フラグ。というか、作中でどれだけその存在が軽視されようが重要視されようが、殺されてしまっている時点でその扱いの酷さは今更何をかいわんやである。

 

 ごちゃごちゃと何かを言うまでもなく、明らかに不遇だ。

 

 あまりにも理不尽。

 

 そしてその理不尽は、何も被害者にだけ降りかかるものではないということを僕は知っている。被害者の理不尽は、周囲に伝染する。さながらたちの悪いウイルスのごとく。

 

 被害者の不幸は連鎖する。周りの人間全てを巻き込み、悲劇を伝え、不幸を伝播させる。周りの人間は総じて皆が少なからずいやな気分になり、総じて皆に遠からず危機感と緊張を与える。当たり前だ。被害者がそこにいるという事実は、同時に加害者がそこにいたという事実を伝えるものなのだから。いやな気分にならないほうがおかしいし、危機感を抱かないほうがおかしい。加害者本人でさえ、いつ自分の犯行を暴かれるかもしれないという危機感を抱えているはずなのだ。被害者は不幸で不遇だし、それを見ているほうも、不幸で不遇だ。

 

 ──────────────────―たとえば今の僕のように。

 

 目の前に物言わぬ体となった金髪メイドの姿を見ながら、僕はつくづくその認識を再確認するのだった。

 

 2.

 

 回想。……と言っても、僕は今回の件をどこから回想し語りだせば良いのかよく分かっていないのだが、それでもとりあえず頑張って回想してみると僕の場合のそれは、おそらく休日の自宅で特にすることもなく暇を持て余し、のんきにネットの動画サイトをスマートフォンであさっていた時に受信した一通のメールから始まったと言っていいと思われる。

 

「件名:フーダニットゲーム出場資格獲得のお知らせ。From:作者

 

 本文:拝啓、何木幻様。あなたはこの度めでたく推理ゲーム、「フーダニットゲーム」への参加資格を厳正なる抽選の結果獲得なされましたことをここにお知らせいたします。つきましては参加書類をご自宅に発送させていただきます折、こちらに通知させていただきます。「フーダニットゲーム」開催日、集合場所、時間等は、参加書類に明記してありますので必ずご確認ください。なお、「フーダニットゲーム」の参加を辞退される場合は本日中に参加書類に記されているアドレスにその旨を通知しメールをお送りください。それではどうかよきゲームを楽しまれますようお祈り申し上げます。敬具」

 

 そんな内容の書かれたメールを、僕は信じられないものを見る目で読み上げていた。

 

 なんなんだこのメールは……。

 

 ありえない。どうしてこんなメールが僕のメールアドレスに届くんだ? 

 

 そもそも僕のスマートフォンに入っているおよそすべての個人情報は僕によっぽど近しい人間でもなければ知らないはずだし、そうなるように僕は今までさんざん注意を払ってきた。なのに今ここに届いたメールの人物に僕はさっぱり見覚えがないし(作者ってなんだよ。名前か?)、当然メールアドレスも知らなければ、「フーダニットゲーム」なんていうタイトルで大体の内容が想像ついてしまうが故にかえって不審度を上げているイベントに参加申し込みをした記憶もない。

 

 にもかかわらずこのどこからどこまでもまったくもって身に覚えのないメールは、間違いなく何木幻という僕個人に対して送られてきていた。スパムメールではない。だって文面に僕の名前が書かれているんだもの。無作為なアドレスに送っているのではなく、明確に僕に狙いを定めている。この疑問だらけのメールを不気味に思わずしてどう思えというのか……。本来ならこんなメール、読んだ瞬間にその場で消去するべきだ。実際に読んだ瞬間鳥肌浮き立つ不気味さを覚えた僕はこのメールを消去しようと指を動かした。しかし直後、()()()と音を立てた玄関備え付きのポストに、僕の指の動きは止められてしまうことになる。そういえばメールにああ書かれてはいたけれど、まさかこんなタイミングで? 

 

「……まさか……ね」

 

 思わず独り言をつぶやきつつ僕は玄関口の廊下に出て、玄関前まで抜き足差し足、ドアの下のほうに設置されているポストからたった今入ってきた、僕の住む家の住所だけが油性ペンでそっけなく書かれた茶封筒を拾い上げる。上のほうをびりっと破いて中身を確認すると、そこには果たして、僕の予想通りの(間違いであってほしかった)ものがそれなりに厚めのパンフレットの形で封印されていた。

 

「フーダニットゲーム」参加書類。

 

 推理小説にありがちな、孤島にそびえる洋館の写真があしらってあるその表紙を見て僕はめまいを起こした。こんなの推理小説じゃなくて恐怖小説の仕様だろう。そんな現実逃避気味のことを思いつつ、僕はパンフレットを右手に持ったままのろのろと自室に戻る。

 

 考えてみれば宛先が不確かな招待状なんてものは推理小説の定番なのだが、しかしそんなおよそ現実にはほとんどありえないようなシチュエーションが実際に起きてみると、こんなにもホラーじみてくるのかと僕は一周まわって逆に感心した。思い返せば小学校一年生のころから推理小説は愛読していた僕だったが、読むのと実際に体験するのとじゃあ、やっぱり大違いだ。試しに起こった現象に対して面白さを見出すことによって、僕は冷静さを取り戻そうという試みに努める。一ミステリーファンとして、この展開は本来なら心躍るもののはずだなんて思ったりして、この試み自体は、あくまで個人的にはだが、意外にもうまく効果を発揮した。僕はここでひとまず恐怖心を脇に置いて冷静さを取り戻す。ただ、今から思えばこの作戦は失敗だった。だってそんなことをしてしまったら、僕はこの不気味な正体不明のゲームそのものに、面白味を感じてしまっているようなものじゃないか。冷静さを取り戻したところでまともな思考ができなくなるようでは策士策に溺れるもいいところである。いや、策士策に溺れるなんて立派な言葉じゃないな。こういうのは愚者愚策に飛びつくと表現した方が適切だ。そもそも恐怖心を脇に置いたというのがいただけない。恐怖心とは危機管理における重要なファクターの一つのはずだろうに。おいおい何木君や、恐怖心(それ)はいちばん脇に置いちゃいけないものじゃあないのかい? まったくもって嘆かわしい恥ずかしい。もしも僕が当時に戻れるのなら、僕は自分で自分を焼き殺していただろう。

 

「とはいえ謎は深まるばかり……か」

 

 まだ中身を見てもいないパンフレットに対して、僕はそんな独り言をつぶやく。この時の僕は、なんだか自分が推理小説の探偵にでもなったような気分だったのだ(当時の僕に調子に乗るなと言ってやりたい。そして焼き殺したい)。フーダニットゲームなんていういかにもなタイトルからもそんな気分は増長される。この時の僕は、生物としての危機管理意識をきれいさっぱり放棄しているといってよかった。僕はこの時この時点からでも、やはり今すぐパンフレットを燃えるゴミに放り込んでメールを削除し、すべてを忘れてのんきに動画サイトでも巡回して休日を潰していればよかったのだ。そうすれば「フーダニットゲーム」なんて家に帰れるかどうかさえも不確かになってしまうような怪しさ百二十パーセントの奇妙なゲームに参加して、どこの誰かもわからない金髪メイドの物言わぬ体の前に立つなんていう人生で一回経験すれば十分な、というか一回も経験しなくていい面倒くさい状況に立たされずに済んだのに。

 

 しかし後悔は先に立たず、この日この時の僕の頭の中には、もうこの件を無視しようなんて考えは既に頭の片隅にさえ、無かったのだ。

 

 考えが子供なんだよな。僕というやつは。

 

