Fate/CurseRound ―呪怨天蓋事変― 作:ビーサイド・D・アンビシャス
結果だけを見れば、圧倒的。しかし、虎杖は緊張を一瞬だけ解き、長く息を吐く。
(……危なかった)
先の戦いを振り返った感想だ。虎杖の土俵は殴り合い。如何に相手をその土俵に引き下ろすかが、虎杖の戦い方の肝だ。対して、先の呪霊の土俵は中~遠距離戦であった。
指1本分の膨大な呪力量と呪胎時で既に特級規模の出力は、遠方からの攻撃にこそ真価を発揮する。大砲や機関銃と同じで、距離を取られたら手の施しようが無かった。けれど、距離を詰めることができたのなら、虎杖に分がある。
振り返ってみれば虎杖の圧勝の起因は、序盤で呪霊との距離を潰せたことと相手が本能に根差した獣同然の存在であったことだった。
もしあの呪霊に、真人や花御のような理性と知性があったならば、軽率に距離を詰めさせる筈がない。そうなれば、結果は真逆だっただろう。
(……左腕は、もう使えないな)
多少頑丈で鈍い、と評された通りに、虎杖悠仁は冷静にひしゃげた自分の左腕を見つめる。圧勝の代償は重い。先の呪霊が最後に放った一撃を、虎杖は相手の股下をくぐることで回避したが、左腕一本分があの圧力に曝されてしまっていた。
(――――だからこそ、使う)
ギチュリッ‼ と、あらぬ方向に曲がっている五指で強引に拳を作り、虎杖は背後から迫る異質の存在に向かって放つ!
痛みで鈍る呪力操作が、かつての虎杖の悪癖を蘇らせた。結果、特徴的な二重の衝撃が銀髪の幼女の腹部に当たるが……。
「ぐっ⁉」
左腕に走る鋭い痛みに、虎杖は顔を歪めた。右の蹴りを放つが、幼女は軽業師のようにさらりと躱し、くるくると後方へ飛び消える。
左腕を見やると、黒い
(あの一瞬で刺したのか⁉)
「なんだ、この霧?」
伏黒の鵺が吹き飛ばした筈の霧が、幼女が来た途端に再び立ち込める。じゃり、と土を踏みしめる軽い足音が、霧向こうから響く。
聞こえてくる歩調はゆらゆらと力なく、頼りない。だが、虎杖は最大限に警戒して、足音が聞こえる前方だけでなく、全方位に意識を巡らせる。
(あのスピードと身のこなし。明らかアサシンタイプだろ)
不意を衝かれて、翻弄されれば負ける。先の呪霊のように、「殴り合い」に持っていくのは不可能に近い。
(――――一撃で仕留める!)
前方から歩み寄ってくる足音に耳を傾け、目を見開いて、相手の攻撃を待つ。一撃必殺のカウンターを放つため、虎杖は全身から呪力を漲らせ、意識を研ぎ澄ませる。
『 ねぇ、どうして? 』
吐息が耳孔を愛撫した。途端、背中の全面に幼女の柔肌が触れている感触が降って湧いた。そこまで気づいてようやく虎杖は、幼女に背後から腕を回されて首に組み掴まれていることを認識した。
「なっ……⁉」
(いつの間に⁉)
幼女にささやかれるまで、虎杖の研ぎ澄ました意識は幼女を一切知覚することができなかった。何より足音は、ささやかれる直前まで前方から聞こえてきたというのに。
『さっきのお姉さんもそうだったの。わたしたちの
「やっぱこの霧はお前の術しっ⁉」
刃が首の皮を突き破る。ぷしっと、缶コーラを開けたような音が鳴って、虎杖の首筋から血潮が流れた。ナイフを突きつける動作で、幼女は暗に「自分の問いに答えろ」と言った。
しかし、虎杖には幼女の問いに答えることは出来ない。普通に分からないのだ。
この霧が硫酸を帯びる可能性は森に入った時に気付いていたが、呪力で防御すればある程度は防げるのではないかと考えた。
その考えはある程度、正しい。事実、釘崎はその方法で効果を薄めている。だが、虎杖悠仁は違う。体内に宿す、呪いの王両面宿儺の毒ですら侵すこと敵わぬ肉体に、毒は効かない。
『……ほんとに分かんないんだ。ふぅん、じゃあ良っかぁ。でも、これだけは答えて?』
「んだよ」
『 おかあさんは、どこ? 』
背後で膨れ上がる殺気に、虎杖は唐突に滝の汗を流した。
呪術師の世界に足を踏み入れてから、幾度も晒されたどの殺気よりも――――悍ましい。
目だけを動かし、見れば、幼女は黄緑色の瞳を眼孔からはみ出るほどまで見開き、人の領域を超えた『鬼』の眼光を宿していた。
