Fate/CurseRound ―呪怨天蓋事変― 作:ビーサイド・D・アンビシャス
奥多摩駅に到着してから、六時間が経過した。
「――――ぜんっぜん情報無いじゃない」
うんざりといった表情で、釘崎はストローで野菜ジュースを吸った。
疲労困憊といった様子の四人が、駅近くのデイリーストアで屯していた。
「記憶消去……分かっちゃいたが、相当やっかいだな」
「伊地知さん大丈夫かなぁ」
虎杖は長時間、奥多摩中を車で走らせた伊地知を心配した。
広域徘徊怨霊というように、普通は一か所に留まる呪霊とは異なり、件の呪霊は奥多摩の広範囲で出没している。
東京の中で一番広い面積を持つ奥多摩市に、だ。
まず被害者の遺族を調査したのだが、結果は、伊地知が長時間の運転で精神と腰に多大な疲労をかけただけだった。
「大丈夫っしょ。あそこの休憩室、マッサージチェアとかあったし」
釘崎が口にしているのは、『もえぎの湯』という温泉だ。釘崎が言うように、今頃、伊地知は湯上りの体をマッサージチェアでほぐされている頃だろう。
「中々休んでくれなかったけどな」
伏黒はコンビニに向かう前に起こった、一悶着を思い返す。『補助監督として、君たちより先に休むなんて』と言って、疲労がにじみ出ていながらも、コンビニまで車で送ろうとしたのだ。
「無理にとは言わないけど、休める時には休んでほしいよな」
八月の下旬頃、虎杖は伊地知宅にお邪魔させてもらった時がある。その時に伊地知の心労や葛藤を、虎杖なりに理解した。だから労わりの心が強く出るのだが。
「……でもやっぱ車出してもらえば良かったかな~」
「えー、でも申し訳ねぇじゃん。別に大した用事じゃないんだし」
マンガ雑誌やお菓子を少し買うのにも、伊地知を突き合せたら悪いと考える虎杖。
だが、釘崎はじとりとした目で帰り道――コンビニから銭湯までの道のりを見やる。
「地味に遠いのよ。だから帰りがだるいって思っただけ! つーか、ここホントに東京⁉
実は群馬なんじゃないの⁉」
「お前が群馬をどう思ってるのかは分かった」
釘崎は地元の田舎が嫌いだからという理由で呪術師になった女だ。だから奥多摩駅に着いた瞬間は、若干顔が引きつっていた。
(まぁ、確かに少し面倒だけどな)
伏黒も釘崎と胸中を同じくしていたが、虎杖はパックマンのように目を丸くした。
「え、三分くらい全力ダッシュすれば着くじゃん」
「「お・ま・え・は・な‼」」
五十メートルを三秒で走る奴の距離感覚だ。伏黒と釘崎の感覚とは離れている。
一人の同意も得られなかった虎杖は「ちぇー」と口をとがらせた。そして明太子おにぎりをパクッパクッと二口で食べ終わる。
「んじゃ、ぼちぼち戻ろうぜ」
「食うの早いな」
どれだけ文句を言おうと、歩いて来たからには歩いて帰るしかないのだ。釘崎は野菜ジュースのパックをごみ箱にシュートイン。憂鬱な気分を引っ提げて、さっさと歩き始める伏黒と虎杖の後を追う。
しかし、踏み出した一歩は
「あ、あの!」
袖を掴まれて、二歩目に行くことはなかった。
唐突に引き留められ、面食らった釘崎が振り返ると、そこには眦に涙を溜めた若い女性が立っていた。
「霧の件を調べてる方ですよね? 母から聞いて探してたんです!」
「! 霧のこと覚えてんの⁉」
釘崎が驚くのも無理はない。今日の調査で判明したことだが、被害現場にいた目撃者は霧に呑まれたことすら忘れていたのだ。
「おい伏黒ぉ! 虎杖ぃ!」
男顔負けの音量で男子二人を呼ぶ。気づいた二人が戻ってくるまで、釘崎は可能な限りの聞き込みを行おうとしたが、両腕に走った鈍い痛みに思わず顔を歪めた。
半ば混乱した様子で、女性が釘崎の腕を強く握りしめていた。
「だ、だれも覚えてないんです! みんな見てたはずなのに! 妹が、なにかに……なにかに……ば、ばら……」
「良い。言わなくて良い」
毅然とした、しかしどこか優しい響きを伴った声音を聞くと、女性の堤防は決壊した。ぼろぼろと涙を流し、嗚咽交じりに喪ってしまった妹の名をつぶやいた。
「早織……さおりぃ」
「―――――――っ」
その名を聞いて、釘崎は言葉を失った。
奇しくも、その名は釘崎の親友にして、呪術師になる切っ掛けとなった少女の名前と同じだった。
*************
被害者である望月早織の姉、望月香織の情報により、新たな事実が判明した。
一つは、記憶消去の度合いは個人差がある。
霧が発生する数時間前後の記憶を失ってる者もいれば、逆に霧の中の出来事しか失っていない者もいる。現時点で、霧の中の出来事も覚えているのは望月香織のみだった。
二つ目は、出産経験の有無だ。
なぜ呪霊は望月早織を手にかけた時、すぐ隣に居た望月香織を襲わなかったのか?