 そんなことも今になって思う。学校に知り合いの後輩も多くなってきて、僕は後輩に日ごろから大人ぶって先輩風を吹かせているのだが、(「君はそんなこともまだわからないのかね」なんてそれこそ推理小説の探偵みたいなことを言いながら後輩に勉強を教えていたりする)しかしその実、僕はちっとも大人になんかなれていない。後輩に威張れるほどのステージになんてちっとも登っちゃいない。二十歳まではまだまだそこそこあるとかそんな事実を差し引いたところで、僕の精神はまだ幼い小学生並みであることをひどく痛感する。こんな開催元も安全性もちっともわからない。しっかりとした大人ならばどんなに興味を持ったところで絶対に参加しようとはしないであろうイベントに、参加してみるのもいいかもしれないと思ってしまうなんて、冷静ではあってもこの時の僕はちっとも理性的ではなかった。ましてや大人でなんてあるはずもなく。そんな僕は、ただの理性のない感情的な子供だった。僕には精神的な成長がみられない。いつからかといえばそれはたぶん小学校一年生の時からだ。遠い昔過ぎて記憶も定かではないが、それでもその時僕が初めて推理小説を読み込んだ時に感じたはずのあのドキドキをいまだにこんなパンフレットから感じているだなんて、ガキにも程がある。精神的な成長など見られるはずもない。どう贔屓目に見積もったとしても、僕の精神年齢など小学校高学年がいいところだろう。やめときゃいいのにこの時の僕ときたら、冷静になるために出そうとした面白味にはまりすぎて、どこぞの名探偵よろしく知的好奇心の赴くままに、パンフレットの隅から隅まで目を通した。その結果、僕のフーダニットゲーム参加の決意は、(よしゃあいいのに)いよいよ決定的になった。

 

「フーダニットゲーム」参加書類にはイベントの概要、ルール、開催場所、集合場所、日時から最低限必要となる手荷物、集合場所までの道順まで実に様々なことが丁寧に書いてあった(ついでに何のために使うのか明記されていないメールアドレスもあった。ついでと言ったがかなり重要なものだ。結局使うことはなかったものの……)。疑問だったのが、不必要に無駄な文章が多かったことで、(ただミステリー好きにはたまらないいくつかの文言が、これでもかとばかりに書かれてあった)、最低限の内容だけならここまでの厚さはいらないんじゃないかとも思ったのだが、しかしその文章によってミステリー好きの血が騒ぎ、いくらかパンフレットに対する好感度が上がっていたので、あながち意味がないということでもないのだろう。とにもかくにも、書かれていることをまとめると、「フーダニットゲーム」とは、次のような内容のイベントらしい。

 

 

「フーダニットゲーム」

 

 ルール:フーダニットゲームは文字通りの犯人当てゲームです。具体的には、ゲーム会場に集まった全十二人のゲーム参加者のうちに参加者のふりをして紛れ込んだ十三人目である主催者を参加者が見破るというものです。参加者はゲーム開催時に配られる専用タブレット端末にて、主催者の正体が解け次第、主催者だと思う人の氏名とその根拠を書き込んでご自由に回答なさってください。出された回答が根拠も含めて正解と判断されたならば、その時点でゲームは終了となります。次いで、正解者には豪華景品が授与されます。ただし誠に勝手な都合ながら、回答権は一人二回までとさせていただきます。参加者の皆様方におかれましては、よく回答を吟味し提出することをお勧めします。

 

 参加者:厳正なる抽選で選ばれた十二名。

 

 開催地:本州日本海に浮かぶ無人島、氷塊島に建つ洋館。梅丹亭(めいたんてい)

 

 主催者:作者。

 

 報奨金:正解者には日本銀行券金十億円を贈呈。

 

 禁則事項:参加者及び主催者以外の開催地立ち入り。参加者同士の殺傷行為。または犯罪行為全般。

 ※以上の禁則を犯した参加者は、確認され次第全タブレット端末に送られる通知と共に、回答権が剥奪されます。

 

 本当にかなり大雑把にだが、「フーダニットゲーム」とは、およそこういったゲームであるということだった。ゲームの趣向を理解した僕は、しかしそれで疑問をすっぱり氷解させるどころか、むしろ謎が増えたような何とも言えない気持ちになった。

 

 ルールはいい。

 

 だがこの賞金の多さは何だろう。こんなちょっとしたミステリーゲーム程度の内容でいくらなんでも賞金十億円は高すぎる。あまりに賞金が豪華すぎてこのゲームの不審度が、ここにきてまたうなぎ上りに上昇してしまっているといっていい。十億って……それはもう宝くじで買える夢よりも下手したら高いくらいのお金じゃないか。どっから湧いて出てきたんだよそんな金。怪しすぎるだろ。

 

 そして不可解な個所はそれだけではない。何よりもおかしな場所。それは主催者欄に書かれているこのゲームの犯人役。そこにある「作者」の二文字だ。

 こいつは一体どういうことだ? さっきも思ったが、作者という名前の人なのか? いや、それはさすがにないだろう。だとしたらつまりこれは、このイベントが推理小説に見立てて行われているという解釈をするべきなのだろうか? そんな考えがまず第一に浮かぶ。このゲームの内容を推理小説だと見立てた時、主催者こそが作者であるという見立てになるのか? それとも、そんな穿ったような見立てではなく単純にこのゲームの主催者が推理小説作家だということだろうか。いずれにせよ、数限りないこのゲームに関する謎において、この謎は最も気になることの1つであると言ってよかった。何の説明も記されていないこの些細な謎が、少なくとも僕の子どものような好奇心を刺激したのは確かだった。そして僕は、ついに決心してしまう。

 

 この日、僕がパンフレットに書かれてあるアドレスにメールを送ることはなかった。むやみに迷惑メールに返信して詐欺にあうことを警戒したわけではなく、単純に、参加取り消しのメールを送る理由がなくなってしまったから。以上に記した事柄が、僕のフーダニットゲーム参加に至るまでのあらすじだった。

 

 が、しかし、回想はまだ終わらない。

 

 

 3.

 自室の壁に貼ってあった日めくりカレンダーのページがフーダニットゲームへの参加を決めたその日から一週間ちょっと進み、フーダニットゲームの当日を迎えた。僕はゲーム参加者の集合場所であると参加書類に記されていた日本海に面する某県某市の、とある海浜公園に来ていた。

 

 昼間というにはまだ早く、夏どころか冬である今の時期は人がまばらにしかおらず、脇にちらっと見えたプール施設(すぐそこに海があるのに何で淡水プール施設があるのか少し疑問に思ったが、まあ余計なお世話だろう)も当然閉まっている。これと言って目印になるオブジェもなく、待ち合わせ場所に指定するには範囲が広すぎる気もしたが、ただまあ人の少なさと広さを思えば、複数人の待ち合わせには便利だろうと、僕は最終的にそう結論した。

 

 ただここで僕は一つ勘違いをしていた。僕はてっきりこの公園に参加者全員が集まって、それから案内係のような人が全員を開催地まで連れていくのだろうと思っていたのだが(集合場所と書くからにはみんな集まるんだろうと思っていた)、そんなことはなく、しばらく公園の駐車場でぼんやりと暇つぶし用に持ってきた科学雑誌を読んでいた僕の目の前に突然黒塗りの乗用車がやってきて(窓ガラスまで黒い、中が見えないタイプのやつだ)、「蟹目釘研究所製作」という小さなロゴが貼ってある後部ドアが開き、機械音声が流れてきた。

 

『何木幻様。どうぞお乗りください、開催地の氷塊島までお連れします』

 

 機械音声っていうか、ネットで人気の有名ボーカロイドの声じゃないかこれ? とか、そんな些細なものから始まり、とにかく違和感だらけの怪しい自動車で、結構真面目にここからUターンして帰ろうかなとも思ったが、わざわざ新幹線に乗ってこんな地方都市くんだりまで来ておいてただ帰るというのももったいないと思い直し、勇気を振り絞って僕は自動車の後部座席に腰を落ち着けた。すると自動車はドアをぱたんと閉じて何の前触れもなく発車する。気分的には誘拐されるのと大差ないのでちょっと泣きそうになった。

 

 自動車の中はライトがついていてそれなりに明るかったが、後部座席からは前の運転席が見えない仕様になっていて運転手が確認できなかったし、その上中から外の景色を見ることもさっぱりできない仕様になっていた。外から中が見えないだけでなく、中からも外が見えないようになっているとははたして窓の材質がガラスの意味があるのかとどうでもいいことも思ったが、同時にこんな不気味な乗り物を用意されて、いよいよそれらしくなってきたという不思議な高揚感も芽生えていた。そんな無駄にミステリーを詰め込んだ自動車は僕を乗せたまま特に事故を起こすこともなく順調に進んでいった(たぶん)。途中何度か信号待ちのような停車時間はあったが、逆に言えば異変のようなものはそれだけで、つまりは何の問題もなく、車は開催地の氷塊島とやらに進んでいるようであった。

 

 しばらく車に揺られていると、またぞろ初音ミクの音声が社内に流れる。

 

『この送迎車は、今から二時間程で、目的地の氷塊島に到着します』

 

 …………長っ! 