『おかあさんは、お兄さんの相手をしていたはずなのに。どうしてお兄さん生きてるの? 無事でいるの? おかあさんはどこに行ったの? あぁ、もしかしてまたお兄さんのこと放っておいてどこか行っちゃったの? おかあさんってば、たまーにわたしたちのこともそうやって放って行っちゃうの。でも、わたしたちがおねがいしたら、かならず帰ってきてくれるんだよ。それで、女の人のお部屋にわたしたちを入れてくれるの。じぶんのお腹を切り開いて。今まで誰もそんなことしてくれなかった。わたしたちのねがいを叶えてくれるおかあさんなんていなかった。ねぇ、そうだよね? おかあさん、急にどこかいっちゃったんだよね? だから、ねぇ、お兄さん おかあさんはどこ? 』
懇願にも似た、矢継ぎ早の言葉。
本当は幼女も分かっているはずだ。なのに、事実から目を背けようとしている。
その揺れ方に、虎杖は幼女の纏う悍ましさの本質に気付いた。
この幼女はこれまで祓ってきた呪霊とは根本的に違う。歪んだ願いを持っているだけの、虎杖と同じ人間であるが故に感じる悍ましさなのだ。
「……さっきまで、そこにいたよ」
虎杖はそう言って、足元に転がる呪霊の肉を指さす。呪霊の肉は祓われれば残らない。煙を吹き出し、時間と共に消えてしまう。けれど、指の呪霊は――幼女の言うおかあさんはまだその面影を残していた。
『……そ、うそうそうそっ‼』
首筋に伝うナイフの感触が消える。幼女はやだやだと駄々をこねるように首を振って、呪霊の肉塊に縋りつく。その悲痛な叫びは、虎杖に今までにない苦渋を与えたが……虎杖にそれをゆっくりと味わっている暇など無いのだ。
「――――釘崎っ!」
駆け出してほどなくして、虎杖は木の根元に倒れ伏す釘崎を発見する。
「く……」
言葉を、失う。
釘崎を中心に地面が赤く滲んで濡れている。土が釘崎の血を吸った痕跡が、夥しいほどの血痕が残されている。
一体どれほどの時間が経過した? 一体どれほどの血を流した?
「釘崎‼」
自問が脳裏に巡りながらも、前頭葉は眼前の現実に夢中だ。どうすれば助けられる? どんな攻撃でやられた? 治療法は? 脈は? 呼吸は? 尽きぬ疑問の処理をしようと、駆け付け、抱き起こす。
釘崎の状態は見るからに深刻であった。左頬から左腕にかける広範囲の肌が硫酸の霧で溶け、焼け爛れている。高専の制服ごと深く切り裂かれ、肌を晒していたからだろう。更に体の至る所に黒い
「釘崎! おい! 駄目だ釘崎!」
どうしようもない、自分等では何も手を施せない。そんな現実を吹き飛ばさんとばかりに、虎杖は声を張り上げる。この現状をなんとかするには、反転術式で他者を治療できる家入がいなければ。けれど、ここに家入はいない。広い呪術界を見渡しても、他者の治療を可能な家入は唯一の貴重な人材だ。基本、高専から離れることは無い。
今すぐこの場所に来れる筈がない。
「こんなっ……だめだ、くぎっ」
『――――此よりは地獄』
背後、霧に霞む遠方から、紡がれる呪詛。
『わたしたちは、炎・雨・力』
ひた、ひた、とこちらに歩み寄る足音。虎杖は震えを抑えながら、ゆっくりと振り返る。
『殺戮を……ここに』
還るべき
地獄はここにありと証明するように、怨嗟に塗れた赤き眼光で虎杖を貫く。
しかし、それは虎杖も同じことだった。
「お前……」
瞳孔が狭窄し、手のひらに爪を食い込ませる。指の隙間から溢れ出すのは血と、それと同じ色で揺らめく朱き呪力。
釘崎の身体をそっと下ろし、虎杖は凶悪無比な呪いを放出する殺人鬼に、一歩踏み出す。
呪詛を唱え終えた殺人鬼はだらりと垂らした腕を持ち上げ、おかあさんの肉塊から摘出した…………宿儺の指をえずきながらも呑み込んだ。
『おぶっ、うっ……んぐっ!』
喉元を通り過ぎる桁外れの呪力が、三度目の宝具発動を可能にした。
だが、虎杖には関係ない。
今、両者は互いに、己の大切な者を踏みにじった――――――呪うべき怨敵を前にしているのだから。
『
「 じぁぁぁぁぁぁああああああああ‼‼‼ 」
発動する宝具、それは因果逆転の極大の呪い。
発動した瞬間、敵は切り裂かれ、バラバラの遺体となる。そういう結果が先に起こり、因となる理屈が後からやってくる。
憤怒に呑まれ、咆哮する虎杖の頬が裂かれ、歯茎が露になる。筋肉の繊維に沿って指先から肘が裂かれ、爪先からふくらはぎに走った裂傷の隙間から青い神経が垣間見える。殺人鬼に近づく度に、虎杖の肉体の随所が切り裂かれ、額が横一文字に裂けた。
――――――しかし、心臓は依然として脈を打ち続けている。
虎杖には、それで十分だった。
(ぐっちゃぐちゃに‼ 叩き潰す‼‼‼)
紅蓮の呪力を漲らせた拳を振りかぶる。
殺人鬼は噛み締めた歯を剥き出しにして唸る。呪いの、宝具の出力を上げ続ける。
互いに互いを憎み、呪い合い、害する。
廻る呪いの運命を――――――。
『
天空から降りたる