Fate/CurseRound ―呪怨天蓋事変― 作:ビーサイド・D・アンビシャス
釘崎野薔薇の術式【芻霊呪法】の術式範囲の制限は緩い。
対象から欠損した部位を媒介に、対象本体にダメージを与える【共鳴り】において重要な要因は『対象から欠損した部位』であること。
間違っても道具に打ち込めば、その所有者を攻撃できる術式ではない。
しかし、こと【英霊】においてはその限りではなくなる。なぜならば、伝説に残る特定の武器や遺物などの『道具』の縁でこの世に現界する【英霊】にとって、自身の武器や持ち物の繋がりは本体と密接に繋がるからだ。
そして、【共鳴り】は対象との『繋がり』を辿る。
だからこそ、釘崎は自身の身体に刺さっていたジャック・ザ・リッパーの得物
その結果は。
「……信じるっきゃなさそうね」
釘崎は今しがた医療用ナイフに打ち込んだ釘と、少し遠くで爆ぜた自身の呪力から、【英霊】という存在を信じるに至った。
それは今も自分の身体を反転術式ではない、妙な緑の光で治療してくれている藤丸立香の話を信じるということでもあった。
「な、なんだったの、あの黒い光……」
「黒閃よ。まさかここで出せるとは思ってなかったけど……」
忌むべき故郷の村で呪術師をやっていた祖母から、知識として聞かされてはいた。黒閃は狙って出せるものではない。だから釘崎はほとんどその存在を頭の中から追い出していた。
(……まだ残ってるわね、余韻)
覚醒した呪力の本質に精神が昂っている。傷が治癒されることで晴れた痛みの中で、五感が研ぎ澄まされていく感覚を反芻する。
釘崎は自身の手のひらをじっと見つめ……被害者の望月香織の顔が脳裏に甦った。
ギュッと目を閉じて、目蓋の裏にいる望月香織の顔を鮮明に描く。そして手の平を固く握りしめ、目蓋の裏の彼女に仇を仕留めた感触を送った。
「――なにやってんだか」
目蓋を開くと同時に、釘崎は感傷的になっている自分に呆れた。
らしくない。
自分らしさを至上とする彼女にとって、こんな情緒は自分らしさを歪めるだけの代物だった。
(らしくない、本当にらしくない。――なに気にしてんのよ、私)
釘崎はそう思って、さっきからずっと心配そうに自分を見つめる少女……藤丸立香を見つめ返す。【英霊】について説明された時と、これまでの口振りから藤丸とあの幼女の殺人鬼は仲間だったことが分かる。
だからこそ……釘崎にとって、藤丸の視線は煩わしく、しっしっと手振りで追い払った。
「いつまで見てんのよ、さっさとどっか行って。私はもう大丈夫だから」
「そんなっ……まだ駄目だよ! 宝具の傷がまだ完全に塞がってな」
「うっさいわね‼ 大丈夫だって言ってんでしょうが⁉ ここまで治してもらったんだから! はい、ありがと! はい、これでチャラ! さっさと行った行った!」
釘崎は言葉をまくしたてて、少女――藤丸立香をこの場から離れさせようとする。苦手なのだ、藤丸の目が。彼女に見つめられると、気を揉んでしまう。
そうしてどんどん自分らしさが無くなって、感傷的な気分に浸ってしまいそうになるからだ。
「言っとくけど、私、謝んないからね。仲間なのかどーか知ったこっちゃ無いけど、あのガキを祓ったこと……謝るつもりは一切ない」
藤丸の円らな目が更に丸みを帯びる。そのせいで藤丸の童顔ぶりに拍車がかかって、本当に同い年かどうかも疑わしくなる。
釘崎の毅然とした意思表示に、藤丸は驚いている様子だったが……不意にその眦がふっと緩められた。
「――優しいんだね、あなたは」
藤丸の微笑みから顔を逸らし、釘崎は応えなかった。その沈黙で満足したのか、藤丸はそれ以上言葉を交わさずに釘崎の下を離れていった。
遠ざかる足音を聞きながら、釘崎は独り呟く。
「……笑ってんじゃないわよ」
いっそ怒りをぶつけられた方が楽だった――だなんて、ますます自分らしくない、と釘崎は自己嫌悪に歯噛みした。
***********
(――――さ、むい)
お腹からだらだらと温もりが流れ出る。指先がかちかちと震えて力も入らない。
(あ、んなに……あったかかったのに)
英霊ジャック・ザ・リッパーは、数刻前の胎内の温もりを思い出して、掠れた目を細める。それはずっと抱き続けてきた願いが叶っていた時間だった。
そこには安らぎがあった。
そこには懐かしさがあった。
そこには温もりがあった。
そう、確かにあの時、英霊ジャック・ザ・リッパ―は満たされていたのだ。
たとえ化物の腹であっても、たとえ他人の子宮を使ってでも―――――この霊基に刻まれた願いが叶うなら、叶え方に拘りなど無いのだ。
(かなえ、てくれる……って、言ってたもん)
ブルブルと震えながら、肘をついて起き上がろうとするジャック。しかし、途中で崩れ落ちて自分の血溜まりに沈む。
(そうだ、あの人は言ってくれた。わたしたちのお願いを……かなえ)
血溜まりの中でジャックはふとして湧いた疑問に、目を見開いた。
――――あの人、って、だれ?