 

 待ち合わせ場所に来るのに乗ってきた新幹線よりも長い送迎時間に辟易としながらも、まあ島とか言っているくらいだから、途中で船に乗ったりとかもして時間がかかるんだろうと自分を納得させ、僕はおとなしく持ってきた科学雑誌を読んでいることにした。不気味の谷特集とかいう謎企画は面白かったが、内容が少し薄かったのか科学雑誌は最初の五十分くらいで隅から隅まで読み終えてしまった。仕方なく僕は旅行カバンの中から同じく持ってきた推理小説を読むことに。ただ本を読むペースがそんなに早いわけでもない僕は、あまり厚くはない文庫本であるそれを読み終えるギリギリのところで車が目的地についてしまい、事件の真相部分が読めないままに本を閉じることになってしまった。本日何度目かの倦怠感を味わいつつ、僕は車から下車する準備を行う。

 

 目的地に着いて(ボーカロイドの)アナウンスに従い車から降りた僕は、あたりを見回して、一体何度目になるのかまたもや疑問を覚えた。氷塊島というところは、なるほど氷塊などという名前が付けられるだけのことはあって、日本海側とはいえ本州の島にこんな所があっていいのか? と思うくらい見事に吹雪いていた。見渡す限り一面に雪が地面を真っ白に染め上げていて、足が膝まで沈んでしまうくらい雪が積もっている。後ろを振り向けば寒々しい灰色の海に、ちらほらと流氷のようなものまで確認できてしまう始末だ。一瞬ロシアにでも来てしまったんじゃないかと思ったくらいで、それ自体には特にそれ以上思うところもないのだが(パンフレットに防寒具と防寒長靴必須と書いてあった理由をまざまざと実感したくらいなものだ。ちなみに本格的な防寒具には車内で着替えた)、自動車の停まっているそこは、果たして梅丹亭とかいうらしいパンフレットの表紙に写真が貼ってあった全体的に薄赤い色をしたいかにもな洋館の前ではなかったのだ。いや、それだけなら別にそこまで長くは悩まない。まだ納得できる。ボーカロイドは車の目的地をあくまで氷塊島だと言っていたから、氷塊島についた時点で梅丹亭までは行くこともなく、船を降りた時点で車が止まったんだろうくらいには推測が立つのだが、しかし後ろを振り返ってみればその船がない。目線の先に広がる今にも凍り付きそうな冬の海は、ただただ広がるばかりでそこには氷以外に何もなく、ここまで車を運んできたはずの船は影も形も見当たらない。そんなはずはないと思って見ていると、自動車の開きっぱなしだった後部ドアがまたひとりでにぱたんと閉まって、僕一人をぽつんと残したまま発進して、おそらくは来た道を戻っていったのだった。()()()()()()()()()

 

 ……なんだあれ。いや、確かに思い返してみれば車が船に乗ったような気配なんて乗ってる最中一度も感じなかったけど。なんなんだあの車。自動車が船も兼ねる必要がどこにある。もしかして自動車の後部ドアにあった蟹目釘研究所制作のロゴはそういう意味なのか? 私が自動車に船の機能も付けましたよっていう印なのか? どうしてそんな無駄にハイテクなんだあの車……。なんか意味があるのか? 川を渡るくらいの車なら聞いたことがあるけど海を走る車なんて聞いたことがねーぞ……。それとも何か? パンフレットに書いてあった「参加者と主催者以外の島への立ち入り禁止」ルールを追求したらこうなりましたってか? 冗談じゃねーぞ。僕はそんな最新技術の無駄遣いに呆れ果ててものも言えず、ただ茫然と水平線の彼方に消えていく自動車を見送るしかなかったのだった。こうなるとあの車に、果たして運転手が乗っていたのかどうかも怪しくなってくる。

 

「……行くか……」

 

 しばらく茫然としたのち、僕はそう独り言ちると、氷塊島を歩き始めた。置いてけぼりを食らった僕の目の前には、雪のせいでよく見えないが確かに一本道が細く長く続いていて、道の始まりの脇に、「この先梅丹亭」という、これもまた雪のせいでよく見えなくなっている看板が立てられていた。僕はとりあえずその看板に従って雪の一本道を進むことにして、ザックザックと雪を踏みしめ歩き始める。

 

 歩き始めて20歩。僕は気付く。ここまで積もった雪の上を歩くのははっきり言ってかなり辛い。特に人生で雪というものにあまり触れあってこなかった僕は雪中行軍というものを舐めていた。まさか膝まで沈むほど積もった雪がここまで人間の体力を奪うとは想像すらしていなかった。持ってきたキャリーケースの車輪もこの雪では全く役に立たずただ引きずっているだけだし、おまけに吹雪のせいで目の前もよく見えやしない。さらに悪いことに、一応スキーにでも行くような重装備で来ているにも拘らずこの島はそれでも凍えるように寒かった。特にスノーゴーグルを持ってきていなかったのが痛い。いやマジで顔が痛い。凍傷になるんじゃないかと思うくらいだ。せめてもの救いといえば、この氷塊島がスキー場のような坂状になっていなかったことと、おそらく僕の前にこの道を通ったのであろう、三人分くらいの足跡がすでについていたことだろう。足跡があるところを進めば、少しは雪中行軍を楽に進められる。これで行先に足跡がなくて道が上り坂にでもなっていようものなら、僕は500メートルも進まない内に力尽き倒れていたことだろう。山というわけでもないのにピッケルと安全靴がほしい。僕は読書付きのインドア派だから、そんなに体力があるわけではないのだ。運動なんかしやしない。ああ。あったかい我が家に帰りたい。でももう帰れない……。

 

 何十分と歩いただろうか。意識が朦朧としてくるくらい長い時間を歩いていたその時。よく見えない視界に人影が過ったような気がした。ああ、とうとう幻覚が見え始めたか。そういやなんで僕はこんなところを歩いているんだっけ? などと思いながらも足だけは止めずに歩いていると、どうやらその人影が幻覚ではなさそうだということに気が付いた。参加者と主催者以外誰も立ち入れないというこの島で人影を見かけるということは、少なくともその人影は主催者か参加者のいずれかのものであるはずだ。僕は前の人影を呼び止めようとするが、しばらくあまり声を出していなかったせいか、うまく声を出せず、ぼうぼうと吹く吹雪に呼び止める声がかき消されてしまう。仕方がないので僕は歩く足を速め、前の人影に追いつこうと試みた。

 

 足を速めたとはいってもこの雪の中。そう簡単には追いつけないだろうと思ったのだが、しかしこれが意外とすんなり追いつくことができた。どうやら前を歩いていた人は、疲れ果ててしまっていたのかほとんど止まっているのと大差ないスピードで歩いていたようである。よく見ればかなり大きなリュックサックを背負った肩が上下するほどのかなり荒い息をしている。真後ろから見ても厚い防寒着のせいで体格から男女を察することはできないが、ただまあ、薄いピンクを基調とした水玉模様の上着を羽織っているんだからおそらく女性なんだろうと思いながら僕は後ろから声をかける。

 

「あの……すいません」

 

「うわっ! びっくりしたぁ! ……ああなんだ、君だったのか」

 

 僕に声をかけられ振り向いた、やっぱり女性……というより女の子だった彼女は(顔立ちと大体の身長から言って中学生くらいだろうか)僕に目線をやるとそう言って、肩で息をしながらも何故か安心したような笑みを浮かべた。

 

「えっと、あれ? 僕っていつかあなたに会ったことってありましたっけ?」

 

 と、見覚えのないおそらく初めて出会った人であろう彼女のそんな反応から疑問を覚えて質問する僕に彼女は、

 

「いんや? 会ったことはないね。初めましてだね。突然後ろから声をかけられて振り向いたら見知らぬ君が立っていたから、私はああなんだ、君だったのかと言っただけだよ」

 

 と、へらへら笑いながら答えるのだった。

 

 ……なんだか変な人に出会っちゃったな。話しかけないほうがよかったかな……。なんて、早くも人付き合いに対して軽い後悔をし始めた僕だったが、後悔先に以下略。話しかけてしまったものはしょうがない。紳士のマナーとして、ここは残りの雪道を彼女と一緒に行ってあげるしかないだろう。そう思って僕は、彼女にまた話しかける。

 

「あなたも、フーダニットゲームの参加者の方ですか?」

 

「ん? まあね。ここにこうして地獄の雪中行軍にいそしんで梅丹亭とやらに向かっているからには全員がおそらく参加者だと答えるんじゃないかな?」

 