被害者の情報を改めて総ざらいした結果、被害者の新たな共通点が現れた。
妊娠・出産経験のない女性。
(……呪霊がここまで襲う人間を選ぶのか?)
伊地知との情報共有を終えた伏黒は、今回の呪霊に違和感を覚えた。
呪霊とは、人間(非術師)の負の感情が堆積して発生する存在だ。形ある悪意ともいえる奴らのほとんどは知性を持たず、己の悪意の赴くままに行動するのだが……。
(分娩経験のない子宮のみ求め、更にそれを見分ける力を持つ……呪詛師の可能性も出てきた――っ⁉)
首筋に広がるひんやりとした感触に、疑問も思考も吹っ飛んだ。振り向くよりも先に、手首をつかみ、逃げられなくしてから振り返る。
「なにしやがんだオマエ」
「ぎゅ、牛乳いーかが⁉」
眉間から黒いオーラを出す伏黒に、虎杖はビビりながらも風呂上がりの牛乳を差し出した。フルーツ牛乳とコーヒー牛乳。伏黒に差し出されたのはコーヒー牛乳だった。
「いらん」
「良いから飲めって。明日も調査で歩き回んだから」
気張り過ぎだ、と言外に伝えられた。
伏黒は息をついて強張りを解くと、おとなしくコーヒー牛乳を受け取る。
甘いのは苦手だ。けれど、今はとにかく頭を冷やすために、流し込む。空になった瓶を旅館のテーブルに置いてから、
「この瓶、どこに片づけるんだ?」
「部屋の前に出しとけば、仲居さんが持って行ってくれるってよ」
「……釘崎にも渡したのか」
「断られた」
そう言って、虎杖は残ったフルーツ牛乳の蓋を開けて、飲み始める。おそらく二本目なのか、ペースが普段よりも遅い。
気を遣わせてしまった。
「すまん。気負い過ぎた」
「仕方ねぇよ。あの人の話聞いた後じゃあ……」
視線を落とす虎杖を見つめながら、伏黒は望月香織が伝えてくれた情報を思い返す。望月香織は二年前、息子を出産している。望月早織は姉の息子の面倒をよく見ていた。
その日も、姉の身を気遣って買い物の荷物持ちを手伝っていたらしい。
滂沱の涙を流しながら、凄惨な事件当時のことを語ってくれた彼女は、後から来てくれた伊地知さんの車で家に送られた。
「でもさ、伏黒」
虎杖が顔を上げて、伏黒の双眸を真っすぐ見据える。
漏れ出た怒気が空気と伏黒の肌をひりつかせた。
「気張るぞ」
「当然だ」
女子部屋で一人、怒りを研ぎ澄ませているであろう釘崎のことを想いながら、伏黒は応えた。
八十八橋編での調査パート面白かったなぁ。
あれを目指したつもりだけれども、やっぱり難しい。