Fate/CurseRound ―呪怨天蓋事変― 作:ビーサイド・D・アンビシャス
男が地面に倒れる揺れを足裏に感じた伏黒は、その場で膝を折った。
「ぐっ……!」
後頭部から首筋にかけて広がる腐蝕の激痛に顔を歪ませる。生きながらにして細胞単位で解体されているような激痛。だが、これは名残りだ。
痛みは依然続いているが、肉を分解するジュァアという煙と音は鳴っていない。
術式は解除されている。証拠に薔薇の紋様も消えている。
(毒は大丈夫なのか、これ。家入さんの治療が間に合うかどうか……関係ねぇか)
拳を地に押しつけ、それを支えに震える腰を持ち上げる。
「待って……ろよ、虎杖。釘崎」
毒の苦痛で息を荒くしながらも、伏黒は二人の助太刀のために立ち上がった。
不平等に人を助ける。
己の良心を信じて、善人を助ける。
それが伏黒恵という呪術師の本幹だ。
そこに、自身の保身というものは介在しない。
自分の痛みに、生死に……危機に無頓着。
故に。
背後から迫る、紫毒の拳に気づけない。
「がっ⁉」
衝撃に肉が波打つ。背中側からめり込んだ拳はそのまま肺を押し潰さんとして、更なる力を込めるが、その前に伏黒の体躯が吹き飛ばされた。地面に二転三転と転がり、木の幹に叩きつけられ、血に混じった酸素の塊を吐き出す。
「まさか腕を飛ばされるとは……少々あなたのことを侮っていました」
月明かりを頭から浴びる壊相の姿が、薄れゆく伏黒の目に映る。切り飛ばした筈の右腕がある。
(受肉、たいの再生は……反転術式じゃなきゃ不可能の、はず)
切り飛ばした肉の断面から、伏黒はTバック男が特級呪物を受肉した人間だと気づいた。だからこそ腕を切り落とせば失血死を免れないと考えたのだが……正確には、あれは肉の腕ではない。
背中から噴射していた【
「私の毒は全身に浴びでもしない限り、死にません。けれど、そこまでの深手なら別ですが。後頭部に打ち込まれ、更に背中に喰らった今、【
楽に殺してあげます。
そう続けて、Tバック男は木の根元に転がる伏黒へと更に近づく。
どくりと溢れ出す頭部からの出血が、伏黒の掠れかかった視界を赤く染め、壊相の姿を映さなくさせる。
(――――ここまでだな)
呪術師として完成された精神が、伏黒にあの手段を躊躇なく選ばせる。
【
十種の式神を従える、禅院家相伝の術式。長く呪術界に君臨する御三家の一角。その相伝の術式の真骨頂は…………現代最強の術師・五条悟をも道連れにできる力を秘めている。
「
勝者の愉悦に浸っていたTバック男が、頬を張られたかのように驚愕する。
伏黒から膨れ上がる……否、伏黒の影の最奥から現れようとするナニカの気配に、男は気圧され、飛び退いた。
「
「なんだ。貴様! 何を呼び出そうとしている!」
Tバック男が声を荒げ、首を振り乱しながら、背中から蝶の羽を展開する。
だが遅い。
伏黒を門として、隙間風のように溢れ出す呪力。そんな隙間風に宿る神威は月すら墜としかねない程に濃厚で、重厚で……圧倒的だった。
門の向こうから現れようとする【神】を出迎えんと、どこからか湧現した六体の玉犬が二本の縦列を組み、遠く咆えた。
「
『 おや、それはいけないよ 』
【神】が通りたる参道。
その正中に、細く、しなやかで、たおやかな爪先が、降り立った。
薄れていた伏黒の視界が、白く柔い月光に染まっていく。
(――――お、んな?)
月光と見紛うそれは、女が纏う純白の装束だった。
一つにまとめた濡れ羽色の髪が尾のように翻り、女が背後に倒れる伏黒を振り返る。
『無事かな、少年?』
衣のように柔らかく軽やかなでありながら、忍ばせた刃を思わせる鋭さを秘めた声音だった。切れ長の瞳は涼やかで、世捨て人のような達観さを持ち合わせつつも、義侠に燃ゆる情も宿している――――美しい目をした、女性だった。「風流」という言葉を着こなすその美女は伏黒を優しく見つめながら、戒めるように、立てた人差し指を唇に付けた。
『己の死を恐れず、生も求めない……そんな境地に立つには、君は少し若すぎる。――――もっと世を謳歌しなさい』
「――――――――っ」
気づけば、伏黒は召喚の構えを解いた。
出迎えの遠吠えをしていた玉犬達が水音を立てて影と消える。白装束の美女は辺りを見回して、充満していた神威の呪力が消失したのを確かめた。
浅葱色の瞳が花弁のような柔味を帯びて、細まった。
『それでよし……さて、待たせたね』
白装束の美女は声の調子も表情も、さっぱりと切り替えて、これまで静観していたTバック男と対峙する。その時を待っていたかのように、男は背中の蝶の羽を広げ、美女目掛けて一斉にレーザーを照射した。
『――――此処より己の死を恐れず、生も求めず』
迫る紫毒の光条に避ける素振りすらみせず、美女は懐からある書を取り出す。それは俗にいう巻物だった。巻物を手にした方の手を振り上げる。
すると、川の流れのように巻物から紙が流れ、美女の姿を覆い隠す。
ジュジュジュンッ‼ と、毒のレーザーが巻物の紙を次々と貫く。それでも巻物からは紙が流れ続け、果てには男の目の前にまでブワッと過ぎる。
「くっ!」
うっとおしそうに、男が眉間にしわを寄せて、後ろに下がろうとした。
その傾いた態勢に、そっと一押しするように…………胸板に匕首が沈み込んだ。
『 ただ殺めるのみ 』
鼻先と鼻先が掠れ合うよう程まで近寄り、白装束の美女はそう囁いた。
美女は、己が殺めた男の目から、決して目を逸らさなかった。
「血塗……すまな」
浅葱色の瞳は、黒い瞳から流れる涙を、涼やかに、真摯に映して――――見届けた。
ぐらりと倒れかかる男を、美女は避けずに受け止め、そっと地に下ろす。
男を見下ろす美女の目に迷いも無いし、後悔も無い。ただ、少しばかりの憐憫を……男の遺体に供えた。
『……君のような若人が、酒の味よりも先にこんな想いを味わうものじゃないのさ。こんなことは、私のような亡霊がすれば良いのだよ』
月明かりを仰いでから、美女は背後に座す伏黒へと振り返り、
「 【玉犬・渾】 」
特級呪霊にも傷をつけた式神の爪を、喉元に突きつけられた。