 女の子は、そう言ってにやにやといやらしい笑みを浮かべる。ずいぶんと遠回しな言い方だったが、その言に従うのなら、やっぱり彼女は参加者ということでいいのだろう。確かに彼女の言う通りで、たとえ主催者であったとしてもゲームの性質上、やっぱり聞かれたら参加者だと答えるであろうから、確定はできないのだけど……。

 

「うーん、まあ認識はそれで充分なんだけど、とりあえず私のことを女の子と呼ぶのはやめてもらってもいいかなあ。年齢的そこまで大差ないであろう君にそんな風に呼ばれる筋合いはないよ」

 

「へ? ……え、あ。はい……」

 

 あれ? おかしいな。僕は確かにこの子のことを女の子とも呼称したけれど、それはあくまで心の中でのことであって、僕はまだ彼女に向かって口に出して女の子だなんて言ってなかったと思うんだけれど……。

 

「ええ、分かりました。以後気を付けます。……ああ、そうそう。僕の名前は何木幻と言います。あなたのお名前をうかがっても?」

 

 僕が礼儀作法にのっとって、まず先に自己紹介をしてから彼女に名前を聞くと、彼女は、

 

「私は花茨生麻だよ」と、自分の名前を僕に教えてくれた。

 

「なるほど。花茨生麻さん」

 

 僕は確認するように彼女の名前を復唱する。花茨さんは「うん。そう」とうなずくと、

 

「ちなみに年齢は四十五歳なのだ」

 

「嘘だろ!?」

 

 いきなりとんでもない事をぬかしやがった。え? マジで? どう見ても中学生くらいにしか見えないこの人が四十五歳だって? もしそうだとしたらこの人美魔女なんてものじゃない。不老の体を手に入れていると言わざるを得ないぞ。まさか……今まで風のうわさでしか聞いたことがなかったが、よもやこの人が伝説の合法ロリとかいうやつなのか? 僕がそんな(アホな)ことを思っていると、花茨さんはそのまま流れるような口調で

 

「ちなみに嘘だよ」

 

「嘘なのかよ!」

 

「本当は八十二歳」

 

「上方修正しやがっただと!?」

 

「一応言っておくけどこれも嘘だよ」

 

「そうじゃなかったらこっちが困るわ!」

 

「私の名前は黒揚羽明美というんだよ。実は」

 

「そこから!?」

 

「もちろん全部冗談だよ」

 

「どこから!?」

 

 と、のべつまくなしにボケまくった。

 

 な……なんなんだこの人は……。普通こんな吹雪の中、それもつい今しがた自己紹介しあったばかりの初対面極まる僕に向かってここまでボケるか? ここまでのボケラッシュ、親しき中にも礼儀ありレベルの行いだろう。つまりは親しい人相手にさえ普通はやらないというたとえだが……。まあそのボケに対していちいち律儀に突っ込みを入れている僕もたいがいだとは思うけれど、しかしそれにしたってこれは酷い。それこそ相手が僕でもなければまず間違いなくドン引かれてしまっていたに違いない。ていうか僕だって若干引いている。

 

 果たしてこんなエキセントリックな言動の人に友達はいるのだろうかなんて、一瞬全然関係のない余計なお世話もいいところの心配までしてしまうくらい、僕は彼女から引いていた。若干などといったが、つまりこれはドン引きしているということだ。

 

「ほほう、私の読みが正しければ何木君とやら。どうやら君は今失礼なことを考えているようだね? この初対面の美少女に対して」

 

「人の心を勝手に読まないでください花茨さん」

 

 あと花茨さん。まことに失礼で申し訳ないが、あなたの顔は見た感じ美少女とまで言うほどの顔じゃない。あくまで平均ちょい上程度だ。

 

「『あと花茨さん。まことに失礼で申し訳ないが、あなたの顔は見た感じ美少女とまで言うほどの顔じゃない。あくまで平均ちょい上程度だ』──ふーん。まあ確かに、私の顔は世間一般ではその程度かもしれないね。それを認めるのには吝かではない心の広い私ではあるつもりだ」

 

「一字一句違わず僕の心を読んで見せただと!?」

 

 読心術ってレベルじゃねぇぞそれ! 大丈夫か!? 超能力者とかミステリで出しちゃダメだろ!? 確かノックスの十戒とかそんな感じの決まりごとがあって──。

 

「しかしだね何木君」

 

 花茨さんは僕のメタい心の叫びには一向に構わずに続ける。

 

「君はそんなことを言うけれどね、私が住んでいた世界では、私ほどの逸材はこの世にいないと言われるくらい皆からもてはやされていたんだよ? はっきり言っちゃえばモテモテだよ? 魔王からさえプロポーズを受けたんだから」

 

「あんたはどこの世界の住人なんだ!?」

 

「嘘吐き村の住人」

 

「どうしようすげえ納得した‼」

 

 道理で次から次へと呼吸するように嘘が出てくるわけだよ! 嘘吐き村の住人というのならば花茨さんは確かにすごい逸材だよ! 

 

「ちなみに今のも全部嘘だから」

 

「分かってるけどそれすごく混乱するからやめてくれませんかねえ!」

 

 花茨さんが何者なのかますます謎めいてきちゃったじゃん! 嘘吐き村の住人でなくともこの人絶対正直村の住人じゃあないんだから! 

 

「つまり私は虚実入り混じる現実世界の住人というわけだ」

 

「わーみとめたくないなー」

 

 花茨さんを現実世界の住人と呼ぶにはかなりの抵抗が生じている僕である。現実の世界にこんなやついるわけねーよ。目の前にいるんだけどさ……。とにかく、出会ってまだほんのわずかのこの僕がそう思わされているのだから尋常では少なくとも、ない。

 

「なるほどつまり王蟲がある世界だと」

 

「花茨さんは風の谷の住人でしたか……」

 

 王蟲じゃなくてΩ(オーム)ね……。しかもそれ抵抗は抵抗でも電気の世界に限った話だし……。

 

 ……今僕たちはどこの世界で何の世界の話をしてたんだっけ……。訳分かんなくなってきた。

 

 くそっこのままじゃ駄目だ! 本気でマズい! 

 

 ここらでスイッチを切り替えないと本題に戻れなくなる! 

 

「えーっと……花茨さん」

 

「黒揚羽じゃなく?」

 

「ぶっ殺すぞ」

 

「こわっ!」

 

 いきなりの乱暴口調で僕は場の空気を乱す。花茨さんは僕の予想をはるかに超えて怯えてくれたようで、僕の顔をじっと見つめながら吹雪の寒さとは関係なくガタガタ震えている。

 

 うーん、そこまで声にどすを利かせたつもりはなかったんだけど、そんなに怖かったのだろうか。

 

「声じゃないよ声じゃ……。般若だ。……般若が出たよ」

 

「はんにゃ?」

 

 なんだろう。よく分からない。しかしどうやら花茨さんは僕の意図していた所とは全く別の所で怯んでしまってようだ。なんだか申し訳ない。

 

「はにゃー。何木君は怒ると地味に怖いタイプの人だったんだねー。くわばらくわばら」

 

 もう嘘はこりごりだよ~。と、花茨さんは何ともわざとらしいちっとも懲りていないような口調でつぶやくと、大きく両手を上に伸ばした。

 

「ん~……、まぁ。十分ボケれたし、疲れも大分取れたから、とりあえずはこれでいいかな」

 

「あなた、ボケると疲れが取れるんですか?」

 

「うん」

 

 取れるらしい。

 

 ボケられる身としては迷惑もいいところだ。

 

「まあまあ、冗談はともかくさ。私の名前は花茨生麻で固定してくれていいよ! 年齢は十四歳! 花の女子中学生というわけだねっ!」

 

「はあ。なるほど」

 

 まあ予想通りだ。

 

 意外性はこれっぽっちも無いと言っていい。

 

 性格以外は。

 

「あ~~っ! 何木君そうやってまた失礼なことを考える~!」

 

「心の中で何を思ったところでそれは個人の自由というやつでしょうよ。そして花茨さん。人の心を読まないでください」

 

 一体どんな修業を積めばそんなに正確な読心術ができるようになるというのか。よければ教えてほしい。……それとも僕が表情に出やすいタイプなだけなのだろうか。いやいや、どちらにせよ花茨さんの読心術は少々現実離れしすぎている。

 

「そうだねー。もしも私のこれが読心術だったのなら、確かに現実離れしてると言えるよね。それは私も同感だよー」

 