視界の霞が、思考の霧が、晴れていく。
晴れた先にあったのは、泥のように混濁した記憶。
【 これは〝縛り〟だ 】
混じり、濁った記憶を、明確になったジャックの意識が掬い上げる。
カルデア。聖杯。マスター。特異点。人理焼却。マシュ。異聞帯。人理漂白。……藤丸立香。汚泥の奥底に、沈められていた記憶の数々が甦ってくる。
【汝の願いを叶える。その代価として、吾に霊基・霊核の干渉権を譲渡せよ】
藺草で編まれた笠で顔を覆い、黒漆の法衣を纏った男の声を、思い出す。
宿儺の指を手に持つジャックに、男は命じる。
【さぁ、受諾したのなら――――指に、願え】
ジャックは思い出した。闇泥の中で交わした男との契約を。
ジャックは思い出した。カルデアに落ちていた、人の指らしき何かを。
それを拾った途端……とぷん、と闇泥に呑み込まれたことも。
全て、思い出した。
(あぁ、そっか。あの時に、わたしたちは……もう)
視界いっぱいに広がる夜空の片隅で、金色の粒子が煙となって立ち昇る。魔力で構築された肉体が解けて、消失している証だった。
ジャックは自らの身体が消えてゆくのを刻一刻と感じていく。
世界から自分が消えていくことに、ジャックは恐れを抱かない。
生まれることさえ拒絶され、産み落とされることなく墜とされた、胎児の集合体。数万以上の胎児の怨霊が寄り集まり、束ねられた1体の怨霊。
それこそが、【英霊】ジャック・ザ・リッパ―の正体。
そんな名前も存在も認められなかった彼彼女らにとって、世界は醜いものだから。そんな世界に行きたくなくて、生きていたくないから、ジャックは帰りたかった。
あの、安らかで温もりに満ちた故郷へ――――胎内へ還りたかったのだ。
(なのに……なんなんだろぅ、この人達は)
ジャックは、倒れ伏す自分を見つめる少年と少女が不思議でならなかった。
マシュの大きな瞳から零れる涙が、ジャックの頬を暖かく濡らす。
虎杖は少し離れたところで立ち尽くして、ただじっとジャックを見つめていた。
耳が聞こえない無音の世界で、ジャックは二人を交互に見つめ返す。
(へ、んな……ひとたち。どぉして、そんな顔するの?)
さっきまで戦っていたのに。自分は、二人を殺すつもりだったのに。
どうしてそんな相手が消えていくのを見て、悲しそうな顔をするのか、ジャックには分からなかった。
分からないけれど……悪い気はしなかった。自分達が消えることに悲しんでくれる人がいるのだと、知ったから。
ほぅっと、息をつく。霊核の消失が始まった。そう静かに悟ったジャックは目蓋を閉じて―――――
「 ジャックちゃん 」
無音の世界に、声が届いた。
閉じた目蓋を開くと、茶色い瞳にぴょこんと跳ねた橙色のセミショートヘアーが目に入った。
凡人なのに、只人なのに、幾多の困難を乗り越えてきた……笑顔が素敵な女の子。
(わたしたちの……
倒れ伏したジャックを、藤丸立香が抱き起こす。
彼女はただジャックに微笑みかけ、自分の銀髪を優しく撫でてくれた。
途端、消失を受け入れていた心に浮かぶ、数々の光景。
立香に抱きしめられる自分、くすぐられて溌剌に笑う自分、立香やマシュだけでなくナーサリーやバニヤン達と遊んでいる自分を――――カルデアでの日々を、思い出す。
「 めん、なさい」
殺人鬼の目から、涙が零れ落ちる。
丸くて大きい、真珠のような雫をぽろぽろ零して、幼い子どものように泣きじゃくる。
「ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさい
後悔が胸を占める。間違った方法で願いを叶えてしまった後悔に。
そんなジャックを、立香は何も言わずに抱きしめる。
頭を撫でて、背中をとんとんと叩いて、泣き止めない幼女に胸を貸した。
――かつて霧の都を跋扈した殺人鬼。
――無辜の女性を解体した怨霊。
――母のもとに帰りたいと願った幼女。
――【英霊】ジャック・ザ・リッパ―。
その霊基は、マスター藤丸立香の腕の中で……完全に消失した。
目撃者、以下三名。
藤丸立香。
マシュ・キリエライト
虎杖悠仁