Fate/CurseRound ―呪怨天蓋事変―   作:ビーサイド・D・アンビシャス

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第7話 不還の境地

 

 男が地面に倒れる揺れを足裏に感じた伏黒は、その場で膝を折った。

 

「ぐっ……!」

 

 後頭部から首筋にかけて広がる腐蝕の激痛に顔を歪ませる。生きながらにして細胞単位で解体されているような激痛。だが、これは名残りだ。

 

 痛みは依然続いているが、肉を分解するジュァアという煙と音は鳴っていない。

 術式は解除されている。証拠に薔薇の紋様も消えている。

 

(毒は大丈夫なのか、これ。家入さんの治療が間に合うかどうか……関係ねぇか)

 拳を地に押しつけ、それを支えに震える腰を持ち上げる。

 

「待って……ろよ、虎杖。釘崎」

 

 毒の苦痛で息を荒くしながらも、伏黒は二人の助太刀のために立ち上がった。

 

 不平等に人を助ける。

 己の良心を信じて、善人を助ける。

 それが伏黒恵という呪術師の本幹だ。

 そこに、自身の保身というものは介在しない。

 自分の痛みに、生死に……危機に無頓着。

 

 故に。

 

 背後から迫る、紫毒の拳に気づけない。

 

「がっ⁉」

 

 衝撃に肉が波打つ。背中側からめり込んだ拳はそのまま肺を押し潰さんとして、更なる力を込めるが、その前に伏黒の体躯が吹き飛ばされた。地面に二転三転と転がり、木の幹に叩きつけられ、血に混じった酸素の塊を吐き出す。

 

「まさか腕を飛ばされるとは……少々あなたのことを侮っていました」

 

 月明かりを頭から浴びる壊相の姿が、薄れゆく伏黒の目に映る。切り飛ばした筈の右腕がある。

 

(受肉、たいの再生は……反転術式じゃなきゃ不可能の、はず)

 

 切り飛ばした肉の断面から、伏黒はTバック男が特級呪物を受肉した人間だと気づいた。だからこそ腕を切り落とせば失血死を免れないと考えたのだが……正確には、あれは肉の腕ではない。

 

 背中から噴射していた【翅王(しおう)】の毒血を、肩の断面から放出。宙に留め、腕の形に凝固させた仮初のもの。けれど、そんなことを知る術もない伏黒は、男が近づいてくるのをただ待つしかなかった。

 

「私の毒は全身に浴びでもしない限り、死にません。けれど、そこまでの深手なら別ですが。後頭部に打ち込まれ、更に背中に喰らった今、【(きゅう)】を使うまでもない」

 

 楽に殺してあげます。

 

 そう続けて、Tバック男は木の根元に転がる伏黒へと更に近づく。

 

 どくりと溢れ出す頭部からの出血が、伏黒の掠れかかった視界を赤く染め、壊相の姿を映さなくさせる。

 

(――――ここまでだな)

 

 呪術師として完成された精神が、伏黒にあの手段を躊躇なく選ばせる。

 

十種影法術(とくさのかげほうじゅつ)

 

 十種の式神を従える、禅院家相伝の術式。長く呪術界に君臨する御三家の一角。その相伝の術式の真骨頂は…………現代最強の術師・五条悟をも道連れにできる力を秘めている。

 

布瑠部由良由良(ふるべゆらゆら)

 

 勝者の愉悦に浸っていたTバック男が、頬を張られたかのように驚愕する。

 伏黒から膨れ上がる……否、伏黒の影の最奥から現れようとするナニカの気配に、男は気圧され、飛び退いた。

 

八握剣(やつかのつるぎ)……っ!」

「なんだ。貴様! 何を呼び出そうとしている!」

 

 Tバック男が声を荒げ、首を振り乱しながら、背中から蝶の羽を展開する。

 だが遅い。

 伏黒を門として、隙間風のように溢れ出す呪力。そんな隙間風に宿る神威は月すら墜としかねない程に濃厚で、重厚で……圧倒的だった。

 門の向こうから現れようとする【神】を出迎えんと、どこからか湧現した六体の玉犬が二本の縦列を組み、遠く咆えた。

 

異戒(いかい)……」

 

         『 おや、それはいけないよ 』

 

 【神】が通りたる参道。

 その正中に、細く、しなやかで、たおやかな爪先が、降り立った。

 薄れていた伏黒の視界が、白く柔い月光に染まっていく。

 

(――――お、んな?)

 

 月光と見紛うそれは、女が纏う純白の装束だった。

 一つにまとめた濡れ羽色の髪が尾のように翻り、女が背後に倒れる伏黒を振り返る。

 

『無事かな、少年?』

 

 衣のように柔らかく軽やかなでありながら、忍ばせた刃を思わせる鋭さを秘めた声音だった。切れ長の瞳は涼やかで、世捨て人のような達観さを持ち合わせつつも、義侠に燃ゆる情も宿している――――美しい目をした、女性だった。「風流」という言葉を着こなすその美女は伏黒を優しく見つめながら、戒めるように、立てた人差し指を唇に付けた。

 

『己の死を恐れず、生も求めない……そんな境地に立つには、君は少し若すぎる。――――もっと世を謳歌しなさい』

 

「――――――――っ」

 

 気づけば、伏黒は召喚の構えを解いた。

 

 出迎えの遠吠えをしていた玉犬達が水音を立てて影と消える。白装束の美女は辺りを見回して、充満していた神威の呪力が消失したのを確かめた。

 

 浅葱色の瞳が花弁のような柔味を帯びて、細まった。

 

『それでよし……さて、待たせたね』

 

 白装束の美女は声の調子も表情も、さっぱりと切り替えて、これまで静観していたTバック男と対峙する。その時を待っていたかのように、男は背中の蝶の羽を広げ、美女目掛けて一斉にレーザーを照射した。

 

『――――此処より己の死を恐れず、生も求めず』

 

 迫る紫毒の光条に避ける素振りすらみせず、美女は懐からある書を取り出す。それは俗にいう巻物だった。巻物を手にした方の手を振り上げる。

 

 すると、川の流れのように巻物から紙が流れ、美女の姿を覆い隠す。

 ジュジュジュンッ‼ と、毒のレーザーが巻物の紙を次々と貫く。それでも巻物からは紙が流れ続け、果てには男の目の前にまでブワッと過ぎる。

 

「くっ!」

 

 うっとおしそうに、男が眉間にしわを寄せて、後ろに下がろうとした。

 その傾いた態勢に、そっと一押しするように…………胸板に匕首が沈み込んだ。

 

『 ただ殺めるのみ 』

 

 鼻先と鼻先が掠れ合うよう程まで近寄り、白装束の美女はそう囁いた。

美女は、己が殺めた男の目から、決して目を逸らさなかった。

 

「血塗……すまな」

 

 浅葱色の瞳は、黒い瞳から流れる涙を、涼やかに、真摯に映して――――見届けた。

 ぐらりと倒れかかる男を、美女は避けずに受け止め、そっと地に下ろす。

 

 男を見下ろす美女の目に迷いも無いし、後悔も無い。ただ、少しばかりの憐憫を……男の遺体に供えた。

 

『……君のような若人が、酒の味よりも先にこんな想いを味わうものじゃないのさ。こんなことは、私のような亡霊がすれば良いのだよ』

 

 月明かりを仰いでから、美女は背後に座す伏黒へと振り返り、

 

「 【玉犬・渾】 」

 

 特級呪霊にも傷をつけた式神の爪を、喉元に突きつけられた。

 

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