「は? どういう意味ですかそれ?」

 

「なんでもないよ。ただの伏線だよ」

 

 え? ただの伏線だったらそれは全然なんでもなくないじゃないか。ミステリー小説で伏線って言ったらそれはもうこれ以上ないくらい重要な要素と言っていいぞ。

 

「……ていうか花茨さん……。伏線を伏線だって教えたら意味がないと思うんですが……」

 

「うーん……。私、難しいことはよくわからないの……」

 

「可愛い子ぶらないでください……。いやさ、カマトトぶらないでください花茨さん。絶対にあなた確信犯でしょう」

 

「じゃあ冗談で」

 

「じゃあ!?」

 

 じゃあって何だ!?何に対する何の「じゃあ」だ!?もしかしてこの人「じゃあ」を、どんなことを言っても取り返しがつく魔法の言葉かなんかだとでも思っているのか!?というか、この人ついさっきもう嘘はこりごりだよとか言ってたよな!?「じゃあ冗談」だったらさっそく嘘吐いてるってことじゃねえか! 最初から思ってたけどやっぱりあらためて全然懲りてねえなこの人! なんかもう存在自体が冗談みたいに見えてきたよ……。

 

「まあまあ、安心しなよ。伏線云々は本当に冗談だったってことにしてあげるからさ」

 

「どこから目線の物言い!?」

 

 僕思うんだけど、もうこの人が作者ってことでいいんじゃないだろうか。この人の言動はもう参加者とか登場人物って枠組みを超越しているとしか思えない。この世界が漫画や小説の世界だなんて世迷言は言いたくないけど、もしかしたら本当にそうなんじゃないかと思ってしまうくらい花茨さんの言動はファンタジーだ。確か回答方法は専用タブレット端末による入力・送信だったよな……。もう梅丹亭とかたどり着かなくてもいいからここに持って来てくんないかな、それ。根拠はどうしよう……。メタ発言の連発って根拠になるのかなあ……。

 

「うんよし。何木君。これくらいでもう私たちのお互いのことは大体把握できたんじゃないかな! そろそろ梅丹亭に向けての雪中行軍を再開しよう!」

 

「そうでしょうか……。あなたはともかく僕はあなたのことを何一つわからないままだと思うのですが……」

 

 大体僕の方も、彼女に対して名前くらいの情報しか与えていないというのに何が分かったというのだろうか。まあ、それだけ自在に人の心が読めるのなら他人からの自己紹介なんて要らないのかもしれないけどさ。僕はジト目で花茨さんを睨みつつも、この吹雪の中いつまでも立ち止まっているのも確かに不毛だと思い、花茨さんの後に続いて雪道を歩き始める。僕は雪道のマナーをよく知らないが、何も喋らず黙々と歩き続けるよりはいくらか気がまぎれるだろうと思い、花茨さんに話しかけた。

 

「そういえば花茨さんは、どうしてこの「フーダニットゲーム」とかいうのに参加しようと思ったんですか?」

 

「んー? ……まあなんとなくじゃない?」

 

 花茨さんは前を向いたまま答えた。

 

「なんかメールが来てー。見覚えのないメールだったからスパムかなーなんて思いながら見てみてー。思ったよりもだいぶ怪しい内容にびっくり仰天してー。なんかよく見たら楽しそうだったからー。参加ーみたいな。……ああ、でも強いて理由を挙げるとすればー」

 

「……挙げるとすれば?」

 

「十億円かな」

 

「………………」

 

 ……うん。

 

 まあまあ。若干言い方がアレなんで思わず突っ込みそうになったけど、このゲームの参加理由としては、花茨さんのそれは至極まっとうなものだといえるだろう。少なくとも本当になんとなくで参加を決めた僕なんかよりは、ずっとまともだ。ちゃんと自己利益に基づいて行動している。花茨さんにしてはずいぶん拍子抜けな参加動機だとさえいえるだろう。やっぱり、僕は出会ってからまだ数分しかたっていない花茨さんのことをよく知らないというだけのことなのだろうけれど。そう、だから結局、花茨さんが出した答えはおそらく参加動機としては最も一般的なそれだろうと思われた。

 

「ふーん、それで、何木君の参加動機は、やっぱりなんとなくだったわけだ」

 

「僕が言う前に納得しないでください花茨さん……。まあその通りですけど……」

 

 なんとなくっていうか……だから本当に、考えなしだったんだ。ちょっと興味をひかれた。……だからなんとなく手を伸ばしたっていう……。だからつまり花茨さんは、おちゃらけた態度をとってはいても、僕なんかよりずっとしっかりとした……──

 

「それ」

 

「はい?」

 

 え? どれ? 

「ちょっと興味をひかれた。だから手を伸ばしたってそれ。私と同じだよ」

 

 花茨さんは言った。

 

「まあ興味をひかれた対象ってのは、確かに違うかもしれないけれどさ。私の場合は十億円で、君の場合は何だろう。ミステリに興味をひかれたから? ゲーム内容が楽しそうだったから? まあ何でもいいけどさ。要するに、私と君との参加動機に、さしたる差なんかないんだよ。だから君が私と自分を比較することで、自分を卑下にする理由なんかない。……んじゃないかな」

 

 え、……何だろう。どういうことだろう。

 

 もしかして花茨さん、今僕のことを慰めてくれたのだろうか。相変わらずあんた僕のことをどこまで見透かしてるんだってくらいに心を読んでくるのはあれだけど、それはともかく僕は花茨さんの言葉に思わずじんと来てしまった。あまりにもいきなりで不覚を取ったのかもしれない。

 

 なんだ。この人すげーいい人じゃん。

 

 素直にそう思う。

 

「てゆーか、ぶっちゃけすぐ後ろでぶつぶつ自己否定してるやつがいるって気分悪いからさ。そういうの、私の前では止めてもらっていいかな」

 

 前言撤回。どうやら僕は恐ろしく自己中心的な理由で慰められていたようだった。

 

 なんだよ! 結局そんな感じかよ! 僕の感動を返せよ! 

 

「てゆーか、僕の心の中勝手に読んで気分悪くなってんのはそっちじゃないですか! ぶつぶつなんて自己否定を呟いていた記憶なんか僕にはありませんよ!?僕の心を読まなけりゃ済む話じゃないですか!」

 

 僕は叫んだ。この人の前には内心の自由ってもんがないのかと、半ば八つ当たり気味に抗議する。すると花茨さんは、歩いている足をいったん止め、後ろを振り返って僕につまらなそうな目を向けると言った。

 

「別に君の内心の自由をどうこう言うつもりなんて私はないよ。それに私は君の心がすべて読めるってわけでもないしね。ていうか、心なんて読んでるつもりは、私にはないし。でもさ何木君。じゃあ君があのまま心の中で自己否定を続けてたとしてさ、それに何の生産的な意味があるわけ? それで気分が晴れるの? マゾなの?」

 

 それとも君さ──

 

「自殺でもするつもりなの?」

 

「────────っ!」

 

 自殺するつもり? そんなつもりなんてないに決まっている。いくらなんでも突拍子が無さすぎるし、それ以前に僕は自分がマゾだなんて自覚すらない。僕はただ──そこまで考えて僕は絶句した。

 

 あれ? 

 

 僕は何でここまで執拗に自分を自己卑下しているんだっけ? 

 

 思い出せない。

 

 自傷癖というものは、誰にでも生じうる癖だとは思う。精神的肉体的問わず、自分を傷つけることで、自分を慰める。嫌なことがあったときや、うつ症状の一つとして、そういった癖や習慣は割とよく、誰にでも起こる。────だけどどうだろう、この状況。

 

 なんとなく参加したくなったゲームに参加して、だから自分を責める? 

 

 どうして? 

 

 どこに責めるいわれがある? どこに責められるいわれがある? 

 

 僕が何をした? 他人に迷惑をかけられたわけでもない。まだ具体的に何か参加したこのゲームによって僕が被害を被ったわけでもない。どうして僕は意味もなく自分を責めたてる? なんで? なんで? なんで? どうして? 

 

 ──────────思い出せない。

 

 わからない。だけどどうしてだろうか。よく思い出せないけれど。あれ? この時の僕は、何かもっと別のところで、何か全く別の疑問を抱いていたんじゃなかったか? なんで僕が自分を卑下にしているのだろうかと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。記憶がうまく噛み合わない。僕はいったいこの時、何がわからなかったんだっけ? 

 

 それこそ直近の出来事、──回想であるはずなのに僕はその時の自分の思考が思い出せない。僕がこの時何を思っていたのか、僕がこの時何に違和感を覚えていたのか、よく思い出せない。

 

 わからない。

 

 が、なぜ僕がこの時考えた思考を忘れてしまっているのか、その理由は、僕にとっては明らかだ。この直後僕に襲った、とんでもない衝撃。とんでもない事件。その時のショックで、僕はその直前の記憶が曖昧になっているのに違いないのだ。

 

「まあ、そんなわけでさ」

 

 事は、花茨さんのそんな一言から始まる。

 

「優しい優しい花茨さんは、そんな君の自己批判行為を──自傷行為を正当化するお手伝いをしてあげようと思うんだ」

 

「は、………………はあ?」

 

 僕は突然手のひらを返したかのようなことを言う花茨さんに曖昧な返事をせざるを得ない。いきなり何を言い出したんだろうこの人は。

 

「君が今回このゲームに参加してしまったということを後悔し、自己卑下するのには、まだそれに足るだけの材料が足りない。具体的には、こんなゲーム参加するんじゃなかったー! と思ってしまうような事件がまだ起きていない。車とか雪中行軍とかおかしなことは起きているけど、それもまだ決定打にはまだ足りていない。だから私が君に、その決定打を今からプレゼントしてあげよう。そうすれば君が心の中でぶつぶつ根暗なことを呟いていても、まあ仕方ないかなって私も納得できるしねー」

 

「はあ、……できればそんなプレゼントは全力でで遠慮申し上げたいところなのですが……」

 

「もう遅い❤」

 

 にやり……。と、わざとしいくらい口を三日月形に開け、何故か青白い顔に冷や汗をかいた引きつった笑みを浮かべた花茨さんはそう言うと、雪道を横にずれて僕に道を開ける。────視界を開ける。

 

 そして開いた僕の視界に飛び込んできた──今の今まで花茨さんの陰になってよく見えていなかったであろう()()を見て、僕は納得した。

 

 ああ、なるほどな、僕の心の中の悩みとか、自己否定とか、そんなもの、花茨さんにとっては本当はどうでもよかったんだ。花茨さんが僕を意味もなく罵倒して、そのあとすぐに手のひらを返したのは、全部、このための伏線だったんだな。──と、僕は納得した。

 

 ああそうだ。こんなものを見てしまったら確かに、僕はこのゲームに参加してしまったことを後悔するしかないだろう。確かにこんなものを見るくらいだったら僕はあの日、あんな安いメールに踊らされるんじゃなかったと、なんでこんなところまで貴重な休日を潰してまで来てしまったんだと自問するしかないだろう。こんな状況に陥って、自分自身を自己否定しない奴がいるんだったら、それはもう人間じゃないとまで言える。だから僕は大いに花茨さんの言葉に納得した。──そうか、花茨さんの言った「自殺」なんていういくらなんでも物騒すぎるキーワードも、ここからの連想に違いない。──僕は()()の第一発見者となってしまった花茨さんに深く同情しつつ、このゲームに参加したことを、今全力で後悔した。それもそのはず。聞けば誰でも納得する。見れば誰でも、こんなふうになる。

 

 ──吹雪の雪道の真ん中に、僕たちの目の前にあった『それ』は、物言わぬ体となった金髪メイドの姿だった。

 

 ──事件の被害者というものは、本人だけでなく、周囲にもその不幸を伝染させる。

 

 ──ほら、こんな後悔(ふう)に。…………ね? 

 

 さあ。これで回想は終わりだ。舞台は現在からその先へ。今から先を、僕は回想することができない。

 

 

 

 4.

 

「そういえば僕って、昔から気になっていたことがあったんですよ」

 

「ん? なに? 私のこと?」

 

 違う。……という言葉を、僕はあえて飲み込んで、花茨さんを無視する形で続ける。

 

「僕は昔っから推理小説が好きだったんですけど、そういう小説を読んでいくうちに、たいていの場合は、「被害者はかわいそう」、「犯人は悪」、「探偵は正義」。みたいなのがイメージとして定着してくると思うんですけど。最近の場合はその限りでもなくって、こう、犯人にやむに已まれぬ動機があったとか、被害者が極悪人とか、探偵が犯人とかいろいろあって、まあ善悪の二元論では語り切れない色々なバリエーションに富んでるってことなんですけど。でも、メタ的な視点で見れば、そんな悪人に仕立て上げられてまで殺される被害者はやっぱりかわいそうだってことになって。全体的にミステリー小説で一番かわいそうなのは被害者だってことで、一般的な意見は大体一致しているように思われますよね?」

 

「いや、そんなことは知らないけれど」

 

「思われるんですよ。僕には」

 

 駄目だやっぱりこの人全然聞き上手じゃねえ。話が進みにくいことこの上ない。

 

 僕は話を続ける。

 

「でもそんな意見が多勢を占める中、僕は疑問に思ったんです。「本当にそうなのかな」って」

 

「ふうん。私は全然思わないけれど」

 

 …………。

 

「思ったんですよ。僕は」

 

「へえ」

 

 ……………………………………………………………………。

 

「それで僕は同時に思ったわけですよ。犯人とか、探偵とか、目撃者とか、あるいは他の誰かとか、被害者よりもかわいそうな、……言ってしまえば不幸な人間が、被害者以外にだって推理小説にはいっぱいいるんじゃないかって」

 

「ふうん? 死ぬよりも不幸なことって、……何?」

 

「それはだから、…………生きることでしょう?」

 

 僕は言って、

 

 僕は言った。

 

「絶望の中を、生きることです」

 

 だから人間には、幸福を追求する義務があるんですよ。

 

 人生には希望が必要なんです。

 

 人間は絶望的な状況に身を置く限り、死人よりも不幸ですから。

 

 ──要するに、死にたくなっちゃうでしょう? 

 

 そう言って、

 

 そう言って僕は、

 

「現実逃避を終えた……かな?」

 

「はい。その通りです。付き合ってくれてありがとうございました」

 

 花茨さん。と、僕はいよいよまだ思ってもいないことまで見透かしてきた謎の多い彼女。花茨生麻にお礼を言って、現実に向き直る。

 

「君の言うところの、「絶望的な状況」とやらに身を置く覚悟はできたってわけ?」

 

「はい。もちろん。そして幸福を追求します」

 

 僕はせいぜい格好つけて、目の前を見る。──前を見据える。

 

 そこにあったのは、金髪の女性の死体だった。

 

 脈がないのは確認済み。

 

 全身の死後硬直らしきものも確認済み────だ。

 

 絶望的な状況──である。

 

 特に僕なんかは、人生において一度も人の死体というものを見たことがなかったから、(せいぜい写真でミイラを見たことがあるくらいだ)その衝撃はひとしおだった。思わず直前の記憶が少々あやふやになってしまったくらいに、しっちゃかめっちゃかに混乱した。だから僕は一度心を落ち着けて現実逃避を試みたのだ。ちゃんと現実には戻るからと、花茨さんに言って、──逃げた。

 

 それにわざわざ付き合ってくれた花茨さんはやっぱり優しい人なんじゃないかと僕は思ったけれど、それはともかく僕は現実逃避を無事に終え、今、現実に向き合っている。

 

「現実に向き合っているっていうけど、向き合ったからってどーすんのって話だけどねえ?」

 

 花茨さんはそう言って、ポケットからスマートフォンを取り出してロックを解除する。

 

「……ああ。やっぱり圏外だねえ。まあこんな雪しかないような島に基地局があるとも思っちゃいなかったけどさ」

 

 何をするのかと思っていたら、どうやら彼女は携帯の電波状況を確認していたらしい。まあ当然か。こんな状況になってまず何をするかって言ったら警察か救急車を呼ぶことだろうから。……この場合はどっちかっていうとレスキュー隊を呼ぶことになるだろうけれど……。しかし何を呼ぶにしたって、携帯の電波がそもそも繋がらなければ話にならない。

 

「当然……っちゃあ当然かなあ……。「吹雪」に「孤島」とくりゃあ、ミステリーじゃあ圏外の代名詞みたいなものだから」

 

「……花茨さんは、この死体をゲームのイベントの一環だと思っているんですか?」

 

 僕は恐る恐る訊く。だが、花茨さんはここでは首を横に振った。

 

「まさか。まだ始まってもいないゲームのイベントで人が一人死んでいるなんてことは、さすがにないでしょう。パンフレットを見る限り、こういう類のイベントって、参加者が全員そろってから始めるものでしょう?」

 

「まあ、そうですかね。……まだここは厳密には開催場所ではありませんし、回答に必要だっていう、専用タブレットも、まだ渡されていませんしね」

 

「それにこの死体さあ。ぶっちゃけどう考えても凍死体じゃん。見たところ外傷なんてないし、事件性なんかないよ」

 

 腰をかがめて死体を見ながらそう言う花茨さんに、僕もうなずきを返す。……ただ、死体が怖くてなかなか近づけずにいる僕は、位置的には花茨さんの後ろにいたので、

 

「そうですね……」

 

 と、肯定を言葉にして意志を伝える。しかし、そんなおっかなびっくりの僕でもひとつだけ、この死体には違和感の生じるところがあった。

 

「……なんでこの……えーと。メイドさん? は、防寒具を着ていないのでしょう……」

 

 金髪女性の死体が身を包んでいるのは、黒のワンピースにフリル付きの白エプロンをかぶせたエプロンドレスに、白いフリルのついたカチューシャといった、言ってしまえば僕たち日本人が一般的に想像するメイド像そのままのファッションだった。茶色の防寒ブーツに黒の防寒脚タイツと、かろうじて雪道仕様に見えなくもない部分こそあるが、それでも吹雪の豪雪地帯を歩くのにこの格好では、それこそ冗談じゃないが凍死したいと言っているようなものだ。それによくよく見れば、この人の手に持っている鞄はどう考えてもハンドバッグサイズで、大きいは大きいが、僕や花茨さんの引きずっているような旅行鞄と比べてあまりにも小さすぎる。おかげで僕たちにはこの人が果たして今回のゲームの関係者かどうなのかも察することができない。

 

「それにもう一つ気になるのは……」

 

 花茨さんは言った。

 

「肌の血色がね……好過ぎるんだよ。凍死体にしては」

 

「え?」

 

 僕は慌てて死体に目を向ける。今まで目を背けていたせいでよく見えていなかった死体の肌は、言われてみれば確かに、ただ寝ているだけだと言われれば納得してしまうくらいに血色が好かった。白いことは白いのだが、死体の青白さというわけではなく、ただ単純に美白といった感じで、長い金髪と合わさって、今も見事に生き生きとした美しさを醸し出している。化粧は薄くではあるが施されていて、外見年齢は二十代前半といったところだろうか。少なくとも、雪がかぶさって全く動かないところを除けば一見して死人には見えない。化粧こそされているがこの程度で死体の青白さが消えるとも思えないし……。というか、……だから僕は、人生で一度も人の死体を見たことがないのだけれども……。

 

「いや、でも。どっかで読んだことはありますよ? 血色の好い死体もないわけじゃないって」

 

 僕がそんなうろ覚えの知識を披露すると。花茨さんは立ち上がって、僕のほうに向きなおると肩をすくめた。

 

「それはあれだよ。青酸ガスや一酸化中毒で死んだ人が、鮮紅色や桜紅色の死斑を生じたときに、血色の好い死体に見えなくもないってだけの話だよ何木君。この場合にそれを適用したら、このメイドさんが誰かに殺された可能性が高くなるけど、そもそもこの肌色はそういった死斑ですらないから。……まあもっと別の原因があるとみるべきだろうね。……少なくとも凍死でこの血色は、ありえない。それも死後硬直が末端まで行き渡っているときたら、尚更ね」

 

「……そ、そうなんですか……」

 

 なんか、すごいな花茨さん。まるで推理小説の名探偵みたいだ。……伊達に金目当てで推理ゲームに参加してるわけじゃないってことだろうか……。何とも場馴れした雰囲気がある。

 

「あっはっはー。そう言ってもらえるのはうれしいけど、場馴れなんて全然してないよ。君と同じで人の死体なんて人生のうちで見る機会なんか全然ないし、こんな変死体ともなれば人生初で、こう見えて私もかなり混乱してるんだ。最初にこれを見つけた時も緊張しまくっちゃって、思わず君に変な振り方をしてしまったしね」

 

 思っただけで言ってない。……と、突っ込むことの無意味さをそろそろ理解している僕は、その言葉も思うだけに留め。ああ、やっぱりあの時の自殺だのなんだののいちゃもんはこれが原因だったのかと、改めて納得した。

 

「あはは、花茨さんって、そう考えると結構かわいいところありますね」

 

「そうなんだよ。私はかわいいんだよ」

 

 そういうところは全く可愛くない。とは、にへら、と微笑みながらそう言った花茨さんを見ていると、まったく思えなかった。

 

「なんだろう。おかしいな。花茨節に慣れ過ぎて感覚がおかしくなってるんだろうか」

 

「君のそういう天然で失礼な言動には、私はまだまったく慣れてないんだけどねー。私とはまた違うタイプの失礼さだ」

 

 さて。と、花茨さんはここでいったん閑話休題を置く。

 

「調べなきゃいけないことがある」

 

 花茨さんはそう言って、死体のほうに向きなおってかがみこむと、ハンドバッグを拾い上げる。調べなきゃいけないことというのは、どうやら死体の持っていたハンドバッグの中身のようだ。

 

「この謎だらけの死体の、身元と身分がわからないことには私たちはどうすることもできないからね。どうすることもっていうか、どうしたらいいか、なんだけど」

 

 防寒のための手袋だったけど、まさかこんなところで役に立つとは、さすがの私も思ってなかったなー。と、花茨さんは鞄を待っていないほうの手をひらひらさせる。まあ確かに、その手袋のおかげで死体の持っていた、言うなれば証拠品の一つともいえるであろうそれに指紋が付くことはないけれど……。

 

 花茨さんは、細かい作業には向いてなさそうなその分厚い手袋に少し苦労しながらも、ハンドバッグを開けて、中をのぞき込む。

 

「ふむふむ、……はあはあ、……ふーんへーえ。……ああ。──────えっと、……もしかしてこれって、そういうこと?」

 

 花茨さんはバッグの中身を検分すると、何かに気づいたように目を見開き、今度はおもむろに死体を触り始めた。

 

「ちょ……ちょっと花茨さん! 何してるんですか!」

 

 僕がさすがに死体に触ってしまうのはどうなのかと見咎めるも、花茨さんはそれを無視して今度は右手の手袋を外し、その手袋を外した右手をエプロンドレスの中に突っ込んだ。

 

「は……花茨さん!?」

 

「な・る・ほ・ど・ね!!」

 

 訳も分からず見守っている僕の前で、花茨さんは何か興奮したように叫ぶと、勢いよく立ち上がった。

 

「さて、何木君。クイズです」

 

「ク……クイズ?」

 

 いきなり何を言い出すんだろうこの人は? 僕が混乱していると、花茨さんは僕に問うた。

 

「何木君にクエスチョン。この事件の、真相とは?」

 

 ただし事件の真相とは、雪道に倒れているメイドさんに関する不自然の正体についてとする。20文字以内で答えよ。と。花茨さんは僕に出題した。国語の授業を受けてるような気分になった。──じゃなくって。

 

 

「クイズって、……死体を目の前に……そんな不謹慎な……」

 

 僕が抗議すると、花茨さんはにやりと微笑んで言った。

 

「ところが不謹慎じゃあないんだよ。今回の場合は、断じて」

 

「???」

 

 どうしよう。本格的に訳が分からない。大体花茨さんは、何に気づいたんだ? 何かハンドバッグの中におかしなことでもあったのだろうか。それこそ事件が根底から覆るような、何かが。それならば花茨さんのこの豹変のしかたにも説明がつく。

 

「も……もしかして、この死体が本当に殺人死体だったとかですか?」

 

 僕が恐る恐る訊くと、花茨さんは、

 

「どうしてそう思う?」

 

 と、僕を試すかのように訊き返す。

 

「いや、そもそもこんな薄い服装で雪道に倒れているなんていう不可思議な状況を説明しようとすると、やっぱりどこか別の場所から誰かが運んできたとするのが一番わかりやすいじゃないですか。……でもそうなると、この死体はただの事故死体とは言えなくなるから……」

 

 僕の推理を花茨さんはにこやかに訊くと、「なるほどね」と呟いてから、

 

「でもね何木君。それは否定できるんだよ」

 

 と、雪道の先を指さした。そこには吹雪のせいでまだ先に何も見ることはできず、ただ一人分の足跡が奥に続いているだけのさびしい雪道があるだけだった。おそらく一人分の足跡は僕達や、このメイドさんよりも前にここを通った参加者のものと思われるが、──しかし。

 

「──そう。足跡は一人分なんだよ。それも、私達とおんなじ方向に続いている一人分だ。そして、後ろを見てごらん。──だいぶ足跡が重なってごちゃごちゃしているけれど、そこの足跡は、何人分だい?」

 

 僕は後ろを振り向いて目を凝らす。花茨さんの言った通りだいぶごちゃごちゃとしていて見づらかったが、それでも何とか数えると、そこにあったのは

 

「……四人分……ですね……全て同じ方向を向いている……」

 

 そうだ。そういえば僕は花茨さんに出会う前に、自分の前にこの道を通ったと思われる足跡が三人分あったのを確認していたのだった。

 

「足跡は全部で四種類。そのうち二つは言うまでもなく何木君と私のもの。残るは二種類あるわけだけど。見てごらん。ここで途切れている足跡と、奥まで続いている足跡で、明らかに違うものがあるよね、それは何かな?」

 

 花茨さんに言われて、僕は残る二種類の足跡を見比べる。そして、すぐに気付いた。

 

「なるほど。足跡に積もっている雪の量……ですね?」

 

「その通り」

 

 二つを見比べて明らかに違うもの──よく見れば靴の形も大きさも違うことがわかるが、そういった情報よりも先に目に飛びこんできた情報。それが、雪の積もっている量だった。      

 

 ここで途絶えているほうの足跡は僕達の足跡よりもほんの少し、三センチくらい積もっているだけなのに対し(僕たちとの時間差は一時間もないくらいだろうか?)、奥まで続いているほうの足跡は、すでにその半分近くが雪で埋まってしまっていたのだ。それだけ積もるにはこの吹雪でも二~三時間はかかるだろう。つまりそれは、一つ目と二つ目の足跡がつけられたのに、それだけの時間差があったことを意味している。

 

「──そう。そしてこれだけの情報から、このメイドさんは誰かから運ばれてここまで来たわけではないことが、確定的に明らかになる。だって、前と後ろの足跡の数を比較すれば、このメイドさんがここまでの道のりを自分で歩いてきたのは明白だし、ひとつ前の足跡とメイドさんの足跡じゃあ時間差がありすぎて、二つの足跡、──二人の人物間に関連性を持たせることが難しい。つまりメイドさんがここに倒れているのに、誰か他の人間の作為は何も働いていなかったことが、まあ断言できるんだよ」

 

 この吹雪じゃあ、空からメイドさんをここに落とすなんて言う突拍子もないトリックなんてできやしないだろうし、地下とかはそもそも論外だし、足跡を重ねるトリックも、前方の足跡じゃあ雪が積もり過ぎてて無理だし、かといって後ろに下がると私たちとの鉢合わせは免れないだろうしねえ。と、花茨さんは一つずつ可能性を潰していく。

 

「ああ、でも、後方への足跡の重ね合わせなら、私はできるのか」

 

「いや、そもそも足跡の重ね合わせなんてどうやったって足跡が不自然になって終わるでしょう。その上、四つの足跡は全部違うものですよ。花茨さん、そこのメイドさんとおんなじブーツなんて持ってるんですか?」

 

「あははーそんなお荷物持つわけないよねー。ただでさえこのリュックくそ重いのに、こんなサイズが全然違うブーツなんてそもそも履けないもの。ないない。やっぱないわ」

 

 冗談はともかく。そうやって可能性を潰されると、なるほど他殺なんて言うおぞましい可能性は、どんどん消えていくように思われた。しかしでは他殺ではないとすると、ではなんだというのだろうか。確かに彼女には外傷がない。けれど凍死ではおかしいという話だったし、病死であろうと、条件は同じだ。

 

「だからその謎を、私は君に解いて欲しいわけなんだけど、まあ今のままじゃあ確かにヒントが足りないかな。いや、今のままでも実は伏線は揃ってるから普通に解けるんだけど、確証は、少し不足気味かな」

 

 だからここでさらにダメ押しのヒントとして、彼女のハンドバッグの中をのぞいてみようか。と、花茨さんは僕にハンドバッグを手渡した。僕は他人の持ち物を勝手に見るということに多少の抵抗を覚えながらも、ハンドバッグの中を覗き見る。

 

「……何だこりゃ」

 

 僕は驚いた。何に驚いたって、その荷物のあまりの少なさとラインナップの奇妙さにだ。僕はバッグの中から一つずつ荷物を取り出して、雪の上に置いていく。

 

 ・「フーダニットゲーム」参加書類パンフレット。

 

 ・財布。(千円札四枚と名刺ケースしか入っていなかった)

 

 ・何のものなのかよくわからないコンセント。

 

 ・化粧ポーチ。

 

 それだけだった。

 

 ちなみに名刺ケースの中には、「蟹目釘総合工学研究所使用人 マリー=クレイドル」と書かれてあり、多分これが彼女の身分証なのだろうと思われる。僕はバッグの中身を見たことでむしろますます真相から遠のいたような気分になった。せいぜいわかったことといえば、彼女がやはりフーダニットゲームの参加者の一人だったことくらいだ。

 

「化粧ポーチの中身も、これといっておかしなところはありませんし、……ヒントなんて一体どこにあるっていうんですか」

 

 僕はたまらず花茨さんにそう訊くと、花茨さんはチッチッチ、と、人差し指を振る。

 

「つくづく読解が甘いなあ何木君。そんなんじゃあいい名探偵になれないぞ。これから開催される推理ゲームで何もできずに終わってしまいたくはないでしょう? これはだから、練習だよ。この事件の真相は、君ひとりで解きなさい。私はもう十分にヒントは出し尽くしたよ。ついでにもう一つヒントをあげられるとすれば一つだけ」

 

 花茨さんは言った。

 

「いいかい何木君。論理的にありえない可能性をすべて除いた末に残ったものは、それがどんなにありえそうもないことでも、真実なんだよ」

 

「……それって、シャーロック=ホームズの名台詞のパクリじゃないっすか……」

 

 そこまで言ったところで、僕は何かが引っ掛かった。何が引っ掛かったのかを考えあると、頭の中で、ある単語とある単語が重なった。

 

 ありえそうもないこと? 

 

 ────蟹目釘研究所? 

 

 確かその単語はつい最近見たことがあったような……。

 

「────あ!」

 

 つい最近見たことがある。その時の記憶をフラッシュバックさせた瞬間、全てが繋がった。

 

「でも……これは」

 

 これは……大丈夫なのか? 

 

「確かにこれですべて説明がつきますけど……でもこれは……。確かにありえない……」

 

「そうだね。ルール違反すれすれだ。でもこれで、確証は出揃ったんじゃないかな?」

 

 まあ、そうなるのだろう。そういうことになるのだろう。僕に文句はないが、しかしこれが答えでは、とても本格推理小説としては成り立たない。もしこれが本格推理小説だった場合、読者の方から確実に苦情が来るレベルである。

 

 まあ別にそんな心配、僕たちには何の関係もないことではあるけれど。

 

「まあまあ、そこは読者様の広い心を信じるとしましょうよ。読者は神様よりも偉大なんだから。これくらい大きな懐にしまい込んで、許してくれるよ!」

 

 花茨さんの読者への媚の売り方がすげえ。読者なんているはずもないのに、そんなことを突っ込みそうになるくらいすがすがしい媚売りだった。

 

「とにかく! 私は許したんだからね!」

 

 あんたが許したから何なんだ……。

 

 花茨さんはにっこり笑って、そのままくるりと体をターンさせ、あらぬ方向を見据える。

 

 …………、何をするつもりだ? 

 

 ……嫌な予感しかしねえ……。

 

「まあさすがに練習問題と言うだけあっていささか難易度は低めだから、ミステリーファンみたいな人じゃなくても文脈から国語の文章問題みたいに解けちゃう解答ではあるけれど、──何木君みたいな鈍いアホの子でも解けちゃう問題だけど、だからちょっとまあ不満ではあるんだけど、それでも人生で一度はやってみたかったことだから、この問題で試しにやってみようかな! 定型文で!」

 

 花茨さんは、なんだか気になることを言いつつ(誰がアホの子だって?)そのままあらぬ方向に人差し指を突きつけると、思いっきり見得を切って叫んだ。

 

「私は読者に挑戦する!」

 

 それは確かに、ミステリーファンならば人生に一度は叫んでみたい。そんな台詞だった。

 

 

 

 




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